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2015年6月

2015年6月30日 (火)

恐怖の法則: 予防原則を超えて

■ 書籍情報

恐怖の法則: 予防原則を超えて   【恐怖の法則: 予防原則を超えて】(#2445)

  キャス サンスティーン (著), 角松 生史, 内野 美穂 (翻訳), & 1 その他
  価格: ¥3,564 (税込)
  勁草書房(2015/2/7)

 本書は、「恐怖、民主制、合理性、そして法について」述べたものです。著者は、「人々は時に恐るべきでない問に恐れ、恐るべきときに恐れを知らない。民主制国家においては、法は人々の恐怖に応答する。その結果、法は不適切なあるいは危険ですらある方向へ導かれてしまう」と述べています。
 そして、「民主主義政府は、いかにして人々の恐怖に応答すべきだろうか。恐怖と、法や政策とはどのような関係にあるのか」という問題について、
(1)よく機能する政府は熟議民主主義を目指さなければならない。
(2)よく機能する民主制は、しばしば完全には理論化されていない合意の達成を求める。よく機能している社会とは、合意が必要なときには人々の合意を可能にし、合意が不可能なときには人々の合意が必要でないようにする社会だ。
の2つの理念を心に留めておくことで、「最も適切にアプローチすることができるだろう」と述べています。
 また、「恐怖」を、「なんらかの意味で私たちが危険な状況にあるという判断に依存するもの」だとした上で、「予防原則」の根源には、「潜在的な危害が認められる場合、たとえ因果関係が明確でなくとも、現実となるかどうかわからなくても、規制主体は防御するための対策をとるべきである」という考え方があると述べ、予防原則が注目され続けるに値する理由として、
(1)予防原則は危険・恐怖・安全に関する激しく実際的な議論の基盤となる。
(2)予防原則は、リスクと不確実性の下での個人や社会の意思決定に関して理論上魅力的な多くの論点を提起する。
の2点を挙げています。
 第1章「予防とその機能不全」では、世界中で、「疑わしき場合は予防原則に従え」という、「リスク規制に対する単純な発想に対する関心が広がっている」とした上で、予防原則は、「様々な理解の連続体」であり、「解釈の一方の極端は、分別のある人間であれば誰も反対しないであろう弱いバージョン」であり、「もう一方の極端は、規制政策の根本的な再考を求める強いバージョンである」と述べています。
 そして、「人間の行動の有力な説明であるところのプロスペクト理論は、発生確率の低い重大な危害を避けようとする人々の気持ちを強調する」として、「人々の意見を反映する民主主義社会では、深刻な危害をもたらしうる低確率のリスクについて回避的な姿勢を採用するだろう」と述べ、「その結果は、予防原則によって示されるものと同じ方向になるだろう」としつつも、「プロスペクト理論によってもリスク回避によっても、強い形態の予防原則に対する擁護論とはなりえない」と指摘しています。
 また、「現時点でのわたしの主張は、予防原則とは荒っぽいものであり、望ましい目標を達成するための手段としては歪んだものだということ、そして、予防原則の意義を突き詰めてみれば機能不全に陥り、全く役に立たないというものである」と述べています。
 第2章「予防原則の背景」では、「予防原則の適用の前提となるような特定の種類の目隠しをどう説明するのか」という問いに対して、「行動経済学と認知心理学の理解によっていられるだろう」と述べ、
(1)想起可能性ヒューリスティックによって、何らかのリスクが、実際にそうであるよりもはるかに実現しやすいかのように考えてしまう。
(2)確率無視によって、実際にはほとんど起こりえないものであっても、起こりうる最悪のケースに目を向けてしまう。
(3)損失回避性によって、現状と比較して損失が出ることに対して回避的になる。人々は、新たにもたらされるリスクや現存するリスクの増加によるいかなる損失にもきわめて敏感だが、規制の結果として捨てられた便益にはほとんど関心がない。
(4)慈しみ深き自然への信頼によって、人為的な決定や過程に対して特に疑念を抱いてしまう。
(5)システムの無視によって、リスクはシステムに内包されたものであるという見方や、システムに介入することがそれ自体リスクを発生させてしまうといった見方ができなくなる。
の5点を挙げています。
 そして、「予防原則が役立つように思われるのは、分析者が『ターゲット』となるリスクに焦点を当てる一方で、予防志向的であることがシステム全体にもたらすところのリスク関連的影響には焦点をあてない、あるいは、リスク削減そのもののリスク関連的帰結すら軽視するからであることがしばしばである」と述べ、「リスクが必然的にシステムの一部であることを一度認識すると、予防原則はほとんど役に立たなくなるのである」としています。
 また、「最悪のシナリオを特定してそれに対処することが最良の策であることもある」が、「このような応答によって予防原則を正当化しようとすることは、3つの問題を抱えている」として、
(1)予防原則はマキシミン原則ではないこと。
(2)このような形で予防原則を正当化すると、合理的な優先順位設定を妨げることになるかもしれない。
(3)今は不確実性の領域にある危険でも、リスクの領域に移動することがしばしばあるということ。
の3点を挙げています。
 第3章「最悪のシナリオ」では、「多くの分野で人々が確率の変化についてあまり考えないこと、感情が意思決定に大きな影響をおよぼすことを疑う人はいない」とした上で、
(1)特に感情が激しく関わっているとき、確率の違いが行動に影響する程度は、本来そうあるべき程度よりもはるかに小さい。
(2)人々が政府の介入を要求するときも、それは確率無視に大きく影響されるため、規制主体は、結局広範な規制に乗り出すことになる。
の2点を挙げ、「政治に参加する者たちは、それぞれの立場から『最悪のケース』に注目し、確率無視を進んで悪用する」と指摘しています。
 そして、「危害のリスクの場合、災害の鮮明なイメージや具体的な映像が、さまざまな点についての思考を『押しのけて』姉妹売る。そしてその押しのけられる思考の中には、災害が発生する確率は本当は小さいという[本来]重要な点についての思考が含まれている」と述べています。
 また、「社会レベルでいえば、制度によって、確率無視への脆弱性を増大させたり減少させるような多くの相違がもたらされうる。熟議民主主義は、人びとの短期的な恐怖に対して一定の免疫を有しているような制度を作りだろうと試みるだろう」と述べています。
 第4章「野火のように広がる恐怖」では、「利用可能性と顕著性は、社会的なバンドワゴンやカスケードを通して広がっていくことがある。一見典型的であるかのような逸話や心をつかむ実例が、これらの過程の中で人から人へと急速に伝播していく」として、「ワシントンでのスナイパーの攻撃、ラブ・キャナル事件の恐怖、狂牛病論争、その他多くの社会的過程において、このような過程が大きな役割を果たし、恐怖を生み出し、そして時には新法をも生むことになった」と指摘しています。
 そして、社会的リスクの領域では、「顕著性がある出来事は、想起しやすいため、人々に影響を与えやすく、また繰り返し伝えられやすい。それによってますます多くの人々にとって想起しやすくなり、カスケード効果をもたらすことになる」という「想起可能性カスケード」が、「多くの社会的信念の原因となっている」と述べています。
 また、「同じような意見を持つ人々が互いに熟議しあうと、概して彼らは、議論を始めた時点よりもずっと極端な観点を受け容れてしまうことになる」という「集団極化」という過程について例を挙げています。
 第5章「予防原則の再構築と恐怖の管理」では、「予防原則がめざす目標は有益なのだから、それら目標を正しく理解すれば、予防原則の中心的な発想の再構築に道筋をつけることができる」として、
(1)カタストロフィ的リスク
(2)不可逆の損害
(3)カタストロフィの恐れはないが際立って懸念すべき理由があるリスク
の「3つの次元に沿って再構築がなされる」と述べています。
 そして、「確率を割り当てることができない壊滅的なリスクに市民が直面したとき、反カタストロフィ原則を適用することは、彼らにとって理にかなっている」とした上で、「生活の上でも法律の上でも、反カタストロフィ原則にはそれなりの役割がある」が、重要な留保として、
(1)反カタストロフィ原則はあらゆる社会的リスクに対して注意深くあらねばならない。
(2)反カタストロフィ原則の使用にあたっては、費用対効果の考え方に敏感でなければならない。
(3)分配の問題への考慮は重要だ。
(4)費用それ自体も重要である。
の4点を挙げています。
 また、「不可逆性を強調することには深刻な問題がある」として、「その基本的な発想自体が多義的」であることを指摘しています。
 さらに、「リスクの確率、リスクの規模、そして規制手法の一覧を理解することは、良い選択肢を特定することに多いに役立つ」として、「そのような選択肢の全てについて、既存のエビデンスと、当該リスクが現実化した際の規模に相応するような安全マージンが選ばれるだろう」と述べつつも、「選択された手段がもたらすリスクや費用についても知らなければならない」として、「現実に問題になるのは、安全マージンを設定するかどうかではなく、安全マージンをどの程度にするか、どのリスクに対してマージンを適用するかである」と述べています。
 著者は、「特定のリスクに対する予防原則の適用が、4つの重要な要素から説明できる」として、
(1)規制的対応のきっかけとなるような不確実性の程度
(2)そのような対応を正等化するような、予想される損害規模
(3)予防原則の適用の際に選ばれる手段(情報公開の要求、技術的な要求、全面禁止といった手段)
(4)疑わしい場合における安全マージンの適用
の4点を挙げています。
 第7章「民主主義、権利、分配」では、「費用便益分析の最も重要な点は、何が実際に問題となっているかについてより具体的な感覚をもたらすことで、過剰な恐怖や不十分な恐怖に対する対応となることである」と述べています。
 第8章「リバタリアン・パターナリズム」では、「貯蓄の問題が示すように、法律上のルールであれ組織のルールであれ、その設計上の特徴が、人びとの選択に対しておどろくほど強い影響を与える」として、「それらのルールは、影響を受ける人々の厚生を改善するという明確な目標を持って選択されるべきだ、というのがリバタリアン・パターナリズムの主張だ」と述べています。
 第9章「恐怖と自由」では、「わたしの目標は、恐怖に怯える人々が、一種の予防原則を発動して市民的自由の不当な侵害をもたらすことになるメカニズムの一端を明らかにすることにあった」とした上で、「想起可能性ヒューリスティックや確率無視は、人々がリスクを実際のものよりもかなり大きいものとして取り扱うように仕向け、相当な損害をもたらす一方でほとんど利益をもたらさないようなリスク軽減方策を受け入れさせてしまう。政府の規制による負担に直面するのが多数派ではなく少数派である場合、不当な行動がなされるリスクはかなり増加する」と述べた上で、対応の可能性として、
(1)裁判所は、明白な法律上の授権なしに執行府が市民的自由を侵害することを認めてはならない。
(2)裁判所は、すべてあるいはほとんどの者に適用されるような自由の侵害に対しては、[政府の判断を]比較的尊重すべきであるが、容易に特定可能な少数派の自由を政府が制限するときは、より一層疑ってかかるべきである。
(3)裁判所は、自由と安全を個別事例において比較衡量することは避けるべきである。恐怖が過剰だというリスクがあることに適応しうるような、一種のセカンド・オーダーの衡量を反映した原則を裁判所は発展させるべきである。
の3点を挙げています。
 本書は、民主主義社会において、「政府が市民の恐怖に盲従したり、一般的な予防思想が有益な指針を提供しうるかのように偽ったり」するための方策を考えた一冊です。


■ 個人的な視点から

 どんなに頭では科学的に考えることが必要だとわかっていても、人は恐怖に直面するとそれに心を囚われてしまうのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・自分は恐怖に屈しないと思っている人。


2015年6月29日 (月)

震災復興と地域産業 6: 復興を支えるNPO、社会企業家

■ 書籍情報

震災復興と地域産業 6: 復興を支えるNPO、社会企業家   【震災復興と地域産業 6: 復興を支えるNPO、社会企業家】(#2444)

  関 満博 (編集)
  価格: ¥2,700 (税込)
  新評論(2015/2/24)

 本書は、「被災の各地で取り組まれているNPOや社会起業家による地域産業復興支援、さらに、新たな事業創出支援等の取組に注目」し、「被災各地の取り組み」から14のケースを取り上げたものです。
 序章「地域産業復興に向かうNPO、社会起業家」では、「人口減少高齢化が進む日本の地方圏、その問題の構造が被災地において鮮明化されており、その社会課題解決に向けたNPOや社会起業家の取組は、私たちの『未来』を指し示しているようにみえる」として、「継続的な住民支援に加え、事業支援、新規創業支援、新たなNPO、社会起業家の登場ときめの細かい活動、継続支援が求められている」と述べています。
 第2章「クラウドファンディングと信用金庫の挑戦」では、「被災地という非常事態下では、戦後日本の経済成長を支えてきた、金融機関貸出を中心とする金融システムでは企業の資金需要に応えきれない。そこで登場してきたのが既存の金融システムの枠を超えた金融であった」として、「クラウドファンディングのような全国から資金を募る金融機能とこの地域の信頼関係がつながることで、気仙沼に向かう資金の流れを大きくすることもできよう」と述べています。
 第3章「被災事業者に『軽トラ』を貸与、仮設住宅に移動販売」では、「被災地の40を超える商工会地域と商工会議所地域で102台の『軽トラ』が、全国商工会連合会の提供によって移動販売等に従事している。商店街が壊滅し、クルマを失い、高齢化している高台の仮設住宅に居住する人びとにとって、移動販売、宅配は生命線ともなっている」と述べ、「車両を失った事業者にとって、軽トラの提供を時宜を得たものであった。特に、地元のミニスーパーなどの食料品店は、仮設住宅への移動販売の重要性を痛感し、軽トラがそれを支えることになった」としています。
 第4章「岩手県釜石市/活動の拠点化と広がり」では、「震災発生直後の混乱した時期には、多くのボランティアの協力を必要としてきたが、今後の『応急』と『本設』とが入り混じり、長期的な対応が望まれる局面では、多様な知識や経験、技術を有するNPOや社会起業家が、息の長い取組として生活局面や地域づくりなどの支援に加わることが必要となってくる」とした上で、「三陸ひとつなぎ自然学校」(三つな)は、「外とのネットワークを結び、復旧支援活動の輪を広げ、同時に、地域の魅力を再発見する取組などを具体化」する「ハブ空港」の役割を担ってきたと述べています。
 第7章「三陸被災地・内陸・日本海の交流と復興支援」では、「大震災津波の到来が予想されていたためか、東日本の沿岸の都市と内陸の都市がすでに多様な形で災害時支援体制をとり、迅速に対応した」点について、「特に岩手県において明確に意識され展開されていった」として、遠野市における「後方支援拠点施設整備構想」を取り上げ、「岩手県では内陸と沿岸の諸都市が従来から多方面にわたって連携を重ねており、初期の救援、支援物資の提供、住宅の提供等に加え、被災した中小企業の復興支援にも取り組んでいる。むしろ、この震災を契機に内陸と沿岸の都市の交流が深まっているようにみえる」と述べています。
 第8章「岩手県大槌町/復旧・復興を通じて社会課題に向かう」では、「東日本大震災からの復旧・復興を通じて、自らが社会起業家となり、また周りの人々を社会起業家として育てる活動が東北地方を中心に全国に広がった。おらが大槌夢広場もこうした動きと連動しており、数多くの社会起業家を生み出し、彼(彼女)らは新たな舞台で活躍しつつある」と述べています。
 第9章「宮城県女川町/中間支援組織としてアントレプレナーシップを育む」では、中間支援組織「アスヘノキボウ」の小松洋介氏が、「支援先に足りないものは何かを冷静に分析し、パンフレットひとつ作るにも最適なデザイナーとつなぎ、セラミカ工房の魅力が最大限発信できるようにしている。このように、小松氏は大切なことは『正しい人を、正しいタイミングでつなぐこと』という信念のもとで、自身の持つ人的ネットワークを最大限に活かした支援を行っている」と述べています。
 そして、「女川町は行政と民間企業が同じ方向を向いており、風通しが非常に良いことから、支援する側にとっても双方から的確な情報が得られ、地域課題を顕在化しやすい状況にある」と述べています。
 第10章「福島県いわき市/都市部の支援活動との連携による事業展開」では、東日本大震災以降、社会起業家の誕生と前後して、「大企業の被災地支援活動や、専門的な知識を持った『プロボノ』(職業上のスキルを活かしたボランティア活動)」といわれる都市部の人びとの地域支援活動が活発化しているとした上で、「『ボランティア』という言葉では関心を寄せなかったビジネスパーソンが、『プロボノ』という新たな概念により、地域を自身の専門性を活かす場として関心を寄せつつあり、社会貢献活動の酸化層を拡大させている」と述べ、「プロボノ活動では、プロジェクトマネジメント、経営戦略、マーケティングなど大企業での勤務で培われやすい知識・スキルや、ウェブデザイン・制作など中小企業やNPO等が具体的に欲する特定の専門スキルを活かしたものが多い」としています。
 第11章「岩手県大船渡市、大槌町/復興における社会的企業の役割と課題」では、2つのケースの対象は、「働くことに何らかの困難を抱える女性で、寄付や義援金のような被災者に無償でお金を提供するという形ではなく、直接提供するのは労働の機会だけで、現金はあくまでもその対価として支払われる。しかしながら、こうすることによって『自分の力で生活を立て直した』という事実が、その人の自尊心を守ることとなり、誇りを抱いて仕事や生活に当たることができる」と述べています。
 第12章「宮城県石巻市(旧雄勝町)/地域資源の価値を大切に、教育を軸としたまちづくり」では、「被災する前から、多くの沿岸部の人口減少地域は、市場競争原理から見て『条件不利地域』とされてきた。自律的・持続的な事業モデルを構築するには、地域資源の価値の再創造、人材資源、運営ノウハウ、市場の創出、資金調達など、事業者として乗り越えなければならない課題も少なくない」とした上で、「未曾有の人口流出で危機的な局面に追い込まれた雄勝町において、新しいまちづくりの形として」、「Sweet Treat 311」の立花氏は「地域な以外の人びとを巻き込みつつ、まちの活性化へ寄与するモデルを模索し続けた」と述べています。
 終章「復興支援への取組から学ぶ」では、「経験を重ねる中で『初期的支援』から『継続的支援』へ、あるいは『もの』から『仕組み』への支援の重要性が深く認識されてきた。さらに、目にとまりにくい『最後の1マイル』を意識した取り組みも各方面でみられるようになってきた。こうした点が、今回の東日本大震災以後の取り組みの一つの大きな特徴であろう」とした上で、「被災地の復旧、復興に関わる社会課題にビジネスの仕組で解決に向かおうとする『社会起業家』というべき存在が大量に登場してきたことも、東日本大震災以降の新たな特徴であろう」と述べています。
 そして、「今回の被災後の取り組みで目立ったことの一つは、避難所、仮設住宅に閉じこもっている人々に『仕事』を提供すること、被災した事業者に事業意欲を喚起してもらい、新たな事業体への転換を促そうという取り組みが広範に見られた」と述べています。
 著者は、「成熟した日本では、周囲に社会課題を痛感させる環境は乏しく、社会意識を抱く若者がなかなか育っていかない。だが、被災からの復旧、復興の『現場』は鮮烈であり、感受性の豊かな若者に大きな影響を与え、社会課題の解決に向かおうとする若者を育ててくれているのである」と述べています。
 本書は、震災をきっかけに変容を始めている社会変化の兆しを見せてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 最善の状態ではないにしても現状で何とか回っている社会に新しい仕組みを導入することは抵抗も大きいですが、一度チャラになってしまったシステムには新しい発想でゼロからやり直しがしやすいのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・今こそ社会の仕組みを変える時だと思う人。


2015年6月28日 (日)

国勢調査 日本社会の百年

■ 書籍情報

国勢調査 日本社会の百年   【国勢調査 日本社会の百年】(#2443)

  佐藤 正広
  価格: ¥2,268 (税込)
  岩波書店(2015/4/18)

 本書は、「国勢調査とはいったい何か、どのように行われてきたか、そして将来どのようになっていくかについて、基本的な事柄が、これ一冊を通読すれば分かる本」です。
 第1章「国勢調査とは何か」では、「一見すると、国勢調査の調査結果など、私たちの生活にはあまり関係ないように思われるが、実はいろいろな局面で利用され、私たちの社会生活を支える、一種のインフラの役割を果たしている」と述べています。
 第2章「国勢調査はどのように始まったか」では、明治時代の戸籍制度による住民把握は、「特に都市において、年を追って不正確になっていく傾向」があり、「通常の行政事務に重大な支障をきたすほどのことではなかった」が、「統計学者たちにとっては、これは重大な問題であった」とした上で、統計学者たちが国家指導者を説得した論拠として、
(1)文明国のあかし
(2)人口センサスではなく「国勢」調査
の2点を挙げ、「当時の統計学者たちは、新たに人口センサスを実施するにあたって、戸籍を少し詳しくする程度の印象では国家指導者を説得できないことを承知しており、経済に関わる広範囲な調査項目を含む『国勢』調査としてこれを提案した」と述べています。
 そして、「全国25万人弱の国勢調査員が統計学の基礎に関する講義を受けたことは、国勢調査が滞りなく遂行されるためばかりでなく、その後の各種の統計調査の質を高める上でも、大きな意味を持ったはず」だと述べた上で、国勢調査員の選任に関して、
(1)調査員になることが名誉とされたため、相対的に高齢の者が選任され、実務の遂行上問題があった。
(2)調査員の選任が政治的に利用された。
(3)調査員の社会階層に関して、市内上流階層の、いわゆる名士は国勢調査を軽視する傾向があって国勢調査員としての成績は悪く、かえってそれ以下の、事務作業などになじみの薄い階層の者の方が国勢調査員としては忠実かつ熱心だった。
の3点を挙げています。
 第3章「戦時下の国勢調査」では、1940年国勢調査について、「戦局の悪化に伴い集計作業をすることが困難になり、1945年の敗戦にいたるまで集計結果表が刊行されること」はなく、1961年以降、「旧植民地及び沖縄県以外の部分に関する集計結果が順次刊行された」と述べています。
 第4章「社会環境の変化と戦後の国勢調査」では、1947年臨時国勢調査について、「第二次大戦敗戦に伴い、戦時中に各植民地や海外に所在していた民間人や軍人、軍属など」約500万人が、「一斉日本国に引き上げてきた」のみならず、「敗戦とともに、53万人ほどの旧植民地籍の住民が日本国籍を離れて外国人となったが、その人びとも現に日本で生活しているのであり、彼らの数や属性を把握しなくては、さまざまな政策立案もできない状態であった」ため、「緊急な必要に迫られて、この調査は実施され」、「前後の国勢調査と比較したとき、やや異なる特徴を持っている」として、
(1)調査事項に「終戦後海外よりの引揚者か否かの別」「失業」が加わっている。
(2)集計の迅速を期するために、地方分査と中央集査を組み合わせる形で行われた。
の2点を挙げています。
 また、1950年の調査について、「戦後日本の混乱した社会状況を把握する」ため、調査事項が異なっているとして、
(1)「結婚したことのある女子について」として「初婚か否かの別」「結婚年数の合計」「子供の数」が追加された。
(2)「引揚者か否かの別」が調査されている。
(3)「付帯調査」として、「未引揚者調査」ならびに原爆被爆地である広島及び長崎に関して「ABCC調査」が行われた。
の3点を挙げています。
 第5章「これからの国勢調査の姿」では、「客観的条件についても、また非調査者における調査非協力意識の高まりについても、1978年から1994年にかけて、国勢調査実施にとっては困難の度合いを増す方向で推移している」と述べた上で、「こうした状況を解決する上で、おそらく唯一の方策は、各種の行政記録を統計編成に利用すること」だとして、日本における国勢調査の今後を考える際に、「マイナンバー制度を抜きにはできない」と述べています。
 本書は、日本の社会が国勢調査をどのように受け止めてきたかを追った一冊です。


■ 個人的な視点から

 5年に一度の国勢調査のことを「こくぜいちょうさ」と読んでしまう人がいますが、「国税調査」かと思ってドキドキしてしまう人がいるとかわいそうなので気をつけてあげましょう。


■ どんな人にオススメ?

・国勢調査なんて面倒だと思う人。


2015年6月27日 (土)

残念な教員 学校教育の失敗学

■ 書籍情報

<strong>残念な教員 学校教育の失敗学</strong>   【残念な教員 学校教育の失敗学】(#2442)

  林 純次
  価格: ¥864 (税込)
  光文社(2015/2/17)

 本書は、「プロフェッショナルとして生徒の成長という『結果』を重んじるスタンスで教育活動を行っている」著者hが、「プロフェッショナルと呼べる教師が増え、日本中の生徒が大きく成長できること」を願って書かれたものです。
 第1章「教育現場の実情」では、教育現場に存在する「残念な教員」について、その理由は「生徒を成長させない」という意味においてだとして、「“残念な教員”らの言動は法的には処罰できないので、教育会が自ら解決していかなければいけない問題である」と述べています。
 そして、「自分の仕事に関連する本を、月に2冊すら読まない人間が約8割もいる」として、「その8割の教員は今すぐ教員免許を破り捨てるべきである。なぜなら、我々教育者は学び続けることを課せられた職業人だからである」と述べてた上で、「学べない」とは、「本来社会人としてすでに持っているべき成長の方法が身についていない」ことを意味し、「新聞を読み、読書をする教員でも、『学べない』ために、平等性や科学性、正確性などを一切無視した発言を平気ですることがある」と述べています。
 第2章「教師の技術」では、「授業が荒れるのは、教員が生徒の自己実現欲求や所属欲求に向き合わず、的確なコミュニケーションがとれていないからだ」と指摘しています。
 そして、「教員の多くは説明・解説の練習もせずに教壇に立っている」と指摘しています。
 また、授業で生徒が感じる三大ストレスとして、「見えない・聞こえない・わからない」の3点を挙げ、「教科書に書かれている内容の劣化版イミテーションを黒板に再現することを授業だと考えている教員が多数存在する」として、「この教員による出来の悪い書写行為で貴重な10第の時間を浪費している生徒を見ると、憐れでならない。真面目な生徒であればあるほど、きちんとその板書をノートに映し続け、受動的になっていく。さらに学力の高くない生徒は、教員が間違えて板書したものをそのまま書き写していたりする」と述べています。
 さらに、プリントへのコメントについては、「多く書けば書くほど、受け手側はショックを受け」、「それぞれのアドバイスが生徒のなかで相対化されてしまい、何が重要なのか優先順位がツケられない」ことから、「返却する際のアドバイスは多くても2つに絞るようにしている」、「それ以上は書いても意味がない」と述べています。
 第5章「授業について」では、予見可能性が低い「応答型」の授業を可能にするには、「深い教材研究と膨大な教養、常識が不可欠」であり、「新人や未熟練教員にはこれらが決定的に足りない」ために、「多くの場合で生徒が集中力を失い、それがクラス全体に伝播していき、閾値を超えると教室が荒れる」にもかかわらず、「大多数の教員が持つ“いい授業のイメージ”は応答型なので、いきなりそれに挑戦しようとする」と指摘し、「まずは分相応の実践を行い、徐々に応答部分を増やしていくのが賢明」だと述べています。
 第6章「教員が技術を身につける順序」では、「生徒が学習面で学校から離れていく勢いは止まらない」理由として、
(1)多くの学校には、指示文書にかぎらず、良い技術を共有化するシステムや文化がない。
(2)塾や予備校などの外部教育機関は、“指示”以外の部分でも高い指導力を持っている。
(3)学校という教育現場が持つ根源的な要素“プロフェッショナリズムの欠如”
の3点を挙げています。
 そして、「“生徒心理理解”は、重要かつ必要な技術ではあるが、じつは習得に時間がかかるレベルの高い技術」だとして、「まだ習得していない技術や苦手な技術を使わない、あるいは使用頻度を減らした授業設定をすればいい」として、「教員は、教育の目的達成のためにいかなるルートを通ってもいい」とする「羅生門(的)アプローチ」を紹介しています。
 本書は、プロフェッショナルとしての教員の仕事を論じた一冊です。


■ 個人的な視点から

 通常、保護者は自分の子供のクラスしか見学することがないためか、若い先生の授業を比較しながら見てみると、人によって授業技術の差が大きいことを誰も指摘しないことに驚きます。
 授業参観のときにはぜひ自分の子供のクラス以外の先生の授業技術を見比べてみることをおすすめします。


■ どんな人にオススメ?

・教師なんてだれにでも務まると思っている人。


2015年6月26日 (金)

ポリアモリー 複数の愛を生きる

■ 書籍情報

ポリアモリー 複数の愛を生きる   【ポリアモリー 複数の愛を生きる】(#2441)

  深海 菊絵
  価格: ¥864 (税込)
  平凡社(2015/6/17)

 本書は、「同時に複数のパートナーと『誠実』に愛の関係を築く」という「ポリアモリーpolyamory」を「実践する人びとのリアルな状況や声とともに、彼らの考え方や独自の倫理」を伝えようとするものです。
 著者は、ポリアモリーを日本に紹介したい理由として、
(1)ポリアモリーを自分の都合がいいように解釈し、理念を理解しないまま借(悪)用するような人が出てくるような状況を回避したい。
(2)何かしらの事情で愛の関係に悩んでいる方々に、新しい選択肢の一つとしてポリアモリーを紹介したかった。
(3)自分とは異なる愛を生きる人を、自分の「常識」だけで判断してほしくない。
の3点を挙げています。
 第1章「ポリアモリーとは?」では、ポリアモリーを特徴づける側面として、
(1)合意に基づくオープンな関係
(2)身体的・感情的に深く関わり合う持続的な関係
(3)所有しない愛
(4)結婚制度に囚われない自らの意志と選択による愛
の4点を挙げています。
 第2章「ポリアモリー・ムーヴメント」では、「本来、忌避されるべきポリアモリーがアメリカで誕生した背景を理解するためには、アメリカの性の歴史を概観する必要がある」として、「アメリカには『性の抑圧』と『性の解放』という2つの側面がある」と述べ、その根底には、「性の現実と真向から取り組む精神」、すなわち「性を直視する伝統」があるとしています。
 また、ポリアモリストの特徴として、「白人、中産階級、高学歴」の3点を挙げています。
 さらに、「ポリアモリーとSF小説には深い関係がある」として、「既存の社会規範に疑問を呈し、オルタナティヴな性愛関係や家族を描く」ロバート・ハインラインを挙げています。
 第5章「ポリアモリー倫理」では、「きちんと複数愛を実践するため」に必要なものとして、「理性」「知性」「コミュニケーション能力」を挙げた上で、「ポリアモリストは、スケジュールや感情、性を管理しながら、計画的に関係を築こうとする」と述べています。
 そして、「ポリアモリー倫理の核となっているのは、永遠の交渉のなかで自分自身や愛する人たちの願いや喜び、悲しみや痛みときちんと向き合うこと」だと述べています。
 第6章「嫉妬」「同時に複数の人と関係を築くポリアモリーにおいて、嫉妬は大きな課題である」とした上で、「モノガミー社会の親密性とポリアモリーを比較したとき、大きく異る点として『パートナーになること』と『所有すること』に対する考え方が挙げられる」と述べています。
 第7章「メタモア――愛する人を共有する」では、「ポリアモリーでは、愛する人が愛する自分以外の存在を『メタモアmetaour』と呼ぶ」と述べています。
 第8章「性」では、「『倫理的に複数の人とセックスをする』という課題に取り組むポリアモリーであっても、世間からの風当たりは強いようだ」と述べています。
 本書は、複数の人を愛することと正面から向き合おうとする人たちを描いた一冊です。


■ 個人的な視点から

 誰もが想像をしてみるものの実際に正面切って取り組んでいる人がいるとは思いませんでした。


■ どんな人にオススメ?

・複数の恋愛を生きたい人。


2015年6月25日 (木)

若き科学者への手紙: 情熱こそ成功の鍵

■ 書籍情報

若き科学者への手紙: 情熱こそ成功の鍵   【若き科学者への手紙: 情熱こそ成功の鍵】(#2440)

  エドワード・O. ウィルソン (著), 北川 玲 (翻訳)
  価格: ¥1,620 (税込)
  創元社(2015/2/19)

 本書は、「著者が生物学者として半世紀以上も生きてきたなかでつかんだ、科学者として成功するための秘訣」が語られたものです。
 プロローグ「きみは正しい選択をした」では、「何よりも先に言っておきたいことがある。自分の選んだ道に踏みとどまり、できる限り先に進め」とした上で、「この一連の手紙では、従来とは異なる切り口と口調で科学を概観し、科学分野の職業についても書こう」と述べています。
 そして、「成功した科学者を大勢見てきて、彼らの経歴から気づいたある大切な原則」として、「勉強よりも情熱を優先させる」ことだと述べています。
 2通目「数学」では、「研究者であろうと技術者や教師であろうと、数学の能力がどの程度であれ、いかなる科学者にも本人の数学のレベルで優秀な業績をあげられる科学分野が存在する」と述べています。
 3通目「進むべき道」では、「オリジナルな研究を行う場として知の領域を選ぶ際、研究者の少ない領域を選ぶのが懸命だ」として、「すでに多くの人々から注目され、華やかなオーラを放ち、受賞経験もあり、多額の助成金を得ている研究者がいるジャンルはおすすめしない」と述べています。
 9通目「科学的志向の原型」では、「自分の性格は大人になってからのほうがより理解でき、より受け入れられるようになるものだが、芽生えるのは幼年時代であり、それから青年期にかけて大きく枝葉を広げていく。その後は創造的な仕事の源泉として、生きている限り存続していく」と述べています。
 10通目「宇宙の探検者としての科学者」では、「生物種のどれかひとつからでも研究科学者として輝かしい業績を築くことができる」として、ミツバチに関して数多くの発見をしたドイツの昆虫学者フリッシュが、「ミツバチは魔法の泉のようなものだ。汲めば汲むほどさらに汲むべきものが湧いてくる」と語っていることを紹介しています。
 12通目「野外生物学の聖杯」では、「すべてのアリの起源を発見する重要性は、体の小ささを考慮しても、恐竜や鳥類の起源、そして我々人類の哺乳類における遠い祖先を発見する重要性と変わらない」と述べた上で、「『小さな聖杯』を発見すれば、現実世界の知識に加えられ、永久に残る。それが別の知識体系と結びつくことで、知識のネットワークが出来上がり、科学全体の素晴らしい進歩につながることもよくあるのだ」と述べています。
 16通目「地球上で新たな世界を探す」では、「科学で重要な発見をするためには、どの分野であっても、自分が関心のあるテーマについて幅広い知識を得るだけではなく、その知識の中の空白部分を見つける能力も必要だ。まったく知られていないことは、適切に扱えば素晴らしいチャンスになる。ふさわしい問いかけをするのは、ふさわしい答えを探すよりも高い知的水準が求められる」と述べています。
 本書は、科学者の卵にぜひ一読してもらいたい一冊です。


■ 個人的な視点から

 科学者として生きていくためには大学院への狭き門をくぐっていくことも大事ですが、何よりも情熱を持ち続けることの大切さを教えられます。


■ どんな人にオススメ?

・科学者になりたい人。


2015年6月24日 (水)

「満州」から集団連行された鉄道技術者たち

■ 書籍情報

「満州」から集団連行された鉄道技術者たち   【「満州」から集団連行された鉄道技術者たち】(#2439)

  堀井 弘一郎
  価格: ¥1,512 (税込)
  創土社(2015/1/24)

 本書は、1950年(昭和25年)に、「旧『満州』、現在の中国北京、東北地方の各地から、天津、山東省済南などに集団で移動させられた」旧満鉄の日本人技術者とその家族たち総勢2千人近くが、、中国当局側から、「中国に引き続き残留し鉄道関連の業務にあたること」である「留用」を求められ、最も多くの900人を超える人々が、甘粛省天水地区に配置されたとして、「天水での2年半余りの『留用』の史実をできうる限り詳細かつ具体的に叙述し、その歴史的体験を記録に書き留めること」を目的としたものです。
 第1章「旧『満州』で『留用』された人びと」では、日中戦争終結後、「国民党と共産党との間で始まった激しい内戦のため、引き上げができずに中国に留まらざるを得なかった多くの日本人」がおり、「その大半がいわゆる留用によるもの」であり、被留用者の多くは、「鉄道や工場、鉱山などの技術者、労働者、医師や看護婦、軍人などで、日中戦争で疲弊した経済の再建、産業の復興には、一定の技術や知識を持った日本人の存在が欠かせないと判断されたからであった」と述べています。
 そして、留用を受け入れた心情として、
(1)生活のために、生きるためにやむを得ず留用に応じた。
(2)自らすすんで身を投じた。
(3)日本の侵略戦争への贖罪感から留用に応じた。
の3つのケースがあったと述べています。
 第2章「『どこへ連れて行くのか?!』」では、「天水地区に移動となった人びとは技術者だけで200人、それに家族も含めれば相当の人数になるが、全員が一度に天水に移動したわけではなかった」と述べています。
 第3章「シルクロードの交通の要衝『天水』」では、「家族を含めた留用者全体の人数は、800人前後から、1000人近くまで様々な数字が交錯している」と述べています。
 第4章「『天蘭線』建設と技術者たち」では、「天水地区の職場としては無論鉄道関係が中心だが、医院や火柴(マッチ)の会社」、学校などもあったと述べ、「200人ほどの日本人技術者らが各職場に分散配置され、中国人技術者・労働者と一緒に働いた。日本人が一カ所に固まるのではなく、多数の職場に分散配置されたことは、中国人技術者・労働者との接触の機会を多くしたといえよう」としています。
 そして、天水機務段の社史にあたる「天水機務段」には、日本人技術者の評価として、「青少年時代に日本で比較的系統的な正規の教育を受けていた。その後潘陽や大連の日本の鉄訓所で文化的基礎や専門技術を強化する訓練も受けてきたことも含めて、高い水準の技術的素養があった」とされているとしています。
 また、日本人技術者は、「技術面だけでなく勤務態度も大変勤勉だった」として、日本政府の調査では、「由来日本人技術者は比較的広き実施の技術を有し、且つ献身的に実務に没頭するため、日本乃至は欧米技術に親炙してきた中国人技術者及び労務者のきわめて歓迎するところとなり、名実ともに技術的中核として貴重な存在にあった。これがため、各種の技術指導に、設計指導、教育指導に重用され、あるいは、教育資料、諸規定の編纂、財産評価等各般のの業務を担当させられていた」と評価されているとしています。
 第5章「日々の暮らしのなかで」では、「天水城内も約束に反して電気も水道もなかった。水はたまった濁り水の上澄みを使うしかなかったし、ボウフラもわいた。夜はネズミが出没し、顔の上を渡っていった。家の壁にはサソリが這い寝床にも舞い降りてきた。そこには東北地方や大連、北京などの都市生活とはまったく違う日常があった」と述べています。
 一方で、「鉄道建設に向けて日本人技術者らの手を借りるため、中国当局としても精一杯の待遇でっしたのも事実であろう。給料も比較的高かった」と述べています。
 第6章「異国で学ぶ小中学生たち」では、「中国人の先生たちも、異国の地でなれない環境のなかで暮らす日本人の子どもたちが不憫に思えたのだろう。中国人の先生たちが、厳しくも暖かく日本人生徒らを受け入れた様子」が、当時の回想から忍ばれるとしています。
 第8章「突然の集団引揚げ」では、「天水でのライフライン、居住環境は東北地方と比べても劣悪であった。しかし、概していえば、中国側当局者は政治運動への動員などの厳しい側面を除けば、一定の便宜を図り、強制的な留用という本質に起因する日本人の不満を和らげようと務めた。辺鄙な地方小都市の中にあっては相対的に好条件で留用者たちを受け入れたといえよう」と述べた上で、「3年」の留用期間は、「天水の日本人留用技術者にとっては、ある意味ではその持てる高い技量を最もいいタイミングで発揮できた幸福な歳月であったといえるのかもしれない」と述べています。
 第9章「『第二のふるさと』として」では、「一般に中国での留用者、とりわけ共産党地区からの帰国者の人生には厳しいものがあった。『アカ』呼ばわりされて就職はおぼつかず、公安当局の監視行動も続いた」とした上で、「学業半ばであった青年たちの技術や学業の面でのブランクも無視できないことは言うまでもない」と述べています。
 「おわりに」では、「当事者の感慨」として、「西へ西へ、鉄路を延長する。希望に燃えた息吹を感じられ、日本の技術者に対する期待度は高く、私たちは、それをよく理解できた。“期待に応えよう”そんな気持ちが、自然に湧いてきても不思議ではない。積極的に協力し、充実した仕事に満足感があった」と述べています。
 本書は、今まで知られていなかった「留用」者の生活を綴った一冊です。


■ 個人的な視点から

 終戦時の連行といえばソ連によるシベリア抑留が知られていますが、エンジニアや医療従事者の「留用」については、帰国後の扱いの厳しさもあって当人たちの口から語られることが少なかったようです。
 大戦は終わってもまだ戦争は続いていたのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・エンジニアの留用なんて聞いたことがない人。


2015年6月23日 (火)

地図入門

■ 書籍情報

地図入門   【地図入門】(#2438)

  今尾 恵介
  価格: ¥1,728 (税込)
  講談社(2015/4/11)

 本書は、「太古の昔から続いてきた、ひょっとして世界最古のグラフィックかもしれない『地図』にとって、他者にどのように地理情報を伝えるか」を伝えようとするものです。
 第1章「地図とはなにか――地形図、土地条件図、住宅地図、海図」では、明治10年(1877)の西南戦争で九州の洗浄の地理不案内を痛感した軍が慌てて国土を測量して整備した「迅速測図」について、「軍が作った地図ならではの特徴」として、田んぼの記号が、乾田・水田・沼田の3種類あったことを挙げ、「田んぼの分類がなぜ陸軍にとって重要であったかといえば、その上を兵士が歩いて通過できるかどうかを明示しているからである」と述べています。
 第2章「風景を記号化する――地図記号」では、「外国では『特定の記号が定められていない』どころか、官公署関連の記号そのものが少ない」として、「官公署」の記号そのものが「きわめて日本的な記号かもしれない」と述べています。
 第3章「地図の縮尺と高さ」では、「日本国内ではすべての地図(もちろん離島などの例外を除いて)が東京湾の平均海面で示されているかといえば、そうでもない」として、「河川関係の工事を行う場合、干潮の時間帯では水面の高さがマイナスになってしまい、プラスとマイナスの間で数値が行き交うのは煩雑で間違いの元になる」ため、「大潮の干潮時の海面を0」とした「AP」(荒川ペイル)を使用していると述べています。
 第4章「地図と地名のはなし」では、「地図に表記される地名の持つ階層構造をまず調べ、それらの伝統的な表記方法について振り返りながら地図における地名表記を考え、さらに具体的な地名と地形の関係について、地図を見ながら概観していく」としています。
 第5章「地図と政治」では、「軍事的に重要な施設などを、あたかも別のものが存在するかのように地形図上で偽装する作業」である「戦時改描」について、「日中戦争が始まった昭和12年(1937)に改正された軍機保護法に基づく措置」であり、「改描の程度は年が進むにつれて大がかりになって、中には噴飯モノと表現しては失礼ながら、明らかに隠したことがありありと判別できるようなものも現れた」として、立川付近の飛行場や貯水池などについて、「改描部分があまりにも目立つので、かえってここが重要な施設であることをアピールしている印象さえ抱く」として、「これは陸地測量部員によるサボタージュだったと思っている」と述べ、「それまで日本の国土を正確に、しかも判読しやすい表現で地図にすることが仕事で、そのために努力してきた彼らにとって、ウソを描かなければならないのは、国家の命令とはいえ辛いことだったに違いない」としています。
 さらに、「改描とは別に、軍機保護法の改正以前から空白になっていた部分があった」として、「要塞部空白」と呼ばれると述べています。
 また、政治がらみでない「偽装」として、ロンドンで最も有名な市街地図『ロンドンA-Z』には、実在しない通りが載っていることについて、「社内では幽霊道路(ファントム)と名付けられている」と述べ、「著作権侵害を防ぐためのトラップ」だとしています。
 第6章「地形を味わう」では、房総半島の市原市内を流れる「養老川」について、その由来は「丁(よぼろ)」から転じたもので、古語で膝の裏側を表す「膕(ひかがみ)」を意味しており、「その名の通り膝のような屈曲が多く見られる川」だと述べ、「丘陵地の中を屈曲している流れをある場所で短絡して蛇行を解消、得られた河道跡を田んぼにする『川廻し』という方法が、近世から明治時代にかけて上総国では多数行われてきた」と述べています。
 あとがき「地図に騙されないために」では、「地図を見る視点として最も大切なのは、無味乾燥で極端に単純化された『記号』の奥に潜んでいる、いろいろな個別の事例に思いを致すことではないだろうか」と述べ、「地図を見る視点――本質的な意味での『地図リテラシー』というのは、記号だけで成り立っている地図を知った上で、世の中を安易に『記号化』しないこと、また記号化された言説を怪しいと感知できる能力ではないだろうか」としています。
 本書は、地図を視るための視点を養ってくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 世の中にはありとあらゆる種類の地図がありますが、世が世ならば軍事機密になるようなものなので、いろいろな思惑が交錯した跡を見ることができるのは面白いものです。


■ どんな人にオススメ?

・地図なんてどれも同じようなものだと思う人。


2015年6月22日 (月)

なぜ女性は仕事を辞めるのか: 5155人の軌跡から読み解く

■ 書籍情報

なぜ女性は仕事を辞めるのか: 5155人の軌跡から読み解く   【なぜ女性は仕事を辞めるのか: 5155人の軌跡から読み解く】(#2437)

  岩田 正美, 大沢 真知子 (著), 日本女子大学現代女性キャリア研究所 (編集)
  価格: ¥1,728 (税込)
  青弓社(2015/6/24)

 本書は、「国際的に見て日本の高学歴女性の労働参加率は低く、子育て期にあたる三十代では就業率が低下する傾向がある」ことについて、「学卒時に就業意欲が高い女性ほど離職している」天に着目し、「高学歴女性のキャリア形成の問題と課題は、結婚や出産との両立が困難である以前に、初期キャリアにおける人材育成にある」ことを指摘しているものです。
 第1章「M字就労はなぜ形成されるのか」では、「日本の高学歴女性は結婚や出産以前に、キャリアに行き詰まって退職している」とした上で、女性労働者の離職が、「女性自身の都合による理由(プル要因)であるならば、統計的に女性を差別することは企業の合理的な選択」であるとする一方で、「その理由が企業側の理由であるならば、企業は有能な人材を採用しているにもかかわらず、その人材を自ら手放してしまっていることになる」として、
(1)逆選択
(2)予言の自己成就
の2つの仮説を挙げています。
 そして、「非婚化や晩婚化という現象の背後にある理由の中にこそ、日本の女性労働者が抱える問題が隠されているのであり、それは企業の女性に対する『統計的差別』なのではないだろうか」として、「大手企業で、出産をした女性や育児休業を取得した男性には、所得の低下や昇進の遅れなどマイナスの影響が生じている」ことを指摘し、「企業で実施されているこのような雇用管理制度が、究極のところ女性労働者に仕事か家庭かどちらかを選ぶように求めているのである」と述べています。
 第2章「初職継続の隘路」では、M字カーブが解消することでもたらされる効果として、
(1)労働市場での男女の平等化
(2)労働力の確保
(3)少子化の改善
(4)女性の経済的自立
の4点を挙げています。
 そして、「長期間働いてもなお定型的な仕事から発展性がなく、命令系統の末端で働き続けるというような、仕事の裁量の幅が限定的で将来的な展望を持てない人の場合、現職へのコミットメントは低くなる」一方で、「仕事で中心的な位置に立って相応の責任を伴うようになると、心身ともに大きな負荷がかかることにもなる」と述べています。
 また、「育児休業取得という『幸運』に恵まれても、育休取得後も就業継続する人がその4割に満たないという、これまでほとんど注目されてこなかった事実」について、「出産・育児期の女性の就業継続の中心的施策である育児休業が必ずしも有効に働いていないことがまず指摘できるが、同時に、育休復帰後の評価システム、教育訓練、配置・昇進・処遇など仕事そのものの評価が低下するような問題がなかったかを検討する余地があるように思われる」としています。
 第3章「就労意欲と断続するキャリア」では、「雇用労働者の4割以上を占める女性労働者」について、「年収の低さも、男女の賃金格差の大きさも、さらには、女性管理職割合の低さも、どれもみな、女性が『キャリアを積み上げるような働き方をしていない/できない』ことを表している」と述べています。
 第4章「非正規女性たちのキャリアのゆくえ」では、「初職を非正規雇用で就職する人は年々増加していて、高学歴女性も同様の状況にある」と述べた上で、「初職を非正規として働き始めたり、育児などで一時仕事を中断した後に非正規で働き始めたりした女性にも、能力開発の機会があることで、企業にプラスの効果をもたらすことができるが、そのような機会がある人は少なく、十分な評価も行われていない状況にある」と指摘しています。
 第5章「専業主婦の再就業」では、「現在無業の主婦の8割以上が就業を希望しているが、いますぐに働こうとしている人は約1割にとどまる」と述べた上で、「主婦たちがたとえ働きたいと思っていても、仕事と家庭の両立、知識や技術のキャッチアップ、困難な就職活動、子どもの預け先の確保、病気時の対応など、働くためにはクリアしなければならないさまざまな問題が立ちはだかっている」
 第7章「資格は本当に役立つのか」では、「取得者数が多い割に活用している人が少ない医療事務関連資格の謎」について、「就業中や離職中に取得している人が突出して多い」ことを指摘し、「自分の能力を採用側にアピールするための行為が資格試験の受験であり、それに合格すると取得証として目に見える形になるのが資格という制度なのである」と述べています。
 本書は、イメージで語られがちな「女性のキャリア」をデータを元に読み解いた一冊です。


■ 個人的な視点から

 最初の就職がその後の仕事人生に大きく影響することは男女問わず同じではないかとも思いますが、明示的な研修は少ないとしても能力開発の機会というのは重要だと考えさせられます。


■ どんな人にオススメ?

・長い仕事人生について考えたい人。


2015年6月21日 (日)

発想法の使い方

■ 書籍情報

発想法の使い方   【発想法の使い方】(#2436)

  加藤 昌治
  価格: ¥929 (税込)
  日本経済新聞出版社(2015/4/16)

 本書は、「ビジネスパーソンがアイデアパーソンになるための心構え」として、
(1)アイデアをたくさん出す。
(2)アイデアは不完全だが価値の源泉である。
の2点を掲げ、その実践方法を紹介するものです。
 第1章「アイデアを出しやすくなる3つのの前提」では、アイデアとは、
(1)「組み合わせ」でしかない:自分の経験と知識を「四則演算」で組み合わせる。
(2)単なる「選択肢」でしかない:選択肢としてのアイデアを出来る限りたくさん出す。
(3)「わがまま」から生まれる:個人の経験を場に出す(自分を脱ぐ)。
の3つだとしています。
 第2章「アイデアを出す(1)――課題を細かく分割する」では、発想技法のパターンとして、
(1)課題を細かく分割する
(2)課題をいったんズラす
(3)論理的に問いかける
(4)直感的に問いかける
の4つを挙げた上で、「基本さえ身に付けられたら、後はバリエーション」だと述べています。
 そして、課題を細かく分解する手法として、
(1)属性列挙法:アイデアを考える対象そのものを、その対象が持つ属性に沿って分割する。
(2)マンダラート:3×3の9つのセルの中央にお題を書き、周りの8つのセルを答えで埋めていく。
 第3章「アイデアを出す(2)――課題をいったんズラす」では、お題のズラし方の方向性として、
(1)馴質異化:目の前のお題を、いったん離れた別のなにかにズラす。
(2)異質馴化:もともと離れている何かを、引き寄せて親しいものにする。
の2つを挙げています。
 第4章「アイデアを出す(3)――論理的に問いかける」では、「アイデアを出したい対象、課題に対する『質問集』」である「SCAMPER」として、
・S=Substitute:代用品はないか?
・C=Combine:結びつけることはできるか?
・A=Adapt:応用することはできるか?
・M=Modify or Magnify:修正、あるいは拡大できないか?
・P=Put to other uses:他の使いみちはないか?
・E=Eliminate or minify:削除か、削減できないか?
・R=Reverse or Rearrange:逆にするか、再編成できないか?
の7点を挙げています。
 また、「課題に対して共通性が感じられない単語を質問的にぶつけることで、アイデアを引き出す技法」である「ブルートシンク」について、「ブルートシンク単語集」から任意に選んだ単語と、「対象(課題)」とを絡ませてアイデアに結びつけると解説しています。
 第5章「アイデアを出す(4)――直感的に問いかける」では、「古代エジプトの象形文字をキッカケにして、自分の記憶からいろいろな『既存の要素』を引き出していこう」とする「死者の書」や、街を歩きながら自分で決めた1色の「色」だけを探す「カラーバス」などの手法を紹介しています。
 第6章「アイデアを描く」では、「ビジネス文書は読物(よみもの)であり、見物(みもの)である」として、「アイデアをどうやって人に見せるのか」を助ける方法である「アイデアスケッチ」を解説しています。
 第7章「チームでアイデアを出す」では、チームでのアイデア出しでありがちな失敗例として、
(1)「企画もってこい」の失敗
(2)「アイデアを企画として判断する」失敗
(3)「一問一答」地獄
(4)「云い換え」ナシの失敗
の4点を挙げています。
 「おわりに」では、「アイデアとは既存の要素、経験・体験や知識を四則演算的に組み合わせるだけ」だとして、「アイデアを出す力をつける、発想力を鍛える」には、
・経験・体験や知識を増やすこと
・経験・体験や知識を思い出すこと
・組み合わせながら、選択肢をたくさん出すこと
の3つを反復するだけだと述べています。
 本書は、「企画」ではなく、「アイデア」を出すための技術を教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 発想法をまとめた本はたくさんありますので、自分が気に入る本を読めばいいと思いますが、大事なのは発想法を覚えることではなく、実際に使ってみることだと思うのです。


■ どんな人にオススメ?

・発想法を身に着けたいと思っているのに発想法の知識ばかりが貯まる人。


2015年6月20日 (土)

死者のざわめき: 被災地信仰論

■ 書籍情報

死者のざわめき: 被災地信仰論   【死者のざわめき: 被災地信仰論】(#2435)

  磯前 順一
  価格: ¥2,700 (税込)
  河出書房新社(2015/4/23)

 本書は、「ひとたび生と死の境界が不分明になれば、生者は死者とともに生きる感覚にめざめる。生者が生きながら死んでいるとすれば、死者もまた死にながらも生者の中で生きていることになる」として、「あの震災から4年。わたしもまた自分なりの言葉で『死者のざわめき』をすくいとってみなければ」という思いから書かれたものです。
 第1章「被災地の声々」では、「困難な被災生活のなかでも、いや苦しい状況だからこそ、神仏を厚く敬う人びとの思いがそこにはあった。極限状況の中でこそ、人間の限界を思い知らされたからこそ、神仏にめぐり合うことが出来るのかもしれない」とした上で、「こうした鎮魂儀礼がどれほど被災地で必要とされていたかは、いたるところに小さな祭壇が設けられて、お地蔵さんだけでなく、観音様や布袋さんなどが祀られていることからも確認される」と述べています。
 そして、「運転手をはじめ、被災地の人びとが幽霊譚を口にする事態は、ひとりひとりの人間に負荷された被災状況が、個人の合理的精神では処理しきれるようなたやすいものでないことを示している」として、「自分が生きているのが死者にたいして申し訳ない、と思い続けている人達も依然として多い」と述べています。
 また、「『被災者』という弱者。それは非被災者が作り出した願望であろう」として、「亡くなった人たちを含め、被災した人びとの言葉にならない思いを、無力さに裏付けられた強い精神によって、確かな言葉へと変えていく翻訳の作業がいま求められているように感じる」と述べています。
 第2章「不在の故郷」では、「みなさん、自分に何も影響が及ばない限りは、温かい言葉をかけてくださるんですけれど自分に関わる問題になったとたん、態度が変わってしまう」という仙台のタクシー運転手の言葉を紹介した上で、「非当事者に共感しつつも、感情的に呑み込まれてしまうならば発話する能力自体が失われてしまう。だからといって、非当事者であるからと言って、傍観者のままでいればよいということにもならないだろう。だからこそ、当事者と非当事者という二分法に陥ることなく、人びとの被った傷をどのように言葉にしていくか。そこに言葉に携わる者たちの翻訳能力が問われている。そのために、それが小さな呟きであっても現実の声に耳を澄ましていく必要がある」と述べています。
 また、「あまり知られていないことだが、今回の震災の後、福島では宮城や岩手のような幽霊譚がほとんど報告されていない」ことについて、「相手を人間として認めなければ、どんな残虐な行為も悪行だとは認識せずに済む」として、「福島に幽霊譚が生まれず、唄や物語が現れないとすれば、そうした善意に紛れんこんだ凡庸な悪の暴力が行使されたからである。それは心身両面わたる徹底した破壊におよぶ」と述べています。
 第3章「死者を悼む」では、「多くの人間が一度に亡くなり、いまもその余波で亡くなる人の絶えない今回の被災地において、地蔵や観音像が慰霊のために建立されたのも、にわかに思い立たれた話ではない」として、「東北地方には死者に対する強い畏敬の念が存在し、死者たちと交流しようとする宗教伝統が続いてきた」と述べています。
 そして、「平成天皇の謙虚な人柄は、戦前は現人神として君臨し、戦後もすすんで沖縄を米軍基地に提供するなど、政治的な元首の意識を保ち続けてきた昭和天皇とはまったく異なる」としつつも、「謎めいた他者の声を聴く天皇の能力は、人間にあらざる『非人』、すなわち他者の声を聞き取る祭主であると同時に、その声を発する神でもあるという性質に由来する」と述べています。
 著者は、「石巻の大川小学校にいまも残る『世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない』という言葉を、いまこそ肝に銘じる時期である」と述べています。
 本書は、被災地に残る死者の声を聴こうとした一冊です。


■ 個人的な視点から

 普段の生活の中では経験しないない、たくさんの死に直面すると、人は死者と一緒に生きていくことに折り合いをつけていかなければならないのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・死者と生きている実感がわからない人。

2015年6月19日 (金)

危機と雇用――災害の労働経済学

■ 書籍情報

危機と雇用――災害の労働経済学   【危機と雇用――災害の労働経済学】(#2434)

  玄田 有史
  価格: ¥2,808 (税込)
  岩波書店(2015/2/26)

 本書は、「『仕事』という側面から震災のもたらした影響について検証し、その記録を地道に残していく」ことで、「生活の根幹にかかわる労働問題としての戦墓未曾有の大災害である東日本大震災を振り返ることで、災害が人々にもたらした困難や、そこから立ち上がろうとする人々の営みを、これまでの報告や記録にはなかった視点で新たに描き出」すことを目指したものです。
 第1章「震災前夜」では、「リーマン・ショックの経験が、その2年6ヶ月後に起こる東日本大震災への対応に、少なからず影響を及ぼしていく」として、「震災前から確実に起こっていた産業構造の転換に対し、東日本大震災はそれまでとまったく異なる影響を与えるることになっていく」と述べた上で、「リーマン・ショックに対処するために行ってきた緊急雇用対策は、後の震災に伴う雇用対策に少なからず影響を及ぼしてきた」として、「緊急雇用創出事業」と「基金訓練」について解説しています。
 第2章「震災と仕事」では、「震災の影響で新たに仕事を求めることとなった労働者の複雑な実情への理解」が欠かせないとした上で、「東日本大震災によって、日本全体では570.1万人の有業者(ふだん仕事をしている人)が、仕事に対する何らかの被害を受けてきた」として、この内、「225.7万人が離職もしくは休職によって震災後に働く機会を失った」と述べています。
 そして、「震災による仕事への影響が総合的に最も大きかったのは、製造業だった」としながらも、
「生き残った日本の製造業は、独自の技術力向上を一つの背景としながら危機対応力を、繰り返す自然災害の中で年月を重ねつつ磨いてきた可能性は大きい」と述べています。
 また、「震災などの大きなショックにさらされたとしても、正社員の雇用がなぜ守られるか」について、「企業も、労働者も、正社員という存在には、それまで教育や訓練のための時間や金銭など、多くの投資をしてきた」ため、「たくさんの資本を投下した以上、十分な利益を回収するまでは、その正社員という存在や立場を手放そうとしないのは、企業と労働者の双方にとって、至って合理的な行動なのだ」と述べています。
 さらに、「若年層に関しては、離職や休職に追い込まれることで、働きながら経験や知識を積み増す機会が奪われただけでなく、その他の影響も大きい」として、労働時間の減少や賃金の低下を挙げ、「若者が震災によってニート化する傾向が強まっていることは、これまで余り知られてこなかった事実である」と述べています。
 この他、「震災によって避難や転居を強いられた人々からは、個人が保有する住居や土地などを利用する機会が制限されただけでなく、仕事にとって重要な地域の社会的共通資本も奪われたのだ。それまで地域で培ってきた社会的共通資本を利用できなくなることは、その人の経済的価値を生み出す力を削ぐことになり、結果として仕事に就くことが困難な状況を生んでいる」と述べています。
 第3章「震災と雇用対策」では、今回の震災直後に緊急的な対応が求められた大きな課題の一つ」として、「津波や地震などによる直接被害のため、休業や離職を余儀なくされた人々への対応」を仰げ、「激甚災害の指定に伴う雇用保険の特例措置に基づき、賃金を受け取ることができない震災被害者に対する失業手当の特例支給がなされることとなった」と述べています。
 また、「今回の震災でも、比較的早くから雇用情勢に全般的な改善が見られた背景の一つとして、危機に迅速対応した雇用創出基金事業の役割は大きかった」と述べるとともに、「サプライチェーンの寸断」問題に対して、「被災した中小企業を『グループ』として支援する『中小企業等グループによる施設・設備復旧整備補助事業』(通称、グループ補助金)を今回はじめて本格化させた」と述べています。
 そして、「雇用促進税制の背景にあったのは、雇用を創出しているのは実際には一握りの企業であり、それらの企業を集中的に税制面で支援することが経済全体の雇用拡大により効果的であるという発想だった」と述べています。
 第4章「震災と企業」では、「経営者の自信の裏打ちとなっているもの」とは、「その企業に蓄積された、固有の実力なのだ」として、「その実力の一つとは、いうまでもなく企業独自の高い技術力である」と述べています。
 第5章「震災と希望」では、「震災が人々の意識や考え方にどのような影響をもたらしたのかを考察」するとした上で、キーワードとして「希望」を挙げ、「希望の喪失という現象は、若者のみならず、統計的にも確かに観察される日本人全体を覆う意識だった」と述べています。
 そして、「仕事に関する希望が、日本人にとって大きく衰退しつつある」とした上で、「このような希望が仕事から家庭へと移行しつつある背景にあるのは、必ずしも東日本大震災の影響だけではないのかもしれない」としつつも、「東日本大震災の経験が、日本人の勤労観、さらには家族観の見直しを迫ったと考えることも、やはり自然である」と述べています。
 また、「震災をきっかけに人と人との間の親密なつながりを意味する『絆』の大切さが、くりかえし強調されてきた」が、「実際に起こっていたのは、絆を結べるような友人や知人はごく限られているという、多くの人々にとって相反する現実だった」と述べています。
 終章「危機に備えて」では、「震災前のリーマン・ショックへの緊急対応による下地があった他、過去の困難から柔軟な対応力を培ってきた製造業など、震災に対しては一定のレジリアンス(回復力)を発揮した面がある一方、さまざまな仕事上の困難に翻弄された人々も少なくなかった」として、「震災前から、仕事について比較的不安定な立場に置かれていた人々ほど、震災によって仕事を失うこともあれば、再就職の困難を強いられることも多かったのだ」と述べています。
 本書は、震災と仕事とをもう一度見つめなおすきっかけを与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 究極の非日常である災害を前にしてしまうと、普段とは価値判断の基準が変わってしまう人がいますが、そうは言っても生活のことを考えると、やはり「どうやって食べていくか」は外せない重要課題です。


■ どんな人にオススメ?

・非日常がいつまでも続かないと思う人。


2015年6月18日 (木)

電力という商品

■ 書籍情報

電力という商品   【電力という商品】(#2433)

  浜松 照秀
  価格: ¥972 (税込)
  エネルギーフォーラム(2014/10)

 本書は、「わが国のエネルギー利用を世界に先駆けて究極のものにしつつ、日本の電力システム技術を世界の手本にして、国際展開を図ろうと提案するもの」です。著者は、そのためには、
・「電力という商品」の理解がキーになること
・その邪魔になるのが社会全体の勘違いや理解不足であること
を主張しています。
 第1章「電力という商品をどう理解するか」では、「電力とは、文字通り『電気という力のエネルギー』である」として、「発電とは資源がもつエネルギーを可能な限り電力に変えるか、発電能力を残して有用な熱(温度)をつくるか、2つの道」があると述べています。
 そして、「電力が科学・技術へ依拠する強さ」には、
(1)水力など各種の再生可能エネルギー、原子力、各種燃料の火力といった様々なエネルギー資源がミックスされ、電力供給のための発電や送配電の工学・技術がシステムに組み込まれること。
(2)エネルギー商品としての電力の価値、利用方法、国のインフラとしての安全保障、などを議論する科学技術や政策。
の2つの意味があると述べています。
 また、「電力は電気であると同時に『力のエネルギー』であることを、事業者も監督する行政側も国民も知っておくべき」であり、需要側が求めるエネルギーには、
(1)ハイテク用電気・動力つまり力のエネルギー
(2)熱(温度)エネルギー(主に民生用に多い体温に近い・低い温度、産業用に多い高温、冷凍温度など)
の2つがあるとしています。
 さらに、「エネルギー利用では、電力ネットワークによる高効率電力とそのヒートポンプ利用にまさるものではない」として、「ヒートポンプシステムは、環境エネルギーを大量に利用でき、原子力や水力、石炭火力、再生可能エネルギーなど様々な(需要地では使いにくい)エネルギー資源が『熱』のエネルギー源になり、しかも効率が高い」と述べています。
 第2章「エネルギーチェーンを受給全体で最適化せよ」では、「社会全体が『エネルギー利用のあり方』を勘違いされているようです」として、
(1)社会全体の「エネルギー利用のあり方の勘違い」
(2)学理を極める学者の中にも根拠もなく「今後は分散型発電de-centralized systemの時代」という方がいる
の2点を挙げています。
 そして、「消費者がほしいのは、電気でも、ガスでも、石油・石炭でもない、力のエネルギー(動力・電気)であり、様々な温度の熱エネルギー」であることから、「エネルギーチェーンの終点は『最終エネルギー便益』であるべき」だと述べています。
 また、「戦前は発電効率が低く、発電効率を高くするのは容易ではないので、欧州(ドイツは日本の教科書でした)では熱併給発電(今のコージェネレーション=CHP)にすると熱と電気を合わせた総合効率が上がる(条件次第)ということで、発電所排熱を地域暖房に使って」きたが、「日本のような温暖な地域では当てはまることはまず」ないと述べています。
 第3章「電力事業のビジネス原理(電気代半減)創始」では、エジソンの秘書だったサミュエル・インスルについて、「米国では著名で、今日のアメリカを創った男とも言われて」おり、「シカゴの電力事業の経営者として需給双方をウィンウィンの関係にしたビジネス原理を発明、『技術と経営の統合』を」実現したと述べています。
 そして、「シカゴの一電力事業者に入ったインスルは、電力ネットワークの効果を取り入れて電力価格を半減させるほどに極めて安価にし、金持ちだけの電力供給(マイクログリッド=エジソンシステム)から大衆に向けた電力ネットワーク」にしたとして、「小規模な電灯会社群が自由に価格競争をし、インスルが『技術と経営を統合』して圧倒的に安価な電力を供給した」と述べています。
 また、「分散型にすれば既存の電力会社の世話にならなくても済み、分散型が良い」というメディアの開設について、「少なくとも膨大な環境熱エネルギーを使わないという考えが勘違い」であり、「もう一度『燃料のエネルギーしか使わない分散型システムとは何か』を問う必要」があると指摘しています。
 第4章「国力に貢献するエネルギー・電力事業」では、「日本は現在、これまで築いてきた電力ネットワークのビジネス原理から脱皮しようとして」いるが、「その脱皮の方法が問題」だとして、電力事業は「物質を売るビジネス」ではなく、「力のエネルギー」を売るのであり、「国・地域に不可欠な公益事業」であることから、「単純なモノを売るビジネスではないことを知った上で方向・姿を決めねばなりません」と主張しています。
 本書は、あたりまえに供給されてきた「電気」の本来の姿を改めて考えさせる一冊です。


■ 個人的な視点から

 震災以来、電力については色々な人とが色々な立場から発言するようになりましたが、現実の社会を支えているインフラであるにもかかわらず、夢と希望と政治的主張と妄想が入り混じったような発言も多く聞こえるようになったので「商品」として電力を見直すことも原点回帰の一つの方法ではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・電気なんかなかった江戸時代に戻ろうとか言ってる人。


2015年6月17日 (水)

社会のために働く 未来の仕事とリーダーが生まれる現場

■ 書籍情報

社会のために働く 未来の仕事とリーダーが生まれる現場   【社会のために働く 未来の仕事とリーダーが生まれる現場】(#2432)

  藤沢 烈
  価格: ¥1,512 (税込)
  講談社(2015/3/11)

 本書は、「震災後に生まれた復興コーディネータ集団」である「RCF(Revolutionary Consulting Firm)」の代表である著者が、「東北が今『手を差し伸べるべき大きな被害を受けた場所』から、『新たな価値を想像するチャレンジの場』『社会のために働くことができる場』になりつつあること」を伝えようとするものです。
 序章「経営コンサルタントから復興コーディネーターに」では、阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件をきっかけに、「自分が社会のためにできること」を考える若者たちが集まるベースキャンプとして、大学を休学してバー「狐の木」を経営し、後に社会起業家として活躍する若者たちが、「夜な夜な語り合う店」になったと述べています。
 そして、大学卒業後、マッキンゼーを経て、RCFを創業した著者が、横浜でリスクマネジメントについて講演中に東日本大震災に遭い、「避難所の情報を集めて分析し、そのデータをまとめて外に発信する作業」を行ったことから、復興庁と関わり始め、「いずれこの復興事業は民間に引き継がれるだろう」との思いから、「一般社団法人RCF復興支援チーム」を立ち上げたと述べています。
 また、東日本大震災と阪神・淡路大震災や中越地震との違いとして、「被害の規模が広範囲だったこと」に加え、
・もともと過疎化などの課題が顕著な場所だったこと。
・地域のコミュニティがもろくなっていた場所だったこと。
の2点を「決定的な違い」だと述べています。
 著者は、当初、RCF採用説明会の資料では、「復興プロデューサー」を募集すると案内していたが、あるときから、「被災地の人達が考えるまちづくりに耳を傾け、行政の言葉を翻訳して伝えるサポートをすることに徹するべき」との考えから、その立ち位置を「コーディネーター」煮直したと述べています。
 第1章「被災地で生まれたグーグルの新サービス」では、著者が、「被災地で活動するのではなく、後方支援に徹しようと思った」きっかけとして、「次から次へとリリースされるグーグルの『本業を活かした支援方法』に触発されたから」だと述べています。
 そして、グーグルの社員が熱心に被災地支援に取り組むことができる理由として、「インターネットを、世の中を良くすることに使いたいと考えるグーグルのメンバーにとって、復興支援はまさに関わらない理由がないプロジェクト」だからだと説明しています。
 また、「被災地の人たちから寄せられたメッセージがきっかけで、その後グーグルのグローバルスタンダートになったサービス」として、ストリートビューの「タイムマシン機能」を紹介しています。
 第2章「新しい働き方を想像――グーグルのイノベーション東北」では、「被災地の事業者」と「サポートしたい人」とを結ぶ仕組として、「東北各地の事業者の皆さんが困っていること、事業の課題などを『見える化』して、それをサポートしたいプロボノ(スキルや経験を活かしたボランティア)の方々をつなぐクラウドマッチングプラットフォーム」である「イノベーション東北」について、2014年末までに、314件の事業者と1004人のサポーターが登録し、436件のマッチングが成立していると述べ、その特徴は、「今まで『1対多』であった被災地でのマッチングを、このような『1対1』にしていること」だとしています。
 そして、「グーグルが被災地の産業の課題に向き合ったことで生まれた価値」として、
(1)被災地の中小企業の課題を「見える化」できたこと。
(2)今までなかなか行き届かなかったインターネットのインフラが東北の地に根付き始めたこと。
(3)被災地に「東北以外」の地域のプロボノを巻き込んで産業復興に関わってもらっていること。
の3点を挙げ、「自分が今まで仕事で学んだ能力を活かして都市にいながら地方に貢献したい人たちと、地方の事業者を多数マッチングさせることができれば、地方の新しい活力」になるとして、いつか、全国各地、世界各地に発展していく可能性があり、「世界中で『働き方』の革命が起こるかもしれません」と述べています。
 第3章「社会貢献からの本業活性化――復興応援 キリン絆プロジェクト」では、「行政の役割が不平等をなくして均一なサポートをすることだとしたら、民間企業ができることは、意欲的な事業者と成功事例を作ること。行政がハードの復旧を進め民間企業がソフト支援を行う。キリンは、産業復興の新しい形を生み出しました」と述べています。
 そして、キリンが、「丁寧に地域の課題を拾い上げた支援をするべき」と判断している理由には、「全社的にCSV(共有価値の創出=Creating Shared Value)の考え方が根付いていること」があると述べ、「CSVの解釈と実践は、今まで2つの軸に偏ることが多かった」として、
(1)ボランティアや寄付という、それまでのCSR的発想に拠った社会貢献でとどまっているケース
(2)「本業への還元」がフィーチャーされすぎてビジネスに拠っているケース
の2点を挙げ、「キリンの取り組みの特徴は、助成金支援にとどまらず、プロジェクトの形成やフォローまで実施していること」だと述べています。
 第4章「合言葉は課題解決エンジン――ヤフー石巻復興ベース」では、ヤフーが、「震災後、被災地に根をはり活動」しているとして、復興事業の拠点として、「ヤフー石巻復興ベース」を立ち上げ、専任のスタッフを送っているとした上で、ヤフーの宮坂社長は、「被災地での活動はCSRでもボランティアでも宣伝でもない。課題解決をミッションとするヤフーの本業だ」と言い切り、「インターネット業界大手のヤフーが黒字化できなければ、他の企業も東北でのビジネスは無理だと思ってしまう。東北にたくさんの企業が投資しようと思うためにも、ヤフーが事業を成功させることが重要だ」と語っていることを紹介しています。
 第5章「社会起点マーケティングで『ルールメイカー』になる」では、ヤマト運輸の木川社長が、「ヤマトは物を運ぶ会社ではなく、心を運ぶ会社です」というように、「この震災をきっかけに、企業の持つ社会的使命を再確認した会社は多かったように」感じるとした上で、「震災を機に、ヤマトの中長期計画に『地域の高齢化社会を支える』という言葉が謳われる」ようになったとして、ヤマトが宅配便の業界に、「宅配業者は荷物を配達するのではなく、地域を支えるインフラのひとつになる」という新しいルールを生み出し、「再び、他の企業の追随を許さない業界の『ルールメイカー』になるのではないか」と述べています。
 第6章「官民NPO連携の可能性――釜石市・UBS・RCF三者共同宣言」では、「震災が起きたことにより、行政、民間企業、NPOは否応なく変化を迫られた」として、行政は、「企業やNPOと連携する必要性が生まれ、閉じた行政から開かれた行政」になり、企業は、「社会を作る一員であることを強く意識させられ」、NPOは、「非営利組織といえども、プロとして企業や行政に求められるのと同等の目標設定や検証、マネジメントが求められている」と述べています。
 第7章「セクターを超えて働く」では、NPO団体のETIC.が、「震災直後から『右腕プログラム』をスタートし、東北で被災した経営者の右腕として活動する人材を送り続け」、日本財団は、「WORKING FOR 東北」というプロジェクトを立ち上げ、「地域で活動する人材のマッチングを進めて」いると述べ、「被災地は今、支援するべき場所から、チャレンジしがいのある働き場所に変わって」いると述べています。
 また、「RCFスタッフが被災地に常駐して初めてわかったこと」として、復興計画が進まない時には、「住民と行政の間に対立があるのではなく、住民間の対立が課題になっている場合が多い」と述べています。
 そして、復興庁の統括官である岡本全勝氏について、2012年の正月明けに岡本氏に40分間のプレゼンの機会をもらったが、「10分でポイントを押さえて話してくれる?」と言われ、用意した資料を捨てて自分の言葉で「被災地には官民NPOをつないでプロジェクトを進めるコーディネーターが必要だ」と伝えたと述べています。
 鼎談「小泉進次郎・須田善明・藤沢烈――戦争を知らない世代にとっての復興と地方創生」では、支援企業が、「具体的に支援可能な内容のリスト」を作成してくれると、自治体は提携しやすいとして、「自治体や住民のニーズを汲みとった提案をするためにも、コーディネーターの仕事が重要だ」と述べています。
 本書は、被災地と東京、そして世界をつなぐ「コーディネーター」のしごとを伝えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 社会のためにビジネスのイノベーションを応用しようとしても、既存のシステムがそこそこ回っているところに入り込むことは難しいことが多い中、既存のシステムが一旦壊れてしまった災害時にはイノベーションが入り込みやすいのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・社会のイノベーションを起こしたい人。


2015年6月16日 (火)

専門家として教師を育てる――教師教育改革のグランドデザイン

■ 書籍情報

専門家として教師を育てる――教師教育改革のグランドデザイン   【専門家として教師を育てる――教師教育改革のグランドデザイン】(#2431)

  佐藤 学
  価格: ¥1,944 (税込)
  岩波書店(2015/3/27)

 本書は、「日本の教師の学歴水準は途上国並みであり世界で最低レベルである」ことなどの「教師の危機」について、「教師教育(研修)の高度化と専門職化の著しい遅れ」をその本質として指摘し、「教師が専門家として育つ筋道を叙述し、21世紀に対応した教師政策と教師教育改革のグランドデザインを提示」するものです。
 第1章「改革の緊急性」では、日本の教師が、
(1)高い教育水準
(2)高い給与と競争率
(3)校内研修を基盤とする専門家文化の伝統
の3つの条件によって「世界最高水準の優秀さを誇っていた」とした上で、「世界各国において教師教育の高度化と専門職かが急速に進展とした背景」として、
(1)社会構造の急激な変化への対応
(2)地方分権化と規制緩和による学校行政の転換
(3)子どもの生育環境の変化
の3点を挙げています。
 そして。「21世紀型の学校教育の特徴」として、
(1)学びにおける「質と平等の同時追求」
(2)プログラム型のカリキュラムからプロジェクト型のカリキュラムへの移行
(3)一斉授業から共同的学びを中心とする授業への転換
(4)「教える専門家」から「学びの専門家」としての教師の役割転換
(5)教師の専門家共同体としての学校概念の形成
の5点を挙げています。
 第2章「改革の桎梏」では、戦後の教師教育制度について、
(1)大学における教員養成
(2)開放制
(3)免許状主義
の3つの枠組みを示した上で、文部省が1970年代以降、教師教育の高度化と専門職化の政策化を試みながらも失敗した原因として、
(1)政府においては大蔵省及び都道府県自治体が、教師の高度化と専門職かを積極的に推進しなかったこと。
(2)日本の教師教育を担っている大学の約8割は私立大学であるため、教師教育は大学内(受験生獲得と教員雇用)と大学外(教師需要)の両方の市場競争の中におかれ、どのような改革を実施しようとしても、大学間の利害の対立を生み出してしまうこと。
の2点を挙げています。
 第3章「教える専門家から学びの専門家へ」では、「教師教育の改革において、最も困難なことは、教師の仕事が誰にでも務まる容易な仕事(easy work)として誤解されていることにある」とした上で、「21世紀において教師の専門家像が『教える専門家』から『学びの専門家』へとシフトしていること」について、
(1)知識基礎社会と生涯学習社会の到来によって、学校教育システムが教師の授業を中心とするシステムから、子どもの学びを中心とするシステムへと変化してきたこと。
(2)教師の教育と学びが養成教育の段階から現職教育の段階へと延長し、教師教育それ自体が、現職教育を中心とする生涯学習へと発展したこと。
の2点を意味していると述べています。
 第4章「教師教育改革の課題と政策」では、「教師教育の改革は、1980年代以降、世界のほぼすべての国において教育改革の中心であった」として、それらの改革の共通点は、「教師教育改革のグローバル・スタンダードを形成してきた」と述べ、
(1)教師教育、養成教育、導入教育、現職教育の継続性と一貫性の確立。
(2)教職専門性基準(professional standards)の確立。
(3)「反省的教師(refrective teacher)」という専門家像の形成。
(4)授業実践における教科内容の知識(Pedagogical Content Knowledge)の重視。
(5)教育実習から実践研究・臨床経験への転換。
(6)学習科学・認知科学による教師の専門的知識の基礎づけ。
(7)「資質(trait)アプローチ」から「知識(knowledgee)アプローチ」への転換。
の7点を挙げています。
 第5章「専門家教育としての教師教育」では、「教師は、職人性と専門職性を兼ね備えた専門家として教育されなければならない」とした上で、その「職人性」について、「優れた先達をモデルとする長期にわたる徒弟的な学び(aprenticeship)によって習得されるものであり、専門家共同体の専門家文化(professional culture)として形成され、共有され、伝承され」る、「高度な技法」(artistry)を挙げるとともに、「専門職性」については、
(1)実践的知識と実践的見識
(2)ケース・メソッド
(3)知識基礎とは何か
の3つの問題領域で研究がなされ議論されてきたとしています。
 第6章「教師教育のカリキュラム改革」では、「21世紀という時代にふさわしい教育の専門家として教師が教育されるためには、どのような教師教育カリキュラム(養成と研修)が準備されるべき」かという問いに対し、
(1)教師の専門家像の検討
(2)「免許状主義」によるカリキュラムから「教職専門性基準」によるカリキュラムへの移行の展望
(3)教師教育カリキュラムの構造と継続性の検討
の3つの問題が検討されなければならないとしています。
 そして、「専門家教育の中核」として、「『理論と実践の統合』による『省察(refrection)』と『判断(judgement)』の教育」を挙げ、「専門家教育における理論と実践」が、
(1)理論の実践化(theory into practice)
(2)実践の理論化(theory through practice)
(3)実践の中の理論(theory in practice)
の3つの関係を持っているとしています。
 また、実践的知識の特徴として、
(1)個人的知識
(2)経験的知識
(3)状況的知識
(4)事例知識
(5)暗黙知
の5点を挙げています。
 第7章「授業研究の改革」では、「授業研究は、グローバリゼーションを背景とする『21世紀型の学校』を求める教育改革の進展と、教育学研究における行動科学から認知科学・学習科学への転換を背景として、この30年間、根本的とも言える変貌を遂げてきた」とした上で、「アカデミズムにおける授業研究のパラダイム転換は、教師の現職研修における授業研究の革新を導いている」として、「学びの共同体の学校改革における授業研究」をその点英として挙げています。
 そして、「共同的学びを巡って混乱がある」ため、「日本の学校における協力的学びと共同的学び(cooperative learning, collaborative learning)の導入は、韓国と並んで、世界で最も低い状況にある」と述べ、「最大の混乱は、異なる原理と方式によるグループ学習が混同して認識されていることにある」としています。
 また、「授業研究における教師の学びは、『学びのデザイン』『授業実践』『学びのリフレクション』という3つの活動が循環し続ける学びであり、この循環を継続することによって、教師は専門家としての成長を遂行している」と述べています。
 第8章「教師が学び育ち合う学校」では、「教師の学び成長する場は、その教師の教室を中心として同心円的構造を示している」とした上で、「過去30年間を振り返ると、この同心円的構造の外側は充実してきたものの、中心にある学校内において教師が学び成長する機能は形骸化し、空洞化してきたのではないだろうか」と述べ、「教師の専門家としての学びと成長にとって何よりも重要な事は、教師は一人では学び成長しないということである」として、「他の専門家と同様、教師が学び成長するためには専門家の学びの共同体(professional learning community)が不可欠である」としています。
 そして、学区の校内研修において改革すべき課題を解決するためには、
(1)校内研修を学校経営の中心に据えること。
(2)校内研修の内容を「教師の教え方」の研修から「学びのデザインとリフレクション」の研修へと転換すること
の2点が必要だとしています。
 第9章「大学と大学院の改革」では、「教師教育の高度化と専門職かを推進するため」に、大学と大学院が推進すべき改革の課題として、
(1)教師教育の標準レベルを学部レベルから大学院レベルに高度化すること。
(2)大学・大学院の教師教育を専門家教育にふさわりいものへと再構成すること。
(3)国立の教育系大学と教員養成学部の将来像を描き出すこと。
(4)一般大学における教師教育の質を向上させること。
(5)教師教育における免許状主義と単位主義を克服すること。
(6)教職大学院のあり方を再検討し、専門家教育の大学院に改革すること。
(7)研究大学の教育学部と教員養成系大学・教育学部の壁を克服すること。
(8)多様な大学が連携する「地域教員養成機構(仮称)」を構築すること。
(9)多元的な教師教育機関の共存システムを構築すること。
(10)大学・大学院と学校とのパートナーシップを構築すること。
(11)大学・大学院と教育委員会との協働を実現すること。
(12)養成教育・導入教育・現職教育の継続性と一貫性を実現すること。
の12点を挙げています。
 そして、「教師教育の高度化の必要性は文部省や大学では認識されてきたが、都道府県教育委員会には理解されてこなかった」ことについて、「教師が国家(あるいは州)公務員である諸外国では考えられない障碍である」と述べています。
 第10章「新たな挑戦への提言」では、教員の採用について、「現在、最も懸念されているのが、東京、大阪、京都、横浜、川崎、神戸などの大都市の教師の大量採用による教師の質の低下である」と述べています。
 そして、「教師教育の改革において留意しておきたいのは、教師教育の高度化が教師の専門家としての地位の向上につながるわけではないことである」として、「教師の専門家としての待遇を改善するために、新たな人材確保法を制定することを提言」しています。
 本書は、諸外国に後れを取った日本の教師教育の「復活」の道筋を示した一冊です。


■ 個人的な視点から

 大昔には「でもしか先生」という言葉もあったそうですが、20世紀の終わり頃には教員採用試験は狭き門となり何年も正式採用されないという時代が続いていました。
 ここのところ、団塊の世代以降の教員の大量退職にともなって若い教員が大量に採用されていますが、指導者となる中堅級の教員が不足していて、若い教員がなかなか育たないという課題もあるようです。


■ どんな人にオススメ?

・教師にでもなってみるかと思う人。


2015年6月15日 (月)

貧民の帝都

■ 書籍情報

貧民の帝都   【貧民の帝都】(#2430)

  塩見 鮮一郎
  価格: ¥832 (税込)
  文藝春秋(2008/09)

 本書は、「維新後、帝都に出現した未曾有の貧民に対処した」東京養育院について、その創設を福祉関係者が語る際に、「しばしば非人の組織との関連が無視される」が、「その悪弊を廃し、江戸とのつながり」を明確にしようとするものです。
 序章「山手線の男」では、「十代のころから困窮者が気になって仕方がない」として、「『こわれそうな人間』を目にしたとき、わたしの神経にはつよい電流が走った。『なんだ、これは』と注視してしまう」と述べています。
 第1章「混乱と衰微の首都」では、慶應4年3月12日、東海道を進軍してきた官軍の前に、「百万人の江戸は半分になり、都市機能は完全に破壊された。給金も支払われなくなり、日常の物資の運搬もままならない。駕籠かきがいても乗り手はまれだ。通りという通りに紙くずが舞い、くさった野菜が散らばり、猫の死骸が転がる。馬の糞を拾う者もいなくなった。堀には死体がゴミに取り囲まれてプカプカと流れている。おびただしいカラスが初夏の空に舞った」と述べています。
 また、「明治2年(1869年)の東京の混乱と衰微は極限に達していた」として、「明治元年よりも事態は一層悪化していると、諸資料から感じ取ることができる。首都が都市機能をうしなってしまえば、明治維新は水泡に帰す。江戸を廃墟にして、薩長土肥のサムライはすごすごと故郷に戻らなければならない。当然、さまざまな対策が必死に講じられ、その一環で三田救育所ができた。浪人保育所もつくられた」が、「あいかわらず、ぼろをまといやせほそった困窮者が街にあふれている」と述べています。
 そして、「新政府の方策はおおきくわけて3つになる。だれも西欧の貧民対策を研究していなかったのか、江戸時代とかわらない」として、
(1)旧里追放令
(2)東京以外の土地に仕事を作って移住させる。9月には「下総開墾場」ができている。
(3)収容:麹町と高輪にあらたな救育所が新設された。
の3点を挙げています。
 第2章「困窮民を救え」では、「新政府の貧民対策は場当たり的だった」として、「江戸という都市で、穢多や非人の身分が果たしていた役割に無頓着なまま、『奴隷的な賤民』がいては外国に外聞が悪いとか、彼らが住んでいる無税の土地を無くしたいとか、いろいろな理由から賤民制度を廃止した」ために、非人たちが引き受けていた、「都市に流入する野非人(無宿)をつかまえて出身地に追い戻すか、それとも自分たちの小屋に抱えて生計が立つようにするのか」という判断や、「病気で行き倒れた者や、年老いた者、年少者を、しばらくないだ溜で面倒を見る」という役割を、「社会が必要としたから2百年も続いたのに、一文の価値もないかのごとく、新政府はこれを捨ててしまった」と述べています。
 そして、「明治2年(1869年)を最悪の年にして行き倒れ人は減少し、街路の清掃も進んでいたが、皮肉にも明治4年の解放令で職をうしなった賤民がまた街頭にたむろするようになっていた」と述べています。
 第3章「さまよう養育院」では、養育院で、「職業訓練をふくめた授産が積極的におこなわれている」として、「製靴、つまりシューメイカーに力が込められたのは、役員のひとりに西村勝三がいたからだろう」と述べています。
 そして、渋沢栄一の情熱と信念が「どこから生まれたのか」について、「母親のお栄さんが実に天性の慈善家で、かわいそうな人を見るとうっちゃって置けず乏しい人に逢うと、無性に物が恵みたいという、性分だった」と紹介し、「渋沢栄一の思想の核には、西欧のバザーもさることながら、農村に沈殿した仏教の古俗がつたわっていたことになる」と述べています。
 第4章「帝都の最底辺」では、転地療養のために本格的な「安房分院」が建設され、「館山市船形の土地買収と建物の新築には養育院婦人慈善会などが協力し、明治42年(1902年)に開院式がもたれた」と述べています。
 第5章「近現代の暗黒行政」では、昭和6年に渋沢栄一が亡くなると、「すでにおおきくなりすぎているこの組織をとりしきることのできる者はもういない。のこされた幹事や役人は時代に翻弄されながら、必死に現状を維持することに腐心した。それはまた本来の養育院の目的からしだいにそれて行く結果になった」と述べています。
 また、戦争が深まるなか、千葉県袖ケ浦市代宿8番地に長浦更生農場(分院)をひらき、精神薄弱者を収容したことについて、「現在の東京都千葉福祉園がその場所」で、「山間なので、当初の頃は電気も水道もなかった」と述べています。
 著者は、「どうも市井の目から見れば養育院は論証ぬきで『いいかげんの施設』になるようだ」が、「『私』のエゴイズムは美談になり、『公』の平等思想は冷酷と断罪されていないだろうか。このように『公』としての養育院への蔑視と嫌悪はいつのまにか市民のあいだにひろく共有されてしまった。それを当然とするような風潮がずっとかもしだされてきたのは不幸なことだ」と述べています。
 本書は、近代の困窮民対策の中心にあった養育院を追った一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書の中でいくつか千葉県内に作られた施設が取り上げられていることから、昔から東京都の結びつきが深かったことが伺われます。


■ どんな人にオススメ?

・戦前の福祉政策を知りたい人。


2015年6月14日 (日)

古代エジプトの埋葬習慣

■ 書籍情報

古代エジプトの埋葬習慣   【古代エジプトの埋葬習慣】(#2429)

  和田 浩一郎
  価格: ¥896 (税込)
  ポプラ社(2014/4/8)

 本書は、「来世には第二の人生が用意されているという発想」の基で、「この来世での再生をできるだけ確実なものにする」ことをテーマとした古代エジプトの埋葬習慣について解説しているものです。
 第1章「自然環境と死生観の形成」では、「ナイル河は古代エジプト文明の源であり、そのほとりに住む人々の生活を現代に至るまで支え続けてきた」として、「古代エジプト人は自分たちが恵まれた環境のなかで生活していることをよく自覚していた」と述べた上で、「古代エジプト人たちは、ナイル河の増水を起点にした生と死の循環を考えるようになった」としています。
 そして、古代エジプト人が、「人間の不可視の要素をふたつに分けて考えた」として、「霊魂と同様に人が死んだあとも存在し続け、これらが肉体と再合一を果たすことで、来世での再生が実現されると考えた」、
(1)「カア」:人間の生命力を象徴しているもの。
(2)「バア」:そのものを特徴づけている存在。
の2点を挙げています。
 また、「カアとバア以外の構成要素として古代エジプト人が重視していたのは、肉体、名前、影である」と述べ、「古代エジプトにとっての死とは、肉体に収まっていたこれらの要素が、肉体からいったん解き放たれることを意味していたと考えることができる。そして適切な遺体の処置と葬儀、地下世界で行われる神々の審判を経て、再びカアとバアが肉体の上で合一したとき、人は人生の次のステージに進むことができたのである」としています。
 第2章「来世の世界」では、「古代エジプト人が考えた死後の人間のあり方には、ふたつの段階があった」として、
(1)カアとバアが肉体から分離し、墓に捧げられる供物や礼拝を糧に地上や天空で活動する段階。
(2)カアとバアが再合一し、アクとして来世で生きていく段階。
の2点を挙げています。
 そして、「私たちが来世と聞いてイメージするのは、現世のさまざまな労苦から開放された死者が、安楽に生活している世界」であるが、古代エジプトの「葦の野」には、「労働の義務が存在しており、その決まりごとを見る限り、古代エジプトの来世は我々のイメージとは少々異なっていたようである」と述べています。
 第3章「葬儀」では、葬儀のおおまかな流れとして、
(1)ナイル河を渡る葬列
(2)遺体のミイラ処理
(3)ミイラ処理後の儀式
(4)墓への葬列
(5)口開きの儀式
(6)墓を閉じる儀式
の6点を挙げています。
 そして、「あれほど多くの文字記録を残している古代エジプト人が、ことミイラ製作については固く口を閉ざしている」ことについて、「古代エジプト社会では、ミイラ製作は秘術の一つと考えられていたようだ」と述べています。
 また、「内蔵の摘出はミイラ製作に必要な措置だったとはいえ、それらは肉体の大切な構成要素でもあり、捨ててしまうというわけには行かなかった」ため、「摘出された内蔵も、遺体と同様の手順で乾燥・防腐処理が施され」、「古代エジプト人が重要と考えた臓器である肝臓、肺、胃、腸はミニチュアのミイラのように梱包され、遺体の側に置いておくための特別な入れ物」であるカノポス箱やカノポス容器と呼ばれる埋葬用品に入れられたと述べています。
 さらに、南北戦争時代にアメリカ合衆国において、戦争中の原材料不足を補うため、「ミイラを包んでいた亜麻布」を貨物船で輸入し、ミキサーにかけ、茶色い包装紙として雑貨屋や肉屋で商品を包むのに再利用していたことや、包みを解かれたミイラの方は、石炭の代わりに燃料として利用されていたと述べ、「これらの逸話は、いかに多数のミイラがエジプト国外に運ばれていたのかを如実に物語っている」としています。
 第4章「墓を造る」では、「古代エジプトの墓は遺体の永続的な保全、被葬者の記憶の保存、そして被葬者に対する葬祭の場という3つの役割を持っていた」として、「三千年のあいだにさまざまな形態の墓が生まれたが、地下の墓室と地上の礼拝施設という基本構造は一貫していた」と述べています。
 また、盗掘について、「古代エジプトの全期間を通じて最もよく行われた防御策は、通路や竪坑を土砂で埋めるという単純な方法」で、「この単純な方法が、最も効果的だったことを末期王朝時代の墓が証明している」と述べています。
 第5章「死者とともに―副葬品の意味」では、「古代エジプトの副葬品にも思い出の品は含まれていたが、もっと具体的な役割を持つものも多かった」として、「死者が地下世界を旅するあいだ、そして来世にたどり着いてからの生活において、死者を守り助ける」ため、「日常品の形をしていても魔術的な意味が込められている場合が少なくない」と述べています。
 また、古代エジプトに特徴的な人形棺について、「このタイプの棺は箱型棺から生じたのではなく、遺体が被っていたミイラマスクに起源があると考えられる」とした上で、「死者は地下世界で課せられる試練をくぐり抜けることで、来世での再生を果たすことができた。これは死を克服したということを意味し、それゆえ死者は神的存在に変身すると見なされた。その姿を表現したのがミイラマスクであった」と述べています。
 本書は、誰もがその姿は知っていても、そこに込められた意味は知らないことが多い、エジプトの埋葬習慣の意味を教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 古代エジプト人の死後の世界の話はピラミッドなどで皆なんとなく知っている話ではあるんですが、現実に一般人の埋葬と結びつけて考える機会はなかなかないのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・エジプト人の死生観を垣間見たい人。

2015年6月13日 (土)

月の錯視: なぜ大きく見えるのか

■ 書籍情報

月の錯視: なぜ大きく見えるのか   【月の錯視: なぜ大きく見えるのか】(#2428)

  ヘレン ロス, コーネリス プラグ (著), 東山 篤規 (翻訳)
  価格: ¥3,996 (税込)
  勁草書房(2014/8/31)

 本書は、「地平線の近くにある月が大きく見え、空高くのぼった月が小さく見える現象」である「月の錯視」について、「複数の要因が色々な程度で貢献する」として、「さまざまな成分――そのうちもっとも重要なものが月と観察者の間に介在する知性の視覚――の相対的貢献を定量化すること」を目的としたものです。
 第1章「天体錯視」では、「水平方向の月が大きく見えることは、ふつうは月の錯視と呼ばれる。これは20世紀に一般化された呼称である。それは、ときには地平線錯視と呼ばれてきたが、これは、明らかに適切でない。よく似た錯視が太陽についても観察され、それは順当に太陽の錯視と呼ばれる」と述べています。
 そして、「月の錯視の広範な文献は、何世紀にもわたって、いくつもの言語にわたって散在している。これは歴史的に興味深い特異な例である」とした上で「このような歴史的に不正確なものが、この本によって正されることをわれわれは願っている」と述べています。
 また、「地平線上にある太陽や月の見かけの拡大は、約2倍、ときにはそれ以上に推定されることが多い」としつつ、「太陽と月が2倍以上に推定されるのに対して、星のあいだの距離の推定が、それよりも小さいのはなぜだろうか」として、「天球上の同時に見えるに距離の比較は、かなり単純な知覚的課題であるが、水平方向にある太陽や月の拡大の推定は、記憶を伴うので、もっと複雑である」と述べています。
 第2章「月と太陽の実際の大きさ」では、「太陽と月はともに、地球から見ると約0.5度の角度的大きさをもつ。一年のあいだに地球から月まで距離は変化し、月の角度的大きさは11%まで変動する」と述べています。
 第3章「知覚された大きさ」では、「大きさ―距離の普遍性の評価はむずかしい」理由として、「ほとんどの研究者が、知覚された大きさという一つの測度しか採らず、しかも、それが角度的大きさと直線的大きさのどちらなのかを明確にしてこなかったからである」と述べ、「直線的大きさと角度的大きさの両方の判断が得られたとき、この仮説の伝統的な形式は、厳格な幾何学的な方法では成り立たない」と述べています。
 そして、「知覚された大きさに関数古典的な2仮説は、生得論者と経験論者のあいだの論争とよばれてきたものにほぼ相当する。つまり、生得論者は角度的大きさの仮説をとり、経験論者は直線的大きさの仮説をとる」として、「生得論者の説明は、データ駆動あるいはボトムアップの要因を強調する」のに対し、「経験論者の説明は、概念駆動あるいはトップダウンの要因を強調する」と述べています。
 第4章「月の錯視の測定」では、「月の錯視の初期の測定は、しばしば知覚された直線的大きさが測定されると研究者が主張したにもかかわらず、月の知覚された角度的大きさを、観察者の近くにある視標の角度的大きさに照合させることからなっていた。この測定では、たいてい、上った月には小さな角度的拡大しか得られないが、水平方向の月の相対的な角度的拡大は3倍以上になる」と述べています。
 第5章「大気の屈折」では、「大気の屈折は、これまでのところ、説明としてきわめて将来性があるわけではないことがわかったが、いくつか別の側面は言及に値する」として、「太陽という円盤の不規則なゆがみ」に関して、「このゆがみは、太陽が上ったり沈んだりするときに、太陽の光線が通過することになる、温度差のある階層化された空気の層によって生じる」と述べています。
 第6章「空気遠近」では、「空気遠近、すなわち大気を通して対象を観察したとき、その輝度対比と色対比が減少することを大勢の初期の著者たちが書き留めている」とした上で、「深い霧は天体錯視に寄与し得ない。なぜなら霧によって、太陽や月の絶対的輝度が減少するために、小さく見えるからである」と述べています。
 第9章「近くにありながら遠い」では、「知覚された距離に及ぼす経験の効果にもとづいた月の錯視の説明は、立証するのが難しい。それには、水平面あるいは垂直面において近い距離や遠い距離を習慣的に経験してきた、異なる被験者群による大きさと距離の判断を比較する必要があるだろう。そのような群を見つけることは難しい。というのは、ほとんどの人びとは、頭上と足元にある対象が、地平線の近くにある対象よりも近接している環境で暮らしているからである」と述べています。
 第13章「結論と謎」では、「本書の過程において、われわれは月の錯視についておおくの理論を論評し、おおくの観察と実験を記述してきた。単一の理論が浮かび上がって勝利をえることにはならなかったが、いくつかの説明は除外された」として、月の錯視の理論について、
(1)網膜像の大きさが、外的物理的理由によって変化する。
(2)網膜像の大きさが、生理光学に結びついた理由によって、目の内部において変化する。
(3)知覚的な大きさが、脳の中の尺度を構成する機構によって変化する。
の3つに分類し、それぞれ否定しています。
 そして、「月の錯視は、天文学、光学、物理学、心理学、哲学といった科学の広大なスペクトルを跨ぐいくつかの知覚現象のひとつである。その説明は、科学的説明の歴史とくに知覚心理学の歴史を例証しているが、その歴史を詳細にたどっているわけではない。なぜなら、錯視は『素人』によって再発見あるいは再説明され続けてきたからである」と述べています。
 著者は、「月の錯視の大きさを測定すると、水平方向の月の拡大は、上った月と比較して、典型的には約50%、ときにはそれ以上になる。それはいくつかの要因の総計として説明できる。その中でもっとも重要なものは、視覚的地勢あるいは全体的な視覚的光景に広がる相対的大きさの効果である」と述べています。
 本書は、「月の錯視」を題材として知覚心理学の歴史をたどった一冊です。


■ 個人的な視点から

 月は昔から人間にとって身近な天体だったわけですが、太陽と違いじっくり観察することが出来るだけに想像力も働いたのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・満月に見入ってしまう人。


2015年6月12日 (金)

津波災害と近代日本

■ 書籍情報

津波災害と近代日本   【津波災害と近代日本】(#2427)

  北原 糸子
  価格: ¥5,184 (税込)
  吉川弘文館(2014/5/27)

 本書は、「東日本太平洋沖地震津波の規模に匹敵する貞観地震の記録がネグレクトされてきたこと」をきっかけに、「災害史資料への熱い眼差し」が注がれるようになったとして、「明治三陸津波後、被災地の調査を単独で行った山奈宗真という人物の調査記録を再検討」するとともに、近代以降に建立された津波碑がどれほど残されているのかの調査など、「過去の災害から防災側面のみを取り出す教訓の学びだけに特化しない、これまで関わってきた災害社会史研究の領域を明確に打ち出すべきであり、その可能性を現実に起きている事象の中で検証すべき」だと主張するものです。
 第1章「災害史研究の現状と課題」では、「東日本大震災は『想定外』の災害とされたが、じつは歴史的記録の無視によって見過ごされてきたことから、歴史災害を記録する資料への関心が高まる現状にある」と述べています。
 そして、「災害史研究はいまだ個々の災害についての研究蓄積はそれほど高くないのではないかと思われる。隣接分野と連携して、新しい視点を獲得できる可能性の大きい災害史研究は、現在進行形の東日本大震災の中で、社会に有用な学問的還元ができるか否かが問われている」と述べています。
 第2章「津波災害と復興」では、「津波にまつわる記念碑としては、今回の東北地方太平洋沖地震の津波で広く知られることになった津波記念碑があるが、この大震災によって倒壊したり、流されたりしたものも少なくない」とした上で、「多くを失い、これから先への展望を持つにもその条件が整わない状況にある人々にとって、今を支える何かが必要」であり、「記念碑を建立する、あるいは建立しようと務める気概を持つこともそうした支えの一つになりうることを知った」と述べています。
 そして、「明治三陸津波の場合は、被災者救助に向けられる備考儲蓄金による救助策以外、国による集落の移転費などの積極策はほとんど展開されなかった」のに対し、昭和三陸津波の被害を受けて、国は津波防護対策として、
(1)部落の高地移転
(2)敷地の地上げ
(3)防浪堤
(4)防浪建築
(5)街路の整備
(6)埋立及護岸
(7)避難道路
(8)防潮林
(9)防波堤
(10)津波予報装置
の10項目の具体策を掲げたとして、「これらがすべて実施され、その効果についての見直しがこの80年間の間に行われていれば、東日本大震災の悲劇は幾分軽減されたのではないかと思うほどの万全作が構想されていた」と述べています。
 また、「はじめて国家が復興策に取り組み、市町村への巨額の事業費を産業組合を通じて低利融資で支援した結果、集団移転は景観の均質性を生んだ」とともに、「それは村の社会関係の変化をもたらさずにはおかなかったが、特に旧態然とした名子制度を崩壊させつつ、村の生活に改善をもたらした」と述べ、「この復興は、実は、単に災害からの復興という次元にとどまらず、国家が地域の復興に取り組む契機となった点で近代日本の災害復興事業の重要なターニングポイントであった」と述べています。
 第3章「明治三陸津波と山奈宗真」では、「東日本大震災は、100年以上前の明治三陸津波の惨禍のなか、民間人として独自に津波調査を建言し、単独で調査を決行した山奈宗真の名を再び蘇らせた」として、「ここで山奈宗真に注目する理由は、津波学としての成果を問題とするわけでなく、『岩手県授産方法取調方』としての彼の調査内容である。東日本大震災の復興が問われる今日、山奈の調査内容が多岐に及び、漁業再興に向けての提言などを含んでいたことは注目すべき事実であり、現代社会にそのまま適用できるというものではないにしても、その時点の復興の道筋を探ろうとした内容は、今日再び検討に値すると思われる」と述べています。
 一方で、「山奈の調査内容はいずれもハード側面の組織的な復興指針を示すものではなく、行政上この報告書を活かす道筋を県当局は立てられなかったという一語に尽きるのではないだろうか」としています。
 第4章「明治三陸津波と村の対応」では、「発災より一週間の間は、被害発生の連絡、救援、救護、報道、行政の対応、義捐募集など、災害発生と同時に探られる初期対応の定番がほぼ出揃った時期と捉えることができる」とした上で、「被災後一週間を経た時期から、県の調査、県知事の視察、内務大臣の視察など行政の責任の地位にある人々が被害現場に赴いた。被災地の事後処理に軍隊、近隣村の労力が投入された。また、天皇による下賜金の告示、義捐金、救援物資など、その慈善の意志の有無が社会に及ぼす影響の大きい立場の人々を巻き込む段階となった。青森県主催の義援金高も日増しに増えた」と述べています。
 そして、「罹災後一ヶ月間に浮上した問題実際処理の段階に突入したと捉えることができる」としています。
 第5章「災害と家族」では、「明治三陸津波(明治29年〈1896〉)と昭和三陸津波(昭和8年〈1933〉)の二度にわたる大被害を受けて、沿岸地域の村や町はどのように立ち直っていったのか、その過程を具体的に追跡し、そこに作用していた復興の論理とはどのようなものであったのかを検出する」としています。
 そして、大船渡市合足地区の事例から、「災害で『家』の成員たる家族を大半失うという困難に直面して採られた方法」として、
(1)直系家成員による相続が可能な場合
(2)傍系家族(甥)による相続の場合
(3)再婚・養子取りによる家族の再編成
(4)ニ家系の合家
(5)絶家―再興
(6)転出
(7)絶家
の7つに分類しています。
 第6章「災害常習地帯における災害文化の継承」では、明治三陸津波の事例から、「当時の人々の様々な社会行動の一断面が災害という事態で切り取られたように、聞き取りで分かった」として、「節句では嫁は実家に帰る、結婚後ただちには入籍しないという慣例、現在でも見られる出産に際しての里帰りなどの慣習」を挙げています。
 第7章「東北三県における津波碑」では、「青森、岩手、宮城各県の三陸沿岸地域は明治三陸津波(明治29年〈1896〉)以来、何回か津波被害を受けたため、犠牲者を供養し、今後の教訓に活かそうとした津波記念碑が多く残されている」として、「当時における碑建立の意図やその実現に向けて努力した人びとなどを碑面の分析から抽出し、その社会意義を検証しようとする」と述べています。
 そして、明治三陸津波碑が数少ないのに対し、昭和津波碑が多数存在することについて、「犠牲者と津波碑の分布が単純な対応関係を示していないのは、墓碑などを除く津波非建立が個人的発願による場合よりも、部落、村、町など地域共同体全体の社会的行為として建立された場合が圧倒的に多いことの結果である」と述べています。
 第9章「津波碑は生き続けているか」では、宮城県の津波死者が、明治に比べて昭和が10分の1以下になったにもかかわらず、「津波費が圧倒的に増える結果」となった理由として、「これらの津波碑は、朝日新聞社が募集した義捐金21万余円のうち、救済費に充てた残りを津波碑を設けるよう指定された結果であった」と述べています。
 第10章「下田港の被害と復興」では、安政元年(1854)11月4日に発生した安政東海地震津波で最も被害を受けた下田港について「この時期の社会情勢を極めて色濃く反映させた下田港における災害対応のあり方は、災害による社会的危機と黒船到来の国家的危機とはどのように連関していたのか、あるいは社会の各階層にこの災害がどのように認識され、どちらの危機が優先的に処理されていったのか、ここでは他に求めることのできない多くの問題を孕んで興味深い事例が展開した」と述べています。
 本書は、近代以来の日本がどのように津波と向き合ってきたかを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 津波や地震が何百年単位のスパンで起きていることを考えると、地質学的な研究と並行して、過去の史料を読み解く史学的な研究も重要だと感じました。
 それにしてもさまざまな手をつくして家を残そうとする執念はすごいです。

■ どんな人にオススメ?

・すぐに災害を忘れてしまう人。


2015年6月11日 (木)

サバからマグロが産まれる!?

■ 書籍情報

サバからマグロが産まれる!?   【サバからマグロが産まれる!?】(#2426)

  吉崎 悟朗
  価格: ¥1,296 (税込)
  岩波書店(2014/10/30)

 本書は、「サバにマグロを産ませようという研究」を行っている研究者が、「どうやって失敗を乗り越えてきたか、すなわち、どんな壁にぶつかって、それをどうやって克服してきたか、その驚きと発見の連続の冒険譚を紹介」しているものです。
 第1章「サバにマグロを産ませる!?」では、クロマグロが、「およそ100キログラムに達した段階でほとんどの個体が成熟すると言われて」いることから、「この巨大な親マグロを人間の管理下で飼わないと放流用の種苗をつくることができない」として、体が大きいことと、成熟まで4~5年の時間がかかるという問題があり、「マグロの親を育てるには、非常に大きな施設に長い期間、さらにはこれを飼育し続けるためには、莫大な労力と餌代が必要になって」くると述べています。
 一方で、サバは、「陸上の小さな水槽」で飼うことでき、成熟誘導が非常に簡単になること、満1歳で成熟するので、成熟までの時間を短縮することができることなどのメリットが有ると述べています。
 そして、サバにマグロを産ませる方法として、「卵や精子を継続的につくりつづける、卵や精子のもとになる細胞、すなわち〈種〉をなんとかマグロから探し出してきて、これをサバに移植する」と述べています。
 第2章「どうやってサバにマグロを産ませるか」では、「重要なことは、この卵や精子の〈種〉になる細胞というのは、いったいいつどこにいるのか、どこを探せば手に入るのか」ということだとした上で、MITの研究グループが1997年に発表した論文に「vasaという遺伝子が始原生殖細胞で特異的にmRNA(メッセンジャーRNA)をつくっている」と書かれていたことから、「vasa遺伝子のつくるmRNAやタンパク質を目印にすれば、魚の中から生きた始原生殖細胞を探して採ってくることができると考えた」と述べています。
 第3章「ヤマメがニジマスを産んだ!」では、「始原生殖細胞は仔魚の卵巣・精巣、すなわち生殖隆起とは全く別のところで誕生」し、「それがこの空の生殖隆起から分泌される誘引物質に誘引されて、アメーバ運動により体の中を歩くことで生殖隆起に向かって移動していく」と述べた上で、当初は、「ニジマスの始原生殖細胞をヤマメの小さな空っぽの卵巣・精巣に移植しようとしていた」が、「もっと簡単に、ニジマスの細胞をヤマメの腹腔の中のどこでもいいので注射してしまえば、あとは移植された始原生殖細胞たちが、将来の住処である卵巣や精巣にまで勝手に歩いて行ってくれるのではないかと考えた」ことが、「研究戦略の中の最大のブレークするー」だったと述べています。
 第4章「精巣から卵? 卵巣から精子?」では、「マグロの始原生殖細胞を持っているような孵化直後の仔魚を探すのは、実はすごく大変」であることや、「クロマグロの孵化仔魚は始原生殖細胞をわずか5~6個しか持っていない」ため、「この実験をマグロの始原生殖細胞を使って行おうとすると、非常にたくさんの孵化仔魚を集めなければ」ならず、本末転倒になってしまうことから、「より大きなサイズにまで育った魚から、同じような細胞を回収できないか」と考えたと述べています。
 そして、「精子のもとである精原細胞をオスの精巣に移植したら精子をつくるのか」という話の次に、「オスの精巣の細胞をメスに移植したら何が起きるだろうか」という実験の結果、「魚類の精原細胞(おそらくこの中に含まれる生殖幹細胞)は実は卵になる能力も併せて保持しているということがわかった」と述べています。
 著者は、「材料にする魚が、仔魚でも、親でも、オスでも、メスでも、要するに卵巣か精巣を手に入れることができれば、その中に含まれる生殖細胞(とくに生殖幹細胞)を宿主個体へ移植することができ、これらの宿主個体は移植した生殖細胞に由来する卵や精子をつくりつづけられるということが、これら一連の研究でわかって」きたと述べています。
 第6章「20XX年、ついに●●がマグロを産んだ!」では、「私たちはこれらの移植を施した宿主たちを育てていけば、近い将来クロマグロが産まれると考えて、これらの魚たちを頑張って飼育しているところです」と述べています。
 そして、「私たちが考えている理想形は、移植用の幹細胞を試験管の中で無限に増やして、これらの培養細胞を宿主へと移植しようという作戦」だと述べています。
 本書は、人間の都合で激減した魚を再び増やそうとチャレンジした記録です。


■ 個人的な視点から

 近い将来マグロが食べられなくなるかも、と言われている中、マグロの養殖といえば近大マグロが有名ですが、様々な周辺技術のブレイクスルーがあってこそ養殖も可能になるのかもしれないです。


■ どんな人にオススメ?

・マグロは好きだけどサバはそれほどでもない人。


2015年6月10日 (水)

音律と音階の科学―ドレミ…はどのようにして生まれたか

■ 書籍情報

音律と音階の科学―ドレミ…はどのようにして生まれたか   【音律と音階の科学―ドレミ…はどのようにして生まれたか】(#2425)

  小方 厚
  価格: ¥929 (税込)
  講談社(2007/9/21)

 本書は、「プラズマ波のフーリエ解析で学位を取った」物理学者である著者が、「なぜドレミ……という音階が人類に受け入れられたか」について、「サイコ・フィジクス(心理物理学あるいは精神物理学と訳される)に拠って、心理学の側からもこれを説明した」ものです。
 第1章「楽器にドレミ……を視る、ドレミ……に触れる」では、「デジタル楽器」と「アナログ楽器」の違いについて、音楽に使用される「デジタル化された音高がそのまま出るように作られているのが、デジタル楽器である」として、その典型である鍵盤楽器について述べています。
 そして、ピアノについて、「あるキーの周波数に『ある数』をかけると、半音上のキーの周波数になる」として、「1.0594…」という周波数比を示し、「この『ある数』の値をすべて同じに決める」音律、すなわち「隣り合う音高の周波数比が均一な音律を平均律と言う」としています。
 第2章「ドレミ……はピタゴラスから始まった」では、「周波数比が1対2の関係」にあるオクターブと、「周波数比が1対3の関係にある2音」について、「ピタゴラスは、この1対2と1対3という周波数比を組み合わせて音律を作ったのである」と述べています。
 第3章「永久に閉じない環をめぐって」では、ピタゴラス音律の欠点として、
(1)C(ド)とE(ミ)の響が悪いこと。
(2)周波数比2.02729……を2とみなしたこと。
の2点を挙げた上で、「ピタゴラスの5度を12倍すると円を一周する角度より大きくなる」と述べ、3を12回かけた結果531441と、2を19回かけたかけた数524288との周波数比である1.01364について、「ピタゴラスのコンマ」と言うと述べています。
 そして、「ピタゴラスのコンマにどう対処するかは、ピタゴラス音律にとどまらず、その後現れたほとんどの音律に共通する大問題であった」が、「これを一挙に解決してしまったのが、すでに紹介した平均律である」と述べています。
 また、「周波数比5/4の長3度音程の魅力を取り入れて、しかも転調・移調も行いたい」ために、「2の音の周波数比は整数比でなければならない」というルールを少々いじったものとして、「ミーントーン(中全音律)は長3度を優先するために完全5度を犠牲にして、しかもある程度の転調・移調を可能とした最初の音律であった」と述べています。
 第4章「なぜドレミ……が好き?」では、「われわれは可聴領域の端の方、すなわち高温域・低音域に行くにしたがい、2音の高さの差も認識しづらくなる」ため、およそ100~1000Hzの範囲よりも「低音側・高音側では周波数比をもっと広げないとオクターブ『らしく』聞こえない」ことから、「ピアノの調律は、あらかじめこの事実を計算にいれて作成した『調律曲線』に従って行う」と述べています。
 そして、「楽器で2つの高さの異なる音を同時に出したときの不協和度」について、「Cに協和する音は限られており、それらはC、E♭、E、F、G、A(ド、ミ♭、ミ、ファ、ソ、ラ)である」として、「西洋音楽はもっぱらこれらの音を使う」と述べています。
 第6章「民族音楽に理屈を付ければ」では、「4本の弦」を意味する「テトラコルド」について、「テトラコルドは音階の小単位で、これらを組み合わせるとオクターブの音階ができる」と述べています。
 また、「インドではオクターブを22分割するが、等分割ではない(すなわち、平均律ではない)。この22の音階から7音を選んで音階を作って使う」と述べています。
 第7章「打楽器が作る音律」では、「ガムランでは楽器間の周波数のずれが『うなり』を生じる。西洋音楽ではうなりは悪玉だが、ガムランはそうは見なさない。むしろうなりが与える深い陰影を活かす演奏こそが良い演奏であるとされる」と述べています。
 第8章「音律の冒険」では、「ジャズで最も好まれるのは、短7度(セブンス)を含んだ和音である」として、その裏コードとの間で、共通の音が2つもあることが、「交換可能な理由である」と述べています。
 そして、「西洋音楽の歴史を眺めると、次第に『心地わるい』非協和な響きが受け入れられてきたことがわかる」として、「ベートーベンはそれまで忌避されてきた減5度という不協和音をけっこう使ったし、ドビュッシーは全音音階すなわち6音平均律を使った」と述べ、「協和・不協和の概念も変化していくであろう」としています。
 本書は、音楽における音階と音律の歴史を物理学者の目で追った一冊です。


■ 個人的な視点から

 子供の頃からドレミで音楽を勉強していると12音の平均律が当たり前のものだと思ってしまいますが、世界の音楽を聞くと音階はもっと自由でいいんだということに気づけるかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・ドレミが当たり前だと思っている人。


2015年6月 9日 (火)

首都水没

■ 書籍情報

首都水没   【首都水没】(#2424)

  土屋 信行
  価格: ¥821 (税込)
  文藝春秋(2014/8/20)

 本書は、「ゼロメートル地帯が4割を占め、多数の地下鉄が走る東京は、きわめて水害に弱い構造である」ことを、江戸・東京の開発の歴史を振り返りながら指摘したものです。
 第1章「山の手にも洪水は起こる」では、広く平らな東京東武低地では、「ゲリラ豪雨で命を失うような水難事故の可能性は、非常に低い」のに対し、「山の手の武蔵野台地では、中小河川が大地を刻んで流れているので、ここに雨水が集中すると、一気に水位を上げ」るため、「中小河川の流域のほうがゲリラ豪雨による水難事故の危険性が高くなる」として、「このような違いがどこから発生するのかをきちんと知ることが、洪水による水難事故を減らすことにつながる」と述べています。
 第2章「東京は世界一危ない場所にある」では、「近年の防災技術と防災対策の向上により、日本の国土の安全性は著しく高まりました。しかし防災技術の発展は同時に、人びとの危険回避能力を、低下させてしまったのかもしれません」と指摘しています。
 そして、江戸時代からの海岸の埋め立てや、河川の付け替えなどの人為的な地形構造の改変に加え、「近代化のための工業用水を確保するために、明治期からたくさんの地下水を組み上げ」た結果、「地盤がもともと軟弱な堆積土社で構成されていたため、東京の地盤沈下が猛烈な勢いで進」んだと指摘しています。
 第3章「地球温暖化で首都は壊滅する!」では、「地球温暖化に伴う気候変動による治水のあり方を話し合う国際会議に出席すると、世界各国の研究者や政府、自治体の実務担当者から必ず叱責を受ける」理由として、「オランダやイギリスのような具体策がないこと」を挙げ、治水に関して、「気候変動による降雨強度が増えるという地域ごとの計算をしているものの、それを具体的な河川の整備計画に反映していない」と述べています。
 第4章「利根川の東遷事業が東京を危険都市にした」では、「徳川幕府は東北の豊かな産物を江戸まで安全に運ぶために、銚子から旧常陸川(現在の利根川下流域)、関宿、江戸川、新川、小名木川、日本橋川、道三堀とつなぐ、『内川廻し』という内陸航路を整備」したと述べ、「利根川の東遷、荒川の西遷」と呼ばれる河川改修事業が、「埼玉平野の東部を洪水から守り新田開発を促進すること、熊谷・行田などの古い水田地帯を守ること、江戸市中へ秩父の木材を運ぶ舟運路を開発すること、さらに江戸の洪水の防御などを、目的にした」と言われているとしています。
 しかし、「現実的には東遷事業により、日本最大の流域面積を持つことになった利根川の水を、堤防一枚で東京から銚子の方へ無理やり流している」ため、「利根川で洪水が起これば、必ず東京にやって来ます」と述べています。
 第5章「雨が降らなくても洪水になる『地震洪水』」では、「堤防を『土』でつくることを原則としているのは、『土』には耐用年数がなく、きちんと管理していれば、未来永劫使い続けることができる」とした上で、「コンクリート構造物で造られた堤防の怖さは、地震により少しでも破壊されれば、そこから水が侵入すること」だとして、「ゼロメートル地帯の東京東部低地帯では、全く雨が降らない日であっても、満兆位の時に地震の被害で浸水を受ければ、約124平方kmの地域が洪水になってしまいます」と指摘しています。
 第7章「東京の三大水害に学ぶ」では、大正6年9月30日の台風で、東京湾接近時に既往最大の高潮位A.P.+4.21mを記録し、「折しも満潮になろうとしていた時刻と重なり、深川、品川、葛西で高潮が押し寄せ、葛西村(現在の江戸川区)では248人の死者を数え、全国で1324人の死者/行方不明者」を生んだ「大正6年の大海嘯(大津波)」について、この高潮によって、「行徳の塩田は壊滅的な被害を受け、何百年も続いた塩作りの歴史に終止符が打たれ」、「江戸川区の新川の周辺には果樹農家がたくさんあり『新川梨』という梨の名産地でしたが、畑が塩を被ってしまい、全滅して」しまったために、「梨農家の多くの方々が二度と高潮の被害の発生することのない高台を求めて、千葉県の市川、船橋、松戸の方へ移住」した結果、「千葉県のこの地域が今、梨の一大産地になっている所以」だと述べています。
 第8章「洪水は流域一体で起こっている!」では、「洪水が自治体を単位に起きることなどありえません。しかし現実には、洪水警報や洪水注意報は自治体ごとに発令されており、それも流域は無視されているのです」と述べた上で、「すべての自治体に、地震、水害などの災害対策を専門的に担当できる技術職員がいるわけではありません」と指摘しています。
 第9章「強靭な日本を創るために」では、「東北の地域には津波石とも呼ばれる津波記念碑が、いたる所に設置されて」おり、「これらの石が語る真意は、もう二度と子や孫の世代には、災害を味わわせたくない、後世の人々には安心して暮らせるところに住んでほしいという、当時、生き残った者達の切なる願いだったに違いありません」と述べています。
 そして、女川原発が、お年寄りに伝承されてきた「知恵」を大切にして、高台に建設されたことについて、福島原発と女川原発の明暗を分けたものは、「福島原発が『設置当時の最新の知見を取り入れた』のに対し、女川原発が『古くからの先祖の言い伝えを守った』ことにあったのではないでしょうか」と述べています。
 あとがきでは、「『防災』とは『災害を防ぐ』という考え方ですが、襲ってくるから防ぐのではなく、洪水を味方につけ、洪水とともに生きてきた私達の祖先の生き方に習い、将来の子々孫々に、日本独自の『地域文化』としての『災害文化』を継承することが、『平成という今を生きる私達の責務』ではないでしょうか」と述べています。
 本書は、災害列島に暮らす我々にとっての、地域に根づいた「災害文化」の大切さを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 満潮時に地震で東京湾沿いの堤防が壊れたときの「地震洪水」が怖いですね。まあ、高い建物も多いので「垂直避難」はある程度できそうですが。


■ どんな人にオススメ?

・東京で水害なんて起こらないと思っている人。


2015年6月 8日 (月)

東日本大震災と地域産業復興 II: 2011.10.1~2012.8.31 立ち上がる「まち」の現場から

■ 書籍情報

東日本大震災と地域産業復興 II: 2011.10.1~2012.8.31 立ち上がる「まち」の現場から   【東日本大震災と地域産業復興 II: 2011.10.1~2012.8.31 立ち上がる「まち」の現場から】(#2423)

  関 満博
  価格: ¥4104 (税込)
  新評論(2012/10/15)

 本書は、震災からの半年を追った前作に続き、その後の1年間の被災地の地域産業と中小企業の「現場」を振り返ったものです。
 序章「被災地の地域産業・中小企業の復旧・復興――震災後一年半の現状と課題」では、「一年半がたち、これから新たな地域(まち)が形成されていく。その地域が活力に溢れ、クラス人びととを豊かにしていく事業が多方面に展開されていくことが期待される。雇用の場の創出、魅力的な産品の算出、他の地域から人びとが訪れる地域的な環境・雰囲気づくりなどが必要となろう」と述べています。
 第1章「岩手県大槌町/地域産業の復活に向かう三陸の小さな町――壊滅したまちに『ともしび』が点き始めている」では、「2011年末の頃から、国道沿いのあたりに仮設の飲食業、歯科診療所、仏具店、寺院、さらに農産物直売所、仮設の商店街などが再開され始めている」とした上で、「当面する課題としては、地域の人口減少への対策、そして従業員不足が指摘されていた」と述べています。
 そして、「首都圏の有力なモノづくり系企業で北東北に進出しているところは少なくない」が、「その多くは湾岸から少し奥に入った高台に立地していたため、津波を避ける事ができた」としています。
 また、「産業復旧・復興との関連で、今回の被災と復旧の過程で明らかになったこと」として、
(1)小売商店、飲食等のサービス業が、地域にとっては、このような業態の事業が広がっていかなければ生活もできず、その多くはこれまで、「シャッター商店街」等と言われ、自身を失っていたが、被災後に開かれた仮設店舗の「福幸きらり商店街」の取り組みは、関係者に以外な思いをさせたようである。
(2)被災地ではNPO法人などによる多様なコミュニティビジネスが開始され、それらは幅広い雇用の場を生み出し、地域の「自立」にもつながるであろう。
の2点を挙げています。
 第2章「岩手県大船渡市/粛々と復旧・復興に向かう――浸水域で再開、さらに仮設施設を展開」では、「大船渡の漁業、水産加工業はかなりのスピードで復旧に向かっている。特に、湾岸に展開していた水産加工業の場合でも津波被害が工場の躯体に対して破壊的でなかった場合も多く、そのような企業は早めに再開している。この辺りは火災で消失し、地盤沈下の激しい気仙沼や、あるいは津波で工場が流失した都、山田、大槌、釜石あたりとはかなり事情が異なるようである」としながらも、当面の課題として、「特に家族ごと遠くに避難している人が多く、年配の女性従業員が集まらないこと」を挙げています。
 第3章「青森県八戸市/湾岸立地の工場が津波被災――立ち上がった中小企業の次の課題」では、「少子高齢化を迎えている現在、水産加工品はむしろ成長部門のようにみえる」として、
(1)少子化に伴い、学校給食はセンター化が進んでおり、加工済み調理品が求められている。
(2)家庭でも加工済みの美味しい魚料理の市場は広がっている。
(3)経済的余裕のある高齢層は魚料理を食したいのだが、自分で料理できなくなっている。
の3点を挙げています。
 第4章「福島県浪江町/原発災害からの復興に向かう中小企業――商工業者の取り組み」では、原発から6キロ地点の請戸に立地していた鈴木酒造商店は、全国でも「最も海に近い蔵」として知られていたが、「津波ですべてを流され、その後は放射能で立ち入ることもできなくなってしまった」にも関わらず、「震災時、たまたま酵母を工業試験場に研究用として預けてあった」ことから再開を決意し、「最終的に山形県長井市の東洋酒造に居抜きで入り、新たな一歩を踏み出している」と述べています。
 第5章「福島県浪江町/原発災害地域の若手経営者・後援者たちの取り組み――青年会議所、商工会青年部の人びと」では、「浪江町商工会青年部のメンバーは20人ほど。うち、焼きそばの活動に参加しているメンバーは10人ほど。皆各地に避難しているため、近隣の人が多い。イベントごとに少なくとも4~5人は参加する。交流の深い八王子の未来塾のメンバーも時々応援に来てくれる」と述べています。
 第6章「福島県いわき市/仮設工業団地で再開する警戒区域内中小企業――双葉郡企業を受け入れる」では、いわき市が、「第一原発から30~50キロ圏にあることから、警戒区域の人びとの避難先となり、さらに第一原発対応の前線としての位置にもある」ため、「いわき市には警戒区域から避難してきた人々のための仮設住宅、仮設工業団地、第一原発対応の事業所などが幅広く展開している。今後フクシマの問題に対応していく際の拠点的な意味を帯びてきたといえる」と述べています。
 そして、今回の東日本大震災に関して、「かつての大災害時に比べ、いくつかの興味深い政策的な措置が取られることになった」として、「津波被災等に直面し事業用施設を失った事業者の場合、従前の状態に戻していくためには大きな投資額が必要になり、二重ローンが懸念された。多くの事業主たちは、被災当初、再建を絶望視していた」が、国は、
(1)グループ補助金:中小企業等のグループの復興事業計画が認定された場合、事業費の2分の1(国)、4分の1(県)を合わせた計4分の3を補助するもの。
(2)仮設施設整備事業:市町村から貸与を受けた用地に中小企業基盤整備機構が仮設施設を整備し、市町村に一括貸与。一定期間後、市町村に無償で移管される。
という2つの画期的な制度を用意したと述べています。
 そして、「福島第一原発の事故により避難を余儀なくされている相双地域の事業者の場合、岩手県や宮城県の津波被災者と異なり、当面は国と東京電力から休業補償が出ている」ため、「仕事をしないほうがよい」とする意見も根強いが、「製造業の場合、納入を中断させるとその後に事業を再開しても他者に転注されていることも多く、仕事が戻ってこない場合が少なくない。一方、現場仕事中心の建設業、運輸業などは、瓦礫処理などの仕事が大量に出てくるため再開が早い。あるいは小売業、サービス業などの場合は、馴染みの客がいなくなり、再開を躊躇する場合が少なくない。このように、事業者と行っても業種や形態により置かれている立場は異なる」と述べています。
 第7章「モノづくり系中小企業の復旧・復興――国内生産拠点、地元の雇用の受け皿」では、「機械設備が被災し、海水に浸かってしまった」が、「商工会議所を通じてワイヤーカット放電加工機、プロファイルグラインダー、射出成形機(40トン)、研磨機などを無償譲渡してもらった」事例について、「今回の被災に対し、商工会議所は全国の会員に声をかけ、不要な機械を集めて被災企業に譲渡していったのである」と述べています。
 そして、「被災した中小企業の中には、従前地で再開に踏み出すところも少なくない」理由として、「とりわけ海水等を使用する水産加工企業の多くは、被災した場所で再開を目指す傾向にある」一方で、「モノづくり系中小企業の場合も、ユーザーから『被災した場所で再開するならば、仕事を出さない』といわれることもある。さらに、『第一原発から20キロ圏内では再開しないで欲しい』といわれることもある」と述べた上で、「モノづくり系中小企業は苦渋の選択を迫られている」として、
・なかなか適地が見つからないこと。
・早く再開しないと仕事をライバルに奪われてしまうこと。
・遠隔地で再開すると従業員がついてこれないこと。
などの理由から、「従前地で果敢に再開に踏み出している企業も少なくない」としています。
 著者は、「本章で取り上げた中小企業の場合、いずれも早期の復活を願っていたが、その根底には事業の継続を通じて地域の雇用を守ろうとする必死の思いが横たわっていた」と述べています。
 第8章「宮城県大崎市/内陸被災地域の新たな産業展開――被災後のモノづくり産業と食品産業」では、「これまで東北農村の女性は、家事、育児、農業、パートタイマー、老親の介護と休む暇もなかった。それが大規模専業化や集落営農化によって、農作業から解放された女性が野菜栽培、直売、加工品の生産、レストラン経営など、新たな取組に踏み込んでいくことが少なくない。いわばこれからの農業は、集落ほどの単位での『複合経営』が可能になっていく」として、「農業でも幅の広い展開が可能になってきたのである。それは付加価値を高め、若者の関心も呼ぶ『複合経営』『六次産業化』ということができる。人びとの知恵と工夫により、新たな『価値』が生み出されてきているのであろう」と述べています。
 本書は、震災から一年半後までの中小企業や農水産事業者の復興の動きを追った一冊です。


■ 個人的な視点から

 震災後でも、強み(漁場と加工施設の集積)と消費者ニーズ(少子高齢化)に対応して立ち直ろうとする水産加工業の力強さを感じました。
 グループ補助金も画期的な仕組みだと思います。


■ どんな人にオススメ?

・東北の産業のたくましさを見たい人。


2015年6月 7日 (日)

東日本大震災と地域産業復興 Ⅰ: 2011.3.11~10.1 人びとの「現場」から

■ 書籍情報

東日本大震災と地域産業復興 Ⅰ: 2011.3.11~10.1 人びとの「現場」から   【東日本大震災と地域産業復興 Ⅰ: 2011.3.11~10.1 人びとの「現場」から】(#2422)

  関 満博
  価格: ¥3,024 (税込)
  新評論(2011/12/8)

 本書は、「東北地方の中でも条件不利地域の典型であり、感染の東北新幹線、東北自動車道からは相当に離れていた」三陸の沿岸地域の被災地を震災以来半年間訪問し、「地域産業、中小企業の復旧・復興」に携わる、中小企業、焦点、飲食店の経営者や漁師、商工会議所、漁協、自治体の産業振興担当者らと対話を重ねてきた記録です。
 第1章「岩手県釜石市で被災する」では、2011年3月11日に釜石市中心部のホテルにいた著者が、父親から教えられてきた「津波ほど怖いものはない」という言葉を思い出し、高台に避難し、避難した病院で、食べ物も飲み物もなく、毛布代わりのカーテンにくるまって一夜を過ごした体験が語られています。
 第2章「岩手県沿岸地域の産業復興の課題――持続可能な私たちの『未来』に向けて」では、「現在でこそ、新幹線と東北自動車道が貫通する岩手県内陸の北上川流域は、半導体、自動車を中心とする工業集積地として知られるが、それ以前、岩手県は『日本のチベット』『工業過疎』と言われ続けていた」とした上で、三陸沿岸地域の津波被害について、「各地域とも湾内の養殖施設は全滅、港湾施設、漁船も壊滅、湾岸の水産加工工場、船舶修理等の鉄工所も流出、そして、比較的新しい誘致工場は維持されたということになりそうである。このような構図を前提に、地域産業の復旧・復興を進めていかなければならない」と述べています。
 第4章「被災地域の中小企業の復興策――岩手県宮古市と福島県浪江町にみる」では、「当面の中小企業復興の最大のテーマは、津波により流失し壊滅的な状況になっている岩手県から宮城県北部の水産関連産業の復興」であり、「もう一つは、放射能汚染によって避難を余儀なくされている福島県の原発周辺地域の雇用創出、産業復興であろう」と述べています。
 そして、「この十数年、人口減少、高齢化の進む条件不利の中山間地域を見ていると、規模は小さくても社会と関わる仕事が人々に勇気を与えていることがわかる。特に、年配の女性たちが活き活きと活躍している。また、人びとの望むのは生活用品を販売し交流できる『コンビニと飲食店』であり、人が訪れてくれることが何よりとされている」と述べています。
 第5章「岩手県宮古市/復興に向かう三陸水産業コンプレックス――漁業、漁協、加工業の取組」では、「基幹産業の水産業の復旧・復興の道筋は、まずは人びとが元の暮らしを取り戻すこと、自立の意識を高めていくことであろう」とした上で、「この難局を乗り越えた彼方には、すべてが拡大基調であった『20世紀後半型経済発展モデル』とは異質な、新たな地域産業としての水産業の世界が広がっていくのである」と述べています。
 第6章「宮城県気仙沼市/東北を代表する水産業都市の復興――地震、津波、火災、地盤沈下の中で」では、気仙沼に形成されていた「水産業コンプレックス(複合体)」について、「その大半が津波と火災により流失、消失してしまった。さらに、復旧・復興に向かう現在、地震によって沿岸の地域は地盤沈下したために、まず地盤の嵩上げから手をつけていかなくてはならない。マイナスからの出発ということになる」と述べています。
 そして、気仙沼の復旧・復興にとって、「特に、製氷施設、冷蔵・冷凍庫、水産加工部門が立ち上がらない限り、漁船も十分には入ってこない。先に指摘した気仙沼の水産業コンプレックスは壮大なものであり、どの部門が欠けてもうまく動かない。特に、気仙沼の場合、圧倒的な水産業都市であることから、この部門の早期の復活なくして雇用も生まれず、街も活性化しない」と述べています。
 第7章「岩手県釜石市~大船渡市/漁村・漁協と水産加工業の復興――豊かな海と新たな可能性」では、「前浜」で生きる漁協や若者たちと、全国「市場」に向かう水産加工企業について、「これらは同じ水産都市に生き、その固有の諸条件を背負いながらも、向かう方向は異なっているようにみえた」として、「素材」「水産業コンプレックス」「地域的な雰囲気」の3つの要素が、「三陸の水産都市の基本的なプラットホームを形成している」が、向かう方向、ビジネスモデルは、
(1)「素材」にこだわり続けるグループ
(2)「素材」にこだわりながら新たな可能性に踏み込もうとするグループ
の2つに分かれると述べています。
 第8章「宮城県気仙沼市唐桑地区/小規模漁村の被災と復興の課題――カキ養殖の取り組みとオーナー制」では、40年ほど前に、フランスでカキが全滅の危機に瀕した際に、「唐桑の漁協がカキの種を送って復活を支援した」縁で、「今回の被災に対して、フランスのカキ養殖関係者の間で『お返しプロジェクト』という取り組みが行われ、数千万円の資金が集まり、7月8日にブイ、ロープなど11トンの資材が贈られてきた」と述べています。
 第9章「茨城県日立市、ひたちなか市/復興に向かう中小企業――ひたち立志塾と全国ネットワークの支援」では、「今回の中小企業の被災と復旧に関していくつかの可能性と課題が鮮明化した」として、
(1)ひたち立志塾のような中小企業の若手経営者・後継者の地域的な集まりが効果的に働いた。
(2)全国の同様の塾との交流により、視野が広がり、地域への思いもさらに深いものになっていった。
の2点を挙げる一方で、課題として、
(1)「支援受注」「応接受注」の可能性。
(2)長期間充分な操業ができないような場合、従業員の扱いが問題になる。
の2点を挙げています。
 第10章「宮城県気仙沼市/造船業の被災と復興の課題――東日本太平洋側唯一の鋼製漁船製造の地域」では、「気仙沼の造船業は、鉄鋼、船舶電装・無線などの造船関連企業ほぼ50~80社で構成されていることになる。それは東北における鋼製漁船をめぐる最大の造船産業コンプレックスということができる」が、「この震災と津波により、これら造船及び関連産業は大きな被害を受けることになった」と述べています。
 第11章「宮城県気仙沼市/地震、津波と進出企業――復旧・復興にどのように取り組んでいるのか」では、「条件不利の沿岸地域にも、少数ながらも進出企業が来ていないわけではない」として、1950年代、60年代に、「地域資源である三陸の水産資源を求めた進出、あるいは、農山漁村地域の安くて豊富な労働力を求めた進出」を行った工場が、「長い経験を重ねるに従い各社の主力工場となり、そして、大きな雇用の場を提供する地域の基幹的な工場となっていった」と述べています。
 そして、三陸沿岸は一般的には工業系の用地が限られているため、「進出企業の多くは湾岸から離れたやや高台を造成して立地している場合が少なくない」ことから、「近年進出してきたハイテク型のモノづくり系企業の被災は少ない」一方で、「水産の原材料基盤を求めて湾岸に進出してきた場合、あるいは、古くから郊外の比較的海岸に近い場所に進出していた企業は、津波によって大きな被害を受けている」としています。
 第13章「モノづくり中小企業への支援を復興――岩手県の内陸と沿岸の連携」では、岩手県の産業、中小企業の被害について、
(1)北上川流域に広がる中小企業については、地震による被害はあったが、被害は比較的軽微なものであった。
(2)沿岸の水産関連産業・中小企業については、巨大津波により、漁船、養殖施設ばかりでなく、製氷施設、冷蔵庫・冷凍庫、水産加工工場、造船所、鉄工所等の大半を流失させてしまい、その復旧・復興は容易なものではない。
(3)沿岸地域に新たに創出されつつあったハイテク型モノづくり企業群については、比較的高台を造成して立地していたため、大半は津波被災を免れることができた。
の3つに大別しています。
 著者は、「被災地から『新たな価値』の創造を――あとがきに代えて」の中で、「この半年、被災地のこと、人びとの暮らし、被災地の産業、中小企業のことばかりを考えていた。被災地はあまりにも広く、深いため、まだ訪れることができずにいる地域も少なくない。特に津波に寄る農業被害、そして放射能による被害には、まだ触れることすら出来ていない」と述べています。
 本書は、震災直後の被災地の産業と人に焦点を当てた一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書はこの後に速いペースで続刊が続いているのですが、いろいろな立場で被災地に関わった人たちが復興についての取り組みを紹介していてスピード感のあるシリーズになっています。


■ どんな人にオススメ?

・震災の後の産業復興の姿を追いたい人。


2015年6月 6日 (土)

野蛮な進化心理学―殺人とセックスが解き明かす人間行動の謎

■ 書籍情報

野蛮な進化心理学―殺人とセックスが解き明かす人間行動の謎   【野蛮な進化心理学―殺人とセックスが解き明かす人間行動の謎】(#2421)

  ダグラス・ケンリック (著), 山形浩生, 森本正史 (翻訳)
  価格: ¥2,592 (税込)
  白揚社(2014/7/18)

 本書は、「人間のいろいろな行動、特に性差の背後には、進化に裏打ちされた、生殖と子育てを有利にするという利己的遺伝子の戦略が働いている」と主張しているものです。
 はじめに「あなたとわたしとダーウィンと、おまけにドクター・スース」では、「本書では、進化生物学(進化心理学)と認知科学(認知心理学)の最新の成果を紹介して」、「私たち人には共通の本性がある」ことを示すとした上で、これらと複雑系理論(力学系理論)とを組み合わせれば、「人類の一員であることの意味について、全く新しい理解が得られることだろう」と述べています。
 そして、本書は、「私たちが抱く一番大きな問題」である、「人生の意味とは何かという疑問」について論じたものであり、鍵となる要素として、
(1)単純で利己的なルール
(2)単純なルールだからといって私たちが単純だということにはならない
(3)単純だからといって不合理だということにはならない
(4)利己的なルールだからといって利己的な人間が生まれるわけではない
(5)単純なルールは社会の複雑性へと展開する
の5点を挙げています。
 第3章「殺人妄想」では、「地位に関する動機も、ロマンスに関する動機も、男性を直接的な攻撃に駆り立てる。だが男性は、暴力そのものが女性からセクシーに見えるわけではないことを知っているようだ。したがって、交配相手を求める男性は、女性の前では自分を抑えようとするが、見物人が男ばかりだと、とくに攻撃性を誇示しようとする」と述べています。
 第4章「偏見はなぜ生まれるのか?」では、「外集団均質化」という心理バイアスについて、「私たちの大多数は他集団のメンバーの識別よりも、自分が所属する集団のメンバーの識別にずっと長けている」と述べた上で、「進化心理学が遺伝子決定主義だという批判については、明らかに間違っている」として、「進化の過程で得られた心理的メカニズムは、環境の様々な変化に対応するように自然選択によってデザインされたもので、したがって進化心理学は、本質的に適応機構のスイッチをオン・オフするさまざまな環境要因を見つけ出すものだ」と述べています。
 第5章「心はぬりえ帳」では、「年齢の好みにように見えるものも、突き詰めれば年齢そのものが問題になっているわけではない」として、「女性は子供に身体的な資源を注ぎ込むため、男性は生殖能力と健康に結びつく特徴を求める。一方、男性は子供に間接的に資源を与えるので、女性はそれらの資源獲得能力に結びつく特徴を求める。そして、男性の資源獲得能力と女性の生殖能力は年齢と関係はしているが、年齢そのものが原動力なのではない」と述べています。
 そして、オーストラリア原住民であるティウィ族について、若い男はすべて年上の寡婦と結婚し、若い女性はすべて年老いた家長たちが独占する社会であり、家長たちの独占を侵害しようとした若い男性は、村の中心部に立たされ、命中するまで槍を投げつけられるというものであると述べています。
 第6章「ひとつの身体、いくつもの心」では、「もしかしたら、脳の中にはしっかりと統一された単一の自己が存在している、と考えることさえ間違いなのかもしれない」として、「むしろ、人の頭の中には緩やかに結びついた複数の下位自己(サブセルフ)があって、そのそれぞれが、神経のハードウェアとソフトウェアの独自の組み合わせによってコントロールされている、と想像したほうが理にかなっているようだ」と述べています。
 第7章「マズローと新しいピラミッド」では、「マズローのピラミッドの一番の問題は、人間の一生において繁殖が持つ中心的な重要性を彼が理解していなかった点にあるように思える」として、著者たちが作り上げたピラミッドとして、
・子育て
・配偶者の維持
・配偶者の獲得
・地位・承認
・提携
・自己防衛
・差し迫った生理的欲求
の7段階を挙げ、これらのピラミッドの重要な違いとして、
(1)頂点という聖域から「自己実現」が追放されている。
(2)ピラミッドの上部が、繁殖に関連する3つの新しい動機で占められている。
(3)ある動機を他の動機の上に積み上げる代わりに、互いを重ね合わせたこと。
の3点を挙げています。
 そして、「交配という動機は、人間の性質に見られる多くのポジティブな要素――音楽や詩をつくったり、慈善活動に参加したり、次の世代のために世界をよくすること――の背後にある究極の原動力だ」と述べています。
 第8章「記憶はどうやってつくられるのか」では、「両親との関係や学業については、男性も女性も、したこと(実際にしたが、しなければよかったと思っていること)よりも、何もしなかったこと(するべきだったのに、しなかったこと)のほうを2倍も後悔していた」が、恋愛関係については、「女性は男性に比べて、したこと(ママの警告を無視して、自分勝手なろくでなしと関係をもったなど)について後悔する傾向があったのに対し、男性の後悔の大半は、行動を起こさなかったこと(麗しき乙女ともっと親密な関係を持たなかったなど)に向けられていた」と述べています。
 第9章「クジャクとポルシェとパブロ・ピカソ」では、「収入が結婚相手としての望ましさに影響を与えるのは、ほとんどの場合、貧困層から中流下層にかけての範囲」だとして、「男性は中流所得層に入ってしまえば、結婚相手として富裕層の男性とほぼ同等の魅力を持つようになり、しかも富裕層の人々よりも、夜には家に帰って育児の手伝いをする可能性が高い」と述べています。
 第10章「信仰の心理学」では、「アメリカの宗教右派とリベラル左派の争いの多くは、高尚な哲学的理念の相違ではなく、高貴さからは程遠いもっと単純なことに端を発しているのではないか」として、「2つの陣営は根本的に違う交配戦略を展開しているのであり、彼らが互いに反発しあうのは、ある交配戦略を選ぶことは、他の戦略を取る人々を積極的に妨害することにつながるからだ」と述べた上で、「結婚前のセックスを罪悪と見る規範は、人々を早婚へと向かわせる。また中絶と避妊を罪悪とすることで、子作りを促される」として、「これらによって宗教右派に属する一般的な人物像が、リベラル左派のそれに比べ学歴が低い理由の説明ができる」とする一方、典型的なリベラル左派は、「少なくとも大学を卒業するまでは結婚や出産をせず」、「長期間にわたってお預けをくらい、性的衝動に抗い続けるのはなかなかきつい」ため、「彼らは、婚前交渉を禁じる規則を押し付け、避妊のためのあらゆる手段に制限をかけようとする宗教右派を嫌うようになる」と述べています。
 第11章「経済学と深い合理性」では、「行動経済学者たちは、ヒューリスティックに基づいた意思決定に伴う『だいたいでよし』とするバイアスに注目しているが、私も人間がしばしば間に合わせの意思決定を行うことは否定しない。しかし、台頭しつつある進化論的な考え方はむしろ、ゲルト・ギーゲレンツァーとピーター・トッドらが推し進めてきた」、「人間は単純なヒューリスティックを自分が驚くほど懸命になるような形で利用する」という立場に整合していると述べ、「人間の一見不合理に思える選択の多くが、実は私たちが深い合理性と呼んでいるもののあらわれではないかという議論を発展させてきた」と述べています。
 そして、「生活史」という観点を使うと、「『合理性』に対する理解を、目先の個人的な報酬から、遺伝子というずっと長期的な視点へと向けられる」として、「深い合理性の論理に基づけば、交配や自己防衛といった生物がもつ基本的な動機は、行動経済学が説明する『時間割引』や『確立割引』といった従来のバイアスをすべて劇的に変えてしまうことになる」上に、「こうした基本動機は、贅沢品と必需品に対する人々の見方も変え、その変わり方は男女によって非常に異なることがわかっている」と述べています。
 著者は、「進化心理学と行動心理学の統合は、経済合理性に対する全く新しい考え方へと私たちを導くものだ」として、行動経済学者たちが、「予想どおりに不合理」と指摘していることはおそらく正しいだろうが、「人間のバイアスは、もっと深いところを見れば、機能面で関連した非常に重要な動機の影響を反映したものなのだ。さらに、人々が単純な意味での『利己的』な選択ができないのは、もっと深いところにある合理性の強い影響を受けているからだ。どうやら私たちが行う選択の多くは、すぐ目の前にある個人的な報酬を最大化するのではなく、長期的に見た遺伝的な成功を最大化しようとしているようなのだ」と述べています。
 本書は、一見不合理に見える人間がもつ「深い合理性」の由来を追った一冊です。


■ 個人的な視点から

 暴力とセックスと進化論という組み合わせの本は昔からいくつも出ていてそれなりに面白いものではありますが、取り扱う分野が幅広いせいか紹介する学説のバランスがやや悪いものになりがちであったり、また若干論理が飛躍しがちしがちな印象を受けてしまいます。まあ、読み物とする分には面白いですが。


■ どんな人にオススメ?

・人間が行動する理由を知りたい人。


2015年6月 5日 (金)

東洋天文学史

■ 書籍情報

東洋天文学史   【東洋天文学史】(#2420)

  中村 士
  価格: ¥1,080 (税込)
  丸善出版(2014/10/25)

 本書は、「アジアの天文学史という文脈の中に日本天文学の歴史を位置づけることを目指した」ものです。著者は、「私たちの先祖は、海外の天文学研究の成果を受け入れ、理解するだけでほとんど精一杯だった」ため、「ある新たな天文学の知識や情報が外国から日本に入ってきた際、それがその国ではどのような位置づけにあったのかなどを知る余裕も手段も」なかったと述べています。
 第1章「古代オリエント・ギリシアの天文学」では、「今から1万年ほど前に、ほぼ周期的に訪れる氷河期の最後の時代が終わり、ヒプシサーマル期と名付けられた高温の時代(年間平均気温が現在より2~3℃高かった)が数千年続くようになった」が、「約4000~5000年前になると、気候の寒冷化、乾燥化が始まった」ため、「多くの人々は水を求めて大河のほとり、つまり四大文明の発祥の地域に逃げ込んだ」結果、「増加した人口を背景に、大河の水を利用する大規模な灌漑農業が発達した」と述べています。
 そして、「それとともに、四大古代文明の地で、いずれも申し合わせたように同じ時代、4000~5000年前に天文学が生まれ発達したことも、自然な帰結として説明できる」としています。
 第2章「インドの天文学」では、「この時代のインド天文書は、ギリシアで発達した天文学、あるいはギリシアを通じて伝わったバビロニアの天文学に基づいていた」とした上で、「それらをいったんインド天文学として受容してしまった後は、インド人の保守的な伝統も原因して、インド化された天文学を内部で発展させるだけにとどまった」と述べています。
 そして、「基本的原理や理論はアレキサンドリアのギリシア天文学に基づきながら、古代インドの天文学者は10進数、三角関数と正弦関数を駆使して、インド天文学を作り上げていった」と述べています。
 第3章「中国の天文学」では、太陰太陽暦では、「暦の上の季節と実際の季節とが、1ヶ月以上ずれる場合が起こりうる」ため、「農業において播種、収穫などを適切な時期に行うことができず大問題」であることから、「半月ごとの季節の目印である『二十四節気』が考えだされた」と述べています。
 そして、中国科学院の気象学者だった竺可禎が、「季節の循環にともなって現れるさまざまな自然現象の記録を中国の5000年にわたって系統的に調べあげた」結果、「過去5000年の初めの約2000年間は、年平均気温が現在より約2℃高かった」と結論し、寒冷地では育たない竹類や梅が繁茂し、二期作が行われ、甲骨文字に現れる「象」の形をよく表しており、「現在はインドなどにしかいない熱帯性の野生象が西安付近にまで生息していたことを示唆する」と述べています。
 また、「ヒッパルコスが星の明るさを等級で示したのとは対照的に古代中国の天文学者は星の明るさにはまったく関心がなかったらしく、星図の星はどれも同じような小丸で描かれているに過ぎない」と述べています。
 第4章「韓国、東南アジアの天文学」では、「古代にあっては地理的な近さのために、朝鮮からの渡来人・帰化人が日本文化の向上に大きな役割を果たした。天文学もその例外ではなかった」と述べています。
 第5章「古代・中世の日本天文学」では、「古墳の天井に描かれた星座図を作れたのは、大陸の天文学知識を持った帰化人か渡来人ではなかったか」として、「世界的にみてもきわめて貴重な存在であることは疑いない」と述べています。
 そして、『日本書紀』に記録のある10個の日食と2個の月食について、「最初の5個の日食と月食は、記録が間違ったものもあるが、実際に観測されたものらしい。それに対して、持統天皇の6年間だけで6個の日食が記載されている」が、「実際に起こった日食はなく、この頃から行われるようになった、中国暦法で計算した日食の予報を観測のように装って載せたことがわかる」と述べています。
 第6章「南蛮天文学と鎖国」では、「宣教師が日本に教えた西洋の天文学と宇宙観は、大きな驚きと好奇心を持って受け取られたが、日本の知識階級である儒学者や仏教学者からは強い反発や抵抗を受けた」一方で、「中国天文暦学の専門家でありながら、西洋天文学の説明に対して理性的な対応を見せた人物もいた」として、1562年に京都にいたキリシタン神父がくらいの高い僧正の訪問を受けた際に、その場に居合わせた暦博士の一族の賀茂在昌が、「宣教師の説く日・月食や天体運行の知識に深い感銘を受け、家族ともども洗礼を受けてキリシタンに改宗した」と述べています。
 第7章「科学的天文学の始まり:渋川春海と将軍吉宗」では、「わが国でも授時暦は注目され、渋川春海をはじめ天文学者や和算家の多くは授時暦を学び研究した」として、「授時暦研究者の中には、算聖と称えられた和算家の最高峰、関孝和もいた」と述べ、「彼は、春海が理解できなかった授時暦の理論的部分もマスターしていた。例えば、太陽の黄道上の位置を赤道座標に変換するには球面三角法を使用するが、春海はこの方法がついに理解できなかった」としています。
 そして、渋川春海が作った「貞享暦」について、「日本人が初めて作ったという意味では日本史上画期的な暦だったが、その内容はほとんど授時暦と変わらない。春海が観測によって天文定数の確認を行ったこと、および中国と日本の里差を考慮して状況歴を作った点だけが異なる」が、「それにもかかわらず、貞享暦がわが国における科学的な天文学の第一歩と評価される理由は、測定は観測による具体的証拠と、論理的な推論によって新たな知見を生み出し、かつそれを検証するという、近代の『化学的方法』に沿っていたからである」と述べています。
 また、将軍吉宗について、若い頃から、「経験に基づいた実証的な学問を好んだ。特に、自然科学の全般に強い関心を抱き、数理的な才能を発揮した」として、「吉宗は、将軍に就任した当初から、特に天文暦学には強い関心を抱いていた」と述べ、「吉宗は単なる天文学への好奇心にとどまらず、将軍という最高権力者の立場、つまり、中国伝統の観象授時の立場も忘れずに天文学の役割を認識していた」としています。
 さらに、「吉宗自身が天文学に強い興味を持っていたことは、自ら天文儀器を考案したり、長期にわたって観測を続けたことから明らかである」とした上で、「吉宗は現代の天文学者、科学者に近い存在だった」と思う理由として、「簡天儀や測午表を考案したことに加えて、例えば、望遠鏡の接眼レンズ部に、目標を正確に捉えるための十字線を自ら工夫して入れたこと」を挙げています。
 第8章「西洋天文学の導入と江戸天文学の発展」では、伊能忠敬の内妻のお栄について、師匠の高橋至時から、その才能を羨ましがられ、また、「忠敬の助手として、当然天体観測にも従事した」ことから、「日本の女性天文学者第1号と考えたい」と述べています。
 本書は、わが国と東洋の天文学の歴史を改めて整理した一冊です。


■ 個人的な視点から

 『天地明察』の渋川春海に引かれてついつい手にとってしまいましたが、4~5千年前の世界的な寒冷化・乾燥化をきっかけに四大文明が起こったという話は面白かったです。


■ どんな人にオススメ?

・『天地明察』で暦に興味を持った人。


2015年6月 4日 (木)

ネムリユスリカのふしぎな世界

■ 書籍情報

ネムリユスリカのふしぎな世界   【ネムリユスリカのふしぎな世界】(#2419)

  黄川田 隆洋
  価格: ¥1,728 (税込)
  ウェッジ(2014/12/24)

 本書は、
・カラカラに干からびても、水をかけるだけでたちまち息を吹き返す。
・100℃近い高温にも、マイナス270℃の超低温にも、人が耐えられる量の1000倍違い放射線にも、アルコールに1周間も浸しても、全然平気。
・宇宙に放り出しても死なない状態で存在し続ける。
という「驚異の能力をもつ生き物」であるネムリユスリカの研究成果を一般向けにわかりやすく解説したものです。
 第1部「ネムリユスリカのふしぎな世界」第1章「水がなくても生きてゆくには」では、「どんな生物でも、乾燥に対して対向する戦略」である「乾燥耐性」を進化の過程で編み出してきたとして、
(1)乾燥回避:体の中の水が体から出ないようにして乾燥を防ぐ。
(2)乾燥許容:体から水がなくなっても大丈夫な状態にしてしまう。
の2つを挙げた上で、後者の中でも、「完全に干からびても死なないような状態に変化する」方法である「アンヒドロビオシス」または「クリプロビオシス」について、
(1)感想によってもたらされる休眠の状態
(2)体の中の水分がほぼ0%である
(3)水に入れてやると元通りに生き返る
(4)乾燥以外にもいろんなさまざまなストレスに強くなる
の4項目が当てはまる状態だと述べています。
 そして、アンヒドロビオシスの状態とは、「死んでも生きてもいない状態」として考えることができると述べています。
 第2章「ネムリユスリカとはなにか」では、ネムリユスリカが、アフリカ大陸にのみ生息し、「1年の半分近くまったく雨がふらなくて、残りの半分は雨が多い。乾季と雨季が明確に分かれている地域にしかいない」と述べた上で、「アンヒドロビオシスを発揮するためには、最低でも2日間、通常であれば約1週間の準備が必要」だとしています。
 そして、ネムリユスリカの脳を取り外しても生き返ることから、「ネムリユスリカは体を構成する様々な細胞のすべてが乾燥という情報を受け取り、そして乾燥の準備をする」、つまり、「この乾燥耐性のメカニズムは、生物個体全体でできているのではなく、1つの細胞の中だけの自己完結的なメカニズムで実現できている」ことから、「思いのほかシンプルなメカニズムで乾燥耐性が発揮できているのではないか」と述べています。
 第3章「細胞のなかで何が起きているのか」では、細胞を構成する三大要素である、「脂質」、「炭水化物」、「たんぱく質」のうち、乾燥する前と乾燥した後の細胞を比較すると、「顕著に違っていたのは炭水化物、なかでも糖の類が大きく変わって」いたとして、「『トレハロース』という糖の一種が、乾燥した幼虫にやたらに溜まっている」として、乾燥重量の約2割がトレハロースで構成されていたと述べています。
 そして、トレハロースの特筆すべき能力として、
(1)たんぱく質や細胞膜、油の成分の表面に取り付いて、水の代わりの役割をする
(2)水がもともとあった空間の領域も自分がガラス化することで空間を埋めてやる
の2点を挙げ、「水が持っていたある程度の性質をすべてトレハロースが代行することによって、細胞のなかの水がなくなっても大丈夫な状態にしている」と考えられると述べています。
 また、ネムリユスリカに、「乾燥というシグナルあるいはストレスが来て初めてグリコーゲンを分解してトレハロースに変えてやる、というメカニズムが動き出」すことから、グリコーゲンを全部分解してトレハロースに入れ替えるのにちょうど2日間かかると述べています。
 さらに、もうひとつの成分として、「LEA(late embryogenesis abundant:レア)たんぱく質」を挙げ、「たんぱく質同士がくっついて大きな塊になる」という固まるメカニズムに対して、「たんぱく質同士が近づくとバネのような構造になったレアたんぱく質が間に挟まって、たんぱく質同士がくっつくのを防」ぐ上に、「水が入るとバネがほぐれてたんぱく質同士が剥がれやすくなり、凝固化を防ぐ」と述べています。
 そして、「ネムリユスリカの乾燥の過程を見ると、核のなかのDNAがほぼ100%断片化、ボロボロになって」いるが、「水を入れて1日後はまだ傷ついた状態できるのですが、72時間から96時間も経つと、驚くことにほぼすべての細胞のDNAが元通りに戻って」いたと述べています。
 第4章「ネムリユスリカはなぜ死なないのか」では、「乾燥耐性に重要な遺伝子のコピーがつながっている領域」である「アリッド:ARId:Anhydrobiosis-Rilated gene IslanDs」について、「アリッドの領域を持つか持たないか、ということが乾燥耐性能力の獲得という観点で重要だった」と述べています。
 第5章「ネムリユスリカ、宇宙へ行く」では、ロシアのプロジェクト「バイオリスク(BIORISK)」とヨーロッパのプロジェクト「エクスポーズ-R(EXPOSE-R)」について、「ネムリユスリカに関しては、地球外の環境でも、人工衛星が周る程度の距離とか、ISSぐらいの距離(高度400km)であれば耐えることができた」と述べています。
 そして、「ネムリユスリカの研究は、医療面で役立つというだけではなく、宇宙空間での生物学的な研究や地球環境の改善にも役立つだろうし、教育や科学、趣味、食品での利用にいたるまで、さまざまな応用展開、また貢献ができるのではないか」と述べています。
 第2部「無限の可能性に向かって」第1章「研究者に志した頃」では、カイコの卵の中の糖分の分析をする過程で、糖の分析技術を手に入れた著者が、ネムリユスリカのトレハロース分析の依頼を受け、「生き返ったあとで量ると、トレハロースはほぼなくなっていて、カチカチの時は体の中の2割ぐらいをトレハロースが占めている」ことがわかり、「これほど驚くような結果が出た実験というのは初めて」だったので、「この虫を調べれば、『生と死との狭間に何があるのか』を知ることができる、という啓示のようなものに、その瞬間、ガツンとやられた」と述べています。
 第2章「生死のはざまを生きる昆虫」では、ネムリユスリカの研究という「未知の世界は単なる未知の世界じゃなくて、非常に明るい世界につながっている」として、「これまでないような新たな技術とか、新たな発見。その指針に向かってちょっとずつやるべきことを進めていくと、どんどんその光が大きくなっていって、最終的には我々が考えられなかった方法論とか事実とかいうのを突きつけてくると思う」と述べています。
そして、「人間は昆虫を『虫けら』と言うけれども、ネムリユスリカが生命力という尺度でいえば、人間の1000倍、1万倍も高い能力を持っている」と述べています。
 第3章「いかにして蘇生するか」では、ネムリユスリカが、乾燥した状態では、「完全に縮こまっているんですが、口を開けた状態で固まってるんですね。水を入れてやると、口の中に水が侵入してくる。それで口の周りの筋肉が最初に膨張していって、筋肉が蘇生するんです。組成すると、今度は喉をごくごくと、まさに水を飲むようなかたちで動かしだすんですよ」と述べています。
 そして、ユスリカという種が、せいぜい5000万年前とかの新しい時期に進化してきた生物なので、「居場所が限られている」ために、「ほとんど誰も居ないところを狙うしかない」ので、「氷河の上とか、酸っぱい湖の中とか、高温の湯の中とか、砂漠とか」で生きられるように進化してきたと述べています。
 本書は、人間をはるかに超えた生命力を持った不思議な生き物を通じて、生と死の狭間を考える一冊です。


■ 個人的な視点から

 ここのところ、若い研究者のマニアックな研究対象を扱ったポピュラーサイエンス本が多くなった気がします。最新の旬な研究を読めることは楽しいです。
 以前は研究者が新書を書くというと、その道では大御所の先生が、広く浅く入門書を書いたりするものが多かった気がしますし、大抵は「あとがき」に編集者から企画を持ちかけられてから執筆に何年もかかってしまい申し訳ない、的な裏話なども書いてありました。
 その意味では、近年の新書ブームや雑誌の休刊ブームで、この分野にも編集者や編プロが多数投入されるようになったせいかなのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・マニアックな研究分野に足を踏み入れてみたい人。


2015年6月 3日 (水)

情報を生み出す触覚の知性:情報社会をいきるための感覚のリテラシー

■ 書籍情報

情報を生み出す触覚の知性:情報社会をいきるための感覚のリテラシー   【情報を生み出す触覚の知性:情報社会をいきるための感覚のリテラシー】(#2418)

  渡邊 淳司
  価格: ¥1,620 (税込)
  化学同人(2014/12/22)

 本書は、「情報に対する想像力は反射神経といったことを考える上で、特に身体と深く結びついた感覚である『触覚』を取り上げ、その『情報』との関係を考察」するものです。
 序章「触知性」では、「情報あふれる現代においては、『触覚』と『情報』の結びつきが重要である」として、(1)メディアの触覚性:言語的な意味理解やコミュニケーションを促す触覚の役割
(2)触覚のメディア性:触覚による意味伝達の可能性
の2つの視点から議論を行うとしています。
 第1章「触覚と情報」では、「視覚や聴覚が、直接的に身体に影響を与えることが少なく、非接触の対象の認知を目的とするという意味で『非身体的で遠隔の』感覚である一方、触覚は、直接的に身体の状態が変化し、接触によって対象を把握する『身体的で直接の』感覚」だと述べています。
 そして、「情報の理解には、その記号的な理解(メッセージの理解)だけでなく、情報に対する情動的な反応や応報のパターンが刻まれたメディアを通した身体的な理解(メディアメッセージの理解)が存在」するとして、前者を「記号的理解」、後者を「体験的理解」と名づけています。
 また、「私たちは、触覚においても、その粗さや硬さを知覚するだけではなく、それを別のものを指し示す記号として使用したり、その組み合わせの理論を構築して、絵を描くように触感を組み合わせ、言語的に使用することができる可能性」があると述べています。
 第2章「触れて情報を理解する」では、「『生命』を象徴する臓器である心臓に擬似的に触れることで、『生命』の意味を個人個人で記号設置していく場を持つことを狙いとして」いるワークショップ「心臓ピクニック」を紹介しています。
 そして、ワークショップの内容について、参加者は、「片手に聴診器、もう片手に心臓ボックスを持ち」、「聴診器の胸に当てる部分には小型マイクが仕込まれており、参加者が聴診器を自身の胸に当てると、そこから鼓動音(心音)が計測され、計測された鼓動音が心臓ボックスから振動として出力され」ることで、「参加者は自身の鼓動を手の上の振動として感じることが可能」になると述べ、「『心臓ピクニック』では、心臓に対して私たち人間の『生命』としての側面を感じ、そのかけがえのなさについて多くの人とともに考えるきっかけを提供」するとしています。
 著者は、「心臓ピクニックでは、自分の心臓を外在化することで、『生命(いのち)』を他者性をもって理解し、さらにそれを他者とやりとりする中で、それと同様のものが他者にも存在することを体験的に理解」すると述べています。
 第3章「触れて現れる情報、触れて残る情報」では、「読者の働きかけ(なぞり動作)に応じて、そこに表示される文字の濃淡を動的に変化させることで、文字表示に時間的特性を加えた文章表示方式」である「Yu bi Yomu」について、「文章表示に時間の表現を加え、これまでにないメディアメッセージのあり方を実現」し、「文字が表れ・消える時間パラメータやなぞり速度を変化させることで、同じ文章からもさまざまな印象が生じ」るとして、「Yu bi Yomuを利用すると、複数人で、さらにはその場にいない人とも、もしかしたら、異なる時間に読んだ人とさえ、読むという体験を擬似的に共有すること」ができると述べています。
 著者は、「現代では、物事を記号化することで、大量の情報を生み出し流通させる社会の流れ」があるが、「記号化は、その現象が起きている現場固有の感覚やその現象と自分との関係性を希薄にして」しまうとして、「心臓ピクニックやYu bi Yomuはどちらも、触れることを利用して、情報を自分のものとして身体的に理解し、他者へ伝達、共有することをめざして」いるものだと述べています。
 第4章「触覚の語彙、語彙としての触覚」では、「触覚とほかの感覚のイメージが結びつく」関係性である「触象徴(texture symbolism)」という造語を提示しています。
 第5章「触覚の文法」では、「すでに存在している音声や文字の言語獲得のあり方を参照しながら、触覚を分節化し、その組み合わせに対して新たなイメージや意味を付与するという、触覚を言語的に捉える試みについて」述べています。
 「情報社会をいきるための感覚のリテラシー」では、「私たちが生きていく上では、ときに体験的な理解、情報を判断する主体に立ち戻りながら、継続的に世界のルールを発見、更新していく能力を磨くことが重要となるでしょう」と述べています。
 本書は、情報と触覚の新しい関係の可能性を論じた一冊です。


■ 個人的な視点から

 情報についての研究は多数ありますが、触覚に特化してワークショップや展示を行う研究は楽しそうです。脳科学の分野と連携した研究成果をぜひ読んでみたいです。


■ どんな人にオススメ?

・「触覚」について改めて考えたい人。


2015年6月 2日 (火)

公共マネジメント--組織論で読み解く地方公務員

■ 書籍情報

公共マネジメント--組織論で読み解く地方公務員   【公共マネジメント--組織論で読み解く地方公務員】(#2417)

  田尾 雅夫
  価格: ¥2,484 (税込)
  有斐閣(2015/3/7)

 本書は、「地方公務員という資源としてのヒトをどのようにマネジメント(経営管理)すればよいか」を考えたものです。
 第1章「地方公務員とはどのような人たちか」では、地方公務員のメンタリティについて、
(1)ローカル志向
(2)安定を重視
(3)社会的な技術の不足
(4)経済的な報酬への無関心
(5)結果よりも過程重視
(6)リアリズムの不在
の6点を挙げた上で、「視点を変えると、彼らは何をしてもどのようにしても、それによる成果の出来不出来を論理一貫的に評価される機会が少ない」と述べています。
 第2章「地方自治体という組織」では、組織論の視点から、
(1)地方自治体の特異性
(2)第三セクター、あるいはグレーゾーンの肥大化
(3)中央政府からの自立
の3つの論点を挙げた上で、「地方自治体が経営体でなければならないことは疑いようのないことである」が、「私企業のマネジメントとは区別されるべきである」と述べています。
 そして、「地方自治体はビュロクラシーであるのか」という点について、「地方自治体は古典的な意味においてビュロクラシーではない」と述べています。
 第3章「なぜ地方公務員は働くのか」では、論点として、
(1)地方公務員のモチベーションの特異性を明らかにする。
(2)それはどのような要因によって発現するのか。
(3)そのモチベーションによる成果とは何か。
の3点を挙げた上で、「内発的なモチベーションを特徴としている」として、「公共サービスに特有なモチベーション(public service motivation, 略してPSM)」を規定しています。
 そして、「金銭的要員も無視すべきではない。あまりにも非金銭的な要因への一方的な傾斜は、モチベーションの議論を歪めることになる」と述べています。
 第4章「地方自治体のマネジメント」では、「そのマネジメント、要はシステムの運用について、企業とどのように相違するのか」、「地方自治体という組織のなかにヒトをどのように位置づけるか」について、具体的に考えるとしています。
 そして、「地方自治体は、ビュロクラシーとしては欠ける部分がはるかに多い」として、
(1)政治性
(2)有機性
(3)不安定性
の3点を挙げ、この3つの特性は、「首長=経営トップの採用するスタンスでどのようにでも変化する」と述べ、「地方自治体では、情報ではパワー・ポリティクスに準拠してマネジメントが翻弄され、下方では、システムとしてのビュロクラシーが無視されるという相反しがちなシステムが成り立っている」としています。
 第5章「地方公務員に必要な資質・能力」では、「地方公務員に望まれる適性、あるいは期待される能力や資質」として、
(1)住民に対する感受性
(2)理想主義的な信念
(3)広角的、複眼的視点
(4)ロング・スパンの価値意識
(5)責任の観念
の5点を挙げた上で、「地方行政の中核は施策立案であり、それも中長期的な構想のもとに行うべきである。そのためには利害関係者への説得や、彼らを承服させるためのプロフェッショナルとしての力量が問われる。手足よりも頭の部分が問われるのである。頭のよさではない、器用さでもない、システムの要を支える有能さが問われるのである」と述べています。
 そして、「公的な規則または制約と、私的な考え方に支えられた不規則の間に公務員の思考様式と行動はある。その間で揺れ動くのである」と述べています。
 第6章「人的資源管理の理論と手法」では、「地方自治体は、意外なことに成果主義の世界である。企業よりも終身雇用の年功序列が徹底しているようで、日本的経営が徹底しているとされることもあるが、人材育成は意外と成果主義的である。その過程で鍛えられた幹部、例えば副市長や総務部長などは一期目の首長を越えて影響力を発揮できることがある。ということは、幹部は、首長の手足として忠実に公約実現に向けて行動する人でなければならないが、他方で、彼らの育成は、自治体独自の論理によって成されなければならない」と述べています。
 第7章「権力行政の担い手としての地方公務員」では、「NPMによって業績の向上に努め、いわば冷徹な経済合理的な工場になりかねないシステムに、一定の歯止めをかけるために、彼らへの役割期待がある。市民の考え方を現場で最も熟知できるのは、再度いえば彼らである」として、「彼らこそが、地方自治体と市民を結びつける役割を果たしている」と述べています。
 第8章「コミュニティのなかの地方公務員」では、「地方公務員は地域社会、またはコミュニティと言い換えてもよいが、それの支え手として、そしてその中心的な役割を負うことになる」として、「住民としての職員は、権力行政の一部を担いながら、そして、次章で論じる市民参加に真摯に向き合いながら、その間で一住民として、自分たちの生活をいかに質的に向上させるか、リーダーシップの役割を果たすことが期待されている」と述べています。
 そして、災害に際しては、「外から駆けつけるボランティアやNPOへの期待は大きいが、外部から支援に駆けつけるのは時間的に遅くなることが多い。システムとしての対応も遅れがちである。そのタイムラグを埋めるのは、被災者自身であり現場の職員である」として、「できるだけ早く司令塔を立ち上げ、地方自治体の関係者が意思決定の中心にいるようにすること、地方自治体は地域の中心に位置するということ、そのための何か大きな災害にあった時の臨時の仕組みを立ち上げるようなシステムを用意しておくことが重要である」と述べてます。
 第10章「公務倫理」では、地方公務員の倫理を論じるための論点として、
(1)成果主義
(2)デモクラシーの文脈
(3)日々の倫理
の3点を挙げています。
 第12章「結論と残された課題」では、「今後、政策形成、そしてそれに先行するアジェンダ設定が、地方自治体では最重要の課題となる」とした上で、「地方自治体は、その内部でもその外縁においても、パワー・ポリティクスは不可避のことである」が、「それが過剰になってしまえば、この社会は不安定になる」と述べています。
 そして、「地方自治体は属人的組織である。ヒトという資源がそれを成り立たせている。そこにいる人たちが熱心に働くようにならなければ、手抜きを始めると、その途端にと言ってもよいが、その組織もその地域も、極論すれば、腐りだす。腐らないようにしたい、市民はそう考える。とすれば、市民にとって自分たちのために働いているのが公務員であるから、市民はむしろ地方公務員を支えなければならない。市民と自治体が協働するパートナーシップの本義はそこにある。あるいはなければならないと考える」と述べてます。
 本書は、地方公務員のあり方を論じた一冊です。


■ 個人的な視点から

 地方公務員について書かれた本は多数ありますが、組織論の観点から日本の地方自治体の「政治性」に言及しているものはあまり読んだことがなかったので新鮮でした。


■ どんな人にオススメ?

・地方公務員のマネジメントについて考えたい人。


2015年6月 1日 (月)

オーガニゼーションズ 第2版---現代組織論の原典

■ 書籍情報

オーガニゼーションズ 第2版---現代組織論の原典   【オーガニゼーションズ 第2版---現代組織論の原典】(#2416)

  ジェームズ・G・マーチ ハーバート・A・サイモン (著), 高橋 伸夫 (翻訳)
  価格: ¥3,456 (税込)
  ダイヤモンド社; 第2版(2014/8/22)

 本書は、「統計的決定理論、ゲーム理論、経済学、心理学、政治学、行政学、社会学、そして経営学というそれまでバラバラだったタテ糸が、一瞬絡み合って『組織論』という結び目を作り、そしてまたほどけていく。その結び目」に相当するものであり、「その存在自体が文字通り『画期的』であり、今や経営組織論なら誰もが引用する金字塔的『古典』と位置づけられている」」ものです。
 第1章「組織的行動」では、「他の多くの社会的影響過程との対比で、組織内影響過程特有の特性を一つに要約しようとすれば、拡散性に対して特定性である」とした上で、「本書では、組織研究者・組織著述家による組織記述の重要なものを体系的に概観する」と述べ、「組織に関する命題は、その中の人間行動についての記述である。組織内人間行動を説明するために、こうした命題はすべて、明示的であれ暗黙にであれ、人間の何かの特性を仮定して埋め込んでいる」として、
(1)組織メンバーとりわけ従業員は主として受動的機械であり、仕事遂行と指示受諾はできるが、行為創始や影響力行使はあまりできないと仮定している命題。
(2)メンバーは、(1)態度、価値、目的を組織に持ち込み、(2)組織行動システムへの参加には動機づけ、誘引付が必要で、(3)個人目的と組織目的の対応は不完全で、(4)現実あるいは潜在的な目的の葛藤・対立のために、組織的行動な権力現象、態度、勤労意欲を中心に説明されると仮定している命題。
(3)組織メンバーは、意思決定者・問題解決者であり、組織内行動は知覚・思考過程を中心に説明されると仮定している命題。
の3つの命題を挙げています。
 第2章「『古典的』組織論」では、「伝統的な組織論は、発展経路で大きく2つに分けられる」として、
(1)20世紀初頭のテイラーの研究を起源としたもので、生産の基礎である肉体的活動に焦点を当てている。
(2)ギューリック=アーウィン編の論文集が良い例で、第一のものと比べると大きな組織問題、部門間分業・調整問題に関わっている。
の2点を挙げ、「この2つの理論領域の主要な特徴と問題点について述べる」としています。
 そして、生理学的組織論と管理論の「重要な限界と広く実証面・定式化面で必要なものを指摘する」として、
(1)理論の根底にある動機づけの過程が不完全で、結果、不正確である。
(2)組織的行動の限界を定める組織的利害対立の役割をほとんど認めていない。
(3)複雑な情報処理システムとしての限界からくる人間の制約条件をほとんど考慮していない。
(4)決定だけでなく、課業の同定・分類における認知の役割にほとんど注意を払っていない。
(5)プログラム作成の現象を軽視している。
の5つの基本的限界に言及しています。
 第3章「動機的制約:組織内決定」では、「古典的組織論が、生物としての人間を単純機械とみなしていた」ことについて、「まるでそんな機械で構成されているかのように組織を扱うと生じる予期しない結果について考察する」としています。
 そして、「個人行動『機械』モデルは、参加者が同時に果たす広範な役割を無視しがちであり、役割調整の問題を事実上扱わない。特に、素朴な『機械』モデルに基づく監督行為が、組織が回避を望む行動に終わることは明らかである」と述べています。
 第4章「動機的制約:参加の決定」では、「労働者による組織参加の決定」を探求するとして、「まず組織均衡の一般理論を考え、組織の主要参加者とその参加の決定に影響する要因を特定する」と述べています。
 第5章「組織における葛藤・対立」では、「個人・集団が決定問題を経験するときは、葛藤・対立が発生している」とした上で、
(1)どんな条件下で葛藤・対立は発生するのか? 組織内葛藤・対立や個人的葛藤が発生する時と場所を予測できるようになりたい。
(2)個人・組織は葛藤・対立にどんな反応をするのか? 一般には、葛藤・対立解消を試みて反応すると期待されるが、その形態を特定したい。
(3)対立の結果はどうなるのか? 特に交渉状況で、誰が何を得るのか興味がある。
の3つの問いに答えるとしています。
 そして、「組織内葛藤・対立への拡張に関連するいくつかの主要命題」として、知覚された葛藤は、代替案の主観的比較不能性、代替案の主観的需要不能性の関数であると述べています。
 そして、「組織は次の主要4過程で葛藤・対立に反応する」として、
(1)問題解決
(2)説得
(3)交渉
(4)「政略」
の4点を挙げています。
 著者は、本章において、「2つのまったく別種の組織内葛藤・対立を論じてきた」として、
(1)本質的に個人内葛藤で、組織メンバー自身での選択が難しい。
(2)個人間対立で、組織メンバーは互いに矛盾する選択をする。
の2点を挙げています。
 第6章「合理性の認知限界」では、組織メンバーの「合理的人間としての特性に焦点を当てる」ことで、本書の主要課題である、
(1)従業員を機械として扱う古典的記述の不自然さを1つずつ取り除く。
(2)これを、組織メンバーが欲求、動機、動因をもち、知識や学習・問題解決能力に限界が有ることを認める新しい概念と置き換える。
の2点が完了するとしています。
 そして、「たいていの人間の意思決定は、個人的であれ組織的であれ、満足な代替案の発見と選択に関係しており、例外的な場合にのみ、最適な代替案の発見と選択に関係する」と述べ、「干し草の山の中から、最も鋭い針を探すのは、縫うのに充分な鋭さの針を探すのとはわけが違う」としています。
 また、「管理組織の内であれ外であれ、人間の行動は合理的だとしても、それは状況の『所与』の特性集合から見て相対的に合理的であるに過ぎない」として、「所与のもの」には、
(1)未来事象の知識・過程・確率分布
(2)利用可能な行為の代替案の知識
(3)代替案の結果の知識
(4)結果や代替案に選好順位をつけるルールや原理
が含まれると述べています。
 著者は、「個人・組織が直面する問題の複雑性と比べて、人間の知的能力には限界があるので、合理的行動には、問題の複雑性すべてではなく主要店のみをとらえた単純化モデルが必要となる」として、
(1)満足化が最適化に取って代わる――基準変数の満足水準を達成するという必要条件。
(2)行為の代替案と行為の結果は、探索過程を通じて逐次的に発見される。
(3)プログラムのレパートリーは組織と個人が開発し、これが再発状況では選択の代替案として役立つ。
(4)各プログラムは、限られた範囲の状況と限られた範囲の結果に対処する。
(5)各プログラムは、他とは半独立に実施されうる――プログラム同士は緩くつながっているだけである。
の5点を挙げています。
 第7章「組織における計画と革新」では、「創始・革新が存在するのは、変化が、新プログラム――組織のレパートリーになく、プログラム化された切替ルールの単純適用でも対応できない――の考案・評価を要するときである。組織内行動が創始・確信なしに変化できる程度は、戦略の複雑性とプログラム内蔵の切替ルールによってのみ制約される。特定の組織について、プログラム化された切替ルールも含めてプログラムを記述できれば、プログラム化された通常の行動変化と新プログラム創始を意味する変化とを区別できる」と述べています。
 そして、「本質的に、人間の計画能力の現実的限界を所与とすれば、集権化よりも分権化システムがよく働く」として、「競争は比較的単純な条件に適しているのではない。まさに分業の複雑性こそが、競争を唯一適切な調整方法たらしめる現代的条件なのである」と述べています。
 あとがきでは、「本書で渉猟した領域は、理論化の到達度、特に命題の実証度で非常にむらがあることを見てきた。命題用に収集できた証拠は、大部分が動機づけ・態度を扱う本書中盤の諸章関係だった。組織的行動の認知的側面は、ほとんど未開の地である」と述べています。
 第2版への序文では、「本書の関心は公式組織の理論である。選好、情報、利益、知識が異なる個人・集団、つまり葛藤・対立のある個人・集団の間で調整された行為のシステムが組織である。葛藤・対立から、協働、資源の動員、努力の調整――これらが組織とそのメンバーの共生を促進する――への成功な転換を記述するのが組織論である」とした上で、「本書の中心をなす統一の構成概念は、階層ではなく意思決定であり、意思決定過程に対して支持し、知らせ、支える組織内の情報の流れである」と述べ、「中心的な構成概念が意思決定であるにもかかわらず、本書で展開される理論の多くは、選択の理論というよりも注意の理論である」として、「本書に書いた組織的注意の理論は、2つの小さな着想の上に構築されたが、この2つの着想は、その後かなり強力で魅力的だと証明された」として、
(1)満足化:組織は目標に的を絞り、中間段階なしに成功(目標達成)と失敗(目標未達成)にはっきりと二分して区別する。
(2)組織は、現時点で目標達成の活動よりも、目標未達の活動に注意を向ける。
の2点を挙げています。
 本書は、現代の組織論の基礎を築いた記念すべき一冊です。


■ 個人的な視点から

 名著中の名著。初版の発行が1958年であるにもかかわらず、本質的には今読んでもまったく古さを感じさせないです。


■ どんな人にオススメ?

・組織について一から考えてみたい人。


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