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2014年2月20日 (木)

維新政府の密偵たち: 御庭番と警察のあいだ

■ 書籍情報

維新政府の密偵たち: 御庭番と警察のあいだ   【維新政府の密偵たち: 御庭番と警察のあいだ】(#2285)

  大日方 純夫
  価格: ¥1890 (税込)
  吉川弘文館(2013/9/20)

 本書は、江戸幕府の「御庭番」と明治14年に発足した内務省警保局との間の情報収集を担当したいた密偵の姿を、早稲田大学が所蔵する膨大な「大隈文書」などを元に追ったものです。
 第1章「密偵を追って」では、「日本最初(あるいは二番目)のプロテスタント受洗者として評価」されている「荘村省三」こそが、明治政府が太政官直属の情報収集機関として設置した正院監部(せいいんかんぶ)のメンバーであると述べ、「荘村ははじめ三条家の、ついで政府直属の密偵として、とくに不平士族層の動静を探るために大いに“活躍”していた」と述べています。
 そして、日本幼稚園教育の先駆者として知られている関信三の前歴が、「弾正台のキリスト教探索にあたった」密偵であるとして、「真宗の僧侶『猶龍』としてかねてからキリスト教排撃活動に従事し、その一環として、キリスト教の内部に潜入していた密偵『安藤劉太郎』は、ついに自ら偽装入信し、“キリスト教徒”となった。そして、キリスト教の内部情報をその中枢部で収集し、政府に送り続けたのである」と述べています。
 第2章「維新政府お抱えの密偵集団」では、大隈重信の回想の中で、「明治維新の当初は、人心がすこぶる同様して社会がはなはだしく不安に陥ったので、これにそなえるため、一種の探偵ともいうべき弾正台をおいた。弾正台は廃藩置県の改革の際、廃止されたが、人心の同様はますますはなはだしく、陰謀・暗殺があちこちで起こる。そこで新たに監部というものを置いて、人心の動きを探ろうとした。そして政府内部の相談によって、『我輩が其の長官と云ふことになつた』」と述べられていることを紹介しています。
 そして、「弾正台は諜者を駆使して密偵活動を進めることを、任務の一つとしていたのである」とした上で、司法省設置後は、監部が「密偵機関という弾正台の独自の役割を引き継いだ」と述べたうえで、大隈は「自分のところに出入りしている『浪人』『豪傑連中』、あるいは『旧幕臣』『静岡や東北辺の不平家』『嘗ては勤王を唱へて天下の志士と称して横行して居る神主』などを監部にあてた」と述べています。
 また、「1876年4月の正院の密偵機構のは石井後も、密偵の機能はその規模を縮小しながら、大臣・参議のもとで維持されていったといえよう。そして、監部にかわって、国家機構上、密偵機能を担う中心に浮上してきた」のが、「東京警視庁を中核として成立してきた警察であった」としています。
 第3章「教会に潜入した密偵」では、「弾正台のもとでキリスト教の探索にあたっていた真宗関係者は、その後、1871年7月に弾正台が廃止されたため、太政官正院監部の諜者となり、探索活動をそのまま続けていった」と述べています。
 そして、安藤たちが、「事前に監部の了解を得たうえで、洗礼を受け」、「宣教師たちの信頼を得て、いよいよ間近で角度の高い情報を収集すべく、活動を進めていった」として、「日本基督公会の創立は、二重、三重に密偵たちの監視のもとに置かれていた」と述べています。
 しかし、同じ頃に「キリスト教の禁止措置は次第に有名無実と化して」おり、「政府のキリスト教対策の変化と文明開化の風潮の中で、キリスト教は日を追って蔓延しており、もはや抑えることができない。こうした状況になってしまっては彼らの存在意義はない」という状況に至り、1874年6月には諜者達はすべて免職となり、「キリスト教に対する公的な探索活動には終止符がうたれた」としています。
 第4章「地方政情を探る密偵」では、監部への提出書類には、
(1)巷議書:世上で見聞した情報、路傍の風説や雑談といった噂から収集した情報を報告するもの
(2)探索書:指令を受けて探索した結果の報告
の2種類があるとしたうえで、1872年5月に小原沢重雄が茨城から東北にかけて巡回した「探索書」を紹介し、「探索の主要な関心が士族層の動向と、県治のあり方、特に県官の評判如何にあったことがわかる」と述べ、「監部・諜者の探索書は、文明開化期の地域状況、とくに政府の政策の貫徹をめぐる諸矛盾のさまを、密偵の“目”と“耳”を通してではあるが、リアルに今日に伝えている」としています。
 第5章「消えた正院監部」では、荘村省三が、「監部を去って以後も、大蔵省のもとに抱え込まれ、大隈の密偵として縦横に“活躍”し(克明な報告書がそれを物語る)、大隈の追放とともに密偵としての活動に終止符を打ったのではなかろうか」と述べています。
 エピローグ「警察の密偵」では、「新設の東京警視庁に正院監部の機能が吸収された」ため、「警察における国事警察機能の確立にともなって、監部の活動は意義を減退させていくことになった」と述べたうえで、「内局第一課の配下にあった密偵たちは、『仮面』をかぶって民権派の内部に潜入し、スパイ活動を展開していた。そして、秘密に集約されたその“成果”は、警察から政府首脳部にもたらされて、政府側の重要な情報源となっていたのである」と述べています。
 そして、「かつて監部が担っていた機能は警察(とその配下の探偵)によって代替され、より組織的・系統的な高等警察による情報収集体制が構築されていった」と述べています。
 本書は、維新政府の初期を支えた情報収集の最前線を追った一冊です。


■ 個人的な視点から

 p.141にある、1872年に小原沢重雄から報告のあった宮城県に関する報告のうち、「高知県の沢辺数馬」とある者は、坂本龍馬の従兄弟の沢辺琢磨であり、「英国人ニコライから異教を学んだ」とあるのはロシア正教会のニコライ神父のことと思われます。


■ どんな人にオススメ?

・御庭番のその後が気になる人。


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