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2014年6月

2014年6月20日 (金)

生活保護 VS 子どもの貧困

■ 書籍情報

生活保護 VS 子どもの貧困   【生活保護 VS 子どもの貧困】(#2337)

  大山典宏
  価格: ¥821 (税込)
  PHP研究所(2013/11/16)

 本書は、ケースワーカーや児童福祉司として福祉の現場に携わる一方で、インターネット上で「生活保護110番」を運営してボランティアで相談に対応してきた著者が、「生活保護の問題に正面から向き合い、抱える課題の深刻さや現状の厳しさを伝え」るものです。
 第1章「生活保護をめぐる2つの立場」では、「生活保護をめぐる問題を理解するとき、まず押さえておきたい」立場として、
(1)適正化モデル:貧困の原因を個人に求める。
(2)人権モデル:貧困の原因を社会構造に求める。
の2つのモデルを示した上で、「この数年は、適正化モデルと人権モデルが攻守を入れ替えながら、激しい攻防を続けて」来たと述べています。
 第2章「増えたのは派遣村のせい?」では、近年の生活保護を巡る動きには4つの転機があるとして、
(1)NHKスペシャルで『ワーキングプア』が放映(2006年)
(2)「年越し派遣村」開設(2008年)
(3)「公設派遣村」開設(2010年)
(4)芸能人の母親の生活保護受給が判明(2012年)
の4点を挙げています。
 そして、2008年4月に出された厚生労働事務次官通知・局長通知について、「申請時の対応が通知の中に盛り込まれたのは初めてのこと」であり、
(1)保護申請の意思を確認すること
(2)申請意思があれば保護申請書を手渡すこと
の2点は、「現場に大きな衝撃を与えること」になったと述べ、「一番大きな影響は、働くことができる若者が生活保護を利用できるようになったこと」だとしています。
 第3章「生活保護バッシングと法改正」では、NHKスペシャル『生活保護3兆円の衝撃』が「適正化モデルの立場から、生活保護を利用する若者の現状を描き出」したと述べています。
 そして、2013年に、政府が、生活保護法改正案と、生活保護の手前の人に自立を促す生活困窮者自立支援法案を閣議決定し、中でも注目を浴びた点として、
(1)生活保護を申請する際に、資産や収入、扶養義務者の状況などを、書面で届けるよう改めたこと。
(2)親族に対して、福祉事務所が報告を求めることを義務づけたこと。
の2点を挙げ、「今回の生活保護改正案は、支援団体の物言いに内申忸怩たる思いをしていた窓口職員にとって福音に」なったと述べています。
 第4章「各論対決『適正化モデルvs人権モデル』」では、生活保護を巡る議論を、
(1)生活保護の急増は財政破綻を招くのか
(2)生活保護基準は高過ぎるのか
(3)働ける利用者への対応をどうすべきか
(4)不正受給対策はどうするのか
の4点に整理した上で、「生活保護の問題を扱うときには、双方が重要視する視点を組み合わせることで、初めて現状が浮かび上がって」来るとしています。
 第5章「生活保護ではなく貧困の話をしよう」では、「人権モデルにしても適正化モデルにしても、もっともだと思う点や合理的な意見もある一方で、単一のモデルでは解決し得ない課題がある」として、「現実的に解決可能な、多くの人が合意できる課題から優先的に取り組んでいく」とする「統合モデル」を提唱しています。
 そして、「生活保護の立場から貧困削減を考えれば、対策は大きく3つに絞られ」るとして、
(1)貧困になる前の予防をしっかりすること
(2)貧困になったら事態が悪化する前にしっかり支えること
(3)早期に貧困から脱却できる体制を整えること
の3点を挙げています。
 第6章「『子どもの貧困』から制度を読み解く」では、子どもの貧困の広がりの背景として、
(1)働く親の所得の減少
(2)ひとり親世帯の増加
の2点を挙げ、日本の貧困世帯の特徴として、「親が働いているのに貧困に陥っている世帯の割合が高いこと」を挙げています。
 第7章「困窮する子どもたちへの支援」では、貧困世帯の子どもたちに足りないものはお金だけではなく、「頑張る」「努力する」という実体験が少なく、人に期待される経験が乏しいことを挙げています。
 第8章「『日本を支える人』を増やすために」では、「生活保護制度は、60年という長い年月、多くの貧困に苦しむ人達に安全と安心を保障して」きて、「その歴史を振り返るとき、公に携わる者の一人として、次世代にしっかりと設立の理念を引き継がなければという想いが湧いて」来ると述べています。
 本書は、現場を知る立場から、日本の生活保護制度のあり方を論じた一冊です。


■ 個人的な視点から

 適正化モデルと人権モデルのどちらにしても、誰かを助けるためというよりも自分自身の主義主張を訴えるテーマとして生活保護問題を扱っている人が多く見受けられるような気がしてなりません。現実的に困っている人がいて、現実に用意できる資金には限りがあるわけなので、その中でどうやって折り合いをつけていくべきか、現実的な解決が求められると思います。


■ どんな人にオススメ?

・自分には関係のない問題だと思っている人。


2014年6月19日 (木)

交通事故学

■ 書籍情報

交通事故学   【交通事故学】(#2336)

  石田 敏郎
  価格: ¥756 (税込)
  新潮社(2013/11/16)

 本書は、「どうすれば人は事故を起こさずに運転できるか」について、交通心理学の知見をもとに解説するものです。
 第1章「自分の感覚は疑わしい」では、ヒヤリハットの根本にある考え方として、「1件の重大災害の陰には29件の軽度の災害があり、その陰には300件のヒヤリとした体験がある」とする「ハインリッヒの法則」があるとして、ヒヤリハット体験が、
(1)他者(車・人)の急な介入・関わり(「飛び出し」「接近」「進路変更」等)
(2)自然状況の急な変化(「雨」や「雪」「風」等)
(3)誤判断・誤操作(「信号確認の失念」「ハンドルの切り誤り」等)
(4)意識水準の低下(「ウトウト・ボンヤリ」「脇見」等)
(5)故障や突然の異常(「走行車の故障」「荷崩れ」「エンスト」「パンク」等)
の5つに分類できるとしています。
 第3章「自分はどんなタイプの運転者か」では、心理学者のワイルドが提唱した「リスク・ホメオスタシス説」について、「道路ユーザーは知覚するリスク水準が『目標とするリスク水準』と異なると、その相違を取り除こうとする。この調節行動は客観的な事故リスクを伴い、全道路ユーザーによる調節行動の総和が、交通事故の頻度と重大性(事故率)を生み出す」と述べています。
 第5章「危険な場所での心理特性」では、「交差点の手前、判断に迷う間に走行する範囲」を「ジレンマゾーン」と呼び、「普段の運転行動が最も反映される場所だ」としています。
 また、「対象との距離や到着時間を予想し、発進するか否かを判断すること」である「ギャップ・アクセスタンス」について、ほとんどの事故事例が、「ドライバーのギャップの見積りエラーや、バイクの速度の過小評価、相手が減速するだろうという予測が主な原因だった」と述べています。
 第6章「歩行者事故を防ぐための基礎知識」では、「自分が運転していると、歩行者はずいぶん勝手なものだと感じる」が、「立場によって感じ方は異なるとしても、歩行者保護は運転の基本である。高齢者や子供、病気で歩行困難な人もいることに配慮を欠いてはならない」と述べています。
 第8章「カー・コミュニケーションとマナー」では、「全国共通で普及したカー・コミュニケーションの例はそれほど多くない」として、「交差点で右折の際に対向車がパッシングするのは、関東では通行をスムーズにするため『先に右折を』という合図だが、地方によっては『自分が先に行くからそのまま停止を』の意思表示になる」と述べています。
 第10章「ヒューマンエラーと交通心理学」では、認知心理学者のノーマンが、エラーを、
(1)スリップ:ある行為を実行する段階のエラーで「うっかりミス」や「不注意」
(2)ミステイク:計画段階のエラーで「思い込み」が代表的な例
の2つに分類したと述べています。
 そして、自己対策の「4E」として、
(1)工学(Engineering)
(2)環境(Environment)
(3)規制(Enforcement)
(4)教育(Education)
の4つを挙げたうち、「死亡事故低減に最も寄与しているのは工学的な対策」だとして、実験安全車の構想や、救急医療技術の進歩や救急救命病院の配置などを挙げています。
 本書は、交通事故の背景にある心理を解説する一冊です。


■ 個人的な視点から

 交通事故の原因は突き詰めれば人にあるわけですが、人間の要因をカバーするのは一番難しいことを考えると、車と人が接触する機会をできるだけ減らす方法こそが考えられなければならないのかもしれません。これから車の運転が難しくなる高齢者が増えることを考えると、自家用車やガソリンに高い税をかけて、その分を道路づくりに回すのではなく、低価格な公共交通網の整備に回すほうがいいかもしれないですね。


■ どんな人にオススメ?

・自分は事故なんか起こさないと思っている人。


2014年6月18日 (水)

「最悪」の法律の歴史

■ 書籍情報

「最悪」の法律の歴史   【「最悪」の法律の歴史】(#2335)

  ネイサン ベロフスキー (著), 廣田 明子 (翻訳)
  価格: ¥2,592 (税込)
  原書房(2014/1/28)

 本書は、古今東西の「奇妙でおかしな法律」や「一般の人々が遭遇した法的トラブルや刑罰」をまとめたものです。
 第1章「古代の法律」では、「この時代に共通する特徴」として、「金持ち優遇で男尊女卑」であり、「多かれ少なかれ圧政的で、その時時の政権が言わば場当たり的に法律を作っていた」と述べています。
 そして、1751年にイギリスで制定された「殺人法」が、「殺人者を絞首刑にするだけでは刑が軽すぎるとして、その遺体にも懲罰を加えることを定めた」ものであり、この法律に基づき死体を手に入れた「伝記研究の先駆者であるあるディーニ博士」が、「屍に電気ショックを与えて蘇生させるという不思議な電気の特性『ガルヴァーニ電流』を実験するため」に、大量の電流を死体に流した際に、「死体は、あごを震わせ、片方の目を開き、手を握りしめたかと思うと、その手をいきなり突き出し、立ち会っていた外科医組合の小役人を一撃した。死体に叩かれた小役人はショックのあまりその日の午後に亡くなった」と述べ、この話を聞いた若きメアリー・シェリーが、後に小説『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス』を書いたと述べています。
 また、チンギス・ハーンが成文化した「ヤサ法典」を読むと、「この英雄にも人間味あるソフトな一面があったことが伺える」として、「あらゆる宗教は尊重されねばならず、『汝の隣人をおのれのごとく愛せよ』と定めた。老人と乞食は優しく扱い、いかなる肩書も敬称も使ってはならなかった。ハーン自身もふつうの名前で呼ばれた」と述べています。
 第2章「身近な法律」では、1948年にアイダホ州ポカテロで成立した「歩行者および車両運転手は、渋面をつくり、眉をひそめ、睨みつけ、脅すような顔や不機嫌な顔をし、沈んだ表情を見せてはならない」とする条例を紹介しています。
 第4章「人間社会の動物たち(ホンモノ)」では、「人間と同じく動物も悪魔の誘惑にさらされる」と考えられたことから、「雄鳥の産む卵からは地獄の生物『バジリスク』が生まれると信じられていた」ため、「1474年、スイスのバーゼルで一羽の雄鶏が卵を産んだ罪で有罪判決を受け、大群衆の前で火あぶりの刑に処された」と述べています。
 また、ハワイ州の正式な州魚は「フムフムヌクヌクアプアア」であるとしています。
 第7章「人間関係」では、「中世から少なくとも1970年代まで、周囲の人と絶えずいざこざを起こして迷惑な女性(女性のみ)は『がみがみ女』として処罰の対象となった」として、がみがみ女が「長い棒の先の椅子に縛り付けて水の中に突っ込む水攻めの刑で懲らしめられた」ことや、「トゲの付いた金属仮面を被せて舌が動けばトゲが刺さるようにしたり、尻を露出させるために穴をあけた『便座』と呼ばれる椅子に座らせて見せしめにしたしすることもあった」と述べた上で、「長年にわたり、特にアメリカの北東部で口やかましい女、じゃじゃ馬、売春婦が盛んに告訴され、そのたびに日頃悩まされていた近所の人達が歓声を上げて喜んだ」としています。
 また、シカゴには、「脳性麻痺やあばた顔の者、手足を切断した者は、人前に姿を見せるだけで逮捕され、有罪になる法律が存在した」と述べています。
 第8章「裁判官、弁護士、法律」では、1971年に、テキサス州選出の下院議員トム・ムーア・ジュニアが、「他の議員が提出された法案をろくに中身も見ないで通すのに嫌気が差して」、連続殺人犯を称える法案を提出し、「特異な分野で定評のある指導者としての功績と貢献を評価する」と理由を記したところ、法案が全会一致で可決され、ムーアは直ちに法案を撤回したと述べています。
 本書は、日頃、できれば関わりたくはない法律をめぐるエピソードを集めた一冊です。


■ 個人的な視点から

 現代の民主的な社会に生活している私たちにとって、本書で取り上げられている「悪法」は笑い話のタネにでもなりそうなものではありますが、100年後の人たちから見ると現代の法律も噴飯物のトンデモ法律なのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・昔の人は愚かだと思う人。


2014年6月17日 (火)

生物の大きさはどのようにして決まるのか: ゾウとネズミの違いを生む遺伝子

■ 書籍情報

生物の大きさはどのようにして決まるのか: ゾウとネズミの違いを生む遺伝子   【生物の大きさはどのようにして決まるのか: ゾウとネズミの違いを生む遺伝子】(#2334)

  大島 靖美
  価格: ¥1,728 (税込)
  化学同人(2013/11/30)

 本書は、「生物の大きさの多様性と、明らかになったその決定の分子機構について、幅広く、またやさしく解説」するものです。
 第1章「生物の体の大きさはこんなにも違う」では、「基礎代謝率と体重それぞれの対数の関係を種々の哺乳動物で比較」すると、その傾きが0.75になる「クライバーの法則」について述べています。
 そして、「動物の時間的な性質も大きさと関係が深い」として、「動物が50%の大きさに達する時間、妊娠期間、呼吸間隔、心臓の拍動間隔などは、どれも大ざっぱに体重の1/4乗あるいは一次元サイズの3/4乗に比例するといわれる」が、「これについては、良い説明がなされていない」と述べています。
 第2章「動物、植物に共通な大きさ決定の仕組み」では、「哺乳動物では細胞の数が体の大きさの決定要因として重要である。他方、無脊椎動物や植物では、種間でも一つの固体内でも細胞の大きさはより変化が大きく、体全体の大きさの決定に細胞の大きさが重要となる」と述べています。
 そして、「真核生物に共通する細胞周期の調節機構は、一般に細胞の数と大きさの両方を調整している。したがって、それに関与する非常に多くの因子の遺伝子は、どの真核生物においても細胞の数及び大きさの両方を決める遺伝子であり、細胞の大きさを決める遺伝子と数を決める遺伝子とをはっきり分けることは、一般にはできない」と述べています。
 第3章「動物の大きさはこのようにして決まる」では、ティラノサウルスについて、「成長速度が驚異的に高かった」として、「動物では、一般に成長が早いこと、成長の時間(寿命)が長いことが大型になる要因であろう」と述べています。
 第4章「肥満になるのはなぜか」では、「肥満を調節する物質として従来から知られていた代表的なものは、インスリンである」とした上で、「もうひとつは、植物中の脂肪、脂肪酸、タンパク質が刺激となって十二指腸から分泌されるコレシストキニン」であり、「レプチンは、分子量約1万6000のタンパク質であるが、比較的最近(1994年)発見され、最も強力な食欲の抑制作用を持つ」と述べています。
 第5章「植物の大きさはこのようにして決まる」では、「幹の根元の直径の2乗=1.0×10^-4×高さの3乗」という式によって得られる太さの幹ができれば、そこまで高くなれるとして、「高さ200mの木では、根元の太さとして28m以上が必要である」と述べ、「幹の太さの限界を決める要因は複雑そうでよくわからないが、物理的な支持の点でも150mくらいが高さの限界のように思われる」と述べています。
 そして、巨大カボチャとして知られるアトランティックジャイアント(略称AG)について、普通のカボチャとの比較で、「数十kgの実では、細胞の直径が約2倍、したがって体積は約8倍であった」として、「AGの実の大型化は細胞の大きさと数の両方の増加にもとづくことがわかった」と述べています。
 さらに、「光合成、リン酸やアミノ酸の輸送、タンパク質の分解、タンパク質のリン酸化、オーキシンに対する応答、ジベレリンの合成、細胞壁の構成などに関与するタンパク質の葉における発現が、AGと対照カボチャとの間で大きく(50倍以上)違っており、これらが実の大きさの違いの要因である可能性が示された」と述べています。
 本書は、生物の体の大きさを決める幾つもの要因をわかりやすく説明してくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 毎年秋になるとジャンボカボチャのコンテストの記事が定番ですが、普通のカボチャに比べて細胞の大きさと数の両方が多いことが巨大化の原因だというのはわかりやすかったです。


■ どんな人にオススメ?

・ゾウやクジラが自分たちと同じ生き物だとにわかには信じがたい人。


2014年6月16日 (月)

首都圏の高齢化

■ 書籍情報

首都圏の高齢化   【首都圏の高齢化】(#2333)

  井上 孝, 渡辺 真知子
  価格: ¥3,456 (税込)
  原書房(2014/3/10)

 本書は、「大都市圏における高齢化の現状・将来予測、高齢化の要因、高齢化がもたらす現実と問題・対策等を、その象徴的な場所である首都圏に着目し、種々の視点から分析を試みたもの」です。
 第1章「首都圏における高齢化の進展」では、「2000年までは高齢化率と後期高齢化率のいずれも非大都市圏の変化量が大都市圏のそれより大きい」が、「2000年以降をみると、高齢化率については2000~15年と2025~40年において大都市圏もしくは周辺3県の変化量が非大都市圏のそれを超え、後期高齢化率については2010~25年において大都市圏もしくは周辺3県の変化量が非大都市圏のそれを超える」として、20世紀後半が「非大都市圏の高齢化の時代」であり、21世紀前半は「大都市圏の高齢化の時代」だと述べています。
 そして、高齢化率の変化量への寄与率について、「ベビーブーム世代コーホートが直前世代コーホートを大きく上回る」として、「21世紀前半における首都圏の高齢化の上昇にはベビーブーム世代コーホートが大きく寄与するが、その上昇が他地域を大きく上回る要因は、むしろ直前世代コーホートの首都圏への偏在である」と述べています。
 第2章「高齢者の地理的分布」では、「高度経済成長期から1980年代にかけて首都圏をはじめとした大都市圏に人口流入が生じ、非大都市圏において高齢化が進展した。これと前後して、1970年代中頃から大都市圏を中心に全国的に少子化が進展し、若年人口の現象によって大都市圏においても高齢化が進展した。団塊世代が2012年に高齢者に突入し、少子化状況が依然として継続していることから、大都市圏、とりわけ首都圏における高齢化は今後も着実に進行することが見込まれる」と述べています。
 第3章「高齢者人口移動」では、「首都圏は日本の中で高齢人口移動の活発な地域と位置づけられる」とした上で、「都道府県間移動の多さが、首都圏における高齢人口移動の特徴」だとして、「高齢者がより広範囲の移動を行っていることを示唆しており、国内での高齢者人口分布変化に、首都圏が大きく寄与していることを意味する」と述べています。
 そして、「首都圏における高齢人口移動は、主に退職者による移動であり、比較的若い時期は男性の移動も多いが、年齢の上昇とともに女性による移動が卓越するようになる。また、移動の空間的な範囲という点では非大都市圏や他の大都市圏に比べ都道府県間移動の占める割合が相対的に多い。都道府県間移動は施設入所の割合が低く、移動者の多くは移動後に一般の世帯に居住している」と述べていまs.
 さらに、「前期高齢移動者は、首都圏から東北地方を中心とする非大都市圏への流出傾向が顕著であった。この年令の都道府県間移動者の労働力率は低く、性別構造は男女がほぼ均衡していた。つまり、退職後の夫婦による移動が想定される。前期高齢者による首都圏から非大都市圏へ向かう移動は、かつて高度経済成長期に若年層が非大都市圏から大都市圏に移動したパターンを反転させたものと捉えることができる。このことから、彼らの帰還移動の存在が予想される」と述べています。
 また、「首都圏は、その発展や拡大の過程で非大都市圏を含む日本全域から人口を吸収しており、その流れは現在も継続している。このことが、かつて首都圏に流入し高齢となった者の非大都市圏への転出をもたらすと同時に、首都圏に移動し定着した子のもとへ移動する非大都市圏から首都圏への高齢者の転入をももたらしていると考えられる」と述べています。
 第4章「郊外住宅団地の行方」では、「かつての日本の高度経済成長期にあっては、都市農村間における労働者の移動が活発化したため、首都圏をはじめとした大都市圏では住宅不足が深刻な問題となった。これに対して、国などの公的主体・民間による宅地開発がなされ、その結果、都市郊外には一戸建てや集合住宅などが立ち並ぶ郊外住宅団地が誕生した」が、「郊外住宅団地は、近年、急速な高齢化によって大きな変革期を迎えようとしている」と述べています。
 そして、「多摩ニュータウンのような都心から40km以遠に位置する大規模住宅団地においては、第一世代が公的分譲などの既存の団地に住み続ける一方で、第二世代の定住や新規の若年層の転入が見込めず、高齢化と人口減少が同時に進む状況を作り出している」と述べています。
 第5章「世帯と居住状態」では、「歴史人口学的研究によると、東北日本と西南日本の家族システムの差は少なくとも江戸時代まで遡れることがわかっている」とした上で、「晩婚で家長の交代が遅い近畿地方の家族システムは、18世紀に新田開発の余地がなくなり、人口圧力によって分割相続が困難になった状況で確立した」のに対し、「東北では18世紀の人口減少によって村落経済は停滞し、田畑は荒廃した。このような危機に対する『生き残り戦略』として近世的な『イエ』が確立した」と述べています。
 そして、この同居割合について、「埼玉県と千葉県で相対的に高く、東北的な特徴が現れている。東京都は子との同居割合が低く、単独の割合が顕著に高い。神奈川県は東京都と埼玉・千葉の2県の中間的なパターンを示す」と述べています。
 第6章「医療・介護と福祉」では、「将来における首都圏の高齢者人口の増加、医療・介護にかかる費用の増加は、非常に急であるため、それらのすべての需要を圏内にある資源のみでまかなうことには大きな困難が予想される。したがって、都市部の近郊に位置する地域での医療・介護供給体制と交通網の拡充と整備を長期的な計画を立てながら早い段階で進めることが必要である。また、首都圏居住の中高所得の高齢者に対しては、医療・介護資源が豊富な地域への移動を促す方策も考慮する必要がある」と述べています。
 第7章「高齢化と地方財政」では、「高齢化は、財政逼迫を引き起こすとともに、財政を非弾力的にする」一方で、「高所得地域から低所得地域への社会保障給付の移転を通じて、所得格差(ひいては地方財政についての格差)を縮小させる効果があることも忘れてはならない」と述べています。
 第8章「雇用と所得・資産」では、「高齢化は技術進歩率、資本成長率、労働力成長率の低下をもたらし、その結果、GDP成長率を低下させる。ただし、人口成長率の低下は1人当りの資本の成長率を増加させることによって、1人当りのGDPについてはむしろ増加sる可能性がある」と述べています。
 そして、「全国の場合、全年齢よりも60~69歳の所得格差は若干小さいが、首都圏の場合は全年齢よりも60~69歳の所得格差のほうが大きい」と述べています。
 第9章「消費行動と市場の可能性」では、「年齢によって消費構造は変化するが、退職直後の60歳代では、仕事など公的社会関連費目は減るものの、基礎消費である『食料』は減らしておらず、自由行動時間の増加を背景に『教養娯楽』を増加させ、また加齢に伴う『保健医療』も増加によって、等価消費で見る限り消費支出の大きな落ち込みはみられない」と述べています。
 そして、「首都圏には、今後とも相当数の高齢者が集積し、相対的に高い収入と資産を背景に、当面(少なくとも60歳代~70歳代前半)は、食料、教養娯楽を中心に高い消費水準を維持していくものと予測される。加えて、これからの高齢者、中でも首都圏の高齢者は、従来とは質的に変わる可能性がある」として、「首都圏ではインターネットなどを利用する買い物やレジャーなど高齢者の消費活動の幅が今後拡がる可能性がある」と述べています。
 本書は、これまで体験したことのない高齢化が進む首都圏の将来像を模索した一冊です。


■ 個人的な視点から

 少し考えれば、ある特定の年代層が大量に東京に集まって働いていたのだから、彼らが年を取れば高齢者が増えるのは当たり前なわけなんですが、なかなか素直には認めたくない人も多いようです。若いころに地方から出てきたからといって、高齢者になれば尚更今更生活の不便な地方に戻るなんて簡単ではないわけで、高度経済成長期の絶大な人口ボーナスは巨大な人口オーナスとなって首都圏にのしかかってくることは間違いないのでしょう。


■ どんな人にオススメ?

・自分には関係ないと思っている人。


2014年6月13日 (金)

ヒッグス 宇宙の最果ての粒子

■ 書籍情報

ヒッグス 宇宙の最果ての粒子   【ヒッグス 宇宙の最果ての粒子】(#2332)

  ショーン・キャロル (著), 谷本 真幸 (翻訳)
  価格: ¥3,024 (税込)
  講談社(2013/10/2)

 本書は、「ヒッグスが決定的に重要な役割を果たす自然の究極の性質」を明らかにすることに人生を捧げた人々の物語です。
 ヒッグス粒子とは、「自然界の存在する基本粒子の一つだが、数多く存在しないうえに、非常に特別な種類の粒子」であり、現代素粒子物理学で知られている3つの粒子、
(1)電子やクォークなどの物質粒子。
(2)重力や電磁気力、核力といった自然界に存在する基本的な力を運ぶ粒子。
(3)それ自体が固有のカテゴリーをなし、空間を満たしている「ヒッグス場」と呼ばれる場から生まれ、普通の物質の力学で積極的な役割を果たすわけではないが、背景にそれが存在するということが決定的に重要な粒子。
の3番目のタイプのものだと述べられています。
 第1章「素粒子を探求する理由」では、「素粒子物理学は、われわれの住む世界について知りたいという人間の好奇心が最も純真な形で現れた活動」であるとした上で、「人類がいまだかつて到達したことのない高エネルギーで粒子同士を衝突させる装置、大型ハドロン衝突型加速器(LHC)」の登場により、「理論によって予言されているがいまだ発見されていない新しい粒子の発見が期待されるだけでなく、予想されていない発見、サプライズも期待されている」と述べています。
 そして、ヒッグス粒子について、「この粒子がなければ、標準模型が記述する世界は非常に違った姿に見え、現実とは似ても似つかなかった」として、「ヒッグス粒子があってこそ、理論と現実が完全に一致する」と述べています。
 第2章「敬神に次ぐ」では、「われわれが空間内を運動するときは周囲をヒッグス場に囲まれ、ヒッグス場の中を運動している。魚が水に気付かないように、われわれもヒッグス場に気付かないが、ヒッグス場こそが標準模型にあるすべての奇妙な性質の原因なのである」と述べています。
 第3章「原子と素粒子」では、ヒッグスが持つ「重い粒子とほど強く相互作用する」という性質が、「LHCでヒッグスを研究する際に絶対的に重要となる」として、「ヒッグスはそれ自身重い粒子で、たとえ生成されてもすぐに別の粒子に崩壊し、直接見ることができない。しかし実験で生成されるヒッグスは、ある割合で例えばW粒子に崩壊し、別の割合でボトムクォークに崩壊し、また別の割合でタウ粒子に崩壊するなど、崩壊の仕方があらかじめわかって」おり、「すべての崩壊の仕方について、それぞれの発生頻度を正確に算出できる」と述べています。
 第4章「加速器の発展」では、「粒子加速器のアイデアは単純で、単に、粒子を非常に高速になるまで加速し、互いに衝突させ、何が起きるか詳細に観察する、というものだ」と述べた上で、「加速器は電磁気学の基本原理を応用して、電子や陽子などの荷電粒子を操っている。すなわち、電場を使って粒子の速度を増加させ、地場を使って、粒子の運動方向を正しく――例えばべバトロンやLHCなら円形チューブに沿う形に――保っている。電場と地場を使って粒子を精密にコントロールすることで、そうする以外には地上で決して実現し得なかった極端な常態を作り出しているのである」と述べています。
 第5章「史上最大の装置」では、「生成するのに莫大なエネルギーを要するヒッグス粒子のような粒子を探求することが価値のある研究だと信じるなら、それを行うにはビッグサイエンスしか選択肢はない」とした上で、「現在、選択の予知はLHC以外になく、その性能は、人類の英知と根気がどれほどのものなのかを証明している」としています。
 第6章「粒子をぶつけて何が分かるか?」では、「LHCで見つけようとしているのは、ヒッグス粒子が存在する『証拠』なのだ。その証拠というのは、『ヒッグス粒子が崩壊してできた別の粒子』によって与えられる。言わば、化石である」と述べています。
 第7章「波の中の粒子」では、「量子世界と古典世界の最大の違いは、実際に存在するものと実際に観測できるものの関係にある」として、「量子世界では、実際に見たり測定したりできるものは、実際にあるもののごく一部にすぎない」と述べた上で、「クォークでもレプトンでもない中性の非常に重い粒子であるヒッグス粒子は、極めて短時間で崩壊する。実際、あまりに早く崩壊するので、決して検出器で直接観測することはできない。これが発見が難しい理由の一つで、今回の成功が非常に素晴らしい理由でもある」としています。
 第8章「壊れた鏡に映して見た世界」では、「ヒッグス場は空気のようなもので、または、海の魚にとって水のようなものである。つまり、普段気づかないが、周囲のいたるところにあり、なければ生きていけない」と述べています。
 そして、「2012年現在、ヒッグスも発見されたと考えられている、しかし話はそれで終わりではない。むしろ、ヒッグスの発見は始まりに過ぎない。ヒッグスに関する理論はたしかにデータと合うが、さまざまな面でとってつけたような不自然さを感じる」として、「今や、単にモデルを提唱するだけでなく、モデルをデータと突き合わせることができるようになった。純粋に思考のみの力で作られた理論より優れた理論が考えだされてもおかしくないはずだ」と述べています。
 第9章「割れんばかりの拍手と喝采」では、「長年待望されていたヒッグス粒子の発見は、結局、誰の予想よりも早く成し遂げられた」とした上で、「ヒッグス粒子の存在を示す証拠」の発見に必要なステップについて、
(1)ヒッグス粒子を生成する。
(2)それが崩壊してできた粒子を検出する。
(3)検出された粒子が(別の粒子由来でなく)ヒッグス由来であることを確認する。
の3つのステップを挙げています。
 第12章「この地平線を超えて」では、「受け入れがたいことではあるが、銀河には観測できる物質よりはるかに多くの物質が存在し、しかも、観測できる星とは違って、観測できない物質は中心から離れた領域に多く分布している」というルービンとフォードが発見したこの驚くべき現象について、「今日、宇宙論の中心的問題の一つとして知られている。そう、暗黒物質である」と述べています。
 そして、暗黒物質の性質を明らかにする一つの有望な方法として、「原子核合成でやったのと同じ解析法を適用すること」を挙げ、「弱く相互作用する重い粒子(Weakly Interacting Massive Paraticles、WIMP)」を想定し、「このWIMPの存在量を計算し、それを実際の暗黒物質の量と比較すると、驚くべきことに両者は見事に一致する」として、「弱く相互作用する安定な粒子が消滅せずに現在の宇宙に残った量は、いとも簡単に、現在の暗黒物質を正しく説明するのだ」と述べています。
 さらに、「微視的世界にはまだ発見されていないことがたくさんあり、標準模型を超えた素粒子物理学には、多くの側面がある」として、「ヒッグスの発見は素粒子物理学の終わりではない。ヒッグスは標準模型の最後のピースだが、標準模型の先にある物理を見せてくれる窓でもある」と述べています。
 第13章「守る価値のある社会を作る」では、「本質的に、科学というのは驚異的(awesome)なものを探求する活動だ。文字通り、何か深遠な事実を初めて発見したときに感じる畏怖(awe)の念を追い求めている。そのような感情を人間は生まれつき持っている。ただ、成長し、日常の関心事が生活のほとんどを占めるようになると、往々にして失われてしまう。しかしヒッグス粒子の発見のような大きな出来事があると、誰の心にもあるこの子供のような好奇心が再び顔を出す」と述べてます。
 本書は、まだ見つかっていない世界の秘密への好奇心をかきたててくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 いつも新しい科学的発見があるたびに、残された未知の分野はもうわずかしかないんじゃないかという気持ちにさせられるのですが、まるで片付ければ片付けるほど終わらなくなる大掃除のように、新しい発見はさらに多くの謎を引き連れてくるようです。どうやら我々にとって「未知」が不足することは永遠にありそうにありません。


■ どんな人にオススメ?

・科学的発見に慣れっこになってしまっている人。


2014年6月12日 (木)

迷惑メール、返事をしたらこうなった。 詐欺&悪徳商法「実体験」ルポ

■ 書籍情報

迷惑メール、返事をしたらこうなった。 詐欺&悪徳商法「実体験」ルポ   【迷惑メール、返事をしたらこうなった。 詐欺&悪徳商法「実体験」ルポ】(#2331)

  多田文明
  価格: ¥1,296 (税込)
  イースト・プレス(2013/11/29)

 本書は、「みんな興味はあるけれども、その見られない先の世界」である迷惑メールのURLをクリックした先にある出会い系サイトや架空請求などの詐欺や悪徳商法の手口を紹介するものです。
 第1章「『ロト6攻略法』メールに返事をしてみた」では、「業者は録音されるのを嫌がる」理由として、「自分の声が録音されてしまうと、それが犯罪の証拠となり、警察に逮捕される危険性が高くなってしまうから」だと述べています。
 そして、攻略法詐欺の手口として、「抽選発表が行われる前に当選番号がわかる」として、新聞に番号が載る前日の18時45分にはインターネットで抽選会の様子が流されていることを挙げ、「ネットを利用しない高齢者はそれがわからないので、当選番号が当たったと信じこんでしまう」と述べています。
 第4章「『出会い系』メールに返事をしてみた」では、「最初に老婆からメールが来てから数日で突然倒れて危篤」になり、「病院に一緒に行きましょう」というメールがいろいろな人から届いた後、老婆が亡くなり「あなたには遺産をもらう権利がある」という話になる「劇場型」ともいうべきメールに、「死に役の老婆役、涙にくれる孫役、遺産を相続した皇帝を名乗る第三者、病院に見舞いに行く人たちなど、さまざまな役どころを演じて私からの連絡を取りつけようとする」と述べています。
 第5章「『架空請求』メールに返事をしてみた」では、「以前の架空請求はハガキなどで送られてくるケースが多かったが、いまやネットの利用者の増加にともなって携帯メールやスマホなどを通じて架空請求が送りつけられることも多くなった」ことが、近年の被害の増加につながっていると述べています。
 そして、「架空請求では『利用料金の未納分がある』という口実で『不払いの場合は損害賠償を請求する』『裁判を起こす』などの言葉で脅してくる」として、「一度でもお金を支払ってしまうと、繰り返しお金を取られることになってしまう」と述べています。
 第6章「『友達申請』メールに返事をしてみた」では、「以前はSNSサイトから誘い出してすぐに出会い系サイトに誘導するのが一般的だったが、最近は手が込んできて、異性のかわいい(かっこいい)写真を見せ、淡い恋心を抱かせながら何度もメールをさせて、心の距離を近づけたうえで出会い系サイトにアクセスさせるようになってきている」と述べています。
 著者は、「ネット上にはたくさんの『なりすまし』が存在しており、何を信じていいのかわからない状況になっている」とした上で、「あの手この手で届けられる迷惑メールを撃退」するために「なむあみだぶつ」の7つを意識すべきだとして、
・「な」=「なりすまし」の存在を意識してメールを取り扱うこと。
・「む」=「無料」の言葉にはつられない。「矛盾」が見えたらすぐに手を引く。
・「あ」=アクセスしない。安易なアクションを起こさない。
・「み」=見知らぬ人からのメールは即、削除。
・「だ」=題名(タイトル)の魔力に惑わされない。
・「ぶ」=ぶっそうな代物は買わない。手を出さない。
・「つ」=通報する。
の7点を挙げています。
 本書は、日々煩わされる迷惑メールの向う側にある世界を垣間見せてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 毎日大量に送られてくる迷惑メール。そもそも開かないようにしているので本文を見る機会は少ないのですが、タイトルだけ見るとついつい好奇心で読んでみたくなってしまうものです。そしてURLをクリックしてしまいたくなるものですが、読者に代わって「人柱」になってくれた一冊。結果は意外と当たり前すぎてそれほど面白くはないものでした。やっぱり人から金を巻き上げる仕組み自体はそれほどバリエーションがないのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・迷惑メールのURLをついついクリックしちゃいそうな人。


2014年6月11日 (水)

日本語のミッシング・リンク: 江戸と明治の連続・不連続

■ 書籍情報

日本語のミッシング・リンク: 江戸と明治の連続・不連続   【日本語のミッシング・リンク: 江戸と明治の連続・不連続】(#2330)

  今野 真二
  価格: ¥1,512 (税込)
  新潮社(2014/3/28)

 本書は、「明治時代の日本語を、江戸時代の日本語と現代の日本語とをつなぐ『ミッシング・リンク』としてみたて」、「明治時代の日本語は、ある辞典までは江戸時代の日本語と連続していた。それが徐々に変化して、ある時点からは現代の日本語とちかい状態になったと」するものです。
 著者は、本書の目的を、「江戸期の日本語と連続する面、連続しない面を明らかにしていくこと」とし、「明治時代と名付けられている時期の日本語を、単性な一本の棒のようにみてしまうと、江戸期の日本語と現代の日本語との不連続は説明できない。しかし、明治期の日本語と明治時代の内部で『変質』したとすれば、不連続の説明ができる」としています。
 序章「江戸の教育における漢語・漢字」では、現代では、「漢字平仮名交じり」で書くことが一般的であるため、「これが特別なものとはみえないけれども、一方に漢文で書く書き方が存在していた時期においては、それがある意図をもった『器』である場合もあった」として、天保14年にこの「器」があったことは、「これは『江戸の中の明治』ということになる」と述べています。
 そして、「江戸の中に明治があり、明治の中にも江戸がある、しかしそれがある時期からは『懸隔』してくる。『懸隔』は『漢字・漢語=漢文脈からの乖離』というかたちで起こった」としています。
 著者は、「和語と漢語との融合体として江戸期の日本語はあったことを確認しておきたい。和語の中に、異質な漢語が存在しているのではなく、漢語は和語との関係をいろいろなかたちで形成しており、その全体が日本語であった。そうした『和語と漢語との融合体』から漢語を(一方的に)減らしたのが、ある時期からの明治期の日本語ではないかというのが本書の主張の一つである」と述べています。
 第1章「明治初期――漢洋兼才の人々」では、「漢字の左右に振仮名を施すという形式は江戸期以来のもので、明治期には盛んに用いられた。漢語の左振仮名には和語が付されることがやはり多いのであって、和語と漢語とが結びつきを形成していたのが明治期までの日本語のあり方であった」として、「明治期は『和漢洋』の時期」と述べています。
 そして、万延元年に福沢諭吉が出版した『増訂華英通語』について、「漢語を背景にしながら、あるいは漢語を媒介にして、英語を理解、受容するという明治期のあり方が一つのテキストの形をとって具現化している」と述べています。
 第2章「通俗と訓蒙――漢文脈からの離脱」では、「明治時代を『西欧化の時代』と括ってしまうのはいかにも粗いが、そう読んでいい面もかなりある。本書では、その『西欧化』を『漢語・漢字=漢文脈からの離脱』あるいは『漢字離れ』というキーワードでとらえようとしている」と述べています。
 第3章「仮名専用論者がつくった近代国語辞書」では、「仮名専用論は明治20年前後がもっとも活発で、明治24年以降は衰えたと指摘されている。『かなのくわい』の活動も明治20年代には衰微したとされている」と述べています。
 そして、「日本語においては、漢字という文字を使っていることが、日本語の歴史そのものにも大きな影響を与えており、それがいいとかよくないとかいう前に、そうであることをきちんと認識しておく必要がある。過去においては漢字の向こう側に漢語がつねにみえていた。時期によって、また当然人によって、どの程度漢語=中国語がみえるかということは異なっていたであろうが、とにかく見えていた。そうであるから、和語であっても、それにどのような漢字をあてるかということを通して、ある程度の語義をおさえていた、おさえることができる、とみるのがよいだろう」と述べています。
 また、「本書は明治期において、日本語が『漢字・漢語離れ』していくさまを、短い期間の歴史として描こうとしている。述べたいことは、漢字・漢語と密接に結びついて体系をかたちづくってた日本語から漢字・漢語を離脱させることができるのか、ということである」とした上で、「現代日本語を見れば、深い位置での『漢字・漢語離れ』はいずれかの時点で達成したと思われる」が、「『文字選択のレベル』でいえば、漢字は使い続けている」として、「そういう二面性を明治期の日本語はもっていた」と述べています。
 第4章「洗練されていく英和辞書」では、「初期に成立した英和辞書は『英華辞書→英和辞書』という翻訳のプロセスを経ていることになる。これは『華=中国語→和=日本語』という翻訳プロセスであり、ここに、もう一つの『漢文脈からの離脱』があった。それをなしとげることによって、真の『英和辞書』が成立したことになる」と述べています。
 第5章「言文一致――今、ここのことば」では、二葉亭四迷の『浮雲』について、「和語に漢語漢字列をあてる書き方は、その枠組からいえば、なにほどか中国風の書き方を志向したものと見えるが、それが避けられていないのは、(すべてではないと考えるが)そうした書き方もある程度は定着し、『中国風の衣装』にはみえなくなっていたことを示唆していると思われる」と述べています。
 終章「森鴎外と夏目漱石」では、「明治37年頃までに、日本語がある落ち着きを獲得していたとすれば、漱石はその『落ち着きを獲得した日本語』で作品を綴ったことになる」とした上で、「漱石は自身の作品が『不特定多数の読み手』に読まれることを意識していた」として、「その鮮明な意識が、あるいは日本語のあり方を先取りしていたのではないか。そうしたことによって、漱石の作品をかたちづくる日本語は、現代の日本語を母語としている私たちにも、割合と身近な感じに映るということではないのだろうか」と述べています。
 著者は、「おわりに」で、「言語が一つの年を境にがらりとあり方を変えることなどない」としながらも、「あえてこの時期の画期を見出そうとすれば、それが明治37年頃にあるのではないか」と述べています。
 本書は、江戸時代と現代の日本語の境界を探した一冊です。


■ 個人的な視点から

 よく、若者言葉で日本語が乱れていくということが問題になりますが、私たちが現在使っている日本語は、江戸~明治期の劇的な変化に比べれば、全然変化していないと言っても過言ではないような気もします。50年前の文章も、文章自体はストレスなく読めますし。


■ どんな人にオススメ?

・現代の日本語の乱れが気になって仕方がない人。


2014年6月 6日 (金)

権力の握り方: 野望と暗闘の戦後政治史

■ 書籍情報

権力の握り方: 野望と暗闘の戦後政治史   【権力の握り方: 野望と暗闘の戦後政治史】(#2329)

  塩田 潮
  価格: ¥972 (税込)
  平凡社(2013/12/16)

 本書は、「いつ、どんなやり方で、どうやって政権に到達したのか。歴代の首相の軌跡を追うと、権力を手にできるかどうかの決定的な場面で、その政治家の個性が強く投影されることがわかる。権力を目指す姿勢、覚悟と発想、取り組み方と手法、流儀などに、政治家の本質が色濃く表れる」として、日本の歴代首相の権力奪取の瞬間を追ったものです。
 第1章「初の自力復活首相・安倍晋三」では、「秘書生活で最大の体験は、晋太郎の政権争奪の戦いとその敗北、その後に疑惑追求と病魔に見まわれ、志半ばで生涯を閉じた壮絶な終末を間近に目撃したことだろう」と述べています。
 第2章「自民党全盛期まで」では、池田勇人が当初「月給二倍」をスローガンにしようとしていたことに対し、大平や宮沢が「何かサラリーマンだけがいい目を見るという印象を与えかねない」と指摘し、「所得倍増」という言葉が生まれたと述べています。
 第3章「『不信と怨念』の派閥抗争」では、田中角栄について、「田中は54年間の人生で身に付けたものをすべて政権獲得に注ぎ込んだ。人心収攬術、策略と陰謀、桁外れの資金力など、全エネルギーと全能力を傾注した。最高権力者まで登り詰めた政治リーダーの個性は、どうやって首相の座を手にしたかという権力の握り方に凝縮して表れるが、政権奪取は最初から最後まで田中流であった」と述べています。
 また、中曽根康弘について、「小勢力で派閥政治の荒波を乗り切り、一歩でも政権の座に近づこうとした。派を率いる領袖として当然の泳ぎ方に違いないが、時の権力者への擦り寄りと変わり身の早さは際立っていて、『風見鶏』は中曽根の代名詞のように喧伝された」と述べています。
 第4章「自民党政権の低迷と衰退」では、宇野宗佑について、「リクルート事件の影響で、自民党は結党以来の人材難という非常事態に直面した。本来なら名乗りを上げるはずの党内の実力者たちは出番を封じられた」と述べ、「総理・総裁としての力量、手腕、識見などはこの際、問題ではなかった。まして品性といった点はまったく考慮されなかった」としています。
 また、海部俊樹について、「天性の資質なのか、見えない精進と研鑽の成果なのか。決定的な場面で、棚からぼた餅が落ちてくるとき、ぼた餅をキャッチするポジションをきちんと確保し、タイミングを外さなかった。『たなぼた』をつかむための聴覚や嗅覚、風や流れを読む力、好機を待ち続ける忍耐力と持続力、出番が回ってきた時の対応能力を磨いたのである」と述べています。
 第5章「連立政権の時代」では、細川護煕について、「この時代は、地方自治に寄り道した政治家は、飛躍を狙っても明らかに不利だった」ため、「年功序列で固められた永田町の既存の出世コースを通らずに、バイパスを抜けて目的地にたどり着く方法はないかと模索し、そこで新党結成を思いついたのではないのか」と述べています。
 そして、小渕恵三について、「飾り気のなさと重心の低さが小渕の最大の持ち味であった」として、自ら「人気の橋本、人柄の小渕」と聴衆を笑わせてきたと述べています。
 また、森喜朗について、森が後継者に選ばれた理由として、「小渕体制下で政権の旨味を味わってきた人たちが、引き続き権力の中枢を握るには、『後継・森』が最も都合のいい選択肢だったからだ」として、後継選びの大前提として、
(1)小渕内閣の体制と路線の継承
(2)自公連立の存続
(3)権力構造の維持
(4)挙党態勢の確立
の4点があったとしています。
 終章「権力獲得はスタートライン」では、安倍晋三の権力再奪取に際して、
・「私は一度、死んだ人間。もう失うものは何もない」という覚悟から生まれた「無私」のスピリット
・「負ければ政治生命を失う」という周囲の静止を振り切って挑戦する敢闘精神
・一度目の首相の「失敗体験」に基づく謙虚さと重心の低さ
が武器になったと述べています。
 そして、28人の政治家の政権獲得法から決め手となった6つの要件として、
(1)ここが勝負時と見極め、実現を目指す政策や路線、独自の姿勢や生き方、政治家としてのイメージや実績など、自身の得意業を発揮するのは極めて効果的である。
(2)いつの日か訪れる出番を忍耐強く待つ資質と精神も欠かせない。
(3)政権獲得の好機を逃さずにものにして権力を握る才腕。
(4)そこまでの人生で体験した失敗、背負ってきたハンデを、逆に活用する生き方を体得し、それを実際に権力獲得に活かして成功した政治家もいる。
(5)政治家としてのキャリア、経験、実績などから見て、トップの座を握っても不思議ではないという評価があるのに、チャンスを何度も逃してきたリーダーが、権力争奪の実質的な決定権を握る「キングメーカー」の力を借りる例もある。
(6)担がれるという生き方。
の6点を挙げています。
 本書は、政権奪取の際に表れる政治家の本質を描き出した一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書の記述自体は淡々としたもので物足りなさは感じますが、むしろ淡々と並べてみせるからこその説得力を本全体から感じてもらえればと思います。


■ どんな人にオススメ?

・総理大臣になるとはどういうことかを知りたい人。


2014年6月 5日 (木)

著作権法がソーシャルメディアを殺す

■ 書籍情報

著作権法がソーシャルメディアを殺す   【著作権法がソーシャルメディアを殺す】(#2328)

  城所岩生
  価格: ¥821 (税込)
  PHP研究所(2013/11/16)

 本書は、「既得権大国の日本」において、「著作権者が著作権法を使って、既存のビジネスモデルを死守しようとしている」として、「現在の著作権法は、新たなビジネスモデルを滄州し、経済社会を発展させるイノベーションとは相容れない性格を持っている」ことを指摘するものです。
 第1章「世界の潮流に逆行する日本の著作権法」では、「ユーザーは著作物の利用主体として、本来、著作権法の目的である文化の発展に寄与する存在であるはずだが、これまで蚊帳の外に置かれてきた」として、違法ダウンロードの刑事罰化について、「ユーザー作成コンテンツがソーシャルメディアを介して流通する時代を迎え、ユーザーのコンテンツ制作力をこれまで以上に重視すべき」「であるとする「ユーザーの権利を尊重する世界の潮流に逆行するもの」だとしています。
 第2章「著作権者の保護に躍起になる人たち」では、「日本版フェアユースが失速した理由は、議員立法ではない通常の内閣提出法案の制定過程にある」として、法改正が、「文化審議会の著作権分科会の答申に基づいて行われる」ことについて、役所が審議会を権利者寄りの「自らの主張を正当化する『隠れ蓑』」にしていると指摘しています。
 第3章「日本発・新サービスはこうして葬られた!」では、アメリカ最高裁が、ソニーのベータマックスに対する訴訟において、「タイムシフティング」であり、フェアユースに当たると判断したことが、「その後、新技術や新サービスに対して、裁判所が好意的な判決を下す先駆けとなった」とする一方で、日本においては、カラオケ店店主の著作権侵害責任を認めた「クラブ・キャッツアイ判決」において、「客に歌唱させているにすぎない店主」に、
(1)客の歌唱を管理している。
(2)営業上の利益増大を意図している。
を条件に、「演奏(歌唱)の主体であるとして侵害責任を負わせた」とする「カラオケ法理」あるいは「利用主体拡張法理」が「新サービスを提供するインターネット関連サービス事業者にも広くて起用されるようになった」ため、「日本では、場を提供しているにすぎないプロバイダを侵害の主体として捉えるカラオケ法理が適用され」てしまうことを指摘しています。
 第4章「日本発・画期的発明はこうして葬られた!」では、「日本では、インターネットというたった一つの技術革新に著作権法が適用できていない」理由として、「複製を前提とするインターネットで複製禁止の原則を貫き通そうとしているところにある」と指摘しています。
 第5章「デジタルネット時代に取り残されるテレビ局」では、「キー局が番組をインターネットで配信し、だれでも視聴できるようになれば、住民は地元放送局の番組を視聴しなくなるおそれが出てくる。視聴者の減少は広告料収入の減少につながり、地方局の経営を圧迫するという懸念」があるとして、「県域免許制度にしがみつく地方局を守るためにネット配信が滞り、利用者がその恩恵に与れないというのは、なんともおかしな話である」と指摘しています。
 そして、アマゾンやグーグルが、「ユーザーがすでに保有している楽曲をクラウドに預けるだけのサービスなので、新たにライセンス契約を結ぶ必要はない」として、音楽クラウドサービスを提供した理由として、「ユーザーごとに割り当てられたケーブルビジョンのハードディスクに、ユーザーの支持に従って番組を録画するのだから著作権を侵害しない」との主張が認められたケーブルビジョン判決があるとしています。
 第7章「いまこそ著作権法改革を急ごう!」では、「TPPは、アメリカン・スタンダートの押し付けだという批判があるが、著作権に関してはアメリカン・スタンダードではない」理由として、「知的財産が重要な輸出品目であるアメリカとしては、他国には知的財産権を強化してほしい」ため、アメリカはフェアユース規定を他国に導入しろと要求していないと述べています。
 本書は、時代に追いつけない著作権法の課題を指摘した一冊です。


■ 個人的な視点から

 日本の著作権法の一番の問題点は、著作権ビジネスの既得権を持っている人だけが著作権法の中身を決めている点にあるということです。まあ何事もお金を持っている人にはかなわないということでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・日本の著作権のどこがおかしいのかを知りたい人。


2014年6月 4日 (水)

日本の港湾政策―歴史と背景

■ 書籍情報

日本の港湾政策―歴史と背景   【日本の港湾政策―歴史と背景】(#2327)

  黒田 勝彦, 木俣 順, 奥田 剛章
  価格: ¥2,700 (税込)
  成山堂書店(2014/03)

 本書は、「港湾政策の背景や目的、内容を広く国民の方々に知っていただく」ために、研究者や行政関係者が行った研究会で議論した内容をまとめたものです。
 第1章「近代国家成立期および工業育成期の港湾政策」では、「外貿港湾が大蔵省管轄となった理由は、不平等条約と密接な関係」があるとして、「幕府が列強と結んだ不平等条約(領事裁判権、関税不自主権)の故に、開港での船舶取り締まり規則(港則)、施設利用税徴収権、外国人居留地管理権などがいずれも罰則規定を伴うことから、領事裁判権に抵触する理由で明治政府が自主的にこれら関連規則や法令を整備できない事情により税関担当の大蔵省が関与していたことに由来」していると述べています。
 そして、「明治初期には列強の要求に答えるための開講の整備、合わせて地方の殖産興業を目指した拠点港湾・運河・河川改修が外国人技術者の調査や提言を基本に進められ」、「明治中期~後期には、拡大する外国貿易に対処するため、開港の大規模改修工事と新潟・門司・敦賀など地方拠点港での外国貿易を可能ならしめる修築工事が進められて」いたと述べています。
 また、昭和18年の東條内閣において、「それまで内務省、大蔵省、逓信省、文部省(気象)、農商務省(民間船舶)に分かれていた港湾行政」が、全て運輸通信省に統一され、「永年の課題であった港湾行政の一元化が達成され」たと述べています。
 第2章「戦後の経済再建と港湾政策」では、「わが国の船舶の著しい減少は太平洋戦争半ばから制海権を失い、連合国の潜水艦攻撃により撃沈され、戦時の船員の殉職率は46%にも達し、これは陸海軍の軍人の戦死率よりはるかに高かったといわれて」いることから「海運の復興は遅々として進まず、戦後の傾斜生産方式の時代には造船業にも優先的に資金と資材が提供されることとなった」と述べています。
 そして、「GHQの考えは極めて明快に港湾管理権を地方公共団体のみに与える方針」であった背景として、「法改正を経なくては港湾の軍用転換を容易にさせない、という意思が働いているものと考えられ」るとした上で、「その後のわが国の港湾政策は国家戦略の視点と地方行政の視点の間で揺れ動くことと」なり、「その後今日に至るまで、国において港湾政策が策定されるたびに、先の2つの視点から様々な議論が錯綜し、実効ある港湾戦略の実施の妨げになったのはこのような経緯があったことに因って」いるとしています。
 第3章「グローバル化対応と港湾政策」では、「中央政府の国策としての港湾政策と地方の港湾管理者である自治体の思惑が一致しない結果」として、「日本海・瀬戸内海の各港のコンテナ貨物の多くが釜山港や高雄港など海外金利港湾にフィーダー輸送されるようになってしまって」おり、「国益という全国的視点からの適切な港湾配置を国が意図していても、港湾運営段階では国と地方との歩調が合わない、という矛盾」が生じていると指摘しています。
 第4章「港湾の管理・運営政策」では、「港湾の民営化の流れは、先進国、開発途上国を問わず世界的な潮流となって」いるとした上で、「現代の港湾の管理・運営においてポート・オーソリティなどの公的セクターは、国や地域の経済や雇用最大化を目標とした港湾の開発や管理・運営、保全などの計画を策定し、港湾における諸活動の安全・安心を確保し維持するための行政機関としての役割に専念する、いわゆる『ランド・ロードとしての管理者』に向かう傾向が明らか」だとしています。
 第5章「持続的発展と港湾政策」では、「従来、港湾においてはもっぱら地震、津波、高潮のような自然災害リスクへの備えが求められて」きたが、2001年の米国同時多発テロに端を発し、SAR条約に基づく港湾におけるテロ対策への備えが世界的な枠組みの下で実行されるに至り、「港湾が国際貿易上欠かせないインフラであるとの認識の下に、港湾物流の分野におけるリスク管理の強化がグローバルな視点で求められるようになってきて」いると述べています。
 本書は、日本の複雑な港湾制作の背景を明らかにしようとした一冊です。


■ 個人的な視点から

 港湾をめぐる制度は古くからの経緯が入り組んでいて非常に理解し難いものなのですが、江戸~明治期と戦中期の制度の経緯を解説してくれる本書は、そのあたりを理解する上では非常に便利な一冊です。


■ どんな人にオススメ?

・港湾制度がなぜ複雑なのかを知りたい人。


2014年6月 3日 (火)

雇用再生―持続可能な働き方を考える

■ 書籍情報

雇用再生―持続可能な働き方を考える   【雇用再生―持続可能な働き方を考える】(#2326)

  清家 篤
  価格: ¥1,080 (税込)
  NHK出版(2013/11/21)

 本書は、「自分を定点として周りが動いているとするような、天動説的な考え方」に陥りやすく、「多くの人たちがその経験に基づく体験論を不完全に展開しがち」な雇用に関する議論について、「労働や雇用の問題に関しても、これまでさまざまな科学的な分析」が労働経済学という学問として蓄積されており、「個人の経験だけに縛られず、理論と実証に基づく科学的な視点で働き方や雇用の問題を考えていく必要がある」として、「できるだけ科学的な分析に基づいて現状をしっかりと踏まえ、これからの雇用の将来を考えて」いこうとするものです。
 第1章「いまなぜ、働き方を考えるのか」では、「かつての日本では、働く人の圧倒的多数は自営業主と家族従業者」であり、1940年代末には、「日本で働いている人の約3分の2は自営業主ないし家族従業者だった」と述べています。
 第2章「経済の構造変化と雇用制度」では、「一定の人口のもとでは、人びとの就業選択いかんによって労働力人口は増えもするし、減りもする」として、雇用の源泉となる労働力人口が、
(1)人口そのもの
(2)個人の就業選択
の2つに影響されるとした上で、「人口減少下で労働力人口を維持するためには、人々の就労意欲を高め、日本全体の労働力率を高めることが求められるのだ」として、ポイントは、「まだ労働力率の上昇余地のある人口グループの労働力率を高めること」にあると述べ、
(1)20代後半以降の女性:雇用労働と家事、育児が両立するような環境を作ることが重要
(2)高齢者:高齢者の労働力率を下げている年金といった公的制度や、定年退職制度といった企業の雇用制度は見なおす必要があり、年齢に関係なく働ける仕組みに変えていくことが求められる
の2点を挙げています。
 また、「生産活動の状況によって雇用のあり方も大きく変わってしまう」として、
(1)生産の量
(2)生産の技術
(3)生産に要する雇用を含む生産要素の相対価格
の3点の影響を受けると述べています。
 第3章「終身雇用制度のゆくえ」では、「学校を卒業して直ちに会社に入社する」ことが日本の雇用制度の大きな特徴だとして、「新規学卒一括採用は、日本の若者の失業率を先進国のなかでも際立って低く抑えることに貢献している。この慣行のもとでは、若者は学校を卒業する前に就職先を決めるため、失業の状態を経ずに直ちに雇用者になるのである」と述べています。
 また、新人の教育訓練の重要性について、「将来その企業で使える人材になるかどうかは、実は入社試験の成績などはあまり関係なく、若いときに配属された部署の上司がきちんとした人物で、そこで厳しく仕事能力を叩きこまれたかどうかによる」とする企業の人事担当者の言葉を紹介した上で、1939年に慶応義塾大学理工学部の前身である藤原工業大学の初代工学部長に招聘された帝国海軍の技術部門のトップまで務めた工学博士谷村豊太郎が、「是非すぐに役に立つ人間を育成してほしい」との産業界からの要望に対し、「すぐ役に立つ人間はすぐ役に立たなくなる人間だ」とこれを否定したことを紹介しています。
 さらに、「雇用の流動化は社会全体の生産性の向上という面から言うと、プラスとマイナスの両面を持っている」として、
(1)プラスの面は、すでに高い仕事能力を持っている人が自分の能力を存分に発揮できるところで働くことができるようになる。
(2)マイナス面としては、企業内において仕事能力を高めるための教育や訓練が行われなくなり、人的資本投資は減少していく。
の2点を挙げています。
 第4章「年功賃金をどう見直せばよいのか」では、「日本は重化学工業化する過程で海外から高度な技術を導入したが、担い手となる労働者にその技術を使いこなせるものはいなかった」ため、「それぞれの企業は、必要とされる高度な技術を持った労働者を自前で養成する必要に迫られた。そこで企業は、そうした技術を覚えることのできる優秀な若者を雇い入れ、彼らを企業内で教育訓練して使える労働者に育成する仕組みを作ったのである」と述べた上で、「このように膨大なコストをかけて育てた養成工に、簡単にやめられてしまっては企業として大きな損失である」ため、「労働者の定着率を高めることが必須の条件」となり、「長く勤めれば務める程特になるような制度」として、「最も有効な制度が年功賃金だった」と述べています。
 そして、「新規学卒一括採用、企業内訓練、年功賃金、定年退職金は一つのパッケージであると考えるべき」で、「そのどれか一つを変えると残りの部分も変えなければならない」と述べています。
 第5章「対等な労使関係をどう築くか」では、「個人と企業の間では交渉力に格差があるから、個人は労働組合を組織して集団的労使関係の中で交渉することによってはじめて、対等な取引が成立する。実はこれは、労働組合が市場経済を機能させるために不可欠の役割を果たしているということである。そしてもう一つ、市場経済が前提としている完全情報も労働市場においては成り立っていない。それを補うためには、内部労働市場とも言われる企業組織が必要なのである」と述べています。
 第6章「格差是正は可能か」では、「正規雇用者の賃金が高いことには、フルタイム労働で始業時間から就業時間まで働いてもらうだけでなく、よほどの理由がなければ業務命令による残業も断ることはできないし、休日出勤などもいとわないということの代償という意味もある」と述べています。
 第7章「付加価値生産性を高める」では、最近の風潮として、「付加価値を生み出すのは従来の組織人ではなく、一匹オオカミのプロフェッショナルといったタイプの人たちだと考えられているきらいがある」ことについて、「付加価値生産性を高めることのできる一匹オオカミ的な人材は存在するが、高度産業社会において付加価値生産性を高めるのは、やはり組織に属する人たちなのである。一番望ましいのは、どこに行っても使える能力を身につけた人が、どこへも行かずにそれまで長年勤めた組織の中で働くということなのだ」と指摘しています。
 本書は、雇用を巡る議論に労働経済学の知見を投入した一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書の世者が翻訳に携わった『人事と組織の経済学』はこの分野の理論的理解を深める上では非常にコンパクト(本は厚いですが)でいい本です。本書で関心を持たれた方は是非読んでみてください。


■ どんな人にオススメ?

・雇用の問題をめぐる理論的背景を知りたい人。


2014年6月 2日 (月)

[図解]鉄道の技術

■ 書籍情報

[図解]鉄道の技術   【[図解]鉄道の技術】(#2325)

  秋山 芳弘
  価格: ¥1,058 (税込)
  PHP研究所(2013/3/20)

 本書は、「大量・高速輸送が可能で、環境負荷とエネルギー消費が少ない」という特性から、世界中で再び脚光を浴びている鉄道技術について解説しているものです。
 第1章「国内外の高速鉄道最新事情」では、「営業運転におけるスピードアップの成否は、『ハイスピードが出せるか』ではなく、『スピードアップしても問題が生じないか』で決まる」と述べています。
 そして、「日本の新幹線の成功は、モータリゼーションが進むなか世界的に斜陽化の流れにあった鉄道に復権のきっかけをつくり、その鍵が高速化にあることを示してくれた」と述べています。
 第2章「高速走行を実現する技術」では、「東海道新幹線の建設にあたっては、それまでの路線とは完全に独立した新しいものをつくることになったっため、在来の鉄道で適用されてきた様々な条件にとらわれずに、高速運転に最適なシステムを目指して規格が決められていった」として、「鉄道の大枠に関わる企画は、一度決めるとなかなか変更が難しく、それでも変える場合は多大な労力と費用を要する」と述べています。
 そして、「結果として在来線とはまったく別の路線とすることで、それまでの企画を採用したために生じる制約の影響が少なくすみ、思い切ったシステム設計が可能になったのが今日の新幹線の進化につながっている」と述べています。
 そして、「半導体技術の急速な進化は、直流電動機に比べてブラシなどの消耗品がなくメンテナンスが容易、高出力でも小型化でき、製造コストや消費電力も少ないといった利点がある交流電動機を鉄道車両に用いる道を開いた。交流電動機の回転数や出力を連続的に制御するためには周波数を変換する必要があり、従来はその方法がなかったために使えなかったが、高速で大容量の半導体素子が実用化されたことにより電圧と周波数を連続的に変化させる『VVVF(Variable Vaoltage Varriable Frequency :可変電圧可変周波数』ができるようになった」と述べています。
 また、新幹線の先頭形状の開発に、「かつて海軍で戦闘機の設計をしていた技術者も加わっていたが、複数の車両を連結した状態で設置しながら高速走行するという、航空機と異なる条件下での最適な形状を求めて試行錯誤が続いた」と述べた上で、「日本の新幹線の先頭車両が複雑な形状をしているのは、『速度を上げるために空気抵抗を少なくする』のが主目的なのではなく、『速度を上げることで増大する微気圧波の影響を最小限に抑え、なおかつその長さをできるだけ短くする』ためのものだ」と述べています。
 さらに、「車両自体を傾けること」で「カント不足分を補い、発生する遠心力を打ち消して曲線通過速度の制限を緩和する」技術である「振り子式車両」について、N700系で採用された「車体傾斜システム」では、「遠心力で斜体を傾けるのではなく、空気バネを調節して走行中の車両を強制的に約1度傾斜させるもの」だと述べています。
 第3章「安全性を支える技術」では、斜面災害について、
(1)鉄道管理用地外にある自然斜面などからの土砂流入や土石流、落石、岩盤崩壊などによる被害
(2)鉄道の施設自体が災害発生源となる盛土や切土の崩壊、線路流出による被害
に大別して解説しています。
 そして、1951年に起きた京浜東北線桜木町駅構内の列車火災事故において、「伝記の通じなくなった乗降部の自動扉は手動で開けることができず、側窓は中断が固定された3団窓で人が抜け出る隙間はなかった。連結面の扉は内開きで施錠されていて混乱した状況下では開けられず、乗客の多くは閉じ込められたままとなり、その結果106人もの死者を出す大惨事となった」反省から、「電車の側窓の2段窓化、非常用ドアコックの場所の明示、脱出路としての貫通路の整備、パンタグラフや屋根部分の絶縁強化、全金属製斜体や不燃材料の採用、防火塗料の塗布などの対策が講じられるようになった」と述べています。
 第5章「快適性を求める技術」では、「運転距離、走行時間が長くなるほど列車トイレの必要性は増していったが、その一方で当時のトイレは和式便器で、汚物は列車から垂れ流す『開放式』となっており、沿線に『黄害』を撒き散らす不衛生なものだった。かつての列車トイレに表示されていた『停車中は使用しないでください』との注意書きは、ホーム下に汚物がそのままの形で残るのを避けるためで、走行中に汚物が宙に舞い、沿線に降り注ぐのは許容していたという、現代ではにわかに信じがたい状況が、戦前、戦後を通じて長く続いていた」と述べています。
 本書は、安全で高速な鉄道を支える技術を教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 一時は日本全土をカバーしていた鉄道網もローカル線が大きく衰退し、鉄道はもはや時代遅れの技術になっているのかと思いきや、特に高速鉄道の分野では今も技術革新が進んでいるというのは、ある意味で「選択と集中」が進んだ結果なのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・鉄道は過去の技術だと思っている人。


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