« 幕末の小笠原―欧米の捕鯨船で栄えた緑の島 | トップページ | 戊辰戦争から西南戦争へ―明治維新を考える »

2015年7月31日 (金)

正義のゲーム理論的基礎

■ 書籍情報

正義のゲーム理論的基礎   【正義のゲーム理論的基礎】(#2476)

  ケン・ビンモア (著), 須賀 晃一 (その他), 栗林 寛幸 (翻訳)
  価格: ¥4,536 (税込)
  エヌティティ出版(2015/5/22)

 本書は、「数学、ゲーム理論、経済学を武器に、進化生物学や社会進化論を背景的知識として、現代の正義論を再構築すること」、すなわち「人々の行動を現実に支配する道徳ルールである本能、慣習、因習などは、主に進化の力――生物学的のみならず社会的な――によって形作られるので、それらがいかに進化したのか、なぜ生き延びる子かをとうために、道徳を科学的に扱うことが必要であるとして、数理的方法を用いた新しい正義理論」の構築を目指したものです。
 著者は、「実際に使われている公平性規範はすべてロールズの原初状態という深層構造を共有する。この深層構造は生物学的に決定されるため、人類に共通のものである。しかし、原初状態で入力情報として必要になる個人間比較の基準は、ミームを通じて文化的に決定されるため、時と場所によって変わってくる」としています。
 第1章「道徳科学」では、「本書の主眼は、生のゲームの特定の均衡にむけて私たちの行為を調整するほぼ暗黙の了解として社会契約を捉える、デイヴィッド・ヒュームの洞察の帰結を探求することにある」としています。
 そして、「ロールズの原初状態が人間の公平規範の深層構造に組み込まれていると論じるにあたり、私には2つの任務が課される」として、
(1)そのようなメカニズムを私たちの遺伝子に書き込ませるに至った可能性を持つ進化の圧力について、納得のいく説明をしなければならない。
(2)この生物学的メカニズムが文化的伝統と作用し合い、私たちがプレーする生のゲームで特定の均衡を選び出す仕組みを説明しなければならない
の2点を挙げています。
 第2章「交渉理論」では、「本書の目的のひとつは、公平な交渉とは何かについて、特定の見解を擁護することにある。ただし、その見解は理論に組み込まれる入力としてではなく、出力結果の一つとして明らかにされるべきである」と述べています。
 そして、「ゲーム理論が合理的なプレーヤーによる戦略的交渉の分析を著しく進展させたのは、プレーヤーの特徴と交渉問題の性質が共有知識となっている場合であった」としたうえで、「ナッシュ交渉解は原初状態における交渉の結果を予測する手助けとして導入された」と述べています。
 また、「功利主義者と平等主義者を区別するもの」として、
(1)功利主義者は現時点の現状を無視するのに対し、平等主義者は歴史に配慮する。
(2)社会指標の意味をどう理解するか。功利主義者は社会指標の低い市民への援助を好み、行道主義者は社会指標の高い市民への援助を優先する。
の2つの見解の相違点が「とりわけ注意を引く」としています。
 著者は、「功利主義者と平等主義車の間の伝統的な激しい論争は、場合によっては単なる戯れ言にすぎないかもしれない。なぜなら、両者は単に同じことを違う仕方で表現しているからである」と述べています。
 第3章「主義の論戦」では、「何らかの結論に達する前にかならずデータを観察すべきであると主張する科学哲学の伝統」を「経験主義」として、「その偉大な主唱者はデイヴィッド・ヒュームである」と述べています。
 そして、「運転の例が示すように、道徳的主観主義は馬鹿げている。それは道徳のルールが人間の行動の調整を助けるために進化してきた事実を見逃しているからである」と述べています。
 第4章「均衡」では、「ゲーム理論は、実際のところ、対立と協力の両方を対象としている。現実的なゲームは一般に両方の可能性を含んでいるからである」と述べています。
 そして、「ゲーム理論家の考えでは、囚人のジレンマが人間の協力問題の本質を体現していると主張するのは明らかに誤りである。逆に、それは可能なかぎり協力が発生しないように仕組まれた状況を表しているのである」と述べています。
 また、「本書にとって重要なのは、ハミルトンの洞察が生物学的進化のみならず文化の進化にも適用できるということである」と述べています。
 第5章「互恵性」では、「アクセルロッドの主張の結果、しっぺ返し戦略こそご形成の仕組みについて知るべきことのすべてを体現している、と信じる社会科学者の世代が育ってしまった」が、「しっぺ返し戦略への思い入れが生き続ける理由は、かつて1回きりの囚人のジレンマにおける協力の合理性を人々が主張していた理由と同じである。彼らは人間が本質的に善良であると信じたいのである」と述べています。
 そして、「伝統が感情に有益な社会的役割を全く認めないのは明らかに間違いであるという、現在では広く受け入れられている考え方を私も支持する。感情は原始時代に社会契約の監視を手助けするために進化し、依然としてこの目的に役立っていると私は考えている」と述べています。
 また、「権威が機能できる真の理由は、リーダーの役割が、プレーされているゲームの完全均衡を指し示すことでしかないからである。もしも慣習的にリーダーの選択が尊重されるなら、それは誰もが最適化していることになるのである。したがって、いかなる個人も逸脱する誘引を持たない」と述べています。
 第6章「義務」では、「世俗的な道徳理論は、おおまかに言って、『善(the Good)』、『正(the Right)』、そして『徳(the Seemly)』の理論に分類することができる。左寄りの者たちは『善』を協調し、哲学者からは帰結主義者と呼ばれる。また、先見的な共通前の存在を主張し、その促進が私たちの利己的な関心事に優先するという。この陣営で最も声高なのは功利主義者と構成主義者である」と述べ、「保守主義者は『正』の理論を好む。哲学者はそのような理論を義務論と呼び、左寄りの帰結主義的な理論に対する自然な対抗馬と見る。義務論者は自然権の存在を主張し、帰結にかかわらずこの権利を尊重することが私たちの義務であるという」と述べた上で、「徳の理論にあっては、物事がそれ自体で本質的に善いまたは正しいということはない。物事が善いないし正しいのは、特定の社会で一般にそうであると考えられるからである」としています。
 第7章「血縁」では、「人間が親しい人を――親しい人だけを――愛すると予想すべき進化的な理由を説明する」として、「世間の知恵が愛と正義を適切に区別しないのは、進化というものが不器用な修繕屋であり、古いメカニズムを新しい目的に適応できるのであれば、新しいメカニズムをわざわざ作り出すことはめったにしないからである」と述べ、「私たちが公平規範を用いて部外者との調整ゲームを解決する際に原初状態への入力情報として必要な共感型(empathetic)選好を授けられるにあたり、『自然』は、家族内で作用する同感型(sympathetic)選好に合わせて進化していた構造と同じものを再利用したのである」と述べています。
 そして、「遺伝子の適応度を計算する際に大切なのは、次の世代にむけて複製される回数の平均値である」として、「私自身の遺伝子の適応度を計算する時には、私の行動が私自身のみならず親族の繁殖の成功率に及ぼす影響も考慮しなければならない。ハミルトンはこのような計算の結果を包括適応度(inclusive fitness)と呼んだ」と述べています。
 また、「ある種のゲームで高等動物がプレーする戦略は明らかに遺伝的に決定されている」が、「人間がプレーする社会的なゲームにおいて戦略が遺伝的にプログラムされていることはほとんど」なく、[私たちが均衡への道を見つけるのは、主に試行錯誤の学習や、よりうまく行っているプレーヤーたちの行動の模倣を通じてである」と述べています。
 第8章「共感」では、「私たちが共感の能力を当然視するからといって驚くことはなかろう。というのも、神経科学の研究が示唆するように、私たちの脳内には、自閉症の人々が一般的な認知能力を駆使して必死に試みなければならない作業を自動的んこなす部位が存在するのである」として、「共感による同一化の能力というものが人間の社会組織の核心にあることが明白になる」と述べています。
 そして、「個人間比較の基準は多くの点で言語に似ている」として、「ちょうど、何らかの言語を話すことが人間の遺伝的脂質の一部であるように私たちは個人間比較の基準を操作するように生まれついているのである」が、「言語と同様に、個人間比較の基準は利用される状況によってことなる」としています。
 第9章「黄金率」は、「文化の進化は異なる社会を多様な方向へと導いてきたが、私たちが皆同じ種に属することを指し示す普遍的特性は依然として残っているのである」と述べています。
 そして、狩猟採集社会の特色として、
(1)純粋な狩猟採集社会がボスや族長を持たないこと。
(2)公平性。
の2点を挙げ、「協力して行われる狩りは、リーダーのいない社会――特に言語の出現以前――においてより生産的であったかもしれない。なぜなら、不服従を罰することのできるリーダーがいないことにより、意思決定が効率的な水準に分権化されうるからである」と述べています。
 第11章「平等性」では、「平等主義的交渉解には堅固な理論的裏付けがあるので、この類似への着目はすでに一歩前進である。効用の完全な個人間比較を織り込んだ、公平な交渉解の条件となりうるような公理の集合は、そのほとんどが平等主義的交渉解を特徴づけることが判明するのである」と述べています。
 そして、「生のゲームの枠内で選択肢として明示的にモデル化されていないコミットメントは不可能であるため、コミットメントの制約は不在である。他のプレーヤーの選択を所与として、誰もが自由に自己の誘因に反応する」とした上で、「私の理論はロールズの直感が正しいことを裏付ける」として、「外部強制力が存在しない場合、新しい調整問題は、社会の過去の歴史が決定する社会指標を利用した平等主義的交渉解によって解決される」と述べています。
 本書は、ゲーム理論と進化から正義を解読しようとする一冊です。


■ 個人的な視点から

 進化論と言うと何やら「本能」だとか「体の仕組み」だとかを説明するものだという印象がありますが、社会制度とか倫理とか宗教とかそういったソフト的な部分もかなりDNAの影響を受けているものだと考えるべきなのかもしれません。
 また、戦前の優生学への反省からか、個人の知能や性格における遺伝的影響について語られることも少ないですが、やはり影響は大きいことを前提に考える必要があろうかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・正義が生まれる過程を知りたい人。


« 幕末の小笠原―欧米の捕鯨船で栄えた緑の島 | トップページ | 戊辰戦争から西南戦争へ―明治維新を考える »

組織の経済学」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1244312/63207159

この記事へのトラックバック一覧です: 正義のゲーム理論的基礎:

« 幕末の小笠原―欧米の捕鯨船で栄えた緑の島 | トップページ | 戊辰戦争から西南戦争へ―明治維新を考える »

2016年12月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

最近のトラックバック

無料ブログはココログ