行政その他

2016年8月 1日 (月)

「地方創生と消滅」の社会学: 日本のコミュニティのゆくえ

■ 書籍情報

「地方創生と消滅」の社会学: 日本のコミュニティのゆくえ   【「地方創生と消滅」の社会学: 日本のコミュニティのゆくえ】(#2556)

  金子 勇
  価格: ¥3,240 (税込)
  ミネルヴァ書房(2016/1/15)

 本書は、「北海道での過疎地域研究を基盤として、日本各地の事例から得られた『創生』に向けての知見を総合的に提唱する」ものです。
 第1章「地方日本の消滅論と地方創生問題」では、「『地方消滅』をめぐる論戦は2015年になっても活発に行われているのだが、全体社会の人口減少胴体に対して、消滅を克服した地方集落の単一事例を対置するという構図が濃厚であり、日本全体に応用可能な汎用性が得られていない」と指摘し、「増田批判者が好む農業限定の地方創生論は、社会的逆機能として多様性の機会を奪っていると言ってよい。活用可能な地域社会資源を農業分野に限定することは地方創生論を閉塞させ、むしろ増田『地方消滅』の批判者の思惑とは反対に、創生のための多様性の機会を奪うことになる」と述べています。
 第3章「サステナビリティ論による地方創生研究」では、パーソンズによれば、「すべての社会システムは次のAGILによって特徴づけられている」として、
・A(Adaptation):適応
・G(goal attainment):目標達成という利害関心のなかで環境を取り扱うこと
・I(integration):統合
・L(latent pattern and tension management):社会基盤の安定と社会的緊張の処理
の4点を挙げています。
 そして、「コミュニティ論の分野では、2つの死ゅ浮き的問題が発生する。それは、個人はいかにしてコミュニティと結び付けられ、コミュニティはいかにして社会と結び付けられるか、と表現できる」と述べています。
 第4章「コミュニティのDL理論と内発的発展」では、「社会システムにはコンフリクト、リスク、不調和、緊張などによる間接的影響と直接的影響が混在する。コミュニティの社会システム論でもそれは同じであり、過疎地域に関しての私の原体験は北海道後志地方であるが、かつての調査を思い起こし、調査ノートを参照しながら、社会システム論的な発想で地方創生への道筋を辿ってみたのが本書である」と述べています。
 第5章「地方創生と労働者の福祉活動」では、過疎地集落において、
(1)高齢者の小家族化
(2)商店街の空洞化
(3)産み育てる医療の崩壊
(4)バス路線など公共交通機能の縮小
(5)義務教育施設の統廃合
(6)交番の廃止
(7)郵便局の閉鎖
(8)ガソリンスタンドの廃止
などが、「順不同ながらかなり並行的に進む傾向にある」と述べています。
 本書は、各地の事例を元に、地方創生の可能性を探った一冊です。


■ 個人的な視点から

 「地方創生」という言葉自体は新しいかもしれませんが、地方の時代とか地域活性化とかもうかれこれ何十年も同じことを繰り返してはコンサルの皆さんの養分となり続けてきたわけです。


■ どんな人にオススメ?

・これからは地方の時代だと思う人。


2016年7月24日 (日)

Q&A非正規地方公務員の雇用実務

■ 書籍情報

Q&A非正規地方公務員の雇用実務   【Q&A非正規地方公務員の雇用実務】(#2548)

  鵜養 幸雄
  価格: ¥4,428 (税込)
  ぎょうせい(2015/12/1)

 本書は、非正規地方公務員について、「自治体・公務組織での『実務』や『現場』での制度運用を念頭におき」、「総務省発出の通知、公務員部の示した見解等をベースに必要に応じてそれらの内容の『解きほぐし』を加えたもの」です。
 第1章「総論」では、「『非正規公務員』という言葉は、『常勤』でない『職員』についての勤務条件(労働条件)などに関して実務上の取り扱いについて議論がなされる際に用いられて」いると述べた上で、「非常勤職員」が設けられてきた経緯について、
(1)嘱託制度
(2)臨時職員制度
(3)非常勤職員制度
の3点について解説しています。
 また、臨時的任用職員について、「緊急の場合、臨時の職の場合または任用候補者名簿がない場合において、6月を超えない期間で任用され、更新は1回のみで、1年を超えることはできないこととされて」いるとしています。
 また、総務省の「26年通知」について、「21年通知」の趣旨が必ずしも徹底されていないとして、
・制度趣旨との整合性が疑われる特別職非常勤の任用事例が散見された
・時間外勤務に対する報酬を法律上支給できないと考えていた
・年次有給休暇の付与について最低基準を満たしていない
などの実態があったと指摘されているとしています。
 第2章「臨時・非常勤職員」では、その給与・報酬の仕組みとして、
・非常勤→「報酬」と「費用弁償」
・常勤→「給与・旅費」と「手当」
が支給されることとなり、「地方公務員の給与に関する法律の規定」が読みにくくなっている理由として、
(1)規定する法律が自治法と地公法とに分かれている
(2)自治法では特別職・一般職に共通する仕組みが整理され、他方で地公法は一般職(職業公務員)に関する任免、勤務条件、服務等の根本基準を定め、その適用が適当でないものは「特別職」としてその適用を除外し、他方では、常勤・非常勤の別には敏感でない。また、給与以外の勤務条件については地公法の整理を待たなければならない。
(3)給与の要素である「手当」については、その種類が自治法において明示・列挙されている。
の3点を挙げています。
 第3章「任期付職員」では、「任期の定めのない常勤職員と同様の『本格的業務』に従事することが可能な制度として位置づけられ」ており、「任期・勤務時間を柔軟に設定できるもの」と述べています。
 また、任期付職員の給与について、「任期付運用通知において、その職に適用すべき各給料表の職務の級ごとに、職務の評価を基本とした単一号給を設けることが適当であるとされている」一方で、「公的な資格を有する者など一定の専門的な知識経験を有する人材の確保のため特に必要な事情が認められる場合については、任期付職員の給料表への号給の増設または同種の業務に従事する常勤職員が用いる給料表の使用を条例に規定することにより、昇給や過去の経験を踏まえた号給の決定を行うことも否定されていない」と述べています。
 本書は、非正規地方公務員に関する制度を解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 非常勤の地方公務員に関する制度は根拠法令や通知などが入り乱れていてなおかつ現場での運用がバラバラということで本にまとめるのも難しかったのではないかと思います。

■ どんな人にオススメ?

・非正規職員の雇用に携わっている人。


2016年7月23日 (土)

ナチスと自然保護: 景観美・アウトバーン・森林と狩猟

■ 書籍情報

ナチスと自然保護: 景観美・アウトバーン・森林と狩猟   【ナチスと自然保護: 景観美・アウトバーン・森林と狩猟】(#2547)

  フランク ユケッター (著), 和田 佐規子 (翻訳)
  価格: ¥3,888 (税込)
  築地書館(2015/7/29)

 本書は、「ナチス時代のドイツにおける自然保護に関する議論を、広範囲にわたってまとめたもの」です。
 著者は、「自然保護主義者たちの政治的な特性は振り返ってみれば痛いほど明らかだ。自分たちの目指すものを手に入れるのに有利となれば、いかなる機会をも逃すまいと待ち構えていたのだ。彼らが支払った代償の大きさに気がつくのは、次の世代の自然保護主義者たちだった。彼らの全世代はナチスの大量虐殺の共犯者となったのだった」と述べています。
 第1章「ナチス時代の自然保護主義者たち」では、「ナチス党が自然保護活動を信奉していたのか――あるいはその逆――という問題は、好奇心をそそるが、結局無意味という以上の説明を、歴史上に補足してくれるのだろうか」と述べた上で、原書のタイトルの『緑と茶色』について、「『緑』と『茶色』は遠くはなれたところにある陣営ではなかった。多くの信念を共有し、驚くほど広範囲にわたって共同する2つの集団だったのである。緑は多くの点で茶色だったのだ。これから明らかになってくるのは、複雑で単純明快な説明を拒む物語である」と述べています。
 第2章「歪む愛国主義」では、「ナチス体験を踏まえれば、自然保護運動の政治的立場は特別な注意を要する。一般大衆の間の強い地域主義にもかかわらず、ドイツの自然保護運動はその時代の最もブルジョア的な運動であり、つねにナショナリストの集まりだった」と述べています。
 そして、「自然保護と国家社会主義との思想的な合流は思った以上に困難を伴った。ヒトラーの著作や演説のテーマは自然保護主義者の問題意識から遠く離れていただけでなく、注意深い読者には激しい環境破壊の含みも明らかだった」と述べ、「ヒトラーにとって、アルプスの景色は自分を目立たせるための背景に過ぎず、ベルリンでの政府の官僚仕事からの避難所の役割以上ではなかったのである」としています。
 また、「ナチス時代の自然保護の歴史について、その著しい特徴として、自然保護団体と真のナチス精神とでは異なった自然保護を提案していても、それぞれの思想家たちの間に対立抗争が全く無かったという点があげられる」と述べ、「ごく一般的に言って、自然保護主義者が力点を置いているのは人間と土地のつながりであり、これはナチスの『ゲルマンの民族性』と『血と土地』の思想とうまく同調した」と述べています。
 第3章「最高潮を迎えたドイツ自然保護」では、「もしも自然保護とナチスの思想の間の関係について要約するとすれば、緑(自然保護)と茶色(ナチス)の間の協調関係の中で行われる運動は、一般化して説明することはできないということになる。結局、さまざまな思想の複雑にすぎる混合物だったのである」と述べた上で、「ナチス政権の最初の2年間は自然保護運動にとって、不穏な均衡を保っていたと言える」としています。
 そして、「両陣営は1935年に劇的に接近し、ナチスに対して、熱狂とまではいかないまでも、強い献身へと心情は変化した」として、1935年の帝国自然保護法を挙げ、「この帝国自然保護法が真に革命的だった部分は、ドイツ自然保護の伝統的基準をはるかに超えて、重要な保護の目的として景観の保護を含んだことだ」と述べています。
 また、「1935年の初めの段階では、帝国自然保護法の先行きは芳しくないように見えた」が、「状況が大きく変わったのはヘルマン・ゲーリングがこの問題を取り上げ、立法を強力に推し進めたこと」によるものであり、「第三帝国における公式の森林管理理念」として知られるようになった「ダウアーヴァルト(Dauerwald)」について、「樹齢もまちまちでときとして樹種さえも異なる、森全体の生態系にも優しい、そんな森の継続的な利用を想定するものだった」と述べています。
 著者は、「結局のところ、ナチス時代、ドイツ自然保護運動に関係する団体間には揚力な同盟関係は発生しなかった」が、「3つの重心の周りに役者グループがかなり混沌とした状態で存在していた」と述べています。
 第4章「自然保護の可能性と限界」では、4つの事例を紹介し、「ナチス時代ドイツにおける保護活動の可能性と限界」が見えてくるとしています。
 そして、「ゲーリングの自然保護制作は2つの目的のために行われていた」として、「保護区は動物や植物にとっての天国を用意すると同時に、そこはカリンハル邸の完璧なる背景であり、かつ熱心なハンターの活動領域だったのである」と述べています。
 また、4つの事例について、「成功の度合いはそれぞれのケースで異なったが、自然保護主義者たちがとった戦略は驚くほど酷似していた。行政が内密に活動を行ったり交渉したりすることをナチス政権が積極的に支持していたことは明らかで、一般市民を巻き込んだ抵抗運動はどのようなものでも疑り深く監視された」として、「自然保護の活動が成功するとするなら、あるいは少なくともいくらかでも前進があるとすると、前身の道は行政内部での交渉だったのである」と述べています。
 第5章「ナチスとの蜜月の終わり」では、「多くの自然保護課にとって、帝国自然保護法は心躍る経験だったとした上で、「戦時中の資料を見ていて驚くのは、一般的に言って、自然保護活動の日々の活動の中でナチスのイデオロギーはごく周縁的な役割を果たしているだけだという点だ」と述べています。
 そして、「自然保護に携わった人々の間に広く共通したジレンマとは、ナチス時代の多くのドイツ人にもよく知られたものだった。許容と妥協という意味で全体主義政権にどこまでついていけるのかという問題である。しかし、自然保護主義者としてこのような大きな心情の変化に耐えることができたか、あるいは少なくとも外に表したグループはほとんどなかった」と述べ、「ナチスが政権を取ってからは、特に1935年の帝国自然保護法の成立以後は、自然保護団体の仲間たちはヘルマン・ゲーリングとアドルフ・ヒトラーの中核的目標であるとして自然保護を協力に売り込んでいったのだ。自然保護者たちがナチスとの友好関係へと入っていったことは、ある意味では、物質的利益を求めて精神的価値を犠牲にしたファウストの取引のようなものだった」と述べています。
 第6章「変貌を遂げた景観」では、「結論として、ナチス時代の環境に関する収支バランスを査定することは驚くほど困難のようにおもわれる」とした上で、「自然保護運動にナチスが正式に参入してくるということは、環境への壊滅的な被害をわずか一歩手前で食い止めたというだけだったかもしれないが、それでも多少はプラスの効果があったのではないか」と述べています。
 第7章「継続と沈黙と」では、「ナチス時代が終わった後の自然保護主義者の間で支配的になっていた感情」として、「ドイツ社会のどの部分をとっても同様だ。すなわち、『過去について語りすぎてはならない』というものだ」とした上で、「たとえ環境主義者たちが自身の歴史の存在を認めるとしても、語り出さないほうが望ましい重荷として見ていたのである。このように、ナチスの過去とは、なにか厄介な影のような存在、一斉に空気中に拡散してしまう、語ることが不可能なテーマとなった」と述べています。
 第8章「教訓」では、「イデオロギー問題ばかりに注目していては、近視眼的な捉え方になるだろう」として、「自然保護主義者たちの社会とナチスの間のイデオロギー上の友好関係は不完全なものにとどまっていた。自然保護主義者は、しばしばナチスのレトリックを借用するようになったが、両者の考え方が継ぎ目なしに一体となることは実現しなかった」と述べた上で、「ナチス時代に自然保護主義の社会に参加するために必要だったのは、ナチスの権威に対して喜んで協力する態度と、言うまでもないことだが、意見の相違する点についてはいつでも口をつぐむ準備ができていることだ。当時のドイツ自然保護主義者たちは、進んでこの対価を支払ったものが大多数だった」と指摘しています。
 本書は、戦後のドイツ社会において語られることのなかった「ナチスへの協力」問題を自然保護主義者について炙りだした一冊です。


■ 個人的な視点から

 「ナチスへの協力」問題は戦後ドイツ社会の最大のタブーであったわけですが、普段世の中の一段高いところから高潔な主張をしている自然保護主義者とナチスの関係となればなおのことハードルは高かったのではないかと思います。特にドイツの環境政策を持ち上げまくる出羽守にとっては梯子を外される事態なのではないでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・ドイツの自然保護は世界一ィィィ!!!と思う人。


2016年7月20日 (水)

源流からたどる翻訳法令用語の来歴

■ 書籍情報

源流からたどる翻訳法令用語の来歴   【源流からたどる翻訳法令用語の来歴】(#2544)

  古田裕清
  価格: ¥1,620 (税込)
  中央大学出版部(2015/12/7)

 本書は、「法律用語もほとんどがドイツ語やフランス語からの翻訳語である」ことから、「日本の法律用語統括に英訳すると、ローマ法と英米法という2つの異なる伝統が混戦して、誤解が発生しかねない」ため、「法律用語の欧州語原語からの来歴を辿りつつ、英文の法務文書に関わる企業関係者にとって有益な視点を提供」することを目的としたものです。
 第1話「債権と債務」では、「英語の法律用語はコモンロー(ゲルマン慣習法)の伝統に裏打ちされたものが多い」ため、「英文契約書の作成時には単なる翻訳のみならず、ローマ法とコモンローの伝統同士のぶつかり合いも生じる」と述べています。
 第4話「義務と責任」では、「現代的な理解では、責任と義務は異なる。責任とは、自由を行使した結果を自ら引き受けること(自己責任)」であるのに対し、「義務とは、自分の自由意志と独立に、何であれ規範(宗教的規範、道徳的規範ん、法的規範)が命ずるもの」だとした上で、「dutyとdebtは元来、同じ後であり、債務を意味する」が、「debtはいまも原意を保つが、dutyはより一般的な『義務』を表す語へと変質した」と述べています。
 第5話「善良なる管理者」では、「日本民法中の『善良な管理者』という語はボアソナードの置き土産で、その源はフランスにある」とした上で、「管理者の『善良さ』は過失がないことを意味するが、これもローマ法起源の考え方。管理者が善良かどうかの判断指針として、欧州大陸では伝統的に家父との類否が用いられる」と述べ、「英語圏の方には管理者を家父と類比的に捉える習慣がない」と述べています。
 第7話「事務と業務」では、「日本の法律用語には『義務』『債務』など『務』で終わるものが多い」ことについて、「『義務』はduty、『債務』はobligationの直訳語で、明治期の新造語。『事務』や『業務』は古くからの二次熟語だが、明治期に欧州の法律用語の直訳語へと転用され、現在に至っている」と述べています。
 第8話「請求と請求権」では、「明治以降、日本語はclaimの二重性格を律儀に分析し、事実としては『請求』、理念としては『請求権』、と訳し分けた」ため、「日本語の翻訳語彙(いわゆる専門用語)は飛躍的に増大した」一方、「日本語空間では理念と事実が分割・並列され、語彙に潜む欧州的なダイナミズムは平板化されてしまった」と述べています。
 第11話「瑕疵」では、「売買当事者の悪意・善意に応じて両者に責任と権利を割り振る日本民法の規定も、買主保護に力点を置くドイツ法の影響下にある」として、「こうした規定は当事者主義を原則とする英米法にはない」と述べ、この違いを、「英米法の原則は『買主注意せよ(Caveat emptor)』、ローマ法系のそれは『売り主注意せよ(Caveat venditor)』と形容されることもある」と述べています。
 第12話「危険について」では、「hazardはもともとアラビア語で『さいころ』の意。現代英語では『どう転ぶかわからない不確実性(不注意なまま放置すると事故やトラブル発生に繋がる)』、転じて『事前に注意を向けて対策を立てておくべき事態』を指す」と述べています。
 第14話「無効・解除・取消・撤回」では、「日本民法で無効・解除・取消・撤回は相互に異なる概念であり、その用語法は概してドイツ法に由来する」とした上で、「日本では、法的思考の基本は法的三段論法である、と教えられる。これは19世紀ドイツの概念法学が提唱したもので、法規範(大前提)と要件事実(小前提)から法的効果を演繹する操作。法規範は成文法の規定・解釈により与えられ、その要件に該当する事実があれば法的効果が必然的に発生する」と述べています。
 第15話「『約款』について」では、「欧米には約款規制の考え方に大きく2つの方向性がある」として、
(1)欧州のように制定法で規制する。
(2)当事者主義の米国型。
の2点を挙げています。
 第16話「公正」では、「カルテル(cartel)は約束事を書いた切れっ端(伊語cartello)が原意。騎士の決闘作法のメモ書きから転じて、企業連合や国家連合などを意味するようになった」と述べています。
 第21話「権原と権限」では、「『権原』はボアソナード民法が仏語titreに充てた訳語で、『権利の原因』の略語」であるのに対し、「権原があれば、それに基づき一定の範囲で何かをやってよい。その範囲を強調する表現が『権限』(『権利の限界』の略語)」だと述べています。
 本書は、日本の法律用語をその原語から読み解いた一冊です。


■ 個人的な視点から

 法律関係の用語は、一般的に使う言葉とは少しかけ離れていて、最初はとっつきにくいのですが、翻訳前の元の言葉の意味を知ると現在の形になっているのもやむなしと思ってしまうのです。


■ どんな人にオススメ?

・法律の言葉はわかりにくいと思う人。


2016年7月18日 (月)

ローカル志向の時代 働き方、産業、経済を考えるヒント

■ 書籍情報

ローカル志向の時代 働き方、産業、経済を考えるヒント   【ローカル志向の時代 働き方、産業、経済を考えるヒント】(#2542)

  松永 桂子
  価格: ¥799 (税込)
  光文社(2015/11/17)

 本書は、「現在の『ローカル志向』を解き明かすために、『地域』をベースにして、経済や消費、産業の領域から、個人と社会の方向性について考え」たものです。
 第1章「場所のフラット化」では、「人々の価値観そのものが多様化してきた今こそ、地方側では柔軟な発想で独自の取り組みを展開していく気構えが求められます。地元が定住、空き家活用、仕事の創出・企業などの枠組みをプラットフォーム化し、そこに内外の人々が集まるよう、仕掛けを自然に創出しているケースが功を奏しているようです」と述べています。
 第2章「『新たな自営』とローカル性の深まり」では、「かつて自営や生業は不安定就労で、都市下層の存在とされていました。戦前、例えば大阪市では、この都市下層や都市雑業について膨大な調査がなされ、その記録は現在でも残っています。戦前の都市問題は劣悪な労働環境である雑業の存在、そこで働く都市下層の住宅問題の解決が大きな焦点でした」と述べています。
 そして、いま注目を集めている「小商い」「ナリワイ」と呼ばれる「新たな自営」について、「これらは新技術・新聞屋の領域ではなく、従来型の産業の上にまたがる領域であるのが特徴です」と述べています。
 第3章「進化する都市のものづくり」では、「需要が飽和状態になったり、低コストの地を求めて生産拠点が海外に移行したりするなど産業経済は常に移ろいでゆくものです。そして、ポスト大量生産の時代に入ると、規模の経済によるメリットは薄れ、中小企業やスモールビジネスが主体性を持ってネットワークを構築し、『連結の経済性』や『ネットワークの経済性』といった新たな経済性が観察されるようになりました」と述べています。
 第4章「変わる地場産業とまちづくり」では、長崎県の「波佐見焼」について、「商品だけでなく、陶郷の窯元をめぐるツーリズムも展開していること」が興味深いとした上で、「産地問屋の形態は役割は大きく変わりつつ」あり、「産地問屋は、商品を集めて年に流すだけの役割から、デザインや企画、情報発信、ブランド構築を主体的に担うようになって」来たと述べています。
 そして、「地域ならではのデザイン志向を追求していくという点において、継承されてきた手仕事をベースに新たなデザインを織り込んでいく地場産業・伝統工芸と、近年、盛んに見られる古い建築をリノベーションして利活用していくまちづくりの動きは、相互に通じるものが」あると述べています。
 第5章「センスが問われる地域経営」では、「人口減少問題はマクロの視点で見れば、少子化対策を講じながらも、都市と地方の人口・資源バランスをどう図るのかという問題に帰着」するとして、「これまでの経済一辺倒の価値観だけによらない、複眼的な思想・理念の重要性が増しつつあるということ」だと主張しています。


■ 個人的な視点から

 うまく行っている事例に後追いで説明をつけるタイプの地域活性化本は経済産業省なんかがさんざんやっていると思っていたのですが、商品カタログとしては今でも需要があるようです。


■ どんな人にオススメ?

・地域を活性化する口実がほしい人。


2016年7月14日 (木)

代表の本質と民主制の形態変化

■ 書籍情報

代表の本質と民主制の形態変化   【代表の本質と民主制の形態変化】(#2538)

  ゲアハルト ライプホルツ (著), 渡辺 中 (翻訳)
  価格: ¥2,700 (税込)
  成文堂(2015/08)

 本書は、『法律の前の平等』(1925年)、『現代民主制の構造問題』(1958年)等とともに、戦後ドイツを代表する国法学者であるゲアハルト・ライプホルツの代表的著作の一つとされるものを訳出したものです。
 第1章「代表の言語分析的意味内容、その一般法的規定および限定」では、「支配的なドイツ国法学の代表(Reprasentation)概念が非常に曖昧なものになっている減員は、代表という言葉の多様な用語法にある。専門的文献もこの言葉をさまざまな用語法で使用している」とした上で、「代表の概念には、人という存在の二重性が内在しているということができる」と述べています。
 そして、「代表の概念は、精神科学的概念であって、これは、技術的な代理とは異なり、特殊理念的な価値領域に根ざしているということである。個人の統一体が代表される限り、この概念には、人という存在の二重性が内在している」ことから、
(1)このような二元性を本質必然的に有していない概念
(2)いずれにせよ被代表者を再現しないけれども、そのことによって実在化する概念
(3)代表者の人格の感覚的把握可能性を断念させる概念
などとも「区別されなければならない」と述べています。
 第2章「代表の一般国家論的意義」では、「すべての国民共同体は、同時に価値共同体である。すなわち、たとえそれぞれの国民にとって異なるものであっても、特に、理念的な価値という、ゆるぎない要素によって全体に統合される。すなわち、スメントの意味における『物的な』統一へと統合されるのである」と述べています。
 そして、「議会の多数決は、実際には議会の少数者の決定にすぎないことがしばしばあるが、この多数決の原則的な拘束力を原子論的・個人主義的な基本的立場によって説明することはできない。なぜならば、代理された能動的市民の多数派が、この決定を拒否することは、少なくとも排除されていないからである」とした上で、「人民が政治的・理念的な統一体としてのみ代表されうるならば、代表機能の一般的な憲法上の意義もまた明らかになる。この機能の意味は、精神的統一体として実存的に存在する具体的な人民共同体を、現実態において経験的に把えることができるようにすること、『多様体としての人民を越えた統一体としての人民の支配』を保障すること、人民を国家的統一体に統合することである」と述べ、「代表機能の特別な意義」は、「国家に統一された共同体が、『国家的意思共同体が生を表現し活動するための前提を継続的に想像するという意味において』、意思をもった国体として、常に新たに生産され、また実現されることを可能にする」と述べています。
 第3章「代表者の地位、その独立性」では、「現代における成文憲法の主たる狙いのひとつは、この意味で代表的『国家機関』の権限を詳細に規定し、かつ相互に限界付けることである」とした上で、「議員の独立が憲法上保証されていること」から、「現在においても、なお議員の任務の遂行方法について取り交わす法律行為は意見であり、したがって、ドイツ民法第134条に違反するために無効である、と見なさなければならない」と述べています。
 第4章「現代の民主制国家における憲法と現実との緊張関係」では、「政府と議会、すなわち近代民主制国家において、特に、国家の意思形成に参与する機関の憲法上の代表的地位は、時とともに問題化してきた」とした上で、「代表の本質の構造とその固有の法則性を認識すること」から、「憲法と法的現実の対立を構造的に調整し、それによって、規範と現実を相互に融和するという、さまざまな国家で行われている、互いに大幅に異なる試みは、失敗に終わらざるをえない」と述べています。
 そして、「民主制においても議会は必ずしも国民全体を代表する必要がない」理由として、「議会は、いわゆる直接民主制におけると同じように、現代大衆民主制の共同意思が、同一性の原理によって形成される場所でもありうる。同じ理由から、政治的・理念的統一体である国民を代表しない政府、すなわち、これらの大衆民主制国家において、憲法上統治の資格を与えられ、そのために交代する正当や正当多数派も存在する。それらは、政府の任務を担当することによっては、まだ国民全体の代表とならない」と述べています。
 第5章「代表と機関性」では、「なぜ国家の法的主体性と並んで、国民の固有の法的主体性について語ることができないのか、それゆえ国民の機関について語ることができないのか」という問題について、「政治的・理念的統一体である国民が、自己の法的組織を国家の内に見出してきたために、国家と国民はそもそも支配的学説の意味において、原則として分離することができない、という認識」を理由として挙げています。
 そして、「国家を機能的に政治的統一体へと統合するこれら集団に対立しているのが、全体として統合作用を果たさない人的範疇、すなわち、代理人、役員、官吏である。これらの範疇の者たちは、統合作用を果たす人的統一体の意味において活動せざるを得ず、したがって、国家を代理することをもって足り、それゆえに、国家を代表することはできない」と述べています。
 第6章「代表の正当化」では、「代表制的支配の生徒はすべて2つの要素を含んでいる」として、
(1)一人または多数の人間がある共同体または個人を代表することを主張し、この統一体の代表者として振る舞うことのできる権利。
(2)被代表者人民による代表のカリスマ的な正当化と、伝統的な要素が必然的に結びつく。
の2点を挙げています。
 そして、「議会制的代表制は、『本来は』まったく異なる選挙法制度と結びつく」として、「国家公民の政治的重要性によって投球付けられたダイナミックな選挙方法が、場合によっては、こんにちの国家実践によく見られる数学的・原子論的な普通・平等選挙権と同じように、議会による国民代表の基礎とされることがある」が、「これまで社会的に抑圧され政治の表面に出ることがなかった階層にまで広く選挙資格が拡大されたとしても、選挙を引き合いに出すことによって国民代表が説明されるわけではない」理由として、「選挙行為に参加するのは、比較的多いと言っても、つねに人口の一部に過ぎないにもかかわらず、議会は選挙人団ではなく国民を代表していると主張するからである」と述べています。
 第7章「代表の選択機能と公開性」では、「それぞれの代表者は、被代表者が本質的理念的な価値領域に埋もれているため、その人柄にとって特定の人格的な固有の価値を獲得する。これもまた代表の本質の一つである。そのつど代表される価値内容によって、強弱さまざまに代表者に付与されるこの『威厳の度合い』が、代表する人物の全本質と姿勢を決定づける」と述べた上で、「代表の本質に必要なのは、公開への原則的な傾向だけであり、そこから結果的に、政治的代表という事実すべての公法的構造も生まれる」ことから、「ときには特定の状況下で代表者の活動が公開の明かりから遠ざけられたり、また事情によっては、政治的に重要な問題が、閉ざされた扉の背後にいる代表の任務を持つ人達によって決定され、その決定が国民共同体を義務付けたりするようになることは、おそらく可能であろう」と述べています。
 第3編「20世紀における民主制の形態変化」では、「民主主義思想は、過去200年の間に政治的な影響力を協力に発揮した限りで、世俗的形態において具体化された」が、「世俗化された西欧的民主主義思想の赤にも、キリスト教の伝統は、力強く生き続けている。つまるところ、キリスト教の伝統が、人文主義的・古典主義的世界像、ルネッサンス、啓蒙主義、そして自然法の基礎を築いたのである」と述べています。
 そして、「前進的無差別化は、政治的なものと社会的なものにおいて、こんにち、広範な民主化と脱自由化をもたらした」として、「確かに、自由は、それが民主的平等を保障するために必要であるという限りにおいて、特殊民主的領域の範囲においても不可欠である」が、「自由民主的思想から見れば、平等は自由に組み込まれている。他の個々人の自由を確保するために制限が必要とされる限りでのみ、自由は制限されている」ことから、「なぜ平等が民主的意思形成の領域で非常に重要な役割を果たしてきたのか、また、なぜ民主主義を一連の同一性とみなすことができたのか、その理由を理解することもできる」と述べています。
 そして、「進展する徹底した無差別的な民主化は、現代の広域国家においては、政党の力を著しく強化させることになった」が、「この政党国家的民主制は、実は、その基本構造の点で自由主義的・代表議会制的民主制とは異なった形態の民主制である」として、「成文憲法が150年来標榜してきた古典的代表議会制には適合しないところのものが、現代の民主的政党国家に調和的に接合され、いわば、政党国家の内的論理および政党国家の政治的機能の前提をなしている」と指摘しています。
 また、「憲法制定者による自由主義的代表議会制の原則の標榜は、こんにちでは、政党国家のもたらすある種の最悪な事態を回避するという意味しか持ってない」理由として、「代表議会制の原則が、政党国家に内在する危険を自ら駆除するだけの創造的な力をもはや持っていない」ことを挙げています。
 著者は、「われわれは、あらゆる方面において変化してしまった政治的・法的現実を、いまだに、過去の時代、すなわち自由主義的代表民主制に由来し、変化した政治的・法的生活の現実に対して、自発的に、うまく対処できない観念や範疇、概念によって把握しようとしている」と指摘しています。
 第4編「憲法と憲法現実」では、「憲法制定者は、ボン基本法第38条に、なお古典的代表制を承認する一方で、同時にボン基本法第21条でこんにち、政治的現実となっている政党国家的民主制を憲法上、承認した」として、「ボン基本法は、結局、最終的な論理的帰結において、相互に両立することのできない民主制の2つの異なる構造原理を承認したのである。憲法解釈者の任務は、このような状況に直面して、いかにして、この2つの異質の構造原理を相互の融合させうるかについて、そのつど具体的に検討することである」と述べた上で、「規範的意味における憲法と憲法現実との間に存在する緊張関係は純規範主義的な意味においては、解消されない」と指摘しています。
 著者は、「憲法と憲法現実との間に存在する緊張状態は、結局は、現実の生活から惹起された緊張状態なのであり、規範性と実存性、当為と存在、道徳的理性と本性との間の緊張状態を反映したものにほかならない」ことから、「問題は、このような規範と現実との間に存在する弁証法的緊張状態を具体的に憲法の独創的な解釈によって解消することなのであるが、そうかといって、このような創造的な憲法解釈によって、たとえば、ボン基本法第38条のような精神史的にその内容が明確に確定されている規範は、政治的現実のために歪曲されてはならない」として、「憲法学者は、また政治的な物の本質や政治生活を形成している諸力を理解していなければならないし、憲法学者が同時に法規範の尊厳や固有価値を正当に評価しようとするならば、政治家以上のものでなければならないのである」と述べています。
 本書は、代表制と民主制の原則と実態の乖離を解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 もともとが、19世紀と20世紀の話をしているものなので、当然時代を感じながら読まざるをえないものなのですが、時間を経て歴史的評価を参照しながら読むことができる点で、現在進行形の事態を考える上では参考になります。


■ どんな人にオススメ?

・代表とは何かを考えたい人。


2016年7月 4日 (月)

社会政策 -- 福祉と労働の経済学

■ 書籍情報

社会政策 -- 福祉と労働の経済学   【社会政策 -- 福祉と労働の経済学】(#2528)

  駒村 康平, 山田 篤裕, 四方 理人, 田中 聡一郎, 丸山 桂
  価格: ¥2,700 (税込)
  有斐閣(2015/8/29)

 本書は、「社会保障制度と労働政策を個別に扱うのではなく有機的に連携したものとしてとらえて、経済学の手法で評価するテキスト」です。「初歩的なミクロ経済学の手法を使って社会政策を分析することにより、経済学部のみならず他学部の学生にも、社会政策に対する経済学的アプローチを共有することを目的」としています。
 序章「社会政策の射程」では、社会政策の主要テーマとして、「ビッグファイブ」と呼ばれる、
(1)所得保障
(2)保健サービス
(3)教育
(4)住宅
(5)ソーシャルワーク・サービス(対人福祉サービス)
の5点を挙げた上で、「本書が取り扱う範囲は、大きく社会保障制度と労働政策から構成される」と述べています。
 第1章「社会政策はなぜ必要か」では、「効率性と公平性との間にあるトレードオフをどのように比較考量するかが実際の政策選択には重要となり、どのような価値を評価基準にしているかを明確にして議論する必要がある」と述べています。
 第2章「社会政策の経済理論」では、民間保険市場が成立する条件として、
(1)各個人の保険事故の発生が独立事象であること
(2)保険事故の発生確率p、損害額Lが計算可能なこと
(3)保険事故の発生確率pが1に近くないこと
(4)逆選択が存在しないこと
(5)モラルハザードがないこと
の5点を挙げた上で、「社会保険は、先に述べた民間保険市場が直面する問題を軽減する手段の1つである」が、「社会保障制度を構成する公的扶助・社会福祉と比較した場合、いくつかの長所がある」として、
(1)保険料拠出及び保険事故発生を条件として給付が行われるため、受給時に恥ずかしさを感じるなど心理的コストによる受給抑制要因がない。
(2)保険料拠出と保険給付がリンクしているため、給付水準の引き上げに関し、政治的合意形成が容易である。
(3)保険料で財源がまかなわれているため、他の財源と競合することによる財政制約を受けることがない。
の3点をあげる一方で、問題点として、
(1)所得が不安定な人々が保険料を払えず保険適用されない、あるいは保険適用されても給付水準が低く生活困窮から脱出できない。
(2)保険事故として設定されるリスクが予め規定されているため、それ以外のリスクや不確実性に対応することはできない。
の2点を挙げ、「結局、社会保険がもつ上記問題を克服するため、公的扶助や社会福祉(児童・障害者・高齢者福祉、社会手当)が必要となる」と述べています。
 第3章「所得格差」では、「所得分配に対する価値判断を社会厚生関数として明示的に組み込んだ格差指標」である「アトキンソン指標(AI)」について、「不平等度を、現実の所得分配での社会的構成を達成できる平等な所得から定義する」として、「所得を平等化することで社会的厚生が増加するのであれば、同じ社会的構成を達成するための均等分配所得は、実際の所得分配における平均所得より小さくなる。均等分配所得は、同じ社会的厚生を達成するために、完全平等ではどれだけ1人あたり所得が低くてすむのかを示す。よって、より不平等が大きい、もしくは、小さな不平等でも社会的厚生が大きく損なわれる選好を持つ社会では、同じ社会的構成を達成する均等分配所得がより小さくなる。そのため、所得格差が大きく、均等分配所得が小さくなると、アトキンソン指標は1に近づく。アトキンソン指標は、所得の不平等によって社会的厚生が損なわれていく度合いを明示的に示した格差指標である」と述べています。
 第5章「貧困」では、「相対的剥奪や社会的排除は、相対的、客観的、多元的指標に基づく」として、「相対的剥奪では、自分が属する社会で最低限期待される生活様式からの排除、社会的に最低限必要とされる必需品の不足の有無に着目する。さらに、社会参加、属するコミュニティー、長期的状況にも着目する」と述べています。
 そして、「貧困線を設定することで、ようやく貧困計測が可能になる」が、実際の計算にあたっては、
(1)世帯規模、子どもの有無、世帯構成員の性別、年齢の相違、障害や疾病の有無などの異なる世帯属性ごとに、どのように貧困を設定すればよいのかという問題・
(2)貧困の深刻さをどのようにとらえるのかという問題。
(3)貧困の持続性をどのようにとらえるのかという問題。
の3つの問題を考慮する必要があるとしています。
 また、「最低所得保障水準(公的扶助)が充実していても、相対的貧困率が必ずしも低くならない理由」として、
(1)相対的貧困線以下の所得でも、一定額以上の資産があれば資力調査により公的扶助を受けられない。
(2)資力要件を満たしていても、扶助義務者への照会があるため親戚に申請を知られたくない、あるいは行きすぎた資力調査等があればスティグマにより申請自体を躊躇する、といった可能性。
(3)公的扶助制度以外の一般低所得世帯を対象とする住宅手当、雇用保険が切れた人々を対象とする失業扶助、各種社会保障給付の家族対象加算の有無、それらの給付水準、最低賃金水準など、公的扶助制度以外のさまざまな制度設計も貧困率に大きな影響をおよぼすこと。
の3点を挙げています。
 第9章「障害」では、障害の捉え方には、
(1)医学モデル:障害を個人の問題と捉え、病気・外傷等から直接生じるものと考える。
(2)社会モデル:障害を個人に帰属するものではなく、その多くが社会環境によって創りだされたものとしてとらえる。
の2つがあるとした上で、「国際生活機能分類は、障害の理解を従来の医療モデル中心から社会モデルを取り入れた構造的理解へと変化させたものとして評価されている」と述べています。
 第10章「育児」では、ワークライフバランス施策について「育児休業制度や企業内保育所の設置など子育て期の女性の就業支援策と受けとめられがちで、企業にとってはコストの扱いであった」が、「近年では仕事と生活のバランスを見直すことによる作業効率の推進、優秀な人材確保や従業員の就業意欲の換気などが注目されるようになり、人事戦略の1つとして位置づけられている」と述べています。
 第12章「健康」では、「医療保険加入による事後のモラルハザードや、供給者誘発需要の問題に対処するには、複数のアプローチが考えられ、現実の制度設計ではいくつかを組み合わせて対応している」として、
(1)医療サービスを真の価格に患者が直面していないことに対応するため、患者の一部負担金を導入する。価格に応じ需要量を大きく変化させる可能性のある疾病への医療サービスを保健の適用除外とする。
(2)供給者誘発需要の問題は、誘発された医療サービスが患者の健康水準に効果がない、あるいは有害な場合であるため、医療サービスの提供者(医療従事者)を免許制にし、所定の知識・技量がある人のみに限定し、さらに医学的に治療効果が確認された医療サービスのみが提供されるよう、提供可能な医療サービスの範囲の規制が必要となる。
(3)医療機関に対する診療報酬の支払い方式の変更。疾病の種類の応じて一定額の診療報酬しか支払わない包括払い方式、あるいは医療機関側に健康な時に予め登録料(会員費)を支払っておき、疾病にかかった場合に、追加的な費用負担なしに診療を受けられるような人頭払い方式などに変更することが考えられる。
(4)医療従事者が自分の利益ではなく、患者のために必要な医療サービスの判断と提供を行うよう、養成課程の中で職業倫理を刷り込むこと。
等が挙げられています
 第13章「介護」では、地域包括ケアシステムについて、「地域で要介護者が暮らし続けるために、病気の場合には医療サービス、要介護者には介護サービス、日常生活を送るための介護予防・住まい・生活支援を、保険者である市町村や都道府県が、地域の自主性や主体性にもとづいて構築を行うというもの」であるとしています。
 第14章「老齢」では、「これまで公的年金制度は、実質的な賦課方式のもとで、年金の給付水準、すなわち所得代替率(制度上は平均賃金で40年厚生年金に加入した専業主婦世帯÷男子の平均手取り賃金額)が59%(2004年改革後は約50%)を維持できるように、保険料水準が引き上げられてきた」とした上で、「長寿化によって高齢者数が増加し、少子化によって労働者数が長期的に減少する場合、賦課方式の年金財政を安定させるためには」、
(1)保険料の引上げ
(2)給付の引下げ
(3)労働者数を増加させる
(4)経済成長により賃金を引き上げる
といった政策が必要となると述べています。
 本書は、経済学の考え方をベースに社会政策を解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 「社会政策」というタイトルでは色々なアプローチができ、特にこれまで意識高い系というか開明的な人たちというか活動家みたいな人たちが、「~べき」論を展開してきた分野なので、こういうのにかかわるのはちょっと、という人も多いかもしれませんが、こういう分野だからこそ経済学のツールを使って社会を捉え、政策を考えることが必要なのです。


■ どんな人にオススメ?

・「社会」という言葉に警戒心を持っている人。


2016年1月19日 (火)

情報法概説

■ 書籍情報

情報法概説   【情報法概説】(#2512)

  曽我部 真裕, 林 秀弥, 栗田 昌裕
  価格: ¥3,564 (税込)
  弘文堂(2015/12/22)

 本書は、「情報法を『情報の生産・流通・消費に関する法』と捉えたうえで、それに属するさまざまなテーマを概説するもの」です。
 第1章「情報法とその基本理念」では、「情報法の基本理念は、抽象的には『情報に対する権利』であるとしても、解釈論や政策論においてはむしろ、その概念の要素とされた内容」を、
(1)自由かつ多様な情報流通の確保
(2)情報の保護
(3)ユニバーサル・サービスの実現
の3点に整理したうえで、「遡って参照すべき情報法の基本理念として捉えるべきである」と述べています。
 第3章「通信と放送」では、日本の放送法においては、「放送事業者の自律を義務づけることによって番組内容の適正を図るという考え方」を採用しており、「自主規制を義務づけられている」ことについて、「規律された自主規制」と言うことができるとしています。
 第4章「情報基盤をめぐる競争と規制」では、情報流通における競争基盤としてのプラットフォームについて、それが「二面市場(two-sided market)」を成立させることが重要であるとして、ネットワーク効果が存在する市場ではしばしば、「相互にネットワーク効果を及ぼしあうにもかかわらず、直接的な契約関係にないものがプラットフォームを介して連結されている市場構造を生む」と述べています。
 そして、「二面市場を取引型市場と無取引型市場に分類し、取引型市場の場合、両サイドの顧客群を包括的に捉えた1つの市場を関連市場として考えればよいが、無取引型市場の場合、2つの顧客群のそれぞれを別の関連市場として捉えることで足りると思われる」と述べています。
 また、「今後の電波利用の動向等を踏まえて、電波利用料のあり方について一定の見直しは避けられないと思われる」として、
(1)電波法103条の2第4項柱書に定める「電波の適正な利用の確保に関し総務大臣が無線局全体の受益を直接の目的として行う事務の処理に要する費用」という定義に即した議論が必要ではないか。
(2)電波利用料の出発点から離れて、政策的必要があるとの理由から、累次、使途を拡大してきたことが、かえって一般財源論を呼び込んでいるのではないか。
(3)電波法103条の2第4項に規定される電波利用料の性格に関して、「無線局全体の受益」における「無線局」とは、現在の無線局であるか、それとも将来の無線局をも含むのか。
の3点を挙げています。
 第5章「媒介者責任」では、「情報の媒介者が違法有害情報の流通によって刑事責任を負うべき場合は限定的である。刑罰の威嚇によって情報の媒介者に違法有害情報を削除するように求めれば、刑事責任を回避するために、疑わしい情報や争いのある情報をすべて削除するという対応を招きかねない。これは、表現の自由や知る権利にとって、極めて深刻な結果をもたらすおそれがある」と指摘しています。
 第6章「個人情報保護」では、「個人情報のコンピュータによる管理の有用性を認めつつ、取り扱いについて一定の規律を行うことが要請されるようになった」として、個人情報の取扱に関する規律の基本原則を示したものとして、1980年のいわゆる「OECD8原則」として、
(1)収集制限の原則
(2)データ内容の原則
(3)目的明確化の原則
(4)利用制限の原則
(5)安全保護の原則
(6)公開の原則
(7)個人参加の原則
(8)責任の原則
の8点を挙げています。
 そして、「自己情報コントロール権」について、「本来的な保護の対象を思想・信条などのセンシティブ情報に限定するかどうかによって、大きく2つに」立場を分けることができるとして、
(1)限定説――道徳的自立性に関わる情報のコントロール権
(2)非限定説――一般的情報コントロール権
の2点を挙げています。
 第7章「わいせつ表現、児童ポルノ」では、「わいせつ」の定義について、判例上、
(1)いたずらに性欲を興奮または刺激させ、
(2)普通人の正常な性的羞恥心を害し、
(3)善良な性的道義観念に反するもの
とされているが、「これは一応定義らしい体裁をとっているが、実際にはかなり曖昧なものであり、最高裁自身も、結局のところ各種の事情を総合考慮し、その時代の健全な社会通念に照らしてこの3要件への該当性を判断すべきものとしている」と述べています。
 また、児童ポルノの定義について、「3号ポルノの範囲が不明確で、したがって性的搾取・性的虐待とは無縁のものにまで及びかねない(過度に広汎である)」ことを指摘したうえで、「性欲の興奮・刺激という要件が付加されているのであるが、この要件はほとんど限定になっていないという批判がある」として、「性欲の興奮刺激の基準となる主体については、小児性愛者等ではなく一般人が基準だとされるが、一般人が乳幼児や小学校低学年の児童の裸体に性的な興奮・刺激を覚えることはないだろう。そうだとすれば、少なくとも乳幼児等の児童については3号ポルノに該当するものはほとんど想定できないということになるが、そうするとより手厚い保護を要するはずの乳幼児等の方が実際には保護が薄いということになってしまう。そこで、裁判例は、一般人基準とは言いながら、乳幼児等の入浴写真等についても児童ポルノ該当性を認めている」と述べています。
 第8章「青少年保護」では、青少年の情報行動に関わるリスクとして、
(1)コンテント(コンテンツ)・リスク:有害情報の接触することによる健全育成の阻害のリスク
(2)コンタクト・リスク:インターネットの交流サイトなどの発達によるトラブルが発生
の2点を挙げています。
 第9章「名誉毀損・プライバシー」では、「人格権としての個人の名誉の保護と、憲法21条による正当な言論の保障との調和を図ったもの」として、「公共の利害に関する場合の特例」を挙げ、その免責要件として、
(1)公共性:公共の利害に関する事実であること。
(2)公共目的:もっぱら公益を図る目的であったこと。
(3)真実性:真実であることの証明があったこと。
の3点を挙げ、「これらの要件が充足されれば、違法性が阻却され、名誉毀損罪は不可罰となる(真実性の抗弁)」と述べています。
 本書は、インターネットを巡る法律の状況を解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 一昔前は、インターネットと法律、情報と法律、というようなテーマは未開の分野、フロンティアといった感じだったのですが、法律の対応も進み、判例も蓄積されてくると、なんだか法律の本を読んでいるかのようです。


■ どんな人にオススメ?

・情報をめぐる法律の実務を押さえたい人。


2016年1月17日 (日)

政治学基本講義

■ 書籍情報

政治学基本講義   【政治学基本講義】(#2510)

  河田潤一
  価格: ¥2,700 (税込)
  法律文化社(2015/9/28)

 本書は、「政治という『闘争舞台』への参加に必要な政治知識や知的素養の鍛錬の一助」となることを目的に書かれたものです。
 序章「『政治』と政治学」では、「政治を語る者」について、
(1)知識人:哲学的・規範的方法に支配的であり、人類、社会が直面する最重要課題に関して、哲学的・規範的観点から、政治リーダーに提言を行い、国民には市民意識の成熟・深化をめざす政治教育の必要性を説く。
(2)政治家:政治家の現実主義的政治観に近く、権力の実用性、実効性を重視、指示調達に向けての有権者の手段視に特徴がある。
(3)専門家:政治行動のパターン・症候群に専門的・職業的に関心を示し、「政治的なるもの」を、実証された科学的知識の一群として捉えるところに特徴がある。
の3つに大別しています。
 第1章「民主主義とポリアーキー」では、アメリカの政治学者ダールが、「『責任ある政府』と『民衆の支配』を実現しうる民主的な政治体制」を「ポリアーキー」と呼び、その条件として、
(1)自由化:公的異議の申立て。どの程度政治的競争があるか。
(2)包括化:選挙に参加し公職に就く権利が全員にどの程度拡大されているか。
の2点を置いたとしています。
 第2章「資本主義と民主主義」では、アメリカの弱い社会主義の要因として、
(1)政治的民主主義が資本主義の発展に先行した点。
(2)南北戦争後の白人自由労働の保護が人種的敵意を増大させ、さらには、新移民が労働市場に流れ込み、労働者がプロテスタントとカトリック、熟練工と未熟練工に分断された。
(3)職場に「小福祉」を埋め込んだ企業が牽引する南北戦争後の好況期における急速な生産性向上が労働者を〈アップル・パイ〉の上で頓挫させ、全米的な労働組合や社会主義の発達を阻害した。
の3点を挙げています。
 第5章「現代国家における権力の諸相」では、「20世紀における先進諸国の政治的な権力は、もはや国家や統治機構、あるいは政党に限定しては考えられない。資本主義の急速な発展は、社会の機能・システム分化を促進し、それに対応するがごとく、企業、労働組合、さまざまな職能団体、消費者団体、市民団体、メディア等が、顕在的、潜在的に政治過程に影響を与えるようになったのである」と述べています。
 第7章「The Civic Cultureの世界」では、「政治や社会内における市民の政治的役割に対するアプローチを特徴づける広く共有された政治的な態度や信念である政治文化は、政治参加の頻度や方法、政治装填についての意識や政治的有力感といった態度や信念、政治全体に対する市民の思考を規定する」とした上で、政治文化の型として、
(1)未分化型(parochial):住民は地元や地域と一体感をもち、地方的な範囲を越えた政治的対象の存在と活動にはほとんど知識や関心がなく、政治的な事柄について話し合うことも少ない。
(2)臣民型(subject):政治への関わり方は国民が意識しているよりは受身的で、有効性を感じる政治も地方公官吏との接触を通じてのものが多く、市民的な有力感とは形容しにくい。
(3)参加型(participant):政治システムの成員の大半が政治システム全体、インプットとアウトプット、そして各自の政治的役割に積極的に関心を持っている。
の3点を挙げています。
 第9章「社会資本」では、アメリカの政治学者パットナムによるイタリア研究『哲学する民主主義』(Making Democracy Work)以来、数多くの研究者、政治家、政策担当者、活動家が「社会資本」という言葉に感心を持ってきたとした上で、「社会資本」論における記念碑的大作『哲学する民主主義』は、「イタリアで1970年に実現した地方制度改革が、各州政府の制度パフォーマンスに与えた影響を分析し、歴史的に蓄積されてきた社会的な関係的資本の質と量が民主主義の実効性と応答性に多大な影響を及ぼすことを明らかにした」と述べ、「隔週の政治パフォーマンスの校庭の規定要因」として、「隔週の制度パフォーマンスは、州政府の職員安定度や統治政党の色、あるいは地域の都市化や教育レベル、工業化や公衆衛生の普及といった経済的近代化水準とほとんど関係なく、〈市民共同体〉度と強く関連しているという発見であった」と述べています。
 第11章「政治参加の理論的系譜」では、ネルソンによれば、「政治参加はデモクラシーとの関係で次の2つの観点から捉えられてきた」として、
(1)政府の構成の変更や政策決定への影響を制度的な投票参加を中心に考え、抗議や暴力を政治参加に含めない。
(2)安定的なデモクラシーをア・プリオリに前提としないで、スト(合法、非合法を問わない)やデモなどの抗議活動や暴力も政治参加の一形態として考える。
の2点を挙げています。
 本書は、現代の政治学を考えるキーワードを解説してくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 選挙権が18歳まで引下げられたことで、大人としては子どもたちに「政治とは何か」を池上彰さんのようにわかりやすく説明できないといけないとは思うのですが、そのためにはまず大人が体系的に学ばないといけないですね。


■ どんな人にオススメ?

・子どもたちに政治を教えられるようになりたい人。


2016年1月 3日 (日)

地方議会の政務活動費

■ 書籍情報

地方議会の政務活動費   【地方議会の政務活動費】(#2496)

  勢旗 了三
  価格: ¥4,104 (税込)
  学陽書房(2015/10/17)

 本書は、「政務活動費の改正の経緯と地方議会の対応並びに訴訟事件と近年の主要な判例を追求し、あわせて議会三団体による政務活動費条例案を収載した」ものです。
 第1編「政務活動費概説」第1章「政務調査費の創設と政務活動費への改正」では、1956の地方自治法の改正によって、「常勤・非常勤または特別職・一般職の区別を問わず、給与その他の給付は、法律ないし条例に基づかないかぎりいかなる支給でもできないとして禁止した」ことから、「かつて議員個人に対して給付されていた調査研究費は認められなくなり、今後は会派に対して支給すること」に改まったとした上で、「1956年の地方自治法改正とこれに関わる自治省行政課長の回答によって、その後、会hに対する調査活動費の補助が支出されるようになり、これが政務調査費法制化への転機となった」と述べています。
 第2章「政務活動費交付条例案と運用基準」では、2012年の法改正によって「政務活動費の経費の範囲を条例で定めることになったことから、従前の政務調査費においては規程において別表で定めていたしと基準を条例に引き上げる必要が生じたことである」と述べています。
 そして、「議会が内部規定として定める運用基準には、細部の説明の前に、政務活動費の執行の前提として基本的な原則を掲げていることが特色となっている」と述べています。
 第3章「政務活動費の現状と課題」では、「都道府県・指定都市群と市区・町村群とは交付額に大きな差があり、政務活動費の活用が二極化傾向にあることを示している。同様の傾向は議員報酬額においても見られることである」と述べています。
 そして、「情報開示の対応窓口となるのは議会事務局である。今後、政務活動費の使徒について事前・事後の相談ともに可否判断を求められるケースが増えざるを得ない。今では領収書などはほぼ情報公開化されたが、それらを含め収支報告書など内容の一層厳しい点検が求められる」と述べています。
 また、「政務調査費制度の根底にある問題は議員の位置づけといってもよい。さかのぼていえば、それは地方自治法制定依頼、一貫して抱えてきた問題でもある」と述べています。
 第2編「訴訟と判例」第1章「議会と訴訟法務」では、「係属中の住民訴訟の案件に関して、議会の議決による権利放棄が各地で相次ぎ問題視された」と述べています。
 第2章「主要判例解説」では、最高裁判所平成26年10月29日第二小法定決定「県議会に交付された政務調査費の支出に係る領収書その他の証拠書類等及び会計帳簿が民事訴訟法220条4号2所定の『専ら文書の所持者の利用に供するための文書』に当たらないとされた事例」について、「条例に基づく規程においては、領収書その他の証拠書類等の整理保管及び保存が義務付けられ、さらに会計帳簿の調整及び保存も義務付けられている」ことから、「外部の者に開示することが予定されていない文書であるとは認められないと断じた」として、それまでの判例とは異なる判断となったと述べています。
 また、仙台高等裁判所平成22年7月22日判決「費用弁償の支給が政務調査費との重複支給に当たり不合理であるとはいい難いとされた事例」について解説しています。
 本書は、政務活動費について丁寧に概説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 政務活動費については、その自由度の高さから、「政活費」ならぬ「生活費」と揶揄され、号泣会見などの不祥事も引き起こしていますが、不用意に足を引っ張られないためにもその成り立ちを理解しておいたほうがいいかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・「生活費」は自由に使えると誤解してしまいそうな人。


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