組織の経済学

2016年7月25日 (月)

法と社会科学をつなぐ

■ 書籍情報

法と社会科学をつなぐ   【法と社会科学をつなぐ】(#2549)

  飯田 高
  価格: ¥2,268 (税込)
  有斐閣(2016/2/18)

 本書は、「社会科学(経済学、社会学、心理学など)における概念を題材として、社会科学と法の世界との接点を探っていく」ことを目的としたものです。
 第1章「個人の意思決定」では、「最適な意思決定を行うためには、総量や平均値ではなく『追加される微小量』に着目し、その際に生ずる追加的な便益(限界便益)と追加的な費用(限界費用)とが等しくなる点を探せばよい」と「限界効果(marginal effect)」について解説し、限界効果の考え方は、
(1)私たちの目を将来に向けさせること
(2)意思決定状況の多様性を私たちに認識させること
によって、「素朴な直感的判断や思い込みを多少なりとも修正してくれる」と述べています。
 そして、「誰かの満足度を犠牲にしない限り、できるだけ人々の満足度を高くする状態のほうが望ましい」とする「パレート効率性(Pareto efficiency)」の基準及び「ある状態から別の状態への移行によって利益を得る人が、移行によって損失を受ける人に補償する」という架空の補償によって「保証してもなお利益が余る場合は、その移行は望ましい」とする「カルドア=ヒックス効率性(Kaldor-Hicks efficiency)」について解説した上で、「法制度は、さまざまな望ましさの基準を持ち出すさまざまな人々の利益によって突き動かされてきた、と言える。効率性はその一つにすぎないが、交換が人間社会の原動力になっているのと並んで、効率性が法制度の推進力となっている」と述べています。
 第2章「複数の個人の意思決定」では、「複数の主体の意思決定が組み合わさって結果が生じる場面では、意思決定が相互依存の関係になっていることが多い」として、「自分にとって最良の意思決定は他者の意思決定に左右され、また、他者にとって最良の意思決定も自分の意思決定に左右される」という状況を「戦略的相互作用(strategic interaction)」が起きている状況だと述べています。
 そして、ルールは当事者間に「共有知識(common knowledge)」を形成する役割を果たし、「戦略的相互依存状況における推論の連鎖に歯止めをかけ、特定の均衡に落ち着かせることになる」として、ルールが、
(1)複数の均衡の中から特定の均衡を導くこともあれば(交通ルールの例)、
(2)均衡が存在しない状況で均衡をつくり出すこともある(野球ルールの例)、
(3)ある均衡から別の均衡へと移行させることもありうる、
と述べています。
 また、多人数バージョンの囚人のジレンマについて、「社会的ジレンマ(social dilenma)または集合行為(collective action)の問題」と呼ぶとした上で、「法制度は、いくつかの方法を使い分けながら社会的ジレンマが起こりうる状況に対処している」として、
(1)他者を益する協力行動を人々が取らざるを得なくなるような、あるいは、自然に協力行動に導かれるような物理的条件をつくり出す。
(2)選択的誘因(すなわちインセンティブ)を与えて協力行動を選択するよう仕向ける。
(3)社会的に有益な行動をより控えめに支援する方法(自由な言論の保証など)。
の3点を挙げています。
 さらに、「客観的には同一の状況であっても、人によって認知の仕方は異なりうる」として、「全く同じ場面を、条件付きの協力をするプレーヤーはスタグハントゲーム、純粋な経済人プレーヤーは囚人のジレンマとして見ているかもしれない」と述べています。
 著者は、「法をはじめとする社会的ルールには幾つかの異なる機能がある」として、
(1)人々に対してインセンティブを付与し、望ましくない均衡から望ましい均衡へと移行させるという機能。
(2)プレーヤー間の信頼ないし相互期待を醸成したり維持したりするという機能。
(3)複数のありうる候補があるときに、とにかくどれか特定にものに決めて均衡を導くという機能。
の3点を挙げています。
 第3章「意思決定から社会現象へ」では、「ある経済主体の活動が、市場での取引を経由することなく(すなわち、当事者間の合意によることなく)他の経済主体の意思決定や効用に影響をあたえること」である「外部性(externality)またはスピルオーバー効果(spillover effect)」というと述べてます。
 そして、「個人の意思決定や行動が『自分を取り巻く他者』に影響されるという事実には、少なくとも2つの重要な含意がある」として、
(1)個人の意思決定や行動は人々のつながり――社会ネットワークの構造――に強く依存しうる、ということ。
(2)個人レベルでの微小な変化が、社会レベルでの大きな変動を生み出す可能性がある、ということ。
の2点を挙げています。
 第4章「ルールを求める心」では、「社会秩序の形成・維持のメカニズム(法を含む)は、複雑かつ多種多様である。そのメカニズムの全体像を理解するためには、少なくとも3つの側面での検討が必要」だとして、
(1)タイムスパンの長い「進化」の側面:社会規範は、利他性・ご修正・公平性への欲求、あるいは規範に逸脱した人を処罰したいという感情を基礎としていることがあり、人間は社会規範を形作るための材料を生得的に持っていると考えられる。
(2)「文化」や「制度」の側面:生得的に持っている材料が同一であっても、具体的にどういう形を取るかは違ってくる。
(3)個人の「認知」ないし「解釈」の側面:ルールは多かれ少なかれ抽象的な表現形態を取る。抽象レベルでの社会規範が同一であったとしても、場面の認知や解釈が違えば、具体てレベルでの規範は変わってくる。
の3点を挙げています。
 そして、「道徳を構成しているのは互酬性だけではなく、単一の原理が道徳が説明し尽くせるわけではない」として、心理学者のジョナサン・ハイトらが提唱している「道徳基盤理論(moral foundations theory)」について、「さまざまな文化圏における道徳的ルール群から、普遍性をもつと言える認知的要素を特定する」という作業の結果、候補として、
(1)〈ケア/危害〉基盤:他者の苦痛を忌避する傾向。
(2)〈公正/欺瞞〉基盤:互酬性(特に正の互酬性)にほぼ相当する。
(3)〈忠誠/背信〉基盤:自分が所属する集団を尊重し、グループのためになる行為を求める傾向。
(4)〈権威/転覆〉基盤:地位・権力や上下関係を重視する傾向。
(5)〈神聖/堕落〉基盤:肉体的・精神的な純血を好み、「汚れ」や「穢れ」を嫌う傾向。
(6)〈自由/抑圧〉基盤:自律的な意思決定を好み、支配されるのを嫌がる傾向。
の6点を挙げ、「ハイトは、これらの道徳基盤を『味覚受容器』にたとえている」と述べています。
 また、「社会的ルールのうち、少なからぬ部分は人間の生得的な認知構造や感情と関係しているといわれる」が、「こうした性質が進化のプロセスを生き残るためには、ある特別な条件が必要である」として、「協力行動を取る傾向のある個体は、協力行動を取りやすい別の個体と交流している限り、多くの利得が得られるので反映することができる」が、「裏切り行動を取る個体が交流に加わってくると、協力行動を取る個体は相手に付け入る隙を与えることになるため、相対的に不利な立場に追いやられる」と述べています。
 さらに、「文明が発達した後の社会的ルールの基礎」にもなっている「心理的傾向がどこかの段階で発生」したとして、
(1)他の人がある行動をとっているから、それに従うのが適切だとする「同調」の傾向
(2)自分が扱われたように他者を扱うという「互酬」の傾向
(3)「処罰」を下したいと思う傾向。ことに第三者の視点から処罰を行う傾向
の3点を挙げています。
 第5章「人間=社会的動物の心理」では、「私たちは、およそ合理的とは言えない意思決定をしばしば行う」が、「興味深い点は、大半の人達に共通する誤り方の傾向――系統的(システマティック)なエラー――がある」として、「こうした認知や判断の偏りのパターン」である「認知バイアス(cognitive bias)」について、主なものとして、
(1)結果バイアス:過去の意思決定の質やプロセスに関する評価が、実際に生じた結果によって左右されてしまう、というバイアス。
(2)確証バイアス:自らの信念や仮説に沿った証拠だけを拾ったり、都合の良い形で情報や状況を解釈したりする、というバイアス。
(3)現状維持バイアス:現在の状態を基準線として設定し、そこからの変化を損失とみなす、というバイアス。
(4)アンカリング:特定の情報や数値(特に、初めに与えられた情報や数値)に過度に気を取られ、そちらに引きずられてしまう傾向。
の4点を挙げています。
 本書は、数ある社会科学の一つとしての「法」と他の分野との関係性を明らかにしようとした一冊です。


■ 個人的な視点から

 こうやって他の社会科学と並べてみると、「法学」という分野は理念や政策を実現するためのツールであって、経済学や社会学と並列にするようなものではないのではないかと思ってしまいます。


■ どんな人にオススメ?

・法律が依って立つ考え方を理解したい人。


2015年7月31日 (金)

正義のゲーム理論的基礎

■ 書籍情報

正義のゲーム理論的基礎   【正義のゲーム理論的基礎】(#2476)

  ケン・ビンモア (著), 須賀 晃一 (その他), 栗林 寛幸 (翻訳)
  価格: ¥4,536 (税込)
  エヌティティ出版(2015/5/22)

 本書は、「数学、ゲーム理論、経済学を武器に、進化生物学や社会進化論を背景的知識として、現代の正義論を再構築すること」、すなわち「人々の行動を現実に支配する道徳ルールである本能、慣習、因習などは、主に進化の力――生物学的のみならず社会的な――によって形作られるので、それらがいかに進化したのか、なぜ生き延びる子かをとうために、道徳を科学的に扱うことが必要であるとして、数理的方法を用いた新しい正義理論」の構築を目指したものです。
 著者は、「実際に使われている公平性規範はすべてロールズの原初状態という深層構造を共有する。この深層構造は生物学的に決定されるため、人類に共通のものである。しかし、原初状態で入力情報として必要になる個人間比較の基準は、ミームを通じて文化的に決定されるため、時と場所によって変わってくる」としています。
 第1章「道徳科学」では、「本書の主眼は、生のゲームの特定の均衡にむけて私たちの行為を調整するほぼ暗黙の了解として社会契約を捉える、デイヴィッド・ヒュームの洞察の帰結を探求することにある」としています。
 そして、「ロールズの原初状態が人間の公平規範の深層構造に組み込まれていると論じるにあたり、私には2つの任務が課される」として、
(1)そのようなメカニズムを私たちの遺伝子に書き込ませるに至った可能性を持つ進化の圧力について、納得のいく説明をしなければならない。
(2)この生物学的メカニズムが文化的伝統と作用し合い、私たちがプレーする生のゲームで特定の均衡を選び出す仕組みを説明しなければならない
の2点を挙げています。
 第2章「交渉理論」では、「本書の目的のひとつは、公平な交渉とは何かについて、特定の見解を擁護することにある。ただし、その見解は理論に組み込まれる入力としてではなく、出力結果の一つとして明らかにされるべきである」と述べています。
 そして、「ゲーム理論が合理的なプレーヤーによる戦略的交渉の分析を著しく進展させたのは、プレーヤーの特徴と交渉問題の性質が共有知識となっている場合であった」としたうえで、「ナッシュ交渉解は原初状態における交渉の結果を予測する手助けとして導入された」と述べています。
 また、「功利主義者と平等主義者を区別するもの」として、
(1)功利主義者は現時点の現状を無視するのに対し、平等主義者は歴史に配慮する。
(2)社会指標の意味をどう理解するか。功利主義者は社会指標の低い市民への援助を好み、行道主義者は社会指標の高い市民への援助を優先する。
の2つの見解の相違点が「とりわけ注意を引く」としています。
 著者は、「功利主義者と平等主義車の間の伝統的な激しい論争は、場合によっては単なる戯れ言にすぎないかもしれない。なぜなら、両者は単に同じことを違う仕方で表現しているからである」と述べています。
 第3章「主義の論戦」では、「何らかの結論に達する前にかならずデータを観察すべきであると主張する科学哲学の伝統」を「経験主義」として、「その偉大な主唱者はデイヴィッド・ヒュームである」と述べています。
 そして、「運転の例が示すように、道徳的主観主義は馬鹿げている。それは道徳のルールが人間の行動の調整を助けるために進化してきた事実を見逃しているからである」と述べています。
 第4章「均衡」では、「ゲーム理論は、実際のところ、対立と協力の両方を対象としている。現実的なゲームは一般に両方の可能性を含んでいるからである」と述べています。
 そして、「ゲーム理論家の考えでは、囚人のジレンマが人間の協力問題の本質を体現していると主張するのは明らかに誤りである。逆に、それは可能なかぎり協力が発生しないように仕組まれた状況を表しているのである」と述べています。
 また、「本書にとって重要なのは、ハミルトンの洞察が生物学的進化のみならず文化の進化にも適用できるということである」と述べています。
 第5章「互恵性」では、「アクセルロッドの主張の結果、しっぺ返し戦略こそご形成の仕組みについて知るべきことのすべてを体現している、と信じる社会科学者の世代が育ってしまった」が、「しっぺ返し戦略への思い入れが生き続ける理由は、かつて1回きりの囚人のジレンマにおける協力の合理性を人々が主張していた理由と同じである。彼らは人間が本質的に善良であると信じたいのである」と述べています。
 そして、「伝統が感情に有益な社会的役割を全く認めないのは明らかに間違いであるという、現在では広く受け入れられている考え方を私も支持する。感情は原始時代に社会契約の監視を手助けするために進化し、依然としてこの目的に役立っていると私は考えている」と述べています。
 また、「権威が機能できる真の理由は、リーダーの役割が、プレーされているゲームの完全均衡を指し示すことでしかないからである。もしも慣習的にリーダーの選択が尊重されるなら、それは誰もが最適化していることになるのである。したがって、いかなる個人も逸脱する誘引を持たない」と述べています。
 第6章「義務」では、「世俗的な道徳理論は、おおまかに言って、『善(the Good)』、『正(the Right)』、そして『徳(the Seemly)』の理論に分類することができる。左寄りの者たちは『善』を協調し、哲学者からは帰結主義者と呼ばれる。また、先見的な共通前の存在を主張し、その促進が私たちの利己的な関心事に優先するという。この陣営で最も声高なのは功利主義者と構成主義者である」と述べ、「保守主義者は『正』の理論を好む。哲学者はそのような理論を義務論と呼び、左寄りの帰結主義的な理論に対する自然な対抗馬と見る。義務論者は自然権の存在を主張し、帰結にかかわらずこの権利を尊重することが私たちの義務であるという」と述べた上で、「徳の理論にあっては、物事がそれ自体で本質的に善いまたは正しいということはない。物事が善いないし正しいのは、特定の社会で一般にそうであると考えられるからである」としています。
 第7章「血縁」では、「人間が親しい人を――親しい人だけを――愛すると予想すべき進化的な理由を説明する」として、「世間の知恵が愛と正義を適切に区別しないのは、進化というものが不器用な修繕屋であり、古いメカニズムを新しい目的に適応できるのであれば、新しいメカニズムをわざわざ作り出すことはめったにしないからである」と述べ、「私たちが公平規範を用いて部外者との調整ゲームを解決する際に原初状態への入力情報として必要な共感型(empathetic)選好を授けられるにあたり、『自然』は、家族内で作用する同感型(sympathetic)選好に合わせて進化していた構造と同じものを再利用したのである」と述べています。
 そして、「遺伝子の適応度を計算する際に大切なのは、次の世代にむけて複製される回数の平均値である」として、「私自身の遺伝子の適応度を計算する時には、私の行動が私自身のみならず親族の繁殖の成功率に及ぼす影響も考慮しなければならない。ハミルトンはこのような計算の結果を包括適応度(inclusive fitness)と呼んだ」と述べています。
 また、「ある種のゲームで高等動物がプレーする戦略は明らかに遺伝的に決定されている」が、「人間がプレーする社会的なゲームにおいて戦略が遺伝的にプログラムされていることはほとんど」なく、[私たちが均衡への道を見つけるのは、主に試行錯誤の学習や、よりうまく行っているプレーヤーたちの行動の模倣を通じてである」と述べています。
 第8章「共感」では、「私たちが共感の能力を当然視するからといって驚くことはなかろう。というのも、神経科学の研究が示唆するように、私たちの脳内には、自閉症の人々が一般的な認知能力を駆使して必死に試みなければならない作業を自動的んこなす部位が存在するのである」として、「共感による同一化の能力というものが人間の社会組織の核心にあることが明白になる」と述べています。
 そして、「個人間比較の基準は多くの点で言語に似ている」として、「ちょうど、何らかの言語を話すことが人間の遺伝的脂質の一部であるように私たちは個人間比較の基準を操作するように生まれついているのである」が、「言語と同様に、個人間比較の基準は利用される状況によってことなる」としています。
 第9章「黄金率」は、「文化の進化は異なる社会を多様な方向へと導いてきたが、私たちが皆同じ種に属することを指し示す普遍的特性は依然として残っているのである」と述べています。
 そして、狩猟採集社会の特色として、
(1)純粋な狩猟採集社会がボスや族長を持たないこと。
(2)公平性。
の2点を挙げ、「協力して行われる狩りは、リーダーのいない社会――特に言語の出現以前――においてより生産的であったかもしれない。なぜなら、不服従を罰することのできるリーダーがいないことにより、意思決定が効率的な水準に分権化されうるからである」と述べています。
 第11章「平等性」では、「平等主義的交渉解には堅固な理論的裏付けがあるので、この類似への着目はすでに一歩前進である。効用の完全な個人間比較を織り込んだ、公平な交渉解の条件となりうるような公理の集合は、そのほとんどが平等主義的交渉解を特徴づけることが判明するのである」と述べています。
 そして、「生のゲームの枠内で選択肢として明示的にモデル化されていないコミットメントは不可能であるため、コミットメントの制約は不在である。他のプレーヤーの選択を所与として、誰もが自由に自己の誘因に反応する」とした上で、「私の理論はロールズの直感が正しいことを裏付ける」として、「外部強制力が存在しない場合、新しい調整問題は、社会の過去の歴史が決定する社会指標を利用した平等主義的交渉解によって解決される」と述べています。
 本書は、ゲーム理論と進化から正義を解読しようとする一冊です。


■ 個人的な視点から

 進化論と言うと何やら「本能」だとか「体の仕組み」だとかを説明するものだという印象がありますが、社会制度とか倫理とか宗教とかそういったソフト的な部分もかなりDNAの影響を受けているものだと考えるべきなのかもしれません。
 また、戦前の優生学への反省からか、個人の知能や性格における遺伝的影響について語られることも少ないですが、やはり影響は大きいことを前提に考える必要があろうかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・正義が生まれる過程を知りたい人。


2015年7月 6日 (月)

マーケット・デザイン オークションとマッチングの経済学

■ 書籍情報

マーケット・デザイン オークションとマッチングの経済学   【マーケット・デザイン オークションとマッチングの経済学】(#2451)

  川越 敏司
  価格: ¥1,782 (税込)
  講談社(2015/2/11)

 本書は、「単なる理論ではなく現実世界に大きなインパクトを与える新しい研究分野」であり、「経済理論によって現実世界における制度の設計・改革を行う分野」である「マーケット・デザイン」の内容をなるべくわかりやすく解説したものです。
 第1章「市場メカニズムと情報の問題」では、「中央集権なやり方ではうまくいかない時、先の『見えざる手』の比喩のように、グループのメンバーが各自、分権的に意思決定するという前提で、なにかうまい方式をデザインして、個人の利益追求が社会全体の利益と一致するようにできないだろうか? という発想から生まれたのがマーケット・デザイン」だと述べた上で、「マーケット・デザインの主な応用分野」として、
(1)マッチング理論:経済主体の間で金銭の授受を伴わないような取引を考察する。
(2)オークション理論:金銭の授受を伴う状況を扱う。
の2点を挙げています。
 そして、「マーケット・デザインはまさに、何らかの理由で市場が存在しないか、市場メカニズムを利用することが適切ではないような状況において、中央当局や誰か権力者の命令によらずに、家計や企業が分権的に自主的に、社会的に望ましい結果(例えば、効率的な資源配分)を実現するように知らず知らずに導かれていくような誘引を与える配分方式をデザインすること」だと述べています。
 第2章「戦略的行動と市場――ゲーム理論による分析」では、「パレート効率性と個人合理性という2つの条件を同時に満たすような配分」であるコアについて、「コアというものを配分の良し悪しを決める基準として考えると、誰と提携を結ぶべきかという協力ゲームの問題は、個人合理的でパレート効率的な配分をもたらす提携はどれかと言い換えることができ」ると述べています。
 そして、「メカニズム・デザインはあくまで理論上うまく機能するメカニズムを研究しているのに対し、マーケット・デザインは現実世界で実際に機能するメカニズムを研究する、工学的な側面がある」と述べています。
 第3章「オークションの基本原理」では、「二位価格オークションは、ルールは違いますが、この競り上げ式オークションと全く同じ結果をもたらすオークション方式になっています(このことを、専門的には戦略的同値性といいます)」と述べています。
 そして、マイケル・ロスコップフたちが、二位価格オークションがまれにしか利用されない理由として、
(1)オークショニアの不正
(2)買い手が評価値を第三者に伝えること(情報漏洩)への躊躇
の2点を挙げているとしています。
 第4章「複数財オークションのケーススタディ」では、ウィリアム・ヴィッカレー、エドワード・クラーク、セオドアグローヴスの頭文字を採った「VCG」メカニズムについて、「対戦略性を満たすだけでなく、逆に、(若干の数学的条件の下で)対戦略性を満たすような方式はVCGメカニズムに限られることが証明でき」るとした上で、その基本的な考えかたは、「各プレーヤーは自分が参加したことで他のプレーヤーに与えた不利益に相当する額を支払うべきだ」というものだと述べています。
 そして、「一般的にはVCGメカニズムは配分決定ルールと支払決定ルールの2つの部分」からなるとした上で、「ローレンス・オースベルとポール・ミルグロムは、VCGメカニズムは理論上、重要な問題を抱えていると指摘して」いるとして、「VCGメカニズムは一番財を欲しがっている買い手に適切に財を配分するという意味で効率的な資源配分を実現しますが、売り手の収益を最大化するという観点からは、あまり望ましい結果を生み出さない」と述べています。
 また、「オークションされる剤が代替財ばかりの場合、VCGメカニズムは非常に満足の行くオークション方式なのですが、補完財が存在するとその魅力はかなり薄れてしまう」と述べています。
 さらに、「評価額を正直に入札することが支配戦略であるという、VCGメカニズムの重要な長所のひとつである対戦略性」は、実験結果によれば「現実的にはあまり満たされない性質」だと述べています。
 第5章「マッチング理論の諸問題」では、「2つのグループ(例えば、男女)が互いに相手側に対する希望順位(経済学では選考といいます)を提出し、その順位に基づいて双方の組み合わせ(誰と誰がカップルになるか、など)を決定するようなプロセスを、経済学ではマッチングといい、こうしたマッチングを効果的に行う方式を研究する分野をマッチング理論」と言うと述べた上で、「カップリング・パーティで用いられている方式は、効率的なマッチングを生み出しますが、必ずしも女性有利なマッチングを生み出すわけでもなく、対戦略性を満たさないことがあり、しかもそのマッチングは安定的ではないこと」があるとして、こうした問題をほとんど解消できるような方式として、「ゲール=シャプレーのアルゴリズム」とも呼ばれる「受入保留方式」について解説しています。
 エピローグでは、「たとえ、どんなに理論的に優れていようとも、現実に応用する際には、研究室の中では予期し得なかった事態が発生する」として、「マーケット・デザインの研究とはまさに工学(エンジニアリング)的なもの」だと述べています。
 そして、「複雑な現実に合わせて配分方式を改良していくと、対戦略性や安定性、効率性といったマーケット・デザインでは重視される基準のいくつかが失われていくといった自体になるかもしれませんが、このとき、研究者があくまでもエレガントな理論にこだわれば、現場の理解を得られなくなってしまうことでしょう」と述べ、「現実のマーケット・デザインでは、現場で制度を運用する人、制度に参加する人々、制度の成り行きを外から見守っている人々といった多様なステイクホルダーの理解を得つつ、できるだけみんなにとって満足度の高い方式をデザインしていくことが求められている」としています。
 本書は、理論にとどまらず、現実に役に立つ理論としてのマーケット・デザインを解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 経済学の中でも心理学と実験を扱う分野は理論とのズレが出てくるところが面白いです。


■ どんな人にオススメ?

・実際に使える経済学を探している人。


2015年6月 1日 (月)

オーガニゼーションズ 第2版---現代組織論の原典

■ 書籍情報

オーガニゼーションズ 第2版---現代組織論の原典   【オーガニゼーションズ 第2版---現代組織論の原典】(#2416)

  ジェームズ・G・マーチ ハーバート・A・サイモン (著), 高橋 伸夫 (翻訳)
  価格: ¥3,456 (税込)
  ダイヤモンド社; 第2版(2014/8/22)

 本書は、「統計的決定理論、ゲーム理論、経済学、心理学、政治学、行政学、社会学、そして経営学というそれまでバラバラだったタテ糸が、一瞬絡み合って『組織論』という結び目を作り、そしてまたほどけていく。その結び目」に相当するものであり、「その存在自体が文字通り『画期的』であり、今や経営組織論なら誰もが引用する金字塔的『古典』と位置づけられている」」ものです。
 第1章「組織的行動」では、「他の多くの社会的影響過程との対比で、組織内影響過程特有の特性を一つに要約しようとすれば、拡散性に対して特定性である」とした上で、「本書では、組織研究者・組織著述家による組織記述の重要なものを体系的に概観する」と述べ、「組織に関する命題は、その中の人間行動についての記述である。組織内人間行動を説明するために、こうした命題はすべて、明示的であれ暗黙にであれ、人間の何かの特性を仮定して埋め込んでいる」として、
(1)組織メンバーとりわけ従業員は主として受動的機械であり、仕事遂行と指示受諾はできるが、行為創始や影響力行使はあまりできないと仮定している命題。
(2)メンバーは、(1)態度、価値、目的を組織に持ち込み、(2)組織行動システムへの参加には動機づけ、誘引付が必要で、(3)個人目的と組織目的の対応は不完全で、(4)現実あるいは潜在的な目的の葛藤・対立のために、組織的行動な権力現象、態度、勤労意欲を中心に説明されると仮定している命題。
(3)組織メンバーは、意思決定者・問題解決者であり、組織内行動は知覚・思考過程を中心に説明されると仮定している命題。
の3つの命題を挙げています。
 第2章「『古典的』組織論」では、「伝統的な組織論は、発展経路で大きく2つに分けられる」として、
(1)20世紀初頭のテイラーの研究を起源としたもので、生産の基礎である肉体的活動に焦点を当てている。
(2)ギューリック=アーウィン編の論文集が良い例で、第一のものと比べると大きな組織問題、部門間分業・調整問題に関わっている。
の2点を挙げ、「この2つの理論領域の主要な特徴と問題点について述べる」としています。
 そして、生理学的組織論と管理論の「重要な限界と広く実証面・定式化面で必要なものを指摘する」として、
(1)理論の根底にある動機づけの過程が不完全で、結果、不正確である。
(2)組織的行動の限界を定める組織的利害対立の役割をほとんど認めていない。
(3)複雑な情報処理システムとしての限界からくる人間の制約条件をほとんど考慮していない。
(4)決定だけでなく、課業の同定・分類における認知の役割にほとんど注意を払っていない。
(5)プログラム作成の現象を軽視している。
の5つの基本的限界に言及しています。
 第3章「動機的制約:組織内決定」では、「古典的組織論が、生物としての人間を単純機械とみなしていた」ことについて、「まるでそんな機械で構成されているかのように組織を扱うと生じる予期しない結果について考察する」としています。
 そして、「個人行動『機械』モデルは、参加者が同時に果たす広範な役割を無視しがちであり、役割調整の問題を事実上扱わない。特に、素朴な『機械』モデルに基づく監督行為が、組織が回避を望む行動に終わることは明らかである」と述べています。
 第4章「動機的制約:参加の決定」では、「労働者による組織参加の決定」を探求するとして、「まず組織均衡の一般理論を考え、組織の主要参加者とその参加の決定に影響する要因を特定する」と述べています。
 第5章「組織における葛藤・対立」では、「個人・集団が決定問題を経験するときは、葛藤・対立が発生している」とした上で、
(1)どんな条件下で葛藤・対立は発生するのか? 組織内葛藤・対立や個人的葛藤が発生する時と場所を予測できるようになりたい。
(2)個人・組織は葛藤・対立にどんな反応をするのか? 一般には、葛藤・対立解消を試みて反応すると期待されるが、その形態を特定したい。
(3)対立の結果はどうなるのか? 特に交渉状況で、誰が何を得るのか興味がある。
の3つの問いに答えるとしています。
 そして、「組織内葛藤・対立への拡張に関連するいくつかの主要命題」として、知覚された葛藤は、代替案の主観的比較不能性、代替案の主観的需要不能性の関数であると述べています。
 そして、「組織は次の主要4過程で葛藤・対立に反応する」として、
(1)問題解決
(2)説得
(3)交渉
(4)「政略」
の4点を挙げています。
 著者は、本章において、「2つのまったく別種の組織内葛藤・対立を論じてきた」として、
(1)本質的に個人内葛藤で、組織メンバー自身での選択が難しい。
(2)個人間対立で、組織メンバーは互いに矛盾する選択をする。
の2点を挙げています。
 第6章「合理性の認知限界」では、組織メンバーの「合理的人間としての特性に焦点を当てる」ことで、本書の主要課題である、
(1)従業員を機械として扱う古典的記述の不自然さを1つずつ取り除く。
(2)これを、組織メンバーが欲求、動機、動因をもち、知識や学習・問題解決能力に限界が有ることを認める新しい概念と置き換える。
の2点が完了するとしています。
 そして、「たいていの人間の意思決定は、個人的であれ組織的であれ、満足な代替案の発見と選択に関係しており、例外的な場合にのみ、最適な代替案の発見と選択に関係する」と述べ、「干し草の山の中から、最も鋭い針を探すのは、縫うのに充分な鋭さの針を探すのとはわけが違う」としています。
 また、「管理組織の内であれ外であれ、人間の行動は合理的だとしても、それは状況の『所与』の特性集合から見て相対的に合理的であるに過ぎない」として、「所与のもの」には、
(1)未来事象の知識・過程・確率分布
(2)利用可能な行為の代替案の知識
(3)代替案の結果の知識
(4)結果や代替案に選好順位をつけるルールや原理
が含まれると述べています。
 著者は、「個人・組織が直面する問題の複雑性と比べて、人間の知的能力には限界があるので、合理的行動には、問題の複雑性すべてではなく主要店のみをとらえた単純化モデルが必要となる」として、
(1)満足化が最適化に取って代わる――基準変数の満足水準を達成するという必要条件。
(2)行為の代替案と行為の結果は、探索過程を通じて逐次的に発見される。
(3)プログラムのレパートリーは組織と個人が開発し、これが再発状況では選択の代替案として役立つ。
(4)各プログラムは、限られた範囲の状況と限られた範囲の結果に対処する。
(5)各プログラムは、他とは半独立に実施されうる――プログラム同士は緩くつながっているだけである。
の5点を挙げています。
 第7章「組織における計画と革新」では、「創始・革新が存在するのは、変化が、新プログラム――組織のレパートリーになく、プログラム化された切替ルールの単純適用でも対応できない――の考案・評価を要するときである。組織内行動が創始・確信なしに変化できる程度は、戦略の複雑性とプログラム内蔵の切替ルールによってのみ制約される。特定の組織について、プログラム化された切替ルールも含めてプログラムを記述できれば、プログラム化された通常の行動変化と新プログラム創始を意味する変化とを区別できる」と述べています。
 そして、「本質的に、人間の計画能力の現実的限界を所与とすれば、集権化よりも分権化システムがよく働く」として、「競争は比較的単純な条件に適しているのではない。まさに分業の複雑性こそが、競争を唯一適切な調整方法たらしめる現代的条件なのである」と述べています。
 あとがきでは、「本書で渉猟した領域は、理論化の到達度、特に命題の実証度で非常にむらがあることを見てきた。命題用に収集できた証拠は、大部分が動機づけ・態度を扱う本書中盤の諸章関係だった。組織的行動の認知的側面は、ほとんど未開の地である」と述べています。
 第2版への序文では、「本書の関心は公式組織の理論である。選好、情報、利益、知識が異なる個人・集団、つまり葛藤・対立のある個人・集団の間で調整された行為のシステムが組織である。葛藤・対立から、協働、資源の動員、努力の調整――これらが組織とそのメンバーの共生を促進する――への成功な転換を記述するのが組織論である」とした上で、「本書の中心をなす統一の構成概念は、階層ではなく意思決定であり、意思決定過程に対して支持し、知らせ、支える組織内の情報の流れである」と述べ、「中心的な構成概念が意思決定であるにもかかわらず、本書で展開される理論の多くは、選択の理論というよりも注意の理論である」として、「本書に書いた組織的注意の理論は、2つの小さな着想の上に構築されたが、この2つの着想は、その後かなり強力で魅力的だと証明された」として、
(1)満足化:組織は目標に的を絞り、中間段階なしに成功(目標達成)と失敗(目標未達成)にはっきりと二分して区別する。
(2)組織は、現時点で目標達成の活動よりも、目標未達の活動に注意を向ける。
の2点を挙げています。
 本書は、現代の組織論の基礎を築いた記念すべき一冊です。


■ 個人的な視点から

 名著中の名著。初版の発行が1958年であるにもかかわらず、本質的には今読んでもまったく古さを感じさせないです。


■ どんな人にオススメ?

・組織について一から考えてみたい人。


2014年6月 3日 (火)

雇用再生―持続可能な働き方を考える

■ 書籍情報

雇用再生―持続可能な働き方を考える   【雇用再生―持続可能な働き方を考える】(#2326)

  清家 篤
  価格: ¥1,080 (税込)
  NHK出版(2013/11/21)

 本書は、「自分を定点として周りが動いているとするような、天動説的な考え方」に陥りやすく、「多くの人たちがその経験に基づく体験論を不完全に展開しがち」な雇用に関する議論について、「労働や雇用の問題に関しても、これまでさまざまな科学的な分析」が労働経済学という学問として蓄積されており、「個人の経験だけに縛られず、理論と実証に基づく科学的な視点で働き方や雇用の問題を考えていく必要がある」として、「できるだけ科学的な分析に基づいて現状をしっかりと踏まえ、これからの雇用の将来を考えて」いこうとするものです。
 第1章「いまなぜ、働き方を考えるのか」では、「かつての日本では、働く人の圧倒的多数は自営業主と家族従業者」であり、1940年代末には、「日本で働いている人の約3分の2は自営業主ないし家族従業者だった」と述べています。
 第2章「経済の構造変化と雇用制度」では、「一定の人口のもとでは、人びとの就業選択いかんによって労働力人口は増えもするし、減りもする」として、雇用の源泉となる労働力人口が、
(1)人口そのもの
(2)個人の就業選択
の2つに影響されるとした上で、「人口減少下で労働力人口を維持するためには、人々の就労意欲を高め、日本全体の労働力率を高めることが求められるのだ」として、ポイントは、「まだ労働力率の上昇余地のある人口グループの労働力率を高めること」にあると述べ、
(1)20代後半以降の女性:雇用労働と家事、育児が両立するような環境を作ることが重要
(2)高齢者:高齢者の労働力率を下げている年金といった公的制度や、定年退職制度といった企業の雇用制度は見なおす必要があり、年齢に関係なく働ける仕組みに変えていくことが求められる
の2点を挙げています。
 また、「生産活動の状況によって雇用のあり方も大きく変わってしまう」として、
(1)生産の量
(2)生産の技術
(3)生産に要する雇用を含む生産要素の相対価格
の3点の影響を受けると述べています。
 第3章「終身雇用制度のゆくえ」では、「学校を卒業して直ちに会社に入社する」ことが日本の雇用制度の大きな特徴だとして、「新規学卒一括採用は、日本の若者の失業率を先進国のなかでも際立って低く抑えることに貢献している。この慣行のもとでは、若者は学校を卒業する前に就職先を決めるため、失業の状態を経ずに直ちに雇用者になるのである」と述べています。
 また、新人の教育訓練の重要性について、「将来その企業で使える人材になるかどうかは、実は入社試験の成績などはあまり関係なく、若いときに配属された部署の上司がきちんとした人物で、そこで厳しく仕事能力を叩きこまれたかどうかによる」とする企業の人事担当者の言葉を紹介した上で、1939年に慶応義塾大学理工学部の前身である藤原工業大学の初代工学部長に招聘された帝国海軍の技術部門のトップまで務めた工学博士谷村豊太郎が、「是非すぐに役に立つ人間を育成してほしい」との産業界からの要望に対し、「すぐ役に立つ人間はすぐ役に立たなくなる人間だ」とこれを否定したことを紹介しています。
 さらに、「雇用の流動化は社会全体の生産性の向上という面から言うと、プラスとマイナスの両面を持っている」として、
(1)プラスの面は、すでに高い仕事能力を持っている人が自分の能力を存分に発揮できるところで働くことができるようになる。
(2)マイナス面としては、企業内において仕事能力を高めるための教育や訓練が行われなくなり、人的資本投資は減少していく。
の2点を挙げています。
 第4章「年功賃金をどう見直せばよいのか」では、「日本は重化学工業化する過程で海外から高度な技術を導入したが、担い手となる労働者にその技術を使いこなせるものはいなかった」ため、「それぞれの企業は、必要とされる高度な技術を持った労働者を自前で養成する必要に迫られた。そこで企業は、そうした技術を覚えることのできる優秀な若者を雇い入れ、彼らを企業内で教育訓練して使える労働者に育成する仕組みを作ったのである」と述べた上で、「このように膨大なコストをかけて育てた養成工に、簡単にやめられてしまっては企業として大きな損失である」ため、「労働者の定着率を高めることが必須の条件」となり、「長く勤めれば務める程特になるような制度」として、「最も有効な制度が年功賃金だった」と述べています。
 そして、「新規学卒一括採用、企業内訓練、年功賃金、定年退職金は一つのパッケージであると考えるべき」で、「そのどれか一つを変えると残りの部分も変えなければならない」と述べています。
 第5章「対等な労使関係をどう築くか」では、「個人と企業の間では交渉力に格差があるから、個人は労働組合を組織して集団的労使関係の中で交渉することによってはじめて、対等な取引が成立する。実はこれは、労働組合が市場経済を機能させるために不可欠の役割を果たしているということである。そしてもう一つ、市場経済が前提としている完全情報も労働市場においては成り立っていない。それを補うためには、内部労働市場とも言われる企業組織が必要なのである」と述べています。
 第6章「格差是正は可能か」では、「正規雇用者の賃金が高いことには、フルタイム労働で始業時間から就業時間まで働いてもらうだけでなく、よほどの理由がなければ業務命令による残業も断ることはできないし、休日出勤などもいとわないということの代償という意味もある」と述べています。
 第7章「付加価値生産性を高める」では、最近の風潮として、「付加価値を生み出すのは従来の組織人ではなく、一匹オオカミのプロフェッショナルといったタイプの人たちだと考えられているきらいがある」ことについて、「付加価値生産性を高めることのできる一匹オオカミ的な人材は存在するが、高度産業社会において付加価値生産性を高めるのは、やはり組織に属する人たちなのである。一番望ましいのは、どこに行っても使える能力を身につけた人が、どこへも行かずにそれまで長年勤めた組織の中で働くということなのだ」と指摘しています。
 本書は、雇用を巡る議論に労働経済学の知見を投入した一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書の世者が翻訳に携わった『人事と組織の経済学』はこの分野の理論的理解を深める上では非常にコンパクト(本は厚いですが)でいい本です。本書で関心を持たれた方は是非読んでみてください。


■ どんな人にオススメ?

・雇用の問題をめぐる理論的背景を知りたい人。


2014年3月13日 (木)

資本主義が嫌いな人のための経済学

■ 書籍情報

資本主義が嫌いな人のための経済学   【資本主義が嫌いな人のための経済学】(#2302)

  ジョセフ・ヒース (著), 栗原 百代 (翻訳)
  価格: ¥2940 (税込)
  エヌティティ出版(2012/2/9)

 本書は、世間の経済学への理解、経済学的な思考法には、右派(リバタリアン、保守)と左派(リベラル、革新)ともに誤りが多いとして、「右派の謬見」と「左派の誤信」の二部構成により、「そうした経済学的な問題について考えるときに陥りがちな誤解を説いて、資本主義と正しく付き合っていくための経済学入門として書かれたもの」です。
 プロローグでは、「SF作家がそろいもそろって、1970年代末まで予想しそこねていたこと」として、
(1)IT(情報技術)が日常生活に与える影響の大きさ。機械技術の発展こそが人間社会を変化させる最大の要因と考えられていた。
(2)市場が消えていくものと想定されたこと。
の2点を挙げたうえで、「社会」について考えるときに必ず念頭に置くべきポイントとして、
(1)人はバカではない
(2)均衡の重要性
(3)すべては他のすべてに依存する
(4)帳尻を合わせるべきものがある
の4点を挙げています。
 そして、本書が、「いずれも簡単なモデルにもとづく、ごく基本的な主張であり、教養のある人はだれでも避けられるはずの間違いを示している」と述べています。
 第1章「資本主義は自然」では、「福祉国家の成功と失敗は、右派にも左派にも苦汁をなめさせた。かつて彼らを左右に分かったイデオロギーの核心を捨てさせたのだ」として、「左派はコミュニズムを、右派はリバタリアニズムを諦めた」と述べています。
 そして、「リバタリアニズムの魅力を検討するうえで、19世紀に出現した2つのきわめて強力なイメージに考慮することが重要である」として、
(1)自然を最適化のシステムとみなすこと。
(2)資本主義を最適化のシステムと見ること。
の2点を挙げ、「この2つの考えの接点はハーバート・スペンサーの『適者生存』という表現に完璧に要約されている」と述べています。
 また、「市場経済を動かすためには3つの基本的な協力のシステムが機能しなければならない」として、
(1)所有:所有の安定
(2)交換:同意にもとづく移譲
(3)契約:約束の履行
の3点を挙げ、「フリーライダー問題は明らかに、この3つとも損なっている」と述べています。
 第2章「インセンティブは重要だ」では、「経済学者は概してこのインセンティブという言葉をとても広く解釈して、およそどんなことでもインセンティブと考えるところから始める。しかし特定の行動について説明する段になると、インセンティブの概念を外的条件要因(たいていは、お金)に限定してしまう」と指摘しています。
 そして、経済学者のインセンティブ熱を、
(1)インセンティブだけが重要なのではない。
(2)インセンティブは往々にして途方もなく複雑なものである。
の2点を理解することで冷まさなければならないとしています。
 著者は、「人間心理はひどく複雑だ」として、「経済学者のトレードマークともいえる、人間の合理性やインセンティブへの反応についての仮定は、甚だ単純化しすぎたものである」と指摘しています。
 第3章「摩擦のない平面の誤謬」では、「特定の科学的理論に用いられるモデルを指して『非現実的だ!』というだけでは反論になっていない」として、「現実の世界のある面を単純化して表すモデルを開発する目的は、全体を構成要素に分けて、つねにすべてのことを検討するのでなく、観察された特定の現象の原因となっている力だけを切り離して論じられるようにすること」だと述べています。
 第4章「税は高すぎる」では、「政府は富の消費者のように扱われ、民間部門は生産者のようにみなされる」ことについて、「完全に混乱している」として、実際は、「国民が富を生み、国民が富を消費する。国家や市場などの制度は何も生産も消費もしない。これらが構成するメカニズムを通して国民が富の生産と消費を整えるのだ」と述べています。
 そして、「『公共財』と『公共部門』はいかにもそれらしく部分的に一致しているのに、政府がその支給に携わっているのは、公共財というより経済学者ならばクラブ財と呼ぶものだ」と述べています。
 第5章「すべてにおいて競争力がない」では、「経済のすべての競争力がない状態などありえない。たとえあるとしても、たいしたことではない。なぜなら基本的に貿易は競争関係ではないから。競争には勝者と敗者がある。これに対し、貿易というのは協力関係だ」と述べています。
 そして、人が自由貿易協定に反対する理由の1つとして、「貧民労働の誤謬のバリエーションとして、繰り返し出現してきたもの」だと述べ、「外国から製品を輸入するとき、街角の店で買い物するときと同じように貨幣で支払いをしていると、つい考えがちである」が、「この国の通貨はしょせんこの国のものだから、外国人には価値がないことを覚えておくことが大切だ」と述べています。
 著者は、「生産性は重要だ」が、「重要なのは、ある特定の国民経済内の相対的な生産性だけ」だと述べています。
 第6章「自己責任」では、「右と左を分かつもの、右派の政治イデオロギーを優位たらしめるものとは、自己責任の正しさを信じていることだ」と述べたうえで、「『自己責任』の要求とは、つまりモラルハザードへの対応としての自己保険の要求である」としています。
 第7章「公正価格という誤謬」では、「左派または人類の味方とすら自認する御仁にとって、豊かな工業化社会で食住をあがなえない人がいるのは許しがたいことだ」が、「ここで2つの大きく異る見方がある」として、「問題はこれらが高すぎるか、お金が足りない人がいるかのどちらかだ」と述べ、
(1)価格を変えること
(2)国民の収入を補うこと
の2つの解決法があるにもかかわらず、「なぜか2番目の選択肢は見過ごされる傾向がある」ため、「公正価格の誤謬」とでも呼ぶべき論考パターン、すなわち、「再分配の様式に生じる不公正の直接の原因は価格だからと、給付金の効果を無視するもの」ができあがると指摘しています。
 第8章「『サイコパス的』利潤追求」では、「利潤が資本主義経済で演じる役割を考える前に、時間をとって説明したい広く蔓延した誤りが2つある」として、
(1)「営利」と「私利」との単純な混同によるもの
(2)「社会」が企業に利潤の最大化を白紙委任しているという、広く流布している印象
の2点を挙げています。
 そして、「利潤の道徳的地位をめぐる論争でもう一つ不毛なあいまいさの原因」として、「金儲け」と「利潤を上げる」ことの混同を指摘しています。
 また、「人が営利追求に引っかかる主な理由」として、
(1)営利を私利と同一視して、そのために政府のような非営利の組織のほうがともかくも利他的に振る舞うと思い込んでいること。
(2)一般的な企業とは特殊な協同組合にすぎないこと、協同組合はすべて所有者のためにあることを理解していないこと。
の2点を挙げています。
 第9章「資本主義は消えゆく運命」では、「左派のほとんどが景気後退とは何か、どうして起こるのかをいまだに理解していない」結果として、「資本主義はやがて滅びると左派はなおも信じている――実証的にも理論的にも何の証拠のないのに」ことは、「ほとんど過剰生産の誤謬に由来する」と指摘しています。
 また、「問題点は明白にもかかわらず、マルクスの恐慌論はいまだに左派には人気絶大である」理由は、「マルクスのこの理論が、景気循環のみならず」、「資本主義システムは、需要を刺激し、過剰生産で引き起こされる不足を埋めるために、新しいニーズを生み出しつづけることが必要だ」とする『消費主義(コンシューマリズム)』という現象の説明にもなると多くの人が考えているからだ」と述べ、ここには、
(1)失業した労働者が以前よりものを買わなくなると、商品が売れなくなるという考え。
(2)「所有欲」と「支払手段」との概念の混同。
の2つのあからさまな誤りがあると指摘しています。
 第10章「同一賃金」では、「資本主義で悩ましいことの一つに、労働報酬がその人が受けるに価するものと無関係に見える」ことを挙げ、「総合的な問題は、市場経済における賃金は他の価格と同様に、報酬というだけでなくインセンティブでもあることだ」と述べています。
 そして、「分配率は重要だが、それほどではない。本当に重要なのは労働生産性の平均水準である」と述べています。
 第11章「富の共有」では、「今日の金持ちは、とっくの昔に死んだ実業界の大立者の怠け者の孫というより、週80時間労働と目の玉の飛び出るようなサラリーで今の地位に上り詰めた、非常に活動的な敏腕家のようだ」と述べたうえで、「貧困者はただ金銭の不足だけで苦しんでいるのではない。手持ちの金を使うときに非常に悪い選択をする傾向もあるのだ」と述べ、「貧困産業」」と呼ばれるビジネスモデルが、「貧困者というより、どうしても衝動を抑えられない人たちを相手にしている」ことを指摘しています。
 そして、「人のこらえ性のなさを表すのにもってこい」の経済学のツールとして、「人は一般に将来より現在の満足を選好するという事実を説明するために導入されている」、「割引関数」を挙げ、「人の未来に対する態度にはひずみがある」として、「きわめて近い未来の遅延はとても大きく、まだまだ先の未来の遅延は不釣り合いに重要度が低くなる」とする「双曲割引」について解説しています。
 さらに、「貧困者の思慮のなさ」が貧困者の苦境を自ら招いたとする主張に対し、「左派の多くは、そういう現象を否定して、思慮のなさに見えることは貧困者の下した選択というより、もっぱら陥った状況の産物なのだと言い張る。ここに希望的観測が含まれている」と指摘しています。
 著者は、右派の常套手段である「表向きは選択の自由を擁護しながら、裏では思い罰を用意しておく」ことは「実際には死者を鞭打つことと大差がない」として、「極端な双曲割引関数を持つ人達に必要なのは、有効なセルフコントロール作戦を容易にするためのインセンティブの再構築である」と述べています。
 エピローグでは、「私は資本主義を嫌う人に、もっと真剣に経済学を受け止めるよう促してきたが、それは経済学が貧困、不平等、社会的疎外などの問題に簡単な答えを与えてくれるからではない。全く逆である。経済学の研究は、善意の人たちが提案した簡単な解決法の多くがあまり成功する見込がないと証明することで、しばしば事態を紛糾させるばかりだ」と述べています。
 本書は、世の中に出回っている「経済学」的な政策の矛盾点を指摘した一冊です。


■ 個人的な視点から

 右翼にせよ左翼にせよ、世界の見方っていうのは、「彼らにとって世界がどう見えるか」っていうこと以上に、「世界をどういう風に見たいのか」っていう願望以上のものではないのかもしれないとも思うのです。
 そしてその見え方のバイアスを少しでも較正していく上でも、バイアスをさらに強めていく上でも、どちらにも経済学は役に立つのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・世界を希望する通りに見てみたい人。


2014年3月12日 (水)

経済史の構造と変化

■ 書籍情報

経済史の構造と変化   【経済史の構造と変化】(#2301)

  ダグラス・C・ノース
  価格: ¥2520 (税込)
  日経BP社(2013/2/21)

 本書は、「所有権と制度の役割に焦点を当ててヨーロッパとアメリカの経済発展に新たな光を当てた」ことでノーベル経済学賞を受賞した著者が、16世紀以降、経済成長に成功した国家(オランダ、イギリス)と失敗した国家(フランス、スペイン)が存在する理由として、
(1)国家は構成員の所有権を保護するサービスを提供し、その対価として収入(税収)を得る。
(2)国家は収入の最大化を目的とし、構成員が作る様々なグループに異なる所有権を設定することができる。
(3)国家は他の国家ないしその国家内の潜在的支配者との競争に直面している。
の3つの仮定に基づく「国家の理論」を導入することによって説明を試みたものです。
 序文では、本書の狙いは、「経済史を分析する新しい枠組みを提示すること」だと述べています。
 第1章「問題提起」では、経済史の役割として、「経済の構造を実力(パフォーマンス)を時間の流れの中で説明すること」だと述べたうえで、本書で論じる重要なポイントとして、
(1)経済システムの構造を明確にしなければ、経済パフォーマンスの変化を意味のあるかたちで考察することはできない。
(2)一部の変化は新古典派モデルの分析通りに、限界原理で起きる。
の2点を挙げています。
 第2章「経済の構造――序論」では、本書の主張として、
(1)歴史上、人口と資源の比率が激変し、連続性を断たれた時期が二度あった。本書ではそれを第一次経済革命と第二次経済革命と呼ぶ。
(2)2つの革命の間には、マルサスの人口圧の時代があった。生理的・社会的メカニズムで人口圧を克服した時代もあれば、経済制度の効率性の変化で生活資源が変わり、人口圧を克服した時代もある。
の2点を挙げています。
 そして、「経済パフォーマンスを決めるのは――また知識・技術の蓄積ペースを決めるのは、政治経済機構の構造だ。人びとが生み出す協力・競争の形態と、そうした人間の活動を組織するルールの執行システムこそが、経済史の根底にあるといえる」と述べています。
 第3章「新古典派流の国家理論」では、国家を、「暴力に比較優位を持ち、構成員に課税できる力で境界線が決まる一定の地域にまたがる組織」と定義したうえで、「所有権の本質は排除権であり、暴力に比較優位をもつ組織は、所有権を規定し守らせることができる」と述べています。
 また、経済史の基本となる国家の側面として、
(1)国家には非効率な所有権を生み出し、結果的に経済成長を維持できない傾向が幅広くみられる。
(2)すべての国家に内在する不安定性が、経済変動をまねき、最終的には経済が衰退する。
の2点を挙げ、支配者が一人の単純なモデルについて検討しています。
 そして、「非効率な所有権の蔓延」の理由として、「支配者(もしくは支配階級)の独占利益を最大化する所有権構造は、基本的には経済成長を促す所有権構造と対立する。この理論の変形の一つがマルクスの生産様式の矛盾――所有構造と、技術革新に伴う洗剤利益の実現が両立しない状況――という概念である」と述べています。
 第4章「歴史上の経済機構――分析の枠組み」では、「経済組織・機構を分析的に説明するには、国家の理論とともに取引コストの理論が必要」となる理由として、「どこに行ってもモノが不足し、したがって至るところで競争が起きている世界では、他の条件が同じであれば、相対的に非効率な機構が消え、効率的な機構が残るからだ」と述べ、「国家の理論と取引コストの理論の双方を勘案したモデルが必要だ」としています。
 そして、「第三者である国家は、法と法の執行という非人格的な体系をつくりあげることで、取引コストを下げることができる」としています。
 また、「国家は支配者・支配集団の利益を最大化するルールを規定し、その制約の下で取引コストを下げるルールを編み出す」として、奴隷制度などの非自発的な機構も生まれ、ソ連の集団農場のような「相対的に非効率な機構」も生き残ると述べています。
 第5章「イデオロギーとフリーライダー問題」では、イデオロギーを、「個人や集団の行動パターンを論理的に説明しようとする知的な努力」だとしたうえで、イデオロギーが経済学や経済史に及ぼす影響について、
(1)イデオロギーという概念を導入しても、競合する仮説による反証が可能という意味で経済史を科学的なものにすることは可能だ。
(2)フリーライダー問題を解決するには、実証的なイデオロギーの理論を打ち立てる必要があるが、同時に、市場原理に基づかない資源配分を説明する理論をさらに発展させる必要もある。
と述べています。
 第6章「経済史の構造と変化」では、「マルクス主義の枠組みは、長期的な変化を扱った理論の中で一番説得力がある」理由として、「効率的な経済機構で所有権が重要な役割を果たしていること、また、既存の所有権と新技術の生産力の間に緊張が生じることをマルクスが重視した」ことは大きな貢献だと述べたうえで、マルクス主義の限界として、
(1)技術変化のペースを説明する理論がないこと。
(2)技術を重視するあまり、変化を生み出す他の要因を無視していること。
の2点を指摘しています。
 第7章「第一次経済革命」では、「狩猟から農業への意向を説明しうる変化」として、
(1)狩猟の労働生産性低下
(2)農業の労働生産性上昇
(3)労働人口の持続的な拡大
の3点を挙げ、「この3つの要因が単独もしくは同時に働くことで、狩猟から農業への移行が進んだ可能性がある」と述べています。
 第8章「第一次経済革命――機構への影響」では、「古代文明の経済構造を根底から左右する――したがって、経済のパフォーマンスを根底から左右する――最大の要因となったのが、政治・経済組織内と政治経済組織間の「暴力を行使できる力(バイオレンス・ポテンシャル)」の分配だ」と述べています。
 また、古代経済史の土台にある最も基礎的な要素として、人口の増加を挙げ、「人口の増大は、今も昔も諸刃の剣だ、国家内・国家間の争い、政情不安、国家の衰退の大きな原因になると同時に、社会が新しい政治・経済機構を生み出す契機にもなる」と述べています。
 第9章「古代文明の経済変化と衰退」では、「ローマ帝国は衰退したというより、単に存在意義がなくなったといたほうがいい。軍事上の優位が消滅するとともに、従来の大規模な国家形態では所有権の保護と執行が難しくなった」として、「西欧ではその後1000年近くにわたって、小規模な政治・経済機構の時代が続くことになる」と述べています。
 第10章「封建制の発達と崩壊」では、「封建制の構造は、どちらかと言えば、ゆっくりと姿を表した。分権的な政治組織、階層的な主従関係、荘園という相対的に自給自足的な側面が強い経済構造。経済活動が再開し、地域や遠隔地の交易が活発になり、街が発達した。都市の職人の生産が増え、貨幣経済が普及した」として、「政治組織は次第に大きくなり、君主と構成員集団の交渉力に応じて、様々な土地・労働力・資本の所有権が登場するようになった」と述べています。
 また、封建制度の発達と崩壊に関連する構造転換の説明として、人口の変動と戦争が鍵を握るとして、
・戦争:政治組織の規模と構造を決めるうえで決定的な要因となった。
・人口の増加:土地と労働力の相対価格の変動を通じて、経済機構と所有権構造に決定的な影響を及ぼした。
と述べています。
 第11章「近世ヨーロッパの構造と変化」では、「海外進出は、長い目で見ると、西欧に世界経済を取り込むという流れをもたらしたが、短期的には市場の拡大で収益機会が増え、それを実現するために政治に構造転換の圧力がかかった」として、これにより実現した構造転換が、18世紀以降の経済成長の土台となったと述べています。
 また、「イギリスとオランダは人口よりも速いペースで経済が成長し、マルサスの危機を逃れた」と述べ、17世紀のヨーロッパ信仰国家の間で経済成長に差が出た理由として、「成功した2つの国では、導入された所有権が生産要素の効率的な活用を促すインセンティブとなり、発明やイノベーションに資源が投入された。経済がうまくいかなかった国では、税負担の絶対水準と歳入確保の手段が、正反対の個人行動を促すインセンティブとなった」と述べています。
 第12章「産業革命再考」では、1750年から1830年に始まったとされる持続的な経済成長によって起きた変化について、
(1)人口が前例のないペースで増加した。
(2)欧米は過去に例のない生活水準を実現した。
(3)欧米では経済活動の中心が農業でなくなり、工業・サービスが農業に変わる重要産業となった。
(4)結果として、欧米は都市社会となった。
(5)絶え間ない技術変化が当たり前になった。
の5点を挙げたうえで、「産業革命とはイノベーションのペースの加速であり、イノベーション自体は従来考えられている年代(1750-1830年)よりはるかに早い時期に始まった」と指摘しています。
 そして、「従来の産業革命論の多くは重点の置き方が間違っている。技術変化が工場制の導入につながったと論じているが、実際は作業上の集約で監督・分業体制が強化され、従来よりも投入の貢献度を正確に測定できるようになり、それが技術の変化につながった。取引コストと技術はもちろん密接に関係している。分業が進んだ結果、組織・機構のイノベーションが起き、それが技術変化を促した。さらに、そうした新しい技術の潜在力を引き出すため、一段の組織のイノベーションが必要になった」と述べています。」」
 第13章「第二次経済革命とその帰結」では、「第二次経済革命の第一のステップは、科学の発展だった。現在、科学知識の登場を納得の行くかたちで説明する理論は存在しない。教会による世界観の独占が崩れたことが、科学の発展と関係しているのは間違いない」と述べたうえで、第二のステップとして、「産業革命期の発明家の知的交流」を挙げ、「そうした交流によって、基礎知識を増やせば社会的に(潜在的には私的にも)高い収益率を得られるという意識が広がり、基礎研究への公的・私的支出が拡大した」と述べています。
 第15章「制度変化の理論と西洋経済史」では、「制度は人が交流する枠組みを規定する。社会、特に経済システムの骨組みとなる協力・競争の関係を規定するのが制度だ」と述べたうえで、「制度度は、主体(プリンシパル)の富や効用を最大化する目的で個人の行動を成約するルール、コンプライアンス手続き(ルールを守らせる手続き)、道徳・倫理規範の集合体だ。政治制度や経済制度の場合は、特化(暴力への特化を含む)によって生じた取引上の強みを活かして、富や効用を最大化する」と述べています。
 そして、「政治・経済システムは、互いに特定の関係をもつ複数の制度の複合体から成っている。そうしたシステムの中で組織・機構の土台の部分で成約するのが、機構ルールだ。機構ルールの狙いは、所有権と強制力という下部構造を規定して、支配者の効用を最大化することにある。具体的には(1)富と所得の分配パターンを規定する(2)競合する国家が存在する領域では、保護のシステムを規定する(3)経済分野の取引コストを削減する運用ルールのシステムの土台を作る――という目的に沿って構築される」と述べています。
 本書は、経済史における国家の役割を新しい視点から分析した一冊です。


■ 個人的な視点から

 取引コストという概念は、便利で理解しやすい一方で、いろいろな説明に都合よく使われすぎるんじゃないかという印象はあるものの、世界を摩擦や空気抵抗を無視して考えてはいけないことを教えてくれるという意味で重要なものです。


■ どんな人にオススメ?

・制度がどのように生まれてきたかを知りたい人。


2014年3月 7日 (金)

電力システム改革をどう進めるか

■ 書籍情報

電力システム改革をどう進めるか   【電力システム改革をどう進めるか】(#2298)

  八田 達夫
  価格: ¥1,260 (税込)
  日本経済新聞出版社(2012/12/20)

 本書は、東日本大震災によって明らかになった、日本の電力体制が抱える問題点である、
(1)需給逼迫時に需要を抑制する価格機能がないこと。
(2)電力会社以外の発電所からの電力供給が小さいこと。
(3)原子力発電所の莫大な事故費用に対応する保険料相当の額を発電費用に加算すると、原発は他の電源に比べてかなり高いことが明らかになったこと。
について、「経済学的な観点から分析し、解決策を提示すること」を目的としたものです。
 第1章「電力自由化とは何か――送電線の開放」では、電力の財としての特色として、
・在庫が持てないこと
・在庫不足が許されないこと
を挙げ、「時々刻々と全体の需給を一致させなければならないこと」だと述べています。
 そして、「現在では、発送電一貫体制の根拠である『規模の経済』は、送電線においてのみ発生し、発電所にはほとんどない」として、
(1)最近ではガスタービンを用いた発電など小規模な施設で、低いコストで生産できるようになった。
(2)コンピュータの発達により、電力会社以外の発電会社が発電しても全体の同時同量を達成することが容易になった。
の2点を挙げています。
 また、「複数の電力供給会社に規制された送電料金の下で送電線を公平に開放すること」である「送電線の開放」あるいは「電力の自由化」について、
(1)競争によって発電コストが下がる。
(2)ピーク時の高い電力料金によって需要量が押されられるため、過大な施設は不要になる。
の2点を挙げ、電気料金を引き下げると述べています。
 また、送電線の開放について、
(1)ISO方式:電力会社の発電部門と送電部門は一体にして残したまま給電指令所(Independent System Operator)のみを別会社に分離する。
(2)TSO方式:電力会社を、発電会社と、送電部門と給電指令所を併せ持つ会社(Transmission System Operator)とに分割する方法。
の2つの方式を挙げ、TSOの分離を発送電分離と言い、さらに、およびISOの分離を含めて発送電一貫体制の電力会社を何らかのかたちで分離することを構造分離あるいはアンバンドリングと呼ぶとしています。
 第2章「中立的な開放の要件――リアルタイム価格による生産」では、「送電線を公開するにあたっては利用者に公平に公開することが競争の促進に不可欠である」として、
(1)送電線の利用制度がすべての利用者に対して中立的であり、
(2)特定の利用者が優越的な地位を乱用するインセンティブを与えないよう
に制度設計をしなければならないとしています。
 第3章「停電を防ぐにはどうすればよいか」では、「今後を計画停電のような事態を防ぐためには、需給逼迫時に電力価格が上がる仕組みを作らなければならない」として、中立性確保の改革がなされたうえで、
(1)前日計画値の選択的届出制を始める。
(2)前日に給電指令所に届け出た計画値と実績値との差分を、給電指令所がリアルタイム価格で清算する制度を始める。
の改革が必要であるとしています。
 第4章「新規参入の促進と前日スポット市場の活性化」では、「前日スポット価格は、ピーク時に高く、オフピーク時に低い」ことで、「無駄な発電所建設と送電線の建設を抑制する」と述べています。
 第5章「送電線使用の効率化」では、地点別送電料金制がもたらす地産地消の便益として、
(1)送電線を流れる電力量が減り、送電ロスが減る。長期的には送電線の建設を削減できる。
(2)首都圏では自家発電が促進されると、東日本大震災時のような発電所の事故による大規模な停電を回避することができる可能性が高まる。
(3)東京での自家発電に補助金が与えられるようになると、通常では採算に合わない新エネルギーが東京ではペイする可能性が高まる。
の3点を挙げています。
 第6章「中立的な調整電力の調達」では、「追加発電入札において、応札したすべての発電所に追加発電してもらっても、電力不足を賄うには足りない場合」に備えて、「大口の需要者に、いくら払えばどれだけの量を5分前の通知によって節電してくれるかを前もって入札してもらっておく」入札である「ネガワット節電入札」について解説しています。
 第7章「望ましいエネルギー・ミックス――温暖化対策と原子力」では、「CO2の排出抑制のために一定の金額を使うのならば、日本で使うより燃焼効率が悪い中国などの途上国で技術援助するほうがはるかに費用対効果が高い温暖化対策になる」と述べています。
 また、「今後、日本の産業再生のためにという名目で、原発コストに保険料を含めず、安い電源に見せかけて原発を稼働することは、保険にかかる費用を将来世代に先送りにすることだ」と指摘しています。
 本書は、市場の力を使った電力の供給体制の姿を模索した一冊です。


■ 個人的な視点から

 東日本大震災と福島原発の事故以来、電力会社を巡る議論はやたらに教条的というか感情的なものになりがちなんですが、そんな議論のずっと前からまじめに電力会社の解体方法を考え続けてきた人の説明はやはりストレートにわかりやすいのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・将来の電力の形(原発反対とかそういうのだけじゃなくてね)を本当に考えたい人。


2014年2月22日 (土)

フォールト・ラインズ 「大断層」が金融危機を再び招く

■ 書籍情報

フォールト・ラインズ 「大断層」が金融危機を再び招く   【フォールト・ラインズ 「大断層」が金融危機を再び招く】(#2287)

  ラグラム・ラジャン (著), 伏見威蕃, 月沢李歌子 (翻訳)
  価格: ¥1995 (税込)
  新潮社(2011/1/18)

 本書は、「経済に潜む『断層線(フォールト・ラインズ)』が、いまなお世界を脅かしていると警鐘を鳴らしつつ、サブプライム・ローンを主因とする金融危機はどうして起きてしまったのか、今後繰り返さないための処方箋は何かといったこと」を解説したものです。
 序章では、「世界経済には無数の深い断層線がある。国際社会が統合され、経済が統合されている今日では、個人投資家や企業にとって最善であることが、システムにとって最善であるとは限らない。そのことがこの断層線を広げていった」と述べた上で、
(1)国内政治、とりわけアメリカの国内政治から生まれるもの。
(2)それまでの成長パターンによって生じた多国間の貿易不均衡から生まれるもの。
(3)貿易不均衡を是正する資金供給の際に、様々なタイプの金融システムが接触するときに発生するもの。
の3つの「断層線」を挙げています。
 第1章「金がなければ借りればいい」では、「アメリカの教育の失敗、もっと言えば、自分には成功のチャンスがないという国民の不安の増大」に対して、政治家が「経済成長や技術の進歩に取り残された人びとが借りやすいローンの提供」という「万能薬」に手を出してしまったと述べ、「借金をしやすくすることで、コストを将来に持ち越せるために、ひろく、積極的に、即座に益を分配できる」として、「住宅融資が国民にあまりにも広く支持されたために、規制当局が反対することができなくなったことが、今回のアメリカの問題だった」と述べています。
 そして、「低金利によって世界中で住宅ブームが起こったが、アメリカの場合は、これまで審査に通らなかった層を対象にしたローンつまりサブプライムやオルトAの市場が急成長した」が、「破産さえ不可能なほど貧しいそうに集中した」点で「アメリカは特殊だった」としています。
 著者は、「すべての人に質の高い教育を受ける機会が与えられないことから所得格差が拡大し、それが住宅ローン拡大の政治的圧力となった。その圧力は、金融セクターのローンを歪める断層線(フォールト・ライン)を創りだした」と述べています。
 第2章「輸出による経済成長」では、「第2次世界大戦後、輸出主導で経済成長を達成する戦略は、うまく用いれば、貧困から抜け出すための主要な方法となった。初めのうちは規模もそれほど大きくないので、世界市場は消費を伸ばし、輸出を用意に吸収することができる。ところが、ドイツや日本などの成長し豊かになった輸出国でさえ、成長過程で得た習慣や制度のせいで、国内需要を強く継続的なものにし、経済成長をバランスのとれたものにすることはできなかった」と述べています。
 そして、「政府が一部の企業に有利な介入を行うこと」の問題点として
(1)フィリピンで起こったように、腐敗した政府が競争力のない友人や親類を優遇する自体は防ぎようがない。
(2)一部の企業を優遇する負担は家計に課せられるので、消費が伸び悩む→消費が抑制されるので企業が大きな国内市場を失ってしまう。
の2点を挙げています。
 第3章「逃げ足の早い外国資本」では、「国内の貯蓄から投資資金を調達できる国ほど成長が速い」一方で、「海外から資金を調達する国ほど成長が遅い」という「正の相関関係を確認した」と述べた上で、「アジアの国の政府は、融資の割り当てを決め、推進役となる国内企業を育てるという最初の役割を果たしたあとは、融資を配分することから手を引いてしまった。企業がより最先端の技術分野に参入していくにつれ、この役割が難しくなったからだ」と述べています。
 そして、「輸出志向の国々は重要な教訓を学んだ。安い商品と安易な融資に飛びつくのは愚かだということだ。借金をして消費を急拡大すれば、最後には泣くことになる。外国人投資家は、管理資本主義を理解することも操ることもできないので、株式や短期債などすぐに引き上げることができるものを買った。そして、その国のファンダメンタルズを十分に顧みることなく撤退した」と述べています。
 第4章「脆弱なセーフティネット」では、「アメリカが歴史的に欧州諸国の大半と大きく異なるのは、失業手当の水準である」として、ヨーロッパの国々より低い上に給付期間もずっと短いと述べた上で、「アングロ・アメリカンな対等で公正な企業のあり方」は、「経営資源がより収益性の高いものに素早く再配置される」として、「無慈悲であることは、効率性を向上させるだけでなく、技術革新につながる」と述べ、「アメリカの失業手当は、経済のシステムに適合したものである。契機が低迷すれば、傾きかけた企業を切り捨て、新しい企業に資金を提供して、早急に再編成を行うことに主眼が置かれている」としています。
 第5章「バブルからバブルへ」では、「海外のよりリスクの高い商品を求めてアメリカから流出した資金が、不動産担保証券のような一見安全性が高く、利回りの大きい物を求めてアメリカに再流入した」として、「ある意味でFRBの政策は、アメリカを、世界に向けて発行した債権を資金源として、世界中のリスクの大きな資産に投資する巨大なヘッジファンドに仕立て上げてしまった」と述べています。
 また、「02年から05年のFRBのの金融政策は、FRB理事や金融経済学者以外からは厳しく批判された」として、
(1)一向に改善しない高い失業率にこだわり続け、企業投資を奨励して雇用を増やそうとしたこと。
(2)経済理論上インフレ率が安定しているときは、中央銀行は何も心配をすることがないと考えられていること。
の2つの欠点を挙げています。
 第6章「金が万物の尺度になったとき」では、18世紀にフランス王室が売りだした年金公債の売り出しと債務不履行について、「今でも役立つ4つの大切なことが学べる」として、
(1)金儲けに鼻がきくのはやはりバンカーだということ。
(2)バンカーは常に、経験の浅い投資家や、金儲けにそれほどあくせくしない投資家よりも有利な位置を見つけるということ。
(3)バンカーの行動は少なくともしばらくのあいだは、自己強化型であるということ。
(4)赤信号も大勢で渡れば怖くないということ。
の4点を挙げています。
 第7章「銀行を賭ける」では、「蓋然性の分布では下位(テール)に属し、したがってめったに起こらないはず」だった「テールリスク」とみなされたローン担保証券のリスクについて、「それを引き起こすにはシステム全体に逆風となるできごとが必要」であるが、「発生したらきわめて高くつくから、確率が低いからといって無視するべきではない」と述べ、「不幸なことに、テールリスクがシステム的なものであったがゆえに、金融機関も市場も無視した。皮肉なことに、それによってリスクが発生する危険性が高まった」としています。
 そして、「総じて、攻撃な銀行がテールリスクを追うパターンは、かなり長い間成功を収めていた。こうした銀行の経営陣は、自分たちの行動がどれほど運に頼っていたかということに気付いておらず業界の集団的な行動が自分たちが恐れなければならないできごとを引き起こしたことも認識していなかった」と述べています。
 著者は、「テールリスクを負うことは、現代の金融システムではことに深刻な問題になっている。リスクを調整しつつ実績を上げるようにと、バンカーたちが常に圧力を受けているからだ。定期的に素晴らしい成績を収められる人間は滅多にいないが、それだけにそれができる人間への報酬は莫大なものになる。だから、二流のバンカーが、しばらくスーパースターに化けていたいためにテールリスクを負いたくなる気持ちは、きわめて強い」と述べています。
 第8章「金融改革」では、「私たちが取り組まなければならないのは、金融の発展から得られる利点をうまく使い、金融が不安定になるのを制限することだ」とした上で、「おおまかな言い方をすれば、たえず変化している世界経済では、静止状態がしばしば最大の不安定要因になる」として、「競争とイノベーションは、システムの順応を助け、正しい方向に向けてやれば、多様性と柔軟性を保つのに役立ちひいては動的な安定性をもたらす」が、「極度のリスクを取るインセンティブの一部は、銀行の内外のガバナンスの崩壊によって生じた。このメカニズムを修復する必要がある」と述べてます。
 そして、「できることなら、規制は絶対に必要なときだけ執行すべきであるたえず求められるのではなく、背反するできごとが起きたときに発動される方が良い」として、
(1)ときどきしか作動しないので、事が起きなくても働いている規制ほど窮屈ではない。
(2)規制が要求するレベルを必要に応じて変えられる。
の2つの利点を挙げています。
 また、「システム的に重要であるから破綻させられないといわれている企業体(エンティティ)は、インセンティブを歪めているだけでなく、そういう暗黙の保護を受けていない企業体よりも競争の面で有利だ」とした上で、こうした問題に対処する方法として、
(1)企業がシステム的に重要になるのを防ぐ。
(2)重要になってしまった場合には、民間セクターの緩衝装置を設けて、政府の介入の必要性を最小限にする。
(3)緩衝装置があっても深刻な経営難に陥ったならば、当局がそこを破綻させやすいようにする。
の3点を挙げています。
 著者は、「様々な問題は、民間セクターと政府との接点(インターフェイス)で生じている——そこに断層線がある——が、そのどちらも廃止するわけにはいかないから、現実的な改革は接点の管理ということになる」と述べています。
 第9章「アクセスの格差是正」では、「収入格差のすべての形が、経済的に有害なわけではない。秀でた才能があって一所懸命働くものは高い給料で報われるし、経済にあっても最も高い技倆を必要とする仕事がなんであるかが、それでわかる。自分自身の“人間資本(ヒューマンキャピタル)”に投資することの利点を若者に教える信号にもなる」と述べています。
 そして、「若者にとっての解決策は、人間資本を高めるような道筋を広げることだ。年配者に対しては、かつてのスキルが時代遅れになっても競争力を失わないように自己変革する方法を改善しなければならない」として、「アメリカ社会は、他者に依存しながら不満を抱く底辺層が生まれるリスクを抑えるために、同情と理解のバランスを取る必要がある」と述べています。
 第10章「蜂の寓話ふたたび」では、「多国間主義的な機構は、これまで2つの方面で機能してきた」として、
(1)世界貿易機関(WTO)がたどってきた法的機関としての役割で、加盟国間の貿易を規制してきた。
(2)国際マクロ経済の管理と連携にIMFが果たしてきた役割。
の2点を挙げ、後者については、「それほど有効ではなかった」として、「主に勧告という形をとるのだが、IMFの基金を必要としない国にはたいして効き目がない。問題はゲームのルールすらはっきりしないことだ」と述べています。
 そして、「マクロ経済政策の連携におけるIMFのの役割は、貿易促進におけるWTOの役割とは全く違っている」として、
(1)なにが許容され、なにが許容されないかというルールが明確ではないし、そういうルールを組み立てようとする試み自体が、多くの国に受け入れられない可能性が高い。
(2)その結果、改革は案件ごとに合意を得るという形を取り、各国政府は改革に自信を持って取り組むのに必要な国内政治の支援が得られない。
(3)本格的に取り組めないために、改革が長期的にはそれぞれの国の利益に結びつくとしても、各国による根本的な改革に必要な幅広い国際共役が成立する見込みは薄い。
の3点を挙げています。
 著者は、「多国間主義的な組織は、だれにも読まれない意味不明の文書ではなく現代のテクノロジーのツールを使って、地球市民的な経済行動とは何かをはっきりと示し、世界中の人々に考えるよう訴えるのに、きわめて大きな役割を果たすべきだ」と述べています。
 終章では、「諸外国は、世界経済の不均衡を是正し、世界経済の成長頼みの考えを改め、改革を実行しなければならない。それにあたり、世界が直面している他の重要課題にも取り組むのに、国際協力が必要になる。世界の大国は、先進国も新興国もともに、自分たちの政策が統一のとれた全体と噛み合っていないことを認識しなければならない」と述べています。
 本書は、アメリカ国内外に横たわる「断層線」を切り出してみせた一冊です。

■ 個人的な視点から

 リスクを追わなければ利益を得ることができない一方で、リスクを過小に評価して飛び込んでいく愚かさも一時的には夢を見させてくれるのかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・リスクを正しく評価できない人。


2013年11月20日 (水)

法と経済で読みとく 雇用の世界-- 働くことの不安と楽しみ

■ 書籍情報

法と経済で読みとく 雇用の世界-- 働くことの不安と楽しみ   【法と経済で読みとく 雇用の世界-- 働くことの不安と楽しみ】(#2200)

  大内 伸哉, 川口 大司
  価格: ¥1995 (税込)
  有斐閣(2012/3/3)

 本書は、法学と経済学という「違う思考パターンをもつ者が、一緒になって雇用の世界を描くとどうなるかということのチャレンジしたもの」です。
 序章「法学と経済学の協働は可能か――自由と公正のあいだで」では、「経済学の側では、私人間の自由な取引が必ずしも効率的な資源配分をもたらすとは限らない状況を正面から分析する分析道具がこの30~40年の間に開発されてきた」とした上で、「労働法学は、高度経済成長期以降、実現していたと言われる完全雇用の状況を前提にして、雇用関係にある労働者の保護を念頭において、なかでも正社員を労働者の典型モデルとした法的ルールを構築してきた」と述べています。
 第1章「入社する前にクビだなんて――採用内定取消と解雇規制」では、経営上の必要性を理由とする解雇である整理解雇について、
(1)人員削減の必要性
(2)解雇回避努力
(3)被解雇者選定の相当性
(4)労働者側との協議の相当性
の4つの要素に基づき有効性の判断が行われるとされているとしています。
 第2章「パート勤めの苦しみと喜び――最低賃金と貧困対策」では、経済学者の中には最低賃金規制について批判的な見方をするものが多いとして、その理由として、「個人の自由の尊重と社会全体の調和という両立しがたい2つの目標は、価格が自由に決められる市場取引によってこそ実現可能であるという考え方に基本的な信頼を寄せているからである」と述べています。一方で、法学においては、「賃金は労働者の生活を安定させるものでなければならないという視点がある」と述べています。
 第4章「これが格差だ――非正社員」では、「日本では伝統的に若年者の技能訓練は民間企業が担ってきたわけだが、近年その機能が弱まりつつあることが知られている。無業の者は職場の提供する技能訓練を受けられないし、非正社員が技能訓練を受ける機会は正社員に比べると少ないので、若年無業者の増加や雇用の非正社員化は彼ら、彼女らの技能訓練の機械を減少させていることになる」と述べています。
 第5章「勝ち残るのは誰だ?――採用とマッチング」では、「『情報の非対称性』は、とりわけ企業にとってマイナスに働く可能性が高い」として、「労働者側は、就職した後に、思っていた企業ではなかったと考えたときに辞職するのは(法的にも)自由である(民法627乗)が、企業側は解雇が制限されているため、こうした形で契約のリセットをすることはできない。そうなると、企業としては、職歴等のアピール度のある外形的な情報の乏しい若者の採用をためらわざるをえないのである」と述べています。
 第7章「残業はサービスしない――労働時間」では、「時間当たり賃金が上がると、豊かになって労働時間が減るという所得効果と、稼げるようになるので労働時間が増えるという代替効果、という相反する2つの効果」があるが、「日本と始めとする多くの国々のデータを見ると、時間当たり賃金の長期的な上昇と労働時間の下落が示されているので、時間当たり賃金が上がり豊かになるから労働時間が短くなるという所得効果がより強く働いていることがわかる」と述べています。
 第8章「つぐない――男女間の賃金・待遇格差」では、「女性の時間当たり賃金率の平均は男性の時間当たり賃金率の平均のおおよそ67%である」として、「この33%の賃金格差は、先進各国のなかでも大きなものになっている」と述べています。
 終章「労働市場、政府の役割、そして、労働の法と経済学」では、「現実に生起する労働問題を学問的に考えていく際には、労働市場というものを中心に据えて、その機能のメリットやデメリットを検討していくことが、どうしても必要となる」と述べています。
 本書は、労働法と経済学という2つの目を通して日本の労働法制を考えた一冊です。


■ 個人的な視点から

 法と経済学というツールは、世の中を見るための視点として持っておいて損はありません。残念ながらこれで戦うとなるとまだまだ弱い気がします。


■ どんな人にオススメ?

・法と経済学の両方を使えるようになりたい人。


より以前の記事一覧

2016年12月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

最近のトラックバック

無料ブログはココログ