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2014年2月24日 (月)

エイズの起源

■ 書籍情報

エイズの起源   【エイズの起源】(#2288)

  ジャック・ペパン (著), 山本 太郎 (翻訳)
  価格: ¥4200 (税込)
  みすず書房(2013/7/6)

 本書は、「エイズの歴史の中に散在する『点』をつなげていく試み」です。
 第1章「アウト・オブ・アフリカ」では、「HIV-1の起源が中部アフリカにあるという初期の洞察は単純で素朴なものであった」として、
(1)推測に明らかな偏りがあったということ。
(2)HIVの場合、感染率と流行期間との関係が単純ではないということ。
の2つの問題点を挙げつつも、「中部アフリカがHIVの起源であるという初期の仮説は、単純で根拠の薄いものであったとしても、最終的にそれは正しいと証明されることになった。科学の世界では、直感はしばしば信じるに足るべきものなのかもしれない」と述べています。
 第2章「起源」では、HIV-1が中部アフリカで誕生した理由について、「この地域がHIV-1祖先ウルスの宿主である霊長類の居住地だったから」だと述べた上で、「チンパンジーより小さなサルを宿主とする免疫不全ウイルスが組み換えを起こした結果誕生した可能性が高い。おそらくシロエリマンガベイの免疫不全ウイルスとクチヒゲグエノンやモナモンキーの免疫不全ウイルスとの組み換えだったろうと思われる。こうした組み換えは、チンパンジーがそれらのサルを狩り、食べたときに起きた可能性が高い」と述べています。
 第3章「タイミング」では、「マヨンベの労働者キャンプにおける極端な男女比(10対1)と、それが原因となって起こる密度の濃い売春が、おそらくチンパンジーのサル免疫不全ウイルスに感染した一人の労働者をとおしてHIV-1を集団に広げたと推測することは可能だ」が、「当時採取された組織片や病理解剖に使用されたスライドが奇跡的に発見されない限り、こうした説は仮説にとどまる」と述べています。
 そして、「HIV-1の共通祖先は20世紀最初の30年間にヒト社会に出現し、HIV-1Mによるパンデミックは一回の種を超えた感染から始まったのだ」としています。
 第4章「カットハンター」では、「ヒトとツェゴチンパンジーが中部アフリカの森で何世代にもわたって共存していたことからすれば、種を超えた感染の機会が数百年間に何回かあったことは間違いないだろう。しかし成功裏に感染を広げることはできなかった」と述べています。
 第5章「過渡期のアフリカ社会」では、「ツェゴチンパンジーの生息地近くに位置するすべての都市で、男女比の不均衡が見られた。それは植民地政府の人口政策と、よりよい生活を求める男たちを惹きつける好景気によってもたらされた。男性過剰は、レオポルドヴィルにおいて長い間、より厳しいものであった」と述べています。
 第6章「最古の商売」では、「売春は性感染症の病原体拡大に寄与する。中部アフリカでの流行初期の何十年かを含めて、売春が、世界各地でHIV-1の伝播に決定的な役割を演じたことは疑いない」とした上で、「買春に関与する集団では、流行初期にウイルスの幾何級数的伝播が見られた。こうした核心的集団における爆発的な感染伝播は、売春婦における既存の性感染症の高い罹患率によって助長された。他の性感染症が存在した場合、性的接触によるHIVの感染確率は上昇する。結果として客は、売春と無関係な次の女にウイルスを感染させることになった。それによってウイルスは流行の核心的集団からその外へ出て行き、一般集団へ持ち込まれることになった。集中的流行から一般的流行への移行である」と述べています。
 第7章「ウイルスの感染と伝播」では、「HIV-1の非経口的伝播は、一世代分の血友病患者を死に追いやった。1970年代後半から1980年代前半にかけて、血液製剤の投与を受けた何万人もの血友病患者が非経口的にHIVに感染した。また、非経口的経路による伝播は、世界中で静注薬物常用者の感染様式で在り続けている」と述べています。
 第8章「植民地医学の遺産(1)」では、「熱帯病に対する初期の薬剤があまり有効でなかった」ため、「血中の薬物濃度を上げるために、薬は注射、それも静脈注射によって投与された。何千万回もの静脈注射が、HIV-1がまさに出現した時期に、その誕生の地とも言える場所で行われていた」と述べています。
 そして、「HIV-1の先祖ウイルスに関して言えば、感染の連鎖が始動するためには、そのウイルスに感染した一人の眠り病患者がいればよかった。その一人の患者が感染者数の幾何級数的な増加をもたらしうる。眠り病の新規発生率と治療目的の注射回数がピークに達した1920年代は、数年の誤差はあったとしても、HIV-1Mの共通祖先が誕生したと推定される年代と一致している」と述べています。
 著者は、「1921年前後に、職業的にではあるが偶然にチンパンジーのサル免疫不全ウイルスに感染した人の数はおそらく10人以下だった。しかし、そうして感染した人が、イチゴ腫や梅毒、眠り病、ハンセン病、マラリアといった病気のために治療され、静脈注射や筋肉注射を受けた確率は、彼らがそうした病気の高い流行地域に住んでいたとすれば、ほぼ100%だったと思われる。ひとたび第二の人が医原性にチンパンジーのサル免疫不全ウイルスに感染したとすれば、その人は感染初期に高いウイルス血症を発症したはずである。感染後数週間の間に同じ施設で、不十分な滅菌処理の注射器や注射針を使って治療された患者たちにとって、それは悪夢だった。きわめて高い感染性の中で、まさに感染の悪循環が起こったということになる」と述べています。
 第9章「植民地医学の遺産(2)」では、「ひとたび、ウイルスがレオポルドヴィルとブラザヴィルの都市圏に持ち込まれれば、ウイルスは、レオポルドビル東部にあるバルンブ地区の性感染症クリニックで、滅菌されていない注射器や注射針を通して増殖していったに違いない。そこでは現地医師が、梅毒に対する血清学的陽性者に対して、それが誰であれ治療を行っていた。治療を受けた者の数は尋常ではない数に上った。1951年から52年にかけて、B型肝炎ウイルスといった他のウイルスの医原性感染も注射器具の不適切な滅菌の結果として起こったことが記録されている」と述べ、「医原性に感染した奨励の大半は、何人かの男と性的関係をもつ自由女性だった。まさにパーフェクト・ストームだった」としています。
 第11章「今後からカリブ海へ」では、コンゴの崩壊に伴い、「国連の専門家として多くのハイチ人エリートが雇用された」ことについて、
(1)彼らは黒人だった。
(2)彼らは高い教育を受け、フランス語を話した。
(3)コンゴへの派遣は国で働くより高級を保証してくれた。
などのいくつかの利点があったため、「何百人ものハイチ人が、ユネスコに雇用された教師として、あるいは世界保健機関に雇用された医師としてコンゴへ向かった。1960年代初頭、ユネスコからコンゴへ派遣された教師の半数はハイチ人だった」と述べ、「1963年に、コンゴでは約1000人のハイチ人が働いていたと考えられている。1970年代半ばまでに、さらに多くのハイチ人が政府に雇用される形で今後へやって来た」としています。
 そして、「このようなハイチ人による技術協力がHIV-1をアフリカからアメリカ大陸へと持ち出すことに貢献したというのは、最も可能性の高いシナリオである。それはHIV-1の世界的流行の次の段階を仲介するものとなった。この際に必要だったのは、たった一人の感染者だった。このハイチ人が本国へ一時的に、あるいは永久に帰国することによって、カリブ海諸島におけるウイルスの性的伝播は始まることになっただろう」と述べています。
 著者は、「ここまでで、ほぼ疑いなく言えるのはHIV-1MサブタイプBウイルスは1966年頃に中部アフリカからハイチへ輸出され、ハイチから米国へ数年後に再輸出されたということである」と述べた上で、HIV-1のハイチへの持ち込みが拡大に成功した原因として、「ハイチには何らかの効果的な増幅機構が存在していたのだろうか」と述べています。
 第12章「血液貿易」では、「ポルトープランスのヘモカリビアン血漿分離センターは、コンゴから輸入されたHIV-1MのサブタイプBの非経口感染に格好の土壌を提供し、それによって感染の連鎖が回り始めることになり、さらにウイルスは、血液の国際取引を通じて他国へ輸出された」として、「HIV-1がポルトープランスの献血者集団に持ち込まれたとすれば、感染拡大はきわめて急速に起こった可能性が高い」と述べています。
 そして、「濃縮第VIII因子製剤の製造には2000人から2万5000人の献血者の血漿が必要とされた。言い換えればこれは、血友病患者は1回の治療あたり、数千人から数万人の血漿中に存在する病原体に暴露されることを意味する」と述べています。
 第13章「感染のグローバル化」では、「1970年代から1980年代初頭にかけて、ウイルスはアフリカ大陸で静かに、しかし休むことなく広がっていった。同じ頃、ウイルスは大西洋を渡り、最初はハイチに、ついで米国へと広がっていった。この時点で、引き続く世界的流行は、もはや避けることのできないものとなっていたのである」と述べています。
 第14章「パズルの組み立て」では、「1921年、ツェゴチンパンジーが生息している国の一つにウイルスに感染した人が二人いた。その二人は男だった可能性が高い」とした上で、「当時、都市化と、都市における売春が唯一のウイルス増殖機構として働いていたとすると、二人の感染男性のうち、少なくとも一人が売春婦にウイルスを感染させる必要がある」と述べ、「注射によるウイルス感染の機会は、初期には眠り病に対する介入とともに増加し、ついでハンセン病患者に対する治療によって増加した」と述べています。
 そして、「初期のHIV-1Mの注射による感染はツェゴチンパンジーの生息地で起こったに違いないが、次の段階、すなわち性交渉を介した感染拡大は、人びとの移動と交易ルートにそって見られた」とした上で、「レオポルドビルの自由女性への初期感染の一部は、性交渉を介したものでなく医原性に起こった可能性が高い」と述べ、「さらに大規模な感染の拡大は、1960年から61年頃にかけて、レオポルドビルの売春の様相が劇的に変化したときにもたらされた」と述べています。
 また、「1960年から66年にかけてレオポルドビル・コンゴに派遣された4500人の外国人教師のうち、一人のハイチ人がサブタイプBウイルスに感染し」、彼の帰国にともなってハイチでの流行が始まったと述べ、「ヘモカリビアン血漿分離センター(第12章)がハイチ人のHIV感染者の増加に完全な土壌を提供したと信じるに十分な理由はある」としています。
 さらに、「米国への血漿の輸出は、サブタイプBウイルスの米国や西ヨーロッパでの流行の引き金になったに違いない」と述べるとともに、「1970年代には、他の都市を訪れ、安全でないセックスをする男性同性愛者達によって感染が拡大した」と述べています。
 第15章「エピローグ」では、「チンパンジーのサル免疫不全ウイルスのHIV-1への変異を促した要因」として、
(1)中部アフリカで見られた社会変化
(2)滅菌されていない注射器と注射針の再利用
の2点を挙げています。
 著者は、エイズがもたらした一つのメッセージとして、「善意の下に行われた介入が、良い結果だけでなく、微生物レベルでの危機的な状況の出現を思いがけずももたらした」ことだとしています。
 本書は、アフリカのローカルな感染症が世界的に大流行するまでの道筋をたどった一冊です。


■ 個人的な視点から

 もともと特定の地域に住む猿の病気が世界中の人間に蔓延するに至るまでの細い細い糸をたどった本書は、知的好奇心を満足させるという意味では素晴らしい一冊です。
 たまたまエイズは世界的な感染に成功してしまっているので、後から振り返ったときに「ここさえ繋がらなければ……」と思ってしまいますが、おそらくエイズ以外にも世界中に感染が広がらなかった感染症は山ほどあるのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・エイズは簡単に感染に成功したと思っている人。


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