日本語

2015年8月21日 (金)

遊びの語源と博物誌

■ 書籍情報

遊びの語源と博物誌   【遊びの語源と博物誌】(#2492)

  小林祥次郎
  価格: ¥1,944 (税込)
  勉誠出版(2015/8/21)

 本書は、「遊びの言葉」から生み出された「俗語の語源」について解説しているものです。
 第1章「子供の遊び」では、「じゃんけん」に関して、「拳(けん)」という遊びについて、
(1)二人の出す数を言い当てる「数拳」
(2)互いに一方には勝つが一方には負けるという関係の「三すくみ拳」
の2つに大別できるとし、その語源については、「両拳(リャンケン)」ではないかとしています。
 「べえ独楽」については、巻き貝の「バイ」の貝殻を使った「貝(ばい)独楽」の訛ったものとしています。
 第3章「雅楽」では、「呂律」について、「雅楽では、12の音からなる音階を陰と陽に分け、陰に属する音を『律』、陽の音を『呂』と言う。引用の音から音へ移れないのが『呂律が回らない』で、そこから舌が回らないで言葉が明瞭でないことを言うようになった」と述べています。
 また、能楽で「緩めたり張ったりする変化」である「メリハリ」について、「古くはメリカリ」で、「メリは音を低く、カリは高くすることだ」と述べています。
 第5章「歌舞伎」では、「美男を二枚目、滑稽な人を三枚目」と呼ぶ語源として、「江戸時代の関西の歌舞伎劇場の看板の二枚目に記す役者の名が美男役、三枚目が道化役だったことによる」と述べています。
 また、「うまい芸で人気を集めることを『大向こうを唸らせる』」という語源として、「劇場の舞台正面の二階桟敷の一番後ろの立見席のこと」であり、「この席は安価だけれど、芝居通の目の肥えた観客が多く、この席からの賞賛や非難は有力な批評だった」からだとしています。
 さらに、「大事な局面、肝心の所」を示す「正念場」について、「もともとは歌舞伎で『性根場・正念場』と言い、登場人物がその役の性根(性格・心理)を見せる重要な場面のこと」だと述べています。
 第7章「賭博」では、「トランプ」について、「英語のtrumpは切り札のこと」だが、「明治初期に外国人が遊んでいて、切り札が出てtrumpと言ったのを、このカードのことと勘違いしたのが始まりだろう」と述べています。
 本書は、日本語の中に定着した遊びの言葉を解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 子供の遊びに使われる言葉は使っている本人たちが意味もわからず使っているので実はものすごく古い言葉だったり怖い言葉だったりするので用心が必要です。


■ どんな人にオススメ?

・遊びで使った言葉の意味を知りたい人。


2015年7月 9日 (木)

ことばの借用

■ 書籍情報

ことばの借用   【ことばの借用】(#2454)

  沖森 卓也, 岡本 佐智子, 小林 孝郎, 中山 惠利子, 阿久津 智 (著)
  価格: ¥2,808 (税込)
  朝倉書店(2015/3/4)

 本書は、「異なる言語が接触することによって起こる『ことばの借用』について、日本語と外国ごとのかかわりを中心に概説したもの」で、「いわゆる『外来語』の概説にとどまらず、日本語を中心に広く『ことばの借用』に関することがらを扱っている点」が特徴です。
 第1章「『借用』とその影響」では、「ことばの『借用』」とは、「自分のもの(その言語の一部)にする」という意味を含み、借用には、「借用された要素と、そうでない要素」とをどう判別するかという問題があると述べ、
(1)通時的(diachronic):言語の歴史的変遷から考える
(2)共時的(synchronic):特定の時期(主として現代)における状況から考える
の2つの観点から考えることができるとしています。
 そして、外来語の分類の代表的なものとして、国語学者・山田孝雄の分類を挙げ、
(1)純なる外国語:発音も意義も全て外国語の姿のままに用いられるもの。
(2)狭義の外来語:その発音または形態などが国語的になっているもの
(3)借用語:国民の日常用語となったもの。
(4)帰化語:外国語たる特色を失ったもの。
の4点を挙げています。
 また、「現代語における『外来語か外国語か』の判別には、言語形式(語形(発音)、表記、意味、文法形態など)の日本語化の程度や、『定着度』(認知、理解、使用の程度)などに基準を求めることができる」としています。
 さらに、「(狭義の)外来語を含め、借用語の受容を促進する(あるいは、しない)要因」について、「受け入れ側の言語の性質の他に、歴史的・文化的な事情や、言語使用者の意識・態度など」があるとして、「自分たちより優位な立場にある人々(征服者や支配者、高い文化を持つ者など)の使う言語に接した場合には、その影響を被りやすいであろうし、また、他の言語(とくに優勢な言語)からの借用に抵抗が少なく、むしろ憧れや威信を感じるといった人々の言語には、借用語が入りやすい」と述べています。
 第2章「日本語における外来語」では、「今日の外来語表記のもととなる表記法は、江戸中期の儒学者である新井白石に始まるとされる」として、白石が、「伸ばす音を『ー』で表し外国語の発音をカタカナで表記する際の長音符を工夫している」と述べています。
 そして、明治期における、「英米仏独の外国人雇用分布は、日本がどの分野で何(どの国)を藩としたかを反映するものであり、すでに成功している国の技術や知識をそっくり取りれようという意志の表れであった。その知識の摂取においては、英語文献が豊富であったため、英語によるのが効率的であるとされ、一気に英学の時代となり、英語学習意識が高まっていった」と述べています。
 また、アイヌ語から、「コンブ」「シャケ/サケ」「シシャモ」などの食品名や、「ラッコ」「トナカイ」が借用されていると述べています。
 さらに、「カタカナ語には、従来の日本になかった概念、モノ、コトを容易に取り入れるという働きだけではなく、新しさを表したり、社会を刺激したりする機能がある」ほか、「ことばの微妙なニュアンスを表す選択肢を増やし、婉曲的な表現に用いられたりする」として、「従来の語の持つ直接的でよくないイメージを、カタカナ語によって覆い隠したり、軽減したりすることができる」と述べています。
 第3章「外国語に借用された日本語」では、「英語は、ラテン語やゲルマン語、フランス語など、歴史歴に数々の言語と接触してきた言語であり、日本語由来のものも含め借用語は非常に多い。そして、現在では、それらの借用語の語源や歴史的文献への初出年などの語彙研究の成果が、英語辞書に集約されている」と述べています。
 そして、英語における日本語借用語のスペリングの多様性について、「基本的には日本語借用語の来源となった日本語を紹介した人の母語や生きていた時代によるもの」だとして、
(1)外国人が日本語を紹介する際に、「耳から聞いたもの」を文字化してそれが定着した場合。
(2)スラングの文字化。
(3)発音の正確さのために意図的に異なった綴りを用いたことによるもの。
の3点を挙げた上で、「日本語借用語は英語の世界で、ある面では規則的に、またある面では自在な姿で変動し定着し、新しい生命を吹きこまれて躍動しているといえよう」と述べています。
 また、「日本の側からみた日中間の言語交流といば、古代から近世まで一貫して、中国を出自とする文物を日本が受容するというスタイルであったが、明治維新以降、「明示に始まる日本の近代化は、言語面における近代語彙革新を伴って進行した」ことで、「近代化を推進する道具としての近代語彙が次々と日本語の中に登場し、それがやがて日本製の『漢字詞(漢語)』として中国にもたらされた」と述べています。
 第4章「現代日本語における外来語」では、NHKに訴訟を起こした男性について、「意味が分からない語だから『外国語』という語をあえて使っていると考えられる」が、「実はその語が『外来語』なのか『外国語』なのかを決めるのは難しい」と述べています。
 また、外来語使用の理由として、
(1)外来語でなければ表せない物事があるから
  従来の日本語になかった物事や考えかたが表せるから
  従来の日本語では表せなかった微妙な感じが表せるから
(2)外来語のほうが分かりやすいから
(3)新しさ/しゃれた感じ/高級感などを表すことができるから
(4)婉曲的な表現ができるから
(5)日本語や日本文化が豊かになるから
の5点を挙げています。
 そして、新聞における外来語の出現率について、「大正時代から昭和戦前にかけてはゆっくりと漸増する。戦後、50年代後半から増加が急速に進むが、60年代後半から70年代にかけて停滞に転じる。80年代以降は安定的で緩やかな増加が進行する」とする調査を紹介しています。
 さらに、外来語から日本語への「言い換え語」について、「4字以上の長い漢語が多く、同音語、類音語が多く、平明ではない」とした上で、介護現場において、「漢語は文書には適するが、聞いただけでは分かりにくく、現場では和語に変えられて使われる例もある」として、「ショートステイ」の「短期入所生活介護」は現場では「泊り」になると述べ、「話し言葉にも対応できる言い換え語を考案するのは困難な作業となろう」としています。
 本書は、外国語が外来語として受容される過程を解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 昔から外来語が嫌いな人というのは一定数いて、最近では経営系の外来語を駆使する「意識高い系」の若者というのが人気らしいですが、そもそも住む世界が違う人達同士が会話しようとするから面倒なのだとしか思えません。


■ どんな人にオススメ?

・外来語が生まれる過程を見たい人。


2014年7月16日 (水)

日本人の「翻訳」――言語資本の形成をめぐって

■ 書籍情報

日本人の「翻訳」――言語資本の形成をめぐって   【日本人の「翻訳」――言語資本の形成をめぐって】(#2340)

  亀井 秀雄
  価格: ¥3,240 (税込)
  岩波書店(2014/3/26)

 本書は、「幕末から明治期、『翻訳』という営みを通じて、日本語の文体はどのような自己認識をもち、変化していったのか」を追ったものです。
 第1章「想像のアメリカ言葉」では、寛永7年頃に出たいくつかのかわら版が、戯作と考えられる「アメリカ言葉」を掲載していることについて、「幕末における『未知なる言葉』との出会いや、翻訳はこういう形で始まった」と述べた上で、「横浜居留地に発生した雑種(ハイブリッド)語」を取り上げ、「明治期の翻訳を通してみられる言語や文化の実装は、そういうところまで視野を広げなければ捉えられないであろう」と述べています。
 第2章「ヨコハマ雑種語」では、「このヨコハマ言葉の面白さは、一つには、ある事物を言い表すのに、由来の異なる言語をちゃんぽんに組み合わせた、文字通りの雑種語だったことである」として、マレー語などに由来していると述べています。
 第7章「ハジマリニ カシコイモノゴザル」では、1855(安政2)年4月に、函館に入港したイギリス遊撃艦隊にいた「リキ」と名乗る日本語通訳について、「生国での名は力松だ」と答え、「ホンコンに住んで日本人の漂流民の世話をしている。妻子もあり、唐国の取り扱いもよく、何一つ不自由していない。帰り度い気持ちはない」と答えたと述べています。
 第10章「音(コエ)の領略」では、「本居宣長は、外国語の音(コエ)を訳(ウツ)す上で、五十音図という日本の音システムに絶対的な信頼を置いていた」が、「実際に西洋人と交渉が始まってみれば、この自信は崩れざるをえない」として、「近代における翻訳の問題は、この音の葛藤と調整から始まった」と述べています。
 第16章「江戸口語の突出」では、「明治前期に至るまで、日本の口語のあり方を実体的に記述することは、極めてむずかしい」とした上で、アーネスト・サトウが明治6年に出版した『会話篇』が、「ある完成した形で口語的な言語世界を描き出すことに成功した、最初のテクストだった」として、「さまざまな身分関係から生まれた多様な言葉遣いのニュアンスをよくつかんで、総合的な地域語の活写に成功した」と述べています。
 第19章「翻訳行為のテクスト」では、「直訳」という方法が、「外国の言葉が表している事柄には、それに対応する事柄が日本にも存在するのだ、というオプティミスティックな信念」をぜんていにしていたとして、「この信念はときに滑稽な結果を生んだが、もしその前提がなかったならば、そもそも人は『翻訳』などということを思い立ちはしなかっただろう」と述べています。
 本書は、西洋と本格的に対面した幕末・明治期の日本人の四苦八苦の様子が感じ取れる一冊です。


■ 個人的な視点から

 現在でこそ、日本人は中学高校と6年間英語を学習しているはずではあるのですが、教科書的な内容で実際には使えないという話はよく聞きます。個人的には、幕末以来の「雑種語」が現在まで発達して、文法や発音はデタラメでも実用に耐える“シングリッシュ“みたいな日本独自の英語になったら面白いのにと想像してみます。


■ どんな人にオススメ?

・英語は正しく翻訳すべきと思っている人。


2014年6月11日 (水)

日本語のミッシング・リンク: 江戸と明治の連続・不連続

■ 書籍情報

日本語のミッシング・リンク: 江戸と明治の連続・不連続   【日本語のミッシング・リンク: 江戸と明治の連続・不連続】(#2330)

  今野 真二
  価格: ¥1,512 (税込)
  新潮社(2014/3/28)

 本書は、「明治時代の日本語を、江戸時代の日本語と現代の日本語とをつなぐ『ミッシング・リンク』としてみたて」、「明治時代の日本語は、ある辞典までは江戸時代の日本語と連続していた。それが徐々に変化して、ある時点からは現代の日本語とちかい状態になったと」するものです。
 著者は、本書の目的を、「江戸期の日本語と連続する面、連続しない面を明らかにしていくこと」とし、「明治時代と名付けられている時期の日本語を、単性な一本の棒のようにみてしまうと、江戸期の日本語と現代の日本語との不連続は説明できない。しかし、明治期の日本語と明治時代の内部で『変質』したとすれば、不連続の説明ができる」としています。
 序章「江戸の教育における漢語・漢字」では、現代では、「漢字平仮名交じり」で書くことが一般的であるため、「これが特別なものとはみえないけれども、一方に漢文で書く書き方が存在していた時期においては、それがある意図をもった『器』である場合もあった」として、天保14年にこの「器」があったことは、「これは『江戸の中の明治』ということになる」と述べています。
 そして、「江戸の中に明治があり、明治の中にも江戸がある、しかしそれがある時期からは『懸隔』してくる。『懸隔』は『漢字・漢語=漢文脈からの乖離』というかたちで起こった」としています。
 著者は、「和語と漢語との融合体として江戸期の日本語はあったことを確認しておきたい。和語の中に、異質な漢語が存在しているのではなく、漢語は和語との関係をいろいろなかたちで形成しており、その全体が日本語であった。そうした『和語と漢語との融合体』から漢語を(一方的に)減らしたのが、ある時期からの明治期の日本語ではないかというのが本書の主張の一つである」と述べています。
 第1章「明治初期――漢洋兼才の人々」では、「漢字の左右に振仮名を施すという形式は江戸期以来のもので、明治期には盛んに用いられた。漢語の左振仮名には和語が付されることがやはり多いのであって、和語と漢語とが結びつきを形成していたのが明治期までの日本語のあり方であった」として、「明治期は『和漢洋』の時期」と述べています。
 そして、万延元年に福沢諭吉が出版した『増訂華英通語』について、「漢語を背景にしながら、あるいは漢語を媒介にして、英語を理解、受容するという明治期のあり方が一つのテキストの形をとって具現化している」と述べています。
 第2章「通俗と訓蒙――漢文脈からの離脱」では、「明治時代を『西欧化の時代』と括ってしまうのはいかにも粗いが、そう読んでいい面もかなりある。本書では、その『西欧化』を『漢語・漢字=漢文脈からの離脱』あるいは『漢字離れ』というキーワードでとらえようとしている」と述べています。
 第3章「仮名専用論者がつくった近代国語辞書」では、「仮名専用論は明治20年前後がもっとも活発で、明治24年以降は衰えたと指摘されている。『かなのくわい』の活動も明治20年代には衰微したとされている」と述べています。
 そして、「日本語においては、漢字という文字を使っていることが、日本語の歴史そのものにも大きな影響を与えており、それがいいとかよくないとかいう前に、そうであることをきちんと認識しておく必要がある。過去においては漢字の向こう側に漢語がつねにみえていた。時期によって、また当然人によって、どの程度漢語=中国語がみえるかということは異なっていたであろうが、とにかく見えていた。そうであるから、和語であっても、それにどのような漢字をあてるかということを通して、ある程度の語義をおさえていた、おさえることができる、とみるのがよいだろう」と述べています。
 また、「本書は明治期において、日本語が『漢字・漢語離れ』していくさまを、短い期間の歴史として描こうとしている。述べたいことは、漢字・漢語と密接に結びついて体系をかたちづくってた日本語から漢字・漢語を離脱させることができるのか、ということである」とした上で、「現代日本語を見れば、深い位置での『漢字・漢語離れ』はいずれかの時点で達成したと思われる」が、「『文字選択のレベル』でいえば、漢字は使い続けている」として、「そういう二面性を明治期の日本語はもっていた」と述べています。
 第4章「洗練されていく英和辞書」では、「初期に成立した英和辞書は『英華辞書→英和辞書』という翻訳のプロセスを経ていることになる。これは『華=中国語→和=日本語』という翻訳プロセスであり、ここに、もう一つの『漢文脈からの離脱』があった。それをなしとげることによって、真の『英和辞書』が成立したことになる」と述べています。
 第5章「言文一致――今、ここのことば」では、二葉亭四迷の『浮雲』について、「和語に漢語漢字列をあてる書き方は、その枠組からいえば、なにほどか中国風の書き方を志向したものと見えるが、それが避けられていないのは、(すべてではないと考えるが)そうした書き方もある程度は定着し、『中国風の衣装』にはみえなくなっていたことを示唆していると思われる」と述べています。
 終章「森鴎外と夏目漱石」では、「明治37年頃までに、日本語がある落ち着きを獲得していたとすれば、漱石はその『落ち着きを獲得した日本語』で作品を綴ったことになる」とした上で、「漱石は自身の作品が『不特定多数の読み手』に読まれることを意識していた」として、「その鮮明な意識が、あるいは日本語のあり方を先取りしていたのではないか。そうしたことによって、漱石の作品をかたちづくる日本語は、現代の日本語を母語としている私たちにも、割合と身近な感じに映るということではないのだろうか」と述べています。
 著者は、「おわりに」で、「言語が一つの年を境にがらりとあり方を変えることなどない」としながらも、「あえてこの時期の画期を見出そうとすれば、それが明治37年頃にあるのではないか」と述べています。
 本書は、江戸時代と現代の日本語の境界を探した一冊です。


■ 個人的な視点から

 よく、若者言葉で日本語が乱れていくということが問題になりますが、私たちが現在使っている日本語は、江戸~明治期の劇的な変化に比べれば、全然変化していないと言っても過言ではないような気もします。50年前の文章も、文章自体はストレスなく読めますし。


■ どんな人にオススメ?

・現代の日本語の乱れが気になって仕方がない人。


2012年1月 8日 (日)

編集出版用語誤用集―大丈夫?!あなたの“常識”

■ 書籍情報

編集出版用語誤用集―大丈夫?!あなたの“常識”   【編集出版用語誤用集―大丈夫?!あなたの“常識”】(#2096)

  横山 和雄
  価格: ¥1,631 (税込)
  出版ニュース社(1995/10)

 本書は、「最近の日本語とその文章や文字の乱れはどうかんがえてもひどい感じがしてならない」ため、「多くの辞書を引用しながら、勘違いや間違い表現、誤植、表現不足、和文・欧文の組版ルール、その他雑学的なことを収録した」ものです。
 第1章「漢字・文字編」では、「失念といえば聞き良い物忘れ」という川柳を紹介した上で、「巳」と「己」と「已」の区別に関する覚え歌として、「ミ(巳)はふさぎ、オノレ、ツチノト(己)みな開けよ 半ば開ける(ふさぐ)はスデに、ヤむ(已)のみ」等の歌を紹介しています。
 また、戦時中に徳島連隊からの印刷物を受注した印刷業者の本から、受注前にひそかに素行・資産・思想を調べられたとしたうえで、「召集令状を刷っているとき、あの町の若者が新たに招集されるだろう、あの者は知り合いだ、と知りながらも、口にだしていうこともできず、戦時下の印刷従業者は、気分のうえですぐれなく悩みどおしであった」と述べ、「箝口」をふつうは「かんこう」と読んでいるが、「けんこう」と読むのが正しく「かんこう」は慣用読みであるとしています。
 そして、「第二次世界大戦後、国字改革によって、全く違った字を同じ形にしてしまったため、漢和辞典に混乱が持ち込まれた」として「藝」を簡単な文字にした「芸」(げい)とくさかんむりが分かれた「芸」(うん)とを同じ字にしてしまったことを指摘しています。
 さらに、著者の講演を元にしたパンフレットにあった誤植として、
(1)「手をこまぬく」が「手をこまねいて」に
(2)「捧腹絶倒」が「抱腹絶倒」に
(3)「独擅場」が「独壇場」に
それぞれ直されてしまっていたことを指摘しています。
 本書は、正しい日本語を常に意識してきた印刷人の心意気を伝える一冊です。


■ 個人的な視点から

 今でこそコンピュータ化されていますが、活字の時代は、実際に活字を「拾う」人の知識や経験が本の出来を左右していました。その「経験」を著者自らが身につけないとならないかと思うと気が重いものです。


■ どんな人にオススメ?

・正しい日本語を使いたい人。


2011年1月15日 (土)

ん―日本語最後の謎に挑む

■ 書籍情報

ん―日本語最後の謎に挑む   【ん―日本語最後の謎に挑む】(#1955)

  山口 謠司
  価格: ¥714 (税込)
  新潮社(2010/02)

 本書は、「ん」の謎を解き明かすことで「日本語の歴史や日本の文化を知る鍵」にもなるとして、「さまざまな角度からこの大きな謎」に挑んだものです。
 第1章「『ん』の不思議」では、奈良時代の文献には、「上代特殊仮名遣いによる音の書き分けがあった」として、「当時の日本語表記は、後世の日本語とは比べものにならないくらい音の差異が意識されていたといえよう」と述べた上で、「これら上代の書物には、『ん』を表す文字がひとつも使われていない」としています。
 第2章「『ん』の起源」では、『古事記』が後代に作られた偽書であるという説について、「古代日本語の表記の中でも非常に古い上代特殊仮名遣いという特徴が残っている」ことを指摘しています。
 そして、「ん(ン)」が「平安時代が始まる800年頃から次第に表記の必要性が感じられるようになり、民衆の文化が言語として写されるようになる平安時代末期、音を表すための文字として姿を表した」と述べています。
 第3章「『ん』と空海」では、「天才」と呼ばれる空海が、「日本語の歴史の中にも燦然と光を残すべく、それまで日本語にはなかった『ン』という文字を、より深い思想として築いた」と述べたうえで、「『ン』という記号がなかった時代、空海もまた『ニ』と書いて『ン』を示すしかなかった」と述べています。
 第6章「声に出して来た『ん』」では、「清少納言が下品だと思ったように、日本語は、濁音を嫌うという特徴がある」として、「『ん』も、はっきりとした濁音ではないけれど、『あ』から『を』までの清音で構成された五十音図の枠外にあるという点からしても、少なくとも正当な清音とはみなされてこなかった」と述べています。
 そして、「江戸の人が、われわれ現代人が知らない『ん』を使った『ん廻し』という言葉遊びをしていた」として、「平安時代までは書くことさえできなかった『ん』は、それから約6百年後の江戸時代にはこうした遊びに取り入れるようになるまで、日本語には不可欠の音と表記となって現れてきていた」と述べています。
 第8章「『ん』の文字はどこから現れたか」では、カタカナの「ン」について、「撥ねる音を示すための記号を書こうとして、色々と試された形であった結果『レ』から『ン』の形に定着したと考えたほうが常識的であろう」と述べています。
 本書は、我々が普段使っている「ん」がどこから来たのかをたどることで、日本語の来し方を伝えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 小さな頃から「ん」の扱いは不思議でしたが、結構奥が深いものです。現在「日本語」と呼ばれているものが古代とはまるで違うという話は聞いたことがありますが、そういう研究書も読んでみたいです。


■ どんな人にオススメ?

・タイムマシンで大昔の日本に行こうとしている人。

2009年12月 5日 (土)

キーボード革命―情報電子化時代への基本技術

■ 書籍情報

キーボード革命―情報電子化時代への基本技術   【キーボード革命―情報電子化時代への基本技術】(#1780)

  諏訪 邦夫
  価格: ¥714 (税込)
  中央公論社(1997/01)

 本書は、「ワープロとパソコンの使用に際して、キーボードの大切さを強調し、さらにそれがもたらす波及効果を検討する」ことを目的としたものです。
 第1章「キーボード革命の概念」では、「キーを打って書くことは、単に手書きの『代用』ととらえるべきではなくて、もっと日本語全体をゆるがす重大な画期的なことだというのが、本書で強く主張している事柄」だと述べたうえで、1980年代以降のワープロの導入のポイントである高速性と電子情報である点が、「書字文化・文字文化に変革を及ぼし」ているとしています。
 第2章「タッチタイプをマスターしよう」では、タッチタイプで打たなければならない理由として、「一番大切なのは個々の文字を意識しないでメモや文章を書くことに集中したいから」だと述べています。
 そして、「キーボードが苦手」という最大の理由は、順序だった練習をしないままキーを一つずつ拾って打とうとするから」だと述べ、「文章を打っていれば、自然に打てるようになる」とは行かないとしています。
 また、「キーボードの熟達は、スポーツや外国語の上達と似ている」として、「頭の中に『キーボード中枢』ができて発達する」という仮説を掲げ、「かたまりとして打てる音節や単語の比率が頭の中に増えることが、タイプに習熟すること」だとしています。
 第3章「キーボードから派生する問題」では、「キーボード革命」という言葉を使う理由として、「キーボードを使うことによって、正確な論理的な文章を書く人が多くなる、その点が社会にとって重要な意義がある」と述べ、「キーボードを使うことによって文書の構成ができ、遂行が自在なので、他人に読んでもらえる文章が書けるから」だと理由を挙げています。
 また、「キーボードの普及と電子情報の交換の確立で、書かれる文章が何倍にもなる」として、「文章が書く人が増える」ことの影響を指摘し、量の変化が質の向上に転じると述べています。
 そして、キーボードで書く利点として、「速く書けるからたくさん書ける」というだけでなく、「速く書けるので、思考速度に追いついて書きやすい」「だから考えるとおりに書ける」という「質的な意味が大きい」と述べています。
 第4章「周辺技術との関係」では、キーボードの普及について、「文字は、自分が知っている事実や自分の持つ意見を表現するためのものです。その事実や意見を表現するための文字を書く方法に、手書き以上の手法が利用できるようになりました。それを採用しないのは不合理です。字は書かなくていい、というのが私の考えです」と述べた上で、手書きはなくならないが、「現在ほど厳密に書ける必要はなくなる」として、教育も「従来ほどやかましいことをいわなくなる」と述べています。
 さらに、「音声入力ができると、話し言葉と書き言葉の差が減少すると推測」しています。
 第5章「キーボード普及の障害は何か」では、キーボード革命を妨げる要因として、「一番の不安は、指導者の考え方」だとして、「文字を手で書いていた時代には、正確に書く能力は重要な要素」だったが、「機械が書いてくれるならその要求は小さく」なり、「そぷした事実は、教育課程の決め方などに影響を与えて当然」だと述べています。
 著者は、「おわりに」で、「キーボードを打つことは、その個人にとって価値のある、長続きする技術」であり、「だれでもわずかな努力で身につく可能性の高い技術」だとして、「それに踏み出すかどうかは、読者の方の選択の問題」だと述べています。
 本書は、キーボードが普及した現代にこそ大きな意義を持つ一冊です。


■ 個人的な視点から

 もう13年も前の本なのですが、一部技術的な部分こそ陳腐化するものの、その主張の的確さは驚くほどです。特に、「書くための日本語」から「打つための日本語」に日本語や国語教育の方こそが変化するという部分は素晴らしい。


■ どんな人にオススメ?

・キーボードの普及によって変わる日本語を知りたい人。


■ 関連しそうな本

 秋月 高太郎 『日本語ヴィジュアル系 ―あたらしいにほんごのかきかた』 2009年10月24日

2009年11月19日 (木)

オノマトペがあるから日本語は楽しい―擬音語・擬態語の豊かな世界

■ 書籍情報

オノマトペがあるから日本語は楽しい―擬音語・擬態語の豊かな世界   【オノマトペがあるから日本語は楽しい―擬音語・擬態語の豊かな世界】(#)

  小野 正弘
  価格: ¥756 (税込)
  平凡社(2009/07)

 本書は、「日本語の『へそ』」である「オノマトペを考えることによって、日本語そのものを別の角度から豊かに捉えなおすことができる」としているものです。
 第1章「創って遊べるオノマトペ」では、「最近つくられたオノマトペでも、一時の流行に終わらずに、使われ続けるものがある」として、「キャピキャピ」や「シェー」を挙げています。
 第3章「オノマトペのある暮らし」では、「毎日の暮らしは、オノマトペに深くいろどられていることがわかったが、方言のオノマトペにも、暮らしに密着したものとして、見過ごせない」と述べたうえで、「方言のオノマトペには、共通語とは違う言い方のものと、共通語と同じ言い方であっても、意味やニュアンスが違っているものとの、二通りがある」と述べています。
 第4章「オノマトペは歴史とともに」では、『万葉集』の時代のオノマトペに関して、「オノマトペには、通常の単語の規則が当てはまらないという側面があったのではないか」として、「なにか、独自の群れを形成するもの、それが、オノマトペだったのではないか」と述べています。
 第5章「オノマトペの果たす役割」では、「オノマトペとしぐさは、よくなじみ、お互いに助け合う」としたうえで、「しぐさとセットで使われて、座をなごませる」と述べています。
 また、「絵で状況や場面を説明する」マンガの「出ない音を補うのが、オノマトペである」として、「マンガでは、縦横無尽にオノマトペが活躍する」と述べ、「絵とともに用いられた、オノマトペは、強い効果を生む」としています。
 また、オノマトペの働きについて、オノマトペの語源は、古代ギリシア語にまでさかのぼる「造語すること、名前を造ること」という意味があったとされていると述べたうえで、「見たことがないものなら、それが自分の心にどう迫ってくるかで呼びかけたのではないか。オノマトペは、心の声なのである」として、「まさに、オノマトペこそは、名前の下である。だから、オノマトペのもともとの意味は、名前を造るということになるのではなかろうか」と述べています。
 本書は、日本語の「へそ」がどのような役割を持っているかを明らかにする一冊です。


■ 個人的な視点から

 「オノマトペ」という言葉がきちんと覚えられません。難しいと思ったらフランス語だったんですね。


■ どんな人にオススメ?

・ついつい会話の中でオノマトペが出てしまう人。

2009年10月24日 (土)

日本語ヴィジュアル系 ―あたらしいにほんごのかきかた

■ 書籍情報

日本語ヴィジュアル系 ―あたらしいにほんごのかきかた   【日本語ヴィジュアル系 ―あたらしいにほんごのかきかた】(#1738)

  秋月 高太郎
  価格: ¥740 (税込)
  角川グループパブリッシング(2009/1/10)

 本書は、「メールやブログ等のデジタルな環境で用いられる、新しい日本語の文字の使い方」について考えたもので、そこには、「文字のヴィジュアル(見た目)を意識したと思われる、新しい使い方がたくさん現れて」いるとしています。
 第1部「【導入編】ヴィジュアルな日本語」第1章「日本語はヴィジュアル重視」では、「文字をきれいに書くことにこだわるのは、日本人、あるいは日本文化にかなり特有のことなのではないか」としたうえで、「日本人の文字に対するこだわりの強さは、このような表記システムの『複雑さ』と関係している」と述べています。
 第2章「デジタル書きことば革命とその後」では、「80年代末から現在に至る約20年の間に、日本語の書きことばにおける、2つの大きな出来事」があったとして、
(1)「かな漢字変換システム」の登場
(2)ケータイメールの普及
の2点を挙げています。
 そして、「顔文字、アスキーアート、ギャル文字は、デジタル文字の特性をうまく利用することによって生み出されたもの」だとして、「これらに共通するのは、文字や記号を、従来の使い方にとらわれずに、そのヴィジュアルという点から再利用する発想」だと述べています。
 第2部「【実践編】ネオかなづかい」序章「現代かなづかいからネオかなづかいへ」では、「多くの人が、音と文字の隔たりを強く感じ、別の表記を使うようになったとき、かなづかいの改定が行われる必要」があるとして、「現代かなづかいに代わる新しいかなづかい」である「ネオかなづかい」を提唱するとしています。
 第1章「ネオ小書き文字『っ』」では、ネオ「っ」について、「語末や文末に使われる場合、音の休止を表しているわけ」ではなく、「より『激しい』または『すばやい』といったイメージを伝えるためのものだ」と述べています。
 第2章「ネオかな小文字」では、「現代かなづかいにおける長音表記の複雑さ」を踏まえ、ネオかなづかいの長音表記として、アイウエオのそれぞれの列に「ぁぃぅぇぉ」を添える表記法を提案しています。
 さらに、助詞「を」「は」「へ」を「お」「わ」「え」と書くことは、「異様さが目立」つとする金田一京助氏の指摘に関して、「異様さが目立」たない表記法にすればよいとして、助詞「を」「は」「へ」を、小書きの「ぉ」「ゎ」「ぇ」で表記することを提案しています。
 著者は、ネオかなづかいとして、「小書き文字の新しい使い方」を提案した理由として、「小書きかな文字が、直前の文字にパラサイトして見えるというヴィジュアル的な効果を利用したもの」だと述べています。
 第3章「ネオ外来語表記」では、「suite room」の表記について、
(1)スイートルーム
(2)スウィートルーム
(3)スィートルーム
の3つの表記があるが、このうち、(2)を推奨したい理由として、
(1)[swi]という音が、すでに日本語の音として定着していること
(2)「スィ」という表記は、[si]と読まれる可能性があること
の2点を挙げています。
 第4章「ネオ四つがな」では、「じ」「ぢ」「ず」「づ」の使い分けについて、「日本語母語話者にとっても、たいへんむずかしい」としたうえで、「室町時代ころまでの『ぢ』『づ』の音は、それぞれ、[di][du]、つまり、現代日本語で『ディ』『どぅ』で表記される音であったと考えられる」と述べています。
 第5章「ネオ濁点文字」では、「以前は、ハ行の子音はすべて、唇を使って出す音、つまり両唇音であった」として、「ファ」「フィ」「フ」「フェ」「フォ」と発音されていたと考えられるとしたうえで、さらに、奈良時代以前のハ行子音は、「pの音であった」という説を紹介しています。
 第6章「ネオ長音符号」では、「長音符号には、『軽い』、あえて言うなら『軽薄な』イメージがある」と述べています。
 第7章「ネオ句読点」では、「今日の若い世代の人々のメールやブログの文末は、マルで終わることの方がまれ」だとしています。
 本書は、日本語の新しい形を提案した一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書で紹介されているケータイメールやネット上の文字の使われ方には抵抗のある人も多いと思いますが、提案されている「ネオかなづかい」自体は意外とすんなり受け入れられるかもしれないと思いました。


■ どんな人にオススメ?

・日本語が「乱れている」と感じてしまう人。


■ 関連しそうな本

 秋月 高太郎 『ありえない日本語』
 井上 史雄, 秋月 高太郎, 荻野 綱男 『デジタル社会の日本語作法』


■ 百夜百音

の、アッパー祭り【の、アッパー祭り】 オムニバス オリジナル盤発売: 2009

 「可愛いにもほどがある」の人が「男女」をカバーしてます。boy, girl, boy, boy, girl, boyですね。

2009年8月14日 (金)

振仮名の歴史

■ 書籍情報

振仮名の歴史   【振仮名の歴史】(#1667)

  今野 真二
  価格: ¥735 (税込)
  集英社(2009/7/17)

 本書は、「振仮名の歴史探訪の旅」であり、「ひいては『日本語の歴史探訪の旅』の好いガイド・ブックとなること」を目指したものです。
 「はじめに」では、振仮名は「単なる『読み』にとどまらない面」を持ち、「『読み手』の立場から振仮名を捉えることもできるし、『書き手』の立場から振仮名を捉えることもできる」としています。
 第1章「振仮名とはなにか」では、「複数の文字を使っていることが振仮名とふかくかかわっている」とした上で、「いろいろな意味合いで、『漢字で書きたい!』という欲求が強く根付いていた」ことが、「振仮名を考える場合の鍵の一つになる」と述べています。
 また、コミックスに見られる振仮名について、「絵がある分だけ、文字が担う情報量が少なくなっている」として、「文字の負担が軽いということは、通常の規則からの逸脱も許されやすいということでもある」と述べています。
 第2章「平安時代から室町時代までの振仮名」では、「中国語で書かれた『日本書紀』を、中国語がわからない人が何とか理解する」ために、「『漢文』を学ぶ際に現在も使われている『返り点』や送り仮名、振仮名なども含めた『訓点』が使われるようになった」として、可能性の一つとして、「中国語分につけられた振仮名が、振仮名の起源の一翼を担った」のではないかと述べています。
 そして、「『読み』はその漢字をどのような日本語に『還元』すればよいか、いいかえればどのような日本語と結びつければよいのかということで、これは『理解』すると言うことでもある」と述べています。
 第3章「江戸期の振仮名」では、平安期の振仮名は、「読みとしての振仮名」と見ることができるが、室町末期ごろには、「『表現』とかかわる振仮名が生まれつつあることが分かった」とした上で、「読本」の代表作品とも言える『南総里見八犬伝』では、「右振仮名は平仮名、左振仮名は片仮名で書かれていて、左右の位置の違いが、平仮名、片仮名の違いに対応している」と述べています。
 また、「漢語を使わないこと」もできる「草双紙」にあっても、「漢語を使い、それを漢字で書き、振仮名を付けた」ことについて、「やはり『漢字で書きたい!』のだ」として、「日本語を『漢字で書く』という志向の潜在的な強さ」を指摘し、「日本語を『漢字で書きたい!』という志向、欲求は顕在的にも潜在的にも、なおつよくあり、それにともなって振仮名もさまざまな様相を見せている」として、「『表現としての振仮名』が『読本』を例として示したように、『開花』した時期でもある」と述べています。
 第4章「明治期の振仮名」では、振仮名のことを指すこともある「ルビ」について、約5.5ポイントの活字を表す英語「ruby」からきたもので、日本では和文本文用の5号活字(約10.5ポイント)の振仮名用として使用された小型活字7号に近かったので、「日本の振仮名用活字をルビーと呼ぶようになり、そこから転じて振仮名そのものを『ルビ』とよぶようになった」と解説しています。なお、現在コンピュータで文字を表示する際にデフォルトになっている10.5ポイントのフォントサイズは、5号の活字ということになると述べています。
 そして、「現在であれば振仮名は著者自身が付けたものか、または著者以外の人が付けたとしても最終的には著者の了解のもとにつけられていると考えられる」が、「総ルビ」に近い状態の明治期の出版物に関しては、「そのすべてを著者(にあたる人物)が付けたのではない、と考えるのが自然であろう」と述べ、夏目漱石も、「自作が新聞紙上に発表される際には『総ルビ』になることを当然知っていたはずであるが、それでも原稿を『総ルビ』にはしていない」ことから、「自身以外の誰かによって自作に振仮名がつけられることをいわばみとめていたことになる」と指摘しています。
 「おわりに」では、山本有三の「振仮名廃止論」などを紹介した上で、昭和21年11月16日に内閣告示として発表された「当用漢字表」が、「使用上の注意事項」として、「あて字は、かな書きにする」「ふりがなは、原則として使わない」としたことから、「振仮名の使用に事実上かなり強い制限がかけられた」と述べ、「原則として振仮名を使わずに日本語を書く、というやり方は『当用漢字表』によって確立し、それが現在まで続いているといえよう」と述べています。
 そして、「使用する漢字の種類を制限し、かつ振仮名をつけない、という『やり方』に伴って、『別の漢字で書く』『漢字を使わないで仮名で書く』という2つの『やり方』が生み出され、現在はそうした書き方も一般的になりつつある」と述べています。
 本書は、振仮名がいかに日本語を豊かにしたかを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 普段は振り仮名を意識せずに本を読んでいますが、昔の本などで振り仮名だらけなものは鬱陶しく感じています。それさえも戦後に仕組まれたものだとは。難しい漢字を中途半端に平仮名に開くよりも振り仮名を振ってほしいとはいつも思います。


■ どんな人にオススメ?

・挨拶の原稿に振り仮名があると安心する偉い人。


■ 関連しそうな本

 今野 真二 『消された漱石―明治の日本語の探し方』
 今野 真二 『文献から読み解く日本語の歴史―鳥瞰虫瞰』


■ 百夜百マンガ

嬢王【嬢王 】

 昔、「女王」とワープロで打とうとして「じょうおう」と打ったら変換されないことがありましたが(いまは変換してもらえてます)、まさか駄洒落のタイトルでは?

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