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2014年12月

2014年12月31日 (水)

人口動態と政策: 経済学的アプローチへの招待

■ 書籍情報

人口動態と政策: 経済学的アプローチへの招待   【人口動態と政策: 経済学的アプローチへの招待】(#2353)

  山重慎二, 加藤久和, 小黒一正
  価格: ¥4,104 (税込)
  日本評論社(2013/9/4)

 本書は、「今なすべきことを知るために、『2050年の日本を考える』という視座を設定し、長期的観点から、人口動態への影響を考慮した政策を立案することに重要性を訴える」ものです。
 本書の主な政策提案は以下の3点です。
(1)人口動態は、政策によって影響をうけるものであり、特に影響が大きいと思われる政策については、その影響を十分考慮する必要がある。
(2)日本人の人的資本を高め、有効活用するという観点からは、子育て支援政策としては、現金給付よりも現物給付(特定目的の給付)に重点を置いた政策が望ましい。
(3)2050年頃の日本を念頭に置くと、人口動態と労働・資本・技術進歩の関係を明確に意識した上で、社会保障政策、子育て支援政策、教育政策、移民政策、そして財源調達のための租税政策といった政策の効果的連携を通じた成長戦略を考える必要がある。
 第1章「わが国の人口推移とその構造」では、「人口動態を表す主要な変数は結婚、出生、死亡、人口移動の4つである」とした上で、「現在の総人口や年齢別人口が与えられ、将来の人口動態変数に一定の仮定を与えれば、将来の総人口や年齢構造を推計することができる。人口学ではこうした方法を“人口投影”と呼ぶ」と述べています。
 第2章「人口動態の経済分析」では、「経済学的アプローチ」の特徴として、
(1)「費用・便益」:人々は便益と費用を考えながら行動している。
(2)「資源制約」:社会の資源は限られている。
の2点を挙げ、「そのような行動原理、制約、そして、結果として現れる行動や状態を、できるだけ数式で表現(見える化)し、データや数値解析に基づいて、歴史を振り返り、未来を見据えるというのが『経済学的アプローチ』の分析の特徴」だとしています。
 第3章「理論と実証(1)子どもの数、質、教育」では、「公的教育制度は私的教育制度に比べて格差を縮小させるという研究結果がある一方で、公的教育制度が格差を拡大させるという研究結果も存在する。また、教育補助政策は人的資本の蓄積を高め、子供の数を減らすという研究結果も存在する一方で、人的資本の蓄積を高め子供の数も増えるという研究結果も存在する」と述べています。
 また、「先行研究で導出された結果を踏まえた上で、日本で行うべき政策」として、「少子化が進行しているので、現金給付または現物給付にかかわらず育児支援政策を充実させること」及び「子育てコストを低減させるのに加えて所得格差を拡大させないためには、公財政支出を増やすといった教育補助制作を積極的に行っていかなければならない」としています。
 第5章「理論と実証(3)社会保障制度と出生行動」では、「人びとが出生行動を選択していることを想定したモデルにおいて、年金制度そして社会保障制度をどのように設計すべきかについて議論した研究を整理すること」で明らかになったポイントとして、
(1)年金制度の存在は、積立方式であれ賦課方式であれ、人々の出生を低下させる効果を持つ可能性が高いことを正しく認識し社会保障制度の設計を行うことが重要である。
(2)特に、賦課方式の年金制度のもとでは、他人の子どもにただ乗りできるという構造が存在し、非効率的な少子化が進行すると考えられるので、子どもの出産・育児が持つ外部性を内部化するために、出産・育児に対する補助(例えば児童手当)を行うことが、効率性の観点から正当化される。
(3)年金制度の充実は、人々の出生行動のみならず、子どもへの教育(人的資本投資)や子どもへの所得移転(贈与・遺産)にも影響を与えることに注意を払いながら、社会保障制度の設計を行うことが重要である。
(4)年金制度が人々の行動に与える影響の程度は、人々が子どもを持つ動機や子どもから感じる便益によって異なり、かつその要因は人によって異なるため、実証研究を通じて、その影響の程度(あるいは人々の選考に関する情報)を明らかにしていくことが重要である。
の4点を挙げています。
 第9章「人口動態と政策」では、日本の人口が、約1億2,800万人(2010年)をピークとして減少し始め、2050年には9,700万人、2082年には約半分の6,400万人ほどになると予想されるとした上で、政策提言として、
(提案1)社会保障制度を維持するための子育て支援の充実
(提案2)現金給付よりも保育・教育を支援する現物給付の充実
(提案3)ワーク・ライフ・バランスのとれる労働環境の整備支援
(提案4)移民受け入れ拡充に向けた周到な準備
(提案5)人口動態を意識した税制の設計
の5点を提案しています。
 本書は、これまで経験したことのない「人口減少」社会の舵取りを考えた一冊です。


■ 個人的な視点から

 「若者が沢山いて人口がどんどん増える」ことを前提に設計された制度を、いくら小手先でいじっても振りかかる人口オーナスには対処しきれないわけで、出生率が多少上げたくらいでは、例外的なベビーブーマーの大量の人口を養うことなんてできないので、かなりザックリと来るべき社会を設計していく必要があるのかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・子どもを産まないから人口が減ったと思っている人。


2014年12月30日 (火)

排泄物と文明: フンコロガシから有機農業、香水の発明、パンデミックまで

■ 書籍情報

排泄物と文明: フンコロガシから有機農業、香水の発明、パンデミックまで   【排泄物と文明: フンコロガシから有機農業、香水の発明、パンデミックまで】(#2352)

  デイビッド ウォルトナー=テーブズ (著), 片岡 夏実 (翻訳)
  価格: ¥2,376 (税込)
  築地書館(2014/5/17)

 本書は、「われわれの中から、そしてすべての動物の中から出てくるこの物質を生態学学的な統一原理として、我々の進化の起源や根ざしているものまで遡って理解することができれば、周りに見えるウンコすべてと落ち着いた幸せな気持ちで付き合うことができるようになる」ことを目指したものです。
 第1章「舌から落ちるもの」では、「ウンコがやっかいな問題なかでも特にやっかいなのは、生態系や公衆衛生に及ぼす影響が大きのに、それについて語るための適当な共通言語すら私たちが持っていないからだ」とした上で、「この本で、それを複数の視点から探ることにする」として、
(1)言語の問題としての排泄物
(2)公衆衛生の問題としての排泄物
(3)生態学的な問題としての排泄物
の3点を挙げています。
 第3章「糞の起源」では、「どこに生育しているか、周囲にどのような生物がいるかによって、その地域での競争問題に対処する様々な戦略が進化した。通常こうした戦略には動物――鳥、魚、移動性の草食動物――が関わっており、種子をウンコに乗せて運ばせることが多い。つなり、動物とその排泄物をどう扱うかは、植物にも深く関わっているということだ」と述べています。
 第4章「動物にとって排泄物とは何か」では、「動物の排泄物が発する匂いは、動物の行動と生態学を研究しようという生物学者にとっても重要だ。糞の匂いを調べること(いわゆる野生生物の生態研究と保全のための糞中心的アプローチ)は、他のもっと侵襲的な手法による野生生物の食習慣に関する情報収集、たとえば発信器付きの首輪の装着と同じくらい有益で、倫理的により正当化しやすい」と述べています。
 そして、「アナウサギ、ノウサギ、ナキウサギも後腸発酵動物だが、栄養損失の問題を、自分の糞を食べることで解決している」と述べ、「ヒト以外の動物の糞食は、栄養と防衛の二つの役割を果たすものとして発達した。親は匂い、とりわけ生まれたばかりの仔の匂いが捕食者に嗅ぎつけられるのを避けようとする。たとえば雌シカは、子ジカが生まれてから一ヶ月間はその糞を食べ、捕食者を引き寄せないようにする」としています。
 また、「こうした動物の排泄行動からわかってくるのは、さまざまな種が生き残ったのは、それらが消化できる食物のタイプ、作り出す糞のタイプ、その糞を処理するために進化した行動が、その種だけでなくそれらが生きる生態系の維持に利益を与えるからだということだ」と述べています。
 第5章「病へ至る道――糞口経路」では、「公衆衛生上重要な二種類の寄生虫が、21世紀の糞問題の地理的広がりと、その生態学的プロセスとのかかわりを深く考える上で役に立つだろう」として、「ネコの腸内に棲み、有性生殖を行う」寄生虫・トキソプラズマについて、「トキソプラズマは子猫に抑鬱と食欲不振を引き起こすことがある。トキソプラズマに感染した動物の行動が変わることも証明されている。感染したネズミはネコをあまり怖がらなくなり、食べられやすくなって、感染のサイクルが完成する」と述べるとともに、第2の寄生虫、ジアルジアが、「排泄物が旅をする生態学的な網の目を、違った形で可視化してくれる」と述べています。
 また、「昆虫の糞も重大な影響を持つ」として、シャーガス病を媒介するサシガメについて、「夜、中南米のバラック街で、この虫は壁や天井の割れ目から這い出し、ハンモックのロープを伝い降りてくる。少量の麻酔薬を注入したあとで、サシガメは睡眠中の人の目頭から血を吸う。吸い終わると、糞をする。眠っている人が目を覚ます。目がかゆい。こすって糞を目の中にすり込み、寄生虫のクルーズトリパノソーマを血流に入れてしまう。何年も――たいてい何十年も――してから、そうした感染者の3分の1は心臓や腸の筋肉がぶよぶよになり、長患いの末に死ぬ」と述べています。
 第6章「ヘラクレスとトイレあれこれ」では、「さまざまな人間社会がいろいろな方法を使って排泄物に対処している。あるものは歴史の初めに、ある者はあとから現れ、私たちはそのすべてから学ぶことができる。『完璧』で万能の解決策など、これまでにも今でもあった試しはない。生態学と進化においては、背景と内容、生得的なものと習得的なもの、遺伝的及び社会生態学的状況の多様な相互関係がすべてだ」とした上で、「日本人も、人間の排泄物を農業に利用することにかけて、長い歴史と熟練の技を持っている。それは江戸のような都市ができる以前から存在するが、都市化が進むにつれて特に盛んになった」と述べ、「都市と市場が拡大し(1721年の江戸の人口は100万人だった)、集約的な稲作が増加するにつれ、屎尿を含めた肥料の価格は大幅に高騰した」としています。
 第7章「もう一つの暗黒物質(ダークマター)」では、「排泄物は、部分的に消化された食物に、バクテリアと体液を加えて丸めたものだ。ウンコが世界的に目に見えて増加しているということは、私たちが食料として利用した動植物が、脂肪とタンパク質と炭水化物がぐちゃぐちゃに混ざり合った、まずうまそうには見えないものへと変わっているということだ」と述べた上で、「生態学的な見方をすると、どの寄生虫も生物というだけでなく、養分、情報、エネルギーの束でもある。それぞれが、排泄物を食べることを通じて、排泄物が実体化したものだ」としています。
 第8章「排泄物のやっかいな複雑性とは何か」では、「ウンコと食料と生態学的持続可能性のやっかいな混乱の中心にあるのが、理論の問題だ。私たちは、ヘンリー・フォード流の直線的工業的な自然モデルを使って、その場その場の解決法を発達させてきた。この理論は工場や研究所ではうまく働くが、そうした範囲の外の世界をめちゃめちゃにしてしまう」と述べた上で、「どのように行動するかは、どこに目標を設定するかと同じくらい重要だ。一つの健康を目標に、複雑性を理論的基礎に、ポスト通常科学を科学と行動につなげる指針にすることで、この驚きに満ち、時に腹立たしいほど意地悪な惑星に住むことを話していくことができる」としています。
 本書は、地球上にあまねく存在するウンコをめぐる問題をまじめに考えた一冊です。


■ 個人的な視点から

 「食料」の問題になると眼の色が変わるの人が多いに対して、「ウンコ」の問題は二の次にされがちだったのではないかと想像しますが、ウンコが原因で蔓延する感染症や寄生虫も多く、またウンコからわかることも多いので、もう少し日の目を見させてあげても良いような気がします。


■ どんな人にオススメ?

・出ちゃった後のことはよく考えない人。


2014年12月29日 (月)

「格差」の戦後史: 階級社会 日本の履歴書

■ 書籍情報

「格差」の戦後史: 階級社会 日本の履歴書   【「格差」の戦後史: 階級社会 日本の履歴書】(#2351)

  橋本 健二
  価格: ¥1,620 (税込)
  河出書房新社増補新版 (2013/12/12)

 本書は、「ある社会にどのような階級が存在し、各階級の間にどれくらいの格差があり、どのような利害対立があるか」が「その社会の階級構造」であるとしたうえで、「現代日本にみられる格差の問題を、戦後日本の歴史的な文脈に位置づけ、評価し直すこと」を目指したものです。
 第1章「格差をどうとらえるか」では、「ここ10年ほどの間の『格差』『格差社会』をめぐるさまざまな議論は、基本的には結果の格差と機会の格差という2つの問題をめぐって展開されてきた」として、その出発点として、橘木俊詔の『日本の経済格差』と佐藤俊樹の『不平等社会日本』の2冊を挙げ、「近年の日本では、所得の格差つまり結果の格差と、出身による格差つまり機会の格差が、いずれも拡大しているというのが結論だった」と述べています。
 そして、「資本主義社会には二大階級である資本家階級と労働者階級に加えて、新旧二つの中間階級が存在するという四階級図式は、現代の階級理論の最大公約数的見解である」と述べています。
 第2章「格差縮小から格差拡大へ――戦後日本のメガトレンド」では、「細かな変動に目をつぶっておおまかな流れを見るならば、50年代は格差拡大、70年代までの高度成長期は格差縮小、以後は格差拡大ということになる」と述べています。
 第3章「貧しさからの出発――敗戦から1950年代まで」は、「空襲で被害を受けたのは、主に都市部の住民たちであり、農村の被害は少なかった。都市の内部でも、被害には地域による濃淡があった。こうして戦争は、破壊によって富の送料を減少させただけではなく、富の分布にも変化をもたらし、格差の構造を変化させたのである」と述べ、「東京大空襲は、戦前期からあった下町と山の手の格差を、さらに決定的なものとしたと言っていい」としています。
 そして、「戦後行われたさまざまな改革と、これに関連して実行された多くの政策が、格差を縮小させるのに貢献したことは間違いない」として、その第一に農地改革を挙げ、「農地改革が、農業の生産性そのものに貢献したかについては、見解が分かれる」が、「農地改革は、農地という経済的資産の配分を劇的に変化させ、さらに所得分布も大幅に平等化する効果を持ったが、日本社会の格差構造に与えた影響はこれだけではない」として、「日本の階級構造を大きく変化させるとともに、階級構造のその後の変化に重要な条件をつくり出した」と述べ、
(1)農地改革は、「半封建的」とも呼ばれる前近代的な支配関係のもとにあった小作農という下層階級を、ほぼ根こそぎにして独立した農民層、つまり近代資本主義社会の構成要素としての旧中間階級へと移動させた。
(2)農地改革は、その後の日本の経済発展と、これにともなう階級構造の変化のための、重要な前提条件をつくり出した。農家世帯の内部から、近代的な労働者階級の担い手としての資質を持つ多数の労働力、特に若者たちが育ってくる条件が整えられた。
の2点を挙げています。
 著者は、「戦争、そして敗戦は、一方では新たな移動を引き起こし、他方では移動を困難にすることにより、社会移動の構造を大きく変えた」とした上で、「敗戦後の5年間は、経済的な格差が比較的小さかった時代である。おそらく、この事実を意外に感じる人は少なくないだろう。戦争直後の混乱期は格差が大きかったというイメージが、かなりの程度に定着しているからである」と述べています。
 第4章「『もはや戦後ではない』――1950年代」では、「この時期、貧困層の大部分は、働いても貧困から抜け出せない、あるいは貧困ゆえに年をとっても働き続けるワーキングプアだったのである」と述べています。
 第5章「青春時代の格差社会――1960年代」では、「全共闘は、一方では『大学という最高学府はまさに支配者にとって最高なのであり、高級な労働能力・強固なイデオロギーを持った人間、つまりブルジョアジーに積極的に彼らの側について奉仕する人間を作るもの」なのだと、自らのエリート性を前提とした大学批判や自己批判を展開したかと思えば、他方では『学生数の圧倒的増大は、学生の社会的地位をも著しく変化せしめ』『学生そのものが……マスのなかの一員としかみなされなくな』り、『エリート的意識と存在の決定的欠落』という状態にあるとして、その大衆性に運動の根拠を求めるという、二重性を示した」と述べ、全共闘の若者たちは「矢吹丈」に共感を抱いたようだが、「けっして現実の貧しい若者たちとの連帯を勝ち得たわけではない」と述べています。
 第6章「『一億総中流』のなかの格差――1970年代」では、「1970年代が、一部の農民層と少零細企業労働者を除けば貧困からの脱出が進み、経済的格差が比較的小さくなった時期だったことは間違いない。にもかかわらず、ある要因に基づく格差だけは広い社会的関心を集めた。それは、学歴による格差である。日本の社会には『学歴主義』が蔓延して、人々の地位や所得が学歴によって決定される『学歴社会』になり、ここから『受験地獄』がもたらされていると論じられ、人々の共感を呼んだ」が、「この時期に、学歴による格差が拡大したというわけではない。むしろ70年代は、60年代から縮小を始めた賃金の学歴感覚差が底に達し、おそらく日本の近現代史を通じて、学歴による経済学差が最も小さくなった時期である」と述べた上で、「70年代までには、高卒=労働者階級、大卒=新中間階級という対応関係が確立した。そしてこの対応関係は、雇用が急速に縮小して新規学卒労働市場が混乱に陥る90年代後半まで、基本的に維持された」として、「人々は、大学に進学するか否かを、人生を大きく左右する選択として強く意識せざるを得なくなったのである」と述べています。
 また、「70年代の日本では、“狼”やマルクス主義者から保守主義者までが、ニュアンスの違いはあっても、現状認識の上では『一億総中流』論に染め上げられてしまった」として、「この状況は80年代以降も続き、人々を格差に対して鈍感にした。その結果、格差拡大は取り返しがつかないほど深刻化するまで、放置されるのである」と述べています。
 第7章「格差拡大の始まり――1980年代」では、「この時期、中小零細企業労働者の状況は、急速に悪化していた」と述べ、「一般に少零細企業には管理事務職や技術職は少なく、被雇用者の大部分が労働者階級だから、規模感覚差の拡大は新中間階級と労働者階級の間の格差拡大にも結びつく」としています。
 第8章「日本社会の再編成――1990年代」では、「今から考えると、非正規労働者の増加が女性を中心に進んだこの時期、女性を中心に格差拡大が起こったというこの事実は、女性に続いて男性労働者の非正規化が始まるなら、ジニ係数は全体として急上昇するはずだということを示唆していたことになる」と述べています。
 第9章「新しい階級社会の形成――2000年代」では、「かつて非正規雇用は、学生・生徒のアルバイトや中高年の食卓など、人生のある時期に限定されたケースを除けば、主婦などが家計補助のために働く女性パートが中心だった」が、「今日では、主婦のパート労働者とさほど変わらない賃金で働く、男性非正規雇用者が多くなっている。夫が生活費の大半を稼ぐことを前提とするなら、これらの男性は結婚して家庭を形成することができないだとすると、ほぼ同数の女性たちも、結婚して家族を形成することができなくなり、さらに未婚化は進行する」と述べています。
 そして、「労働者階級は、資本主義社会の最下層階級だと考えられてきた。しかし最近まで労働者階級といえども大部分の男性たちは、それなりに安定した職業をもち、家計の中心になるのに必要最低限の収入を保障されてきた」のに対して、「現代の非正規労働者は、低賃金のため家族を形成することが難しい。仮に結婚することができたとしても、子供を産み育てることは難しい。つまり、結婚と出産・子育てによって、世代的に再生産することが困難な状態に置かれている」として、「非正規労働者は、その極端な低賃金、家族形成と次世代を再生産することの困難といった点から考えて、労働者階級の最下層であるというにとどまらず、伝統的な意味での『労働者階級』以下の存在とすら言うことができる。つまり、アンダークラスである」と述べています。
 補章1「地域間格差の戦後史」では、「東北は、何よりも一次産品と労働力の供給源だった」上に、「肥料や工業製品を買うことにより、近代産業の販路となった」として、「このような意味で東北は『国内植民地』的な役割を果たしてきた」と述べています。
 そして、「地域間の所得格差は、派生的にさまざまな格差を生み出す」として、「平均寿命、大学進学率と一人当たり県民所得の間には、明らかな関係がある。所得の高い県ほど、平均寿命が長く、大学進学率が高いのである」と述べています。
 補章3「戦後史のなかの主婦――特権から製品へ」では、「専業主婦は、雇用が比較的安定していて、収入も少なくない近代的な雇用者世帯に許された、相対的な特権だった。労働者階級もこの時期、部分的にはこの特権に浴していたのである」とした上で、「専業主婦の生活は、つつましい」が、「生活に満足している妻の比率は、専業主婦で最高である。しかも、彼女たちの社会への信頼は篤い。努力をすれば必ず報われると、素朴に信じている。世帯年収は低く、労働者階級の場合は貧困リスクを抱え、つねに節約を心掛ける生活に幸福を見出し、自分の努力がいつかは報われると信じるのが、専業主婦である。これはまさに、清貧とも呼ぶべき女性の生き方であろう」と述べています。
 本書は、「一億総中流」という幻想の影でうごめいていた戦後日本の格差を丹念に整理した一冊です。


■ 個人的な視点から

 「格差の拡大」という言葉がクローズアップされてはいますが、昔から格差はあり、「総中流」こそが幻想だったわけですが、それでも終戦後の「みんなが貧しかった時代」を多くの人が共有していればこその共同幻想だったのでしょう。
 「格差」が世代間で継承される性質のものであるならば、「戦争」や「農地改革」などのガラガラポンが何十年も起こっていない以上、格差が固定化していくのは成り行きとしては当然ではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・「格差」をなくすにはどうしたらいいかを考えたい人。


2014年12月28日 (日)

仮面ひきこもり あなたのまわりにもいる「第2のひきこもり」

■ 書籍情報

仮面ひきこもり あなたのまわりにもいる「第2のひきこもり」   【仮面ひきこもり あなたのまわりにもいる「第2のひきこもり」】(#2350)

  服部 雄一
  価格: ¥864 (税込)
  KADOKAWA/角川書店(2014/2/13)

 本書は、「普段は元気に会社にいったり、専業主婦の仕事をこなしたりしており、ひきこもりには見えない」が、「ひきこもりと同じ基本症状があり、よく観察すると、本当の自分を隠しながら社会生活をしている」という「仮面ひきこもり/潜在的ひきこもり」について、その「実態を明らかにして、治療が可能であると示すこと」を目的としたものです。
 第1章「仮面ひきこもりとは何か」では、「仮面ひきこもりは、社会参加をするひきこもりである。彼らは普通の社会生活をしており、部屋には閉じこもらない。しかし、社会的ひきこもりと同じく、誰とも親しくなれない特徴がある」として、「会社員ばかりでなく、主婦にも多く見られ、フリーターから教師、公務員、専門家に至るまで、社会のあらゆる部分に存在している。彼らの多くは、人間不信と対人恐怖を笑顔で隠して、相手に嫌われないように生活をしている。相手に合わせる苦しさと孤独感は彼らに共通する感情である」と述べています。
 そして、「社会的ひきこもりは、仮面ひきこもりの表の自分が崩れた人たちである」として、「彼らの多くは引きこもる前は『良い子』であった。しかし、いじめや人間関係のトラウマのために人に合わせる表の自分が崩れてしまった」のに対して、「仮面ひきこもりは表の自分がしっかりしている。彼らは学校や職場に行き、普通の社会生活ができる。自分の弱みや問題を人には見せない。親とは激しい対立をしないがその分だけ感情を抑圧している」と述べ、「社会的ひきこもりと比べると、仮面ひきこもりは表の自分が頑張っている。彼らは、人間関係のストレスに耐えながら生きるので『我慢』が信条である」としています。
 第2章「仮面ひきこもりの症状と傾向」では、「仮面ひきこもりの症状は母との絆の欠落(アタッチメント・トラウマ)から始まる」として、その基本症状として、
(1)人間不信
(2)対人恐怖
(3)感情マヒ
の3点を挙げています。
 そして「彼らは次のような感覚を知っている」として、
・私を好きになる人はいない。
・結婚できないと思う。
・結婚しても子どもを育てるのは無理かもしれない。
・自分から死ぬ勇気はないが、誰かが殺してくれるなら、それはかまわない。
・私を理解する人はいない。
・このままいくと廃人になるかもしれない。
等の感覚を挙げ、「この感覚の背後にあるのは『絆の欠落』である」と述べています。
 第3章「仮面ひきこもりはなぜ起きるのか」では、「母と絆がもてない子どもは人格が2つ形成される。母(人)に合わせる『表の自分』、母(人)に見せない『本当の自分』である」として、仮面ひきこもりのメカニズムとして、
(1)母に愛されない赤ちゃん「本当の自分」
(2)母に合わせて「表の自分」を作る=仮面をつける子ども(本当のことを言わない子ども)
(3)仮面をつけて成長する「表の自分」
(4)「表の自分」が社会生活をする(本当の自分は心の中に隠れている)
の4つの段階を挙げています。
 第5章「仮面ひきこもりと日本社会」では、仮面ひきこもりの家庭が、「夫婦の愛情が大切という考えがない。患者の親は、世間体のために結婚して、世間体のために離婚しない。愛情のない結婚を続けるのは義務の一つである」と述べています。
 そして、「今、日本人の二極化が静かに進んでいる」として、
(1)子孫を残すグループ
(2)子孫を残さないグループ
の2つにはっきり別れることを「日本人の自然淘汰と言ってもいいだろう」と述べた上で、後者は、
(1)社会的ひきこもり
(2)仮面ひきこもり
(3)見合い文化で育った人たち
の3つにさらに分けることができるとしています。
 本書は、日本社会の中に静かに生活している「仮面ひきこもり」について論じた一冊です。


■ 個人的な視点から

 「ひきこもり」っていう言葉をつけると何やら新しい現象のようにも見えますが、昔から「人付き合いが苦手」という人は一定数いたのではないかと思います。そういう意味で、昔は「変わり者」くらいに見られて、それはそれで受け入れられていた人が、今の目で見ると何かの「病気」や「障害」を抱えている可能性は相当あるのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・世間との間で生きづらさを抱えている人。


2014年12月27日 (土)

人類の進化: 拡散と絶滅の歴史を探る

■ 書籍情報

人類の進化: 拡散と絶滅の歴史を探る   【人類の進化: 拡散と絶滅の歴史を探る】(#2349)

  Bernard Wood (著), 馬場 悠男 (翻訳)
  価格: ¥1,080 (税込)
  丸善出版(2014/2/25)

 本書は、「人類化石研究の第一人者であるバーナード・ウッドが、極めて正直に人類進化について解説した本」です。
 第1章「はじめに」では、「本書では、人類進化の長い旅の最後の部分、つまりヒトとチンパンジーの最後の共通祖先から現在のヒトに至る道筋に焦点を当てる」とした上で、本書の目的として、
(1)人類進化史に関する理解を進めるために、古人類学者たちがどのように仕事をしているかを説明すること。
(2)人類進化史について古人類学者が得た知識を紹介すること。
(3)その知識がいかに不十分かを示すこと。
の3点を挙げ、人類進化史の理解を進めるための戦略として、
(1)新しくデータを集めること。
(2)既存のデータを解析する方法を改良して、人類進化史の理解を深めること。
の2点を挙げています。
 第2章「われわれは何者か」では、「ダーリンは進化生物学に2つの独創的な貢献をした」として、
(1)いかなる2つの生物個体でも、完璧な複製のように同じではないとする「個体によって変異がある」という認識。
(2)自然の資源が有限であり、かつ、無方向の変異が起こるなら、ある個体は他の個体より資源を得るために有利になるという自然選択という考え方。
の2点を挙げています。
 第3章「化石人類の調査と背景」では、「人類進化の後半では、長期的な地球の低温化に加えて、深海底堆積層から推定した周期的気候変動が多大な影響を及ぼした」として、「大陸棚の多くが陸化したので、現代人の祖先がユーラシアからオーストラリアあるいはアメリカに移住することができた」と述べています。
 第4章「化石人類の分析と解釈」では、「初期人類の化石コレクションに何種類の人類種が含まれているのかを決めるのはきわめて難しい。なぜなら、生物学的な変異が連続的で区別できなからだ。そのため、種と種の境界線を引くのは、科学的に妥当とみなされる判断と議論に基づいて行うことしかできない」と述べています。
 第5章「初期猿人:かもしれない人類」では、「分けたがり屋(スプリッター)の研究者と纏めたがり屋(ランパー)の研究者は、人類進化の初期段階に関してまったく異なるイメージを持っている」として、纏めたがり屋が、「ゴリラやオランウータンよりはヒトやチンパンジーに近い800~500万年前の高等霊長類は一つの分類群しかなく、それが属するのは3つの選択肢しかないと考えている」のに対し、分けたがり屋は、「ヒトの最初期の祖先やチンパンジーの原始的な祖先はいくつかの近縁な分類群のなかの2つにすぎないと考え、800~500万年前の化石が別の分類群に属する可能性を考える」として、「ヒトとチンパンジーの共通祖先、ヒトの原始的な祖先、あるいはチンパンジーの原始的な祖先」の3つの他に、「ヒトとチンパンジーを含む単系統群の姉妹群として絶滅したヒト亜族やチンパンジー亜属を想定している」と述べています。
 第7章「原人と旧人:古代の人類」では、「ネアンデルタール人と現代人の関係については2つの対立する見方がある」として、
(1)ネアンデルタール人は現代人とは形態的な違いが大きいのでホモ・サピエンスには含められないというものであり、あまりに特殊化しているので現代人の遺伝子プールに大きな貢献はしなかったというもの。
(2)ネアンデルタール人と現代人の形態的に違いは小さいので、彼らをホモ・サピエンスに含めようというもの。
の2点を挙げています。
 第8章「新人:われわれ自身の人類」では、「1980年代に、一部の研究者は、3つの証拠を組み合わせることにより、アフリカの重要性に気がついた」として、
(1)レバント(レバノン、イスラエル、シリアなどの地中海東岸地域)から出土した人類化石の年代が見直されたこと。
(2)南アフリカとエチオピアで現代人的な化石が見つかったこと。
(3)古人類学ではなく、分子生物学的方法で現代人の変異を研究した結果。
の3点を挙げ、「この事実は、以下の可能性のどちらか、あるいは両方を示している」として、
(1)現代人つまりホモ・サピエンスは、世界のどこよりもアフリカに長く住んでいた。
(2)かつて、アフリカ人の人口は世界中のすべての人々の人口より多かった。
の2点を挙げています。
 本書は、人類の進化についてこれまでわかっていることを淡々と記述した一冊です。


■ 個人的な視点から

 「人類の進化」というと、類人猿がだんだん直立していって現在の人間に「進化」していく図をイメージする人が多いと思うのですが、想像以上に現在の人間に至るまでの経路は枝分かれしていて時には別れた道がまたくっついてるかも……とか色々考えると面白いです。


■ どんな人にオススメ?

・人類は一直線に進化してきたと思っている人。


2014年12月26日 (金)

ビートルズの謎

■ 書籍情報

ビートルズの謎   【ビートルズの謎】(#2348)

  中山 康樹
  価格: ¥842 (税込)
  講談社(2008/11/19)

 本書は、ビートルズについて著者が疑問に思っていた「伝説や定説とされる数々のエピソードにおける明らかな“ほころび“や矛盾、新たな謎、素朴な疑問等々に対して、可能なかぎり物的証拠を挙げ、検証を試みた」ものです。
 第1章「レイモンド・ジョーンズは実在したか」では、1961年10月28日、土曜、午後3時頃に、当時ブライアン・エプスタインが経営していたレコード店『ネムズ』にレイモンド・ジョーンズという若者が訪れ、「ビートルズの《マイ・ボニー》というレコード、ありますか?」と聞いたことが、のちにマネージャーとなるエプスタインとビートルズの出会いだったという伝説について、ビートルズの物語の「最大の功労者にして重要なキー・パーソン」であるレイモンド・ジョーンズが「架空の人物」とされている理由として、「レイモンド・ジョーンズなる人物の写真や素性が一切公表されていないこと」を挙げ、さらに、『ネムズ』で働いていたアリステア・テイラーが「私がレイモンド・ジョーンズだった」と語っていることを紹介した上で、2004年にアリステア・テイラーが他界したタイミングで、本物のレイモンド・ジョーンズの素性や写真が明らかにされたと述べ、「エプスタインと出会い、ビートルズを裏方として支え、しかし最終的に切り捨てられたテイラーは、ビートルズの“ここだけの話”を切り売りすることによってしか生きていくことができなかった」ため、「『レイモンド・ジョーンズを演じることを必要としている人間』にその権利を与えたのではないか」と推察しています。
 第3章「『ラバー・ソウル』vs.『ペット・サウンズ』伝説の死角を検証する」では、ブライアン・ウィルソンが『ラバー・ソウル』を聞いて衝撃を受け、「ロック史上最高傑作」を目指して『ペット・サウンズ』を作り上げ、それを聞いて影響を受けたポールが『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を作ったとするビートルズとビーチ・ボーイズの「ライヴァル物語」について、「ブライアンが聴いたのは、現在CDとして当たり前のように出回っている『ラバー・ソウル』ではなく、収録曲も曲数も異なるアメリカ版『ラバー・ソウル』だった」として、伝説の死角は、「それが期せずしてフォーク・ロックのアルバムとして再構成されていたこと、さらにはブライアンが『フォーク・ソング集のようなもの』として受け入れていたこと等々、本来であれば一体となるべきものに“欠け”があったことによって生まれた」と述べています。
 第5章「『リヴォルヴァー』はどうして“回転式連発銃”なのか」では、「“回転式連発銃“というタイトルに隠された秘密」の核心として、
(1)ポールはなぜ最初に“アブラカダブラ”というタイトルを提案し、ジョンをはじめ他のメンバーも同意したのか。
(2)ポールはそれが使用できないとわかった時、なぜ“マジック・サークル”という代案をひねり出したのか。
の2点を挙げ、ビートルズは、「新しいアルバムの随所で見られるサウンドの加工やテープによる様々な編集と再創造こそ、自分たちがライヴ・バンドかられコーディン部・グループへと生まれ変わりつつあることを示す象徴として位置づけ、その思いをタイトルに込めようとした」として、「《トゥモロウ・ネヴァー・ノウズ》→テープ・ループ→回転→呪文(アブラカダブラ)→リヴォルヴ→リヴォルヴァー(回転式連発銃)という発想の流れ」からタイトルが決定したと推察しています。
 本書は、随所にビートルズ愛がこもった一冊です。


■ 個人的な視点から

 解散から何十年経っても、「新証拠」「新証言」は幾らでも見つかり幾らでも作り出されるので、これからもビートルズファンの皆さんは末永く謎解きを楽しめるのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・謎だからこそ楽しめる人。


2014年12月25日 (木)

学校は誰のものか──学習者主権をめざして

■ 書籍情報

学校は誰のものか──学習者主権をめざして   【学校は誰のものか──学習者主権をめざして】(#2347)

  戸田 忠雄
  価格: ¥ (税込)
  講談社(2007/9/19)

 本書は、「教育の主導権は自分たちにある」、「教師のために学校はある」と思っている教師の「天動説」に対し、学習者を出発点とした、「地動説」の立場から教育会を論じたものです。著者は、「長年、教会(学校)の司祭(教師)を務めており、司祭どころか主教(校長)も経験し天動説のまっただ中にいて教会の内部構造も司祭のメンタリティも知悉している」としています。
 第1章「学校というムラ社会」では、「教師にとって教室は、愛の共同体(家庭)でもなければ法治国家(社会)でもなく、あえて言えば教師が支配する擬似ムラ的な空間である。教師はムラ長、子どもはムラ人であり、両者は一体となって『よい学級づくり』『学級の和』を重視する」とした上で、学校版ムラ社会の「三種の神器」として、
(1)先生の言いつけ
(2)学校の決まり
(3)みんなと同じ
の3点を挙げ、「学校ムラでは先生は絶対であるべきで、子どもや親も無条件で尊敬し服従しないと教育はできない」と述べています。
 そして、「PTAや学校評議員会などに実効性がないのは、校長との『なかよしクラブ』になり慣れ合ってしまうから」、PTAに「学校の方針・管理・運営や人事に干渉しない」という「規定があっても矛盾を感じないことによる」と述べています。
 第2章「教師聖職観の呪縛」では、「これまでに教育について書かれたものは、教職経験者によるものが圧倒的に多い」ことから、「どうしても『教える側』からの発言が多く、それらはたいてい『教える側』の立場や利害を無意識に代弁している。教育書の多くは公正中立を装っていても、この種のバイアスがかかっていると思ったほうがよい」としています。
 第3章「校長のガバナンス」では、「なにごとによらず事なかれ主義で、裏で無原則に組合分会と取引したり、より名門の学校への異動を画策したり、定年まぢかな校長は退職日が来るのを指折り数え顰蹙を買ったり……。ようするに教委と組合の間で右顧左眄する」としています。
 また、研修制度について、教員組合が、「教員組合主催の『教研集会』は、教師の自主的・民主的な研修であるから、これへの参加も『研修』として認めるべきだ」と要求し圧力をかけてきたとした上で、教研集会への参加を、「公務出張ではないが、授業日でも年次有給休暇なら認める」という線で落ち着いたが、「年次有給休暇届けを出していくが、問題なく帰ってきたらこの年休届けを破って出勤扱いとする」という「破り年休」という悪名高い労使慣行が、「組合研修だけではなく、デモや座り込みやビラ撒きなど組合活動への動員などにも、広く『活用』されるようになった」と指摘しています。
 第4章「教育委員会の闇」では、「基本的には、文科省→都道府県教委→(市町村教委)→学校と上意下達のシステムであり階層秩序になっている。この上意下達のシステムの中で、校長たちは萎縮する」とした上で、「教員人事権を都道府県教委に握られている市町村教委ができるのは、教員の管理と施設設備の営繕ぐらいで、元志木市長の穂坂邦夫氏によれば、両者の関係は『都道府県教委は教員を市町村に派遣する人材派遣会社。市町村教委は校舎などの営繕をする施設管理会社』みたいなものだという」と述べています。
 そして、「戦後史の1ページを飾るほど、日教組など教員組合が最も強力に反対闘争を行い、けっきょく骨抜きに成功したのが、勤評反対闘争(勤務評定反対闘争)と学テ反対闘争(学力テスト反対闘争)」だったとして、「全国的な統一問題で悉皆テストをやれば、児童生徒の成績が一目瞭然になるが、それだけではない。実は教師側の教育成果も、学校別・教師別に確実に一目瞭然となる。教員の勤務評定と全国学力テストはメダルの表裏一体の関係になっている。だから、教師側は絶対反対なのである」と述べています。
 また、「所得格差による学力格差が生じないように、公立学校の質を高め学力レベルを向上させるような取り組みに反対するものは、結果として公私の格差を是認するものであり、それは教育の格差是正に水を差す格差是認論者だ」と述べています。
 第5章「これが究極の処方箋だ!」では、「学習者側の匿名性を完全に保障したうえで、学習者が『この先生の授業はどうか』とか『教育指導や生活指導はどうか』と5段階で評価する」教員評価制度を提案するとともに、「学校利用券(教育バウチャー)制」について、「学習者に学校利用権という補助をつけることは、学習者を教育主権者として扱う思想の表れである」として、利用券配布のメリットとして、
(1)学習者が行きたい学校を選ぶことができる。
(2)学校側が大いに慌てる。
(3)子ども自身に帰責できないさまざまなハンディに利用権を手厚く配布することも可能。
(4)不登校生向けの私立のサポート校や単位制などの高い受験料の負担を軽減できる。
などの点を挙げています。
 本書は、学校が学習者ではなく教師のものであることを指摘した一冊です。


■ 個人的な視点から

 戦後の長い間、当たり前に必要なことを当たり前にやってこなかった結果、現在のいびつな形に着地してしまっているという指摘はかなり正しいのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・学校は児童・生徒のためのものだと思っていた人。


2014年12月24日 (水)

やくざ・右翼取材事始め

■ 書籍情報

やくざ・右翼取材事始め   【やくざ・右翼取材事始め】(#2346)

  猪野 健治
  価格: ¥1,944 (税込)
  平凡社(2014/1/24)

 本書は、ヤクザや右翼などを取材対象とするフリージャーナリストが、取材生活を振り返ったものです。
 第1章「駆け出しのころ」では、滋賀県の日刊ローカル紙「湖東報知」で記者生活を振り出したとして、「月給は7千円に満たない薄給だった」が、記者はサツ回りの警察官OBがいるだけだったので、「私の書いた原稿はボツになるということはなくすべて掲載された」と述べ、「このローカル紙にいたことが、私の各力を鍛えてくれた」としています。
 そして、転職した「滋賀報知新聞」の編集長のツテで上京し、商業雑誌の編集経験皆無のまま、月刊誌の創刊を担当することになり、古本屋で集めた古雑誌を片っ端から乱読し、「よく書けている」と思った記事を分野別に分類したと述べています。
 第2章「右翼取材事始め」では、出版社の社長の出身地の人脈で「室町将軍」と呼ばれた右翼の大物・三浦義一を取材することができたと述べています。
 そして、三浦が、GHQに尋問を受けた時にも、「ひるむことなく率直に言うべきことは何でも話す」ことで、「喧嘩して誤解を説いて親密になる」方法で、GHQのほとんどの部局に人脈を築き上げたとしています。
 また、三浦義一や児玉誉士夫が「解決したとされる政争や経済事件のかなりの部分で実際に動いた」と推測する西山廣喜について、「この西山廣喜氏から私はやくざ、右翼から政財界の深部まで教わった」と述べています。
 さらに、「ドン」とか「黒幕」と呼ばれる人物の共通点として、
(1)政治状況または経済情勢が極度に緊張し、重大な局面を迎えた時、決まって登場すること。
(2)知名度は非常に高いにもかかわらず、マスコミのアンテナに触れる機会は、極めてまれであること。
(3)行動範囲が広く複雑で、一つの問題に対して予想に反した反応を示すこと。
(4)人生の最も多感な時期(少年期あるいは思春期)に、辛酸をなめていること。
(5)陰の部分に身を置きながらも、常に権力の中枢を動かす隠然たる影響力を持っていること。
の5点を挙げ、「笹川良一はまぎれもなくこの5点を備えた一人」であるが、「ほかの『黒幕』とまったく異なるのは、どんな難局に出会っても身を隠したりせず、堂々と立ち向かっていくことだ」と述べ、「笹川良一の政治的な位置は、いわゆる右翼とは流れを異にする、大衆的反響運動のスポンサー兼オルガナイザーというところであろう」として、自身が「しいて言うなら“大衆右翼”とでも言ってもらおうか」と笑い飛ばしたとしています。
 そして、「笹川は株式、商品相場では玄人である」として、「もう今は過去形となったが、株の世界で『S筋』とか『S銘柄』『笹川グループ』の名を知らない者はいない」と述べています。
 第3章「やくざ取材事始め」では、「やくざに直接会って取材しようなどと考える物好きな書き手は、そのころはまったくいなかった」とした上で、「やくざ取材の過程で私は、現在ある組織の実態や事件への関与といった目先の関心以上に、その組織のよってきたる成り立ちや親分が親分として認められるに至る来歴に、より興味を惹かれた戦後の盛り場の顔役たちの横顔やその力関係の変遷から、戦前から戦後に至る社会構造の真相に迫る糸口がつかめるとの期待があった」と述べています。
 そして、「やくざの社会的成り立ちへの関心からスタートしたやくざ取材を通して私は、体制とやくざの関係、一言で言えば体制がやくざを利用してきた歴史の裏面について多くのことを学んだ。それは、時の権力や時代状況によって規定される社会的存在としてのやくざを通して、日本社会の構造について考えることでもあった」と述べています。
 また、山口三代目・田岡一雄について、「田岡は、山口組の中から経済的才覚のある者を選んで組織から分離し、正業の港湾事業に当たらせた。その反対に、会社組織の中で頭角を現した若手を組織に呼び寄せるなど人材を自由に操っていた」とした上で、「軍事部門の隠然たる押さえを生かしつつ、港湾事業や興業で田岡はむしろ組系企業の事業を自ら拡大し、要所に幹部を据えて、組織を拡大する。いわばトップセールスであり、博打の上がりや子分の上納金に依存する型の親分とはまるで違う」と述べています。
 著者は、「私はかつて、やくざ組織を『被差別階層の選択肢として最後に残された叛逆の砦である』と書いた。この考えは今も変わっていない」とした上で、「やくざ組織は、本家とは直接縁のない末端組員が違法行為を犯すと、組のトップが使用者責任や共謀共同行為に問われかねないので『危ない組員』は、どんどん破門や絶縁、除籍処分にしている」ため、「やくざ社会を追放された彼らは、まともな仕事にはつけず、やくざ時代以上に『やばい仕事』に手を伸ばす」として、「やくざを『壊滅』させた後はどういう状況になるのか。警察はそこまで深く考えているのか。私には大いに疑問だ」と述べています。
 本書は、右翼とやくざの世界の見え方が変わってくる一冊です。


■ 個人的な視点から

 右翼とやくざは、事実上両方のカテゴリーに属する人が多いことは事実だとは思いますが、本来の意味合い的には違うものであるということです。最近は「右翼」というと「街宣車」というイメージがあって、どうしてもそちらのビジネスの印象が強い人が多いと思います。


■ どんな人にオススメ?

・やくざと右翼の違いを知りたい人。


2014年12月23日 (火)

チューリングと超パズル: 解ける問題と解けない問題

■ 書籍情報

チューリングと超パズル: 解ける問題と解けない問題   【チューリングと超パズル: 解ける問題と解けない問題】(#2345)

  田中 一之
  価格: ¥2,700 (税込)
  東京大学出版会(2013/11/30)

 本書は、「半分は解けないパズルを扱い、さらには解けるか解けないかわからないパズルまで登場」するもので、「すでに知られた解の道筋をうまくなぞる技術を学ぶことではなく、問題が解けるか否かの判断を正しく行うための論理的な眼力を養うこと」を目的としたものです。
 第1章「『頭の体操』から超パズルへ」では、「電子計算機の雛形となったチューリング機械の考案と、第二次世界大戦中に暗号解読チームのリーダーとしてドイツUボートのエニグマ暗号を解読した功績」で知られるチューリングが、死の数カ月前に「解ける問題と解けない問題」という作品を発表していることについて、「どんなパズルも『置換パズル』で表せるという提唱から、『解けるか解けないか判定不能なパズルがある』という結論を導いた」と述べています。
 そして、「1つの問題にも、『ひらめき的発想』『パズル的推論』『数学的証明』のようなレベルの違う考え方がある」として、「数学的解答は、ただ厳密性を求めるだけでなく、時として常識から外れる独自のセンスを要求することがある」と述べています。
 第3章「一筆書きとグラフ・パズル」では、「グラフのすべての辺をちょうど1回ずつ通る(一筆書きができる)道順」を「オイラー路」といい、「とくに始点と終点が一致するもの」を「オイラー閉路」と呼ぶと述べています。
 そして、「オイラー閉路と一見類似していて、はるかに解きにくい」ものとして、「各点をちょうど1回だけ通って、すべての頂点を回る閉路」である「ハミルトン閉路」の有無の判定方法について解説した上で、「解を絞り込む方法は見つからなくても(見つかってもよい)、解の候補が与えられた時にはそれが正しいかどうかを簡単に(多項式的時間で)確かめられる問題」を「クラスNP」に属すると述べ、「NP問題のなかで最も難しい問題が『NP完全』と呼ばれるもので、ハミルトン閉路の問題はその1つになる」としています。
 第5章「結び目、知恵の輪、迷路」では、「『結び目(ノット)』の数学的な定義は、3次元空間内の単純閉曲線、つまり絡んだ1本のひもの両端を結んで作られるようなものだ」として、結びを解く操作については、数学的には、「ライデマイスター移動」を「くり返して得られるものを同じ結び目と考え、この操作で自明な結び目に変形できれば、結び目は解けるという」と述べています。
 第6章「算木からチューリング機械へ」では、算木計算の特徴として、
(1)計算スペースがあまり大きくならないこと。
(2)各マスの操作がそれに隣接するマスの数字だけに依存して決まること。
の2点を挙げ、「算盤上での算木操作は、チューリング機械の動作そのものである」としています。
 第7章「置換パズルと不完全性定理」では、「任意の置換パズルが解けるか否かを判定するための機械的手続き(明確なルール)が存在しない」として、「もしそのような手続きがあれば、『チューリングの提唱』によってそれ自身も1つの置換パズルで表される」が、「結論としては、このようなパズルは存在しないことが証明される」と述べています。
 本書は、パズルを数学的な見地から読み解く方法を論じた一冊です。


■ 個人的な視点から

 パズルを解くのが好きな人というのは多数いますが、パズルを一段階メタなレベルから分析するという作業も面白そうです。


■ どんな人にオススメ?

・パズルは解けるはずだと思っている人。


2014年12月22日 (月)

女性の曲線美はなぜ生まれたか―進化論で読む女性の体

■ 書籍情報

女性の曲線美はなぜ生まれたか―進化論で読む女性の体   【女性の曲線美はなぜ生まれたか―進化論で読む女性の体】(#2344)

  D.P. バラシュ, J.E. リプトン
  価格: ¥3,024 (税込)
  白揚社(2013/6/15)

 本書は、「なぜ女性は現在の姿になったのか」、すなわち、「なぜ女性に月経があるのか、なぜ授乳中でなくても乳房があるのか、なぜ女性は排卵を隠し、オーガズムがあり、閉経があるのか」について、「なぜそうなのか」を解こうとするものです。
 第1章「科学における謎と『なぜなに物語』」では、本書において、「『思慮深く想像力豊かに説明を探し求める』という大切なことが、『非科学的な』作り話にまみれていると思われている状態から、救い出したい」と述べています。
 そして、「研究が直接的な因果関係による『至近メカニズム』に集中してしまう」ことについて、「もう一つの、やや遠回りだけれども同様に有効な方法」である、「遠因あるいは究極要因による『究極メカニズム』を探る方法」に注目するとして、「進化生物学者が『適応的な意味』と呼ぶもの」にも「『どうやって(how)』ではなく『なぜ(why)』を問う」と述べています。
 第2章「なぜ月経があるのだろう」では、「月経は人間独自のものとまでは言えないが、ほぼそれに近い」とした上で、1990年代はじめにマージー・プロフェットによって出された、「性交中に入りこむ病原菌を殺すために自然に備わった一種の消毒法で、そのおかげで女性は毎月『まっさらな状態で始められる』」とする「洗浄」仮説について、「『洗浄』仮説にのっとって考えれば、人類は他の種より、性交によって運ばれる病原体が多いか、感染しやすいということになりそうだ」と述べています。
 第3章「隠された排卵」では、「男女の利害は完全には一致しない。そのために興味深い可能性が生じる。排卵を隠すように進化してきた女性と、隠蔽を見抜いて実際に排卵する時期を見定めるよう強力な淘汰圧がかかっている男性との間で、共進化上の『軍拡競争』が生じるという可能性だ」と述べた上で、ハーディによる説明として、「自分の子供が子殺しに遭わない保険をかけようと、余分に別の雄達と性交しておく」ことで、「もし統治者が交代しても(実際によくあることだ)、新しいハーレムの主は昔の恋人の子どもを、情からではなく遺伝的自己中心主義から見逃してくれるかもしれない」と述べています。
 また、「望ましい遺伝子(と同時に、おそらく他の資源も)を密通相手の男性から手に入れながら、社会的パートナーと認められている男性から親としての援助も手に入れたのかもしれない」として、「それに成功しているなら、自分の生殖に対する支配権を手中に収めたことになるだろう」としています。
 第4章「女性にはなぜ乳房や曲線があるのか?」では、「ヒトの乳房は生物学上、正真正銘の謎」だとして、「乳を出さない大きな乳房が生物学的に実在している事自体が謎である。ヒト以外で授乳中でない雌に発達した乳房がある動物など聞いたことがない」と述べています。
 そして、「男性は全身に体脂肪が付いていることを示す寸胴の腰よりも、砂時計型に腰のくびれた女性の姿に興奮するのが常である」として、「男性は0.70というウェスト対ヒップの比率(WHR)を好み、それがバングラディシュでもブラジルでもブルックリンでも同じ、『文化を超えて世界的』な好みだった」と述べ、「妊娠していないときでも、おおむねエストロゲン濃度が高いと(正確には、テストステロンに対するエストロゲンの濃度比が高いと)臀部と胸が豊かになり、太鼓腹は妨げられる。したがって、WHRの値の低さは妊娠する可能性の高いホルモンバランス(アンドロゲンに対しエストロゲンの濃度比が高い)、つまり潜在的な生殖能力の高さを正直に示している」としています。
 さらに、「乳房はおそらく女性の『残存生殖価(RRV)』を正確に男性に知らせる信号である」とする「ゴルディロックス仮説」について、「未発達な乳房は明らかに性的に未熟なことを示しているし、垂れ下がった乳房は年齢を示している。もしそうなら、男性は比較的膨らんだ乳房、つまり性的成熟度に関してかなり正直な情報を与える乳房を好むだろう」と述べています。
 第5章「謎めいたオーガズム」では、「オーガズムのある女性がより多くの、あるいはよりよい赤ん坊を産むという証拠が何もない」にもかかわらず「なぜオーガズムは存在する」のかという問題について、「子殺しに対抗する保険という戦略」に関連して、「女性のオーガズムと、それを得るためには刺激し続けなければならないことが直接の引き金になって、複数の雄とのセックスが促され、結果的に最終的な見返りがもたらされるようになったのかもしれない」と述べ、「女性のオーガズムが捉えどころがないのは、それが痕跡的な副産物で気まぐれであてにならないからでは」なく、「もともと少なからず得難いものに設計されていて、簡単に起きないからこそ、起きた時に意味があるのだ。そしてその点が、紛れも無く適応的なのだろう」としています。
 第6章「閉経の不思議」では、「ヒトの女性は繁殖しなくなったあとも長生きする点で異例で、おそらく唯一の存在だろう」とした上で、「単なる偶然かもしれないが、女性が閉経を迎えるちょうどその時期に、末っ子自身が親になり始める」として、「この仮説によれば、女性が現在の時期に繁殖をやめるのは、そうすることで心置きなく愛情深いおばあさんになれるからで、高齢になるほど出産のマイナス面が増えるとすると、もう一度母親になろうとするより祖母の役を果たすほうが見返りが大きいのだ」と述べています。
 本書は、女性に関する謎を進化論の観点から読み解こうとする一冊です。


■ 個人的な視点から

 人間が他の動物にはない「特別」な特徴を持っているように見えても、生物である以上、同じメカニズムで進化してきたことには違いないということがよくわかります。


■ どんな人にオススメ?

・人間は他の動物とは違うと思う人。


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