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2015年8月

2015年8月21日 (金)

遊びの語源と博物誌

■ 書籍情報

遊びの語源と博物誌   【遊びの語源と博物誌】(#2492)

  小林祥次郎
  価格: ¥1,944 (税込)
  勉誠出版(2015/8/21)

 本書は、「遊びの言葉」から生み出された「俗語の語源」について解説しているものです。
 第1章「子供の遊び」では、「じゃんけん」に関して、「拳(けん)」という遊びについて、
(1)二人の出す数を言い当てる「数拳」
(2)互いに一方には勝つが一方には負けるという関係の「三すくみ拳」
の2つに大別できるとし、その語源については、「両拳(リャンケン)」ではないかとしています。
 「べえ独楽」については、巻き貝の「バイ」の貝殻を使った「貝(ばい)独楽」の訛ったものとしています。
 第3章「雅楽」では、「呂律」について、「雅楽では、12の音からなる音階を陰と陽に分け、陰に属する音を『律』、陽の音を『呂』と言う。引用の音から音へ移れないのが『呂律が回らない』で、そこから舌が回らないで言葉が明瞭でないことを言うようになった」と述べています。
 また、能楽で「緩めたり張ったりする変化」である「メリハリ」について、「古くはメリカリ」で、「メリは音を低く、カリは高くすることだ」と述べています。
 第5章「歌舞伎」では、「美男を二枚目、滑稽な人を三枚目」と呼ぶ語源として、「江戸時代の関西の歌舞伎劇場の看板の二枚目に記す役者の名が美男役、三枚目が道化役だったことによる」と述べています。
 また、「うまい芸で人気を集めることを『大向こうを唸らせる』」という語源として、「劇場の舞台正面の二階桟敷の一番後ろの立見席のこと」であり、「この席は安価だけれど、芝居通の目の肥えた観客が多く、この席からの賞賛や非難は有力な批評だった」からだとしています。
 さらに、「大事な局面、肝心の所」を示す「正念場」について、「もともとは歌舞伎で『性根場・正念場』と言い、登場人物がその役の性根(性格・心理)を見せる重要な場面のこと」だと述べています。
 第7章「賭博」では、「トランプ」について、「英語のtrumpは切り札のこと」だが、「明治初期に外国人が遊んでいて、切り札が出てtrumpと言ったのを、このカードのことと勘違いしたのが始まりだろう」と述べています。
 本書は、日本語の中に定着した遊びの言葉を解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 子供の遊びに使われる言葉は使っている本人たちが意味もわからず使っているので実はものすごく古い言葉だったり怖い言葉だったりするので用心が必要です。


■ どんな人にオススメ?

・遊びで使った言葉の意味を知りたい人。


2015年8月19日 (水)

白亜紀の生物 下巻

■ 書籍情報

白亜紀の生物 下巻   【白亜紀の生物 下巻】(#2491)

  土屋 健 (著), 群馬県立自然史博物館 (監修)
  価格: ¥2,894 (税込)
  技術評論社(2015/8/18)

 本書は、「白亜紀」をテーマに、「とくに南北アメリカ大陸の生物たち」を多く取り上げたもので、著者は、「恐竜たちだけが白亜紀世界の“登場人物』”ではありません!」として、白亜紀の北アメリカに存在した広大な海について、「独特の姿を持つ絶滅魚類や、この海の脅威であった巨大ザメ、そして、ついに登場した最強の海棲爬虫類モササウルス」も取り上げています。
 第7章「翼竜大産地、『ブラジル』」では、「クラト層から化石が産出している翼開長3mほどのツパンダクティルス・インペラトール(Tupandactylus imperator)について、「ローマ帝国における『皇帝』を意味する種小名は伊達ではなく、本主の後頭部には高さ50cmにおよぶ大きなトサカがあった」と述べています。
 第8章「The Western Interior Sea!!」では、それまで、「海のオオトカゲ」のような姿で復元されていたモササウルスについて、「2010年にスウェーデン、ルンド大学のヨハン・リンドグレンとカナダ、ロイヤル・ティレル博物館の小西卓哉たちがプラテカルプスの全身骨格を報告したことで、その姿は大きく変更されることになった。モササウルス類には尾鰭があったのである」と述べています。
 また、プテラノドン(Pteranodon)について、「比較的大型の翼竜で、翼開長は6m超に達」し、「口には歯をもたず、後頭部に大きなトサカを発達させていることが特徴だ」と述べるとともに、ニクトサウルス(Nyctosaurus)について、「この翼竜の最大の特徴は、後頭部からY字にのびた、長い謎の突起である」と述べています。
 第9章「恐竜たちの楽園『ララミディア』」では、ウェスタン・インテリア・シーによって東西に分断されていた白アメリカの北アメリカのうち、西側の南北に細長い大陸を「ララミディア」、東側の大陸を「アパラチア」と呼ぶとした上で、「ティランノサウルスもトリケラトプスも、ララミディアを代表する恐竜だ」と述べています。
 また、翼の起源について、
(1)「飛行のために」翼を持ったとする説
(2)「獲物を捕獲するために翼が生まれた」とする説
(3)「走行時のバランス制御」とする説
(4)「求愛のため」とする説
の4つの仮説を紹介しています。
 そして、デイノニクス(Deinonychus)について、「今日の恐竜像の構築に一役買った恐竜」であるとして、かつては「鈍重な爬虫類」とされてきた恐竜だったが、「1960年代に、アメリカ、イェール大学のジョン・オストロムがデイノニクスを研究した時、この恐竜が足のつめを生かした狩りをするには、俊敏でなければならない、と考えた」と述べ、「デイノニクスに端を発する」パラダイム・シフトは「恐竜ルネサンス」と呼ばれるとしています。また、「デイノニクスは潮流の恐竜起源説帯刀のきっかけとなった恐竜であり、恐竜ルネサンスのきっかけとなった恐竜」だとして、「始まりの恐竜」と言うことができるとしています。
 第10章「ティランノサウルス」では、「大きくて重い。これだけでも相当な脅威である。しかし、ティランノサウルスを『最強』たらしめるスペックは他にもある。幅広で分厚い頭骨は、圧倒的なまでの噛む力を生み出していたことが知られている」として、現生のアリゲーターが4000N、アロサウルスが6000N弱とされる中で、「実に3万5000N」という噛む力を持つと推定されたと述べています。
 また、「タルボサウルスは、リトロナクスと同じように進化型のティランノサウルス類で、時代はリトロナクスよりも新しい」として、「ララミディアの南部で生まれた進化型のティランノサウルス類が、かつて祖先が通ったベーリング陸橋を通ってアジアへ“帰り”、タルボサウルスが誕生したのではないか」とする説を紹介しています。
 第11章「世界の恐竜たち」では、いわゆる「草」と呼ばれる「イネ科の植物が台頭・隆盛を始めるのは、新生代に入ってから」であることから、「草食恐竜」という言葉を使うのは新聞やテレビであり、「監修者がついた書籍では、子ども用の学習図鑑であっても『植物食恐竜』と書いてある」と述べています。
 第12章「第5の大量絶滅事件」では、「生命史に確認される大量絶滅事件、いわゆる『ビッグ・ファイブ』の最後の一つ」である大量絶滅について、「ドイツ語で白亜紀を意味する『Kreide』と、新生代最初の地質時代である古第三紀の英語『Paleogene』の頭文字を採って『K/Pg境界絶滅事件』とよばれている」と述べ、昔は「古第三紀と新第三紀をあわせて『第三紀』とよんでいた」ことから「K/T境界]と呼ばれていたとしています。
 そして、メキシコ湾からカリブ海にかけての海底にある直径最大225kmとされる「チチュルブ・クレーター」について、衝突場所が「厚さ3kmにもおよぶ炭酸塩/硫酸塩岩地帯」だったことから、「衝突の衝撃で、この岩の成分が解けて大気中に撒き散らされた」結果、「炭酸塩岩と硫酸塩岩は二酸化炭素と硫黄を含む」ことから、「硫黄は有害物質であり、さらに悪いことに、太陽光を遮断するエアロゾルに変化する」として、「白亜紀末に地球にやってきた小惑星は、“当たりどころ”も悪かったということになる」と述べています。
 また、「鳥類がK/Pg境界を乗り越えて現在に存在している以上、恐竜は滅びずに生き続けている、というのはけっして間違いではない(むしろ正しい)」と述べています。
 本書は、みんな大好き白亜紀の恐竜のスターに限らず魅力ある生き物たちを紹介した一冊です。


■ 個人的な視点から

 いつの間にか恐竜に羽毛が生えて鳥みたいになっていたのにも驚きましたが、子供の頃から大好きだった「ティラノサウルス」は「ティランノサウルス」と書かれていました。どうやら、監修の群馬県立自然史博物館の意向のようです。


■ どんな人にオススメ?

・大きくなった元恐竜少年たち。今でも恐竜が大好きな大人にも子供にも。


2015年8月18日 (火)

白亜紀の生物 上巻

■ 書籍情報

白亜紀の生物 上巻   【白亜紀の生物 上巻】(#2490)

  土屋 健 (著), 群馬県立自然史博物館 (監修)
  価格: ¥2,894 (税込)
  技術評論社(2015/8/18)

 本書は、「1冊に1つ、もしくは2つの地質時代をテーマ」にまとめられてきた、技術評論社の“古生物ミステリーシリーズ”において、「情報を集め、執筆を進めていくうちに増量し、結果として上下の2巻構成」となってしまったうちの上巻です。
 第1章「羽毛恐竜の“聖地”」では、「白亜紀の“ポンペイ”」と評される中国遼寧省の熱河(ジュホル)層群について、「恐竜をはじめ、鳥類、哺乳類などの陸上動物、魚類や二枚貝類などの水棲動物、そして植物など、多種多様な化石が産出」し、「しかも、化石の多くはきわめて良質な保存状態を誇り、全身がそのまま残っているものや、微細な構造が確認できるものが少なくない」としています。
 そして、「鳥類は恐竜類である」という考えが、21世紀の現在では、「広く受け入れられている」はずだが、「認知度は高いとはいえ」ないと述べた上で、「鳥類の恐竜に起源がある」という指摘はダーウィンの時代からあるが、「1970年代になると、アメリカのジョン・オストロムの研究によって、小型獣脚類の手首の構造が鳥類と同じであることが指摘され、学会では鳥類の恐竜起源説が注目され始めた」として、近年刊行される「恐竜図鑑」の獣脚類には「大なり小なり羽毛が描かれている」と述べています。
 また、「大型の恐竜は体内の熱を逃がしにくい」ため、「羽毛は不要であると考えられてきた」が、2012年に報告されたユティランヌス(Yutyrannus)が「羽毛恐竜でありながら、その全長は9mにおよんでいた」ことから、その考えは覆されたと述べています。
 第2章「広大な恐竜化石産地『モンゴル』」では、「卵泥棒」という意味を持つオヴィラプトル(Oviraptor)について、「プロトケラトプスの卵を狙ってやってきて、何らかの理由で近くで死亡した」と考えられてきたが、近縁種キティパティ(Citypati)の化石が、「現生鳥類に見られるような抱卵姿勢で発見された」ことから、「とんだ濡れ衣だったことが1990年代に判明した」と述べています。
 そして、「タルボサウルスは、まちがいなく生態系の上位に君臨していたとみられている」にもかかわらず、「発見される個体数が多い」ことがミステリーの一つとされていたが、「王者タルボサウルスを、その『食料』になることで支えた恐竜がいたようだ」として、タルボサウルスの歯形がついた化石が発見されたデイノケイルス(Deinocheirusu)について、「さまざまな恐竜を掛けあわせたキメラのようなものだった」として、背中には魚食恐竜としつぃられるスピノサウルス(Spinosaurus)ににた帆を持ち、「背中の構造は巨大恐竜で知られる竜脚類のものに似て空洞化が進んで」おり、「足の骨は、鳥脚類のハドロサウルス類のものに」似て、全長は11m、体重は6.4tと推定されるとしています。
 第3章「『レバノン』、暖かく浅い海の記録」では、「不可思議な」「日本の化石」を意味するニッポニテス・ミラビリス(Nipponites mirabilis)について、「日本古生物学会のシンボルマークにも使用されている異常巻きアンモナイト」であり、「蛇が複雑にとぐろを巻いたようなその姿から、一見して『異常巻き』とわかる」としています。
 第5章「日本の恐竜たちと、その他の爬虫類」では、「21世紀に入り10年以上の歳月が立った現在でこそ、日本でも恐竜の化石が産出することはよく知られている」が、「1960年代は『日本から恐竜化石は出ない』というのが常識とされてきた」と述べた上で、1968年に「フタバスズキリュウ」の和名で知られるフタバサウルス・スズキイ(Futabasaurus suzukii)が発見され、1982年には、石川県白峰村を訪ねていた高校生の松田亜規が、「1本の獣脚類の歯化石」を発見したことをきっかけに、手取層群の福井県側からも化石が発見されたと述べています。
 また、兵庫県丹波市について、「2000年代に入って、新たな恐竜化石産地として脚光を浴びるようになった」として、2014年に新種として認められたタンバティタニス・アミキティアエ(Tambatitanis amicitiae)を紹介しています。
 本書は、今現在わかっている白亜紀の姿をビジュアル付きでわかりやすく紹介してくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 恐竜好き少年たちのあこがれ「白亜紀」。大スターであるティランノサウルスとか見るだけで嬉しくなってしまいますが、地味そうに見える他の恐竜や恐竜以外の生き物の化石も楽しです。科博に行くと子供そっちのけで楽しんでしまいます。


■ どんな人にオススメ?

・大きくなった元恐竜少年たち。


2015年8月13日 (木)

イルカ漁は残酷か

■ 書籍情報

イルカ漁は残酷か   【イルカ漁は残酷か】(#2489)

  伴野準一
  価格: ¥907 (税込)
  平凡社(2015/8/13)

 本書は、「和歌山県太地町の追い込み漁とは一体何なのか。追い込み漁でイルカやゴンドウを殺すのは心ない残虐行為なのか、それともそれは牛豚の屠殺と何ら変わるところはなく、反対運動は『かわいい』イルカが殺されることに対する感情論にすぎないのか。そして何より、この亮は古来から続く守るべき伝統漁法なのだろうか」を追ったものです。
 第1章「最後のイルカ漁」では、イルカの殺し方が残酷だという批判に対して、いとう漁協代表理事専務の日吉直人が、「ブリを殺すのも同じじゃん。うるさくいわれなきゃ(食肉のための屠殺・解体は)普通にやるよ。俺ら現場の人じゃん。何も悪いなんて思ってないよ。だって食べるものだから」と語っていることを紹介しています。
 第2章「大地町立『くじらの博物館』物語」では、戦後の南極海捕鯨再開に伴い、「大地の男たちはクジラを求めて南極の氷の海へと出港していった」が、「南極海捕鯨とは所詮は出稼ぎ仕事に過ぎず、町の将来を託すことはできない」ことから、「新しい産業を創生することがどうしても必要だった」と述べ、町長だった庄司五郎が、「大内町を観光の町として再生させる」ことを思いつき、「観光の町として生まれ変わる大内町を象徴する中核的な施設」が、3億円以上を投じた大地町立「くじらの博物館」であり、「博物館は予定通り会館を果たした。展示はどうにか開館に間に合ったが、間に合わなかったのはイルカとゴンドウクジラの生体展示」であったと述べています。
 第3章「大地追い込み漁成立秘話」では、「高度成長時代の真っ直中にあった当時の日本では、1970(昭和45)年頃からイルカのスタントショーを見せる水族館が全国的に増え、生体のバンドウイルカへの需要が急増していた」ことから、「食肉意外に大きな需要が生まれつつあった」として、「突き棒組合の追い込み技術は確実に向上していた」と述べています。
 第4章「価値観の衝突」では、1980年4月9日から長崎地裁佐世保市部で開かれたデクスター・L・ケイトの初公判について、「2年以上にわたって勝本町漁協に協力を申し出、イルカを漁場から駆逐しようと試みたケイトがイルカを逃がしたのは、イルカの捕獲が営利目的に変容したと誤解したからだった」として、「外国人運動家の主張に対してアメリカ的覇権主義や人種差別感情が根底にあると決めつけ、イルカの殺処分について動物福祉的・道徳的な問題に存在を一切認めようとしない日本側。事実関係をないがしろにしてすれ違う双方の主張。今日まで30年以上にわたって継続する長い不毛な論争のすべてがここにある」と述べています。
 第5章「スター誕生」では、「イルカが主役級の役割を演じる劇場映画」である『フリッパー』について、2つのルーツがあるとして、1955年にマリン・スタジオで撮影された『半魚人の逆襲』で半魚人を演じたリコー・ブラウニングが「マリン・スタジオでフリッピーのスタントを目にして、イルカを『リン・ティン・ティン』のジャーマンシェパードや『ラッシー』のコリーなどと同じようなキャラクターとして使えないかと考え始めた」ことと、「この映画でフリッパー役を演じるイルカを調教することになるミルトン・サンティーニ」がアジをとっていた網にかかった若いバンドウイルカをライフルで撃ったときに、「すぐには死なずに、出血しするまでの間『赤ん坊のように鳴き続けた』」ことで罪悪感を感じ、数カ月後に次のイルカがかかったときにイルカを逃し、イルカの調教に興味をもったことで、「サンティーニのイルカ学校」を開設してイルカのトレーニングを始めたという逸話が地域の住民や観光客の間で知られるようになり、映画製作者アイヴァン・トースに「この逸話を下敷きにした長編映画の政策を決意させることになった」と述べています。
 そして、「劇中の設定はあまりにも健全だったが、実際の撮影ではイルカたちは酷使された」として、「イルカたちは芸に成功すると即座に餌をもらえるものと刷り込まれているのに、撮影の都合で褒美の餌がすぐに与えられないこと」にストレスを抱え、問題行動を起こすようになったと述べています。
 第6章「乱獲と生体ビジネスの始まり、包囲網の形成」では、「1970年以来、リック・オリバーは40年以上にわたって飼育下のイルカを野生に戻すために人生のすべてを捧げてきた」が、「彼が解放できたイルカは100頭にも満たない」一方で、「大地では毎年1000頭以上の野生のイルカが殺されている。オリバーにとって大地のイルカ追い込み漁は、彼生涯の努力を完全に否定してあざ笑う悪魔の所業だった」ことから、「彼は『日本のイルカを救え』運動を立ち上げて、全力でこの問題に取り組み始める」と述べています。
 そして2009年のサンダンス映画祭で初公開されたドキュメンタリー映画『ザ・コーヴ』について、「大地の自然風土や風習を客観的に掃海する観光映画ではなく、屠殺されるイルカに涙する女性についてのドキュメンタリーでもない。この町でひっそりと行われているイルカ追い込み漁の実態をできるだけ凄惨に描写して世界的な批判を巻き起こし、追い込み漁を廃絶に持ち込みたいとのがこの映画の意図なのだ」と述べ、その結果、「毎年追い込み漁が始まる9月から翌年の4月まで、シー・シェパードなどの反捕鯨団体やイルカ活動家が、人口3500人の小さな田舎町大地町に押し寄せて居座るようになった」と述べています。
 第8章「幕間劇『くじらの博物館訴訟事件』」では、リック・オリバーが記者会見で、くじらの博物館に「イルカは海のゴキブリである」という言葉が掲示されていると発言したり、サラ・ルーカス父娘が「西洋人お断り」という人種差別を原因として入館を断られたと発言したことについて、「リック・オリバーは平気で事実を歪め捏造し海外に向けて情報発信を続ける。『ザ・コーヴ』と全く同じ構造である」と述べ、「彼ら活動家に対する博物館職員、そして大地町民の怒りは深く静かに広がっている」一方で、「リック・オリバーらが悪意と偏見から誤って伝えたくじらの博物館に関する中傷発言だけは、今もネット上で再生され続けている」としています。
 第9章「夏は終わりぬ」では、「くじら浜海水浴場は、世界で唯一、クジラと泳げる海水浴場なのだ」と述べています。
 そして、リック・オリバーやルーカス親子について、「彼らの嫌悪と偏見が、彼らの見る博物館像を歪めさせ、彼らの行動から常軌を奪ったのだ」とする一方で、「傲岸不遜な彼らに対する反発から、私たちの中からイルカ漁について虚心坦懐に考えようとする機運が失われてしまったこともまた事実である。私たち日本人は、大地町で行われているイルカ漁について真剣に考えてみることなく、反イルカ漁運動に対する反発心から『イルカ漁は日本の文化なのだ』などと安直な主張を繰り返しているに過ぎないのではないか」と指摘しています。
 終章「イルカと人間の現在」では、大地町漁協関係者の間で、「シー・シェパードなどのイルカ漁反対運動が沈静化するなら、屠殺は止めて水族館への生体販売だけに絞ってもいいのではないかという議論が数年前から起こっている」が、「警察は生体捕獲だけに絞っても反対運動は止まらないとの見解で、水産庁も食肉としての屠殺がなくなれば水産業ではなくなってしまうとの理由で、生体捕獲のみの操業は認可しない方針」だとして、「イルカの屠殺が続いているのは、硬直的な行政の体質にも原因がある」と指摘しています。
 著者は、「ここ10年以上、静かなクジラの町、大地町はグローバリズムと観光テロリズムの大波に晒されて、激流に浮かぶ木の葉のように揉まれ続けた。クジラと人、イルカと人の関係は動物福祉運動という大きな潮流の中で、くじらの博物館の開館から半世紀のうちに大きく変わった。パンドラの箱は開いて、最後に残ったのは希望ではなく枯渇だった」と述べています。
 本書は、人間が生きていく上でのイルカとのつきあい方、自然とのつきあい方を考えさせてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 イルカ漁に反対している「活動家」っていう人たちが、欧米でもちょっとアレな人扱いされている様子はわかりましたが、(時には無関係な)ショッキングな画像を広めたり、セレブをそそのかしたりして目的のためには手段を選ばないその行動力には恐れ入ります。


■ どんな人にオススメ?

・わんぱくフリッパーに憧れた人。


2015年8月12日 (水)

確率を攻略する ギャンブルから未来を決める最新理論まで

■ 書籍情報

確率を攻略する ギャンブルから未来を決める最新理論まで   【確率を攻略する ギャンブルから未来を決める最新理論まで】(#2488)

  小島 寛之
  価格: ¥972 (税込)
  講談社(2015/7/17)

 本書は、
(1)数学者が確率を攻略する。
(2)あなたが確率を攻略する。
(3)コイン投げだけで攻略する。
の3つの意味で確率を攻略しようとするものです。
 第1章「身の回りには確率がいっぱい」では、「確率とは、不確実な出来事の『起こりやすさ』を数値化したもの」であり、「世界が不確実に満ちていて、私達がその不確実性の程度を見積もりたいとき、確率はそれを記述し、制御する道具となってくれる」と述べています。
 第2章「確率のいろいろな見方」では、「不確実性とは、『起きたり起きなかったりする現象』あるいは『いくつかの帰結が用意されているが、そのどれになるか予言できない現象』とまとめることができる」が、「このように表現してみても、その指し示すところにはニュアンスのことなるいくつかの解釈があり得てしまう」と述べています。
 また、「大数の法則」について、「部分的には、17世紀のベルヌイや18世紀のド・モアブルとラプラスなどによって成し遂げられたが、決定的な解決を与えたあのは、20世紀のコルモゴロフである」として、コルモゴロフが、「数学的確率を極端に抽象化し、整備することによって、この『大数の弱法則・強法則』を数学的に証明することに成功した」と述べています。
 第3章「確率はナゾだらけ」では、「数学的確率という概念が学習者の頭を混乱させる」理由として、「数学的確率は『次の1回の出来事』について語っているにもかかわらず、現実の『次の1回の出来事』がなにもその数値を明らかにしてくれないから」だと述べ、フォン・ミーゼスは、「次の1回の確率」などという「集団性の外側で定義されるもの」は無意味だと論じたとしています。
 第4章「確率モデルはこう記述する」では、「確率モデルとは、簡単にまとめれば、『出来事』に0位上1以下の数値を割り振ったものだ」として、
(1)不確実現象の根本となる出来事(標本点)を記号で表す。
(2)確率を導入するための基礎となる出来事たち(根源事象)に確率を割り振る。
(3)ステップ2を土台にして、一般的な出来事(事象)に確率を割り振る。
の3つのステップを示し、「ポイントになるのは、『集合』という数学の技術を使って表現する、ということである」と述べています。
 第6章「無限回コインを投げる」では、「私たちが頻度論的確率の立場から欲しい言説」である、「コインを投げると、ちょうどその半分の比率が表になる」という端的な表現を実現するのが、「大数の強法則」であるが、「この教法則を表現するには、これまでの確率モデルではダメなのである。それを実行するには、『無限個の標本点を持った世界』に降り立たなければならない。つまり、『無限』という魔物の力を借りなければならないのである」と述べています。
 そして、「無限集合の理論によって、数学は飛躍的な進歩を遂げることになった。代数学も幾何学も解析学(これは微分・積分を扱う分野)も、これまでには定義できなかった新しい異空間を作り出し、その異空間で数学を展開することが可能になったからである」と述べています。
 第9章「期待値はリターンの目安」では、期待値について、18世紀のダニエル・ベルヌイが提出したパラドクスである「サンクト・ペテルブルグのパラドクス」について、「その賭け自体が『無限回のコイン投げを要する』ものである」ため、「この賭けの期待値を計算するためには、『無限回の行為によって成立する1回の賭けを、無限回寄せ集めて考える』ということが必要になる」と述べています。
 第10章「公平なギャンブルとマルチンゲール」では、「負けている限り、賭け金を倍々に増やしていく戦略」である「マルチンゲール戦略」について、「数学的にはいつかすべての負けを取り返し、プラスの収益を得ることができる」が、「この戦略で確実に儲けるためには、自己資金が無限大にあるか、あるいは、無限に借金ができなければならない」と述べています。
 本書は、数学を攻略するためには通っておいたほうがいい一冊です。


■ 個人的な視点から

 高校の数学でも「確率」はよくわからないままであったりするのですが、計算式はともかく確率の考え方は身につけておきたいです。モンティ・ホールとか面白いですし。


■ どんな人にオススメ?

・確率の考え方を身に着けたい人。


2015年8月11日 (火)

デジタル・アーカイブとは何か 理論と実践

■ 書籍情報

デジタル・アーカイブとは何か 理論と実践   【デジタル・アーカイブとは何か 理論と実践】(#2487)

  岡本 真 (編集), 柳 与志夫 (編集)
  価格: ¥2,700 (税込)
  勉誠出版(2015/6/19)

 本書は、「アーカイブ、とくにデジタル・アーカイブに関心のある方、あるいはこれからそれを勉強したり、それに関係する仕事についてみたいという方を主な対象に、アーカイブとデジタル・アーカイブの関係、デジタル・アーカイブの目標と意義、それを構築・運用していくために必要なこと、それを担う人材と社会制度、これからのデジタル・アーカイブの方向など、デジタル・アーカイブの概要を、とりあえず本書1冊読めばわかることを目的に編集した」ものです。
 第1部「アーカイブからデジタル・アーカイブへ」では、「デジタル・アーカイブ」という和製英語について、「紀元前300年頃エジプトにあった世界最大のアレクサンドリア図書館の再生計画を背景に、東京大学工学部教授(当時)の月尾嘉男氏が発案」したものだとして、「有形・無形の文化資産をデジタル映像の形で記録し、その情報をデータベース化して保管し、随時閲覧・鑑賞、情報ネットワークを利用して情報発信」する構想であったと述べています。
 そして、「デジタルアーカイブとは、網羅的なデジタル情報の総体である。混沌とした情報のカオスとも見えるが、その情報の一片との出会いが時に感動を生み、大きな力になる」と述べています。
 また、「著作権に寄る権利保護のため、各機関では所蔵する多くの資料を用意にデジタル化できない状況にある。すでにデジタル化された資料は『オープン・コンテンツ』を対象としているか、著作権処理をした資料がほとんどである。しかし、各機関には著作権者の不明な『オーファン・ワークス(孤児著作物)』と呼ばれる資料があり、実際に各機関で所蔵している資料のほとんどはこれに該当する」と述べています。
 第2部「デジタル・アーカイブの条件」では、「欧米では、デジタルコンテンツの長期保存に関して、OAISレファレンスモデルという概念モデルが提唱され、一定の定着を見ている」とした上で、「情報システムの問題と並んで『trusted』な組織の存在が重要な要素である」と述べています。
 また、「多くの場合、デジタル・アーカイブは市場とは異なるデジタルコンテンツの分配・流通システムであり、そこにこそ存在がある」として、「市場のみに限定されていない、ということが、デジタル・アーカイブにおいては重要だ」と述べています。
 第3部「これからのデジタル・アーカイブ」では、「非常に雑に言えば、Googleの文化遺産版」であるEuropenについて、「特徴的なのは、このサイトはヨーロッパの文化遺産機関がデジタル化した資料を扱うことだ。36ヶ国の文化遺産組織が参加しており、2014年11月現在なんと3200万件以上の情報を検索できる」と述べています。
 そして、「私達が現在、直面している事態は、紙媒体を前提として考えられてきた出版メディアの生産・流通・利用・保存の全般にわたって見直さざるをえないということである」と述べています。
 本書は、デジタル・アーカイブを知る上で道標となる一冊です。


■ 個人的な視点から

 何台もパソコンを買い換えていると、昔のパソコンのデータは新しいパソコンの中に移されるのですが、そうするとどんどん入子構造になってしまって探してくるのが面倒になるのが年賀状を書いたりする時だったりします。


■ どんな人にオススメ?

・1000年後に記録を残したい人。


2015年8月10日 (月)

知識の社会史2: 百科全書からウィキペディアまで

■ 書籍情報

知識の社会史2: 百科全書からウィキペディアまで   【知識の社会史2: 百科全書からウィキペディアまで】(#2486)

  ピーター バーク (著), 井山 弘幸 (翻訳)
  価格: ¥5,184 (税込)
  新曜社(2015/7/17)

 本書は、『知識の社会史―知と情報はいかにして商品化したか』の続編であり、「われわれはどのような道をたどって、現在の知識全体を得たのか?」という問いに答えようとするものであり、著者は、「以下に書くことは全般的な総合(general synthesia)の試みであり、精髄だけを凝縮する仕事(distillation)であり、あるいはより性格には、科学史家が言うところの『仲間の歴史形の研究を集めてきて、そこから略奪し(raiding)、組み直し(rearrangeing)、そしてときおり改変(revising)すること』である」と述べています。
 第1章「意識を集める」では、「知識の社会史を語るのであれば、さまざまな集団の人間が、知識を獲得し、処理し、普及し、利用する、その方法に関心を持つ必要がある」とした上で、「われわれが扱う最初の一世紀すなわち1750年から1850年にかけて集められたり、蓄えられた知識の量は驚くべきものであり、とくにヨーロッパ人が世界各地で収集した動物相、植物相、地理そして歴史に関する知識は膨大である」として、この時代を「第二の発見時代」と語る歴史家がいても不思議はないと述べています。
 また、「19世紀には異国の文化から西欧の博物館へと、問題ある方法で多くの芸術品が運び込まれた」として、ナポレオン3世が、「コロンブス以前のメキシコ芸術の重要な作品」を略奪し、「西アフリカの都市ベナンの有名なブロンズ像は、町を焼き払った1897年の『懲罰的遠征』後にイギリスの博物館に届き始めた」とした他、1900年に中国に介入した連合軍が「北京で略奪を行い多くの彫像、陶磁器、翡翠工芸品などを西欧の博物館へと持ち去った」とし、その直後に起こったイギリスのチベット遠征では、「多くの寺院が略奪を受けた結果、西欧の収蔵品は豊かになった」と述べています。
 第2章「知識を分析する」では、「現象をさまざまな範疇(カテゴリー)に当てはめるという意味での分類(classification)は、いつの時代にも行われてきたが、歴史家が興味を抱くのは再分類(reclassification)の方である。分類体系の大規模な変化はめったに起きないが、そのいくつかがわれわれの時代に起きていた」と述べています。
 そして、「さまざまな学問分野において、すでに論じた事物の奥底へと突き進むという意味での分析を重視する傾向が強くなってゆく。物理学者は説明のために数学に目を向けるようになった。物理化学者はぶつりをしこうするようになる。天文学者と生物学者はいずれも物理学と化学に目を向けるようになった」として、「異なる知識の分野の研究者が自然科学の言語に惹きつけられ、場合によっては自然科学の方法に魅せられた」と述べています。
 第3章「知識を広める」では、「知識を『誰に伝えるのか』という問題」について、
(1)地理的:世界のある地域に関する知識が、ますます他の地域の人々に伝えられるようになっている。
(2)社会学的:知識はますます大衆化している。
の2つの答えを挙げています。
 そして、「われわれの時代〔近代後期〕の前半は、政府においても実業界においても、書くことがますます重要なものとなった」とした上で、「書くことは管理や支配ばかりでなく敵対や反抗にも用いられた」と述べています。
 第4章「知識を使う」では、「情報検索(information retrieval)のいちばん手軽で広く行われている形態は、人間の記憶に頼ることであるが、何しろ記憶には限界があり間違いもあるので、これまで長いあいだ人工的な補助手段を講じてそれを補う試みがなされてきた」とした上で、「実業界の最近の世代では、管理における知識から知識の管理(management og knowledge)へと関心が移ってきている」と述べています。
 また、「大学は長いあいだ知識のための知識、『純粋』あるいは『基礎』研究の砦と考えられてきた」が、「しばしば行政官僚を要請する場」でもあり、「ヨーロッパの大学とくらべると北アメリカの大学のほうが、職業訓練や応用知識を学ぶ場を多く提供してきたし、現在もなお提供している」と述べています。
 第5章「知識を失う」では、「知識の意図的喪失と意図せざる喪失の両方について吟味」するとして、
(1)知識の隠蔽:検閲や故意に誤った情報を流すことを含む。
(2)知識の破壊:偶然や意図的になされる場合がある。
(3)知識の廃棄:知識が古くなった結果あるいは陳腐なものだと信じられた結果失われる。
の3つの過程に焦点を絞って論じています。
 第6章「知識を分割する」では、「学問の共和国はまず科学の共和国に取って代わられ、ついで科学者の共同体のような学問分野の集団が登場した。最近になってさらに専門的な集団、例えば結晶学者の集団やタンパク質学者の集団が現れている」と述べた上で、「共同作業は学問の共同体の中で長らく存在していたが、広く普及し重要なものになったのは、最近の数十年である。大学の外部、とくに産業や政府における発展に促されたものであった」と述べています。
 第7章「知識の地理学」では、「近代初期の時代、学問の世界はしばしば国家に譬えられ、学問の共和国(commonwelth of learning)とか『知識の共和国』(republique des letteres, Gelehrtenrepublikなど)と言い表されていた。この共和国は本質的には想像の共同体であり、政治的隠喩をさらに拡張することによって、議会、法律などをもつものとして言及された」と述べています。
 そして、「現況地帯は文化的遭遇、衝突そして翻訳の起こる場所であり、しばしば新しい知識や新しい思想を生み出すのである。このような遭遇、衝突、翻訳は、人びとの移動、亡命や移民によっても引き起こされる」と述べた上で、「ヨーロッパの知識は『西洋(ウェスタン)』の知識になりつつあった。と同時にこの『西洋』の知識は世界中に散らばり、普及の過程で変容し、言語的、文化的な翻訳を受けることになった」としています。
 また、「普及の過程は、需要と供給という2つの観点から眺める必要がある」として、「一部の地域では西洋の知識の普及は帝国主義的事業の一部として西洋人の手で促進された」一方で、「西洋知識の需要はとくに3つの事例、エジプト、中国、日本において顕著である。コレラのどの例においても、国家が西洋知識を受け入れることは、本来、西洋の驚異に対する防御的な反応であった」と述べ、「歴史家にとって重要な問題は、アジア人が西洋の範型(モデル)に倣ったか否かを確定することではなく――実際には明らかに倣ったわけだが――、むしろ、2つの範型と地域的伝統に認識的距離と、実際に起きた適応や吸収の程度を評価することなのである」としています。
 第8章「知識の社会学」では、「フランス革命はボルシェヴィキ革命の時代に起きた主な政治事件は、ナポレオンとヒトラーの抬頭、そして第一次及び第二次世界大戦であるが、いずれも学問お共和国や他の知識の形態に対して重要な結果をもたらした。知識の政治学は、研究と政府のあいだの関係を超える、はるかに大きな主題(テーマ)である」と述べ、「1940年代から今日まで、アメリカ合衆国の知識における郡部の役割は、誇張しきれないほど大きいものである」として、「1940年代以降のアメリカ合衆国は――著者の結論ではないのだが――、外交政策の過程で政府が設ける優先性に依存する研究助成の有用性によって、学者の成功や研究の進むべき道が方向づけられる、類例がないほど明確な事例を提供してくれる」と述べています。
 第9章「知識の年代学」では、「技術、制度、心性そして慣習はそれぞれ異なる速さで変化してゆく。とくに『革新(イノヴェーション)の制度化』と言われるものが起きた時代には、技術は急速に変化する。社会とその制度の方はもっとゆっくり進む。いわゆる制度的『惰性』(inertia)の結果である。最後に変化するのは心性と慣習であり、現代の世界になおも存在する過去を浮き彫りにする」と述べています。
 そして、「長期間の傾向で最も顕著なものは、いわゆる知識の爆発的増加である」として、この隠喩は、「急速な拡大と断片化という2つの概念を手際良く結びつける」と述べています。
 また、「1750年代以降に起きて変化は、革命というよりは知識の再編成(reorganization)と言った方がいいかもしれない」とした上で、「第2次世界大戦は、大規模な戦争であったが、マンハッタン計画とそこに結集した科学者の大集団が、高度な技術を持ち政府から多額の援助が得られる集団としての新しい時代の象徴となり、知識の歴史の一大転機となったことが重要である」と述べています。
 さらに「第三の科学革命は、最も一般的には二十世紀後半に起きた変化に対して用いられる言い回しである『第三の産業革命』と関係が深い」として、「この時期のもう一つの大きな動向は、知識の領域における西洋の凋落である」と述べています。
 また、「知識のグローバル化もまた明確なものとなっている」とともに、「もうひとつの大きな潮流は知識の民主化である」と述べた上で、「グーグルの『独占的傾向』は厄介な問題となっている。これはかつて公共の知識であったものが、専売特許(パテント)を通して私有化するようなものであり、前の章で論じた『情報の封建主義』へ向かう傾向でもある」と述べています。
 本書は、現代に至る知識と社会との関わり方を論じた一冊です。


■ 個人的な視点から

 知識について考える時には、現在ある姿を観察することも重要ですが、ここまでに至る道程を数百年単位で振り返ることのほうが実りは多そうです。


■ どんな人にオススメ?

・「知識」とはどういうものかを考えたい人。


2015年8月 9日 (日)

消えゆく熱帯雨林の野生動物

■ 書籍情報

消えゆく熱帯雨林の野生動物   【消えゆく熱帯雨林の野生動物】(#2485)

  松林 尚志
  価格: ¥1,836 (税込)
  化学同人(2015/8/6)

 本書は、ボルネオ島マレーシア領サバ州の熱帯雨林で野生哺乳類の生体や行動を研究している著者が、「熱帯地域に生息する絶滅危惧動物の現状と保全アプローチについて、5回の集中講義で紹介」するものです。
 第1章「絶滅の危機にある東南アジアの野生動物」では、種の絶滅について、規模の大きさにより、
(1)大量絶滅(カタストロフィによる種の絶滅)
(2)地球規模での種の絶滅
(3)地域的な種の絶滅
の3つに分類されるとした上で、「人間活動によって多くの野生動物が絶滅の淵に追い込まれている」として、
(1)乱獲
(2)開発やそれに伴う汚染などによる生息地の消失
(3)捕食や競合、感染症の原因となる外来種の持ち込み
の3点を挙げています。
 そして、「野生動物の楽園のイメージがあるボルネオ島、しかしそこは生息地そのものが絶滅の危機に瀕している状態である」として、「サバ州の森林地図をみたとき、誰もが気づくこと」として、「少ない保護林と広大な面積を占める商業林」を挙げ、「野生動物を考慮した商業林管理」に言及しています。
 第2章「生物多様性のホットスポット、塩場」では、「ボルネオ島の熱帯雨林は、地球上の生物多様性ホットスポットの一つ」とした上で、ここでの「商業林」とは、「日本のスギやヒノキ林のような人の手によって植栽された人工林ではなく自然林」を指し、「伐ることができる森林」であると述べています。
 そして、「塩場(塩なめ場)」について、「海から離れた内陸部は、沿岸部に比べてより深刻なナトリウム不足に陥っていると考えられる」が、「森の中にはナトリウムをはじめとするミネラル類に富んだ環境」である「塩場」と呼ばれる「特定の湧水あるいは土壌」があり、「熱帯地域での塩場研究といえば、中南米やアフリカで盛んであったが、東南アジアではほとんど行われていなかった」と述べています。
 そして、著者らが「2003年から開始した塩場調査の結果、野生動物にとっての塩場の意義を科学的に示すことができた」ことで、「2008年からサバ州森林局は、生息地保全として塩場周辺環境の重点保護を森林管理に採用する」ようになり、「さらに、絶滅危惧動物のオランウータンが、塩場を高い頻度で訪問すること、そして、塩場がオランウータンにとって生理的な意義に加えて社会的な意義もあることを示した」としています。
 第3章「野生ウシ、バンテンに迫る」では、「精悍な顔で筋肉質のたくましい外貌」をもつ野生ウシのバンテンについて、サバ州における調査の結果、「ミトコンドリアDNAの一部配列であるチトクロームbやD-loopの結果からは、家畜ウシとは離れていることが示された」と述べ、「一般に自然環境下において、野生ウシのオスが家畜ウシのメスと交配することがあっても、その逆の可能性は非常に低い」ことから、「調査個体については、家畜ウシとの交雑はなく、純血であるということが言えるだろう」としています。
 そして、「シビタンのバンテンは、パルプ・プランテーションの開発によって、低地から高標域に追い込まれ、さらにその範囲は狭められていったのだろう」としながらも、「地形が急峻で、囲い込みが容易ではないここと、何より一番の問題は、この地域で開発側と地元住民との間で軋轢が生じていることであり、それを無視して、この地域をバンテンの保全地域にすることは難しいと感じた」と述べています。
 また、「今回、新たに確認された生息地も含めた中で、これまで全く注目されていなかったパイタン商業林が、ボルネオバンテン飼育繁殖計画に最も適した場所であることが分かった」と述べています。
 第4章「絶滅危惧動物フィールドレポート」では、「東南アジア以外の熱帯地域に生息する絶滅危惧動物を取り上げることで、問題点の共通性や地域性を理解したい」としています。
そして、ライオンが家畜だけでなく人間を襲う事例が増えている理由として、「人口増加によるライオン生息地への人間の生活圏の拡大や、ブッシュミート需要に伴う狩猟者の増加により襲われる機会が増えたこと」などを挙げ、「農作物収穫期、農作物をイノシシなどの害獣から守るために農民が畑の中に作った小屋での就寝時に急増する」と述べています。
 著者は、「どの地域においても、被害者らは報復として加害動物を殺傷するケースが後を絶たない」として、「野生動物の生息地保全に目を向ける際、そこには開発に翻弄される野生動物同様、人間どうしの問題をも垣間見るだろう」と述べています。
 第5章「絶滅危惧動物のゆくえ」では、「ヒトおよびヒト以外の脊椎動物を宿主とする病原微生物が、どちらにも病気を発症させる感染症」である「ズーノーシス(zoonoses:人獣共通感染症)」について、「ズーノーシスの自然宿主としてコウモリ類が多いことの理由」として、
(1)コウモリは哺乳類の種類の2割を占めるほど繁栄している。
(2)飛翔能力を持つために利用空間が広く、接触する機会が多い。
(3)巨大な集団ねぐらをつくるため集団内にウイルスが広まりやすい。
(4)小型哺乳類としては寿命が長いためウイルスの保持期間が長い。
などを挙げています。
 本書は、人間と野生動物の関わりを、開発と保全のどちらか一辺倒でない目線から描いた一冊です。


■ 個人的な視点から

 野生ウシを追跡する話は呼んでいて楽しいですが、やはり危険とも隣り合わせの土地なので、続きはまた別の本で読んでみたいです。


■ どんな人にオススメ?

・熱帯雨林に夢をはせる人。


2015年8月 8日 (土)

グラフ理論の魅惑の世界- 巡回セールスマン問題、四色問題、中国人郵便配達問題・・・

■ 書籍情報

グラフ理論の魅惑の世界- 巡回セールスマン問題、四色問題、中国人郵便配達問題・・・   【グラフ理論の魅惑の世界- 巡回セールスマン問題、四色問題、中国人郵便配達問題・・・】(#2484)

  アーサー・ベンジャミン, ゲアリー・チャートランド, ピン・チャン (著), 松浦俊輔 (翻訳)
  価格: ¥3,672 (税込)
  青土社(2015/7/24)

 本書は、「グラフ理論という、今まであまり、あるいはまったく触れたことがないかもしれない分野に読者を案内する」ものです。著者は、「本書で取り上げることはたくさんあるが、その中には、実に興味深い問題、あるいは疑問が、数学的に解決されるだけでなく、数学のあるテーマ全体に繋がる場合が多々あるという話もある」と述べています。
 第1章「グラフ登場」では、「『グラフ』Gは点(『頂点(ヴァーティクス)』と呼ばれる)と線(『辺(エッジ)』と呼ばれる)の集合で、2つの頂点の間に何らかの関係があれば、辺で結ばれる」と述べています。
 そして、「そもそもグラフ理論と呼ばれる数学の領域」はなかったが、「1891年、グラフを数学的な対象として扱う最初の純粋に理論的な論文が、デンマークの数学者ユリウス・ピーターセン(1839~1910)によって書かれていた」として、「ピーターセンがこうした対象を『グラフ』の名で呼んだことが、多分、その後ずっとその名が使われることの決定的な因子だったのだろう」と述べています。
 第2章「グラフの分類」では、「すべての頂点の次数が同じというグラフ」である「正則グラフ」について、「正則グラフの研究の始まりは1891年にさかのぼる。実は、この類のグラフは、グラフ理論について書かれた最初期の理論的論文の主たる研究領域をなしていた。この論文は、デンマークのす学者ユリウス・ピーターセンによって書かれた」と述べています。
 また、「2つのグラフが同じ構造を持つ場合、その2つは同じと考えられる」として、専門用語では、「そのような2つのグラフは『同型』(isomorphic)であると言う」と述べています。
 第3章「距離の分析」では、「8×8のチェス盤に、5つのクイーンを、空いたマスがすべて、少なくとも1つのクイーンが利いているように置くことはできるか」という問題について、「グラフでの支配(ドミネーティング)集合というテーマの起源と考えることができる」と述べ、「1958年、フランスの数学者クロード・ベルジュ(1926~2002)は、『グラフ理論とその応用』という、グラフ理論について書かれた史上2番めの本」を書き、その中で初めて、「グラフの支配数の概念を定義した」と述べています。
 また、ハンガリーの数学者ポール・エルデシュ(1913~1996)について、「エルデシュにまつわるユーモラスな概念」として、「数学者それぞれをAとすると、協力グラフでのエルデシュからAまでの距離をAの『エルデシュ数』と言う」と述べ、「エルデシュ本人は、エルデシュ数が0である唯一の人物となる。エルデシュとの共著論文がある数学者はエルデシュ数1とする」であるとして、「エルデシュ数2のす学者は600人を超える」とし、「エルデシュ数について言えることの一つは、それが時間の関数になっているということだ。特に言えば、一人の数学者のエルデシュ数は、時間とともに減ることはあっても、増えることはない」と述べています。
 第4章「木の構成」では、「閉路を含まない連結グラフは『木(ツリー)』と呼ばれる」とした上で、「何らかの頂点rが根として指定されるような木Tのこと」を「根付き木」であると述べ、「根付き木は、いろいろな状況を表すのに使える。とくに役に立つのが、次々と比較をすることによって答えが見つかるような問題に遭遇したときで、この場合、木の各頂点vで決定が行われると、弧(v,u)を通って頂点uで行われる別の意思決定へと導かれるようになっている。これを、問題に対する答えが見つかったことを示す、葉に達した状態になるまで続ける。この理由によって、そのような根付き木は『決定木』と呼ばれる」と述べています。
 第5章「グラフのトラバース」では、ケーニヒスベルクの市民が、「7本の橋を1回ずつ渡って町を歩くことができるか」という問題について、「ケーニヒスベルクの橋問題」は、それを示したマルチグラフについて、「オイラー回路あるいはオイラー小道を含むか」という問題に言い換えることができると述べています。
 そして、「オイラー論文で実際に明らかにされたのは、オイラーグラフのすべての頂点は遇であることと、オイラー小道を含むグラフにはちょうど2つだけの奇頂点があるということだった」と述べています。
 また、1962年に中国の数学者クアン・メイクー(管梅谷)による、「郵便配達員が郵便局を出て、配達路上の各街路沿いに配達すべき郵便を持っている。郵便を配達し終えると局へ戻る」として、「これをすべて終える順路の最小の長さを求めること」とする問題について、「中国人郵便配達問題」と紹介されたと述べています。
 第6章「グラフを一周する」では、「19世紀でも有数の優れた数学者にして物理学者」の一人であるウィリアム・ローワン・ハミルトン(1805~1865)について、「十二面体のグラフ」を含むゲームを発案し、「世界の20都市を1回ずつ通って世界を一周する順路を構成する」もので、プレーヤーは、「20の番号のついたコマあるいは人の集団の一部を何箇所か、あるいは盤上の相手に配置して、必ず図形の線をたどって前に進めるようにし、また相手が指定する、いろいろな条件を満たすように」するものであったとし、「この『イコシアンゲーム』でハミルトンによって提案された問題は、グラフ理論の新たな概念をもたらしただけでなく、数学者に人気の研究領域をもたらした」と述べています。
 また、「チェスのルールに従って、ナイトが8×8のチェス盤のそれぞれのマスを1回ずつ通って出発点に戻ってくる順路はあるか」というナイトツアーに対応するグラフ理論の問題について解説しています。
 さらに、「あるセールスマンが、いくつかの都市を訪れて戻る出張をしようとしている。各都市間の距離はわかっている。各年に1回ずつ寄るとしたら、そのような出張旅行の最小の総距離はいくらか」とする「巡回セールスマン問題」について解説しています。
 第10章「グラフを描く」では、「3軒の家A,B,Cが建設中で、それぞれに家には3種の公共設備、つまり水道、電気、ガスと繋がなければならない」ときに、「どの業者も接続地点から各戸へ、途中、他の設備の配管や他の家を通らずに直接につなぐ必要がある。さらに、3つの設備の業者は、どの配管とも交差せずにピッタリ同じ深さに埋めなければならない。そんなことができるのだろうか」というイギリスの有名なパズル作家・ヘンリー・アーネスト。デュードニーによる「3軒の家と3種の公共設備問題」を紹介しています。
 また、「美術館が、絵が掛けられるn枚の壁で仕切られた一つの大きな部屋でできているとする。壁に掛けられた絵すべてについて、その作品を直線で見通せる警備員が必ず一人はいるようにするには、美術館は何人の警備員を配置しなければならないか」とする「美術館監視問題」を紹介しています。
 第11章「グラフの彩色」では、「過去何世紀かのあいだに、魅力的な数学の問題が数多く登場し、中にはきわめてわかりやすいものもあったが、なかなか解けないことで有名なものもある」として、オーガスタス・ド・モルガン(1806~1871)のロンドン大学ユニバーシティ・カレッジでの教え子フレデリック・ガスリーの兄フランシスが、「イギリスの地図で州を彩色していて、4色あれば、境界線を共有するどの2つの州の色も異なるように彩色できることに気づいていた。そこでフランシスは、これはあらゆる地図について成り立つのではないかと考えた」と述べ、これが有名な「四色問題」という予想を産んだと述べています。
 そして、「四色問題が初めて活字になって述べられたのは、『アテネウム』という文芸誌の1860年4月14日号に掲載された、匿名の書評でのことらしい。書評の筆者は誰か特定はされていないが、ド・モルガンが書いたことは明々白々である」と述べています。
 また、「四色問題と、それをとこうとする過程で考えられた数学が広まることで、グラフ理論は数学の重要な分野となり、彩色はグラフ理論の主要なテーマとなった。実際、グラフ理論の多くの問題が彩色が絡む問題に帰着し、そうして四色問題へと戻っていった」と述べています。
 エピローグ「グラフ理論――回顧と展望」では、「グラフ理論という数学の分野は誕生から3世紀めだが、最初はつつましいものだった」とした上で、「19世紀に紹介されてグラフ理論の発達に最大の影響を及ぼした問題は、有名な四色問題だった」と述べています。
 そして、「ゲーム、パズルなど、娯楽のような問題がグラフ理論を生んだとはいえ、グラフ理論が確かに数学の理論的な一部門であることを示したのは、1891年に出たユリウス・ピーターセンによる論文だった。これがグラフ理論が大きく成長する始まりとなり、この主題は、それに関心を示し、多大な貢献をした多くの数学者によって支えられた」と述べています。
 また、1960年代以来、
(1)グラフ理論に関心がある、あるいは研究をしている世界中の数学者
(2)グラフ理論が主なテーマに入っている世界中での学会、国際会議
(3)グラフ理論が主なテーマの一つである学術誌
(4)グラフ理論が主なテーマか主要なテーマの一つである書籍・専門書
の数が爆発的に増え、「世界がデジタル時代に入り、テクノロジーの時代にしっかり根を下ろすに連れて、通信や社会的ネットワークを取り上げるグラフ理論の応用がますます増え、インターネット一般が栄えるようになっている」として、「ケーニヒスベルクについての興味深いささやかな問題や、地図を彩色するのに必要な色の数に関する疑問が、とどめようのない成長を示す数学の一分野に育ってきた」と述べています。
 本書は、グラフ理論の誕生から現在の繁栄までの成長の歴史を丁寧に紹介する一冊です。


■ 個人的な視点から

 グラフ理論はネットワーク理論との関係で語られることが多いですが、数学の分野としてのグラフ理論それ自体も大変魅力的な世界です。


■ どんな人にオススメ?

・世界を読み解く理論を知りたい人。


2015年8月 7日 (金)

日本的雇用慣行を打ち破れ

■ 書籍情報

日本的雇用慣行を打ち破れ   【日本的雇用慣行を打ち破れ】(#2483)

  八代 尚宏
  価格: ¥2,160 (税込)
  日本経済新聞出版社(2015/4/23)

 本書は、「解雇のルール、女性や高齢者の活用を妨げている雇用慣行、労働時間規制などの論点や、外国人雇用の促進のための新たな仕組みについて」考えたものです。
 第1章「日本の労働市場の何が問題か」では、「日本の労働市場において女性や高齢者の活用を阻んでいる最大の要因として、大企業や官庁を中心に幅広く普及している日本的雇用慣行がある」とした上で、「どの大企業や官庁でも、内部の社員、職員から見れば歴然とした
・良いポスト:企業が重視している成長性の高い業務を抱える部局にあり、すぐれた上司や先輩がいる。
・悪いポスト:ルーティンの業務が多く、ロールモデルとなる上司や先輩も少なく、新たに学ぶ経験の少ない職務。
があると述べ、「社員の人事配置を集権的に決定する人事部が、個々の社員の運命を左右する強大な権限をもっていることが、日本の企業の大きな特徴のひとつである」としています。
 そして、「日本では、欧米のような労使間の階級対立が深刻でない反面、同じ労働者の間に、正社員と非正社員、大企業と中小企業、若年層と中高年層、男性と女性社員などの様々な『労・労対立』が存在している」と指摘しています。
 第2章「効率的な労働時間規制」では、「日本の慢性的に長い労働時間」の説明として、「個々の労働者間での賃金に大きな差がないにもかかわらず、企業内で少しでも良い仕事に就くために激しい競争が行われる」とつぃた「仕事競争(job competition)」モデルを紹介し、「日本の長時間労働は、過去の高い経済成長期に普及した『職務の限定なき働き方』と密接に結びついており、単に社員の意識改革などで改善される問題ではない」としています。
 第3章「女性の管理職比率30%をどう実現するか」では、女性の管理職が少ないことの主因として、
(1)長期継続雇用を前提とした年功的な内部昇進の雇用慣行
(2)専業主婦をもつ世帯主を暗黙の前提とした長時間労働や頻繁な転勤などの働き方
(3)専業主婦世帯を優遇する税制や社会保険制度と、子育てや介護を家族の基本的な責任としている社会制度の残存
の3点を挙げています。
 第4章「『年齢差別』からの解放」では、「企業が負担する社会保障費を抑制することが、雇用需要を増やすために効果的となる」として、「男女にかかわらず高齢者が働き続け、経済成長に貢献するとともに、勤労世代の一員として税や社会保障負担の担い手となることが必要とされる」と述べています。
 そして、「定年退職制を廃止し、貴重な高齢労働者の効率的な活用を図るためには、現行の雇用慣行を前提とした付け焼き刃の対策ではなく、年齢にかかわらず仕事能力に応じた働き方と賃金を受け取れる『年齢に中立的(Age-free)』な雇用システムへの改革が求められる」としています。
 第6章「不安定雇用を助長する労働者派遣法」では、「派遣労働についての最も大きな誤解は、『派遣の規制緩和で非正社員数が増えた』という論理」であり、「非正社員の傾向的な増加は、雇用保障のある正社員への需要を支えてきた過去の高い経済成長の減速の結果であり、むしろ正社員の問題である」と述べています。
 第7章「労働契約法の正しい活用を」では、「従来の正社員だけを『良い働き方』として保護し、それ以外の働き方を規制で抑制するのではなく、無期・有期の雇用契約と、有期契約でも直接雇用と間接雇用など、多様な働き方の選択肢を広げるためには、それらの間の均等待遇について、法律上、担保することが基本となる」と述べています。
 第9章「日本的雇用慣行の相互補完性:なぜ『岩盤規制』なのか」では、「欧米の大学では、修士号・博士号という『タテの学歴』が重視されるのに対して、日本では入学の難易度の高い大学の学士号がより高い評価を受ける『ヨコの学歴』が重視される」と述べています。
 本書は、日本における働き方を考える上で基本的な論点をコンパクトにまとめた一冊です。


■ 個人的な視点から

 タイトルこそ威勢のいいものではありますが、内容的には比較的オーソドックスな理論の解説がされており、労働経済学の世界への入門書として一つの入口になるのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・日本の雇用慣行のどこがおかしいのかを考えたい人。


2015年8月 6日 (木)

移民たちの「満州」: 満蒙開拓団の虚と実

■ 書籍情報

移民たちの「満州」: 満蒙開拓団の虚と実   【移民たちの「満州」: 満蒙開拓団の虚と実】(#2482)

  二松 啓紀
  価格: ¥907 (税込)
  平凡社(2015/7/17)

 本書は、「満州」について、「出征兵士ではない、となり近所の人達や学校の同級生たちが日本海をわたり、異国の地で予想もしなかった戦争に巻き込まれる」という「隣人たちの戦争体験」として語ったものです。
 第1章「満州国の誕生と大量移民の幕開け」では、「『満州』とよばれた中国東北地方に在住した日本人は約23万人、全人口3000万人に対して1%弱だった」と述べています。
 そして、満州の匪賊は、盗賊とは異なり、「いわば私設の用心棒」だったが、「満州事変以降、土地を奪われた中国人農民が匪賊化した他、日本人に反抗しただけで中国人農民を匪賊と断定した」と述べています。
 第2章「日中戦争と満州移民」では、「戦争は、満州移民を進める上で決定的なマイナス因子だった」として、
(1)農村の若年層が大量に出征する。
(2)戦争は特需をもたらし、産業界も労働力を必要とする。
の2点をあげる一方、満州移民推進派も、
(1)満蒙開拓青少年義勇軍
(2)分村移民
という周到な準備をしていたと述べています。
 第3章「模範村『大日向村』の誕生」では、「満州移民は移民史からみた場合、きわめて異質な存在だ。低賃金で働く底辺の労働者ではなく、最初から支配層としての地位が保証されていた」と述べた上で、満州移民を語る上で欠かせない存在である長野県南佐久郡の大日向村について、農村文学で知られる和田傳の小説『大日向村」を挙げ、「当時の知識層は農村問題に心を寄席、何らかの解決策を見出そうと努力を重ねてきた」が、「そんな時、突如として現れたのが、満州移民だった」と述べています。
 そして、『大日向村』がベストセラーになり映画化される一方で、現実の大日向村では、軍需景気に伴う鉱山景気で、「損害からの移民を受け入れる村になっていた」と述べています。
 第4章「形骸化する満蒙開拓事業」では、「分村移民は国や道府県を上げた官製移民になっていたが、満州移民を『落伍者』とする考え方が一般に根強くあり、移民を推進する上で一つの妨げになっていた」と述べています。
 そして、「軍需景気が地方の隅々まで浸透し、貧困対策としての満州移民は完全に時期を逸していたと述べています。
 第5章「戦争末期の満州と満蒙開拓団」では、「ソ連参戦と満州不法海の結末を知る現代のわれわれから見れば、なぜ戦争末期に満蒙開拓団を送出したのか、死に追いやるような酷い行いをしたのかと、素朴な疑問が生じる」が、「当時の人達の感覚からすれば、渡満は一つの選択肢」であり、「空襲で家屋を失った戦災者たちが、戦火を逃れたい一心から満蒙開拓団として日本海を渡る例もあった」と述べています。
 第6章「日本人の大量難民と収容所」では、「1945年11月ころになると、日本人難民の状況が明らかになった。在満日本人約160万人のうち、難民は40万人余。1ヶ月あたり5万トンの船舶量を使ったとしても、すべての帰国完了までに約4年は必要だと予測された」と述べ、「日本人女性に残された道は、中国人の妻になって生き延びるか、収容所で餓死を待つかの二つだった」としています。
 第7章「引揚げと戦後開拓」では、「敗戦後、日本人の引揚げ事業は東西冷戦が色濃く反映した」として、「アメリカを中心とする西側の占領地域では船舶があるかぎり、すみやかに帰国が進められた」一方で、「日本の敗戦とソ連の占領を経て東西勢力が入り乱れた満州では、中国国民党と中国共産党との対立から、都市や地域によって支配者が異なる状況が生じた」ため、「随所に検問所が設けられ、人や物資の流れが厳しく制限された」と述べています。
 そして、「引揚者たちにとって、京都は耐えがたい街だった。戦禍のかけらすらない。日常が流れ、笑顔さえある」と述べています。
 また、戦後開拓事業の開拓者たちが、「もう一度満州に行きたい」と語っていることについて、「意外な気もするが、敗戦後の混乱さえなければ満州の生活が良かったとする声は大日向の人たちにかぎらず、圧倒的に多い」と述べています。
 第8章「18歳のシベリア抑留」では、「満州体験者には2つの収容所がある」として、
(1)女性や子どもを中心とした日本人難民収容所
(2)シベリアの強制収容所
の2点を挙げ、「スターリンは大量の日本人男性を拘束し、無償の労働力として自国の戦後復興に役立てる計画だった」として、「日本の緻密な軍組織を最大限に活用した、国際法を無視した史上最大の拉致事件だった」と述べています。
 終章「消えない『満州』の残像」では、「多くの場合、日本人が満州へ渡れば、貧しさから開放され、誰もが手軽に豊かさを手にすることができた。その豊かさは、他者の犠牲によって成り立つフィクションの世界だった」と述べ、「満蒙開拓団は、紛れもなく地方が直接加担した“戦争”だった」と述べています。
 本書は、当人たちの口から語られることの少ない身近だった戦争を語った一冊です。


■ 個人的な視点から

 こういった過去の信頼と実績のお仕事ぶりを見てしまうと、現在進められている「田舎暮らし」キャンペーンもさもありなんというか、やっぱりそうなんだろうなと思ってしまい、こんなことならまだ東京で消耗してしまおうかと思ってます。もちろん好きで行く人は止めませんが。


■ どんな人にオススメ?

・どこかに新天地があるに違いないと思ってしまう人。


2015年8月 5日 (水)

ウルフ・ウォーズ オオカミはこうしてイエローストーンに復活した

■ 書籍情報

ウルフ・ウォーズ オオカミはこうしてイエローストーンに復活した   【ウルフ・ウォーズ オオカミはこうしてイエローストーンに復活した】(#2481)

  ハンク・フィッシャー (著), 朝倉 裕 (翻訳), 南部 成美 (翻訳)
  価格: ¥2,808 (税込)
  白水社(2015/4/17)

 本書は、「時の政治情勢とも連動し、現在も流動的な、きわめて複雑なオオカミ復活問題」の全容を復活に携わった当事者が語ったものです。
 第1章「オオカミを誘拐せよ」では、1995年1月10日、「カナディアンロッキーの小さな丘に棲む、ごく普通の、目立たないオオカミの家族」が、「世界中で最も有名なオオカミになった」として、彼らが1000キロ以上南のイエローストーン国立公園とアイダホ州中央部に運び込まれたことについて、「もっと注目して欲しいのは、オオカミたちの旅を実現させるまでの70年の長きにわたる出来事の連続の方だ」と述べています。
 第2章「消えゆく西部」では、「西武の人々は19世紀の終わりまで、伝説的なオオカミを創作してきた。大型の狩猟対象動物を高速のライフルの弾丸よりも素早く殺戮する動物(アニマル)。家畜の群れを、ひとっ跳びですべて横たわる死骸に変えてしまう野獣(ビースト)。怪物的な残忍さと途方もない狡猾さを備えた生物(クリーチャー)」と述べた上で、「かつての世代の行き過ぎた行為が、ただ憎悪と卑劣な精神のせいだと決めつけるのは安直にすぎるだろう」としています。
 そして、「イエローストーン地域におけるオオカミ生息数の初期の見積もりは、3万5000頭以上だった」として、「この数値に比べたら、現代の我々のオオカミを復活させようという計画がいかに控えめなものかわかるだろう」と述べ、「オオカミの視点から見れば、1880年代初頭の膨大な家畜の群れの到来は天の恵みに思えたに違いない」と述べています。
 また、「もし、連邦生物調査局と公園局がなかったら、オオカミはイエローストーン公園内で生き残れていたかもしれない――この2つの連邦政府機関が狼を根絶やしにしようと力を合わせたのだ」と述べています。
 第4章」害獣からロックスターへ」では、L・デイヴィッド・ミッチについて、「オオカミ研究のためにロイヤル島で3年間過ごし、バデュー大学の博士号を得た。オオカミ研究のスター誕生だ」と述べています。
 そして、「オオカミについての広報が好意的なものになるにつれ、大衆のオオカミ保護への意識が変わるのも不思議はない」として、「今日ほとんどのアメリカ人はオオカミがこの世に存在するに値すると信じている」と述べ、「70年代に起こった環境保全上の2つの出来事が節目となり、そこからイエローストーン公園にオオカミが再導入される道が開かれていくことになった」として、
(1)捕食動物の毒殺の禁止
(2)議会が絶滅危惧種法(ESA)を可決したこと
の2点を挙げています。
 また、「一般大衆がオオカミについて知り、許容する度合いが格段に高まっていたにもかかわらず、オオカミ再導入が現実のものとなるまで、自然保護関係者たちはなおも険しい戦いの道を歩むことになる」と述べています。
 第6章「教えて、オオカミ博士」では、「大方の牧場主たちは、とげとげしい論争になりがちなグリズリー管理の議論に基づいてオオカミのことを考えていた」ため、オオカミとグリズリーの違いとして、
(1)オオカミは人を襲わない
(2)オオカミは人間の食べ物には誘引されない
(3)オオカミはグリズリーより繁殖率が高いため、家畜を襲うような個体は駆除が許される余地がある
の3点について説明したとして、「私は真実を知り尽くしていたが、彼らの信念を覆すことはできなかった」と述べています。
 第7章「波をつかむ」では、1985年6月にイエローストーン公園内で開催した「オオカミと人間」展が大当たりし、「市民の支持を集めることが私たちの最終目標だったが、その展示がもたらしたもっとも重要な変化は、公園局そのものだった。熱心な観客の質問に応え続けた3ヶ月の間に、公園局の従業員や管理者は時代の波をつかみ始めた」と述べています。
 第8章「善人、悪人、不可解な人」では、「地区産業界のリーダーたちが繰り返し持ちだす一つの論点」として、「彼らは1984年のアイダホ州セント・アンソニーの牧場主らと同じく、オオカミそのものは恐れていないといった。彼らが求めていたのは、適切な管理事業が用意されることと、連邦当局と環境活動家が公有地から畜産農家を締め出す口実に、オオカミを使わないという確約だった」と述べています。
 第10章「オオカミは面白い」では、オオカミ復活事業のリーダーに雇われたエド・バングスにとって、「仕事を引き受けた頃の連邦魚類野生生物局のオオカミ復活事業は、論争の真っ直中にあった。いざこざの解決に取り組むのが大好きな人物にとっては、まるでお祭りの真っ最中のようなものだ」と述べています。
 第12章「反オオカミ派が迫る」では、「モンタナ州のオオカミは数を増やし続けていた。畜産業界のリーダーたちはマクルーア上院議員のロジックを反芻した――オオカミが来てしまう前にオオカミ管理のルールをつくるほうが利口なのではないか。さもなくば交渉の余地なしだ。一度オオカミが自力で移動してきたら、環境保護活動家たちは絶滅危惧種法(ESA)が提供する完全な保護を要求するだろう……」と述べています。
 第13章「決戦の時」では、「1992年4月、魚類野生生物局は公園局・森林局と協力して、34回の会議を開」き、「型にはまった公聴会ではなく、市民と生物学者がざっくばらんに話し合う《オープンハウス》だった。この形式は、市民を教育し、環境影響評価書が何を課題として取り上げるかについて市民の意見を探るいい方法だった」が、「反オオカミ派の政治は怒り狂った。これは彼らが望んでいたような騒々しい市民参加の会議ではなかったからだ。協力ではなく摩擦を起こすことが彼らの望みだった」と述べています。
 そして、1992年8月に開かれた「反対派が扇動した、政治的な動機による公聴会は、皮肉なことに支持派に驚くべき勝利をもたらした」と述べています。
 第14章「野生への復帰」では、「イエローストーン公園へのオオカミの復活には、確かに幾つもの歴史の皮肉がある。70年近く前に公園からオオカミを絶滅させたまさにその機関――国立公園局と連邦魚類野生生物局の前身だった組織――が、今や最も強力な再導入支持派なのだ。また、政府当局がオオカミを根絶するのにかかった時間は偶然にも、同じ政府の役所がオオカミを復活させるのにかかった時間と同じだった――およそ20年だ」と述べています。
 そして、「1995年3月21日、公園局の生物学者は囲いからオオカミを放ち始めた。金属製の扉がいっせいに開かれ、イエローストーン公園はもう一度、《完全な自然》に戻る道へと踏み出した」と述べています。
 本書は、オオカミを失ってから再び取り戻すまでの70年を描いた一冊です。


■ 個人的な視点から

 世界的大スターのシー・シェパードさんたちの活躍の影響か、環境活動家の皆さんというとなんとなくお友達にはなりたくない雰囲気を漂わせていますが、やはりオオカミというか頂点捕食者は森に必要だと思うのです。


■ どんな人にオススメ?

・オオカミは怖い人。


2015年8月 4日 (火)

子どもの幸福度

■ 書籍情報

子どもの幸福度   【子どもの幸福度】(#2480)

  小林 良彰
  価格: ¥2,970 (税込)
  ぎょうせい(2015/6/12)

 本書は、「全国の自治体がお互いに『子どもの幸福度』を競い高め合うことで、全国の『子どもの幸福度』に少しでも寄与すること」を目的としたものです。
 第1章「『子どもの幸福度』を測る」では、「貧困の『負の連鎖』を断ち切るために、社会全体として成すべきことを明らかにすること」を目的に、「幸福度の構成要素を探索的に分析する」としとともに、「子どもの幸福度の研究に対して研究蓄積を行う」としています。
 そして、合計の「子どもの幸福度」では、全国1位の福井県が突出し、石川県、秋田県、富山県、新潟県が続く一方で、大阪府、北海道、沖縄県、福岡県、兵庫県が下位に位置しているとしています。
 また、「健康であることと大学進学が『豊かさ』という経済的な側面に対して影響を持っている」とした上で、「『地域・家族』から『安心・安全』と『教育』へ直接繋がる経路、および『安心・安全』を経て『教育』と『健康』へ繋がる経路を見ることができ」、「さらに、『教育』から『健康』を経て『豊かさ』へつながる経路が示される」と述べています。
 第2章「子育て支援―出産前~育児期でのフォロー」では、「少子化対策に関する国の変化と地方独自の課題について概観した上で、それらの施策を先取りし、実践を進めている福井県の少子化対策について検討する」としています。
 そして、「地方自治体の少子化対策は、人口の自然減を押しとどめる出生数の増加策と、人口の社会減に歯止めをかける定住策をセットにして考えていかねばならない」と述べ、「福井県では、仕事と子育てを両立しやすい環境でありながらも、晩婚化・晩産化が進行し、社会減を伴う人口減少が進んでいる状況である。そしてこれは、まさに、定住を望む若者による結婚・出産の促進と、結婚・出産を望む若者の定住促進を必要とする状況といえる」と述べています。
 第3章「子どもへの教育支援―福井型18年教育」では、福井県が全国トップクラスの成績を収め続けている秘訣として、「当たり前のことを当たり前に行うという風土」にあるとして、「早寝・早起き・朝食をしっかり摂るという入った基本的な生活習慣や、普段からしっかり勉強する習慣が身についていることが、学力調査・体力調査の結果に結びついたと見ている」とした上で、「福井県の子どもたちが、学力・体力面における高い能力だけでなく、道徳心・社会性の面で高い意識を有している要因」として、
(1)児童・生徒の授業に取り組む意識が高いこと。
(2)学校・教員が適切な学習環境を提供すること。
(3)家庭が基本的な生活習慣と学習習慣を身につけさせるよう支援すること。
の3点を挙げています。
 本書は、福井県の暮らしやすさを客観的な指標で分析した一冊です。


■ 個人的な視点から

 その昔、新国民生活指標とかいう都道府県ランキングがあり、やはり福井県が高く、最下位に甘んじた埼玉県では知事の命により埼玉県が高い順位に位置できるランキングを考えなければならなくなったという事態になったそうです。
 それにしても不動のトップである福井県は人口が減り続けており、この上、埼玉県がランキング上位にいたりするような事態になればますます人口集中が進むおそれがあるので、埼玉千葉あたりは低順位に位置しているくらいが国策的にもちょうどよいのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・どこかにあるユートピア・福井にどうしても行ってみたい人。


2015年8月 3日 (月)

新炭素革命

■ 書籍情報

新炭素革命   【新炭素革命】(#2479)

  竹村 真一
  価格: ¥1,836 (税込)
  PHP研究所(2015/5/26)

 本書は、「現代の“新炭素革命”を、資源制約や環境危機といった問題を解決する技術革新として『文明史』『人類史』的に評価するのみならず、もっと大きな『地球史』の文脈に位置づけて――すなわち光合成生物による有機物生産と環境改変という地球的価値創造の歴史の延長として捉え直してみよう」とするものです。
 第1章「この世界は『炭素の魔法』で出来ている」では、「炭素はすぐれた『ネットワーカー』だ」として、「同じ炭素同士で、あるいは他のいろいろな元素と、手をつないでつながり合える」と述べた上で、「有りふれた素材から、こうしたまれなる複雑な分子を合成するという、とてつもない『物質の高次元化』(アップグレード!)――この地球上ではあたりまえに思える現象は、この宇宙の中で極めて稀な(レアな)出来事なのだ」と述べています。
 そして、「身のまわりの植物たちが日々あたりまえのように行っている光合成という営み」が、
(1)有りふれた物質を「高次元化』して、他の生物に食料などの恵みを提供する。
(2)そうした炭素化合物の結合エネルギーとして太陽エネルギーを貯留。
(3)大気の成分を調整して「地球環境」を整える。
 の3つの仕事を行っていると述べています。
 第2章「炭素の惑星――地球の履歴書」では、「地球の大気の二酸化炭素や『温室効果』がネガティブなイメージでばかり語られるのはとても残念だ」とした上で、「中東地域の石油の埋蔵量が特に多い」理由として、「石油という資源が形成された『白亜紀』という年代と、その頃の地球の大陸分布による特異な環境条件が大きく関係」するとしています。
 第3章「『石油の世紀』と人類の飛躍」では、石炭や石油という化石燃料は、「『エネルギー革命』であると同時に『物質革命』でもあり、また『食料生産革命』にもつながった」として、「化石燃料という、何億年も前の植物が光合成で貯留した太陽ネルギーの濃縮パッケージを使って、あらゆる分野でこの惑星の風景を変えてゆく大革命」が始まったと述べています。
 第4章「想定外の罠」では、「私たち人類は、科学の力で『地球の体温と体調』の変化をモニターし、その体温上昇(温暖化)と体調変化(気象の極端化、氷河融解など)の主な原因が私たち自身の炭素排出にあるという『自己認識』をもちつつある」として、「これは人類の知的成熟の表れ」でもあると述べています。
 第5章「地球の未来を拓く『新炭素革命』」では、「炭素に起因する問題を解決する鍵は、やはり炭素にあり」として、
・有機太陽電池を用いた薄いシート状で曲面の壁にも貼り付けられ、窓の遮光も兼ねた「発電するロール・ブラインド」
・現在進行形でCO2を吸収・固定している植物を原料にプラスチックを作れば、現代の「資源制約」や「環境制約」への解決策に
・石油由来のものだけでなく、鉄やガラス、シリコンなど人類文明の確信を支えてきた無機物のマテリアルも、どんどん「炭素ベース」のものへ
・水素が世界共通の「エネルギーの通貨」になれば、クリーンエネルギーの地球大の「融通」が可能に
などを挙げ、「核廃棄物問題も含め、私たちは『死』と『循環』を人工物の文明にどう内部化してゆくかという課題を突きつけられて」いると述べています。
 本書は、温暖化だけでない炭素の可能性を追った一冊です。


■ 個人的な視点から

 近頃、「低炭素社会」や「脱炭素社会」という言葉を耳にすることが多くありますが、むしろ炭素の可能性を追求していこうという姿勢はわかりやすく面白かったです。


■ どんな人にオススメ?

・炭素を毛嫌いしている人。


2015年8月 2日 (日)

形態学 形づくりにみる動物進化のシナリオ

■ 書籍情報

形態学 形づくりにみる動物進化のシナリオ   【形態学 形づくりにみる動物進化のシナリオ】(#2478)

  倉谷 滋
  価格: ¥1,080 (税込)
  丸善出版(2015/4/26)

 本書は、「脊椎動物の起源をめぐる問題を形態学の黎明から説き起こし、型の一致とボディプランの関係を考察し、現代の進化発生学的研究から、その問題の解答を模索した」ものです。
 著者は、「どうやら、生物の進化はなんでも可能というのではなく、そこには変りやすさと変わりに草、どうしても超えられない一線のようなものがあるらしい」として、「本書では、動物の形が進化するとはどういうことなのかという、この古くからの問題に取り組んだ学者たちの歴史を振り返りながら、それがどのように形を変えて現在行われている最先端の研究につながってきたのか、そして、分子遺伝学や細胞生物学がもたらした現代生物学の発見が、動物進化の理解とどのように関わっているのかを述べてゆく」としています。
 第1章「形態学のはじまり」では、「キュヴィエの名づけた『枝分かれ』という分類単位は、今でいう『動物門』にほぼ等しい」として、「動物はそれぞれ、それが属する動物門に独特の『体のつくり』、すなわち『ボディプラン』を共有しており、そのような互いに異なった形のタイプを現在約30ほど認めることができる」が、キュヴィエはそれを、
・脊椎動物
・関節動物
・軟体動物
・放射動物
の4つに分類したと述べています。
 そして、「動物門の不連続性と、動物種の不変性・不可侵性が、キュヴィエの自然観の根幹を成すもの」であったのに対し、ジョフロワは、「大局的な法則の発見に対する指向性が強く、また野心的な実験を行ったり、ダイナミックで奔放な概念化」を試みたと述べ、「構造と構造の間の相対的位置関係に形態的本質を見出そうというジョフロワのこの姿勢は、機能的制約を重視するキュヴィエのそれと再び鋭く対照をなす」としています。
 また、「最初に、発生と進化の関係を明瞭に形態学議論に持ち込んだ一人がハクスレーだった」として、「のちに研究対象を脊椎動物へ写したハクスレーは、オーウェンの現動物理論、とりわけその頭蓋骨の解釈を否定する上で、別の思考方法を採用した。つまり、動物の発生過程をさかのぼっていけば、それはその動物が獲得した特殊性の度合いを次第に下げてゆく、つまりその動物が進化してきた道を逆にたどっていくことになりはしまいか」と述べています。
 そして、「現代の発生学や進化系統額の常識からすれば、このような仮設や推論にはいくつかの短絡が見受けられる」が、重要な事は、「事実上この時初めて、形態学が科学的議論の俎上に載せられたということ」だと述べています。
 第2章「形態学と進化」では、「動物の形は点で好き勝手に変化するわけではなく、常に幾つかの(たかだか可算個の)『型』にはまり、しかも、異なった『型』と『型』の間にも、一部共通した要素があったりする」のであれば、「それは多かれ少なかれ共通した発生プロセスによってもたらされるのであろう」と述べています。
 そして、「反復する発生の例として最もよく引き合いに出される」ものとして、「脊椎動物咽頭胚に出現する『咽頭弓』」を挙げ、「これは魚類においてはエラの原基だが、陸上脊椎動物にも発生途上で現れる」と述べ、「咽頭弓は、祖先の構造であると同時に、エラを必要としなくなった動物の発生の第1段階にもなっている」として、「もう我々には、今後いかに進化しようと、頭の後ろに目を持ったり、足の裏に胸腺ができるような可能性はなくなってしまった」のであり、これが「構造的ネットワーク」と呼ばれる形態の論理だと述べています。
 第3章「遺伝子の教えるもの――進化発生学の胎動」では、「相同性とはただ単に異なった動物における器官の一致をいうのではなく、一群の動物が同じボディプランを共有しているがゆえに、形態構造のつながり方が一つの全体的な系、すなわちジョフロワのいう『型』として互いに重ねあわせることのできる同じパターンを示し、その中で特定の器官が他の動物の対応する器官と同じ相対的位置を占めていることをいうのであった」と述べています。
 また、「コ・オプション」について、「ある器官の形成に関わっている遺伝子群や、それに基づく細胞間相互作用などの発生機構が、そのまま胚の別の場所(そしてしばしば、別の時間)に『移植』され、それが、それまで祖先にまったく存在しなかった構造をもたらすような現象をいう」とした上で、コ・オプションは、「『深層的に相同』な発生プログラム、すなわち相同な遺伝子制御ネットワークをどこかに新しく付加することにより、形態的な新規形質をもたらすことがある」として、甲虫の角の他、「脊椎動物の鰭、並びに手足にそれを見ることができるのではないか」とする説を紹介しています。
 第4章「進化する胚」では、「動物の体をつくる発生機構は、時として予想以上の類似性を遺伝子発現パターンや分子実体のレベルで示すことがある。しかも、いわゆる動物の基本的ボディプランをつくる上で中心的役割を果たしているものは、ゲノムの中の一部に過ぎず、しばしばそれらは似たような発生文脈において繰り返し用いられている。あるいは、特定の器官形成において、動物門を超えて広く用いられている、最も保守的な遺伝子群もある」として、これらを俗に「ツールキット遺伝子群」と呼ぶと述べています。
 そして、「動物の形の形態進化には、このような、たかだか可算個のモジュールと、その基本的特異化に関わるマスターコントロール遺伝子の機能からなる、いわば『変異枠』のようなものが設定されており、その中で進化的多様化が進行する限り、観察者には特定の形態進化の傾向であるとか、分類群であるとか、それでもけっして変わらない根源的パターンのようなものを感知せずに入られない」と述べています。
 第5章「動物の起源を求めて」では、「いま争点は、脊椎動物に特異的なオタマジャクシ体制、脊索と背側の神経管、そして腹側の消化管と外側の筋節という基本パターンがどのように獲得されてきたかということに絞られている」と述べています。
 そして、「我々が目にする様々な動物を生みだした最初の祖先がどのような姿をしていたのか、そしてその動物の発生プログラムがどのように変化し、その背景にはどのようなゲノム、遺伝子の変化があり、それらの変化をどのような機構が突き動かしていたのか、いまでも定説はなく全貌はつかめていない」と述べています。
 本書は、動物の形をめぐる生物学の進化の痕跡を辿った一冊です。


■ 個人的な視点から

 生き物の体を見ていると、なんとなく共通点とかが自分でもわかるような気がするのですが、昔から多くの人に語られてきた分野だったようです。


■ どんな人にオススメ?

・生き物の形の不思議さに心を奪われる人。


2015年8月 1日 (土)

戊辰戦争から西南戦争へ―明治維新を考える

■ 書籍情報

戊辰戦争から西南戦争へ―明治維新を考える   【戊辰戦争から西南戦争へ―明治維新を考える】(#2477)

  小島 慶三
  価格: ¥821 (税込)
  中央公論社(1996/8/25)

 本書は、「これまでの歴史の原点として、明治維新とは一体何であったか、その主体性、内発性、地域性、また戊辰戦争と西南戦争という二つの戦争に絡む権力闘争のダイナミズムを再考しよう」とするものです。
 第1章「なぜ徳川幕府270年の体制は亡びたか」では、徳川幕府崩壊の要因として、
(1)権力分散型の封建システムである幕府のシステムそのものの機能不全
(2)宮中の造営や江戸城の建築・修理、道路や河川の整備などに大名が労力と費用を負担する「お手伝い」
の2点を挙げています。
 そして、ペリー来航時に、「幕府は致命的な失敗をした」として、「ペリーの強硬な姿勢に動揺した幕府は、通称を行なっていいかどうかを、いわゆる御三家、諸大名、陪臣に至るまで、誰でもいいから対策を具申せよという通達を出した」ため、
(1)制限つきで開国しよう
(2)穏便にやれ、やむを得なければ戦え
(3)この際だから通商を始めろ
(4)断固打ち払え
の4つに国論が別れてしまたと述べています。
 第2章「権力闘争中の内乱と体制改革」では、小栗忠順などの幕府の開明派について、「すぐれた官僚だった」として、「彼らは当時、幕府の言うことを聞かない諸侯が増えてきたことから、藩制をやめて郡県制を敷くというプランを持っていた。明治政府になって廃藩置県を実行するのだが、そういう構想はすでにこのときに出ていた」と述べ、明治政府を先取りして「プロシア型の変革を企図したのである」としています。
 そして、将軍慶喜の幕権強化策について、「多岐にわたり、かつ従来できなかったことを一度にやろうとするのだから相当な勇断である。これらは明治政府の施策を先取りしたようなものが多かった。明治政府もだいたいこれを真似ている。そのため慶喜の行動力の反幕派は脅威を感じていた」と述べています。
 また、横浜で英字新聞を出していたブラックという人物が『ヤング・ジャパン』という本で、「幕府のシステムは改革すればかなり使えるし、キーマンもいた。新構想もすでに出ていた。だから、幕府が新しい政治を実施していたとしても、内戦の流血なしにできたであろう」と述べていることを紹介し、「幕府側のほうがはるかに官僚組織としては優れていた。新政府には全国を治めるという行政経験や才覚もなかっただけに当初は戸惑っている。そのため維新後でも旧幕の人材がかなり用いられた」と指摘しています。
 第3章「王政復古と武力倒幕」では、明治維新の始めと終わりについて、「明治維新を世界史の中の一つの動きとして捉える見方からすると、嘉永7年(安政元年=1854)の二度目のペリー来航における和親条約締結あたりをその始めとするという見方がある」とした上で、維新の集結点については、諸説あるとして、「大久保政権(絶対政権)の確立にからんでピリオドを打つ」とする見方や、「王政復古につながった太政官制度の終わりが明治18年。そして内閣制度がスタートしたあたりまでは維新と考えなければいけない」とする見方、第1回の国会がスタートするまでとする見方などを紹介しています。
 また、江戸城無血開城の交渉にあたった勝海舟について、「なかなか抜け目がない。もしも新政府が言うことを聞かなかった場合は、官軍を江戸に入れてしまってから街中に火を放つことも考えていた。しかしそのため江戸100万の人命を犠牲にはできないから、動かせるだけの船を用意させて多くの人を逃がすことを博徒の大親分新門辰五郎に命じて準備万端整えさせていた」と述べています。
 第4章「戊辰戦争と廃藩置県」では、「維新は無血の革命」と言われることについて、両軍の戦死者について、7300人と称されるものには幕府方の脱兵が入っておらず、「この数字は各藩から届け出たものだけで1万人を越している」として、動員12万人で戦死者7000人の日清戦争と比較して、「戊辰戦争のほうが流血の規模としては大きい」と述べています。
 また、戦争と維新改革との関係について、
(1)戦争参加は窮迫を一層増した。これがのち版籍奉還と廃藩置県の前提になっていると思われる。
(2)従来の君臣主従のイデオロギーというものが転換する。
(3)戦力になったのは従来の兵隊の他に農兵が多かった。
(4)明治10年までは、国内は乱れに乱れ、百姓一揆は幕末時代よりも多く、加えて武士の内乱も起こるようになる。
(5)武士社会の解体に伴う社会福祉政策としての秩禄処分、要するに失業手当が、新政府財政の34パーセントを占めるという莫大な額に上った。
(6)新しい秩序の啓蒙、そのための教育。新しい大義名分、つまり天皇を中心とした体制のための思想教育を徹底させる学制が導入された。
の6点を挙げています。
 そして、版籍奉還に藩主たちが賛同した理由として、
(1)時の勢い、時の流れ。
(2)財政上あるいは軍事上からの権力の保持のためには、財政逼迫の藩主であるよりも、天皇から任命された藩知事になったほうが中央権力の支持が得られるという期待。
(3)領地、所領安堵。
(4)藩治の全般の報告、上申の義務の実施。
の4点を挙げ、「もういっぺん維新戦争をやる」という覚悟で思考した大改革だったが、「意外にスムーズに廃藩置県は行われた。彼らが案じたほど藩の体制は強固ではなかった」と述べています。
 さらに、のちの大蔵省と民部省になる会計官と民部官に、「開明的な若手官僚がどんどん結集していった。特に海外洋行の経験者が集められた。薩長土肥、さらに旧幕府の逸材が、昔の藩とか幕府とかの枠にとらわれないで、融合して仕事を始めた。こういった連中は開明的なプランをもって推進するが、政府上層部の保守的な人たちの対立が、たびたびの政変のときに問題になって出てくる」と述べています。
 第5章「国内改革と体外路線――明治6年政変」では、明治6年政変について、「かたや大久保利通、かたや江藤新平の二人をチャンピオンとする凄絶な権力闘争採ったものに思われてならない。そして、この政変こそが岩倉―大久保のラインによる維新史における第3のクーデター(第1のクーデターは王政復古、第2は廃藩置県)ではないかと思う」と述べています。
 そして、留守政府について、「留守の2年間余りの間に政治、経済、社会の各般の変革が次々と行われた。おそらく日本の政治史上、これだけの変革が集中的に行われた時期はないといわれる」として、
(1)封建身分制度、差別制度の撤廃など人権の確立に貢献した。
(2)士族の特権をなくし、帯刀の義務を廃し、軍事負担を解消し、国民皆兵の徴兵の告諭を出した。
(3)経済的な側面からの封建制の解消を促進する。
などのほか、裁判所の体型整備、太陽暦の採用などを挙げ、「このように大幅な改革が短時日の間にできた」理由として、
(1)当局者が維新の理想に燃えて廃藩を敢行し、その勢いに乗じた。
(2)条約改正の必要が急を要する問題であり、そのため欧米並みの近代化が急がれた。
(3)遣外使節に対する留守政府の競争意識、功名心、使命感があった。
(4)改革の路線に対する一般国民の共感がある程度あったのではないか。
の4点を挙げています。
 第6章「士族の反乱と自由民権」では、「明治6年から10年までの過程に見る政府の施策に対する不安や危惧、憔悴や不満の背景・内容」として、
(1)士族、庶民の生活。
(2)農民にとってほとんど恩恵などない地租改正に対する不満。
(3)制度、文物、風俗・習慣を西洋化一辺倒に塗りつぶすような太政官布告が次から次へと打ち出されることに対する不満。
(4)薩長の専制、そして維新の志を没却しているという非難。
(5)人民の疲弊を他所に不要不急の土木工事を行うことに対する非難。
(6)征韓論をひっくり返してしまったことで、対外的に国威を発揚するチャンスを逸したこと。
(7)維新は志のあるもの、実力のあるものにとってはチャンスだったが、反面、思わぬ失墜を招く危険な時代でもあった。
の7点を挙げ、「一気や反乱の火種はいたるところにあった」としています。
 第7章「西南戦争とその政治・経済的帰結」では、「明治10年に起きた西南戦争は、明治史の一大分水嶺であった。この戦争のあとには、政府を力で倒そうとするものが完全に跡を断ったことでもそれがわかる」として、「戦争は士族階級を葬ったものの、民権論者を多量に生産したと言ってもいいわけである」と述べています。
 著者は、「明治維新は明治維新であって、史家の言うブルジョア革命でも絶対主義革命でもどちらでもない」として、「いわゆる近代化論についても、西洋史観を基にして日本の近代化を説くのも妥当ではない」と述べています。
 本書は、明治維新をめぐる政治の動きを追った一冊です。


■ 個人的な視点から

 歴史家ではない元通産官僚の著者が、自分の視点(祖父の話)から明治維新を読み解いた話です。語る人の数だけ歴史はあっても構わないと思います。


■ どんな人にオススメ?

・明治維新を考えたい人。


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