« サイバーリスクの脅威に備える: 私たちに求められるセキュリティ三原則 | トップページ | 社会政策 -- 福祉と労働の経済学 »

2016年7月 3日 (日)

ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか

■ 書籍情報

ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか   【ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか】(#2527)

  危険地報道を考えるジャーナリストの会
  価格: ¥821 (税込)
  集英社(2015/12/17)

 本書は、「『イスラム国』による後藤健二氏、湯川遥菜氏の人質・殺害事件移行、『そんな危険な所へ行く必要があるのか』という世論に乗じて、政権は露骨な報道統制に踏み出し、メディアは萎縮してしまった」として、海外取材の最前線に立ってきたジャーナリストが集結し、「それでも、誰かが“そこ”へ行かなければならない」と訴えているものです。
 第1章「後藤健二氏の人質・殺害事件がもたらした影響」では、2015年に後藤健二氏と湯川遥菜氏が「橙色の囚人服を着せられ砂漠に跪かされた映像」が公開された時に、「衝撃を受けるとともに、日本の危険地報道とフリージャーナリストの活動が大きな打撃を受けるであろうことを予感した」と述べた上で、「ジャーナリストの無謀な危険地域取材のために、政府も国民も多大な迷惑を被った」とする世論が現れたとして、「日本の危険地域報道は、新聞社、放送局、出版社、フリー記者などによって半世紀以上続けられ、世界に誇るべき成果も多い」が、「その仕事がいま、権力に干渉され、迷惑者と指差されて大きく傷ついている」と述べています。
 そして「ジャーナリストの仕事とは、市民が世界の動きをしる耐えの目となり耳となることであり、民主主義のために不可欠なものだという意識が、日本社会に希薄であることが浮き彫りになった」とともに、「報道の独立性という原則が傷ついた」と指摘しています。
 第2章「ジャーナリストは『戦場』でどう行動したのか」では、「ジャーナリストにとって紛争の現実は現場にしかない」とした上で、「日本の組織ジャーナリズムには危険地取材については『どのような状況であれ、現場で取材する道を探る』というジャーナリズムとしての明確な基本方針が確立されていない」と指摘しています。
 そして、「中央は世界の事件現場である。世界のジャーナリストが中東に強い関心をもつのは、中東の地域事情を伝えるだけではなく、中東が世界の国々の利害や政策がぶつかる場所だからである」と述べています。
 また、イラク戦争にたくさんのフリーランスが現地に入ったが、「日本のフリージャーナリストを見ていると『活動家』が多いと感じることもしばしばある、活動家は『先に答えありき』になりがちだ」と述べています。
 第3章「戦争報道を続けるために」では、「ジャーナリストたちの過去の殺害状況を見ると、最期は驚くほど、あっけなく、『ポン』と何かを飛び越えるような形で亡くなっている」として、「ベテランで、経験豊富なジャーナリストやカメラマンほど、そんな死に方をしているようにも思える」と述べた上で、「戦争報道で、また同じような形で死者が出て、そして再び『追悼』するだけの繰り返しでは、軍隊組織のような精神論的な言い伝えしか受け継がれていかないだろう。そうではなく、戦争報道をこれからも続けるために、続けられる環境を維持するために、ジャーナリストたちが自己検証をする機会がこれまで無かったのではないか」と指摘しています。
 そして、「戦争報道は、職業的意識(プロフェッショナル・マインド)をもったさまざまな立場の人達が、入れ替わり立ち替わり、かつ継続的に携わることで、次の世代や社会に受け継がれていく」と述べています。
 第4章「米国メディアの危険地報道」では、「メディア各社が、紛争地などの危険地帯の取材を行う際、考慮すべきファクター」として、
(1)その会社がどれだけリスクを許容できるかという「体質面」
(2)取材費用にかかる「金銭面」
の2点を挙げています。
 第5章「危険地報道とジャーナリスト」では、「危険地を取材し殉職したジャーナリストたちの『英雄化』『聖人化』に私は違和感と後ろめたさを抱いている」として、著者がパレスチナ取材で、被害者の住民から、「お前たちは、私たちの悲劇を取材し撮影してテレビ局や雑誌に売って金儲けをする。お前のようなジャーナリストがこれまでもたくさん来て、たくさん撮影していったが、それで私たちの生活がよくなったか? 何も変わらないじゃないか。お前たちは私たちの悲劇を食い物にする“ハゲタカ”だ」という言葉を投げつけられたと述べています。
 そして、「私は、『戦場ジャーナリスト』『戦場カメラマン』という言葉に、ナルシシズム(自己陶酔)と『英雄気分』の匂いをかいでしまう。それを『英雄視』する社会の風潮もある」が、「ジャーナリストは、“伝え手”であり、『何を伝えるか』が勝負だ。だから映像や記事の中では『伝えるべきこと』だけを全面に出して、伝え手は“黒子”に徹すべきだと私は自分に言い聞かせている」と述べています。
 本書は、戦場ジャーナリストたちの主張と自己検証を掲載した一冊です。


■ 個人的な視点から

 「ジャーナリスト」という言葉にはやはりかっこよさがあって男のロマンがあるとしか言いようがない。
 なにしろ「カメラマン」になるのは思いつきではできないが、「戦場カメラマン」だったらカメラを持って紛争地帯に飛び込めば「フリージャーナリスト」ができあがってしまう、というハードルの低さが原因の一つであることは間違いないでしょう。


■ どんな人にオススメ?

・戦場にロマンを感じてしまう人。


« サイバーリスクの脅威に備える: 私たちに求められるセキュリティ三原則 | トップページ | 社会政策 -- 福祉と労働の経済学 »

文化面」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1244312/66422848

この記事へのトラックバック一覧です: ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか:

« サイバーリスクの脅威に備える: 私たちに求められるセキュリティ三原則 | トップページ | 社会政策 -- 福祉と労働の経済学 »

2016年12月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

最近のトラックバック

無料ブログはココログ