文化面

2016年7月31日 (日)

砂糖の歴史

■ 書籍情報

砂糖の歴史   【砂糖の歴史】(#2555)

  アンドルー・F. スミス (著), 手嶋 由美子 (翻訳)
  価格: ¥2,160 (税込)
  原書房(2016/1/22)

 本書は、「砂糖の起源から、大航海時代後の新世界での大規模な製糖、砂糖を取り巻く今日の状況に至るまで、ダイナミックな砂糖の歴史」をたどったものです。
 序章「サトウキビ」では、「人間の舌の上面には1万もの味蕾[味覚を感じる器官]があり、そのすべてに甘味を感じ取る特別な働きがある」として、「甘いモノを食べると、味蕾は神経伝達物質を出し、それが脳内の快楽中枢を刺激する。それに反応した脳が内在性カンナビノイド[脳内に存在するマリファナ類似物質]をつくりだし、食欲が増す」と述べています。
 そして、「蔗糖はほとんどの植物に含まれるが、それを最も濃縮された形で含んでいるのが、丈が高くて竹によく似た、イネ科のサトウキビ(学名 Sccharum)である」と述べています。
 第1章「砂糖の起源」では、「サトウキビから甘い汁を絞り出し、砂糖の結晶へと変えるプロセスは複雑」であり、「約2500年前の東インドで始まった」と考えられていると述べ、「精製糖の利点を数え上げればきりがない。粒状、あるいは粉状にする他、結晶化させたり、溶かしたり、糸状にしたり、引き伸ばしたり、煮詰めたり、成形したりと、さまざまに加工できる」としています。
 そして、「砂糖の栽培や加工・調理の方法が飛躍的な進歩を遂げたのは中東だった」が、「11世紀末に始まる十字軍遠征によって、ヨーロッパの人々はイスラム教徒からクレタ島やシチリア島などの地中海沿岸の土地を奪還すると同時に、サトウキビの栽培法や製糖法を吸収していった」と述べています。
 第2章「新世界の砂糖づくり」では、「ポルトガルのサトウキビ栽培者は、きわめて重大な技術改良をいくつも考案し、広めたとされている」として、「ローラーあるいはシリンダーを縦に3つ重ね、その間でサトウキビを粉砕する新しい構造の圧搾機を取り入れた」他、「サトウキビの汁を過飽和状態[溶液中に限界量以上の物質が溶けている状態]まで煮詰める大釜」を複数備えたシステムをつくり出したと述べています。
 そして、「ヨーロッパの人々は砂糖の栽培と加工、そして製糖の仕事を切り離した」理由として、
(1)多額の資本を要する、最終的な精製をする現地工場を、植民地の栽培地域に作る必要がなくなった。
(2)熱帯地域から船で砂糖を運ぶのには時間を要し、母国へ帰る途中で傷まないようにするのは難しかった。
(3)ヨーロッパの年で製糖の仕上げをすることによって、精製業者は植民地のみならず、母国にも利益をもたらすことができた。
の3点を挙げています。
 また、「十分な奴隷労働の供給、輸入される砂糖に関税を課す合衆国政府の政策に支えられ、1820年台にはアメリカのサトウキビ栽培は脅威的に発展した」と述べています。
 さらに、「19世紀後半の真空釜、遠心分離器、蒸気動力を使った製糖所などの技術の発展によって多少は改善されたものの、政党には依然として多くの労働者が必要だった。奴隷解放後、自由になった奴隷たちは砂糖プランテーションで働くことを嫌がったため、労働力の需要を満たすために、政党業者はインドや中国から契約労働者を調達するようになる。何十万もの契約労働者が砂糖栽培地域に押し寄せ、その多くは契約期間満了後もそこに留まった」と述べています。
 著者は、「コロンブスが初めてカリブ海に航海した1492年から4世紀のあいだに、製糖業は大きく変化した。生産の中心は地中海や大西洋の島々から南北アメリカへと移り、プランテーションの労働力の基盤は奴隷から契約労働者へと変化した。おもに人の手によって行われていたサトウキビの収穫や粉砕、加工は、機械や科学が生み出した最新の技術を使った工業システムへと変わり、生産の舞台は小規模なプランテーションや製糖所から、多国籍企業を中心とした製糖工場へと移った。こうした進歩のすべてが、世界中で砂糖価格の急落と消費の急増を引き起こすことになったのである」と述べています。
 第4章「砂糖の用途」では、「精製糖を使って富や権力を見せつける方法はエジプトの裕福な家庭で頂点に達した」とした上で、「砂糖は贅沢の象徴、そして富の証で在り続けた。フランス国王でポーランドの王でもあったアンリ3世がベネチアを1574年に訪れた際、王に敬意を評して催された宴会の主役は砂糖だった。ナプキン、テーブルクロス、皿、そしてナイフやフォークなどのカトラリー――テーブルの上のあらゆるもの――が砂糖でつくられた」と述べています。
 第5章「菓子とキャンディ」では、「中世には、食後の消化剤としても砂糖が使われた。食事が終わって料理がすべて下げられると、砂糖で甘味をつけ、スパイスを加えたワインが果物と一緒に出された。これはデザート(『テーブルを片付ける』という意味のフランス語 desserviに由来する)と呼ばれるようになった」と述べています。
 そして、「お菓子やキャンディの多くは祭日、特にクリスマスやハヌカー[ユダヤ教のお祭り]、イースター、ハロウィーン、バレンタインデーなどと結びついている」理由として、「砂糖がまだ珍しくて高価だった時代、低所得者層がお菓子を食べられるのは、こうした特別な日に限られていたためだろう」と述べています。
 第6章「砂糖天国アメリカ」では、「イギリスのビスケットのレシピは、イギリス人入植者とともにアメリカに伝わったが、アメリカにはオランダ人が入植した地域もあり、小さなケーキを意味するオランダ語の「クオキエ」が、甘いビスケットを指す『クッキー』という言葉になった」と述べています。
 そして、「フィラデルフィアにある、政府機関や大企業が出資する独立非営利研究施設のモネル化学感覚研究所」では、「大人に比べて子供たちは特に甘い食品を好むという結論」を出し、「その後この施設で行われた実験から、甘みへの嗜好は子どもの生態の基本要素であることがわかり、子供向けの食べ物や飲みものに加える砂糖の至福ポイントが正確につかめるようになった」として、「これらの研究により、食品会社は売上を伸ばすために製品に加えるべき砂糖の量を把握できるようになった」と述べています。
 第7章「砂糖がもたらしたもの」では、「砂糖の摂取による健康への影響についての懸念は、過去4世紀にわたって取り沙汰されてきた」として、「最初おもに心配されたのは、佐藤の摂取と虫歯との関係」であり、「医療従事者も砂糖の摂取について、特に低血糖症(血液中の糖のレベルが低いこと)に対する影響を懸念していた」と述べています。
 第8章「砂糖の未来」では、「反砂糖の動きにもかかわらず、蔗糖はいまでも世界でもっとも重要な食べ物の一つである」として、「世界で摂取される総カロリーの約8パーセントは砂糖に由来すると推定されている」とした上で、「砂糖はこれからも人間にとって大切な食材であり続けるだろう」として、「節度を守りさえすれば、甘い食物と飲物は、今後もずっと私たちの生活に欠かせない大切な存在であり続けるであろう」と述べています。
 本書は、いまでは当たり前になった砂糖をめぐる歴史を辿ったものです。


■ 個人的な視点から

 古来人類にとって贅沢の象徴で在り続けた砂糖ですが、価格が暴落した現在となっては貧しい人たちを肥え太らせるジャンクフードと化してしまったことが残念でなりません。


■ どんな人にオススメ?

・砂糖が好きな人。


2016年7月11日 (月)

行商列車:〈カンカン部隊〉を追いかけて

■ 書籍情報

行商列車:〈カンカン部隊〉を追いかけて   【行商列車:〈カンカン部隊〉を追いかけて】(#2535)

  山本 志乃
  価格: ¥1,944 (税込)
  創元社(2015/12/16)

 本書は、「とれたばかりの魚を詰めたブリキカンを担いで、集団で列車に乗る行商人――『カンカン部隊』」だった女たちを訪ね、また、「近鉄に残った最後の『鮮魚列車』をいまも利用する伊勢の行商人たち」を追った一冊です。
 「はじめに――鉄道と行商」では、平成22年春に、「行商人専用の列車が、今なお走っていること」を知ったことが、著者が「カンカン部隊の残影を求めるおっかけ」を始めるきっかけになったと述べています。
 そして、「カンカン部隊の痕跡を求めて、訪ね歩くことをくりかえした」ことで気づいたこととして、
(1)ローカルな鉄道網がいかに日本の隅々にまで行き渡り、正確に、毎日決まった時間に列車を走らせていたか、という、いとも単純な事実。
(2)カンカン部隊の多くが女性だったことも、改めて考えるべき問題だった。その稼ぎは、家族を養うに足るほど立派なものだった。
(3)カンカン部隊の活躍時期が、高度経済成長期の只中にあたることも、考えて見れば不思議なことだった。
(4)カンカン部隊が運んだものは、商品である食べ物に、「信頼」というなににもかえがたい包装をほどこして、彼女たちは客のもとへと届けた。
の4点を挙げています。
 第1章「大阪の『伊勢屋』」では、過去にマスコミ関係でトラブルがあったことで、行商人の組合の役員に取材を断られかけた著者が、ブリキのカンの話をきっかけに、連絡先を交換することができたエピソードが語られています。
 そして、鮮魚列車は、「伊勢志摩魚行商組合連合会」という団体の貸切で運行されており、その運行が始まった昭和38年9月21日に先立つ同年2月1日に組合が結成されたと述べ、「まだ暗いうちに起きて仕入れをし、120キロの道のりを移動して休むまもなく働き、そしてまたすっかり暗くなったことに帰ってくる」生活を、親の代から何十年と続けていることに「脱帽というしかない」と述べています。
 第2章「カンカン部隊の登場」では、「この地域で行商が盛んになっていく背景には、どうやら昭和30年代の伊勢湾の環境変化と、それにともなう漁業の変化があったようである」とした上で、終戦間際から戦後にかけて隆盛を誇った松阪のヤミ市には、県内外から大勢の買出人が集まり、「買出人は、ヤミ市だけでなく、食料生産地にも直接現れた」と述べていたが、昭和25年に水産物の全面的な配給統制が撤廃されたことを「大きな節目」として、「それまで、居ながらにして商売できていたものが、買出人が来なくなれば、こちらから売りに出るほかない」ようになったと述べています。
 第3章「魚アキンドの足跡」では、日本海沿岸を走る山陰本線は、「行商人の利用がとりわけ多かったことで知られる」として、「とくに鳥取県東部から中部にかけての周辺一帯では、行商人のことをアキンドと呼ぶ」と述べています。
 そして、「鳥取駅を利用するアキンドたちの組合」である「昭和会」こと「鳥取昭和商業協同組合」について、「旧国鉄の米子鉄道管理局所管の通商自治組合とよばれる組織のひとつ」であり、「行商人による組合は、米子鉄道管理局の開局時には、すでに各地に存在していた」が、「それらが統制されておらず、増えつつあった通勤・通学などの一般乗客との間で、混雑による問題も生じるようになっていた」ことから、「昭和31年4月26日、各通商組合を統合する米子鉄道管理局管内指定通商人組合連合会を結成し、規約を定めた」と述べています。
 また、「カンの利用と、鉄道の利用」について、「その相関性がどうも気になっていた」とした上で、「行商営業が登録許可制となった昭和25年の時点では、ブリキカンの仕様に関する明記はないものの、衛生管理上、使用する容器の条件が詳細に定められており、こうした条件にかなうもっとも適切な容器としてブリキカンが普及したと考えることができる」と述べています。
 第4章「アキンドに生きる――魚行商体験記」では、平成24年12月中旬に、「最後の魚アキンド体験者のひとり、伊藤増子さんを訪ねた」とした上で、「漁村からの行商というと、一般的には、漁師の夫がとった魚を妻が売り歩く、というような分業を思い浮かべがちである」が、「泊では戦前からすでにそうしたことはほとんどなく、地元の市や倉吉の市場で仕入れることが普通だった」と述べています。
 そして、「増子さんの場合、実の母親がアキンドだったことから、商売のノウハウを教えてもらうなど、さまざまなサポートを受けていたことがわかる」と述べ、アキンドをやる人は、たいていが「しょうからい」、すなわち「性が辛い。つまり、負けず嫌いで向こう気の強い人」であるが、「しょうのからいようなもんのほうが、情があってな」という話も耳にしたとして、「だからこそ、得意先とも信頼関係を結び、長く商売ができたのだろう」と述べています。
 また、「アキンドの稼ぎは、その場しのぎの現金収入ではなく、長期的な暮らしの構築を支える礎になっていた。しかもその商売は、自らの裁量次第でいかようにも展開させることが可能だった。だからこそ、そこに生きがいを見出し、長年にわたって従事することができたのだろう」と述べています。
 第5章「魚を食べる文化」では、カンカン部隊の足跡を追ってみると、「日々の暮らしの中で魚がいかに必要とされていたか、という事実に改めて気づかされる」が、「実のところ、魚が日常の食材となったのは、それほど古いことではない。沿岸部から内陸部へと魚を運ぶ流通網が整う近現代になってはじめて、それは可能になった」と述べています。
 そして、昭和30年代後半から現代にいたる「ダイニング・テーブルの時期」には、多くの家庭で肉料理や魚料理が登場するが、「それ以前のちゃぶ台の時期、あるいは明治から大正初めにかけての銘々膳の時期になると、状況が全く異なってくる」として、「まず、毎日の食事内容が、現代に比べて単調」であるが、「正月に海の魚を食べるという地域は、全国各地に広がって」おり、「中には、海から遠く離れた山間地であることも珍しくない」ことから、「正月と海の魚。この関係こそが、実のところ日本人にとって魚が大切な食材であることの原点なのである」と述べています。
 また、「現在では正月三が日を中心に用意されるごちそうは、本来は、年取りの膳として大晦日に食べるものだった」とした上で、「運ばれてきた年取りの魚は、まず神前に供えられることが重視されていた。ブリやサケに限らず、海産物を歳神様に供える習慣は、『懸けの魚(いお)』として、地域によっては現在でも行われている」と述べています。
 第6章「魚を待つ人々」では、「伊勢志摩地方からの魚行商が最盛期を迎えた昭和40~50年代には」、「仲卸業者を仲介として中央往路市売市場を経由するという、水産物流通の基本が徹底していた」なかで、「産地から直接魚を持参し、販売するという方法は、それ自体が極めて稀であり、消費者に大きなインパクトを与えたであろうことは容易に想像できる」として、「大阪でさほど定着していなかった産地直送を先駆的に実践したというところに、伊勢志摩地方からの行商が受け入れられた理由の一つがある」と述べています。
 「おわりに――消え行く行商列車」では、「千葉県北西部の北総とよばれる農村地域からは、野菜を背負った行商人が、列車を使って東京まで売りに来ていた」として、「昭和40年頃には、この周辺の大半の農家が行商に携わるまで」になり、「昭和39年当時、成田線と総武本線、京成電鉄の沿線地域にそれぞれ行商人の組合があり、人数は合わせて4000人にものぼっている」と述べています。
 そして、「行商というと、おしなべて全近代的な商売のように思いがちだが、もしかしたら当時の間関部隊は、時代の先を行く先鋭的で斬新な人たちだったのではないか。博物館に展示されていたあのカンやリヤカーは、それまでの行商スタイルを刷新する、革命的な道具だったとも考えられる」と述べています。
 本書は、現在ではすでに失われた「カンカン部隊」を追った一冊です。


■ 個人的な視点から

 今でこそ通勤で県境を超えることが当たり前になりましたが、昔は長距離を毎日移動する人の代表格は行商人だったようで、昔の東京人にとって千葉県のイメージは「アサリ売」などの行商人が浮かんだようです。


■ どんな人にオススメ?

・いまではすっかり行商人を見かけなくなった人。


2016年7月 8日 (金)

童謡の近代――メディアの変容と子ども文化

■ 書籍情報

童謡の近代――メディアの変容と子ども文化   【童謡の近代――メディアの変容と子ども文化】(#2532)

  周東 美材
  価格: ¥2,700 (税込)
  岩波書店(2015/10/22)

 本書は、「1920年代の近代日本」にとっての童謡とは何かを明らかにすることで、「童謡という子ども文化が、現代においても『国民的』なものとして信じられていることの意味を歴史的に闡明するための鍵にもなるだろう」として、「童謡から見る『声の文化』の再編」と「1920年年代における子どもとメディア変容の構造的関係の形成」について明らかにしようとするものです。
 第1章「『声の文化』としての童謡」では、「童謡は、1918(大正7)年7月に創刊された児童向け雑誌『赤い鳥』に始まる」として、「『赤い鳥』は、『子供の純性を保全開発』し、子どもに芸術的で純真な読み物を与えることを目的としていた」と述べ、「『赤い鳥』以降の童謡は、古代より受け継がれる伝統としての『わざうた』、在来の子どもの歌としての『わらべうた』、さらには媒介性とその改良とが目指された『はやりうた』という意味が重なりあうところに成立した」と述べています。
 そして「童謡は詩として創作された文芸であり、作曲されるもの、楽譜化されるものであるとは考えられていなかった」として、「『謡』という漢字には、字義的には、楽器を用いずにことばを調子付けて『うたう』という意味があった」と述べています。
 また、「白秋にとっての童心とは、自我の解体と恍惚と衝動を引き起こし、明滅する意識のなかで位置個体の生を超えた遠い過去を思い出させる霊魂のことであった」とのべています。
 第2章「歌声の『聖典』」では、「独自の童謡論を打ち立てた北原白秋は、童謡は学校唱歌のように作曲された楽曲を歌うのではなく、声に任せて自由に歌うべきものであると主張し続けた」が、「読者たちは、白秋が拒絶していたような、作曲された楽曲をしだいに求めるようになっていった」と述べた上で、「童謡が楽曲として成立していることは、現在でこそ自明であるが、当時としてはきわめて斬新なアイデアであった」として、「童謡雑誌は、近代詩と西洋音楽を出会わせる場になっていった」と述べています。
 そして、「あとから付けられる音楽は、ことばを主とするのが原則」とされたことで、「童謡の楽曲には言葉の影響力が色濃く刻印されることになった」として、「とりわけ、重視されたのは高低アクセント」であり、「日本語の高低アクセントが、旋律作法上の原則となるよう定められた」と述べています。
 第3章「子どもの上演」では、「西洋音楽を専門的に学んだ若手の音楽家が活動できる場が非常にかぎられていた当時、若手作曲家にとって、児童雑誌は、定期的に作品を発表でき、一定の受容者が見込める魅力的な媒体」であり、「エリートとアカデミズムのものだった西洋音楽が、大衆化していくうえでの画期的な媒体となった」と述べています。
 また、「文芸運動から生まれた童謡は、音楽として歌われるようになると、詩人の期待とは異なる軌道を描いていった」として、「童謡を歌うということは、作曲による楽譜化や音楽教育への導入、さらには舞台で歌う子どもの登場という技術性や身体性の問題を浮かび上がらせていった」と述べています。
 第4章「『令嬢』は歌う」では、「歌う身体」という問題を前に、「運動そのものが分裂しかねない状況にあった」同様が、「圧倒的なオーラを放つ特別な身体の出現によって、次第に水路づけられ、収束していった」として、作曲家・本居長世の三人の娘である本居みどり、貴美子、若葉について、「本居姉妹は、流動的だった同様のメディア状況を安定させ、新たなメディア環境へと適応していく道筋を示した」と述べています。
 そして、「長世の童謡もまた、多分に新しい日本の音楽を創作しようという機運のなかで創作されたもの」であり、「『赤い鳥』の鈴木三重吉や成田為三による音楽事業とはまったく異なる文脈から生まれたものだった」と述べています。
 また、「『令嬢』の登場により、童謡は、専門的な訓練を積み、確実な歌唱技術を持った子どもによって上演されるものに変わっていった」と述べています。
 第5章「童謡の機械化」では、「童謡運動が盛り上がりを見せていた1910年代末から1920年代は、レコード産業が本格的に形成され、大衆の日常を覆い始めていった時期でもあった」が、こうしたレコード産業の体制が確立する以前の「初期の録音技術をめぐるコミュニケーションのあり方が編成されていくプロセス」を負うことで、「近代日本における複製された声の文化、すなわち『二次的な声の文化』が、どのような条件に支えられながら生成していったのかを理解する手がかりが得られるだろう」と述べています。
 そして、「本居親子はレコード吹き込みをつうじて、レコードのために作られた子供の声のありようを生み出した」として、「黄色い」や「舌足らずな」という形容をされる童謡歌手たちの声について、「長世は、地声は子どもにとって自然な発声法であり頭声は不自由で苦痛を感じさせる歌い方であると考えていた」と述べた上で、、「洋楽では、裏声と地声とは明確に区別されるが、邦楽の歌では地声から裏声に映る際に変化がわからないようになめらかに使い分ける技術が求められる」として、「長世が少女の歌に地声を用いたのは、意識的なものだったように思われる」と述べています。
 第6章「命を吹き込むテクノロジー」では、「詩の律動やアクセントを重視することから生まれた童謡は、電気録音時代に至るなかで、ビビッドな音楽となりサウンド優位なものへと変容し、アニメーション化され、学校唱歌やお伽歌劇との区別を失った」と述べています。
 また、「レコード産業は、先行メディアである児童雑誌との結びつきを失ってはいなかった」として、「欧米ではあまり一般的ではない『歌詞カード』が封入されるようになったことは、文芸の影響力を色濃く残した日本のレコード産業の特徴といえるかもしれない」と述べています。
 終章「メディア変容のファンタジー」では、「童謡における印刷文化から二次的な声の文化へというメディア変容とは、『ある平面から別の平面へ』というようなかたちで直線的に推移していくものではなかった」として、「童謡は、擬制的な『一次的な声の文化』を伴いながら再現していた」がのであり、「声の複製やポピュラー音楽としての童謡の姿とは、当初の意図や目的とは異なる結果として、たどり着いたものだった」と述べています
 そして、「本書が童謡をつうじて明らかにしてきたのは、この国のメディア技術・産業のなかに子どもという存在が構造的に組み込まれていったこと」であり、「子どもが近代の産物であるならば、その価値意識は万古不易のものではなく変容するものなのであり、ときにグロテスクな姿をも顕す潜在性を秘めて」おり、「近代日本社会そのものが、自らを再編し解体しかねない子どもという他者性を、〈可能性〉として内面化しているのだ」と述べています。
 本書は、わが国の近代の産物である「童謡」の誕生と変容を追った一冊です。


■ 個人的な視点から

 今となっては遠い追憶のフィルターの向こうで語られることの多い「童謡」ですが、当時としては当然、野心や商売のなかでムーブメントが動いていたわけです。
 いつの日か、握手券商法なんかも遠い過去として振り返られる日が来るのかもしれません。「あの時は世の中がどうかしていた」とかなんとか言われながら。


■ どんな人にオススメ?

・童謡にノスタルジーを感じる人。


2016年7月 3日 (日)

ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか

■ 書籍情報

ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか   【ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか】(#2527)

  危険地報道を考えるジャーナリストの会
  価格: ¥821 (税込)
  集英社(2015/12/17)

 本書は、「『イスラム国』による後藤健二氏、湯川遥菜氏の人質・殺害事件移行、『そんな危険な所へ行く必要があるのか』という世論に乗じて、政権は露骨な報道統制に踏み出し、メディアは萎縮してしまった」として、海外取材の最前線に立ってきたジャーナリストが集結し、「それでも、誰かが“そこ”へ行かなければならない」と訴えているものです。
 第1章「後藤健二氏の人質・殺害事件がもたらした影響」では、2015年に後藤健二氏と湯川遥菜氏が「橙色の囚人服を着せられ砂漠に跪かされた映像」が公開された時に、「衝撃を受けるとともに、日本の危険地報道とフリージャーナリストの活動が大きな打撃を受けるであろうことを予感した」と述べた上で、「ジャーナリストの無謀な危険地域取材のために、政府も国民も多大な迷惑を被った」とする世論が現れたとして、「日本の危険地域報道は、新聞社、放送局、出版社、フリー記者などによって半世紀以上続けられ、世界に誇るべき成果も多い」が、「その仕事がいま、権力に干渉され、迷惑者と指差されて大きく傷ついている」と述べています。
 そして「ジャーナリストの仕事とは、市民が世界の動きをしる耐えの目となり耳となることであり、民主主義のために不可欠なものだという意識が、日本社会に希薄であることが浮き彫りになった」とともに、「報道の独立性という原則が傷ついた」と指摘しています。
 第2章「ジャーナリストは『戦場』でどう行動したのか」では、「ジャーナリストにとって紛争の現実は現場にしかない」とした上で、「日本の組織ジャーナリズムには危険地取材については『どのような状況であれ、現場で取材する道を探る』というジャーナリズムとしての明確な基本方針が確立されていない」と指摘しています。
 そして、「中央は世界の事件現場である。世界のジャーナリストが中東に強い関心をもつのは、中東の地域事情を伝えるだけではなく、中東が世界の国々の利害や政策がぶつかる場所だからである」と述べています。
 また、イラク戦争にたくさんのフリーランスが現地に入ったが、「日本のフリージャーナリストを見ていると『活動家』が多いと感じることもしばしばある、活動家は『先に答えありき』になりがちだ」と述べています。
 第3章「戦争報道を続けるために」では、「ジャーナリストたちの過去の殺害状況を見ると、最期は驚くほど、あっけなく、『ポン』と何かを飛び越えるような形で亡くなっている」として、「ベテランで、経験豊富なジャーナリストやカメラマンほど、そんな死に方をしているようにも思える」と述べた上で、「戦争報道で、また同じような形で死者が出て、そして再び『追悼』するだけの繰り返しでは、軍隊組織のような精神論的な言い伝えしか受け継がれていかないだろう。そうではなく、戦争報道をこれからも続けるために、続けられる環境を維持するために、ジャーナリストたちが自己検証をする機会がこれまで無かったのではないか」と指摘しています。
 そして、「戦争報道は、職業的意識(プロフェッショナル・マインド)をもったさまざまな立場の人達が、入れ替わり立ち替わり、かつ継続的に携わることで、次の世代や社会に受け継がれていく」と述べています。
 第4章「米国メディアの危険地報道」では、「メディア各社が、紛争地などの危険地帯の取材を行う際、考慮すべきファクター」として、
(1)その会社がどれだけリスクを許容できるかという「体質面」
(2)取材費用にかかる「金銭面」
の2点を挙げています。
 第5章「危険地報道とジャーナリスト」では、「危険地を取材し殉職したジャーナリストたちの『英雄化』『聖人化』に私は違和感と後ろめたさを抱いている」として、著者がパレスチナ取材で、被害者の住民から、「お前たちは、私たちの悲劇を取材し撮影してテレビ局や雑誌に売って金儲けをする。お前のようなジャーナリストがこれまでもたくさん来て、たくさん撮影していったが、それで私たちの生活がよくなったか? 何も変わらないじゃないか。お前たちは私たちの悲劇を食い物にする“ハゲタカ”だ」という言葉を投げつけられたと述べています。
 そして、「私は、『戦場ジャーナリスト』『戦場カメラマン』という言葉に、ナルシシズム(自己陶酔)と『英雄気分』の匂いをかいでしまう。それを『英雄視』する社会の風潮もある」が、「ジャーナリストは、“伝え手”であり、『何を伝えるか』が勝負だ。だから映像や記事の中では『伝えるべきこと』だけを全面に出して、伝え手は“黒子”に徹すべきだと私は自分に言い聞かせている」と述べています。
 本書は、戦場ジャーナリストたちの主張と自己検証を掲載した一冊です。


■ 個人的な視点から

 「ジャーナリスト」という言葉にはやはりかっこよさがあって男のロマンがあるとしか言いようがない。
 なにしろ「カメラマン」になるのは思いつきではできないが、「戦場カメラマン」だったらカメラを持って紛争地帯に飛び込めば「フリージャーナリスト」ができあがってしまう、というハードルの低さが原因の一つであることは間違いないでしょう。


■ どんな人にオススメ?

・戦場にロマンを感じてしまう人。


2016年7月 1日 (金)

ピザの歴史

■ 書籍情報

ピザの歴史   【ピザの歴史】(#2525)

  キャロル ヘルストスキー (著), 田口 未和 (翻訳)
  価格: ¥2,160 (税込)
  原書房(2015/8/24)

 本書は、「18世紀のナポリ」に始まり、「貧しい民衆のための安くて便利な食べ物として重宝され」、「イタリア移民とともにアメリカに渡り、そこに第二の故郷を見出」し、アメリカで「独自の道」を歩み、チェーン店によって、世界中に広まったピザの歴史をたどるものです。
 序章「シンプルで複雑なピザ」でや、フランスの著述家であるアレクサンドル・デュマが1835年にイタリアのナポリを訪れ、「そこに住む貧しい人々の習慣と生活を観察」したとして、彼がこうした下層民衆を「ラッザローニ」と呼び、彼らが食べているピザについて、「ピザは見た目ほどシンプルな食べ物ではない。じつはとても複雑な食べ物」と語っていることを紹介しています。
 そして、「アメリカでは、ピザは単にイタリアを代表するエスニックフードではない。高級グルメであり、ノスタルジックな郷土料理であり、やみつきになる食べ物であり、家族の食事に欠かせないものであもある」と述べています。
 著者は、「ピザはグローバル化によって、逆に地域色の強い食べ物へと進化してきたように思える。その土地の消費者が自分たちの好みに合ったピザを作り出しているからだ」と述べています。
 第1章「イタリアのピザ」では、「ナポリではピザを食べることが貧しい人たちの文化の一部になっていた。住民のほとんどは十分な調理器具をもっていなかったので、通りで『ファストフード』を買うしかなかったのだ」と述べています。
 そして、「ピザが、大量生産されるフラットブレッドのファストフードになってしまったことへの批判や懸念の声は止むことがない」が、「ピザは時間と空間をまたいで広がりながら、ときにイタリアとの関係を失い、ときにそれを取り戻してきた。ピザの応用の幅広さがその人気を高めたという点では、民衆文化の遺産としてのピザの性質は受け継がれたことになる」と述べています。
 第2章「アメリカのピザ」では、「アメリカは世界中のどの国よりもピザの消費量が多い」とした上で、「アメリカの料理の歴史をたどってみると、さまざまな民族的背景をもつ消費者と起業家が一緒になって、移民が持ち込んだブリトー、春巻き、チーズフォンデュなどの食べ物を進化させ、大勢にアメリカ独自の料理として受け入れられるものにしてきたことがわかる」と述べています。
 そして、「ピザは19世紀後半にイタリア移民とともにアメリカにやってきた。南イタリアからの移民が多く住み着いた地域にピザが現れたのは偶然ではない。南部からの移民の多くは、非熟練労働者でも向上の仕事に就ける北東部の年に集まってきた。ピザは安上がりの食べ物として、移民たちが自分の家で作るものだった。あるいは、パン屋で作ったものをまるごとか、(通常は工場労働者か、金曜日に肉を買えない家庭の主婦が)買える分だけ切り売りしてもらっていた」と述べています。
 そして、「第二次世界大戦までは、ピザは北東部の州のイタリア系コミュニティの食べ物にとどまり、それ以外の地域のアメリカ人はピザという名前さえ聞いたことがなかった」が、「戦後になると、個人向けのピザが生まれ、自宅のキッチンやダイニングで自分一人で、あるいは家族だけでピザを食べるようになった。それを後押ししたのが冷凍ピザ技術の発達と宅配サービスの広まりだった」と述べています。
 第3章「ピザは世界を征服する」では、「アメリカのピザ好きたちは、『アメリカにピザを持ち込んだのはイタリア人かもしれないが、世界にピザを広めたのはアメリカだ』と思っている」とした上で、「規格化ピザの歴史を振り返ると、企業やナポリの実業家によって最初にピザが世界各地に伝えられたあとで、それぞれの土地で基本的なピザの形がさまざまに変化してきたことがわかる」として、「ほとんどのコミュニティがピザに自分たちのものとわかる特徴を付け加えた」と述べています。
 そして、「世界全体では、マクドナルドのハンバーガーより、ピザのほうが普及している」が、「おそらく、ピザへの抗議が少ないのは、ピザが今でもイタリアのルーツと結びついているからだろう」と述べています。
 また、「イタリア人はピザの退化を嘆いているかもしれないが、世界と出会い、ハイブリッドな食べ物となった今では、もうイタリアのピザだけを“本家”と呼ぶことはできなくなった。おそらくピザと同じように、世界も平らなのだ」と述べています。
 第4章「ピザの未来」では、「フラットブレッドに何らかの食材をのせたものをピザと呼ぶのなら、人々が自分の好きなものをのせて食べている限り、ピザの人気が衰えることはないように思える」と述べています。
 本書は、今や世界中で愛されているピザの歴史を追った一冊です。


■ 個人的な視点から

 今や「デブ」の代名詞ともなっているピザですが、こんなものに歴史などあるものかと思えば意外なドラマがあることに驚きました。
 寿司や餃子もそうですが、人の移動や戦争にともなって食文化は国境を越え、変貌を遂げ、オリジナルなものとは似ても似つかないものになることも含めての食文化なのでしょう。


■ どんな人にオススメ?

・ピザが食べたい人。


2016年1月31日 (日)

昭和特撮文化概論 ヒーローたちの戦いは報われたか

■ 書籍情報

昭和特撮文化概論 ヒーローたちの戦いは報われたか   【昭和特撮文化概論 ヒーローたちの戦いは報われたか】(#2524)

  鈴木 美潮
  価格: ¥1,500 (税込)
  集英社クリエイティブ(2015/6/26)

 本書は、「近年評価が高まってきたアニメと比べ、今ひとつ正当に評価されていない」特撮ヒーローについて、多くの人に素晴らしさを知ってもらうことを目的としたものです。
 序章「敗戦国日本にヒーロー現る」では、「いまでこそヒーローの代名詞として普通に使われる『正義の味方』というコンセプト」が、月光仮面で初めて考えだされたものであり、「戦うヒーローの元祖のように思われがちな月光仮面。だが、その作品の根底に込められたのが非戦の願いだったというのは、重い意味を持っていると言えよう」と述べています。
 第1章「巨大化したヒーロー」では、『ウルトラマン』や『マグマ大使』など、この時期にヒーローが巨大化した理由として、
(1)日本初の超高層ビルが建設されていたことに影響された
(2)古くからアジア圏には大仏像や大きな観音像が存在していること
の2点を挙げています。
 第2章「旋風巻き起こす『石ノ森ヒーロー』」では、『仮面ライダー』の主役を務めた藤岡弘が収録中に重症を負ったことで仮面ライダー2号が登場し、「二刀流と日本舞踊を合体させた『変身ポーズ』」が考案されたことについて、「窮余の一策と偶然の方針変更」の2つこそが『仮面ライダー』を「日本を代表するヒーロー番組に押し上げる要因となった」と述べています。
 そして、「仮面ライダーが戦う理由は、正義ではなく『人間の自由のため』と説明されている」理由として、「少年時代に第二次世界大戦を経験した平山らのこだわりで、もとは番組の企画会議に参画していたシナリオライターの市川森一の持論だった」と述べています。
 第3章「悪の組織の変遷」では、「ナチスドイツを髣髴とさせる悪の組織の描写は、ショッカーやその流れをくむゲルショッカーのみならず、1970年代の多くのヒーロー作品の特徴だ」とした上で、「かつての仮面ライダーとショッカーの対決の物語では、ショッカーを倒せば世界は平和になるはずだったし、視聴者は無邪気にそう信じていられた」が、「21世紀の悪はつかみどころがない」として、「ヒーローと倒すべき悪の境界は一層ぼやけ、物語は混沌としてきている」と述べています。
 第4章「豊かさの歪みが露呈する時代、『川内ヒーロー』再び」では、『レインボーマン』について、「番組の視聴率の行方を決めるとされ、通常より派手な演出が好まれる第1話と第2話で、派手な返信どころか、敵との戦いもないという、現在の放送業界だったらおそらく許されない、大胆なストーリー展開」が特徴と述べています。
 第5章「魅惑のカルトヒーローたち」では、「次々と繰り出される奇想天外なアイデア。BPO(放送倫理・番組向上機構)も存在しなければ、『コンプライアンス』という言葉もなかった頃のテレビには、そうしたアイデアを受け止められる、いい意味での『ゆるさ』があった」と述べています。
 そして、1976年に東映が製作した『忍者キャプター』と『ザ・カゲスター』において、初めて「八手三郎」がクレジットされたと述べ、「平山が使っていたペンネームで、後に東映テレビ部のペンネームとして広く使われるようになった」として、「やって候」から思いつき「やつで・さぶろう」と読むとしています。
 第6章「アブない魅力の『悪のヒーロー』」では、『人造人間キカイダー』に登場した「ハカイダー」について、「黒は戦闘員に代表されるように『ワルモノ』の色」だった時代に、「黒いのに強そうで、スマートでカッコいい『悪のヒーロー』が登場した時の衝撃度の高さは、今とは桁違いであった」と述べています。
 第7章「ヒロイン・前線に立つ」では、「特撮のヒロインの歴史は、そのまま日本における女性の社会進出の歴史と重なる」とした上で、『秘密戦隊ゴレンジャー』に「モモレンジャー」が登場した理由として、「ヒーローごっこをする子供たちのなかで、女の子がショッカーの女怪人(蜂女やドクダリアン)か、ショッカーにさらわれる人質しかできないのはかわいそう」と思ったことだと述べています。
 そして、「特撮ヒーローの世界で、実は、もともと女性がのびのびと大活躍していた場所」として、「悪の組織」を挙げ、「女性幹部たちは、皆、実に楽しそうに働いている」として、「趣味と実益を兼ねて悪さを重ねる人が大半」で、「組織内でもそれなりの地位についているから権力もあるし、ストレス解消はやりたい放題」だと述べています。
 第8章「ギネス級番組『スーパー戦隊シリーズ』の足跡」では、「約30分の特撮ドラマを毎週新たに作り出すなどという『クレイジー』なことをしているのは、世界中でも日本の東映だけ」だと述べた上で、ゴレンジャーの5人が勢揃いして名乗りを上げる場面は、「大野剣友会の殺陣師、高橋一俊が、歌舞伎の『白波五人男』の『青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ) 稲瀬川勢揃いの場』での五人男の見得から思いついた」と述べています。
 第10章「ヒーローたちの応援歌」では、特撮ソングの大きな特徴として、「冒頭から謎の擬音を連発し、勢いで押しまくってくる歌が目立つこと」だとして、「一度聞いたら忘れられない印象的な擬音の繰り返しこそが、子供たちの頭に歌をすり込み、日本中で合唱されるような特撮ソングを作り上げた」と述べています。
 第11章「スーツアクターの矜持」では、「『誰が入っても同じ』どころではなく、スーツアクターというのは、演技力があり、さらに表情を封じられた環境で芝居をしてみせる特殊技能を持った人たち」だと述べています。
 第12章「平成の時代、ヒーローたちは…」では、「特撮番組の地位の低さは、役者の『ヒーロー(ヒロイン)歴隠し』を誘発している点でも残念だ」とした上で、「平成ヒーロー」と言っても、「どのヒーローも平成オリジナルではない」として、「そろそろ、平成オリジナルのヒーローを見たいと思うのは筆者だけだろうか」と述べています。
 終章「ヒーローたちの思いは実を結ぶか」では、弱者を守る、仲間を助けるなど、「大人向けのドラマでは『青臭い』とされ、ストレートに表現しづらいこうした正論を、真正面から説くところに、筆者はヒーロー作品の真髄があると思っている」と述べています。
 本書は、特撮ヒーローへの長年の熱い思いが詰まった一冊です。


■ 個人的な視点から

 特撮ヒーローものという、実は日本人のメンタリティに大きな影響を与え続けてきたコンテンツ。大人になっても夢中なのは一部の大きなお友達だけなのかもしれませんが、ヒーローを見て育った元子どもたちの心の奥底には、製作者の熱い思いが残っているのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・ヒーローたちに胸を熱くした人。


2016年1月29日 (金)

ワインの歴史

■ 書籍情報

ワインの歴史   【ワインの歴史】(#2522)

  マルク ミロン (著), 竹田 円 (翻訳)
  価格: ¥2,160 (税込)
  原書房(2015/11/20)

 本書は、「古代から現代まで世界のワインを幅広く丁寧に紹介した」ものです。
 序章「神からの贈りもの」では、「ワインの原産地、その歴史と伝統、無限ともいえる種類、ワインとワインの味わい方の文化、これらを理解すれば、この世の何よりも素晴らしい、複雑で魅力あふれる飲物をさらに深く理解し、楽しめるようになる」と述べています。
 第1章「ブドウ」では、「ヴィティス・ヴィニフェラ種は、適正な条件で栽培されれば、果実に含まれている天然の籐を自身の重さの3分の1にまで凝縮できること」ができ、「さらに酸味やタンニン、その他の風味化合物との自然のバランスによって保存性の高いワインを作ることができる」と述べています。
 そして、「19世紀中頃までのヨーロッパのブドウ畑は、規模の大小はあれどいずれも歴史は古く、中には古代ローマやギリシア、いや、さらに古い時代にまで起源をさかのぼるものもあった」が、「フィロキセラ」と名づけられた「大食いアブラムシ」によって、「ブドウ畑の根を次々と貪り、餌食となったブドウを枯らしてしまう」ことで、「1920年代には、ヨーロッパ全土に被害が拡大」し、「20世紀初頭の数十年間で、ヨーロッパの主要なブドウ畑では、ブドウがほぼ完全に植え替えられた」と述べています。
 また、「フランス人のワインに対する考え方の核」にある「テロワール」という言葉について、「ワインづくりに関わる特性――地理、気候、微細気候、そして歴史や人間――が組み合わさったものを指す言葉である」とし、「その根底にあるのは、強烈で際立った個性を持つワインだけが、その土地のテロワールと呼ばれているものの独自性を示すことができるのだから、上質なワインであるほど厳密に生産地を特定できるはずだという信念だ」と述べています。
 第2章「古代のワイン」では、「飲みものとして通用するようになるまで、栽培とその後の時間のかかる作業にこれほど神経をつかう農産物は他にない」として、「太古の昔から、この格別の飲みものは『聖なる飲みもの』と言われてきた」と述べています。
 そして、「古代ギリシア人が、ワインに何も混ぜずに飲むことはまれだった。ワインに混ぜ物をする儀式は重要で、おいしい一杯を作るコツは古代ギリシアの社会で重宝された」として、「ワインは水や海水で割り、香料、スパイス、ハーブやハチミツを足すこともあった」と述べています。
 また、「ローマ人にとって、ワインは文化と文明の心臓にも等しかった。貧富にかかわりなく、ワインは日常生活の中心だった」として、「ローマ帝国が版図を拡大するにつれ、ブドウも、西ローマ帝国領内の様々な地域に運ばれて、植えられるようになった」と述べています。
 第3章「ヨーロッパのワイン」では、「最初にメソポタミア地方に根を下ろしてから、ヴィティス・ヴィニフェラ種は長い歳月をかけて小アジアを抜け、東地中海へ着々と匍匐前進し、ギリシアの島々とイタリア半島にすみやかに広がり、ついに西ヨーロッパのほぼ全域に生い茂るようになった」と述べ、「こんにちでも、ヨーロッパのワインは、世界の他の地域のワインを評価する指標の役割を果たしている」と述べています。
 そして、「キリスト教は言うまでもなくワインの生産を奨励した。聖体拝礼の儀式にはワインが毎日必要だったからだ。さらに、新鮮できれいな水がいつでも飲めるとは限らないことが当たり前だった時代には、ワインは聖職者や金持ちや帰属だけでなく、庶民にとってもいわば生活必需品だった」と述べています。
 また、「木が生えていないスペイン内陸部で、木の樽や大樽が一般的な醗酵用容器でなかったように、ワインの輸送用容器も木の樽とは限らなかった」として、ヒツジヤブタやヤギの皮が、「脚を含む全身のなめし革からつくられた」と述べています。
 第4章「世界のワイン」では、「古代スカンジナビアの伝説によれば、コロンブスが出航するはるか昔、レイフ・エリクソンが大西洋を横断してアメリカ大陸に植民地を建設し、野生のブドウが生い茂っていたことにちなんでその土地をヴィンランド(ブドウの国)と名付けた」と述べています。
 そして、「フランスのブドウ畑がフィロキセラの被害にあったとき、フランスからワイン醸造家たちが新天地を求めてチリにやってきた」と述べています。
 第5章「ワインをつくる」では、「ワインの性格と品質は、原料となるぶどうの品質だけでなく、関連するさまざまな要因によって決定される」として、「このユニークな農産物の創造の土台となっているのが、ブドウを保存の効くアルコール飲料に変える工程だ」と述べています。
 そして、「ワインをガラスの瓶に入れてコルクで封ができるようになったことは、ワインの進化における大転換点だった」として、「技術的進歩はワインの品質向上だけでなく、さまざまな種類のワインの創造と進化をもたらした」と述べています。
 第6章「ワインの未来」では、「気候変動がワインの世界に今後劇的な影響を呼ぼすのはほぼ間違いない」として、「気候変動と地球温暖化によって恩恵をこうむる人がいる一方で、敗者が生まれることも避けられない」と述べています。
 そして、「人類の誕生とほぼ同時にはじまった息の長いワインの伝統と文化が途絶えることはない」と述べています。
 本書は、ワインをよりおいしく楽しむことができるようになる一冊です。


■ 個人的な視点から

 チリワインは安くておいしいのでありがたいのですが、フィロキセラがこれほどまでにヨーロッパのワインづくりにダメージを与えていたとは知りませんでした。


■ どんな人にオススメ?

・ワインが飲みたい人。


2016年1月12日 (火)

マンガ原作 感動をつくる法則

■ 書籍情報

マンガ原作 感動をつくる法則   【マンガ原作 感動をつくる法則】(#2505)

  大石 賢一
  価格: ¥1,620 (税込)
  言視舎(2015/6/25)

 本書は、「マンガ原作の書き方」講座で話された「キャラクター創作の秘訣」と「感動のつくり方の法則」の2点を抽出したものです。
 第1章「キャラクターってなんだ?」では、マンガ業界には「マンガはキャラクターがすべて」という「厳しいキャラクター定義」があるとした上で、「キャラクターを浸透させなければヒットは生まれない」と述べています。
 第2章「キャラクターに必要な条件」では、「キャラクターづくりに必要な5つの条件」として、
(1)主人公は応援したくなる人物だ
(2)主人公は目的を身近に感じている
(3)主人公は他人と違う個性を持っている
(4)主人公は生活、行動の好き嫌いがハッキリしている
(5)主人公は正義感や優しさを持っている
の5点を挙げています。
 第4章「キャラクターづくりに重要 2」では、「マンガの場合、読者が主人公に感情移入する力が非常に強い」として、「この目的意識がハッキリしていることがマンガの特徴」だと述べています。
 第6章「キャラクターづくりに重要 4」では、マンガでは、「ストーリーをつくるのではなく、キャラクターを歩かせる」と述べ、「独自の主人公キャラクターが歩くことによって、オリジナル展開」になる状態を「はねる」と言うとしています。
 第8章「キャラクターづくり。これはダメ!」では、「感情移入とは、読者が主人公になりかわってマンガのストーリーを体験する」ことであり、「マンガの読者は自分から運命を切り開いてゆく人を体験してみたい」のだと述べています。
 第12章「『感情移入』させるテクニック編 1」では、マンガ単行本の第1巻、第1話には、
・読書を巻き込むパワー
・同じ立場に立たせる設定
・一緒に考えさせる追い込み
というキャラ立ての要素が詰まっていると述べています。
 第17章「『感動をつくる』テクニック編 4」では、「主人公を酷使」し、「主人公を一歩も退けられない場所へ追い込み、そこから脱出する姿を面白いと思っていい」と述べています。
 第22章「プロテクニック編 4」では、主人公には「決断」が必要であり、「全責任を主人公がかぶる窮地に追い込む。いったいどうやって切り抜けるのか」を書くのがマンガであると述べ、「決断に関する約束事」として、
(1)決断をするには「目的」が必要
(2)決断をする主人公は「応援したくなる」人物
(3)決断は「個性的」でなければならない
(4)決断の結論は「正義」や「優しさ」につながっていなければならない
の4点を挙げています。
 本書は、面白いマンガに不可欠な主人公のキャラクターづくりの秘訣を伝える一冊です。


■ 個人的な視点から

 面白いマンガやラノベはストーリー展開にいくら意外性があってもキャラクターの行動は「さもありなん」と納得できないと気持ち悪いですよね。


■ どんな人にオススメ?

・面白いキャラクターを作りたい人。


2015年8月13日 (木)

イルカ漁は残酷か

■ 書籍情報

イルカ漁は残酷か   【イルカ漁は残酷か】(#2489)

  伴野準一
  価格: ¥907 (税込)
  平凡社(2015/8/13)

 本書は、「和歌山県太地町の追い込み漁とは一体何なのか。追い込み漁でイルカやゴンドウを殺すのは心ない残虐行為なのか、それともそれは牛豚の屠殺と何ら変わるところはなく、反対運動は『かわいい』イルカが殺されることに対する感情論にすぎないのか。そして何より、この亮は古来から続く守るべき伝統漁法なのだろうか」を追ったものです。
 第1章「最後のイルカ漁」では、イルカの殺し方が残酷だという批判に対して、いとう漁協代表理事専務の日吉直人が、「ブリを殺すのも同じじゃん。うるさくいわれなきゃ(食肉のための屠殺・解体は)普通にやるよ。俺ら現場の人じゃん。何も悪いなんて思ってないよ。だって食べるものだから」と語っていることを紹介しています。
 第2章「大地町立『くじらの博物館』物語」では、戦後の南極海捕鯨再開に伴い、「大地の男たちはクジラを求めて南極の氷の海へと出港していった」が、「南極海捕鯨とは所詮は出稼ぎ仕事に過ぎず、町の将来を託すことはできない」ことから、「新しい産業を創生することがどうしても必要だった」と述べ、町長だった庄司五郎が、「大内町を観光の町として再生させる」ことを思いつき、「観光の町として生まれ変わる大内町を象徴する中核的な施設」が、3億円以上を投じた大地町立「くじらの博物館」であり、「博物館は予定通り会館を果たした。展示はどうにか開館に間に合ったが、間に合わなかったのはイルカとゴンドウクジラの生体展示」であったと述べています。
 第3章「大地追い込み漁成立秘話」では、「高度成長時代の真っ直中にあった当時の日本では、1970(昭和45)年頃からイルカのスタントショーを見せる水族館が全国的に増え、生体のバンドウイルカへの需要が急増していた」ことから、「食肉意外に大きな需要が生まれつつあった」として、「突き棒組合の追い込み技術は確実に向上していた」と述べています。
 第4章「価値観の衝突」では、1980年4月9日から長崎地裁佐世保市部で開かれたデクスター・L・ケイトの初公判について、「2年以上にわたって勝本町漁協に協力を申し出、イルカを漁場から駆逐しようと試みたケイトがイルカを逃がしたのは、イルカの捕獲が営利目的に変容したと誤解したからだった」として、「外国人運動家の主張に対してアメリカ的覇権主義や人種差別感情が根底にあると決めつけ、イルカの殺処分について動物福祉的・道徳的な問題に存在を一切認めようとしない日本側。事実関係をないがしろにしてすれ違う双方の主張。今日まで30年以上にわたって継続する長い不毛な論争のすべてがここにある」と述べています。
 第5章「スター誕生」では、「イルカが主役級の役割を演じる劇場映画」である『フリッパー』について、2つのルーツがあるとして、1955年にマリン・スタジオで撮影された『半魚人の逆襲』で半魚人を演じたリコー・ブラウニングが「マリン・スタジオでフリッピーのスタントを目にして、イルカを『リン・ティン・ティン』のジャーマンシェパードや『ラッシー』のコリーなどと同じようなキャラクターとして使えないかと考え始めた」ことと、「この映画でフリッパー役を演じるイルカを調教することになるミルトン・サンティーニ」がアジをとっていた網にかかった若いバンドウイルカをライフルで撃ったときに、「すぐには死なずに、出血しするまでの間『赤ん坊のように鳴き続けた』」ことで罪悪感を感じ、数カ月後に次のイルカがかかったときにイルカを逃し、イルカの調教に興味をもったことで、「サンティーニのイルカ学校」を開設してイルカのトレーニングを始めたという逸話が地域の住民や観光客の間で知られるようになり、映画製作者アイヴァン・トースに「この逸話を下敷きにした長編映画の政策を決意させることになった」と述べています。
 そして、「劇中の設定はあまりにも健全だったが、実際の撮影ではイルカたちは酷使された」として、「イルカたちは芸に成功すると即座に餌をもらえるものと刷り込まれているのに、撮影の都合で褒美の餌がすぐに与えられないこと」にストレスを抱え、問題行動を起こすようになったと述べています。
 第6章「乱獲と生体ビジネスの始まり、包囲網の形成」では、「1970年以来、リック・オリバーは40年以上にわたって飼育下のイルカを野生に戻すために人生のすべてを捧げてきた」が、「彼が解放できたイルカは100頭にも満たない」一方で、「大地では毎年1000頭以上の野生のイルカが殺されている。オリバーにとって大地のイルカ追い込み漁は、彼生涯の努力を完全に否定してあざ笑う悪魔の所業だった」ことから、「彼は『日本のイルカを救え』運動を立ち上げて、全力でこの問題に取り組み始める」と述べています。
 そして2009年のサンダンス映画祭で初公開されたドキュメンタリー映画『ザ・コーヴ』について、「大地の自然風土や風習を客観的に掃海する観光映画ではなく、屠殺されるイルカに涙する女性についてのドキュメンタリーでもない。この町でひっそりと行われているイルカ追い込み漁の実態をできるだけ凄惨に描写して世界的な批判を巻き起こし、追い込み漁を廃絶に持ち込みたいとのがこの映画の意図なのだ」と述べ、その結果、「毎年追い込み漁が始まる9月から翌年の4月まで、シー・シェパードなどの反捕鯨団体やイルカ活動家が、人口3500人の小さな田舎町大地町に押し寄せて居座るようになった」と述べています。
 第8章「幕間劇『くじらの博物館訴訟事件』」では、リック・オリバーが記者会見で、くじらの博物館に「イルカは海のゴキブリである」という言葉が掲示されていると発言したり、サラ・ルーカス父娘が「西洋人お断り」という人種差別を原因として入館を断られたと発言したことについて、「リック・オリバーは平気で事実を歪め捏造し海外に向けて情報発信を続ける。『ザ・コーヴ』と全く同じ構造である」と述べ、「彼ら活動家に対する博物館職員、そして大地町民の怒りは深く静かに広がっている」一方で、「リック・オリバーらが悪意と偏見から誤って伝えたくじらの博物館に関する中傷発言だけは、今もネット上で再生され続けている」としています。
 第9章「夏は終わりぬ」では、「くじら浜海水浴場は、世界で唯一、クジラと泳げる海水浴場なのだ」と述べています。
 そして、リック・オリバーやルーカス親子について、「彼らの嫌悪と偏見が、彼らの見る博物館像を歪めさせ、彼らの行動から常軌を奪ったのだ」とする一方で、「傲岸不遜な彼らに対する反発から、私たちの中からイルカ漁について虚心坦懐に考えようとする機運が失われてしまったこともまた事実である。私たち日本人は、大地町で行われているイルカ漁について真剣に考えてみることなく、反イルカ漁運動に対する反発心から『イルカ漁は日本の文化なのだ』などと安直な主張を繰り返しているに過ぎないのではないか」と指摘しています。
 終章「イルカと人間の現在」では、大地町漁協関係者の間で、「シー・シェパードなどのイルカ漁反対運動が沈静化するなら、屠殺は止めて水族館への生体販売だけに絞ってもいいのではないかという議論が数年前から起こっている」が、「警察は生体捕獲だけに絞っても反対運動は止まらないとの見解で、水産庁も食肉としての屠殺がなくなれば水産業ではなくなってしまうとの理由で、生体捕獲のみの操業は認可しない方針」だとして、「イルカの屠殺が続いているのは、硬直的な行政の体質にも原因がある」と指摘しています。
 著者は、「ここ10年以上、静かなクジラの町、大地町はグローバリズムと観光テロリズムの大波に晒されて、激流に浮かぶ木の葉のように揉まれ続けた。クジラと人、イルカと人の関係は動物福祉運動という大きな潮流の中で、くじらの博物館の開館から半世紀のうちに大きく変わった。パンドラの箱は開いて、最後に残ったのは希望ではなく枯渇だった」と述べています。
 本書は、人間が生きていく上でのイルカとのつきあい方、自然とのつきあい方を考えさせてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 イルカ漁に反対している「活動家」っていう人たちが、欧米でもちょっとアレな人扱いされている様子はわかりましたが、(時には無関係な)ショッキングな画像を広めたり、セレブをそそのかしたりして目的のためには手段を選ばないその行動力には恐れ入ります。


■ どんな人にオススメ?

・わんぱくフリッパーに憧れた人。


2015年8月11日 (火)

デジタル・アーカイブとは何か 理論と実践

■ 書籍情報

デジタル・アーカイブとは何か 理論と実践   【デジタル・アーカイブとは何か 理論と実践】(#2487)

  岡本 真 (編集), 柳 与志夫 (編集)
  価格: ¥2,700 (税込)
  勉誠出版(2015/6/19)

 本書は、「アーカイブ、とくにデジタル・アーカイブに関心のある方、あるいはこれからそれを勉強したり、それに関係する仕事についてみたいという方を主な対象に、アーカイブとデジタル・アーカイブの関係、デジタル・アーカイブの目標と意義、それを構築・運用していくために必要なこと、それを担う人材と社会制度、これからのデジタル・アーカイブの方向など、デジタル・アーカイブの概要を、とりあえず本書1冊読めばわかることを目的に編集した」ものです。
 第1部「アーカイブからデジタル・アーカイブへ」では、「デジタル・アーカイブ」という和製英語について、「紀元前300年頃エジプトにあった世界最大のアレクサンドリア図書館の再生計画を背景に、東京大学工学部教授(当時)の月尾嘉男氏が発案」したものだとして、「有形・無形の文化資産をデジタル映像の形で記録し、その情報をデータベース化して保管し、随時閲覧・鑑賞、情報ネットワークを利用して情報発信」する構想であったと述べています。
 そして、「デジタルアーカイブとは、網羅的なデジタル情報の総体である。混沌とした情報のカオスとも見えるが、その情報の一片との出会いが時に感動を生み、大きな力になる」と述べています。
 また、「著作権に寄る権利保護のため、各機関では所蔵する多くの資料を用意にデジタル化できない状況にある。すでにデジタル化された資料は『オープン・コンテンツ』を対象としているか、著作権処理をした資料がほとんどである。しかし、各機関には著作権者の不明な『オーファン・ワークス(孤児著作物)』と呼ばれる資料があり、実際に各機関で所蔵している資料のほとんどはこれに該当する」と述べています。
 第2部「デジタル・アーカイブの条件」では、「欧米では、デジタルコンテンツの長期保存に関して、OAISレファレンスモデルという概念モデルが提唱され、一定の定着を見ている」とした上で、「情報システムの問題と並んで『trusted』な組織の存在が重要な要素である」と述べています。
 また、「多くの場合、デジタル・アーカイブは市場とは異なるデジタルコンテンツの分配・流通システムであり、そこにこそ存在がある」として、「市場のみに限定されていない、ということが、デジタル・アーカイブにおいては重要だ」と述べています。
 第3部「これからのデジタル・アーカイブ」では、「非常に雑に言えば、Googleの文化遺産版」であるEuropenについて、「特徴的なのは、このサイトはヨーロッパの文化遺産機関がデジタル化した資料を扱うことだ。36ヶ国の文化遺産組織が参加しており、2014年11月現在なんと3200万件以上の情報を検索できる」と述べています。
 そして、「私達が現在、直面している事態は、紙媒体を前提として考えられてきた出版メディアの生産・流通・利用・保存の全般にわたって見直さざるをえないということである」と述べています。
 本書は、デジタル・アーカイブを知る上で道標となる一冊です。


■ 個人的な視点から

 何台もパソコンを買い換えていると、昔のパソコンのデータは新しいパソコンの中に移されるのですが、そうするとどんどん入子構造になってしまって探してくるのが面倒になるのが年賀状を書いたりする時だったりします。


■ どんな人にオススメ?

・1000年後に記録を残したい人。


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