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2015年7月

2015年7月31日 (金)

正義のゲーム理論的基礎

■ 書籍情報

正義のゲーム理論的基礎   【正義のゲーム理論的基礎】(#2476)

  ケン・ビンモア (著), 須賀 晃一 (その他), 栗林 寛幸 (翻訳)
  価格: ¥4,536 (税込)
  エヌティティ出版(2015/5/22)

 本書は、「数学、ゲーム理論、経済学を武器に、進化生物学や社会進化論を背景的知識として、現代の正義論を再構築すること」、すなわち「人々の行動を現実に支配する道徳ルールである本能、慣習、因習などは、主に進化の力――生物学的のみならず社会的な――によって形作られるので、それらがいかに進化したのか、なぜ生き延びる子かをとうために、道徳を科学的に扱うことが必要であるとして、数理的方法を用いた新しい正義理論」の構築を目指したものです。
 著者は、「実際に使われている公平性規範はすべてロールズの原初状態という深層構造を共有する。この深層構造は生物学的に決定されるため、人類に共通のものである。しかし、原初状態で入力情報として必要になる個人間比較の基準は、ミームを通じて文化的に決定されるため、時と場所によって変わってくる」としています。
 第1章「道徳科学」では、「本書の主眼は、生のゲームの特定の均衡にむけて私たちの行為を調整するほぼ暗黙の了解として社会契約を捉える、デイヴィッド・ヒュームの洞察の帰結を探求することにある」としています。
 そして、「ロールズの原初状態が人間の公平規範の深層構造に組み込まれていると論じるにあたり、私には2つの任務が課される」として、
(1)そのようなメカニズムを私たちの遺伝子に書き込ませるに至った可能性を持つ進化の圧力について、納得のいく説明をしなければならない。
(2)この生物学的メカニズムが文化的伝統と作用し合い、私たちがプレーする生のゲームで特定の均衡を選び出す仕組みを説明しなければならない
の2点を挙げています。
 第2章「交渉理論」では、「本書の目的のひとつは、公平な交渉とは何かについて、特定の見解を擁護することにある。ただし、その見解は理論に組み込まれる入力としてではなく、出力結果の一つとして明らかにされるべきである」と述べています。
 そして、「ゲーム理論が合理的なプレーヤーによる戦略的交渉の分析を著しく進展させたのは、プレーヤーの特徴と交渉問題の性質が共有知識となっている場合であった」としたうえで、「ナッシュ交渉解は原初状態における交渉の結果を予測する手助けとして導入された」と述べています。
 また、「功利主義者と平等主義者を区別するもの」として、
(1)功利主義者は現時点の現状を無視するのに対し、平等主義者は歴史に配慮する。
(2)社会指標の意味をどう理解するか。功利主義者は社会指標の低い市民への援助を好み、行道主義者は社会指標の高い市民への援助を優先する。
の2つの見解の相違点が「とりわけ注意を引く」としています。
 著者は、「功利主義者と平等主義車の間の伝統的な激しい論争は、場合によっては単なる戯れ言にすぎないかもしれない。なぜなら、両者は単に同じことを違う仕方で表現しているからである」と述べています。
 第3章「主義の論戦」では、「何らかの結論に達する前にかならずデータを観察すべきであると主張する科学哲学の伝統」を「経験主義」として、「その偉大な主唱者はデイヴィッド・ヒュームである」と述べています。
 そして、「運転の例が示すように、道徳的主観主義は馬鹿げている。それは道徳のルールが人間の行動の調整を助けるために進化してきた事実を見逃しているからである」と述べています。
 第4章「均衡」では、「ゲーム理論は、実際のところ、対立と協力の両方を対象としている。現実的なゲームは一般に両方の可能性を含んでいるからである」と述べています。
 そして、「ゲーム理論家の考えでは、囚人のジレンマが人間の協力問題の本質を体現していると主張するのは明らかに誤りである。逆に、それは可能なかぎり協力が発生しないように仕組まれた状況を表しているのである」と述べています。
 また、「本書にとって重要なのは、ハミルトンの洞察が生物学的進化のみならず文化の進化にも適用できるということである」と述べています。
 第5章「互恵性」では、「アクセルロッドの主張の結果、しっぺ返し戦略こそご形成の仕組みについて知るべきことのすべてを体現している、と信じる社会科学者の世代が育ってしまった」が、「しっぺ返し戦略への思い入れが生き続ける理由は、かつて1回きりの囚人のジレンマにおける協力の合理性を人々が主張していた理由と同じである。彼らは人間が本質的に善良であると信じたいのである」と述べています。
 そして、「伝統が感情に有益な社会的役割を全く認めないのは明らかに間違いであるという、現在では広く受け入れられている考え方を私も支持する。感情は原始時代に社会契約の監視を手助けするために進化し、依然としてこの目的に役立っていると私は考えている」と述べています。
 また、「権威が機能できる真の理由は、リーダーの役割が、プレーされているゲームの完全均衡を指し示すことでしかないからである。もしも慣習的にリーダーの選択が尊重されるなら、それは誰もが最適化していることになるのである。したがって、いかなる個人も逸脱する誘引を持たない」と述べています。
 第6章「義務」では、「世俗的な道徳理論は、おおまかに言って、『善(the Good)』、『正(the Right)』、そして『徳(the Seemly)』の理論に分類することができる。左寄りの者たちは『善』を協調し、哲学者からは帰結主義者と呼ばれる。また、先見的な共通前の存在を主張し、その促進が私たちの利己的な関心事に優先するという。この陣営で最も声高なのは功利主義者と構成主義者である」と述べ、「保守主義者は『正』の理論を好む。哲学者はそのような理論を義務論と呼び、左寄りの帰結主義的な理論に対する自然な対抗馬と見る。義務論者は自然権の存在を主張し、帰結にかかわらずこの権利を尊重することが私たちの義務であるという」と述べた上で、「徳の理論にあっては、物事がそれ自体で本質的に善いまたは正しいということはない。物事が善いないし正しいのは、特定の社会で一般にそうであると考えられるからである」としています。
 第7章「血縁」では、「人間が親しい人を――親しい人だけを――愛すると予想すべき進化的な理由を説明する」として、「世間の知恵が愛と正義を適切に区別しないのは、進化というものが不器用な修繕屋であり、古いメカニズムを新しい目的に適応できるのであれば、新しいメカニズムをわざわざ作り出すことはめったにしないからである」と述べ、「私たちが公平規範を用いて部外者との調整ゲームを解決する際に原初状態への入力情報として必要な共感型(empathetic)選好を授けられるにあたり、『自然』は、家族内で作用する同感型(sympathetic)選好に合わせて進化していた構造と同じものを再利用したのである」と述べています。
 そして、「遺伝子の適応度を計算する際に大切なのは、次の世代にむけて複製される回数の平均値である」として、「私自身の遺伝子の適応度を計算する時には、私の行動が私自身のみならず親族の繁殖の成功率に及ぼす影響も考慮しなければならない。ハミルトンはこのような計算の結果を包括適応度(inclusive fitness)と呼んだ」と述べています。
 また、「ある種のゲームで高等動物がプレーする戦略は明らかに遺伝的に決定されている」が、「人間がプレーする社会的なゲームにおいて戦略が遺伝的にプログラムされていることはほとんど」なく、[私たちが均衡への道を見つけるのは、主に試行錯誤の学習や、よりうまく行っているプレーヤーたちの行動の模倣を通じてである」と述べています。
 第8章「共感」では、「私たちが共感の能力を当然視するからといって驚くことはなかろう。というのも、神経科学の研究が示唆するように、私たちの脳内には、自閉症の人々が一般的な認知能力を駆使して必死に試みなければならない作業を自動的んこなす部位が存在するのである」として、「共感による同一化の能力というものが人間の社会組織の核心にあることが明白になる」と述べています。
 そして、「個人間比較の基準は多くの点で言語に似ている」として、「ちょうど、何らかの言語を話すことが人間の遺伝的脂質の一部であるように私たちは個人間比較の基準を操作するように生まれついているのである」が、「言語と同様に、個人間比較の基準は利用される状況によってことなる」としています。
 第9章「黄金率」は、「文化の進化は異なる社会を多様な方向へと導いてきたが、私たちが皆同じ種に属することを指し示す普遍的特性は依然として残っているのである」と述べています。
 そして、狩猟採集社会の特色として、
(1)純粋な狩猟採集社会がボスや族長を持たないこと。
(2)公平性。
の2点を挙げ、「協力して行われる狩りは、リーダーのいない社会――特に言語の出現以前――においてより生産的であったかもしれない。なぜなら、不服従を罰することのできるリーダーがいないことにより、意思決定が効率的な水準に分権化されうるからである」と述べています。
 第11章「平等性」では、「平等主義的交渉解には堅固な理論的裏付けがあるので、この類似への着目はすでに一歩前進である。効用の完全な個人間比較を織り込んだ、公平な交渉解の条件となりうるような公理の集合は、そのほとんどが平等主義的交渉解を特徴づけることが判明するのである」と述べています。
 そして、「生のゲームの枠内で選択肢として明示的にモデル化されていないコミットメントは不可能であるため、コミットメントの制約は不在である。他のプレーヤーの選択を所与として、誰もが自由に自己の誘因に反応する」とした上で、「私の理論はロールズの直感が正しいことを裏付ける」として、「外部強制力が存在しない場合、新しい調整問題は、社会の過去の歴史が決定する社会指標を利用した平等主義的交渉解によって解決される」と述べています。
 本書は、ゲーム理論と進化から正義を解読しようとする一冊です。


■ 個人的な視点から

 進化論と言うと何やら「本能」だとか「体の仕組み」だとかを説明するものだという印象がありますが、社会制度とか倫理とか宗教とかそういったソフト的な部分もかなりDNAの影響を受けているものだと考えるべきなのかもしれません。
 また、戦前の優生学への反省からか、個人の知能や性格における遺伝的影響について語られることも少ないですが、やはり影響は大きいことを前提に考える必要があろうかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・正義が生まれる過程を知りたい人。


2015年7月30日 (木)

幕末の小笠原―欧米の捕鯨船で栄えた緑の島

■ 書籍情報

幕末の小笠原―欧米の捕鯨船で栄えた緑の島   【幕末の小笠原―欧米の捕鯨船で栄えた緑の島】(#2475)

  田中 弘之
  価格: ¥ (税込)
  中央公論社(1997/10)

 本書は、「今から160年あまり前までは、太平洋上にひっそりと生き続けた無人の島々」であり、「他では見られない貴重な動植物が生育していること」や、「江戸時代の末頃から欧米人やハワイ人が、この島に住むことになったこと」で知られる小笠原諸島の歴史を解説したものです。
 第1部第1章「無人島の発見」では、寛文10年(1670)2月に遠州灘で遭難したミカン船が八丈島のはるか南の無人島に漂着したことについて、「このミカン船の生還者の報告に基いて、5年後の延宝3年(1675)4月、幕府はこの無人島を調査するため、一隻の探検船を派遣することとなった」と述べています。
 そして、「このミカン船の漂着より80年余り前に小笠原貞頼という武将がこの島を発見したという説」について、架空の物語であるが、「この事件によってその舞台となった無人島が後に小笠原島の名で呼ばれるようになるなど、意外な結果を生むことになった」と述べています。
 また、1817年にフランスの東洋学者アベル・レミューザが、小笠原諸島を「BO-NIN諸島」と紹介したことについて、レミューザが、「日本人は『無人島』を『ボニンシマ』と読んでいると考えたという」と述べ、「ムジン」→「ムニン」→「ボニン」と転訛したという通説は誤りだと指摘しています。
 第2章「探検隊と捕鯨船」では、「絶海の無人島という楽園で繁殖し続けた」オガサワラマシコやオガサワラガビチョウなどの鳥類は、「人間の入植による森林の伐採や移入された動物によって環境が変わると、またたく間に姿を消してしまった」として、「周囲と隔絶した小笠原島には、つい160年ほど前まで、タイムカプセルに閉じ込められたような原始そのままの自然が存在していたのであった」と述べています。
 第2部第2章「ペリー艦隊の来航」では、ペリーが、「江戸に近いピール・アイランド(父島)が江戸への前進基地として地理的に優れており、三方を丘に囲まれた港は艦隊の停泊に適していることに注目していた」と述べています。
 第3部第1章「高まる小笠原回収計画」では、「外国掛目付衆は、ペリーが『ペリー提督日本遠征記』の中で指摘した、太平洋横断航路の中継地点としての小笠原島の重要性や、貯炭所用地の買収問題に注目した」として、無人島問題の重大さに気づいた幕府は、「日本の船が使えないのであれば、オランダ船を雇ってでも早急に回収開拓を実施すべきであると閣老に上申した」と述べています。
 第2章「上陸」では、咸臨丸で小笠原を訪れた水野忠徳の一行が、「当初危惧していた住民との大きなトラブルもなく、予想以上の成果をあげ」たと述べています。
 第3章「入植と捕鯨」では、ジョン万次郎(中浜万次郎)が、「アメリカで実際に学んだ洋式(アメリカ式)捕鯨が国益の面で優れていること、また洋式帆船乗組員の養成にも役立つことなど」をたびたび幕府に建言しており、これに幕府の開明派の一人勘定奉行川路聖謨が注目し、万次郎を函館に派遣したが、現地での受け入れ体制の不備のために、不調に終わったと述べています。
 そして、ペリーも提唱していた小笠原島の捕鯨事業が着実に推進された理由として、「小笠原島の開発に捕鯨事業を組み込むという、ペリーの開発プランが、優れて現実的であったことはもちろんであるが、折から久世・安藤政権の新経済政策ともマッチし、さらに捕鯨のベテラン中浜万次郎の指導によって操業するという、いわば三位一体の好条件に恵まれた結果といえよう」と述べています。
 第4部第1章「日本人の撤退とホートン事件」では、小笠原島の回収が無事成功し、開拓も順調に進み始めた矢先に起こった生麦事件のあおりを受け、「もはや一戦は避けられないとみた幕府は、小笠原島在住の日本人が英国軍に襲撃されることを恐れて、同島の日本人全員の撤収に踏み切った」と述べています。
 そして、いわゆるホートン事件について、「不利な情勢にもかかわらず、幕府がホートンの父島への送還を最後まで拒んだのは、多くの島民がホートンを、平和を乱す危険な人物として島外追放を支持しており、こうした意向に反してホートンを再び島に戻すことは、島民の日本政府への信頼を裏切ることでもあり、幕府としてもそれはできなかったのであろう」と述べています。
 そして、水野忠徳について、「小笠原の回収をはじめ、近代的海軍の基礎を築いた『長崎海軍伝習所』の創設、横浜の開港場設置問題、金貨流出問題など、開国後の幕府が当面した難問の処理に手腕を揮ってきた。また、文久の頃には急進尊攘派の牛耳る京都の不当な要求にも屈せず、堂々と正論を主張して臆するところがなかった」が、「理不尽なことにはけっして屈しない剛直敢為のミズノは、またそれゆえにたびたび幕閣や外国公使とも衝突し、遠ざけられたこともあった」と述べたうえで、当時江戸で流行った「ものは付け」に「相場の下がらぬもの」と評され、「いったん遠ざけられても、非常のときにはなくてはならない人物として、江戸庶民の間にも知られていたようだ」としています。
 第2章「明治新政府の小笠原島回収」では、明治新政府の小笠原島回収問題に関する対応について、「かつて外国奉行水野忠徳らが、オランダ船を雇ってでも回収を実現しようとした不退転の意気込みは見られない」と述べています。
 第3章「近代の小笠原島」では、明治9年に内務省小笠原島出張所の仮庁舎が完成し、初代出張所長として、過去の経験をかわれた小花作助が、文久3年の撤退以来13年ぶり二度目の島長に就任したと述べています。
 本書は、幕末に複雑な経緯を辿った小笠原島の帰属問題をコンパクトにまとめた一冊です。


■ 個人的な視点から

 「小笠原」という名前がついている以上、発見者だったりして小笠原さんに縁がある地名なのだと思ってましたが、ガセネタだったとは恐れ入りました。


■ どんな人にオススメ?

・小笠原に縁のある人。


2015年7月29日 (水)

東京都の誕生

■ 書籍情報

東京都の誕生   【東京都の誕生】(#2474)

  藤野 敦
  価格: ¥1,836 (税込)
  吉川弘文館(2002/01)

 本書は、「『東京』は『江戸』が変化したもの」ではなく、「後の東京府、現在の東京都の地域に含まれることとなる周辺地域を中心に江戸時代以来の経済的・文化的な関わりの中で複雑な変容を生み、一体となり発達してきた過程が存在する」として、「都市と隣接地域の関連を中心に見据えながら、江戸時代から現代までの東京」を描いたものです。
 第1章「江戸と近郊農村」では、「江戸」の範囲について、幕府の統一見解として、文政元年に「図面の朱色で『御府内』の範囲を示すことにした」として、「この決定により定められた範囲が『朱引内』とよばれ、明治以後も一つの概念として使用されていく」と述べています。
 そして、「江戸幕府による町政のうちで最も有名な施策」である「七分積金」について、「七分積金の遺産は、維新直後の政府と東京府の関係に、またさらに後の東京市と郡部との関係にその利用をめぐって大きな影響を与える、莫大な資金として近代日本に引き継がれる」としています。
 第2章「江戸から東京へ」では、「江戸幕府の支配のなかで村内や地域での地位を作り上げてきた名主たちにとって、幕府の瓦解は、まさに自信の存在に関わる大問題であった」として、甲陽鎮撫隊を打ち破り、江戸へ進行してくる維新政権勢力の通過を見せつけられた「幕府直轄領で幕府のもと地域行政をになってきた豪農層」にとっては、「この状況は自分たちの政治的なバックボーンの『崩壊』を意味することとして認識された」と述べています。
 そして、「江戸城の無血開城」の結果、「江戸はその都市基盤、経済的基盤を温存したまま新しい時代を迎えることになった」として、「首都機能と経済機構を失うことなく政権交代が行われたという点は、その後の日本の新国家建設のうえにおいても、きわめて重要な意味を持つこととなった」と述べています。
 また、江戸への遷都について、「関西の幅広い層を中心に『京都が都でなくなる』ということについてのさまざまな抵抗が沸き上がり、遷都論の進展を阻んでいた」が、政府が「しだいに江戸への遷都の砲身を固めて」いった理由として、「首都機能の問題、軍事面での効果などのメリットに加え、今後の全国支配のなかで東国では『公方(将軍)様』に比べて知名度の低かった天皇を、新しい国家のシンボルとして演出するという意図の面からも、江戸を首都として機能させることの意味が重く感じられていた」と述べ、慶應4年(1868)7月17日、「都を移す『遷都』ではなく、従来の京都に加えて、もう一つ新しく都をつくるという『奠都』として位置付けられた」としています。
 さらに、「明治初期の地方・地域の行政は江戸時代以来の政治的ノウハウを持つ有力な農民らが積極的に取り入れられていった」と述べています。
 第3章「帝都・東京の建設」では、「できたばかりの東京府は、現在の私たちが『東京』とイメージする範囲とは比べ物にならないほど小さなものであった」として、明治元年の初期東京府の管轄範囲は、「旧江戸町奉行の支配地であり、江戸後期に『朱引内』と言われた範囲にだいたい準じたものであった」と述べています。
 そして、明治14年に、「東京府会の機構に区部会・郡部会が設置され、財政は郡部・区部・共通の3つに分離されて運営される『三部経済制』がスタートした」背景として七分積金の存在を挙げ、「旧江戸をアイデンティティーとして、いまだ持ち続けている区部では、この積立金が共有金として存在しているために財政面における区部の一体化が強く考慮されていた」と述べています。
 また、明治十年代の度重なるコレラの流行によって、「東京府民の上水衛生管理を東京府がおこなえない」という経緯から、多摩三郡の東京府移管の必要を求める世論が生み出され、また、「甲武鉄道の開通によって、東京富戸の経済的関係が強くなっていく中で、北多摩郡内には東京府編入を待望する声が高まっていた」が、東京府知事からの北多摩郡・西多摩郡の2郡移管の申し出に対し、神奈川県知事が、「南多摩郡も加えた多摩三郡をまとめて移管したい」と回答した理由として、「自由党勢力の強い多摩地域を神奈川県から切り離すことによって、結果的に県会内の自由党勢力の弱体化を考えていた」と述べています。
 第4章「大東京市と戦時体制」では、震災復興計画について、「都市としての構造に欠陥を生じていた東京の改造は、後藤にとっては国家的な最優先課題の一つとして意識されていた」として、「後藤市長はニューヨーク市の市政調査会をモデルとして『東京市政調査会』をつくり、ニューヨーク市政調査会専務理事で元コロンビア大学教授チャールズ・ビアード博士を招き、行政担当官庁が都市計画・都市学研究をおこなう素地をつくった」と述べています。
 そして、「縮小された計画の中でも震災復興計画はさまざまな遺産をわれわれに残してくれた」として、昭和通り、大正通り(後に靖国通り),蔵前橋通り、清澄通り、浅草通、三ツ目通り、永代通りなどが作られ、「江戸以来、橋の数が少なかった隅田川に、新しいデザインの橋が次々と建設」され、「築地の海軍用地の跡地には日本橋の魚河岸が移転され、神田には青果市場が作られた」ほか、「郊外を結ぶ幅22~25メートルの道路を16本、感情6号・7号・8号とその間に補助道路を109本計画するなど、今日の東京の道路網のレイアウトはこのときにできあがっていたと言っても過言ではないだろう」と述べています。
 また、「東京府の範囲が東京都になることについては、実はさまざまな試行錯誤のすえのことで、全く違う形態の東京都が生まれる可能性も存在していた」として、
(1)帝都制案
(2)千代田県・武蔵県案
(3)東京都・多摩県案
(4)立川県庁案
(5)横浜都制案
などを紹介しています。
 第5章「再出発、そして未来への課題」では、第二次世界大戦後、「東京は度重なる空襲によって都市機能を破壊され、罹災者は300万人と推定」され、都民人口も昭和20年11月1日時点で、277万7010人となり、ピーク時の約3分の1へ激減していたと述べています。
 そして、「戦災復興計画は、当初膨張した東京を整理するために、区部の計画人口350万人、自然増を含めても500万前後を想定し、商業・工業人口を『昭和5年程度』に抑えて、人口を理想的に抑制し、『住む』環境を整えるという視点に立っての東京改造を策定したもの」であったが、人口の急増やと財政の窮迫などから、「有効な対策を講じることができず、現実の人口再集中と、無計画のあ住宅の膨張に歯止めをかけることができなかった」と述べています。
 本書は、今ある東京の姿をあたりまえに考えずに見ることができる一冊です。


■ 個人的な視点から

 何かと「神奈川県町田市」と呼ばれることが多い町田市ですが、東京に編入される経緯が県議会野党の多い地域だったから、というのは当時の政治の世界がいかに激しかったかを物語っているかのようです。石阪市長も大変ですね。


■ どんな人にオススメ?

・町田市の来歴を知りたい人。


2015年7月28日 (火)

江戸八百八町に骨が舞う―人骨から解く病気と社会

■ 書籍情報

江戸八百八町に骨が舞う―人骨から解く病気と社会   【江戸八百八町に骨が舞う―人骨から解く病気と社会】(#2473)

  谷畑 美帆
  価格: ¥ (税込)
  吉川弘文館(2006/05)

 本書は、「古人骨の中でも、特に、そこにみられる病気の痕跡、すなわち古病理学的所見の観察」を行なっている著者が、18世紀にともに100万規模の巨大都市であった江戸とロンドンの2つの町で、「18世紀に、いったいどのような病気が流行したのだろうか。それは人骨にどのような痕跡を残したのだろう。そして、そこから読み取れる、当時の都市環境とはどんなものだったのだろう」かを解説したものです。
 第1章「人骨からみた江戸の町」では、「現代の私たちに比べて、衛生状態が必ずしも良好とはいえなかった江戸の町では、疫病が発生すると、多数の死者が出た」として、「時期にもよるが、江戸の町は実際、水辺を中心にしたいがゴロゴロしていたと考えてもよいのかもしれない」と述べています。
 そして、江戸の墓では、「先に埋められていた人の棺を少し壊して、新しい棺を埋めている」ことについて、「限られた土地しかない江戸の町では、こうでもしないと墓をつくることが難しかったという事情もあったようだ」と述べています。
 第2章「骨と墓から何がわかるか」では、梅毒の症状が進むと、「その罹患者の骨に、病変として所見(古病理学的所見)が観察されることがある」として、武家の人骨と庶民層の人骨とでは、「骨梅毒の出現頻度が異なって」おり、前者が約3%、後者は約7%で、「当時の階層ごとの梅毒の罹患頻度を表すと同時に、かれらの生活習慣の一端も示唆していると推測できる」と述べています。
 そして、「栄養障害など肉体的に何らかの不都合が生じたことによって、骨に残された負担の痕跡」である「ストレス・マーカー」のうち、「眼球のおさまる眼窩と呼ばれる部分の上板にあらわれる多孔性の変化」である「クリブラ・オルビタリア」について、「寄生虫感染や小児期の栄養不良などに伴う鉄分不足に伴って生じる」とされており、東京都千代田区にある一橋高校地点遺跡から出土する人骨については、「その出現頻度は成人で36%、未成人では66%、平均すると52%であり、小児では特に多い。このことは江戸幕府開府以後の町方の人々の生活がいかに大変なものであったかを示しているものと考えられる」と述べています。
 また、江戸時代の食生活が、「油脂・蛋白質の摂取が極端に少なかった」ことから、「当時の人々の低身長傾向は、こうした質素な食生活に基づくものだったと思われる」と述べています。
 第3章「地方の暮らし」では、「確かに江戸時代の平均寿命は短いのだが、感染症などの危険にさらされやすい乳幼児の時期を生き延びれば、逆にある程度の年齢層に達するまでは、生きることができた」と述べています。
 また、江戸時代の人口の85%は「百姓」であったと言わるが、「百姓=農民であったとは限らない」として、「彼らは農業以外のいろいろな職業を持っており、実際には農業を副業とする人たちのほうが多かったという。暮らしぶりも、それほど困窮を極めたものではなかったと言われている」と述べています。
 第4章「17~18世紀のロンドン・英国」では、「17世紀のロンドンは、商業の発達などにより、繁栄期を迎えようとしていた。しかし、その裏には、人口過密や下水道不備などからくる不衛生が依然として存在し、それらがペストなどの感染症を蔓延させる要因を作ってしまった」と述べたうえで、ペスト衰退の要因として、1666年のロンドン大火を挙げ、「この大火のおかげで、その後のロンドンは火災に強い新しい町に生まれ変わる。また、これを境にペストが下火になっていった」と述べています。
 そして、「ロンドン出土の18世紀の人骨を眺めてみると、くる病の所見を持つものが多い」として、「ビタミンDが不足することによって生じる一種の代謝性疾患」であるくる病にかかると、「骨の強度が低下し、変形」し、「かつて『イギリス病』などといわれた」と述べています。
 また、「同じ百万都市といっても、江戸などに比べると、18世紀のロンドンは、お世辞にも清潔な町とは言えなかった。何しろ、町の通りには、人間の排泄物が当たり前のように捨てられ、回収もされなかった」と述べ、ロンドン市民は、テムズ川の水を飲んでおり、「公衆衛生という視点から見ると、このテムズ川の水は、感染症を広げる要因の一つであった」としています。
 第5章「近世都市・江戸」では、「江戸市中の町は100万という多くの人が住んでいたにもかかわらず、非常にクリーンであった」と言われ、「大人口を抱えた江戸の町では、人口の約半数の人々が長屋住まいであった。こうした人々は、江戸の町全体の約十数%の敷地面積で生活していた。だが、狭い敷地で暮らす彼らの生活は、どのようなものであったのかというと、比較的快適なものであったという。それは、江戸の町が全体としてクリーン、つまり清潔な状態を保つことができていたからである」と述べています。
 そして、「江戸の町がクリーンであった第一の理由は、屎尿回収が効率的に実施されていたからと言われ」、「トイレは、大便用と小便用に分けられ、特に前者は、農家の肥料としてほぼ完全にリサイクルされていた」と述べています。
 エピローグ「都市病理学の可能性」では、「古病理学者は、残された人骨や、発掘された古人骨などから、被葬者の罹患した病気の種類だけでなく、当時の社会環境やその町の暮らしぶりなどの情報を引き出し、当時の都市や社会の状況を復元する」として、これを「都市における古病理学、『都市古病理学』」と仮称しています。
 本書は、骨から江戸の住民の暮らしを推測した一冊です。


■ 個人的な視点から

 恐竜とかの化石を見ていて思うのが、将来何かの間違いで自分の骨が化石になって誰かに発掘されたら面倒だということです。ティランノサウルスの「スー」は痛風持ちだったことが骨からわかるらしく、骨になったあとになっても健康診断されるなんてまっぴらごめんです。


■ どんな人にオススメ?

・江戸時代の暮らしに憧れる人。


2015年7月27日 (月)

災害都市江戸と地下室

■ 書籍情報

災害都市江戸と地下室   【災害都市江戸と地下室】(#2472)

  小沢 詠美子
  価格: ¥1,836 (税込)
  吉川弘文館(1998/01)

 本書は、「現代でいう地下室でおもに地下に設けられた倉庫」である「穴蔵」について、「幕府が崩壊し、明治・大正・昭和へ移り変わるなかで、あれほど繁栄をきわめた穴蔵も、いつの間にか消滅してしまう」ことが、「江戸・東京の都市のあり方を解明する、大きなヒントが隠されている」可能性を検証するものです。
 第1章「災害都市江戸と穴蔵」では、江戸で火災が頻発し、「華」でありえた条件として、
(1)江戸では大火を喜ぶ住民がかなり多く存在していたらしいこと。
(2)大都市としての統一的政治体制が欠けていたこと。
(3)江戸で暮らしていく以上火事は当然のことで、類焼も仕方のないことと甘んじて受け入れ、せめて自火でなかったことを喜ぶ、という考え方が江戸の住民の中に深く浸透していたこと。
の3点を挙げています。
 そして、「江戸で穴蔵が普及し始めたのは、明暦の大火直後」であり、「以来穴蔵は、江戸で大活躍することになる」としています。
 また、穴蔵の機能として、
(1)防火施設としての役割
(2)金庫としての役割
の2点を挙げています。
 さらに、「穴蔵を金庫として利用していた多くの商人は、防犯上の理由からあえて階段をつけなかったのではないだろうか」と述べています。
 第2章「土蔵と穴蔵」では、「江戸中期以降、土蔵が普及したからといって、けっして穴蔵がすたれてしまったわけではない。多くの場合は両者を併用し、用途によってうまく使い分けていた」と述べています。
 そして、安政の大地震の後に大量に板行された「鯰絵」のうち、「相撲の番付表を模した、災害時の有用物・無用物の番付表」が作られた中で、土蔵は「あおいだな物」として、「不要な物の『大関』にランク付けされ、一方、穴蔵は『もちいる物』、つまり役に立つ物の『大関』にランク付けされている」と述べています。
 第3章「穴蔵経済事情」では、穴蔵普請にかかる経費のうち、「材木代と人件費で、全経費の約8割が占められていた」と述べています。
 また、「江戸から明治になっても、穴蔵の評価に大きな変化はなく、土蔵には負けるものの、立派に不動産としての価値を保っていた」と述べています。
 第4章「穴蔵大工の正体」では、鯰絵のランキングの中で、穴蔵が「もちいる物」の大関にランク付けされている理由について、「一般に地震の際、地下は地上の5分の1の揺れしか感じないと言われており、穴蔵の耐震性の強さが土蔵の弱さと対比され、高く評価されていたことがわかる」と述べています。
 そして、「鯰絵の中に多くの職人とともに穴蔵大工が描かれていた」ことから、
(1)安政大地震後の江戸において、穴蔵と穴蔵大工がいろいろな意味で注目されていた。
(2)穴蔵大工は、あくまでも穴蔵本体の材木部分を製造することをおもな業務としていた。
の2点を指摘しています。
 また、史料や鯰絵から類推できる穴蔵製造過程として、
(1)発注者から注文を受けた穴蔵屋は資材と職人・人足を手配する。
(2)穴蔵大工が本体となる枡型を材木と釘で組み立て、慎肌やチャンを隙間に詰めるなどの防水加工を施す。
(3)土砂崩れの内容に材木で山留めしながら、掘り方人足が穴を掘り、掘り出した土を大八車で運ぶ。
(4)地下水の多い場合には、左官が水留め作業を受け持つ。
(5)出来上がった枡型に縄をかけ、穴の中に降ろし、地面を固めて穴蔵は完成する。
(6)最後に職人・人足らに、酒かあるいは酒代の名目の金銭が祝儀として振る舞われ、全工程は終了する。
と述べています。
 さらに、穴蔵大工の系譜について、「技術面では船大工と橋大工の二系統に帰着し、江戸の町づくりに伴う橋梁普請や上水普請の一段落ついたころ、彼らの中から穴蔵づくり中心の仕事に切り替えるものが出てきたのではないだろうか。江戸時代初期こそ、幕府は天地丸や安宅丸などの巨大船舶を造営するが、その後巨大船舶の造営を禁止する。腕のいい船大工も江戸にはたくさんいたはずである」と述べています。
 第5章「消えた穴蔵」では、明治初期の人々は、銀行の登場によって、「穴蔵がなくても代わりに財産を守ってくれる機関のあることを知り、しかもただ預けるだけでいくらかでも利息を手にすることができるといううまみを覚えてしまった」上に、「一向に減らない火災に対処する方法として、どうせ燃えてしまうのなら、維持・管理に手間ヒマと大金がかかり、場合によっては焼けてしまうこともある穴蔵よりも、確実に保証されて面倒のない火災保険に走るのも無理からぬことである」と述べています。
 さrに、穴蔵大工の動向として、明治政府が水道の改良制作にとりかかり、東京でも「給水地域が市内全域におよぶほどの大規模な」工事が行われたことから、「この時期には、穴蔵大工の仕事の中心が水道工事に移っていったとも考えられる」と述べています。
 本書は、穴蔵に着目して、アンダーグラウンドで行われた江戸から東京への移行を追った一冊です。


■ 個人的な視点から

 そう言えば現代では「穴蔵」という言葉を知っていても実物を見たことがある人は少ないのではないかと思います。地下水が滲みでてこないように船のように木を組んで防水対策をしていたなんて知りませんでした。


■ どんな人にオススメ?

・「穴蔵」の実物を見たことがない人。


2015年7月26日 (日)

コメの歴史

■ 書籍情報

コメの歴史   【コメの歴史】(#2471)

  レニー マートン (著), 龍 和子 (翻訳)
  価格: ¥2,160 (税込)
  原書房(2015/4/28)

 本書は「コメの栽培のはじまりから、コメが世界各地で栽培され食べられるようになった道筋」を辿ったものです。
 序章「コメは万能選手」では、「世界の人口の3分の2」がコメを主食にしており、「コメ文化を持つ国からの移民が多数定着した国々でも、コメの消費量は増加している」と述べています。
 第1章「コメとはなんだろう?」では、「コメはたいていの環境で生育する適応力の高い穀草だが、多産というわけではない」として、稲作の50パーセントが水田での栽培で、収穫高の75パーセントを占めると述べています。
 そして、「インディカ米は熱低や亜熱帯地域で生育し、国際取引量の75パーセント超を占める。インディカ米は調理してもパラパラとしてコメ同士がくっつかない」と述べています。
 また、「コメの生産は、1940年代から1970年代にいたる緑の革命[高収量品種の開発や化学肥料の導入などで穀物の生産性を大幅に向上させた1960年代の取り組み]の恩恵を受けた」と述べています。
 第2章「アジアから地中海沿岸へ」では、「コメの歴史は、インド北東部のヒマラヤ山脈のふもとや、東南アジア、中国南部、インドネシアではじまった。そしてインドと中国で栽培化され、その後、稲作は朝鮮半島、日本、フィリピン、スリランカ、インドネシアに到達した」と述べています。
 そして、「2010年には、世界で生産されたコメが、世界の全消費カロリーの20パーセントをまかなった。その生産量の3分の1を占めるのが中国で、世界の耕作地のわずか7パーセントで世界の人口の25パーセントを養ったことになる」と述べています。
 第3章「大航海時代以降のコメ」では、「現代のアメリカのコメ生産は、主にアーカンソー、カリフォルニア、ルイジアナ、ミシシッピ、ミズーリ、テキサスの各州で行われている。コメの大半は長粒種」で、「最近30年間で、この地域の生産量は6割増化している」と述べています。
 また、「アフリカのコメは、アジア起源だと考えられていた」が、「アフリカ枚は少なくとも4500年前、ヨーロッパ人が『暗黒大陸』に乗り出すずっと以前に栽培されていたことが確認されている」と述べています。
 第4章「変化するコメの食べ方」では、アメリカのアジア系移民が、「近年では、香港、台灣、マレーシア、中国の福建省、フィリピンおよび南アジア出身が多い」として、「移民の子孫がアメリカの食事に順応し、ファストフードの消費も増える一方で、家庭ではコメはいまだに伝統的な方法でよく調理され、とくに週末の行事や祝い事や祭りで食べられている」と述べています。
 第5章「人が主食とするものからは、さまざまな神話が生まれる」としたうえで、「日本の穀物の神、稲荷は、はじめて稲を栽培したとも言われている」と述べています。
 そして、日本社会における「コメ」の重要性について、「コメが持つシンボルとしての価値を詳細に追うことができる」として、「集団の強調、依存と同意という概念は、稲作農業から生じたものだと考えられている」と述べています。
 本書は、世界中のコメの歴史をたどることができる一冊です。


■ 個人的な視点から

 昔、コメ不足の年にタイ米が緊急輸入されてましたが、よせばいいのに「ブレンド米」と称して長粒種と短粒種を混ぜて流通していて不評でした。最近はタイ米は手に入りづらくなりましたが、通販で買ってハイナンチーファンやパエリアに使っています。


■ どんな人にオススメ?

・日本のコメにはやっぱりネギを刻んだ納豆だと思う人。


2015年7月25日 (土)

近代医学の先駆者――ハンターとジェンナー

■ 書籍情報

近代医学の先駆者――ハンターとジェンナー   【近代医学の先駆者――ハンターとジェンナー】(#2470)

  山内 一也
  価格: ¥2,052 (税込)
  岩波書店(2015/1/21)

 本書は、牛痘種痘を開発したハンターとジェンナーを中心に、天然痘根絶までの歴史をまとめたものです。
 第1章「近代医学以前」では、「天然痘は人類史上、最大の被害をもたらした感染症」だとして、「20世紀だけで3億人から5億人が天然痘で死亡した」と述べています。
 そして、「天然痘患者の膿やかさぶたを摂取して天然痘に人為的にかからせる」人痘種痘について、インドと中国が起源である可能性があるとしたうえで、1718年に、トルコ駐在の英国大使の妻メアリー・モンタギューが、6歳の息子に人痘種痘を受けさせたと述べています。
 第2章「ドリトル先生の時代」では、「ドリトル先生」のモデルとされる解剖医、外科医、ナチュラリストのハンターについて、「ハンターの動物との関り合いにヒントを得てドクター・ジョン・ドリトルの着想は生まれたと言われている」と述べたうえで、「ハンターは、2世紀のギリシアのガレノスの理論に基づく中世のままの方法を踏襲していた外科手術を、豊富な人体解剖の経験を生かして、詳しい観察と実験に基づく科学的なものに改良した」ことから、「科学的外科の生みの親」と称されると述べています。
 また、ジェンナーのナチュラリストとしての業績として、カッコウの托卵の研究について紹介しています。
 第3章「ジェンナーと天然痘」では、1778年、ジェンナーが「牛痘にかかったことがあるという女性に人痘種痘を試み、発病しないことを確かめた」ことについて、「牛痘についての研究の最初とみなされる」と述べています。
 そして、牛痘種痘が、「ヨーロッパ大陸からアメリカ、アジアまで急速に広がり、ジェンナーの功績は高く評価されるようになった」が、「それまで人痘種痘で多大な利益を得ていた医師からは牛痘種痘は必ずしも安全ではないといった批判」が出され、英国では批判や反対にさらされたと述べています。
 第4章「ジェンナーが遺してくれたもの」では、「1804年、皇帝の座についたナポレオンはジェンナーの業績をたたえ、最高の勲章を授け、翌年にはフランス軍全員に牛痘種痘を義務づけた」と述べ、1806年には、アメリカ大統領ジェファーソンもジェンナーを称える手紙を書いていることを紹介しています。
 第5章「日本の近代医学と牛痘種痘」では、「江戸では漢方医の牙城である幕府医学館の勢力が強く」、牛痘普及の活動には制約があったが、「玄朴や立斎らによる種痘の成果を幕府は無視できなくなった」と述べています。
 また、立斎が出版した『牛痘発蒙』の扉には、「牛に乗った牛痘菩薩が、疱瘡の悪魔を牛に踏みつけさせ、子供たちに救いの手を差し伸べている挿絵がのせられている」としています。
 第6章「ジェンナーの予言」では、天然痘が根絶できた理由として、
(1)天然痘ウイルスは、人の間だけで広がるため、人だけを対象とすればよかった。
(2)天然痘ウイルスの遺伝子が比較的安定しているため、ひとつのタイプのワクチンで効果的に予防できた。
(3)天然痘の症状が特徴的で患者を見つけやすかった。
の3点を挙げたうえで、根絶作戦で重要な手段になったのは、「乾燥ワクチンと二叉針というローテクノロジーだった」と述べています。
 そして、「天然痘ウイルスの廃棄は、基礎的研究を重視する研究者グループと天然痘再発の際のリスクを重視する公衆衛生グループの見解の対立だけでなく、国家安全保障という政治的背景が強く関わっていると推測されている」として、「現在、天然痘ウイルスはバイオテロのための生物兵器として、もっとも重要な病原体と見なされている」と述べています。
 本書は、天然痘の根絶までに払われた多大な努力を追った一冊です。


■ 個人的な視点から

 昔から抵抗を感じる人が多かったようですが、基礎知識のある現代でも抵抗を感じる人は少なくないのではないかと思います。そう考えると世界で初めてタコを食べた人は偉いなと改めて感じます。


■ どんな人にオススメ?

・近代医学を信頼したい人。


2015年7月24日 (金)

人類が変えた地球: 新時代アントロポセンに生きる

■ 書籍情報

人類が変えた地球: 新時代アントロポセンに生きる   【人類が変えた地球: 新時代アントロポセンに生きる】(#2469)

  ガイア ヴィンス (著), 小坂 恵理 (翻訳)
  価格: ¥3,888 (税込)
  化学同人(2015/7/17)

 本書は、「人間の活動が自然にどれだけの負荷をかけてしまったのか、自分の目で確かめるため、2年の歳月をかけて世界各地を訪ね歩」いた著者が、海、山、森、大気など10のカテゴリーについて、「それぞれの場所が抱える問題と、その解決に向けて最前線で地道な努力を続けている人たちの活動」を紹介しているものです。
 序章「人類の惑星」では、「かつては地球に衝突した小惑星や大噴火による火山灰が新たな時代の到来をもたらしたが、それに匹敵する地質学的な影響力を今日の人類は手に入れた」ことに注目した地質学者が、「新しい時代をアントロポセン(人新世)と呼んでいる」と述べたうえで、「私たちが地球全体に大きな影響力を及ぼすようになった現実を認識するためには、従来の発想を大きく転換させなければいけない」としています。
 第1章「大気」では、「情報、教育、コミュニケーション、市場などの分野でオンライン化と大衆化が進むアントロポセンでは、今よりも平等なグローバル社会が実現する可能性を期待できる」と述べています。
 そして、「アントロポセンの大気は、これまで地球に存在してきたいかなる大気とも異なる。そして人類の活動が大気の海に及ぼした影響は、これから何千年にもわたって世界に痕跡を残すだろう」としています。
 第2章「山」では、「人類が引き起こした地球温暖化によって失われた氷河を再び創造するのは、高山に暮らす村人が現実に直面する問題の解決策として実に独創的だ」と述べるとともに、「ペルーのアンデス山脈では、人々は文字通り山を白く塗るプロジェクトに取り組んでいる」としています。
 第3章「川」では、「私たち人類が川を干上がらせる結果として生じる水不足は、アントロポセンに破滅的な状況を引き起こしかねない」として、「近年、水に対する人類の欲望は膨れ上がり、ついには自然の限界を超えてしまった」と述べています。
 第4章「農地」では、「この100年間、農業の工業化と集約化は世界を席巻してきた」として、「食料生産は2050年までに倍増させなければならないが、不安定な水の供給、気候変動、土壌の劣化など問題は山積しており、おまけに土壌の豊かな土地はほぼすべて、すでに畑として利用されている」と述べています。
 そして、インドでは、「水不足の大半は、ずさんな管理に原因がある。貯水池など貯蔵施設は不足しており、使用済みの水のリサイクルはほとど行われていない」と指摘しています。
 また、「アントロポセンには、人口も食欲も増えていく一方だ。その圧力を受けて、ますます多くの原生地が農地に変換されている。こうなると、収穫量の低い国が国民の飢えを解消して生物多様性を守るためには、農業がある程度まで集約化されなければならない」と述べています。
 第5章「海」では、「海は根本的に変化してしまった。だから私たちは、変化を受け入れて生きていくための新しい方法を工夫しなければならない」と述べています。
 第7章「サバンナ」では、「何千年にもわたって生態系の一部として生活してきた人たちが、アントロポセンになると土地を開発する名目で、わずか数十年のうちに追い出される事例が続出している」と指摘しています。
 そして、「アントロポセンにおいて、私たちは頂点捕食者を維持するか、あるいは生態系における彼らの役割を人工的に管理しなければならない」と述べています。
 第8章「森」では、「森がなぜ大切なのかといえば、私たちが地球で生きていくために欠かせない光合成は、森の健康や『質』に左右される繊細なプロセスだからだ。草やツル植物よりも、大きな樹木の存在が欠かせない」と述べています。
 そして、「二酸化炭素のレベルを完新世のレベルに回復するためには、熱帯雨林や人口の樹木や海の藻類による光合成が現段階では唯一の方法である。アントロポセンがさらに進めば、二酸化炭素を発生源で取り除くことは技術的に簡単になり、費用も安くなるだろう」と述べています。
 第9章「岩」では、「今や人類ほど地球の景観を変化させている存在はいない。人類が動かす堆積物や岩石の量は、世界中の革や氷河や風雨が動かす量の3倍以上に達する」としたうえで、「現在のところ人類は、地球が補充できる量を年間に30パーセント上回るペースで、天然資源を使用している」と述べています。
 そして、「アントロポセンが何十億もの人たちにとって住みやすく快適で健康な環境であり続けるためには、最も豊富に使われる鉱物資源、すなわち化石燃料の利用を抑えなければならない」と述べています。
 第10章「都市」では、「アントロポセンに都市革命が実現すれば、今日の環境や社会が抱える問題の多くは解決され、地球上で多くの人々が最も持続可能な方法で暮らせるようになるかもしれない。あるいは逆に、人類の破滅を黙示する、SFで頻繁に描かれる暗黒のメガシティが生まれるかもしれない」と述べています。
 そして、「人類を最も持続可能な形で収容するために都市が最善の手段である点では、すでに評価が確立している」と述べています。
 本書は、現在の地球に「アントロポセン」という観点から光を当てた一冊です。


■ 個人的な視点から

 「気候変動」という言葉を聞くとゴアさんの「不都合な真実」を連想してしまい、大変だ! プリウス買わなきゃ! 原発建てなきゃ、とついつい焦ってしまいがちですが、人類が地球の気候を変えてしまったことは紛れもない事実で、今から急に息を止めたからといって元に戻るわけもなく、じゃあどうするかを考えることも必要なのだと思います。


■ どんな人にオススメ?

・温暖化の暗い未来に心が沈んでいる人。


2015年7月23日 (木)

テキヤと社会主義: 1920年代の寅さんたち

■ 書籍情報

テキヤと社会主義: 1920年代の寅さんたち   【テキヤと社会主義: 1920年代の寅さんたち】(#2468)

  猪野 健治
  価格: ¥2,160 (税込)
  筑摩書房(2015/2/25)

 本書は、大正後期に「社会主義運動を最底辺で支えた」香具師の社会主義運動を追ったものです。
 第1部「テキヤの社会主義運動」では、「香具師の親分」である「神農」について、「古代中国伝説に登場する帝王の一人で、人身牛頭、農民に耕作を教え、百草をなめて医薬を知り、路傍に並べて、疫病に苦しむ民衆を救った」とされることから、「露天の始祖として信奉されるようになった」と述べています。
 また、「香具師が関わった政治活動の中で、かなり大きなウエイトを占める」ものとして廃娼運動を挙げ、「香具師が目指したのは、借金のかたに遊郭に売られた娘達が、それに縛られることなく、自由に自分の意思で、廃業できることを知らせ、助け出すことだった」と述べ、「香具師が廃娼運動に力を注いだ背景には階級的な問題がある」として、「階級底部に置かれているというその共通性が、観念的な思想活動よりも、身近で現実的な廃娼運動に彼らを突き動かしたと言ってよい」としています。
 そして、「廃娼運動では遊郭側に与するやくざとの血みどろの闘争が不可避だった」と述べています。
 第2部「アナキスト香具師とギロチン社」では、高嶋三治について、「アナキストという一語には収まりきらない、多面的な顔を持ったサムライである」として、「まずアナキストであると同時に、新農界に君臨した大御所であり、さらに名門博徒一家の客分に迎えられ、劇場支配人の顔も持つ。戦時下では軍部に協力する関連事業を経営し成功する。そして戦後間もない時期には日本社会党結党を陰から支援する一方で、戦犯の釈放運動のリーダーとなる。その過程ではフィクサー役も果たし、名古屋に根を下ろした晩年は、任侠界だけでなく、広く中部政財界からも『センセイ』と呼ばれ畏怖された」と述べています。
 そして、架空の強盗殺人の罪で独房に入れられた高嶋が高裁の裁判官である三宅との出会いからアナキストから「転身」し、任侠の世界に迎えられ、劇場の支配人となった過程が述べられています。
 エピローグでは、「香具師の社会主義運動はロシア革命後に萌芽し、一気に盛り上がって最盛時には5千3百人ともいわれる巨大組織に成長しながら、わずか3年足らずで衰微していった」理由について、「香具師社会の宿命とも言える流浪性、家名重視主義(所属する一家への過剰な帰属意識)、強固な親分子分制、香具師個人の性格(流行に敏感だが、極めて飽きっぽい)、特異な構成層(失業、破産、前科などを持つ窮民)、過酷で多忙すぎる日常などが大きく影響している」とする一方で、香具師の社会主義運動は、社会主義のエリート層が、「組織労働者を革命の前衛として重視し」、「浮動労働層をルンペンプロレタリアートとして切り捨て、組織化の対象の外に置いてきた」という「官僚主義的な風潮に真っ向から『NO』をつきつけた」ことを指摘しています。
 本書は、今では想像もつかない「テキヤ」と「社会主義運動」の不思議な縁を拾い上げた一冊です。


■ 個人的な視点から

 今ではテキヤといえば祭りの屋台くらいしか思い浮かびませんが、祭りといえば子供が削りあげたカタヌキを手のひらに乗せて器用に割ってしまうオジサンがいて子供心にも大人げないと思ったところです。


■ どんな人にオススメ?

・テキヤとヤクザの区別がつかない人。


2015年7月22日 (水)

戸籍のない日本人

■ 書籍情報

戸籍のない日本人   【戸籍のない日本人】(#2467)

  秋山 千佳
  価格: ¥918 (税込)
  双葉社(2015/5/20)

 本書は、「毎年少なくとも500人以上」生まれているとする「の戸籍のない子ども」についえ、その背景として、「家庭内暴力=DV(ドメスティック・バイオレンス)と離婚・再婚の増加」を挙げ、「大人になると、結婚や就職、相続など、戸籍が絡む壁にぶち当たる機会は増える」ことを指摘するものです。
 第1章「大人になった無戸籍児」では、「無戸籍の当事者や家族があえて声を上げようとしない理由」として、
(1)DVが絡んでいるケースの場合、「表に出ることが怖い」こと。
(2)「この人は裏に何かやましいことがあるんじゃないか」と勘ぐる世間の目。
の2点を挙げています。
 そして、「最も無戸籍問題の報道が盛んだった時期は、世論の高まりを受けて国も重い腰を上げ」、「母親が離婚後妊娠だと証明できる無戸籍児波及されるような進展があった」が、「僅かな進展」をもって、「世論の波はさーっと引いていった」と述べています。
 著者は、戸籍のない人は、親の事情という「自ら責任のとりようのないことによって、無戸籍状態から抜け出せないでいる」上に、「この問題が長らく放置されてきた結果」、さらなる「無戸籍の連鎖」が生じていると述べています。
 第2章「無戸籍の連鎖」では、「いくら母が窮状を訴えても、母自身には戸籍があるそれゆえに、冷めた目で見たり、例えば女性の権利向上などの目的を果たすために子どもを犠牲にしているのではと勘ぐる人は多い」ため、「結局は『無戸籍=自業自得』の一言で終わってしまい、無戸籍者への共感は広がらない」と述べています。
 また、「無国籍者」との関係について、「日本人の親を持つ無戸籍者は、日本国籍を有していることになるので、無国籍者ではない」が、「目には見えない『国籍』を国際的に証明しうるパスポートがないために、国籍もないかのように思われ、混同されがちなのかもしれない」と述べています。
 そして、「一口に『無戸籍』と言っても、杓子定規には扱えない。まさにケースバイケースの問題である」ことから、「弁護士や、ときには裁判所でさえ、はっきりとしたことを即答できるわけではなく、間違った案内をすることさえある」と述べています。
 第4章「なぜ無戸籍問題は解決できないのか」では、「無戸籍者」が抱える事情について、
(1)母親が前夫のDVやストーカー行為等から逃げており、前夫に知られてしまうことを恐れて子の出生届を出せないケース
(2)その他、親に届け出られない(あるいは届け出たくない)事情があるケース
の2つに大別したうえで、「法務省の調査では、戸籍のない人は、全国に少なくとも567人いることがわかっている」が、「実数には程遠いだろう」と述べています。
 また、嫡出推定について、「父親を早期に定め、親子関係を安定させることがこの利益に繋がるという考え方にもとづいている」が、「子の福祉のための規定なら、1世紀以上前の規定を現代でも型通りに当てはめてしまうことで、無戸籍となってしまう子が生じてしまう問題をどう考えればいいのだろう」と述べています。
 第5章「責任は政治家にあり」では、無戸籍児への世論が高まった2007年に、議員立法が、「実現しかけたところで圧力がかかってつぶされた」女とについて、「無戸籍状態が『法的救済を経なければ救済されないというのがかわいそう』なのでは」なく、「DV」被害が深刻な場合、現行の『法定救済』『法的手続き』が不可能なケースが少なからずあることが、一番の問題なのだ」と述べています。
 そして、「法律を変える責任は政治家にあるが、その政治家の意識を変えられるかどうかは私たち一人一人にかかっている」と結んでいます。
 本書は、水面上に現れた「無戸籍児」という問題を通じて、日本の家族法制の歪みを指摘した一冊です。


■ 個人的な視点から

 生活保護など貧困関係の問題全般に共通するのは、個人の能力とか見識とか制度とか政治の問題以前に、周りに「相談できるまともな大人」がいないことが大きいのではないかと思います。子供のことではなく、困っている大人の周りに相談できる大人がいない問題です。
 もちろん当事者ではない立場から冷静に考えれば、どこでどうすればよかったかを考えることができるのですが、親兄弟を含めて、そういった相談相手を持たないまま大人になれて家族を持ててしまうことが問題なのかもしれないです。
 そういった意味では、自分で考えて行動できる人にとっては古い因習は煩わしいものでしかないのかもしれないですが、「仲人」とか「見合い」や「世間体」といった今では廃れてしまった習慣は一定の社会的合理性を持っていたものだと改めて感じます。


■ どんな人にオススメ?

・社会が悪いと思う人。


2015年7月21日 (火)

打ち合わせの天才

■ 書籍情報

打ち合わせの天才   【打ち合わせの天才】(#2466)

  野地 秩嘉
  価格: ¥799 (税込)
  光文社(2014/10/15)

 本書は、「新しい企画、商品を相手先企業に売り込む際の打ち合わせ」を例に、事前にやること、話すこと、会食で気をつけることをまとめたものです。
 第1章「打ち合わせの目的」では、打ち合わせの目的とは、「他人の意見、話を評価し、受け入れる」ことだと述べています。
 そして、「接待よりも、日常的な打ち合わせを兼ねた会食が主流の時代」だとしています。
 第2章「昼の打ち合わせは雑談力が勝負」では、「昼の打ち合わせこそ、企画を通すための近道」だとの絵bています。
 また、雑談の望む際に重要な態度として、
(1)“セクシーな情報(人の気持ちを引きつける情報)”を提供して相手の関心をひきつけること。
(2)相手の話を聴くこと。
の2点を挙げています。
 第3章「打ち合わせののぞむ姿勢」では、打ち合わせに誘う際には、「人はそれほど不親切ではない。まして、丁寧に申し込んできた人をあざけるようにシャットアウトする大人はいない」と述べています。
 そして、「質問の内容よりも、質問するときの態度、物腰で相手は人を判断する」としています。
 また、「売り込むときは、企画あるいは商品がどれほど複雑なものであっても1行でズバッと表現すること」が重要だと述べています。
 第4章「打ち合わせの会食ではセンスを見せろ」では、支払いにあたっては、「食事が終わるころ、『ちょっと電話をしてきます』と席を立ってレジで会計を済ませるのがもっとも一般的」だと述べています。
 第5章「店選びのコツ」では、稲盛和夫がラモス瑠偉を牛丼屋に誘った逸話を紹介して、「打ち合わせ会食では高額な料金を取る店よりも、実質的に親しくなる店を選ぶべきだ」と述べています。
 また、話し方のエッセンスは、「大きな声で、わかりやすい生活感あふれる日本語で、それでいてパンチの効いた表現で」しゃべることだとしています。
 第6章「打ち合わせの達人」では、「話を続ける」コツとして、「相手が言っていることを繰り返し尋ねること」だとして、「もう一度、同じことを聞くのは、相手を重要視しているからだ」と述べています。
 本書は、物事が決まる現場としての「打ち合わせ」の重要性を語った一冊です。


■ 個人的な視点から

 タイトルこそ仕事術っぽい感じですが、中身はなんというかビジネス雑誌の特集みたいな感じです。もしかしたらいくつかの雑誌に掲載した「デキるビジネスマンの会食術」みたいな記事を再構成したのかもしれないです。新書の雑誌化ということなのでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・ビジネス雑誌とか読むのが好きな人。


2015年7月20日 (月)

科学革命

■ 書籍情報

科学革命   【科学革命】(#2465)

  Lawrence M.Principe(著), 菅谷 暁, 山田 俊弘 (翻訳)
  価格: ¥1,080 (税込)
  丸善出版(2014/8/26)

 本書は、「およそ1500年から1700年まで続いた『科学革命』は、科学の歴史において最も重要で最も語られることの多い時代」だとして、「初期近代の思想家たちが周囲の世界を思い描き、それとかかわりをもったいくつかの方法と、その世界に彼らが見出したものと、それらすべてが彼らにとって意味したもの」そして、「いかにして彼らが、現代の科学の知識と方法を支え続けている基盤の多くを設置したか、私たちを悩まし続けている問題と格闘したか、さらには私たちがどのようにしてみるかをしばしば忘れてしまっている、美と徴候に満ちた世界を入念につくりあげたか」を記述したものです。
 第1章「新しい世界と古い世界」では、「『科学革命』を理解するためには、まずはじめに、中世とルネサンスにおけるその背景を知る必要がある」としたうえで、「16、17世紀に生きる人々の世界」が、
(1)人文主義の興隆
(2)可動活字を用いた印刷術の発明
(3)「新世界」の発見
(4)キリスト教の改革
の「4つの主要な事件や運動によって根底からつくり変えられ」たと述べています。
 そして、イタリアン・ルネサンスよりも前に少なくとも2つの「ルネサンス」があったとして、
(1)カロリング・ルネサンス:シャルルマーニュが8世紀後期に軍事行動を行い、その結果中央ヨーロッパに9世紀いっぱい続く広範囲の安定をもたらした。
(2)11世紀に始まったヨーロッパの相対的な温暖化による「12世紀ルネサンス」
の2点を挙げています。
 第2章「結ばれた世界」では、「固く結ばれ目的を持った世界という概念」の源の中でも、「二人の欠くことのできない古代の巨人プラトンとアリストテレス、およびキリスト神学」を挙げています。
 そして、「直接的な観察や類比、テキストの権威や表徴を用いながら、初期近代の思想家たちは、連結していると思われる事物の膨大な集合を編纂しました」と述べています。
 また、「現代においても他の時代においても、科学を研究するためには無神論的な――あるいは婉曲な言い方では『懐疑論的な』――視点が必要であるという考えは、科学そのものを一つの宗教にしたいと望む人々」がつくりだした「20世紀の神話」だと指摘しています。
 著者は、「初期近代人は森羅万象が互いに結ばれた世界を様々な方法で見て」おり、「そこではすべてが、人間と神とすべての知識の分野が、全体のなかのほどけないほど連結した部分となって」いたと述べています。
 第3章「月より上の世界」では、「隠されていた天の構造が次第に明らかにされていくというのが、『科学革命』の主要な物語」だとしたうえで、「科学の歴史において、『ガリレオと教会』ほど神話と誤解に包まれやすいエピソードは他に」ないとして、「それは『科学対宗教』という単純な問題」ではなく、「ガリレオは教会組織の内と外に、支持者と反対者を持って」おり、「ガリレオは決して――民間伝承は別にして――異端として断罪されたのでも、投獄されたのでも、鎖に繋がれたのでもありませんでした」と述べています。
 第4章「月より下の世界」では、「ガリレオや運動の原因について思い悩むことなく、運動を数学的に記述することに満足して」いるとして、「ガリレオの研究のこの特徴は、真の知識は原因を知ることであるとするアリストテレス的科学から根本に外れて」いると述べています。
 また、「ロバート・ボイルは機械論哲学にその名前を与えただけでなく、それをとくにキミストリーに結びつけ、世界の働きを明らかにするキミストリーの特殊な能力を認め」他として、
(1)「錬金」
(2)医学
(3)商業
(4)自然哲学
のすべてを探求したと述べています。
 そして、「『科学革命』期に確実に起こったのは、アリストテレス主義が後期中世には遭遇しなかったような、深刻で根本的に異なった競争相手を得たこと」だったと述べ、「初期近代を通して、新しい世界観――磁気的、キミストリー的、数学的、自然魔術的、機械論的などの――が挑戦者として、またもっともらしい代案として登場する一方、スコラ哲学は新しい素材や考えを『アリストテレス的な』枠組みの内部に取り込もうと努め」たと述べています。
 第5章「ミクロコスモスと生きものの世界」では、「月上界と人体の間に存在すると考えられた多くの関係は、初期近代世界に特有の結びつきをものの見事に例示」するとして、「冷たく湿った器官である能は、冷たく湿った星である月から大きな影響を」受けるとされ、「こんにちでも脳が病んでいる者はlunatic――ラテン語で月を意味するlunaに由来」と言われると述べています。
 第6章「科学の世界を組み立てる」では、「科学は自然界についての研究や知識の蓄積以上のもの」であり、「後期中世からわたしたちの時代に至るまで、科学知識は自然界を変え、自然に対する人間の力を増大させ、新しい世界を想像するためにますます頻繁に使われて」きたと述べています。
 そして、「技術的な応用と科学的な発見とは分かちがたく結びついて」おり、「『純粋』科学と『応用』科学を対立させる考えは17世紀には当てはまりません――どこかの時代に当てはまるならの話ですが」と述べ、「科学革命」の発展の背後にあった推進力としての実際的な要請の重要性を軽視すると、「ものごとが現実にどのように起こったかについて、不自然で誤った叙述をしてしまう」と述べています。
 また、後期中世に自然哲学的探究の活動拠点であった大学や修道院などは、「新たな研究現場によって補われるように」なったとして、「ルネサンスの人文主義運動にとって不可欠だったのは、大学の外部に学識者のサークルが確立されること」であり、1700年以降には科学アカデミーが急増し、さらに、「科学の歴史にとって等しく重要なのが、個々人の意思の疎通を確かにする文通のネットワーク」だと述べています。
 さらに、「17世紀に科学アカデミーが設立され、技術的応用の重要性が増大したおかげで、続く数世紀には科学研究の専門化が徐々に進行し、『アマチュア』自然哲学者がゆっくりと消滅」したと述べています。
 エピローグでは、「初期近代の自然哲学者たちから私たちに伝えられてきたほぼすべての文書や人工物は、探索し、発明し、保存し、測定し、収集し、組織し、学習する彼らの情熱を表現しています」と述べたうえで、「『科学革命』期は連続と変化、革新と伝統双方の時代でした。初期近代の自然哲学に従事した人々は、ヨーロパのすべての地域、すべての宗派、すべての社会的背景から訪れ、挑発的な改革者から慎重な伝統主義者にまで及んでいました」と述べています。
 本書は、「科学革命」の底に流れている伝統と歴史を拾い上げた一冊です。


■ 個人的な視点から

 ヨーロッパで科学革命が起きてから500年経った今でも、世の中の人たちが皆科学的に思考できるはずもなく、それでも一応は学校で教育を受けたことになっているため、科学的に考えているつもりの人たちが多いのには苦労されます。


■ どんな人にオススメ?

・世界を科学的に見たい人。


2015年7月19日 (日)

やきとりと日本人 屋台から星付きまで

■ 書籍情報

やきとりと日本人 屋台から星付きまで   【やきとりと日本人 屋台から星付きまで】(#2464)

  土田 美登世
  価格: ¥842 (税込)
  光文社(2014/12/11)

 本書は、「鶏肉を串にさして焼く。この、たった10文字の調理法に集約されるやきとりが、日本を代表する料理の一つになったのはなぜか?」を探ったものです。
 第1章「やきとりの歴史学」では、「鶏肉については、卵用の養鶏はあったが、広く食べられていたという記録」は見られず、江戸時代に「鶏肉食が表舞台に出てくる」までは、「野鳥ジビエがとり料理の主役であった」と述べています。
 そして、「鳥は鍋として広く食べられるようになり、文明開化の明治時代を迎える」としています。
 第2章「明示の鶏食文化学」では、「花街に華を添えてきた料理の一つが鶏肉料理」だったが、江戸時代、随一の花街であった柳橋が旧幕びいきだったため、薩長組は新橋の花街に通い、「新橋は新政府の要人たちを客として迎え、どんどん栄えていった」とした上で、「鶏肉屋の肉は花街のしゃも鍋に、臓物は大衆の町のやきとりに」使われ、「当時、やきとりは下等な食べ物とされていた」と述べています。
 また、当時、「動物の内臓がゲテモノ扱いだった」ことから、「牛や豚の内蔵の仕入れ価格はタダみたいなもの」で、当時高級だった鶏肉の串焼きと姿かたちも似ていたことから、「やきとり」として売られていたと述べています。
 第3章「昭和のやきとり老舗学」では、「屋台系の庶民派やきとりは、変わらず“もつ焼き”がメインだった」とした上で、「新橋は戦前の花街としての一面と、戦後の東京で最も早くヤミ市街が生まれたエリアという一面を持つ」と述べています。
 第4章「やきとり社会学」では、「戦後、やきとりともつ焼きが混沌としている時代の中で、『やきとりといえば鶏』と決定づけた出来事」として、「1960年頃に始まったブロイラーの契約生産」を挙げ、「効果だった鶏が、安価で手に入るように」なり、「やわらかくてジューシーなので、短時間で焼き上げるやきとりにはうってつけだった」と述べています。
 そして、「よりおいしい鶏肉を望む声に応える形で、1980年代には『地鶏』が登場する」と述べています。
 第7章「やきとりこだわり学」では、「炭は“焼き”とり調理の要となるものなので、焼き手はそれぞれの好みで焼台に炭を詰める」が、「大雑把にいうと、細派か太派、ギュウギュウに詰める派かゆったりと詰める派かに分けられる」と述べています。
 第8章「やきとり調理科学」では、「65℃付近でコラーゲンは急激に縮むので肉は固くなる」ことから、「地鶏や銘柄鶏のように長めの飼育日数によって結合組織が丈夫になった鶏は、コラーゲンが縮んで肉が固くなる前に焼きを終えなければならない」と述べています。
 本書は、日本人の国民食になった「やきとり」の知られざるルーツを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 ドリフターズの「大変うたい込み」という曲で、焼き鳥は豚かそれとも牛か、まさか本当に鶏なんだろうか、というような歌詞があって、現代では何のことやら意味がわかりませんが、ブロイラー鶏が普及する以前は鶏こそがモツに比べて高級品だったことを知りました。


■ どんな人にオススメ?

・やきとりは鶏で当たり前だと思っている人。


2015年7月18日 (土)

幹細胞と再生医療

■ 書籍情報

幹細胞と再生医療   【幹細胞と再生医療】(#2463)

  中辻 憲夫
  価格: ¥1,080 (税込)
  丸善出版(2015/6/26)

 本書は、STAP細胞の事件を契機に、多能性幹細胞について、「広く性格な理解を広めたい」と言う動機で執筆された入門書です。
 第1章「多能性幹細胞の研究の歴史」では、英国ケンブリッジ大学のマーティン・エバンス博士が、1981年に、「マウスの初期胚からEC細胞に似ているものの染色体は正常であり、がん化しておらず、長期増殖能と多分可能を持つ細胞株を培養器の中で樹立したことに成功」し、後に「ES細胞(Embyonic Stem Cell Line)」と名づけられたと述べています。
 そして、「現在に至るまで、ヒトES細胞とiPS細胞は互いに比較研究しながら、目的に応じて使い分けるのが望ましいというのが、世界の責任ある研究者のコンセンサスとなっている」と述べています。
 第2章「ヒトの発生過程」では、「細胞の形や機能は細胞分化によって多様に変化するが、各々の細胞核が持つゲノム(遺伝情報のセット)は保たれる」とした上で、「このとき重要なのは、DNAメチル化などのDNA分子への化学修飾によって、塩基配列は同じでもゲノムは異なる働き方をしており、細胞分裂を続けてもDNA、化学修飾とそれによる働き方のパターンが保存されて、細胞分裂の後の細胞に受け継がれるということである」と述べています。
 第3章「幹細胞とはどのような細胞か――組織幹細胞の例」では、「幹細胞という言葉は、英語のStem Cellと対応しているが、樹の幹が伸びながら、横に枝が別れるように、幹細胞は細胞分裂で自己複製して幹細胞自体の数を維持しながら、複数種類の分化した細胞を作り出していく機能を果たす細胞である」と述べています。
 第4章「多能性幹細胞とはどのような細胞か」では、「多能性幹細胞株の特徴は、がん化などを起こさない正常な細胞のままで無制限に細胞増殖を続けることと、ほぼすべての臓器組織の細胞に分化できること」と述べています。
 第5章「ES細胞やiPS細胞に関わる生命倫理と社会的対応」では、「ヒト受精卵を使った医学研究や治療と創業への応用が、どのような条件下では許されるべきか」について、「不妊治療の目的で作られたものの、廃棄が決定された余剰胚について、その無償提供をインフォームドコンセントの原則に従って打診し、余剰胚提供と利用のプロセスを倫理委員会で議論して承認を受けて行う」として、「世界各国ですでに結論は下されて」いるにもかかわらず、「日本特有の問題は、この基本方針が議論のうえ了解されて政府指針が作られたはずなのに、なぜかいまだに、この基本方針に従って樹立されたヒトES細胞株の仕様に関しても倫理問題を強調する人たちが多いこと」ことについて、「国民の多くに、非常に偏った理解が刷り込まれてしまった」ことに加え、「受精卵を使わずに体細胞の初期化により多能性幹細胞を作る方法が、山中伸弥博士によって確立されたために、日本としてはこのiPS細胞の研究応用を進行しようという動きが極端に高まったこと」を原因として挙げています。
 第6章「多能性幹細胞の可能性とリスク」では、多能性幹細胞株が持つリスクとして、
(1)長期間培養し続けたES細胞株では、ある頻度でゲノム変異は起きて蓄積すること。
(2)染色体にあるDNAの塩基配列が同じであっても、DNAのなどの化学装飾によって、遺伝子の働き方が異なり、そのパターンが細胞分裂の前後、すなわち細胞増殖の後でも引き継がれる現象である「エピゲノム」の変動または異常。
の2点を挙げています。
 第7章「再生医療への応用と世界の状況」では、「さまざまな難病治療のための細胞リソースとして多能性幹細胞に期待が寄せられ、世界中で研究開発が進んでいる」とのべています。
 第8章「新薬開発への応用」では、「新薬開発の難しさを一部とはいえ大幅に改善できるのが、多能性幹細胞の活用」だとして、「新薬開発には、通常は数十万種類の化合物ライブラリーから、効果のありそうな化合物を探し当てる(スクリーニングする)システム、いわゆるハイスループットスクリーニングを行う」が、「このためには化合物を与えて効果を見るための、低コストで均質かつ大量に準備できる疾患モデル細胞が必要になる」として、「ヒトES細胞の出現、患者のゲノムをもつiPS細胞の出現、さらにスクリーニング目的に合致して蛍光などのシグナルを出すレポーター遺伝子を組み込んだデザイナー細胞などを組み合わせられるようになり、可能性が広がった」と述べています。
 第11章「まとめ」では、「ヒト多能性幹細胞を用いた再生医療における細胞治療への応用には、多能性幹細胞があわせもつ無限増殖能と多分可能が大きな可能性の源であり、これらは他種類の幹細胞では持ち得ない特別の能力である。両方の能力によって、均一な性質を持つた種類の有用細胞を大量に生産することが可能である」と述べています。
 そして、「幹細胞の基礎研究への興味から研究を行うことはもちろん意義があるのだが、やはり全体として目指すべきは、どのようにして、多数の患者に手が届くコストでの再生医療を実現するかであり、そのために必要な研究開発を主要な目標とすべきこと」だと述べています。
 本書は、多能性幹細胞の可能性と現状を解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 小保方さんの騒動でその名前自体は聞いたことがある人はいるのかもしれませんが、実際にどんなものか知ってみたい気もしますよね。


■ どんな人にオススメ?

・STAP細胞が気になった人。


2015年7月17日 (金)

震災復興と地域産業 2: 産業創造に向かう「釜石モデル」

■ 書籍情報

震災復興と地域産業 2: 産業創造に向かう「釜石モデル」   【震災復興と地域産業 2: 産業創造に向かう「釜石モデル」】(#2462)

  関 満博(編集)
  価格: ¥2,700 (税込)
  新評論(2013/3/25)

 本書は、「被災後2年を経過した釜石の地域産業について、多方面の角度から検討を重ね、地域と産業、中小企業の今後のあり方を考え続けていく」ものです。
 序章「津波被災からの地域産業復興」では、「釜石は人口減少基調の中で、高炉休止後、四半世紀をかけて、新たな産業化の目を育てていたとされている。そこに津波が押し寄せてきた」として、「地域のエネルギーがこの未曾有の事態をどのように乗り越えていくか」は、「『20世紀後半型の経済発展モデル』からの飛躍を課題とされている日本全体の問題のようにも思える」と述べています。
 そして、「本書は、東日本の被災地の中で岩手県釜石市を取り上げ、主として地域産業、中小企業を中心に多方面にわたって被災からの復旧、復興の現状と課題を見ていく」としています。
 第1章「釜石の被災と復興」では、「被災と同時に、即座に対応しなければならない事態がいたるところで噴出した。被災状況の確認に始まり、被災者や安否確認や捜索、避難所の運営、生活物資の確保、仮設住宅の建設、ライフラインの復旧、復興に向けた計画づくりなど、これまで経験したことのない状況下で、さまざまな対応が一気に求められた」と述べています。
 そして、「今後の復興事業の推進にあたり、事業用地の確保など『土地対策』がすべてに共通した課題となっている。被災地では、多くの土地の地盤が沈下し、大潮や高潮時には冠水する状態が続く。一刻も早くこうした状態を改善するため、地盤の嵩上げや区画整理などにより、安定的に使える土地を造成することが急務である。ただ一方で、土地所有者が犠牲となっている場合や、境界線が不明となっている場合などもあり、用地確保にあたり、その調整に時間を要することが懸念されている」と述べた上で、「各被災地では土地利用や用地取得などでの合意形成が一つの鍵となっている」としています。
 第2章「新日鐵と誘致企業」では、「釜石市の経済の現状と展望を考える上で、新日本製鐵の存在の大きさが、この震災を機に改めて際立った。また、新日本製鐵、SMCをはじめとする民間企業と釜石市職員との連携の早さも目についた」として、「企業誘致を経済政策の中心に据え、そのためのインフラの整備を行うことが、釜石の置かれた状況からすれば、一つの最善の選択であろう」と述べています。
 第4章「モノづくり中小企業の被災と復興」では、「釜石市の機械金属系、電気機械系といったモノづくり中小企業には、大き2つのタイプが存在している」として、
(1)基幹企業であった新日鉄釜石製鉄所に関連する下請け企業群と、在来の水産業を支える造船、それに関連する鉄工所、さらに、無線などの電気関係部門。
(2)新日鐵の縮小を受けて活発化した企業誘致によって誘致されたモノづくり系企業。
の2つを挙げています。
 そして、「東北に展開していた誘致企業の場合、電気・電子系の中小企業が少なくない」が、「1990年代の中頃から、有力な電気・電子メーカーのアジア、中国移管が続き、国内のあり方が問われ始めている」ことから、「この被災からの復旧・復興を景気に大きな構造転換を進めるべき」だとしています。
 第5章「漁業、水産加工業の復活と課題」では、「三陸の漁業、水産加工業を特色づけている最大の要素は、イワシ、サンマ、サバ、カツオ、イカ、タラ、サケなどの多穫性魚類が豊富という点にある」として、「冷蔵・冷凍技術、調理技術、物流・通信技術の発達により、三陸では約70%の魚が冷凍され、通年で加工されるようになってきた」と述べた上で、「三陸の新鮮で豊富な魚介類を『素材』として提供していくことも必要」だとしています。
 第6章「『仮設商店街』の展開」では、「他の被災市町村と比べても、釜石の中心市街地のダメージは大きく、4つの商店街は浸水、流出した店も少なくない。多くの店主は店舗兼自宅を一瞬のうちに失ってしまった」と述べています。
 第8章「産業復興・地域創造とNPO」では、「この被災を契機に、都会の人々も、人口減少・超高齢化の地域社会に対する理解が深まり、地域の人々とともに、課題解決に向けてソーシャルイノベーションを起こそうとしている。このような意欲ある人々を応援団として、地元の人々も、地域の『課題解決型』の復興に、さまざまな模索を始めている」と述べています。
 そして、「震災後、長期雇用を生み出す地元企業の事業再開が不可欠だと認識されているが、被害規模があまりにも大きいため、事業を再開するにあたり、いくつかの課題に直面している」として、
(1)地元の行政機関の人で不足問題。
(2)国の支援制度が定まり、さらに実質的に機能するまでには、時間差がどうしても生じてしまうこと。
(3)産業の復興を図りながら、新たな産業を作らなければならないこと。
の3点を挙げ、「このような事情から、外部からの支援組織においては、住民の生活への支援と比べ、事業主への産業支援の方ははるかに難易度が高い。資金力とともに、高い専門性、継続性も求められる」と述べています。
 また、「地方分権が進むなか、国から自立した自治体運営が求められるようになるにつれて、行政とNPOや市民が連携を図り、地域社会の問題解決に向けて協働する事例も増えている。行政サービスを補うために、NPOがますます多くの分野で力を発揮し、地域づくりの重要な構成要素として期待されている」と述べた上で、「組織形態はNPOの形をとりながら、元々プロの業界人や、すぐれたセンスと技術を持つ人材からなっている例も少なくない。外部人材と強いつながりを持つ被災地のNPOは、地域産業全体にも大きなインパクトを与える組織に成長していく可能性を秘めている」と述べています。
 第9章「復興に向けた金融の課題」では、「被災中小企業が主要な経営課題とする金融問題の解決は、今日の被災地が抱える重要課題である」とした上で、「公的金融の機能が強化されたものの、被災企業の中にはこれまで銀行借入を前提に事業に取り組んできたため、被災前の借入金の返済目処がつかない状態では、復興に向けた新たな事業に取り組む決断ができない企業が少なくない」と述べています。
 終章「釜石の新たな地域産業をつくる」でじゃ、「釜石は人口4万人弱の地方小都市としてはインパクトのある事業の可能性を数多く内包していることで注目される」とした上で、「釜石が置かれている地域的、歴史的諸条件の下で地域産業、中小企業の将来を考えていく場合、いくつかの前提条件がある」として、
(1)釜石製鐵所による繁栄の時代を経験したことにより、その遺産が大きく残っている点。
(2)今後も人口が回復する見通しはなく、3万5000人ほどの地方小都市という認識が不可欠であること。
(3)釜石の地域構造は多様性に満ちているということから、急速な人口減少、高齢化の中にある中山間地域を含めて被災後の地域産業復興を考えていく必要がある。
(4)力のある都市として周辺市町を含めた産業化をリードしていく必要がある。
の4点を挙げています。
 本書は、被災後2年を経過した釜石の産業の課題を切り取った一冊です。


■ 個人的な視点から

 多くの事例集などでは、それぞれの筆者のテーマに沿った地域が紹介されることが多い中、本書は、被災地である釜石に多面的に焦点を当てた一冊です。


■ どんな人にオススメ?

・じっくりと釜石に腰を据えて復興を見守りたい人。


2015年7月16日 (木)

震災復興と地域産業-東日本大震災の「現場」から立ち上がる

■ 書籍情報

震災復興と地域産業-東日本大震災の「現場」から立ち上がる   【震災復興と地域産業-東日本大震災の「現場」から立ち上がる】(#2461)

  関 満博(編集)
  価格: ¥2,160 (税込)
  新評論(2012/3/8)

 本書は、「地震、津波、火災、放射能被害などが重なり、これまで経験したことのない『複合災害』といった様相を呈している」東日本大震災から、「ほぼ1年という状況の中で復旧・復興に向かっている『現場』から、その現状と課題というべきものを報告するもの」です。
 序章「東日本大震災と地域産業の復旧・復興」では、「今回の被災地の基幹的な産業は農林水産業、特に水産関連産業であり、壊滅的な状況に追い込まれている。人口減少、高齢化が進む条件不利の被災地のこれからにとって、この部分の復旧・復興が進んでいかなければ、若者が流出し、事態はさらに厳しいものになっていくことが懸念される」とした上で、「被災地といっても、被災のスタイル、状況は大きく異なり」、「復旧・復興の度合いにも大きな落差が観察されるようになってきた」と述べています。
 第1章「岩手県宮古市の現状と産業復興」では、宮古市の事業所の被災で特徴的なこととして、「被災した1108事業所のうち、建物の流出は278事業所、解体は151事業所で、61%に相当する679事業所が、『建物が修理・修繕により再利用可能』な事業所であること」を挙げています。
 また、被災地の新たな問題として、「事業者が求人を出しても、『思うように人が集まらない』という状況が生まれている」ことを挙げ、雇用保険の給付期間の延長が、「人が集まらない要因の一つになっていると、指摘する企業関係者もいる」と述べています。
 第2章「岩手県大船渡市、陸前高田市における産業復興」では、「生活基盤の復旧と並行して、これら産業基盤の復旧が図られなければ、衣食住や社会基盤だけ整っても、生産者、事業者や労働者が経済活動を行なって収入や所得を獲得し、復旧を果たした地域に住み続けることは困難となろう」と述べています。
 そして、地場のスーパーマーケットについて、「住民の生活に必要な商品の供給を行なったという点、強い集客力によって近隣に商業集積を形成したという点もさることながら、地域の農業者、漁業者、食品加工業者やそれらの商品を取り扱う卸売業者にとっての最有力な購買主体という点が重要である」と述べています。
 第3章「水産加工業の復興と新たな仕組みの構築」では、「市場を介さず小規模の消費者直送の形をとっている企業ほど立ち上がりが早い。量は少ないながらも漁師から直接買い付けるため、魚市場が再開していなかった時期でも漁師の収入の足しになっていた」と述べています。
 第4章「被災した農漁業者の復旧・復興」では、「地震、津波により、本吉地区の若い漁業者、農業者、酪農家たちは、新たな枠組みの形成を強く意識し始めている」として、「一つの方向は、農業や漁業の共同化、集団化の可能性、そして、通年の事業化、さらに、加工などを通じる付加価値の向上が指摘される」と述べています。
 第5章「人と人のつながりが育む復興への希望」では、女川町における地域産業復興に向けた取り組みについて、「力強く復興に向け歩みを進めている印象」を受ける理由として、
(1)人口1万人という小さな町であり、人と人とのつながりが深く、その共助意識が企業同士の助けあいという形で結実していること。
(2)街の復興には基幹産業である水産業復興が不可欠という意識が共有され、町民および行政が迷いなく出来得る限りの策を講じていること。
の2点を挙げています。
 第6章「原子力災害からの産業復興」では、「浪江町の産業復興には、地震や津波の被災地とは異なる原子力災害特有の複雑な事情が横たわり、その取り組みを難しいものにしている」として、
(1)浪江町にいつ戻れるのか見通しが立たないこと。
(2)臨時の町役場が所在する二本松市をはじめとした避難先において、産業復興を図らなければならないこと。
(3)後継者の多くが子育て世代にあたり、放射能への不安から福島県外に避難していること。
の3点を挙げています。
 第7章「被災中小企業が求めるリスクマネーの調達」では、「通常の状態にない被災企業に対して、民間の金融機関が追加融資を行うことは難しい」ことから、「銀行融資を引き出すために公的部門が信用補完を行う、もしくは補助金を交付し外部からの資金調達額を減額させるといった、公的部門による民間金融の補完が求められる」と述べた上で、復興を目指す中小企業を資金調達面から、
(1)資本蓄積があり、過去の支払った法人税の還付や震災にかかる損失の繰越控除等により得られるキャッシュフローを加えるとある程度の資金を確保できるグループ
(2)代表者の個人保証を差し入れて、制度融資もしくは信用保証協会保証を得るなどして、銀行からの追加借り入れを目指すグループ
(3)新たに得た大口株主からの資金援助を目指す企業やセキュリテ復興ファンドによる資金調達を目指す企業のように、銀行借入とは異なるファイナンスを指向するグループ
の3つに分類し、「第3のグループには、銀行借入の実現が困難、もしくは追加借り入れに依存した事業再開に採算を感じない企業が該当する」と述べ、「中小企業の復興には、通常の銀行貸し出し以外の金融を提供することが重要」であり、「メザニンファイナンスと呼ばれるリスクマネーを地域で供給することにほかならない」として、「メザニンファイナンスとは、株式発行等のエクイティファイナンスと銀行借入等のデットファイナンスの中間のリスク・リターンを目指すファイナンスで、劣後ローンや劣後債、優先株などが該当する」と述べています。
 そして、銀行部門がメザニンファイナンスを実行するための要件として、
(1)リスクの目利き能力を確保すること。
(2)確立された収益基盤を持つこと。
の2点を挙げ、「地域金融機関は地元でのリレーションシップバンキングを長年積み重ねており、第1の要件を満たす金融機関として最もふさわしい立場にあることは間違いないが、今日の金融システムの下で、第2の要件が成立するとは単純には考えられない」と述べています。
 第9章「草の根復興支援のソーシャル・マーケティング」では、「今回の災害は世界中の目を被災地に向けさせた」結果、「これまで被災地域とは無関係であった他地域の人々との新しい絆が生まれてきている」として、「草の根復興支援を続ける中から、域外の人々との共同によってこれまでにないユニークで魅力的なアイデアが地域内から生まれてくる可能性が拓ける」と述べています。
 そして、「被災地の復興を担っている行政などの意思決定主体は、これまでに経験したことのない難題に忙殺されて」いるとして、「外部からの多様かつ小規模な支援を受け入れるためのインターフェースあ、被災で苦しみ、まさしく支援を必要としている現場に欠けている」ことを指摘し、「インフラ整備や都市計画といった大規模なテーマではなく、ごく小規模な支援としては、行政主導ではなく、多様な経験や知識を持った地域外の人々による草の根支援が興味深い成果をあげ始めている」と述べています。
 第11章「産業復興の現場の取組と課題」では、岩手県沿岸地域において、「製造業(水産加工業を含む)や商業・サービス業にとっては、事業再開のための資金確保の問題だけではなく、さらに大きな問題を抱えている」として、「土地利用制限の問題」を挙げています。
 終章「地域産業復興の課題」では、「全国の条件不利地域を巡っていて痛感すること」として、
(1)製造業過疎と思われる地域に、意外なハイテク企業が進出し、各社の国内主力工場となっていること、また、それに刺激され新たな中堅・中小のハイテク企業が育っていること。
(2)農業や水産業の世界で新たな動きが生じていること。
の2点を挙げた上で、「漁業、水産加工業といえば、世間では遅れた産業分野と見られがちだが、三陸の漁業、水産加工業はむしろ成長産業と期待されていた」として、「近年は養殖技術、冷蔵・冷凍・加工技術、物流条件、通信環境等が飛躍的に改善され、三陸ではそれらの環境を受け止めながら、興味深い歩みを重ねてきていた」と述べています。
 そして、「三陸、浜通りのこれからの産業化は、地域資源である農産物、水産物を軸にした高付加価値と高齢者、女性も誰でもが参加できる産業化、そして、日本産業の根幹を占めるものづくり系産業の誘致、育成による若者たちが幅広く活躍できる産業化ということになろう」と述べています。
 本書は、震災一年後の被災地の産業の復旧・復興を観察した一冊です。


■ 個人的な視点から

 平時でも災害時でも経営に必要な資源は根本的には変わらないわけで、こういった観点から復興について捉えたものは読み応えがあると思います。


■ どんな人にオススメ?

・復興に必要な物は何かを考えたい人。


2015年7月15日 (水)

「開発」の変容と地域文化

■ 書籍情報

「開発」の変容と地域文化   【「開発」の変容と地域文化】(#2460)

  水内 俊雄, 大門 正克, 岡本 真佐子, 鈴木 勇一郎, 森田 真也 (著)
  価格: ¥1,728 (税込)
  青弓社(2006/10)

 本書は、「一方的な開発推進や開発反対の議論を超えた視点の提示が求められている」として、「開発される地域社会の内部からその変化のありようを捉え、具体的に描き出していく」という問題意識から開催された講演会を記録したものです。
 第1章「近代日本の開発政策」では、「日本の国土空間の開発」のキーコンセプトとして、
(1)ネットワーキング化:いかに色々なシステムをねっとわーくして、その間をいかに物流がスムーズに動くことができるか、それを誰が保証するか。
(2)均質化:どこに言っても同じサービスが受けられる。
の2点を挙げ、「日本は公共土木事業でネットワーキング化する、均質化するというのが国是として非常に進んだことによって、すごく大きなものができた」と述べています。
 そして、1880年頃から1940年までの資本形成の推移をまとめたグラフについて、「大正時代、第一次世界大戦の好況で初めて、政府があまり音頭を取らなくても民間が動いていけるという、資本形成が進んだことが明瞭に出ている」と述べています。
 また、新興工業都市計画について、「この時期はちょうど総力戦の時代ともいわれる。ナチスの社会革命、意図せざる近代化というかGleichschaltungといって、国土開発を総力戦体制化のもとで効率よく平均化していこう、強制的に画一化・均質化していって高度軍需国家をつくっていこうというのがナチスの開発に対する考えかただった。総力戦というのは、万人の機会の平等を保障する開かれた社会への意図せざる社会革命であって、ナチスは、ドイツ人に限られたけれども、国民に機会の均等を、貧しい者も金持ちの者も一緒に平坦化していしまって、開かれた社会にしていくという社会革命を遂行したという解釈もされている」と述べています。
 第2章「東京の郊外と住宅地区の開発」では、「住宅地の開発を中心にして日本の近代大都市の郊外における都市空間の形成」を、「広い意味での近代的な都市政策的な観点から述べるとともに、江戸時代からの展開をも見ていくことで、郊外の空間がもっていた多様性の可能性についても少し探っていきたい」として、
(1)日本における理想的な郊外住宅地、田園都市という規範がどのように形成されてきたのか。
(2)東京の郊外の範囲がどのように設定されてきたのか。
(3)こういった状況のなかで実際の郊外住宅地の開発がどのように行われたのか。
の3点を挙げています。
 そして、「郊外で近世以来の流れをくむ行楽地が再編成されていく一方で、郊外の行楽地だったところでは、新たに健全な郊外という性格が強調されるようになってきていた」と述べ、当時の郊外では、「新たにこのような衛生的な空間を標榜する郊外に生活して市内へ通勤する郊外生活が始まりつつあった」と述べています。
 また、「東京や大阪といった大都市近郊では、次第に都市化が進行し始めると、地元の地主などがこの耕地整理制度を利用して宅地整備のための土地整理を行うようになってきていた」が、耕地整理事業と都市区画整理の制度は、「技術的な手法では多くの共通点を有していた」が、「その事業の目的および思想的な背景はきわめて対立的な要素を多く含んでいた」として、「耕地整理は耕地の生産力を増進させることで農村を維持発展させるということを基本的な目的としていたのに対し、土地区画整理はそれまで農村であった都市の郊外で宅地を整備することが主たる目的で、基本的に農村としてではなく都市として維持発展させていくということがその大きな前提として存在していた」と述べています。
 著者は、「明治時代から昭和戦前期にかけての東京における郊外への都市の展開」について、
(1)郊外といっても、戦前にそれが指し示していた範囲は現在われわれが考えるものとは大きく異なるものだった。
(2)日本の郊外住宅地の開発にあたっては、現代に至るまで「田園都市」という概念が強い規範として拘束力をもちつづけてきた。
(3)江戸時代から続く社寺への参詣を中心とする郊外行楽も、二品の大都市郊外の展開を考える上で見逃すことができない。大都市の私鉄はその当初はこれらの参詣兼行楽地と都市を結ぶことを大きな目的として事業を展開し、郊外の行楽地の再編成を進めるとともに、都市との間の郊外に住宅地が形成されていった。
の3点を挙げています。
 第3章「戦後日本の農村と開発」では、「過疎問題を通じて開発と経済成長の意味を考える」として、
(1)戦後日本の農村社会研究者である安達生恒の仕事を振り返ることによって、過疎問題の推移を整理すること。
(2)人口の国際比較を行い、高度成長期日本の人口移動の特質を明らかにする。
(3)以上を踏まえ、改めて過疎の特質と日本の経済成長のあり方を考える。
の3点を挙げています。
 そして、「1955年頃から経済の高度成長がまず起きる。人口流出がはっきりするのは西日本で60、61年ごろこの間に大都市が急速に発達して労働市場が急拡大し、農村の人口と世帯が減少することで、地域産業の衰退や農村社会・農家生活の変化が現れてきた。過疎地域の大きな特徴は人口だけではなく世帯も一緒に流出をしたことである」と述べています。
 また、イギリスと比較した日本の過疎の特徴として、
(1)高度経済成長、つまり経済の急激な成長と過疎化が同時にあらわれたこと自体が日本の特徴なのではないだろうか。
(2)過疎地域の高齢化という問題。
(3)高度成長期における日本の人口移動は国内に限られていた。
の3点を挙げ、「農村から都市への激しい人口流出を引き起こしてはじめて高度経済成長は可能だった。その激しい人口流出は農村の生活を脅かし、変貌させて、高齢化を促進させ、過疎化を出現させるほどの人口流出だった」と述べています。
 第4章「観光開発と地域文化の変容」では、「民俗学で、1990年代以前、観光開発というものは、地域の伝統的な生活を破壊するものであるという否定的な意識が強くあった」が、「観光人類学の影響もあり、現在では、ようやく観光開発が民俗学の研究テーマの一つとして認知されつつある」と述べた上で、「民俗学で観光開発を考えることは、観光や開発そのものを見るというより、地域社会に足場を置いて、そこに住む人々と観光開発との関わりを捉えていく試みである」としています。
 そして、
(1)地域社会の人々が観光開発とどのように関わっているのか。
(2)観光開発によって壊されるものと創られるもの。
(3)観光開発に関する政策や経済的インパクトが地域に与える影響。
の3点を念頭に置き、沖縄県の竹富島と岐阜県の白川村の事例を取り上げています。
 また、「外部からの開発に気づいて危機感を強めた住民は、1972年に『竹富島を生かす会』を結成し、『金は一代、土地は末代』のプラカードを掲げ、開発阻止の住民運動を展開した」が、「この住民運動は、開発阻止にとどまらず、のちに島の赤瓦の家屋を残していこうという『町並み保存運動』へと発展していった」と述べ、「赤瓦の家屋群の保存は、当初、開発阻止と伝統文化を『残す』ということでスタートした」が、「実生活のなかで伝統文化を『生かす』の具体的実践となることによって、当初は意識していなかった観光資源として成立して、多くの観光客を呼び、観光資源として経済活動にまで『活かされる』という結果を生んだ」としています。
 そして、「竹富島の人々は、小型観光バスの運転や民宿等の観光事業に従事することによって、観光客の竹富島を賞賛する声にふれ、自分たちの伝統文化の素晴らしさを認識するようになっている」として、「竹富島の人々は、差し迫ってくる経済変革と沖縄県全体としての観光客の増加のなか、外部からの大型の観光開発を阻止しながら、自分たちの手によって伝統文化を相対化し、意識的に操作し、演出して独自の観光資源を創り上げ、それを活用しているといえる」と述べています。
 さらに、「竹富島の観光は、ミンサー織の経済的利潤からスタート」し、「ミンサー織で得た利益を元手に民宿経営に乗り出し」、「トータルでの観光事業という経緯をたどっている」と述べています。
 また、「竹富島の場合、1950年代後半に伝統文化という考え方を外部から持ち込んだのは民芸運動」であり、それを具体的に実行したのが、
(1)ミンサー織の復活
(2)大型開発の阻止から発展した「町並み保存運動」
の2点であり、「この2つは、のちに観光化とからみながら展開する」とした上で、「観光開発は、地域社会や地域の伝統文化を破壊するような否定的側面だけではない。竹富島では、企業による大型開発を牽制しながら、観光をしたたかに自分たちの生活へと取り込んでいる」と述べています。
 本書は、日本の多様な開発のあり方を論じた一冊です。


■ 個人的な視点から

 「観光開発」については今でも否定的な有識者の皆様が多数いますが、誰も霞を食べて生きていけるわけではないので、観光資源を使ってお金を稼いで文化を守る、という手法はもっと評価されて良いのではないかと思います。それができる地域は限られてくるとは思いますが。


■ どんな人にオススメ?

・「開発=悪」と思っている人。


2015年7月14日 (火)

怪談論

■ 書籍情報

怪談論   【怪談論】(#2459)

  稲田 和浩
  価格: ¥1,944 (税込)
  彩流社(2015/7/7)

 本書は、怪談について語ったものです。
 第1章「怪談とは何か」では、「目的があって出てくる」のが幽霊だとして、「目的がなければ幽霊にはなれない」と述べ、「誰かに恨みがある」や、「人物や物や金に気が残って『死ぬに死ねない』、ということ」だとしています。
 一方で、「妖怪はとくに目的はない場合が多い」として、「いたずらで驚かす妖怪もいれば、中には捕食という目的で人間を襲う妖怪もいる」と述べています。
 また、狐狸が人を化かす理由として、
(1)悪戯、自己顕示
(2)捕食、性行為など
(3)結界を守る
の3点を挙げています。
 第2章「死への恐怖と好奇心」では、「昔は今よりも死が身近な存在だった。だから、死んだらどうなるかは、今以上に関心がもたれていた」として、「死は恐れであると同時に、未知の世界でもある」ため、「死んだらどうなるんだろう、という疑問は常にある」ことから、「その答えが『怪談』の中に垣間見える」と述べています。
 第3章「狐狸妖怪」では、「妖怪は幽霊と違い無差別に人を襲う」とした上で、
(1)人間が変異したもの
(2)狐、狸などの動物
(3)唐傘など道具の妖怪
の3つに分類しています。
 また、稲荷神社について、「伏見稲荷を仕切っていたのは秦氏で、秦氏は渡来人であったと言われている。祀られているのは、五穀を司る稲倉魂命で、基本は農業の神なのだが、江戸時代は商売の神としても崇められ、江戸っ子たちは稲荷を信仰し、江戸の街々に小さな稲荷社が多く作られた」と述べています。
 第4章「幽霊の正体見たり」では、「幽霊が怖くなくなってきた一番の理由はトイレが水洗に変わっていったことではないか」として、「トイレが水洗になって、子どもも怖がらずにトイレに行かれるようになった。このあたりから、昔ながらの怪談の怖さが薄れていったのかもしれない」と述べています。
 また、「幕末から明示の寄席は、トリを務める演者は長編の人情噺を演じた」として、「連続モノをやれば、続きがどうなるのか気になって、お客は毎日寄せに通った。『牡丹燈籠』も『真景累ヶ淵』もそうした長編人情噺の中の怪談話なのである」と述べています。
 第5章「男と女と怪談と」では、「幽霊は女、しかも美女が多い」理由について、「怪談っていうのは、淫靡な世界なのだ。怪談がテーマとするのは『怨み』『復讐』『呪い』など、負の感情である」、「アンダーグラウンドな裏の世界」なのだとした上で、「怪談はある意味、禁断の世界でもある。気味の悪いものをあえて見る。『死』をはじめとして、見てはいけないもの、知ってはいけないものへの好奇心もある」と述べています。
 第6章「怪談論」では、「幽霊が出る理由の物語が人情噺になる」として、「幽霊になってでも晴らしたい『怨み』とはなんなのか。それを語り聞かせるのが『怪談』」だと述べ、「幽霊なんていない」としても、「それでも人の怨みや念というものはある。それが何かの形で、表に現れないと誰が言えようか。そこには怨みや念を作り出す、人それぞれの壮大な物語があるのだ」としています。
 本書は、怪談を語った一冊です。


■ 個人的な視点から

 世の中には色々なネタに造詣が深く、面白い話をたくさん持ってる人がいるもので、そういう人が本などを書くと手持ちのネタを整理して(あるいは並べ散らかして)一冊本を書けたりしていしまうものですが、そういうのは雑誌の特集記事かなんかで書いてもらえれば十分のような気がしています。まあ、雑誌が少なくなっているのでしかたがないのかもしれませんが。


■ どんな人にオススメ?

・怪談にまつわる四方山話を読んでみたい人。


2015年7月13日 (月)

ゴーストライター論

■ 書籍情報

ゴーストライター論   【ゴーストライター論】(#2458)

  神山 典士
  価格: ¥799 (税込)
  平凡社(2015/4/17)

 本書は、「『暗黙の了解』『公然の秘密』として社会的にも認知されている(と思われる)ゴーストライティング」の、「実態と作業の本質を広く世の中に訴え、権利関係や仕組みを整理して出版会やライターの将来像を明確なものにする」ことを目指したものです。
 著者は、「今日の出版界においては、チームを組んで創作に当たることが当たり前であり、そのほうがメリットが大きい場合が多い」として、この作業を「チームライティング」と呼ぶことを提案しています。
 第1章「人はなぜゴーストライターになるのか」では、「その分野の能力は持っていても、十分な発表の機会を持てない人材」は、「芸術そのものが持っている本質的な魅力魔力の虜になって」しまい、「自分の作品を世に出す機会に飢えている」ため、「今日もどこかでゴーストライターが生まれる」と述べています。
 そしてゴーストライティングの喜びとして、ライターたちが「スペシャルな人間に憑依できる喜び」を挙げ、「彼らが喋る『異国の言葉』をわかりやすい日本語にして文章を紡いでいく」楽しみがあると述べていることを紹介した上で、「良質なインタビュアー(ライター)と出うことで、著者はそれまで思ってもみなかったことを集中して考え、その結果、そこに新しい自分が現れる。つまり、それまで自分が考えていたこと以上の考えやアイディアが浮かび、それが新しい著者像となって文章に反映される」と述べています。
 第2章「『他者』の人生をデザインする」では、ゴーストライティングによって、「著者の当初の思惑から大きく変態し、別の魅力を帯びながら世の中に巣立っていく。著者が思ってもみなかった価値がそこに宿り、読者は、それこそが著者の姿だと『錯覚』する」として、「それは、著者のテーマや人生を『デザイン』しなおすことだ」と述べています。
 そして、「それまで文学には無縁だった人物が著者になる、著書を持つということを考えたとき、どんな企画であれライターとしてそこに参画するということは、『一期一会』的な気迫で仕事に望むことが大切」だと述べています。
 第3章「出版界のビジネスモデルのなかで」では、新書ブームについて、「テーマが雑誌のように『何でもあり』の状況になっている」事情として、「ここ数年雑誌の休刊が相次いで、編集者が余ってしまった」ために、「雑誌の編集経験者を新書の編集部に移籍させることが多く、本来ならば雑誌で扱うようなテーマも、内容的にもうひと掘りふた掘りして新書で出そうということになる」ことを挙げ、「そうなると、著者として立つのはその世界の専門家」になり、「新書の世界ではプロの書き手ではない著者をライターが支える比率が高いと言われている」と述べています。
 第4章「ブックライターの仕事術」では、「原稿を起こした時に、『これは自分の言葉ではないけれど面白いね』と喜んでくれる人の本のほうが、書店に流通しても売れる」ことについて、「著者が知らない自分を発見すること」を「許容できるかどうかで、作品の質が変わってきてしまう」と述べています。
 そして、「世の中に対してかけがえのない価値を持っている著者と、それを構成し内容を研ぎ澄ましてわかりやすく文章化することができるライター、そしてこのチームをしっかり支え、著者の主張を『商品化』することができる編集者、この3人のプロフェッショナルが力を出し合っていけば、唯一無二の価値が生まれる可能性がある」と述べています。
 第5章「トラブルを事前に防ぐ」では、ゴーストライティングの失敗のケースとして、
(1)できあがった原稿に、「著者」が不満を言う(1):約束した取材に現れない著者。
(2)できあがった原稿に、「著者」が不満を言う(2):自分でも書ける(と思い込んでいる)著者が、ライターの文章の細部が気になってしまう。
(3)企画自体が何らかの理由で頓挫
(4)お金にまつわるトラブル
の4点を挙げています。
 また、著作権の流れとして、「法律的に言えば、ゴーストライティングの現場で発生する著作権は、まず原稿を書いたライターにあり、それを何らかの契約によって著者に移すという流れになる」と述べています。
 本書は、おおっぴらに語られることの少ないゴーストライティングの実際の現場をその展望を紹介する一冊です。


■ 個人的な視点から

 世の中には話を聞いてみたい色々なコンテンツ(研究や体験など)を持っている人がいます。そういう人たちの話を読みやすい形にしてもらえるのであれば、編集プロダクションの役割は非常に大事ではないかと思うのです。


■ どんな人にオススメ?

・ゴーストライターは甘え、と思っている人。


2015年7月12日 (日)

ネットワーク科学

■ 書籍情報

ネットワーク科学   【ネットワーク科学】(#2457)

  Guido Caldarelli(著) 増田 直紀 (監修, 翻訳), 高口 太朗 (翻訳)
  価格: ¥1,080 (税込)
  丸善出版(2014/4/25)

 本書は、世の中に数多く存在するネットワークの、「つながり方に隠された共通の特徴」を生み出す仕組みや、ネットワーク上のダイナミクスを決める重要な要因があるのではないか、という疑問を出発点として、ネットーワークのつながり方について研究する「ネットワーク科学」の基本的な研究成果を、豊富な具体例をもとに簡潔に紹介するものです。
 第1章「世界をネットワークという視点でとらえる」では、「多数の異なる要素(個人、企業、空港、生物種、発電所、コンピュータ、遺伝子など)の集団」が、「多様な相互作用のなす無秩序なパターンを介してつながっている」として、「これらすべての現象の背後にはネットワーク構造」があり、「多くの場合に、この隠されたネットワークこそが減少を理解するための鍵」だと述べています。
 そして、ネットワークという見方をすることで、「一見関係のなさそうな要素どうしを結びつける全体的な構造を見抜くことができる」とともに、「外部からの制御なしに成長するシステムが、自発的にそsの内部に秩序的な構造を作り出すことができる」という重要な特性をも明らかにすると述べています。
 また、「複雑で、創発的で、自己組織的なシステムの研究(近代的な意味での複雑性の科学と呼ばれる)において、ネットワークは統一的な数学的枠組みとしてますます重要になっている」と述べています。
 第2章「ネットワークは有益な分析方法である」では、「個々の要素の詳細を無視してつながりの構造に注目するネットワーク科学の基本的手法は、さまざまな対象に応用できる」として、生態系に始まり、「インターネットから人間集団までさまざまな対象に応用される」と述べています。
 また、「多くの異なる要素がさまざまな形で相互作用する現象を取り扱う方法」として、
(1)基本となる構成要素とそれらの間の相互作用を特定する方法
(2)たくさんある構成要素を、性質が同じ物どうしで少数のグループにまとめる方法
の2点を挙げた上で、「ネットワークを用いる方法は、これら2つの方法に足りない点を補おうとするものだ」として、「ネットワークを用いる方法は、個々の要素に注目する方法と大きな集団に注目する方法との間に位置し、両者をつなぐものである」と述べています。
 そして、ネットワーク異論を用いることで、「込み入った関係性も枝に織り込むことができる」として、「枝に方向を与えると、得られる構造は有向ネットワークとなり、枝は矢印で表される。有向ネットワークの頂点には入次数と出次数があり、それぞれ頂点に入る枝と出る枝の数を表す」と述べています。
 第3章「ネットワークで構成された世界」では、「生命は階層的に重なった複数のネットワークがもたらす結果であり、単に遺伝子の配列のみによって完全に決まるわけではない」として、遺伝学に、エピゲノミクス、トランスクリプトミクス、プロテオミクス、メタボロミクスなど、「それらの階層を研究する分野」が加わった研究分野の発展を「オミックス革命」と呼ばれ、「ネットワークの考えかたは、オミックス革命の革新に位置する」と述べています。
 また、「細胞は小さなサイバー空間であり、そこでは遺伝子制御ネットワーク、タンパク質相互作用ネットワーク、代謝ネットワークが互いに重なっている」ことから、「ゲノム、プロテオーム、メタボロームという概念を、インタラクトームという包括的な概念として融合することを提案した科学者もいた」と述べています。
 第4章「連結性と近接性」では、「自然界や人間関係のネットワークは、ばらばらの部分に分断されているかもしれない」として、「そのような分断した集団、言い換えれば分離した連結成分は、規模の小さい少数派」であり、「すべてのネットワークにおいて、ほとんどの構成要素は巨大連結成分と呼ばれる大きなひとかたまりの構造に含まれる」と述べています。
 そして、「どの2頂点間の(ネットワーク上の最短経路でたどるのに必要な枝の本数によって図る)距離も非常に小さいという事実」によってなりたつ「スモールワールド性」について、「その生じる理由が何であろうと、調べる対照がネットワーク構造を保つ場合には考慮すべき非常に重要な性質」であり、「ネットワークの考えかたによって、それらの対象の性質について革新をとらえる見通しが得られる」として、
(1)ネットワークを構成するそれぞれの要素は一つにつながった大きな世界の一部であり、ほとんどすべての頂点どうしを結ぶ経路が存在する。
(2)そのような経路はきわめて短い。
の2点を挙げています。
 第5章「スーパーコネクター」では、株式仲買人の社会ネットワークや航空網に限らず、「多くのシステムをネットワークとして表すと、同様に非常に多くのつながりを持つ頂点、言い換えればスーパーコネクターが存在する」として、「多くのネットワークにおいて、『勝者総取り』の傾向が見られる」と述べています。
 そして、「平均値は、その町の社会ネットワークが見つかどうかという問題についてなら一つの見当を与える」が、「それぞれの人の知人数について適切な予測をする手がかりにはならない」として、「この平均値が役に立たないという性質」を、「特徴的スケールをもたない」という意味で、「スケールフリー性またはスケール不変性」と呼ぶと述べています。
 また、「社会ネットワークにおける頂点ごとのつながり方の分布、すなわちネットワークの次数分布」は、「長いまたは重い裾野を持ち」、「数学の言葉で言えば、次数分布の形はべき乗則と呼ばれる曲線でうまく記述される」と述べています。
 さらに、不均一性と不均一なネットワークに共通する重要な性質として、「いずれも複雑でほぼ無計画な過程の結果」であるコトを挙げ、「秩序は、トップダウンの計画によって課されたわけではなく、各々の構成要素の振る舞いによって生み出されるものだ。様々な分野のネットワークにおいて不均一性が見られるということは、それらのネットワークの多くが形作られる際に共通の仕組みが働いている可能性を示唆する。ネットワークの自己組織的な秩序が現れる理由を理解することは、ネットワーク科学の重要な挑戦の一つである」と述べています。
 第6章「ネットワークの創発」では、バラバシとアルバートが提案した、「ネットワークの成長を表す一つの数学的モデル」について、「新たに加わった頂点は、既存の頂点のうち、すでに大きい次数をもつ頂点と枝を結ぶことを好む」とする「優先的選択」と呼ばれるルールであると述べ、「バラバシ=アルバート・モデルは、トップダウンの設計図を与えることなしに、ボトムアップな成長の仕組みによってネットワークの不均一性が生み出されることを示した」と述べています。
 そして、「優先的選択は、将来の発展が過去の状態に依存するような多くの自然現象や社会現象において働く仕組みのネットワーク版だ」として、「多くのネットワークにおいて優先的選択が働いていそうだと考えられる」理由として、
(1)大きい次数をもつ頂点は新たな頂点によって見つけられやすい場合がある。
(2)つながり自体が新たなつながりを引きつけること。
(3)ハブとつながると他の多くの頂点へ簡単に到達できること。
などを挙げています。
 また、「優先的選択はネットワークができるときに働く唯一の仕組みではなくすべての不均一なネットワークが優先的選択によって生じるわけではない」が、「単純で局所的な頂点の振る舞いが、相互作用を通じて繰り返され、複雑なネットワーク構造を生じさせうる」と述べています。
 第7章「ネットワークをもっと深く調べる」では、15世紀にメディチ家を率いてフィレンツエを手中に収めたコジモ・デ・メディチが、「めったに公の場で語らなかったし、ほとんどいかなる活動にも公然と関わらなかった」にもかかわらず、「周囲に強力な派閥を築くこと」ができた理由として、「多くの主要な家筋のなすネットワークにおいて、コジモの一族が中心に位置していたこと」とともに、「メディチ家によるつながりがなかったとしたら、それらの家筋どうしは関係が弱かったか、あるいは互いに敵対さえしていた」コトを挙げ、「メディチ家を中心にすえたネットワーク」は、「中心に位置する頂点(エゴと呼ぶ)に隣接する頂点と、隣接する頂点間の枝からなるネットワーク」である「エゴ・ネットワークの一例」だと述べています。
 そして、「調べる対象をネットワークとして表現することはかなりの単純化ではあるが、それでも多くの意義ある特徴をとらえることができる。ネットワークをじっくりと観察することで多くの情報が得られ、より複雑な分析を行うとより詳細な特徴が見えてくる」と述べています。
 第8章「ネットワークを襲う大災難」では、「一般にネットワークは、大規模かつ突発的な驚くべきダイナミクスの舞台となる」として、「ネットワークは『大災難』が起こるための理想的な環境に思える」と述べた上で、「故障に対して耐えていたネットワークが突如として崩壊する可能性があるという事実は、我々に警鐘を鳴らす」として、「生態系で言えば、ある頻度での大量絶滅は避けられないことを示唆する」と述べています。
 第9章「世の中はすべてネットワーク?」では、「ネットワーク科学を用いると、科学全体を見渡す展望がひらけ、さまざまな現象の間に存在する意外な類似性が解明されると期待される。そして、ネットワークという概念そのものにも、最先端の教養的魅力がある」が、「ネットワーク科学の重要な限界の一つ」として、「大規模なデータが不足していること」を挙げています。
 本書は、ネットワーク科学の可能性とその限界を教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 ネットワーク科学についてはすでに幾つかの入門書が出ていますが、このシリーズは読みやすくてお薦めです。


■ どんな人にオススメ?

・ネットワーク科学に興味がある人。


2015年7月11日 (土)

生命の不思議に挑んだ科学者たち

■ 書籍情報

生命の不思議に挑んだ科学者たち   【生命の不思議に挑んだ科学者たち】(#2456)

  宮竹 貴久
  価格: ¥1,944 (税込)
  山川出版社(2015/1/21)

 本書は、「進化を考える目線で、生物の起源、性の生態学、老いと死、そして時間の生物学を明らかにするために努力を重ねてきた先人の歴史」を紹介するものです。
 著者は、「36億年ものあいだ、地球上に存在し続けてきた生物の進化を理解するためには、この仕組みを明らかにしようとするミクロ目線の研究と仕組みの多様性の謎を調べようとするマクロ目線の両方の研究が必要である」と述べています。
 第1章「生と種の起源を探る」では、「生命の不思議に対する関心は、生き物を認知して分けるという作業から始まった」として、この作業に生涯を捧げた博物学者・リンネについて、「リンネの名が現代の生物学に深く刻まれることになった理由は、生物を分ける流儀を世の中に広めたことによる」として、「当時、すでに発案されていた二名法という手法に乗っ取って、リンネは動物と植物と鉱物をひたすら分けていった」と述べています。
 そして、「自然選択が生じるために必要な条件」として、
(1)変異:生物の形質は個体によって違いがある。
(2)選択:その違いによって生存率や繁殖力が異なり、次世代に残せる子どもの数が変わる。
(3)遺伝:その形質の少なくとも一部は遺伝する。
の3点を挙げています。
 また、「分子レベルで起こっている遺伝子頻度の置き換わりを、ぼくたちが目にする生物の姿かたちの変化に置き換える」と、「世代を経て、一定の遺伝子が固定したり、固定しなかったり、漂うような様子」である「ドリフト」という現象で説明できるとしています。
 第2章「性に魅せられて」では、「性は、栄養に富んだ大きな配偶子と、DNA情報しか持たない小さな配偶子に二極化した」として、[前者をメス、後者をオスと呼ぶ」と述べた上で、組み換えがもたらすメリットの一つとして、「子どもの世代で生存にとってよくない遺伝子コピーの誤りが生じたとしても、次の組み換えでその誤りを修理できる遺伝子組成を手に入れる可能性も増える」として、「遺伝子に起きた有害な出来事は、あともどりさせることができる」という意味で、「マラーのラチェット」と呼ばれると述べています。
 そして、「世の中に性が誕生したことで、メスとオスのあいだにはさまざまな関係が生まれた。性の『選別』と『戦い』は限りなく続いている」とした上で、オスとメスの選別について、ダーウィンが公表した「自然選択の3つの原理」として、
(1)ある形質に変異があって、
(2)その形質をもつ個体はもたない個体にくらべて生存や繁殖において有利であり、
(3)その形質の少なくとも一部に遺伝性がある、
の3点を挙げています。
 また、ダーウィンが提唱した「性選択」というアイデアについて、
(1)同性内選択:片方の性がもう一方の性の個体をめぐって戦う。
(2)異性間選択:片方の性がもう一方の性を選ぶ
の2つのタイプに分けたとした上で、「ふすうはオスどうしがメスをめぐって戦い(同性内選択)、メスがオスを選ぶ(異性間選択)」理由として、「これは子に対する投資がオスよりもメスのほうが大きいからである」と述べています。
 さらに、「昆虫のメスには精子を貯めておく袋がある」ことから、「この袋のなかで、2匹以上のオスの精子が卵の受精をめぐって競争することを精子間競争と呼ぶ」として、精子どうしの争いには、
(1)最初に交尾したオスが採択するディフェンス(防衛)としての戦略
(2)2回めに交尾したオスが採択するオフェンス(攻撃)としての戦略
の2つの戦略があると述べています。
 そして、「いくつかの生物において、メスとオスが協力して子を残すという前提は、この20年の間に崩れ去った」として、「交尾を行うことがメスにとって『損失』になる場合がある」と述べ、「交尾から可能なかぎり逃げるメスが進化して、そのようなメスに対して強制的に交尾しようとするオスがより多くの子どもを残すという性的対立(軍拡競争)が生じる」とした上で、「遺伝子から性的対立を眺めると、2つのタイプの対立が見えてくる」として、
(1)遺伝子座間性的対立:精液の中に含まれる毒物質に関与するオスの遺伝子と、寿命を縮める交尾を拒否しようとするメスの遺伝子
(2)遺伝子座内性的対立:メスとオスの同じ形質を支配する遺伝子どうしで対立が生じているもの。
の2点を挙げています。
 また、「動物がある行動を採択するときに、次元の異なる4つの説明がある」として「動物行動におけるティンバーゲンの4つのなぜ」による「オスが他のオスに対して攻撃」する説明として、
(1)至近要因:オスの体の中のアドレナリンなどの神経生理物質の濃度が高くなるため
(2)発達要因:オスが適齢期になり、成長ホルモンが恋と戦いのモードに入ったため
(3)進化要因:戦いに勝ってメスへの求愛の交渉権を獲得しなければそのオスは子孫を残せないため
(4)系統発生要因:生物が歩んできた系統樹の中の、どの位置にその生物が収まるのかによって、その生物のオスが他のオスに対して取る行動は異なる
の4点を挙げています。
 さらに、「動物が採用する行動の生理学的基礎や分子遺伝などのメカニズムは問題にせずとも、ある遺伝形質が子どもに伝わって発言するか否かだけをシンプルに考える」という「フェノティピック・ガンビット」という考えかたによって、「動物の行動は、メカニズムや遺伝子を調べなくても、次世代に残せる子どもの数だけ(正確にはある個体が残せる孫の数の大小)を比較し、どの行動を採択した場合に最も適応度が高いかを指標にすればよいとされた」と述べています。
 第3章「寿命の先送りに挑む」では、「繁殖と寿命には二律背反(トレードオフ)が存在する」として、「この二律背反には遺伝的な背景があるため、若くしてたくさん子どもを産むが短命となる集団と、繁殖を抑えて長命になれる2つの集団が進化できる」とする「二律背反仮説」を紹介しています。
 そして、「実は栄養の良し悪しによって、繁殖と寿命の二律背反がみられたり、みられなかったりする」として、「食することと老化は、密接に結びついていて進化してきた」と述べています。
 本書は、生物学の魅力を、数々の先人たちの業績を紹介しながら教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 生命科学の分野も最近ではすっかり細分化してしまい、高校までで習う「生物」と最新の研究のギャップが大きすぎて一般人にはわかりにくいところがありますが、本書のような解説書が数多く出てくれるとありがたいです。


■ どんな人にオススメ?

・生命科学の流れを知りたい人。


2015年7月10日 (金)

鉄道をつくる人たち―安全と進化を支える製造・建設現場を訪ねる

■ 書籍情報

鉄道をつくる人たち―安全と進化を支える製造・建設現場を訪ねる   【鉄道をつくる人たち―安全と進化を支える製造・建設現場を訪ねる】(#2455)

  川辺 謙一
  価格: ¥864 (税込)
  交通新聞社(2013/02)

 本書は、「鉄道を利用する立場からは知り得ない」、「知られざる『鉄道の仕事』の現場」を紹介するものです。
 第1章「日本最大の分岐器をつくる」では、「日本の空の玄関口である成田国際空港の近くには、日本最大の分岐器がある」として、成田スカイアクセス線を走る「スカイライナー」の「時速160キロ運転と、単線区間の存在が、日本最大の分岐器を必要とした要因になった」と述べ、「分岐側のレールのカーブを通常よりもゆるくしたため、時速160キロで通過しても、乗客が不快に感じる横方向の力(超過遠心力)が、他の分岐器と同程度に抑えられている」としています。
 第2章「地下鉄をつくる」では、「地下鉄は、大都市の地下を走るジェットコースターだ。地中を通るトンネルの中を、多くの人を乗せた列車が勢いよく走っている。トンネルの行く手を阻むのは、地中に埋められた数々の埋設物。上下水道管やガス管、電力や通信のケーブル、それらライフラインをまとめた共同溝、道路や鉄道、地下河川のトンネルなどが、立体的に絡み合う。そんな混雑した地下空間を、地下鉄のトンネルが貫く」と述べています。
 そして、有楽町線と副都心線のルートが重複する小竹向原~千川間の約410メートルの改良工事について、「距離は端から端まで5分ほどで歩けるほど短いが、開削工法とシールド工法の両方を使ってトンネルをつくるので、新線建設に似ている」と述べています。
 また、「地下鉄工事では、地面を掘るときにかならずこの埋設物保護を行うそうだが、その作業が地下鉄工事の難関の一つ」だとして、「近年は、都市景観をよくしたり、安全性を向上させるため、道路の電柱を撤去して、電力や通信のケーブルを地下に埋める事業が進められているので、道路の下にある埋設物が増えている」と述べています。
 第3章「電車の窓ガラスをつくる」では、「電車の窓ガラスは、住宅などの建物や、乗用車やバスなどの乗り物で使われる窓ガラスと見た目は同じ透明な板だが、電車用ならではの工夫もある」とした上で、「電車の窓に使われている複層ガラスは、強化ガラスを2枚、または強化ガラスと合わせガラスを組み合わせたもの」だと述べ、強化ガラスは、「ガラスの強度を向上させ、割れないようにしたガラス」とよく誤解されるとしています。
 そして、「電車の窓ガラスは、われわれのように電車を利用する立場から見ると、昔からあまり変わらないように見えるが、確実に進化している。とくに日本では、特殊な環境やニーズに対応する必要があったため、独自の進化を遂げてきた」と述べています。
 第4章「電車のパンタグラフをつくる」では、「パンタグラフから出る音を小さくするのが求められるのは、沿線に伝わる騒音を小さくするため」だとして、「とくに新幹線では、かつて騒音が訴訟問題に発展したことがあるため、騒音に関するきびしい環境基準が設けられている」と述べています。
 そして、「日本のパンタグラフは、世界に広がっているヨーロッパのパンタグラフから見ると少し変わっている」として、「現在は、ヨーロパのパンタグラフが実質的な世界標準となっているので、日本で使っているパンタグラフをそのまま海外に売り込むことが難しい」と述べています。
 また、ヨーロッパで多く採用されている、「すり板が破損した時、またはすり板が限度を超えてすり減った時に、自動的にパンタグラフを下げる装置」である「オート・ドロップ・デバイス(ADD)」が日本で採用されていない理由として、「ヨーロッパでは、故障することを前提にして、部品の品質を考える」が、「列車のダイヤが過密で、車両故障によるダイヤの乱れが許されないので部品の故障はあってはならないと考えるから」だと述べています。
 本書は、普段利用者の目に触れることのない「鉄道をつくる人たち」を紹介した一冊です。


■ 個人的な視点から

 運行されている鉄道の姿や廃線跡が好きな人など鉄道マニアにも色々いますが、鉄道を作っている現場というのはなかなかお目にかかれる機会も少なくタモリ倶楽部でも大人気(「おとなげ」ではない)です。


■ どんな人にオススメ?

・鉄道が生まれる姿を見たい人。


2015年7月 9日 (木)

ことばの借用

■ 書籍情報

ことばの借用   【ことばの借用】(#2454)

  沖森 卓也, 岡本 佐智子, 小林 孝郎, 中山 惠利子, 阿久津 智 (著)
  価格: ¥2,808 (税込)
  朝倉書店(2015/3/4)

 本書は、「異なる言語が接触することによって起こる『ことばの借用』について、日本語と外国ごとのかかわりを中心に概説したもの」で、「いわゆる『外来語』の概説にとどまらず、日本語を中心に広く『ことばの借用』に関することがらを扱っている点」が特徴です。
 第1章「『借用』とその影響」では、「ことばの『借用』」とは、「自分のもの(その言語の一部)にする」という意味を含み、借用には、「借用された要素と、そうでない要素」とをどう判別するかという問題があると述べ、
(1)通時的(diachronic):言語の歴史的変遷から考える
(2)共時的(synchronic):特定の時期(主として現代)における状況から考える
の2つの観点から考えることができるとしています。
 そして、外来語の分類の代表的なものとして、国語学者・山田孝雄の分類を挙げ、
(1)純なる外国語:発音も意義も全て外国語の姿のままに用いられるもの。
(2)狭義の外来語:その発音または形態などが国語的になっているもの
(3)借用語:国民の日常用語となったもの。
(4)帰化語:外国語たる特色を失ったもの。
の4点を挙げています。
 また、「現代語における『外来語か外国語か』の判別には、言語形式(語形(発音)、表記、意味、文法形態など)の日本語化の程度や、『定着度』(認知、理解、使用の程度)などに基準を求めることができる」としています。
 さらに、「(狭義の)外来語を含め、借用語の受容を促進する(あるいは、しない)要因」について、「受け入れ側の言語の性質の他に、歴史的・文化的な事情や、言語使用者の意識・態度など」があるとして、「自分たちより優位な立場にある人々(征服者や支配者、高い文化を持つ者など)の使う言語に接した場合には、その影響を被りやすいであろうし、また、他の言語(とくに優勢な言語)からの借用に抵抗が少なく、むしろ憧れや威信を感じるといった人々の言語には、借用語が入りやすい」と述べています。
 第2章「日本語における外来語」では、「今日の外来語表記のもととなる表記法は、江戸中期の儒学者である新井白石に始まるとされる」として、白石が、「伸ばす音を『ー』で表し外国語の発音をカタカナで表記する際の長音符を工夫している」と述べています。
 そして、明治期における、「英米仏独の外国人雇用分布は、日本がどの分野で何(どの国)を藩としたかを反映するものであり、すでに成功している国の技術や知識をそっくり取りれようという意志の表れであった。その知識の摂取においては、英語文献が豊富であったため、英語によるのが効率的であるとされ、一気に英学の時代となり、英語学習意識が高まっていった」と述べています。
 また、アイヌ語から、「コンブ」「シャケ/サケ」「シシャモ」などの食品名や、「ラッコ」「トナカイ」が借用されていると述べています。
 さらに、「カタカナ語には、従来の日本になかった概念、モノ、コトを容易に取り入れるという働きだけではなく、新しさを表したり、社会を刺激したりする機能がある」ほか、「ことばの微妙なニュアンスを表す選択肢を増やし、婉曲的な表現に用いられたりする」として、「従来の語の持つ直接的でよくないイメージを、カタカナ語によって覆い隠したり、軽減したりすることができる」と述べています。
 第3章「外国語に借用された日本語」では、「英語は、ラテン語やゲルマン語、フランス語など、歴史歴に数々の言語と接触してきた言語であり、日本語由来のものも含め借用語は非常に多い。そして、現在では、それらの借用語の語源や歴史的文献への初出年などの語彙研究の成果が、英語辞書に集約されている」と述べています。
 そして、英語における日本語借用語のスペリングの多様性について、「基本的には日本語借用語の来源となった日本語を紹介した人の母語や生きていた時代によるもの」だとして、
(1)外国人が日本語を紹介する際に、「耳から聞いたもの」を文字化してそれが定着した場合。
(2)スラングの文字化。
(3)発音の正確さのために意図的に異なった綴りを用いたことによるもの。
の3点を挙げた上で、「日本語借用語は英語の世界で、ある面では規則的に、またある面では自在な姿で変動し定着し、新しい生命を吹きこまれて躍動しているといえよう」と述べています。
 また、「日本の側からみた日中間の言語交流といば、古代から近世まで一貫して、中国を出自とする文物を日本が受容するというスタイルであったが、明治維新以降、「明示に始まる日本の近代化は、言語面における近代語彙革新を伴って進行した」ことで、「近代化を推進する道具としての近代語彙が次々と日本語の中に登場し、それがやがて日本製の『漢字詞(漢語)』として中国にもたらされた」と述べています。
 第4章「現代日本語における外来語」では、NHKに訴訟を起こした男性について、「意味が分からない語だから『外国語』という語をあえて使っていると考えられる」が、「実はその語が『外来語』なのか『外国語』なのかを決めるのは難しい」と述べています。
 また、外来語使用の理由として、
(1)外来語でなければ表せない物事があるから
  従来の日本語になかった物事や考えかたが表せるから
  従来の日本語では表せなかった微妙な感じが表せるから
(2)外来語のほうが分かりやすいから
(3)新しさ/しゃれた感じ/高級感などを表すことができるから
(4)婉曲的な表現ができるから
(5)日本語や日本文化が豊かになるから
の5点を挙げています。
 そして、新聞における外来語の出現率について、「大正時代から昭和戦前にかけてはゆっくりと漸増する。戦後、50年代後半から増加が急速に進むが、60年代後半から70年代にかけて停滞に転じる。80年代以降は安定的で緩やかな増加が進行する」とする調査を紹介しています。
 さらに、外来語から日本語への「言い換え語」について、「4字以上の長い漢語が多く、同音語、類音語が多く、平明ではない」とした上で、介護現場において、「漢語は文書には適するが、聞いただけでは分かりにくく、現場では和語に変えられて使われる例もある」として、「ショートステイ」の「短期入所生活介護」は現場では「泊り」になると述べ、「話し言葉にも対応できる言い換え語を考案するのは困難な作業となろう」としています。
 本書は、外国語が外来語として受容される過程を解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 昔から外来語が嫌いな人というのは一定数いて、最近では経営系の外来語を駆使する「意識高い系」の若者というのが人気らしいですが、そもそも住む世界が違う人達同士が会話しようとするから面倒なのだとしか思えません。


■ どんな人にオススメ?

・外来語が生まれる過程を見たい人。


2015年7月 8日 (水)

鉄道がつくった日本の近代

■ 書籍情報

鉄道がつくった日本の近代   【鉄道がつくった日本の近代】(#2453)

  高階 秀爾, 老川 慶喜, 高木 博志, 芳賀 徹 (著)
  価格: ¥2,484 (税込)
  成山堂書店(2014/11/28)

 本書は、明治新政府樹立以後の、「近代統一国家の形成とそれに伴う社会再編成の過程で、政治、経済、法律、文化、芸術などのあらゆる局面において、さらには人々の生活感覚や行動方式においてまで、鉄道は大きな役割を果たした」として、「鉄道が日本社会の近代化に果たした役割」を解説したものです。
 第1章「鉄道にみる日本の心、文化」では、「『時間の統一』と並んで、近代日本にとって必要」だった「空間の統一」においても、「鉄道は大きな役割を果たしました」と述べています。
 そして、駅構内営業人について、「鉄道当局に営業料を上納する代わりに、構内での独占権を認められていたので、静岡駅の構内では山葵漬や安倍川餅といったおみやげも基本的にこの業者による販売が行われていた」と述べ、「1932(昭和7)年には、国鉄の殉職者遺族などの救済を目的として鉄道弘済会が設立された」ことで、「弁当以外の雑貨、菓子などの販売が次第に弘済会に移っていくことになる」としています。
 また、昭和20年代後半の修学旅行について、「修学旅行は春・秋の旅行シーズンに集中し、その時期は一般列車も混雑するため、この輸送をいかにこなすかが当時の国鉄にとっては大きな課題となっていた」ため、「東京都教育庁・中学校長会などで組織される東京都修学旅行委員会では、各学校の修学旅行積立金をもとに利用債(鉄道債券)2億4000万円を引き受け、修学旅行用の専用電車12両を新製することになった」とともに、関西でも同様に、京阪神三市中学校修学旅行委員会が組織され、同様に専用電車を新製したことで、「この電車を使用し、1959(同34)年4月から運転を開始したのが修学旅行専用列車『ひので』『きぼう』である」と述べ、「まだまだ家族旅行も満足にできない時代に、少しでも生徒たちに快適な旅行をさせたい、との関係者の思いを集めて製造されたのが修学旅行用車両だった。特急用車両を除けば当時の最高レベルの急行用電車・気動車に、専用の設備を付加した車両は、そうした思いの結晶だったのかもしれない」としています。
 第3章「鉄道における伝統と革新」では、日本の鉄道が、「機関車はもちろん、はじめの段階ではレールや石炭までも輸入」し、「指導する技術者」も「ダイヤづくりも乗務員も外国人」であったが、「20年も経つうちに日本からお雇い外国人は消え、自分たちだけで鉄道が動かせるようになっている」理由として、「日本には『システムが全体として機能し続けることを大切に思う文化』が、鉄道が走る以前からあったということになる」と述べています。
 そして、新幹線事業について、「その大きな要因の一つとして、戦後の新幹線開業から遡ること四半世紀前の日中戦争下に進められた東京~下関間に超高速鉄道を走らせる『広軌新幹線計画』があって、その果たした役割の大きさが注目される」として、「弾丸列車計画は大陸進出という戦前の負のイメージが強いためか、『敗戦時に資料が焼かれて存在は不明』とされてきた。だが手を尽くして調べていくうち、眠っていた膨大な資料を探しだすことができた」と述べています。
 また、「一般には『弾丸列車』と呼ばれた広軌新幹線計画の使命は、国内とアジア大陸との間の交通政策の一環として、一貫輸送体制の実現を第一の目的にしていた。そこには国内の総力戦体制の強化を目指す軍部の強い意向があり、鉄道関係者はこうした当時の国情を取り込みながら、これまで何度も挫折してきた広軌改築を一気に実現させたわけである」と述べています。
 第5章「観光と鉄道」では、「国立公園の成立の背景には外客誘致という国の経済政策があった」が、鉄道ジャーナリストの青木槐三が、「国立公園、外客誘致も鉄道の一角が発祥地であることははつきりしておきたい」と鉄道の影響を強調していると指摘しています。
 また、「初詣という言葉自体は、明治以降につくられたもの」であり、「実は都市部において、『初詣は正月の娯楽であり、近代化・都市化ともに拡大した』という歴史が明らかになっている」と述べ、「鉄道は、社寺参詣と深く関わってきたが、とくに大正後期以降、全国的な傾向としてもともと汽車が走っていたところに新たに電車路線ができ、複数の交通機関が競合、競争する状況が生まれた」結果、「その競争で社寺参詣がどんどん活性化していた」として、「一見すると伝統的、古くからの慣習のように思える社寺参詣であるが、この時期、歴史上類を見ないような活況を呈していた」と述べています。
 本書は、鉄道が近代日本に与えたインパクトの大きさを解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 いわゆる「鉄オタ」の人たちは置いておくとしても、日本人は鉄道について語るのが大好きなんじゃないかと思います。これほど思い入れの強い民族も少ないのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・鉄道に対する思いの強い人。


2015年7月 7日 (火)

「若者」の時代

■ 書籍情報

「若者」の時代   【「若者」の時代】(#2452)

  菊地 史彦
  価格: ¥2,592 (税込)
  トランスビュー(2015/3/5)

 本書は、戦後の若者たちを、「戦後社会が彼らをどのような『能力』と見なし、何を要求したか」という視点からとらえたものです。
 著者は、そのための視点として、
(1)若者の労働力がどのように求められたか。
(2)家族力としてどのようなことが要求されたか。
(3)若者の消費力への要求がどのようなものだったか。
の3点を挙げています。
 第2章「転がる卵のように――集団就職と戦後都市」では、「中卒が『金の卵』だったのは、1955年から65年までの10年間にすぎないが、この時期に生まれた膨大な出郷者たちの物語は、戦後の若者像の一つの原型を形成している」と述べています。
 そして、「都市部の新卒さを優先する採用環境の中で、集団就職は人気のない分野や職種、零細な事業所へ、地方の少年少女を送り込む装置として機能した。しかも、その装置は、中学校と職業安定所(採用地および就職地)の周到な連携に支えられていた」と述べた上で、「集団就職は、戦後社会でどのような役割を果たし、その役割を通していかなる影響を戦後社会に与えたか」について、
(1)集団就職者が果たした労働力としての役割であり、その意味。
(2)集団就職者たちが直接的もしくは間接的に生み出した「文化」。
(3)年若い出郷者を迎えた戦後都市の側の反応。
の3点を挙げて論じています。
 第3章「端境期のセヴンティーン――60年安保のさなかで」では、「未曾有の好景気のさなか」にあり、「高度成長のエンジンはすでに回り始め、経済を中心に見れば、日本社会は安定的な上昇期に入っていた」1960年に、「安保闘争や三池闘争のような激しい軋轢や対立を生み出した」理由として、「1960年がちょうど『端境の年』だったからだ」として、「人々は、『市民民主主義』などというきれいごとの理念ではなく、成長や繁栄がもたらす格差や鬱屈に身体的な反発を示したのだ」とする吉本隆明の分析を紹介しています。
 第4章「舞い降りたバリケード――高校闘争1969」では、「団塊世代は、世代間階層上昇(子が高等教育の学歴によって親の階層を越えること)の終了を目の当たりにした最初の世代である」として、「戦後の『大きな物語』であった階層上昇は一時の夢だった――その衝撃は全共闘運動を裏から突き動かし、ひいては高校闘争に及んでいたように思う」と述べています。
 第5章「学園はいかに夢見られたか――学校意識の変容」では、「学園」が親しい言葉になったのは、「1910年代から20年代後半にかけて設立された、大正自由主義教育に由来する学校」である「新学校」が広く知られるようになってからだとして、「『新学校』に子弟を入学させられるのは、一部の富裕層に限られていたものの、大正自由主義教育のムーブメントは、当時登場しつつあった都市の新中間層に支えられた、もう少し裾野の広いものだった。彼ら役人や企業の中・下級管理者、専門職従事者、事務・販売員は、恒産をもたず、その代わりに教育への投資に熱心だった。子どもの数を減らし、高学歴の獲得によって階層上昇を図る教育戦略は、この時期にうまれていたのである。彼らこそ、『学園』の価値を認識した最初の世代である」と述べています。
 そして、「学園もの」というジャンルについて、「虚構の学園には、『熱血教師』がヒーローを演じる物語と、『恋する少女』がヒロインを務める物語が同居することになった。この二つのドラマは、同じような舞台の上で繰り広げられるが、全く別系統の物語である」と述べています。
 また、「『学園』幻想が崩れ始めると、軌を一にするように階層上昇の手段としての『学園』もまた色褪せ始めた」背景として、「70年代の、進学率のさらなる上昇」を挙げる一方で、「この時期に、戦後の学校体系はあまねく浸透したが、重要にして皮肉な事実は、この進学率の高原期に、従来になり現象が立ち現われた」として、「学校に行かない子どもが増え始めた」と述べています。
 さらに、『3年B組金八先生』、『翔んだカップル』、『ねらわれた学園』という3つの学園物語に共通するものとして、暴力、性、得体のしれない変化に対する「若者たちの不安」を挙げ、「3つの作品は、そんな不安にさいなまれる若者が、大人たちの手を借りたり、なけなしの勇気を振り絞ったりしながら、しかし、有効な反撃へ打って出られない、という物語である」と述べています。
 第6章「〈遠郊〉の憂鬱――地元意識の変容」では、「〈近郊〉が都市のすぐ外側に位置するなら、〈遠郊〉はもう一回り外側にある。『地方』や『田舎』といわれておかしくない地域もある」として、「70年代以後、〈遠郊〉の目に見えない防壁は、都市の無秩序な拡大に食い破られていった。この予想をはるかに超える蚕食現象の中で、〈遠郊〉の経済と社会の基盤が掘り崩され、人々は仕事と暮らしのバランスを失っていった」と述べています。
 そして、「戦後不良文化の代表的な表象のひとつ」として「ヤンキー」を挙げ、ヤンキーは、
(1)暴走族
(2)改造学生服
という「ふたつのブームと並走し、時に合流し、全国へ拡大した」としつつ、「もうひとつ重要な現象は、ヤンキーが地域社会の『包摂装置』として機能するようになった」として、暴走族が、「十代半ばの少年たちに、反抗の場を与え、しかも彼らが地域社会に戻っていくための道筋をつけていた」と述べています。
 また、TVドラマ『木更津キャッツアイ』について、「ドラマの基調は、〈遠郊〉の倦怠に満ちた穏やかさであり、いわばゼロ年代のユートピアである」とした上で、その物語づくり上の重要な点について、
(1)木更津の捉え方:宮藤は、半分虚構で半分現実であるような木更津の町をつくった。
(2)ジモトの語り方:地方の若者たちの中には、地域経済の行き詰まりを知りながらも、都市に出ることを止め、ジモトに残る覚悟を決めたものも多い。
(3)ヒーローの描き方:本当のヒーローであるオジーの死は、きわめて多義的である。
の3点を挙げています。
 さらに、「ジモトとフルサトのちがい」として、「ジモトという観念の核が『排他性』だとすれば、フルサトの方には、『排自性」がある」と指摘しています。
 終章「東北と若者たち」では、「若者文化が、大きな変容を遂げたのは1980年代である。この時代に、戦後的な対抗文化の匂いが薄れ、消費文化の色彩が一層強まった」として、「80年代にもすでに格差はあったが、そこにはまだ、共通の利害を議論し合える、若者たちの『塊』が存在していたのではないか」として、「90年代に日本社会が決定的に変質し、若者が『社会的弱者』へ滑り落ちる前に、打つ手を考える機会があったのではないだろうか」と指摘しています。
 本書は、戦後数十年間にわたる「若者たち」の姿の変化を追った一冊です。


■ 個人的な視点から

 高度成長期は「若者の時代」と呼ばれるのかもしれませんが、むしろ頭数の多かった団塊の世代が「若者だった時代」というだけなのではないかと思われます。となれば今は「老人の時代」ということでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・団塊の世代がたくさんいると思う人。


2015年7月 6日 (月)

マーケット・デザイン オークションとマッチングの経済学

■ 書籍情報

マーケット・デザイン オークションとマッチングの経済学   【マーケット・デザイン オークションとマッチングの経済学】(#2451)

  川越 敏司
  価格: ¥1,782 (税込)
  講談社(2015/2/11)

 本書は、「単なる理論ではなく現実世界に大きなインパクトを与える新しい研究分野」であり、「経済理論によって現実世界における制度の設計・改革を行う分野」である「マーケット・デザイン」の内容をなるべくわかりやすく解説したものです。
 第1章「市場メカニズムと情報の問題」では、「中央集権なやり方ではうまくいかない時、先の『見えざる手』の比喩のように、グループのメンバーが各自、分権的に意思決定するという前提で、なにかうまい方式をデザインして、個人の利益追求が社会全体の利益と一致するようにできないだろうか? という発想から生まれたのがマーケット・デザイン」だと述べた上で、「マーケット・デザインの主な応用分野」として、
(1)マッチング理論:経済主体の間で金銭の授受を伴わないような取引を考察する。
(2)オークション理論:金銭の授受を伴う状況を扱う。
の2点を挙げています。
 そして、「マーケット・デザインはまさに、何らかの理由で市場が存在しないか、市場メカニズムを利用することが適切ではないような状況において、中央当局や誰か権力者の命令によらずに、家計や企業が分権的に自主的に、社会的に望ましい結果(例えば、効率的な資源配分)を実現するように知らず知らずに導かれていくような誘引を与える配分方式をデザインすること」だと述べています。
 第2章「戦略的行動と市場――ゲーム理論による分析」では、「パレート効率性と個人合理性という2つの条件を同時に満たすような配分」であるコアについて、「コアというものを配分の良し悪しを決める基準として考えると、誰と提携を結ぶべきかという協力ゲームの問題は、個人合理的でパレート効率的な配分をもたらす提携はどれかと言い換えることができ」ると述べています。
 そして、「メカニズム・デザインはあくまで理論上うまく機能するメカニズムを研究しているのに対し、マーケット・デザインは現実世界で実際に機能するメカニズムを研究する、工学的な側面がある」と述べています。
 第3章「オークションの基本原理」では、「二位価格オークションは、ルールは違いますが、この競り上げ式オークションと全く同じ結果をもたらすオークション方式になっています(このことを、専門的には戦略的同値性といいます)」と述べています。
 そして、マイケル・ロスコップフたちが、二位価格オークションがまれにしか利用されない理由として、
(1)オークショニアの不正
(2)買い手が評価値を第三者に伝えること(情報漏洩)への躊躇
の2点を挙げているとしています。
 第4章「複数財オークションのケーススタディ」では、ウィリアム・ヴィッカレー、エドワード・クラーク、セオドアグローヴスの頭文字を採った「VCG」メカニズムについて、「対戦略性を満たすだけでなく、逆に、(若干の数学的条件の下で)対戦略性を満たすような方式はVCGメカニズムに限られることが証明でき」るとした上で、その基本的な考えかたは、「各プレーヤーは自分が参加したことで他のプレーヤーに与えた不利益に相当する額を支払うべきだ」というものだと述べています。
 そして、「一般的にはVCGメカニズムは配分決定ルールと支払決定ルールの2つの部分」からなるとした上で、「ローレンス・オースベルとポール・ミルグロムは、VCGメカニズムは理論上、重要な問題を抱えていると指摘して」いるとして、「VCGメカニズムは一番財を欲しがっている買い手に適切に財を配分するという意味で効率的な資源配分を実現しますが、売り手の収益を最大化するという観点からは、あまり望ましい結果を生み出さない」と述べています。
 また、「オークションされる剤が代替財ばかりの場合、VCGメカニズムは非常に満足の行くオークション方式なのですが、補完財が存在するとその魅力はかなり薄れてしまう」と述べています。
 さらに、「評価額を正直に入札することが支配戦略であるという、VCGメカニズムの重要な長所のひとつである対戦略性」は、実験結果によれば「現実的にはあまり満たされない性質」だと述べています。
 第5章「マッチング理論の諸問題」では、「2つのグループ(例えば、男女)が互いに相手側に対する希望順位(経済学では選考といいます)を提出し、その順位に基づいて双方の組み合わせ(誰と誰がカップルになるか、など)を決定するようなプロセスを、経済学ではマッチングといい、こうしたマッチングを効果的に行う方式を研究する分野をマッチング理論」と言うと述べた上で、「カップリング・パーティで用いられている方式は、効率的なマッチングを生み出しますが、必ずしも女性有利なマッチングを生み出すわけでもなく、対戦略性を満たさないことがあり、しかもそのマッチングは安定的ではないこと」があるとして、こうした問題をほとんど解消できるような方式として、「ゲール=シャプレーのアルゴリズム」とも呼ばれる「受入保留方式」について解説しています。
 エピローグでは、「たとえ、どんなに理論的に優れていようとも、現実に応用する際には、研究室の中では予期し得なかった事態が発生する」として、「マーケット・デザインの研究とはまさに工学(エンジニアリング)的なもの」だと述べています。
 そして、「複雑な現実に合わせて配分方式を改良していくと、対戦略性や安定性、効率性といったマーケット・デザインでは重視される基準のいくつかが失われていくといった自体になるかもしれませんが、このとき、研究者があくまでもエレガントな理論にこだわれば、現場の理解を得られなくなってしまうことでしょう」と述べ、「現実のマーケット・デザインでは、現場で制度を運用する人、制度に参加する人々、制度の成り行きを外から見守っている人々といった多様なステイクホルダーの理解を得つつ、できるだけみんなにとって満足度の高い方式をデザインしていくことが求められている」としています。
 本書は、理論にとどまらず、現実に役に立つ理論としてのマーケット・デザインを解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 経済学の中でも心理学と実験を扱う分野は理論とのズレが出てくるところが面白いです。


■ どんな人にオススメ?

・実際に使える経済学を探している人。


2015年7月 5日 (日)

貧困の倫理学

■ 書籍情報

貧困の倫理学   【貧困の倫理学】(#2450)

  馬渕 浩二
  価格: ¥907 (税込)
  平凡社(2015/4/17)

 本書は、「科学文明の栄華をきわめるこの21世紀初頭にあって、少なからぬ者たちが飢えて死んでゆく」ことについて、「このようなしかたで世界が存在していることについて、先進国の豊かさを享受している者たちには少なからぬ責任があるのではないか。したがって、その者たちは、世界的貧困を解決する責を負っているのではないか」という問いをめぐり、「その問いが正当であるという前提」のもとに書かれたものであり、「世界的な貧困問題について蓄積されてきた倫理学的議論を整理すること」を目的としたものです。
 序論「世界的貧困と倫理学」では、1990年代に採択された「国連ミレニアム開発目標」が2015年までに達成すべきものとして、
(1)極度の貧困と飢餓の撲滅
(2)普遍的な初等教育の達成
(3)ジェンダー平等の推進と女性の地位向上
(4)乳幼児死亡率の削減
(5)妊産婦の健康状態の改善
(6)HIV/エイズ、マラリア、その他の疾病のまん延防止
(7)環境の持続可能性を確保
(8)開発のためのグローバルなパートナーシップの推進
の8点を挙げています。
 そして「世界的貧困の解決は、国際組織や専門組織、あるいは有志の個人の慈善や善意に委ねられるべき問題ではない。むしろ、貧困問題の解決は、とりわけ先進国において豊かな生活を享受している者たちに課せられる責任である。それだから、このような立場にある者たちが貧困の解決のためになにもせず貧困を放置したなら、それは倫理的に悪いことである。これはかなり強い主張である」と述べてます。
 第1章「援助の救命モデル」では、シンガーが、「飢えに苦しむ人々への援助が豊かな社会の利益を享受するものに課された義務なのだ」と主張したことについて、「シンガーが貧困者のための援助を正当化する理路はシンプルであり、一貫している」として、『あなたが救える命』の論証を取り上げています。
 第2章「援助のカント主義」では、「1986年に上梓された『飢えの顔』と、それを補完する論文を中心に、カント-オニール的な援助論の可能性の鉱脈を探ってゆく」とした上で、「オニールの功利主義批判は多岐にわたる」としながらも、
(1)功利主義の帰結主義的な側面
(2)帰結を重視する理論構成の不確かさ
の2点を挙げています。
 そして、「功利主義と権利理論という現代の代表的な倫理理論への批判を通じて、オニールはそれらに対抗可能な倫理理論」であるカントの倫理学が必要とされることを示唆しているとしています。
 第3章「加害としての貧困」では、ポッげの主要な問いについて、「ある種の分類によれば義務は消極的なものと積極的なものとに分かれる。消極的義務は他者に危害を加えることを控えるように命じる義務である。た方、積極的義務は他者のために貢献することを命じる義務である。世界的貧困にたいする援助の義務はいずれの義務だと考えるべきなのか」というものだと述べています。
 そして、「ポッゲによれば、豊かな国に住む者たちは異国の貧困という危害を生み出しているが故に、貧困問題の解決の責任を有する。このように主張するために、今度は権利についての考えかたが変更される」と述べています。
 第4章「地球規模の格差原則」では、「ある人物が自らの選択や努力では解消するのが困難である貧困状況に生まれたなら、その人物はこの状況を運命として忍受しなければならないのだろうか」という歪みを、「あるタイプの正義論」は「不当な不平等として告発する」と述べています。
 そして、「ヨーロッパの正義論の伝統に深く影響を与えた」配分的正義と匡正的正義のうち、「ロールズの格差原則は配分的正義の一種である」と述べた上で、格差原則は、『正義論』において導かれる、
(1)第一原則:万人に平等に自由を承認するよう命じる原則
(2)第二原則:富や財の配分、地位や権力の配分が公正であるよう命じる原則
のふたつの原則のうちのひとつであるとしています。
 また、「世界的貧困問題は、何らかの倫理的-政治的な構想を持つ者に対して、その構想の枠組がどのようなものであるかを吟味するように促す根本的な問題である」と述べています。
 第5章「生存権のための援助」では、「権利の用語系によって貧困問題の解決を正当化しようとする立場」の可能性を追求したシューの『基本権』について、「シューの提唱した基本権(basic rights)、そのなかでも生存権(rights to subsistence)という概念が貧困問題の解決にどのように貢献することになるのか、その経緯を見届ける」としています。
 そして、「権利は、今日、第一世代、第二世代、第三世代の3つに分類される」として、
(1)第一世代:言論の自由などの自由権
(2)第二世代:社会-経済権
(3)第三世代:共同体あるいは集団の権利
の3点を挙げた上で、「権利をもつとは、その権利が可能となるような社会的保障を要求することができる、ということである」と述べています。
 また、シューによると、すべての権利は、
(1)権利の剥奪を回避する義務
(2)剥奪から保護する義務
(3)剥奪された者たちを援助する義務
の3つによって支えられていることから、「伝統的枠組みでは消極的権利に分類される自由権も、その実現のためには3つの義務が要請される」と述べ、「シューは、権利の存立構造の記述を根本から書き換えることによって、そのための端緒を据えた」と解釈することができるとしています。
 第6章「自由のための援助」では、「生の最低限の水準を設定し、その水準を実現させることを世界的貧困問題の解決のための根拠とした」生存権を巡る議論のもう一つの系譜として、「ケイパビリティ・アプローチ」を取り上げ、「ケイパビリティ・アプローチからすれば、ある所得が貧困を生み出した場合、その所得それ自体の水準が問題なのではない。そうではなく、その所得によって最低限必要なケイパビリティが実現しうるかどうかが問題なのである」と述べています。
 そして、「ヌスバウムのケイパビリティ・アプローチの特徴は、最低限のケイパビリティを指定し、それが実現されることを正義の条件とするという点にあった。加えて、ケイパビリティのリストは普遍的なものであるとされた」と述べています。
 本書は、貧困問題をめぐる正義や権利のあり方を整理した一冊です。


■ 個人的な視点から

 正義の問題については最近ちょっとブームになったりしましたが、色々なアプローチの方法があるのでどれかに固執することなく読んでいければいいのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・貧困問題にどう接したらいいかわからない人。


2015年7月 4日 (土)

なぜ再処理するのか?―原子燃料サイクルの意義と技術の全貌

■ 書籍情報

なぜ再処理するのか?―原子燃料サイクルの意義と技術の全貌   【なぜ再処理するのか?―原子燃料サイクルの意義と技術の全貌】(#2449)

  大和 愛司
  価格: ¥972 (税込)
  エネルギーフォーラム(2014/07)

 本書は、「日本はなぜ原子燃料サイクルを一生懸命やろうとしているのか、その意義はなにか、どういう恩恵を国民にもたらすのか」を改めて検証するとして、「原子燃料サイクルに関連することを、核分裂発見以来の歴史から紐解いて、現在の技術と世界の動向など、簡潔にわかりやすくまとめ」たものです。
 第1章「核分裂の発見から平和利用までの国際的な動き」では、「原子燃料のリサイクル事業が原子力の平和利用に限定して国家としてのエネルギー源を確保しようという狙いから進められている」ことから、「国家のエネルギー源であるからには膨大な量を安定的に供給できることが必要」だと述べています。
 そして、1953年にアメリカのアイゼンハワー大統領が国連総会で行った「Atoms for Pease」演説について、「核兵器による反撃も辞さないとする一方で、核兵器ではなく、むしろ平和利用の方向に利用していくことができる」ことを提案したと述べています。
 第2章「日本はいかにして再処理技術を獲得できたのか?」では、「原子力については、サンフランシスココクワ条約の中には原子力の研究を禁止する旨の条文」がないことについて、「GHQは原子力の研究の禁止令を出していたわけですから、講和条約の中にその禁止条文がないことは、つまり原子力に関する研究はこの講和条約を持って解禁されたと解釈され」ると述べ、この3年後の1955年に日米間で原子力研究協力協定が結ばれ、後の日米原子力協定の基になったとしています。
 また、科学技術庁の設置を始めとした日本の研究開発体制の整備に関するエピソードとして、「Atoms for Pease演説を、当時、若き代議士であった中曽康弘さんが聴きにいった」ことで、「演説に感銘を受けた中曽根さんは、日本もこの研究を直ちにはじめなければならないと考え、帰国後、ウラン235日なんで2億3500万円の予算を議員提案し、科学技術庁、日本原子力研究所、原子燃料公社を作ってウラン資源を収集するということを国会で決議し、今日の日本の原子力平和利用の基礎が作られた」と述べています。
 第3章「六ヶ所再処理工場の建設」では、1969年の新全国総合開発計画(新全総)の閣議決定により、「六ケ所村に、石油備蓄基地、石油の精製基地、火力発電所などを建設する、雇用は大体10万人から12万人の規模」という大計画が打ち上げられたことで、「六ケ所村では土地の買い占め業者により一年間で1260人の村民から870ヘクタールもの土地の買い占めが起きた」が、2度のオイルショックによって、計画は「あれよあれよの間にどんどん縮小」され、結局実現したのは、「国家石油備蓄基地の51基のタンクだけ」となったと述べています。
 そして、「20年以上にわたり、東海再処理工場の運転を通して数多く経験してきた事柄が、今、六ヶ所再処理工場のいたる所に活かされている」と述べています。
 また、「六ヶ所再処理工場では核兵器へ転用しにくいように、工程の中で生成されたプルトニウム溶液に同じ量のウラン溶液を混合して、純粋なプルトニウム溶液を系外へ出さないようになって」いると述べています。
 第4章「再処理事業の意義」では、再処理を行うことの意義として、
(1)ウラン資源の節約
(2)高レベル廃棄物の減容と安定化ができること
(3)原子燃料サイクルは地球環境の保全に寄与すること
の3点を挙げています。
 そして、「ガラス固化体の放射能毒性は、主にセシウムやストロンチウムなどの核分裂生成物(FP)の影響が大きく、ウランやプルトニウムがそのまま含まれる使用済み燃料の場合に比べるとずっと早く毒性が減衰して」いくと述べています。
 第5章「ガラス固化体は安全に地層処分できる」では、「放射性廃棄物は最終的には浅地中処分、余裕深度処分、地層処分の3つの分類で再処分される」とした上で、「天然原子炉が自然に停止したあとに残る元素の詳細な分析から、アクチノイド(プロトニウムなど)や希土類元素は20億年間でも地層の中を数センチしか移動していないことがわかって」いるとして、「天然のバリアはこれらの核種を極めて長期間閉じ込める機能があるということを実証して」いると述べています。
 そして、「政府はつい最近、立地公募制による処分地の選定法では、地元住民への説明や説得など自治体側の負担が大きく、最終処分に向けた文献調査にまで進んだ例がないことを踏まえ、従来の自治体による応募方式から、政府が地質の安定性など処分に適した候補地を科学的に選定して、全国的に幅広く示す方式に方針を転換するといった検討が行われて」いると述べています。
 また、「地層処分で考慮すべき天然現象と地質環境条件」として、
(1)活断層
(2)火成活動
(3)隆起侵食
(4)地下水
の4点を挙げ、「専門家による客観的な判断」を求めて、平成4年から平成12年にかけて、動燃事業団・サイクル機構(原・日本原子力研究開発機構)において、「純粋に地科学的観点から、長期安定性に関する地質学者間のコンセンサスを形成すること」を目的として、「地層科学研究検討会議」を組織し、「百数十人の全国の地質学の先生方が約8年かけてつくられた共通認識、ある意味の合意をもとに動燃、その後のサイクル機構は、2000年に『日本で地層処分は可能である』という技術レポートをまとめ上げ」たと述べ、その後、[厳しい予算状況の中で長期安定性に関する研究予算も縮小され、このような広範な分野の研究者・専門家を結集する場を維持できる団体はなくなって」しまったことから、「日本学術会議が誤認したように、地層の長期安定性に関するコンセンサスが、合意・形成が十分でないという観念が広がってしまっている」と述べています。
 さらに、、「直接処分なら100万年以上の過去までの安定性が求められるが、再処理したガラス固化体の処分場は10万年以上の安定性が求められる」ことから、「証拠立てて長期安定性を調べていくのは大変根気のいる高度な技術で、100万年オーダーで安定なエリアを選定するのは、対象地域が狭く絞られてしまいますが、10万年程度なら、国内に広く分布すると述べた通り候補地は国内に広範に分布するということが専門家の間では分かって」いると述べています。
 著者は、2013年に日本学術会議が原子力委員会の指紋に回答したレポートについて、主な矛盾点として、
(1)電力消費地と処分立地地域の不公平性:具体的な支援として、交付金の支払いを法律に定め、NUMOは地域活性化を図るために地域と強制するという姿勢を明らかにしている。
(2)暫定保管の後はどうするのか
(3)総量規制の不足分の代替策はあるか
(4)数万年の長期安定性に専門家の合意が不十分か?
の4点を指摘しています。
 第6章「原子燃料サイクルを支える技術分野」では、「再処理という事業は、工場内の工程管理、働く人の安全管理から、周辺環境の管理まで組み合わさっているので、使う技術の範囲も非常に広くなり、広い学問分野の裾野を必要とする」と述べています。
 第7章「再処理技術開発の歴史と英仏の再処理工場」では、1960年代以降、「プロトニウムのエネルギー利用を目的とした軽水炉燃料に移行してきたのに伴い、再処理の高度化が進み、いろいろな設備の技術開発が行われた」とした上で、日本原燃の再処理工場は、フランスの再処理技術である「UP3」の改良型とも言える工場だと述べています。
 本書は、日本の核燃料の再処理技術とその必要性を解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 原子力発電の是非については賛否両論あってそれぞれに言い分があるものだとは思いますが、いずれにせよ現にそこに核燃料がある以上、その性質や処理方法についての理解を深めることはどちらの立場にとっても必要なのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・原子力について意見を言いたい人。


2015年7月 3日 (金)

「本」と生きる

■ 書籍情報

「本」と生きる   【「本」と生きる】(#2448)

  肥田 美代子
  価格: ¥842 (税込)
  ポプラ社(2014/12/1)

 本書は、「地域社会の教育力の衰えや核家族化、情報のデジタル化や高度な技術の進展など、日本社会の変化」の影響で、「日本語の基盤が、いま、揺らいでいるように思われ」る現状を分析し、「読み語りや朗読が日本人の子育ての中心にあったこと、そしてそれが、私たちが言葉を獲得する上で、どれほど大事なことであったか」を主張するものです。
 第1章「変わりゆく読書風景」では、「電子書籍の出現により読書を取り巻く環境がどう変化したか」について、携帯電話やスマートフォン、パソコンが「日常の対話や仕事においてもはや欠かせない道具」になったとして、「こういった習慣は、人間が長い年月をかけて完成させてきた書き言葉や表現力の劣化につながっている、というのもまた一つの真実でしょう」と指摘しています。
 また、デジタル教科書について、「基礎的な日本語能力がまだ身についていない小学生にとって、最も大切な授業は、『日本語の読み書き』」であり、「その土台が固まる前に、液晶画面に表示される文字や動画、さらには再現のないネットの情報にふれさせるのは、果たして子どもたちにとって本当に有意義なことなのでしょうか」と、デジタル教科書がインターネット接続できることの危険性を指摘しています。
 第2章「教育現場のデジタル化はなにをもたらすか」では、文部科学省の実証実験の結果として、「ICT(情報通信技術)を活用した需要については、児童・生徒、教師の8割が肯定した」とする一方で、ICT活用の留意点として、
(1)観察や実験といった体験学習の場はやはり必要だということ。
(2)対面コミュニケーション活動を重視しなくてはならないということ。
の2点を挙げています。
 そして、デジタル教科書が、「生身の人間同士の対話を希薄なものにし、人間関係のあり方を大きく変える可能性」を持っていると指摘しています。
 さらに、過去にも、「テレビ教育やパソコン教育など、新しいメディアが登場するたびに、『これこそ教育改革の起爆剤になる』と興奮する人たちがいた」が、「いまどき、テレビが教育を変えるなんて主張する人」はおらず、1980年代にも、「一部の教育学者たちは『パソコンが教室の風景を一新するんだ!』と有頂天に」なっていたと、「それ見たことか」とばかりに論っています。
 第3章「あの時読んでおいてよかったと思える本があるか」では、ショウペンハウエルが、「読書は、他人にものを考えてもらうことである」や「読書にいそしむ限り、実は我々の頭は他人の思想の運動場にすぎない」と、「辛辣な言葉で読書を位置づけて」いることについて、彼は、「読む本をよく選び、よく理解し、熟慮せよと述べている」としています。
 第4章「子どもと親にとっての読書の価値」では、「大切なことは、両親や周囲の大人たちが、子どもと愛情を持って、積極的にコミュニケーションを取ろうとする気持ち」だとして、「親自身が読み語りを楽しみ、それを子どもに伝えようとしているかどうか」だと述べています。
 第5章「『平成』の日本はなにを失ったのか」では、1989年の晩秋に、国連で「子どもの権利条約」が採択されたことに関して、外務省は、「いままでの条約や法律では『児童』という用語が使われている」と主張していることについて、「彼らは、条約のもつ現代的な異議を理解していない」ように思われたと述べ、「国連は、子どもを主役の座に置くことで新しい子ども像を描き」、「子どもたちが個性と人格を備えた存在として認知され、大人とともに時代や文化を支え、幸福を分かちあう権利主体であることが、人類史上、はじめて世界共通の認識として確認された」ことが、「国連の哲学」だと述べています。
 第6章「学校図書館がよみがえる日」では、学校図書館法が、「当分の間、司書教諭を置かないことができる」としている規程について、「成立から約40年もの間、この『当分』が続いてきたのが学校図書館の現実だった」と指摘しています。
 そして、「法律は、それを使って自分たちの幸福度を高めようとする市井の人々がいなければ、神棚にしまわれたままで日の目を見ることのないもの」だと述べています。
 第7章「読書は日本の希望になるか」では、「わたしたちには先人たちの残した文化を次世代に引き継いでいく責任があります。すべての社会活動の基盤である日本語は、文化遺産の中で最もかけがえのないものであり、若い世代の本離れは、その日本語を衰弱させる要因となりましょう」と指摘しています。
 そして、2001年12月に議員立法によって成立した「子どもの読書活動の推進に関する法律」の真髄が、「子どもの読書活動に必要な基盤をつくること」にあり、「その大舞台は学校図書館」にあるとして、「そこは、子どもたちが知識を手に入れ、世界の偉人や賢人とめぐり合い、宇宙とつながることができるすばらしい知の世界」だと述べています。
 また、「2000年の『子ども読書年に関する決議』の採択と、01年の『子どもの読書活動推進法』の制定により、政界、行政、教育現場の意識は確実に変わりつつ」あり、「読書のことを『勉強の邪魔』とか、学校図書館のことを『無用の長物』とか考えていた人々に一考をうながし、その大切さについて見直しを迫ることになった」と述べています。
 さらに、「子どもが読書に向かうかどうかは、親に読書週間があるかということと深く関わって」おり、「本を読む親の姿を子どもに見せることが、子どもを読書好きにする方法のひとつ」だと述べています。
 本書は、当たり前と思っている人にとってはそうでない人の考えが不思議でならない、本と生きていくことの大切さを語った一冊です。


■ 個人的な視点から

 やはり国会議員まで務められている方は言葉に重みがあるというか、力があるというか、攻撃的というか、古いことを引っ張り出してきて今になってあげつらう姿には、その人が生きてきた人生の重みというか、人となりというか、品格みたいなものがにじみ出てきてしまうのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・人生には本が欠かせない人


2015年7月 2日 (木)

豚肉の歴史

■ 書籍情報

豚肉の歴史   【豚肉の歴史】(#2447)

  キャサリン・M. ロジャーズ (著), 伊藤 綺 (翻訳)
  価格: ¥2,160 (税込)
  原書房(2015/6/29)

 本書は、「世界で最も広く食べられている食肉であり、私たちにもとても身近な食肉」である豚肉について、「豚肉への偏見やタブーも含め、豚肉の歴史をヨーロッパ、新大陸(南北アメリカ大陸),アジアと地域を大きく3つに分け、それぞれ詳細にたどっていく」ものです。
 第1章「理想の肉」では、「およそ7000年前、近東そしておそらく中国の人々がユーラシアイノシシ(学名Sus scrofa)を家畜化した。それ以来、豚は世界で最も広く食される食肉を提供してきた」と述べた上で、「豚は雑食性なので飼育がしやすい。牛や羊のように放牧のための広大な土地を必要とせず、森やさらには街中で勝手にえさを探しまわることもできれば、小さな囲いの中に入れて人間の食べ残しで育てることもできる」としています。
 第2章「豚への偏見」では、「その利用価値の高さにもかかわらず、豚は食物禁忌(フードタブー)の対象として最もよく知られ、一般に食べられている動物の中で唯一、不浄なものと広く見なされている。ユダヤ人とイスラム教徒は、おそらく豚が腐肉食動物[動物の死体を主たる食物とする動物]だという理由から食べることを禁じているのだろう」と述べています。
 そして、豚が、「ありつければほぼどんなものからでも、肉であれ、塊茎[地下茎が肥大化したもの。ジャガイモなど]であれ、生ごみであれ、さらには排泄物であれ、栄養源にする。昔は豚が村や町を自由にうろつき、人々は胸が悪くなるようなものを食べる豚の性癖を絶えず思い知らされた」と述べています。
 第3章「ヨーロッパの豚肉」では、「豚肉はローマ人のお気に入りの肉だったようだ。豚肉は農民の質素な食事にちょっとした風味を添えたり、豪華な饗宴のメイン料理になったりした」と述べています。
 そして、「ソーセージはヨーロッパのあらゆる国で発達し、数えきれないほどの種類があった」として、「ソーセージはごちそうにもなるが、とくに穀物の混ぜ物がたっぷりつめ込まれているものは、昔から貧しい人々にもよく食べられていた」と述べています。
 また、「ベーコンは乾燥豆と組み合わせて調理することが多かったが、それはどちらも冬を通して保存することができたからだ」として、伝統的なイギリス料理である豚肉とエンドウ豆のプディングについて、「塩漬け豚肉は豆の味を引き立たせ、一方豆の淡白な味は豚肉の塩気をまろやかにした」と述べています。
 さらに、「ドイツ、デンマーク、ポーランド、オーストリアは、ひとり当たりの豚肉の年間消費量が世界で最も多い」と述べています。
 第4章「新大陸の豚肉」では、「初期のスペイン人探検家が豚を南北アメリカ大陸にもちこみ、カリブ族からはじめて豚のすぐれた調理法――バーベキュー(おそらくタイノ語の barabicu に由来)――を教わった。それは、直火の煙で肉を加熱するというものだった」として、「この調理法は、とくに豚のジューシーな肉に適していた」と述べています。
 そして、「当初、アメリカの豚は地元の森を自由に走り回ってえさをあさっていたので、ほとんどただで飼育することができた。豚は元気いっぱいで、どんどん繁殖した」と述べています。
 また、1812年戦争(米英戦争)で、「『アンクル・サム』・ウィルソンと呼ばれるニューヨークの精肉納入業者が大量の豚肉をアメリカ兵に支給した」ことから、「アンクル・サムはアメリカ政府全体を象徴するようになり、漫画では『アンクル・サムが軍隊を養っている』と書かれた横断幕のもと、シルクハットをかぶった巨大な人物として描かれた」と述べています。
 さらに、「塩漬けした豚肉と脂肪を加熱処理し、きれいな長方形に整形した」缶詰である「スパム」について、「安価で輸送がしやすかったうえ、長期保存が可能だったことから、第2次世界大戦で真価を発揮することになった」と述べています。
 第5章「アジアの豚肉」では、「豚肉は中国人の大好物の肉として不動の地位を保ちつづけている。じつに中国では、とくに明記されないかぎり『肉』は豚肉を意味する」と述べています。
 そして、「中国ではずっと以前から、森林伐採と高い人口密度のせいで、豚が自由気ままにエサを探しまわれなくなった。豚は便所と一体化させた小屋『豚便所』で飼われ、人間の排泄物を処理していた」として、「自由に歩き回れなかったため、中国の豚は西洋の豚より小型で太った体型になった」ことから、「18世紀なかば、イギリス人の地主は自分の豚を、小型で肉付きがよく短脚の中国種の豚と交配させて肉質を向上させた。こうした生まれたのがラージホワイト種(大ヨークシャー種)で、世界で最も人気の高い品種になった」と述べています。
 また、「さまざまな文化の人々が、人肉は豚肉に味が似ているといっており、ポリネシアの食人族は人肉を『長い豚』と呼んでいた」と述べています。
 第6章「大量生産の時代」では、「過去50~100年で、北米、オーストラリア、EU、さらに最近ではアジアと年米の豚肉生産者は、豚を『感受性のある生き物』ではなく『生産単位』として扱う、より利益の上がるシステムにシフトしている。豚肉精算は、数千頭の豚を飼育する養豚農場と契約した少数の大企業が支配する集中型産業になったのである」と述べた上で、「それでもやはり、多くの国々の消費者が人道的に育てられた食肉を求め、生産者にそれを供給するよう要求しはじめている」と述べています。
 本書は、美味しく食べられ、そして嫌われている「豚」の歴史を追った一冊です。


■ 個人的な視点から

 豚が嫌われる理由はゴミでも何でも食べるせいらしいのですが、嫌われても人間の近くで育った豚のほうが幸せそうに見えるのは気のせいでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・豚肉が好きな人。


2015年7月 1日 (水)

社会への出かた―就職・学び・自分さがし

■ 書籍情報

社会への出かた―就職・学び・自分さがし   【社会への出かた―就職・学び・自分さがし】(#2446)

  白井 利明
  価格: ¥1,836 (税込)
  新日本出版社(2014/12/9)

 本書は、「非正規雇用が自由な働き方ではなく、使い捨てにされる働き方であること」が指摘される中で、「青年はどのように働いたらよいのだろうか。親は何ができるのだろうか」について、青年心理学の視点から考えたものです。
 序章「現代青年の生きづらさ」では、「今は逆に自分で選べること、選ばないといけないことが負担となっているのではないか」として、「先行世代の親からすると、自由であることにはよい面とわるい面の2つの面がある。昔は自由がなかったから、今は自由があるということはよい面である。しかし、自由であることが個人の選択に重くのしかかっているという面もあると考えられる」と述べた上で、「自分の人生を立ち上げていく時期」である青年期と、「自分の仕事や家庭を持つことで、自分の能力を発揮したり、生きがいのもとになったりするような自分の生活基盤を作っていく時期」である成人期前半に、現代社会は「そのような課題を達成できるような条件を十分には与えていない」と指摘しています。
 第1章「雇用されるとは何か」では、「企業は青年が育つ機会を十分には提供していない」一方で、「青年は、さまざまに働く体験が、青年の育つ機会を提供してくれると思っている」として、「企業は非正規雇用での成長は甘い考えかたとする一方で、そうした青年の向上心を利用して非正規雇用につかせているといえるのではないだろうか」と指摘しています。
 そして、「青年は、気の合う仲間と楽しく働きたいと思っている。結婚し、家庭をもち、夫婦で子どもを育てていける働き方がしたいと思っている。そして、何よりも、それなりの賃金が支払われ、安定した生活が送ることのできるような雇用を望んでいる。しかし、今、政府や企業が向かおうとしている方向は、そうした願いとは正反対である。その矛盾が様々な形で青年問題となって噴出しているのではないだろうか」と指摘しています。
 第2章「正規雇用へのつきかた」では、「好きなことや自分のやりたいことを自分の仕事と結びつけて考えること」である「やりたいこと志向」について、「やりたいこと志向の高い人は、なかなか正規雇用にはつかないと考えられる」とした上で、事例から、「彼らのやりたい志向とは、自分らしさを保とうとする傾向のことではないだろうか。過酷な状況に振り回されたくない、自分のペースを守りたい、といった願いを意味していた」と述べる一方で、「正社員は、非正規雇用についている人に比べてやりたいこと志向が低かったが、それは、やりたいことをあきらめているからではなかった。むしろ、自分の目標を達成することに関心があった」として、「目標を持ち、そのために力をさき、そしてさらに向上させようと努力している。現在を未来につなげることで、社会の要請に自己を合わせようとしている」と述べています。
 著者は、「やりたいこと志向」について、「周囲にふりまわされずに、自分のペースで働きたいということであることがわかる。しかも、やりたいこと志向があると正規雇用につけないということでもなかったし、正規雇用についたからといってやりたいこと志向がなくなるものでもなかった。むしろ、職場や仕事との距離感をもつことができれば、仕事をしていけることが明らかになった」と述べています。
 そして、「社会移行を促す重要な要因の一つとして、社会への信頼があげられる」とした上で、「社会的信頼が大学時代の社会関係資本経験によって促進される」、「社会的信頼が高いほど社会に出ていく活動を粘り強く行うことができる」として、「この知見は、社会的に不利な立場にあっても、社会関係資本が形成されるならば、社会的信頼を高め、社会移行を促すことができるという示唆を与える」と述べています。
 第3章「青年と社会が開く自立への道」では、「個々の職業に従事するのに必要な専門知識、技能、規範・行動様式の習得を目的とする教育」である職業教育のポイントとして、
(1)専門性を身につけることが、労働のリアリティに基いて行われることで、青年の意欲が引き出され、自信をもたらすこと。
(2)労働は集団的に行われるので、職業教育も集団のなかで行われること。
(3)民主的な社会の形成者として社会に参加し、持続可能な環境をつくり上げていくこと。
の3点を挙げています。
 そして、「わが国において現在の学校から社会への以降が個人化・不安定化した背景」の一つとして、地域の経済的基盤が弱体化し、地域で次の担い手を育成できなくなってきたこと」及び「労働力の養成と配置にかかわる、学校と企業以外の公共的なシステムが整備されないまま、労働市場が自由化されてきたこと」の2点を挙げています。
 第4章「青年と親はどうするか」では、「青年期は役割実験をして自分のありかたをみつけていく時期である」として、「役割実験とは試行錯誤のことであり、学生のアルバイトはそのひとつである」と述べた上で、アルバイトの経験は、職業選択にはほとんど役立っていないが、「自分の生活圏では出会ったことのない多様な人たちと出会い、こうでなければならないと決めつけていたような自分の考えかたを相対化し、視野を広げていっている」という意味で、「自分なりの進路や人生を選び取ることができるのだろう」と述べています。
 終章「社会への提言」では、「社会で働き方を人間的な働き方にしていくことが必要である」として、
(1)作業の人間化
(2)コミュニケーションの人間化
の2つ意味での「人間的な働き方」を挙げています。
 本書は、移行問題における現代的な要因を指摘した一冊です。


■ 個人的な視点から

 自分の人生を選ぼうとする際に「やりたいこと」という言葉は、放っておいても若者の心を捉えてしまうわけですから、大人が寄ってたかって「やりたいこと」とか「自分探し」に手を貸してやる必要なんてないのです。お止しなさい。


■ どんな人にオススメ?

・自分を探したい人。


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