スポーツ

2011年1月10日 (月)

メディアスポーツ解体―"見えない権力"をあぶり出す

■ 書籍情報

メディアスポーツ解体―   【メディアスポーツ解体―"見えない権力"をあぶり出す】(#1950)

  森田 浩之
  価格: ¥1019 (税込)
  日本放送出版協会(2009/12)

 本書は、「メディアスポーツの〈見えない権力〉をあぶり出そうという試み」であり、「国旗を激しく振るようなもの」だけでなく、「もっと静かな『ナショナル』な空気を、メディアスポーツが醸し出すプロセスを検証」するものです。
 第2章「ナショナルなもの」では、ベネディクト・アンダーソンが、国民を「想像の共同体」と説明づけたものを、「メディアと国民の関係を考えるときに最も役立ちそうなものの一つである」と述べています。
 そして、「日本のスポーツ報道に頻繁に使われる言葉の中で、ナショナルなアイデンティティーとの親和性が高いものの一つ」として、「世界」を挙げ、「メディアスポーツは国民をつくり、『われわれらしさ』をことばの上でつくり上げている」と述べ、「その手法は静かで周到であり、多くの場合にはメディアの側も意識しないようなものだ」としています。
 第3章「ナラティブ/物語」では、報知新聞社長の竹内四郎が昭和30年ころに新入社員に訓示した、「おまえたちにスポーツの専門家を期待しない。社会部の記者になれ。人間のことを書くのだ」という言葉を挙げた上で、スポーツは、
(1)ゲームとしてのスポーツ:身体的技能を駆使して争う
(2)共同体としてのスポーツ:ゲームを遂行している個人やその集団の仕組み
の2つの側面からアプローチできると述べています。
 そして、現在につながるテレビスポーツのフォーマットを創り上げた人物として、米ABCテレビのプロデューサーだったルーン・アーリッジの名を挙げ、アーリッジが、「それまでアメリカでは終末にしか放映されていなかったスポーツ番組を、平日のプライムタイムに進出」させた際に何よりも「スポーツ放送における物語とヒーローの役割」を重要視していたとして、「アップ・クロース・アンド・パーソナル」と呼ぶ手法を局内に徹底させたと述べています。
 また、アーリッジの手法をさらに推し進めた、1996年のアトランタオリンピックを放送した米NBCテレビについて、「ステレオタイプ化された人物像やお決まりのストーリーライン、サスペンス、挫折、決意、そして成功。ソープオペラの要素がふんだんに盛り込まれたNBCの物語は、あまりに意識的に伝えられたものだ」としています。
 第4章「ジェンダー」では、メディアの女性アスリートの描き方について、
(1)女性アスリートの「幼児化」「性愛化」
(2)女性アスリートとその業績の「周縁化」
(3)女性アスリートとその業績の「矮小化」
の3点を主な批判としてあげた上で、メディアに大きく取り上げがちな女性の競技の傾向として、
(1)個人競技である
(2)相手との直接の身体接触がない
(3)自分のポイントがそのまま相手のマイナスになる競技が少ない
など、女の子の遊びに見られる「競争よりも協調」という「女性の社会的行動に望まれる特徴の表れとみることもできる」「女性に適した」競技であることを指摘しています。
 また、「なでしこジャパン」の宮本ともみの記事が、「宮本のアスリートとしての実績を見事なまでに矮小化している」として、
(1)アスリートではなく「女性」として描く
(2)「妻」「主婦」というプライベートな領域で描く
(3)周囲の支えを強調する
の3点を指摘し、「メディアスポーツは基本的に『男の子の国』である」と述べています。
 第5章「神話・ステレオタイプ」では、2009年のサッカー日本代表を報じる記事について、測定不能な要素である「組織力」を挙げ、「日本代表は組織力が強み」という言い方には、「日本のワールドカップ初勝利を報じる記事には〈組織力〉ということばがあったほうが収まりがいい」という「無意識の作為が働いたように思えて仕方ない」と述べ、「〈組織で戦う能力〉の高さは日本人選手の特質にとどまらず、日本人一般の〈国民性〉であり、サッカーに〈生かさない手はない〉国民の長所だと、記事ははっきり主張している」ことを指摘しています。
 そして、ここには「人種」という軸が見えるとして、「『運動能力』を黒人一般についてほめる言い方の背後には、それに対置するかたちで『知的能力は低い』という前提があることが多い」と述べ、スチュアート・ホールのいう「推論的人種差別」の状況を指摘したうえで、日本対ガーナ戦のテレビ実況の分析から、
(1)「身体能力vs.組織力」というテーマが予め設定される。
(2)「身体能力」の意味が曖昧である。
(3)身体能力は「肌で感じる物」とされる。
(4)ガーナの表象にかすかなゆらぎが見られた。
の4点を指摘し、実況アナや解説者は「私たちに語るべき重要なことを選択し、緊張感を高め、世界を理解するための魅力ある物語を提供する」という役割を課せられていると指摘しています。
 本書は、スポーツがメディアでどのような役割を担っているかを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 個人的にはスポーツライターの書く文章が苦手です。最近は一般紙のスポーツ面も「ナンバー」みたいな文章だらけになっているのに辟易しています。とは言え、速報性が求められるスポーツ報道においては、あらかじめテンプレートは決まっていてそこに結果を流しこんでいくので仕方ないのでしょう。最近はそのテンプレートがナンバー風のものになっているということで。
 一方で、テレビのスポーツ中継といえば、昔は休日の午後に点けっ放しにしておくものというイメージだったのですが、最近はどの種目もプロレス中継みたいにアップが多くなった気がしていたのはこういう理由があったんですね。


■ どんな人にオススメ?

・スポーツを斜め上から見たい人。

2010年2月16日 (火)

スポーツマンシップを考える

■ 書籍情報

スポーツマンシップを考える   【スポーツマンシップを考える】(#1853)

  広瀬 一郎
  価格: ¥1,575 (税込)
  小学館(2005/04)

 本書は、「スポーツをやる上で守らなければならない精神的なもの」である「スポーツマンシップ」について、「どのように理解し、どのように教えたらいいのか」を解説したものです。
 第1章「スポーツマンシップに関する10の疑問」では、スポーツとは、「遊びの形態をとりながら、競争の要素を持ち、ルールによって統制された、人類が自由意志で選択した身体活動」だとした上で、スポーツマンシップを、「若いアスリートが競技を通じて少しずつ身につける人格的な総合力と言い換えること」もできると述べています。
 そして、「勝利至上主義」と「快楽至上主義(競争否定主義)」の2つの曲ろを挙げた上で、勝利至上主義の一番の問題として、「スポーツを通じて体得することができる他の重要な要素を阻害してしまうこと」を指摘しています。
 また、「競技をするには常に他社との関係が生じるため、スポーツは人間関係に関する判断力を向上させる場」だと述べています。
 第2章「スポーツと『生き方』との関係を考える」では、「人生はゲームのようなものだ」と言われるとした上で、「スポーツを通じて真剣に遊ぶという体験は、『人生をどう考えるか?』に少なからず影響を及ぼすはず」だとしています。
 第4章「スポーツマンシップを教える」では、「スポーツマンシップ」をテーマに小学校5年生を対象に授業を行った際の原稿を紹介しています。
 そして、スポーツマン(特にGood Loser)について、
(1)規則(ルール)に従う。
(2)相手を尊重する。
(3)勝つために最善の努力をする。
(4)良い試合をする。
(5)負けた時の態度。
(6)フォア・ザ・チーム。
(7)審判を尊重する。
(8)フェアプレー。
の8点を挙げています。
 本書は、スポーツマンとは何かを考える一冊です。


■ 個人的な視点から

 個人的にはスポーツをやらない人なので、学生時代に部活とかやっていなかったのですが、学生がなにかスポーツに打ち込むこと自体は素晴らしいとは思うものの、特に勝利至上主義的な部活動は逆効果なんじゃないかと思ってしまいます。


■ どんな人にオススメ?

・スポーツマンシップを素晴らしいと思える人。


2009年11月18日 (水)

子どもにスポーツをさせるな

■ 書籍情報

子どもにスポーツをさせるな   【子どもにスポーツをさせるな】(#)

  小林 信也
  価格: ¥777 (税込)
  中央公論新社(2009/06)

 本書は、「20年以上スポーツの取材を重ねて」来た著者が、「自分の子どもに『スポーツをやらせたくない』と本気で思う」スポーツ界の実情を述べたものです。
 第1章「スポーツの現実」では、燃え尽き症候群になった選手の実情を紹介したうえで、「オリンピックに出場し、メダルを獲得することが、すべてだったのか」として、「メダルを目指すチャレンジを通して、自分の心身を鍛え、高めるという、本来の目的はどうしたのだろう」と述べています。
 そして、「スポーツ選手になると、依存症になる」と言っても過言ではないほど、「スポーツ選手はいま何かに頼る習慣にどっぷりと浸っている」として、「自力本願だからこそ意義のあるスポーツが、他力本願になってしまっている」と指摘しています。
 また、「いまスポーツ界は、『勝てばいい』『儲かればいい』『目立てばいい』、そんな価値観に支配され、毒されてしまっている」と指摘しています。
 第2章「誰もが石川遼になれるわけはない」では、「いま日本のスポーツ界には、『努力・挑戦は美しく、たとえ結果が敗北であっても、必ずやそこから得るものがある』と言う共通の認識が存在する」が、「これも本当にそうだろうか」として、「努力の質を問わずに、『スポーツには意義がある』と肯定してしまう安易さに、疑問を投げかけたい」と述べています。
 第3章「子どもがサッカーをする現実」では、「日本のサッカー界は、『野球に負けるな、野球をこれ以上、のさばらせるな』『サッカーを早く人気ナンバーワン・スポーツに押し上げよう』という強い思いに突き動かされている感じを受ける。それゆえ発想が相対的で、本質的なビジョンを持たない印象が否めない」と述べています。
 第5章「『あたらしいオリンピック』の実像」では、「オリンピックのような、一部エリートが集うだけの競技会はもうその役割を終えている」として、「誰もが参加できる、できるだけ多くの人たちが観客ではなく、競技者として参加できる国際大会」こそが、「あたらしいオリンピック」として必要とされていると述べています。
 また、東京マラソンの制限時間が7時間であることについて、1キロ10分という「大人がきびきびと歩く速さ」で歩き続けるのを、「マラソンと呼ぶのを、日ごろからトレーニングを積んでいる市民ランナーたちはどう感じるだろう」と述べ、あるランナーが、「私は東京マラソンに出るつもりはありません。都心を何時間も交通規制して、明らかに多くの人に迷惑をかけている。マラソンに関係ない人にそんな迷惑をかけてまで走るのは申し訳なくて」と語り、交通規制の少ない、山間のマラソンにしか出場していないと述べています。
 終章「大きな気持ちを育てる」では、「そろそろ、原点に返るときが来たのではないか。私たちは、『文武両道を求め、スポーツを通して子どもの人格を磨く』という、本来の目的を片時も忘れてはいけない」と述べています。
 本書は、日本の子どもたちを囲むスポーツの現状を指摘した一冊です。


■ 個人的な視点から

 とりあえずスポーツは健全、という考えの無い先入観に肌寒いものを感じます。自分の子供にスポーツをやらせたいかと考えると悩んでしまうところです。


■ どんな人にオススメ?

・スポーツをやることは健全だと思っている人。

2009年10月11日 (日)

陸上競技のルーツをさぐる

■ 書籍情報

陸上競技のルーツをさぐる   【陸上競技のルーツをさぐる】(#1725)

  岡尾 恵市
  価格: ¥2854 (税込)
  文理閣(1996/09)

 本書は、「陸上競技」の各種目が200年来たどってきた成立の経過を明らかにしたものです。
 第1章「近代陸上競技の歴史」では、「歩く、走る、飛ぶ、投げるといった運動の様式は、生産のための労働や軍事の目的で行われてきた以外に、太古の昔から『豊かな実り』や『豊漁』への願い、紙への崇拝、死者の葬祭、戦勝への祈念として世界各地で行われてきて」いたとして、「どのような時代、どのような地方であっても、すぐれた身体を持ち、修練を積んだ若者が、英雄や有名人の葬儀とか崇拝する神々の祭典のときに競技を行い、彼らの能力を発揮する機会があったことだけは、十分考えられる」と述べています。
 そして、イギリス社会の新興ブルジョワジーたちが、「上流・中流階級以外の出身者で占められていた『プロ走者』を見下し、しかも産業革命によって生まれた労働者階級をもこうした競技会から締め出すための『紳士条項』ともいえる『競技会参加資格』」を陸上競技会にも導入したことを解説しています。
 第2章「近代女子陸上競技の歴史」では、1895年にニューヨークで開催されたはじめて近代女子陸上競技大会について、「人目に触れずにプログラムが終わるよう、あらゆる配慮がなされた」として、生徒たちを、「好ましくない見物人たち」から守るための、「高さ12フィート(約3.65m)の厚い緑色の垣根」が張り巡らされたと述べています。
 また、オリンピックでは、1928年の「アムステルダム大会」に女子の陸上競技種目が登場するまでの敬意として、「1926年8月5日から始まった総会では、オリンピックに女子種目を解説するかどうかをめぐって大論議が巻き起こ」ったとして、「今日の状況殻見るとなぜこのような問題が大真面目に議論されたのか」と思われるが、「当時としては各国代表者は本当に真剣に議論をしたことが」わかると述べています。
 第3章「短距離走とスタート」では、クラウンチングスタートの誕生について、「1884年にスコットランドのマクドナルドが考えた方法を、87年にエール大学コーチのM・マーフィー氏が選手に指導し、ついに88年5月12日この大学のC・シェリルがニューヨークのロングアイランド競技場で初めて」使ったことを紹介しています。
 第8章「ハードル競争の歴史」では、「ハードル」とは、「本来、軽い木材を骨組みとし、柳やハシバミまたは曲がりやすい枝をもっているさまざまな樹木を使って編み上げた移動が可能な仮の塀とか、柴の束で作った野原の門などを指していると同時に、鉄や針金などでできている同様の構造物をも意味して」いると述べた上で、この競技が「本来自然の野原やら放牧場にあるさまざまな障害物を飛び越えて走る形態を競技化したもの」に他ならないと述べています。
 また、「ハードル・クリアランス」の技術に一大革命をもたらした、ペンシルバニア大学のA・クレンツレーンについて、「彼は前足をまっすぐに伸ばし、後ろ足を後方に直角に曲げる今のハードリングの基礎を築く技術を披露して、インターバルを3歩で走りきり、1898年には15秒2の世界記録を生んだ後、1900年の『パリ大会』では15秒4で金メダルを」得たと述べています。
 第10章「リレー競争の歴史」では、「陸上競技大会では必ずといって良いほど、各種のリレーで大会が締めくくられ」ることについて、このような「しきたり」は、おそらく、1908年の「第4回ロンドン大会」で初めて国別対抗の1600mのメドレー・リレーが行われたのを契機に、1912年の「ストックホルム大会」で4×400mリレーが大会のフィナーレを飾ったことが手本となっているのではないかと述べています。
 第14章「走幅跳びの歴史」では、「片足踏切」による「回転式走幅跳」によって、1973年にドイツの「第2TV」の番組でラゲルクィストという選手が7m近くを跳んだことについて、「危険だが革命的な跳び方」として紹介され、「この跳び方をマスターすれば記録は60cm伸びる」と研究されたと述べたうえで、「着地が安全マットでなく『砂場』で行わなければならない『走幅跳』の条件下では、試合や練習段階で頚や背骨の骨折が十分予測される」として、はやばやと「禁止」され、「闇の中に消えて」いったと述べています。
 第20章「混成競技の歴史」では、陸上競技の中でも、「混成競技」のチャンピオンには、「ここの種目のチャンピオンに対するのとは別の、高い評価と大きな賛辞が送られ」る理由として、「古来より、歩・走・跳・投など人間のもつすべての運動能力を全面に渡って発揮できる人に対して、敬意の念を払ってきたから」だと述べています。
 本書は、今ではわれわれが共通のイメージを持つにいたっている陸上競技の進化の歴史を解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書で一番インパクトがあったのは「回転式走幅跳」でしょうか。たしかに宙返りしながら幅跳びするアスリートの姿は見てみたい気もします。


■ どんな人にオススメ?

・陸上競技は昔から変わらないと思う人。


■ 関連しそうな本

 高橋 秀実 『素晴らしきラジオ体操』
 吉見 俊哉 『一九三〇年代のメディアと身体』


■ 百夜百音

GOLDEN☆BEST 山口百恵 コンプリート・シングルコレクション【GOLDEN☆BEST 山口百恵 コンプリート・シングルコレクション】 山口百恵 オリジナル盤発売: 2008

 秋の桜と書いてコスモスと読ませるのは子供の頃はよく分かりませんでした。あまりはかなげでない感じがするのでイメージが合わないのかもしれません。

2009年10月 9日 (金)

アマチュアスポーツも金次第

■ 書籍情報

アマチュアスポーツも金次第   【アマチュアスポーツも金次第】(#)

  生島 淳
  価格: ¥735 (税込)
  朝日新聞社(2007/5/11)

 本書は、「スポーツの世界ではこれまで見過ごされがちだったお金、経済。それがどんな力を持っているのか」を明らかにするものです。
 第1章「西部の裏金問題があぶり出したもの」では、裏金問題によって、「プロとアマチュア指導者の間の『黒いパイプ』」が表沙汰になったとして、「アマチュア球界の指導者が『代理人化』しているのが日本球界の現状」だと述べ、「日本で代理人制度が発達しない背景には、アマチュアの指導者が代理人的な役割を担っている事実がある」と指摘しています。
 また、専大北上のスポーツ特待生問題について、「優秀な選手の勧誘には学校側が供与する『経済的な援助』が、選手の野球留学を支えている」ことが明らかになったとして、「高校野球の世界も、選手や指導者同士の戦いだけではなく、経済的な戦争という側面があった」と述べています。
 第2章「女子フィギュアばかりがなぜモテる?」では、「フィギュアスケートはとにかくお金がかかるスポーツ」だとして、トップスケーターの年間強化費は4000万にも上り、「これだけの金額を1つの家庭が負担するのは無理な話で、競技者として台頭してからは、スケート連盟が強化費から遠征費用などを出していく構造になっている」と述べています。
 また、「日本のアスリートがアマチュアからプロフェッショナルに転換する上で、大きな役割を果たしたのが有森裕子だった」と述べ、有森が取締役を務める「株式会社ライツ」の企業ミッションから、「わたしたちライツは、アスリートの競技活動・生活設計において、主体的な選択が可能となる環境の整備に貢献します」というメッセージを紹介しています。
 第3章「学校がマーケティングを始めたぞ」では、「総合大学のスポーツへの取り組みが、体育大学を窮地に追いやることになるだろうというのが支配的な見方」だとして、その強みとして、「スポーツを学問の対象として考えたときに、横断的に勉強することができること」を挙げています。
 そして、「大学スポーツを単なるアマチュアスポーツとしてみてはならない。学校はPR効果のために入試制度を整え、その中でも極めて優秀な選手のためには奨学金制度を設けて学校に迎え入れる」として、「現在の大学スポーツは大学側があらゆる面で投資をしなければ強くならず、リターンを得られない構造になっている」と述べています。
 第4章「北海道経済と冬季五輪の関係って?」では、たくぎん野は単による北海道経済の不振が、スキージャンプの不振に結びついていることについて、「スポーツの世界ではお金は嘘をつかないのである。選手が大きな故障に見舞われることがなければ、投資には必ず見返りがある」と述べています。
 そして、「子どもたちがスポーツを続けるに当たっては親の協力が不可欠」だとした上で、北海道でアイスホッケーが衰退し、代わりに野球が強くなった理由として、「景気が減速して行くと、どうしても夫婦が揃って共働きせざるを得なくなる」ため、親が深夜に校庭に水撒きをしなければならないアイスホッケーは難しくなり、「かつては運動能力に秀でた子どもはアイスホッケーを選択していたのだが、野球に才能が集まり出した」と述べています。
 第5章「松坂に60億円!」では、「極端な話をしてしまうと、メジャーリーグは経済的な弱肉強食の論理が大手を振って歩いている」とした上で、「ポスティングというシステムは、形態を変えながら存続して行く運命にある」、「日米間でチーム間の移籍が自由になる、そんな労働協約が結ばれるのはだいぶ先のことだ」と述べています。
 第6章「サッカー世界の経済地図」では、「最初は不動産の売却から始まった経営戦略」が、「スター選手へのあくなき『投資』という形で、収入を増やすことを可能にした」として、「経営面で見れば、投資が莫大な利益を生んだ」と述べています。
 第7章「姚明と2008年北京五輪」では、後にNBAで活躍することになる姚明の誕生について、「驚くべきことに、姚明の誕生は『遺伝的な実験』だった。ともにバスケットボールのナショナルチームで活躍していた父と母は、半強制的に結婚させられた。関係者は2人の遺伝子を組み合わせれば、父と母よりも身長の高い子どもが生まれるに違いない」という「仮説に基づいて結婚と出産を進めた」と述べた上で、関係者が、「バスケットボールで世界の頂点を極めるためには、『巨人』が必要だ」と考えていたと述べています。
 また、姚明のNBAの移籍問題では、「姚明が亡命してしまわないかということ」と、「姚明の収入の利益配分」がもめたと述べています。
 著者は、「アマチュアでさえも、いや、アマチュアだからこそ、お金の力が競技力そのものに影響力を与えている」と指摘しています。
 本書は、プロでないからこそお金が大きな威力を発揮するアマチュアスポーツの世界を描いた一冊です。


■ 個人的な視点から

 多くの人が高校野球や箱根駅伝を見て感動しているところに水を差す一冊ではありますが、「アマチュアだから」ということで、本人はエージェントとの接触も許されず、裏で金を受け取っている監督や親の言うことを聞かざるを得ない日本のアマチュアスポーツ界の不健全な部分を指摘してくれて胸がすきます。


■ どんな人にオススメ?

・アマチュアはお金にかかわるべきでないと思う人。


■ 関連しそうな本

 生島 淳 『スポーツルールはなぜ不公平か』
 生島 淳 『駅伝がマラソンをダメにした』
 生島 淳 『大国アメリカはスポーツで動く』


■ 百夜百マンガ

東京アンダーグラウンド【東京アンダーグラウンド 】

 東京の地下世界といえば、バイオレンスジャックで八重洲の地下街に閉じ込められた人々の話を思い出しました。

2009年10月 7日 (水)

スタジアムの戦後史―夢と欲望の60年

■ 書籍情報

スタジアムの戦後史―夢と欲望の60年   【スタジアムの戦後史―夢と欲望の60年】(#)

  阿部 珠樹
  価格: ¥777 (税込)
  平凡社(2005/07)

 本書は、「5つのスタジアムを取り上げ、そこに関わった人々、演じられた勝負、引き起こされた反響を手がかりに、スポーツとスタジアムが戦後史の中で果たしてきた役割、映し出してきた時代の空気を探ってみよう」としたものです。
 第1章「後楽園球場」では、「後楽園球場で注目されるのは、構想の段階から、単なる野球専用の球状ではなく、コンサートなどのステージを作ったり、タクシーの駐車場を観覧席の下に設けるといった多目的球状として計画されていた点」だとして、スキーのジャンプ大会、サーカス大会、映画の上映会、軍関係のイベントなどが盛んに行われたことを紹介しています。
 そして、「日本のアマチュア野球には独特の禁欲主義が根強い」として、甲子園に「華美な電光スコアボードは必要ない」とするアマチュア関係者の考え方の対極に後楽園球場があるとして、「楽しいものを楽しく見る。つぎつぎに導入される設備は、楽しさ、心地よさをひたすら増幅させるアイテムである。新しい設備に彩られた後楽園球場は、個人の欲望に忠実な戦後の世相に歩調を合わせた、享楽的な空間とさえいえた」と述べています。
 第2章「両国国技館」では、「天皇が熱心な相撲ファンであったことは良く知られている」とした上で、「昭和天皇にとって、両国は、災厄の記憶と強く結びつく場所だったはずである」として、関東大震災や東京大空襲を挙げ、「領国を訪れるたびに、昭和天皇はその地に眠る死者たち否応なしに向き合うことになった。いや、そうすることを自らに課していたのかもしれない」と述べています。
 第3章「川崎球場」では、「工業都市としての発展は、若い働き手を全国から大量に川崎に呼び集めることになった」として、「川崎は、『働く若者の町』だった」と述べ、「競輪、競馬や野球観戦は若い男の手ごろな気晴らしだった。3つのスタジアムに隣接して、日本有数のソープランド地帯が出来上がっていったのも、やはり、ここが若い男の遊び場だったからだ」と述べています。
 そして、川崎を本拠地にした大洋ホエールズについて、「どちらかといえば無名の若い選手たちが、三原というよき指導者を得て、才能を存分に開花させ、権威であるジャイアンツを打ち破り、日本一の座につく」と言うシンデレラストーリーは、「川崎に集まる若い働き手たち」の夢を「いち早く実現してくれたようなものだった」と述べています。
 第4章「日本武道館」では、「伝統文化と国際化の相克」が、「日本武道館そのものと深く関わる問題だった」として、武道館の設計を、「単なる復古思想、国粋主義への傾斜とみなすのは誤り」だとして、「この時代、日本的テイストを持つことは、国際主義と相反するものではなかった」と述べるとともに、ビートルズの武道館公演に「武道関係者や民族は団体などを中心に、反対の声が湧き起こった」ことを紹介し、「一見、国粋主義の牙城に見えないこともない武道館だが、ビートルズの公園で示されたように、一面ではきわめて国際的な要素も併せ持っていた」として、「そうした二面性が、武道館に、他のスポーツ会場とは違う個性を与えていた」と述べています。
 また、爆風スランプの『大きな玉ねぎの下で』を取り上げ、「玉ねぎとは武道館の屋根の頂上に置かれた黄金の擬宝珠のことである」と述べています。
 第5章「東京スタジアム」では、大毎オリオンズのオーナーだった映画会社大映の社長、永田雅一について、「永田の行くところ、決まって波乱、騒乱が巻き起こる」として「ラッパ」と呼ばれる名物男だと紹介しています。
 本書は、スタジアムを通じて戦後の日本の娯楽の歴史を追った一冊です。


■ 個人的な視点から

 爆スラのたまねぎの曲は、初武道館で空席があったときの言い訳用に、空席はペンフレンドが来てくれなかったから、という歌詞なんだと最近知りました。当時は知らずにコピーしたりしていましたです。


■ どんな人にオススメ?

・スタジアムの興奮が好きな人。


■ 関連しそうな本

 佐野 正幸 『あの頃こんな球場があった―昭和プロ野球秘史』


■ 百夜百マンガ

最強伝説 黒沢【最強伝説 黒沢 】

 冴えない中年という点で「鉄人ガンマ」っぽい感じもしますが、基本は「破壊王ノリタカ!」系なんでしょうか。

2009年10月 6日 (火)

ラジオ体操の誕生

■ 書籍情報

ラジオ体操の誕生   【ラジオ体操の誕生】(#)

  黒田 勇
  価格: ¥1680 (税込)
  青弓社(1999/11)

 本書は、「ラジオ体操の『発明』とその後の経過を明らかにすること」を狙いつつ、「ラジオ体操とは何であったのか、いいかえれば、当時の日本人にとってのラジオ体操の意味を、日本人の身体と時間の問題を中心として明らかに」しようとするものです。
 第1章「ラジオ体操の創始と保健衛生」では、1928年11月1日午前7時に、「東京中央放送局(AK)で開始されたものをもってラジオ体操の開始とするのが一般的」だとした上で、簡易保険がラジオ体操を開始した理由として、「その加入者を増やすばかりでなく、被保険者の健康の保持増進もまた事業の使命であり、そのことがひるがえって死亡者を減少させ、保険事業が発達することにもなる」ことを挙げています。
 第2章「身体と健康の近代化」では、「からだを資本」とする主張が「説得力を持つのは、日本人の中に、健康不安、個人の身体に関する不安が、家族や家族の経済との関連で認識し始めたから」だとして、「かつて農村共同体においては、個々の身体は生殖によって再生産され維持されていき、また生産活動においても、他の人の身体と代替されうる身体として把握されていた」が、「明治維新以来の近代化は、徐々にその農村共同体から都市という場に個人を吐き出し始め、とりわけ1920年代に至って工場労働者をはじめとしたサラリーマン層を増大させていった」結果、「これらの人々は自らの進退にだけ依存して生活する人々」であり、「その身体は家庭を請一回限りの固有性を持ったものとして現れてくる」として、「近代固有の身体への不安が人々に認識され始めた時期、そして生命保険の考え方が人々に現実感を持って迎えられるようになった時期であった」と述べています。
 また、ラジオ体操に見られる近代的生産様式の適応を、
(1)身体そのものの矯正
(2)身体の近代的時間への同調
の2つの側面で考えることができると述べています。
 そして、「日本における体操というもののあり方が重要な条件となっている」として、「日本における体操とは、兵式体操に始まり」、「学校教育の中で行われる集団のもの、屋外で行うものという考え」があり、「それは個々の身体の鍛錬とともに、集団の規律を内面化させる場でもあった」と指摘しています。
 第3章「ラジオ体操と時間の近代化」では、「ラジオ体操は『早起き』が重要な構成要素となっている」として、「ラジオ体操以前に、朝早く起きる運動、そして集団での体操などによって、身体及び精神にいい影響を与えるはずだという一種信仰にも似た信念は、十分な下地が完成していた」ことを指摘しています。
 また、明治政府がそれまでの不定時法を捨て、太陽時による定時法を採用したことについて、「国家的制度としての時間制度の変更は瞬時になされたが、日本人の時間感覚の変更は、そう簡単にできるものではなかった」とした上で、「こうした時間の再編成過程で、それを人々にもっともリアルな形で示すことができたのはラジオであった」と述べています。
 第4章「ニューメディアとしてのラジオ」では、ラジオが、「新しい時代の健全な家庭生活の必需品として迎えられつつあったが、ラジオと体操が結びつくことによって、ラジオ体操は当然、健全な過程のためにという文脈のなかに位置づけられることにもなる」と述べています。
 第5章「ラジオ体操とスポーツへの熱狂」では、「厳密に言えば、ラジオ体操は文部省の思想善導政策の具体的方策として生まれてきたわけではない」が、簡易保険局の保健事業として企画されたものに、「文部省が思想善導との親和性に気づき、その企画に乗り、ラジオ体操と思想善導が次第に公式に結び付けられていった」と述べています。
 そして、「誰にでもできる身体の合理化運動」と受け取られたラジオ体操について、「自らの身体への働きかけにより現実感を持たせたのは、メディアを通したスポーツへの注目であった」として、「メディアを通して、身体を動かす楽しみ、そしてその熱狂が伝わり、それらが人々の身体への注目を支えた」と述べています。
 また、1931年7月・8月に東京でラジオ体操の会が行われたことについて、「こうした集団化によって、ラジオ体操の意義も変化してくる」として、「ラジオ体操は、その集団性によって共同性や民族精神の象徴行為として認識されるようになった」と述べています。
 著者は、ラジオ体操は、「健康づくりの運動として、そして『身体そのものの合理化』のための簡易な運動として開始された。そして、戦争が終わるまでその目的に大きな変更はなかった」として、「あえていうならば、健康の意味が変更されたと言うべきだろう。ラジオ体操によって達成すべき健康が個々人の価値から国家的価値へと変換されたのである」と指摘しています。
 本書は、おなじみのラジオ体操が持つ、深い根と長い歴史を追った一冊です。


■ 個人的な視点から

 ラジオ体操自体が古いのは想像つきましたが、ラジオ体操の下地に「早起き運動」があると言うのは発見でした。本当は早起きよりも睡眠時間を確保するほうが健康になれそうです。


■ どんな人にオススメ?

・ラジオ体操を不思議だと思う人。


■ 関連しそうな本

 高橋 秀実 『素晴らしきラジオ体操』
 吉見 俊哉 『一九三〇年代のメディアと身体』


■ 百夜百マンガ

JIN―仁【JIN―仁 】

 ドラマ化されて話題になりました。タイムスリップものはやっぱり設定自体で面白い。スーパージャンプって昔の黄金時代の少年ジャンプの漫画家の再生工場かと思ってたらサンデーの人もいるんですね。

2009年10月 5日 (月)

運動会と日本近代

■ 書籍情報

運動会と日本近代   【運動会と日本近代】(#)

  吉見 俊哉, 平田 宗史, 入江 克己, 白幡 洋三郎, 木村 吉次, 紙透 雅子
  価格: ¥1680 (税込)
  青弓社(1999/12)

 本書は、「世界に類を見ない日本独特のイベント」である「運動会」について、「人々が民族的記憶として培ってきた祭りを取り込みながら、近代的な社会システム構築の礎とされたその歴史を検証し、日本人の集団的無意識が顕現する場としての運動会を多角的に考察」したものです。
 第1章「ネーションの儀礼としての運動会」では、「運動会もまた、こうした近代の国民国家がみずからの権力の新たなフォーメーションの一環として発明し、演出していった典型的な『近代のマツリ』の一つである」と述べた上で、「運動会はけっしてたんに国家が『上から』児童=国民の身体を規律=訓練化していく装置としてのみ存在したわけでは」なく、「日本近代を通じたこの催しに対する地域社会のなかでの根強い人気は、運動会が、国家的な制度という以上にまず何よりも村の祭りとして受容されていたことを示している」として期しています。
 そして、「運動会が全国の学校行事となっていくなかで起きたのは、かならずしも国家による児童の身体に対する統制力の貫徹ではなく、むしろ運動会の祭礼化・興行化であった」と述べています。
 第2章「福沢諭吉の運動会」では、福沢諭吉の子育ての基本姿勢が、「まず身体をつくる、健康に育てること」にあり、そのことを、「獣身を成す」と表現していることを紹介した上で、「福沢諭吉と身体運動とをつなぐものはスポーツではなかったようだ」として、福沢が、「精神に先立つ肉体、心を支える身という、いまでなら普通の心理から導き出される運動論を語り続けた」と述べています。
 第3章「わが国の運動会の歴史」では、1974年に海軍兵学寮で始まった「アスレチック・スポーツ」を翻訳した「競闘遊戯」について、注目すべき点として、参加者には水路寮・軍医寮などの生徒もいたことや、その内容は当時の授業のカリキュラム内容にないものであること、外交人の来観を奨励していることなどを挙げています。
 そして、明治期の運動会について、一貫して頻繁に実施された種目は「綱引き」であり、ついで徒競走が続くと述べています。
 また、大正時代には運動会の風景が変わってきて、「運動場の中央に高いポールがたてられ、そのてっぺんに『日の丸』がを掲げ、それに万国旗を結びつけた長いロープを四方八方へ引っ張り、その中央においたオルガンを教師が弾き、そのまわりと児童・生徒が取り囲み演技する風景が多く見られるようになる」と述べ、開会式では「君が代」が斉唱され、閉会式では万歳三唱が行われたと述べています。
 第4章「明治政府の運動会政策」では、「日本の運動会の成立過程には身体運動を集団的に展覧する2つの方式が存在し、その交錯したところに運動会が成立した」として、
(1)競闘遊戯会の系譜
(2)体操演習会の系譜
の2点を挙げ、「その形成の過程にあっては、一方で政府による運動会の開催と普及の奨励が行われるとともに、他方では運動会の政治化を抑え込むための徹底した抑圧策がとられた」ことを指摘しています。
 そして、「明治政府は、近代国家形成の前提となる国民の身体・集団の規律訓練・秩序化を推進するために学校の運動会を大いに奨励しながら、一方では国家権力の設定した秩序から逸脱する群衆的・政治的性格の書生運動会を禁止し、弾圧していった」と述べています。
 第5章「近代の天皇制と明治神宮競技大会」では、戦後の国民体育大会の創始過程を、昭和戦前の明治神宮競技大会の創始の過程と「あまりに酷似している」と指摘し、「当時の関係者の心底に、戦前の明治神宮大海への追慕とスポーツへの郷愁と情熱との流れ」があったと述べています。
 そして、神宮大会が、内務省の主催で1924年の第1回大会から、第14回大会まで、「昭和戦前の天皇制絶対主義のもとで皇道主義・日本精神主義などを理念とする日本ファシズムの浸透とともに、満州事変以後には、数百万の国民を侵略戦争に駆り立て他国や他民族を軍靴で支配し、圧殺する一大国家装置として、わが国近代スポーツの体質を象徴するものだった」と述べています。
 また、「ナショナルな集団や組織への帰属意識を強化するためには、たんなる強制や掛け声だけでは不可能であり、統合や従属のシンボルに心情的に癒着させる装置が不可欠である」として、「超自然的営力の神神同型説的人格化」をうながし、「身分や従順についての現行の感覚を固定させ」、さらには「見栄や差別的比較の習癖を練成強化させ、(略)個人的な支配と服従の関係を判別し、是認する」性格を持つ「さまざまなスポーツ・イベントなどを通して国民の身体を能動的、かつ自発的に支配―被支配の関係に参加させ、権力構造を内面化させてきた事実を思い起こすべきである」と述べています。
 本書は、スポーツがどのように日本社会に活用されてきたかを、歴史の事実から教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 いまどきの若い人が「運動会」なんかで思想統制されるはずがないとお思いの方も多いと思いますが、本書から学ぶべきは、その時に大衆に一番受ける流行が国家による統制の道具とされていることであって、もしかすると「J-POP」や「カラオケ」なんかが国民の思想統制に使われているのではないかと心配してみることではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・運動会はどうして今の形になったのかを知りたい人。


■ 関連しそうな本

 吉見 俊哉 『一九三〇年代のメディアと身体』
 高橋 一郎, 谷口 雅子, 角田 聡美, 萩原 美代子, 掛水 通子 『ブルマーの社会史―女子体育へのまなざし』
 高橋 秀実 『素晴らしきラジオ体操』
 橋本 毅彦, 栗山 茂久 『遅刻の誕生―近代日本における時間意識の形成』 2006年05月11日


■ 百夜百マンガ

ムダヅモ無き改革【ムダヅモ無き改革 】

 各国首脳によるマージャンと聞いてタモリの「四カ国麻雀」を思い出してしまうのは年寄りの証拠でしょうか。ああそうですか。

2009年10月 4日 (日)

スポーツ・エージェント―アメリカの巨大産業を操る怪物たち

■ 書籍情報

スポーツ・エージェント―アメリカの巨大産業を操る怪物たち   【スポーツ・エージェント―アメリカの巨大産業を操る怪物たち】(#1718)

  梅田 香子
  価格: ¥693 (税込)
  文藝春秋(2000/04)

 本書は、「もはや単なる裏方を脱し、華々しい脚光を浴びる表舞台に登場しつつある『スポーツ・エージェント』たちの、その仕事ぶり、内幕と形態、歴史、問題点を通して、ビジネス社会アメリカの実態」に迫ろうとしたものです。
 第1章「アメリカ社会とスポーツ・ビジネスの繁栄」では、「成功しているエージェントには法律学校出身者が多い」として、「やはりエージェントより弁護士のほうが、世間一般のとおりがいいようなのだ」と述べています。
 そして、NBAチャールズ・バークレーが、「スポーツ・エージェントなんかとは手を切れ。契約の交渉は弁護士を使って自分でやるべきだ。スポーツ選手のサラリーなんて、案外、簡単に決まるものなんだ」と断言していることについて、彼が契約したランス・ラスニックと名乗るエージェントが、「バークレーから預かった金をひそかに不動産や株などの危険なベンチャー・ビジネスにつぎ込んで」しまった上、「バークレーの所得税さえ払っていなかった」ことに、「プロ入りしてから4年間というもの、バークレーはそのことに全く気づかずにいた」と言う経験を紹介しています。
 また、「選手組合の顧問弁護士からエージェントに転進して成功を収めた」ディック・モスについて、「裏事情を知り尽くしていることもあり、選手組合からエージェントになったものには成功者が多いようだ」と述べています。
 第2章「素顔のスポーツ・エージェントたち」では、「エージェントの仕事は、球団と金銭交渉をするだけではない。顧客がトラブルを起こすたびに、アメリカ中を駆け回らなくてはならない」として、こうしたトラブル処理のエキスパートであるアーン・テーレムについて、彼が、「トラブル処理係」のイメージを持つようになったのは、アルバート・ベルとラトレル・スプリーウェルという「彼らだけでゆうに百人分のトラブルを引き起こすと言っても過言でないほどの、スポーツ界きってのトラブルメーカー」であるからだと述べています。そして、顧客第1号のラングストンが、「テーレムならどんな厄介ごとでもイヤな顔せず、選手の見方になって処理しようと最善を尽くしてくれる」と語っていることを紹介しています。
 また、「エージェントには大きく分けて2つある」として、
(1)〈IMG〉や〈プロサーブ〉のように、三百人以上の顧客を抱える大手のエージェント会社
(2)家族や友人と小さなオフィスを抱え、ほんの少数の選手をマネージメントするケース
の2つを挙げたうえで、「スポーツ・エージェントの世界でも圧倒的に多いのはユダヤ系アメリカ人で、ゆうに半数以上を占めている」と述べています。
 第3章「組織化されていくスポーツ・マネージメント」では、アメリカの三大スポーツ・マネージメント会社として、〈IMG〉〈アドバンテージ・インターナショナル〉〈プロサーブ〉の3社を挙げた上で、〈IMG〉の創業者マーク・マコーマックについて、アメリカで1950年代にゴルフのテレビ中継が始まり人気が急速に高まっていることに目をつけ、資本金500ドルで会社を起こし、その第1号クライアントはアーノルド・パーマーだったと述べ、「〈IMG〉の成功は、動きがスピーディなところにあった」と述べています。
 そして、〈IMG〉が、「世界最大規模のエージェント会社であると同時に、単体としては世界最大規模のスポーツ番組のテレビ放映権配給会社であり、ライセンス管理会社であり、コンサルタント会社でもあるのだ」と述べています。
 著者は、「欲望と権謀術数の限りをつくした結果、プロスポーツ界における金の問題は行き着くところまで行き着いた感がある」と述べています。
 本書は、映画のイメージで語られることの多いスポーツ・エージェントの最前線を伝える一冊です。


■ 個人的な視点から

 アメリカは訴訟社会というのはよく聞きますが、有名人になるとダメ元で訴訟を起こされることが必ずあるというのは大変な話だと思いました。「有名税」って言葉で済まされるのでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・アメリカのスポーツビジネスの様子を聞きたい人。


■ 関連しそうな本

 平田 竹男, 中村 好男 『トップスポーツビジネスの最前線2007――モーニング娘。のフットサル普及ミッションから中田英寿引退プロジェクトまで』 2009年10月 1日
 広瀬 一郎 『新スポーツマーケティング―制度変革に向けて』 2009年9月16日
 堀 繁, 薄井 充裕, 木田 悟 『スポーツで地域をつくる』 2009年9月17日
 原田 宗彦 『スポーツ産業論 第4版』 2009年9月18日
 原田 宗彦, 松岡 宏高, 藤本 淳也 『スポーツマーケティング』 2009年9月19日
 広瀬 一郎 『スポーツ・マネジメント入門』 2009年9月29日


■ 百夜百音

FALL IN LOVE【FALL IN LOVE】 小林明子 オリジナル盤発売: 1985

 金妻の主題歌ということで話題になりましたが、声質が似ているということでカーペンターズのカバーをしたり、リチャードがプロデュースをしたりということがあったようです。


2009年10月 2日 (金)

トップスポーツビジネスの最前線―勝利と収益を生む戦略

■ 書籍情報

トップスポーツビジネスの最前線―勝利と収益を生む戦略   【トップスポーツビジネスの最前線―勝利と収益を生む戦略】(#)

  平田 竹男, 中村 好男
  価格: ¥1700 (税込)
  講談社(2006/7/26)

 本書は、「スポーツビジネスを学問に、そしてスポーツビジネスをこの国の一大産業にしたい当壮大な夢の実現」を目指した早稲田大学の講義の2年目の講座を収録したものです。
 第1回「スポーツビジネスとは」では、「スポーツを"職業"としてもっと高めなければならない」という問題意識を述べた上で、スポーツの使命として、
(1)勝つ
(2)お金――儲かる、うまく収支が合う
(3)裾野に対する普及
の3点を挙げています。
 第4回「トップスポーツの現場(陸上)」では、「各自治体が開催している市民マラソンは非常に人気が」あるとする一方で、「現在はテレビに映らない競技については、非常に苦戦をして」いると述べています。
 第5回「スポーツ選手強化の現場」では、「成長過程に応じたトレーニングが非常に大事」だとして、「ゴールデンエイジ」と呼ばれる10~12歳の間に、「ヒトの神経の発達の95%は達成」されると述べ、「成長過程に応じて無駄のないトレーニングをすることは、すごく大事」だと述べています。
 第9回「スポーツ・エージェントの現場」では、「選手寿命は短くて、一時ウワッと稼いでもピタッと稼げなくなること」があるとして、「いかにお金を蓄え、将来のために増やしていくかということ」を、税理士、会計士、ファイナンシャル・プランナー、証券マン、銀行マンなど、外部のスタッフとコミュニケーションして、「選手に紹介してけるような関係をつくって」いると述べています。
 第10回「スポーツマーケティングの最前線」では、30年前に電通が、「4マス」(テレビ、ラジオ、新聞、雑誌)だけで「将来も食べていけるだろうか」、「4マス以外のビジネスを今から手がけていかなければ、電通の将来はないのではないかという危機感」から、新聞や開発の社内プロジェクトと立ち上げ、「結論として、やはり広告とかかわりのあるビジネスに取り組んでいくべき」だとする結論に達し、そのきっかけのひとつが「スポーツのビジネスの誕生」だったと述べています。
 そして、1976年の「ペレ、さよならゲーム」の成功によって、サッカー協会も「やり方によってはサッカーにも人が呼べる」ということを体験したと述べ、「その主たる要因は、マスコミにいかにうまく協力していただくか」だと指摘しています。
 そして、「全社と付き合って、全部門が会社の中にあるということこそ、電通の力だ」として、「スポーツの分野で突出して電通がIOCやFIFAとお付き合いいただいている理由は、販売も企画も全部会社の中にあるからということに尽きる」として、「この分野では欧米の広告会社はまったく競合になりえません」と述べています。
 本書は、スポーツビジネスの現場の声を伝える一冊です。


■ 個人的な視点から

 第6回「スポーツビジネス」最前線では、木村剛氏が、IBMのトーマス・ワトソン・シニアが、「コンピュータの市場は世界全体で5万台程度だろう」という予測をしたという逸話を紹介していますが、ワトソンが行ったといわれているのは「5台」だったかと思います。それを考えると予測の難しさがわかります。
 もっとも、この「世界に5台」という話自体も都市伝説のようですが。
http://blogs.itmedia.co.jp/mm21/2007/03/5_03b5.html


■ どんな人にオススメ?

・スポーツをビジネスの視点から見たい人。


■ 関連しそうな本

 平田 竹男, 中村 好男 『トップスポーツビジネスの最前線2007――モーニング娘。のフットサル普及ミッションから中田英寿引退プロジェクトまで』 2009年10月 1日
 広瀬 一郎 『新スポーツマーケティング―制度変革に向けて』 2009年9月16日
 堀 繁, 薄井 充裕, 木田 悟 『スポーツで地域をつくる』 2009年9月17日
 原田 宗彦 『スポーツ産業論 第4版』 2009年9月18日
 原田 宗彦, 松岡 宏高, 藤本 淳也 『スポーツマーケティング』 2009年9月19日
 広瀬 一郎 『スポーツ・マネジメント入門』 2009年9月29日


■ 百夜百マンガ

甲子園へ行こう!【甲子園へ行こう! 】

 『ドラゴン桜』で勝つための受験勉強にショックを受けた人も多いと思いますが、高校野球もそういう目で見ると面白そうです。

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