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2016年7月 8日 (金)

童謡の近代――メディアの変容と子ども文化

■ 書籍情報

童謡の近代――メディアの変容と子ども文化   【童謡の近代――メディアの変容と子ども文化】(#2532)

  周東 美材
  価格: ¥2,700 (税込)
  岩波書店(2015/10/22)

 本書は、「1920年代の近代日本」にとっての童謡とは何かを明らかにすることで、「童謡という子ども文化が、現代においても『国民的』なものとして信じられていることの意味を歴史的に闡明するための鍵にもなるだろう」として、「童謡から見る『声の文化』の再編」と「1920年年代における子どもとメディア変容の構造的関係の形成」について明らかにしようとするものです。
 第1章「『声の文化』としての童謡」では、「童謡は、1918(大正7)年7月に創刊された児童向け雑誌『赤い鳥』に始まる」として、「『赤い鳥』は、『子供の純性を保全開発』し、子どもに芸術的で純真な読み物を与えることを目的としていた」と述べ、「『赤い鳥』以降の童謡は、古代より受け継がれる伝統としての『わざうた』、在来の子どもの歌としての『わらべうた』、さらには媒介性とその改良とが目指された『はやりうた』という意味が重なりあうところに成立した」と述べています。
 そして「童謡は詩として創作された文芸であり、作曲されるもの、楽譜化されるものであるとは考えられていなかった」として、「『謡』という漢字には、字義的には、楽器を用いずにことばを調子付けて『うたう』という意味があった」と述べています。
 また、「白秋にとっての童心とは、自我の解体と恍惚と衝動を引き起こし、明滅する意識のなかで位置個体の生を超えた遠い過去を思い出させる霊魂のことであった」とのべています。
 第2章「歌声の『聖典』」では、「独自の童謡論を打ち立てた北原白秋は、童謡は学校唱歌のように作曲された楽曲を歌うのではなく、声に任せて自由に歌うべきものであると主張し続けた」が、「読者たちは、白秋が拒絶していたような、作曲された楽曲をしだいに求めるようになっていった」と述べた上で、「童謡が楽曲として成立していることは、現在でこそ自明であるが、当時としてはきわめて斬新なアイデアであった」として、「童謡雑誌は、近代詩と西洋音楽を出会わせる場になっていった」と述べています。
 そして、「あとから付けられる音楽は、ことばを主とするのが原則」とされたことで、「童謡の楽曲には言葉の影響力が色濃く刻印されることになった」として、「とりわけ、重視されたのは高低アクセント」であり、「日本語の高低アクセントが、旋律作法上の原則となるよう定められた」と述べています。
 第3章「子どもの上演」では、「西洋音楽を専門的に学んだ若手の音楽家が活動できる場が非常にかぎられていた当時、若手作曲家にとって、児童雑誌は、定期的に作品を発表でき、一定の受容者が見込める魅力的な媒体」であり、「エリートとアカデミズムのものだった西洋音楽が、大衆化していくうえでの画期的な媒体となった」と述べています。
 また、「文芸運動から生まれた童謡は、音楽として歌われるようになると、詩人の期待とは異なる軌道を描いていった」として、「童謡を歌うということは、作曲による楽譜化や音楽教育への導入、さらには舞台で歌う子どもの登場という技術性や身体性の問題を浮かび上がらせていった」と述べています。
 第4章「『令嬢』は歌う」では、「歌う身体」という問題を前に、「運動そのものが分裂しかねない状況にあった」同様が、「圧倒的なオーラを放つ特別な身体の出現によって、次第に水路づけられ、収束していった」として、作曲家・本居長世の三人の娘である本居みどり、貴美子、若葉について、「本居姉妹は、流動的だった同様のメディア状況を安定させ、新たなメディア環境へと適応していく道筋を示した」と述べています。
 そして、「長世の童謡もまた、多分に新しい日本の音楽を創作しようという機運のなかで創作されたもの」であり、「『赤い鳥』の鈴木三重吉や成田為三による音楽事業とはまったく異なる文脈から生まれたものだった」と述べています。
 また、「『令嬢』の登場により、童謡は、専門的な訓練を積み、確実な歌唱技術を持った子どもによって上演されるものに変わっていった」と述べています。
 第5章「童謡の機械化」では、「童謡運動が盛り上がりを見せていた1910年代末から1920年代は、レコード産業が本格的に形成され、大衆の日常を覆い始めていった時期でもあった」が、こうしたレコード産業の体制が確立する以前の「初期の録音技術をめぐるコミュニケーションのあり方が編成されていくプロセス」を負うことで、「近代日本における複製された声の文化、すなわち『二次的な声の文化』が、どのような条件に支えられながら生成していったのかを理解する手がかりが得られるだろう」と述べています。
 そして、「本居親子はレコード吹き込みをつうじて、レコードのために作られた子供の声のありようを生み出した」として、「黄色い」や「舌足らずな」という形容をされる童謡歌手たちの声について、「長世は、地声は子どもにとって自然な発声法であり頭声は不自由で苦痛を感じさせる歌い方であると考えていた」と述べた上で、、「洋楽では、裏声と地声とは明確に区別されるが、邦楽の歌では地声から裏声に映る際に変化がわからないようになめらかに使い分ける技術が求められる」として、「長世が少女の歌に地声を用いたのは、意識的なものだったように思われる」と述べています。
 第6章「命を吹き込むテクノロジー」では、「詩の律動やアクセントを重視することから生まれた童謡は、電気録音時代に至るなかで、ビビッドな音楽となりサウンド優位なものへと変容し、アニメーション化され、学校唱歌やお伽歌劇との区別を失った」と述べています。
 また、「レコード産業は、先行メディアである児童雑誌との結びつきを失ってはいなかった」として、「欧米ではあまり一般的ではない『歌詞カード』が封入されるようになったことは、文芸の影響力を色濃く残した日本のレコード産業の特徴といえるかもしれない」と述べています。
 終章「メディア変容のファンタジー」では、「童謡における印刷文化から二次的な声の文化へというメディア変容とは、『ある平面から別の平面へ』というようなかたちで直線的に推移していくものではなかった」として、「童謡は、擬制的な『一次的な声の文化』を伴いながら再現していた」がのであり、「声の複製やポピュラー音楽としての童謡の姿とは、当初の意図や目的とは異なる結果として、たどり着いたものだった」と述べています
 そして、「本書が童謡をつうじて明らかにしてきたのは、この国のメディア技術・産業のなかに子どもという存在が構造的に組み込まれていったこと」であり、「子どもが近代の産物であるならば、その価値意識は万古不易のものではなく変容するものなのであり、ときにグロテスクな姿をも顕す潜在性を秘めて」おり、「近代日本社会そのものが、自らを再編し解体しかねない子どもという他者性を、〈可能性〉として内面化しているのだ」と述べています。
 本書は、わが国の近代の産物である「童謡」の誕生と変容を追った一冊です。


■ 個人的な視点から

 今となっては遠い追憶のフィルターの向こうで語られることの多い「童謡」ですが、当時としては当然、野心や商売のなかでムーブメントが動いていたわけです。
 いつの日か、握手券商法なんかも遠い過去として振り返られる日が来るのかもしれません。「あの時は世の中がどうかしていた」とかなんとか言われながら。


■ どんな人にオススメ?

・童謡にノスタルジーを感じる人。


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