数学

2015年8月12日 (水)

確率を攻略する ギャンブルから未来を決める最新理論まで

■ 書籍情報

確率を攻略する ギャンブルから未来を決める最新理論まで   【確率を攻略する ギャンブルから未来を決める最新理論まで】(#2488)

  小島 寛之
  価格: ¥972 (税込)
  講談社(2015/7/17)

 本書は、
(1)数学者が確率を攻略する。
(2)あなたが確率を攻略する。
(3)コイン投げだけで攻略する。
の3つの意味で確率を攻略しようとするものです。
 第1章「身の回りには確率がいっぱい」では、「確率とは、不確実な出来事の『起こりやすさ』を数値化したもの」であり、「世界が不確実に満ちていて、私達がその不確実性の程度を見積もりたいとき、確率はそれを記述し、制御する道具となってくれる」と述べています。
 第2章「確率のいろいろな見方」では、「不確実性とは、『起きたり起きなかったりする現象』あるいは『いくつかの帰結が用意されているが、そのどれになるか予言できない現象』とまとめることができる」が、「このように表現してみても、その指し示すところにはニュアンスのことなるいくつかの解釈があり得てしまう」と述べています。
 また、「大数の法則」について、「部分的には、17世紀のベルヌイや18世紀のド・モアブルとラプラスなどによって成し遂げられたが、決定的な解決を与えたあのは、20世紀のコルモゴロフである」として、コルモゴロフが、「数学的確率を極端に抽象化し、整備することによって、この『大数の弱法則・強法則』を数学的に証明することに成功した」と述べています。
 第3章「確率はナゾだらけ」では、「数学的確率という概念が学習者の頭を混乱させる」理由として、「数学的確率は『次の1回の出来事』について語っているにもかかわらず、現実の『次の1回の出来事』がなにもその数値を明らかにしてくれないから」だと述べ、フォン・ミーゼスは、「次の1回の確率」などという「集団性の外側で定義されるもの」は無意味だと論じたとしています。
 第4章「確率モデルはこう記述する」では、「確率モデルとは、簡単にまとめれば、『出来事』に0位上1以下の数値を割り振ったものだ」として、
(1)不確実現象の根本となる出来事(標本点)を記号で表す。
(2)確率を導入するための基礎となる出来事たち(根源事象)に確率を割り振る。
(3)ステップ2を土台にして、一般的な出来事(事象)に確率を割り振る。
の3つのステップを示し、「ポイントになるのは、『集合』という数学の技術を使って表現する、ということである」と述べています。
 第6章「無限回コインを投げる」では、「私たちが頻度論的確率の立場から欲しい言説」である、「コインを投げると、ちょうどその半分の比率が表になる」という端的な表現を実現するのが、「大数の強法則」であるが、「この教法則を表現するには、これまでの確率モデルではダメなのである。それを実行するには、『無限個の標本点を持った世界』に降り立たなければならない。つまり、『無限』という魔物の力を借りなければならないのである」と述べています。
 そして、「無限集合の理論によって、数学は飛躍的な進歩を遂げることになった。代数学も幾何学も解析学(これは微分・積分を扱う分野)も、これまでには定義できなかった新しい異空間を作り出し、その異空間で数学を展開することが可能になったからである」と述べています。
 第9章「期待値はリターンの目安」では、期待値について、18世紀のダニエル・ベルヌイが提出したパラドクスである「サンクト・ペテルブルグのパラドクス」について、「その賭け自体が『無限回のコイン投げを要する』ものである」ため、「この賭けの期待値を計算するためには、『無限回の行為によって成立する1回の賭けを、無限回寄せ集めて考える』ということが必要になる」と述べています。
 第10章「公平なギャンブルとマルチンゲール」では、「負けている限り、賭け金を倍々に増やしていく戦略」である「マルチンゲール戦略」について、「数学的にはいつかすべての負けを取り返し、プラスの収益を得ることができる」が、「この戦略で確実に儲けるためには、自己資金が無限大にあるか、あるいは、無限に借金ができなければならない」と述べています。
 本書は、数学を攻略するためには通っておいたほうがいい一冊です。


■ 個人的な視点から

 高校の数学でも「確率」はよくわからないままであったりするのですが、計算式はともかく確率の考え方は身につけておきたいです。モンティ・ホールとか面白いですし。


■ どんな人にオススメ?

・確率の考え方を身に着けたい人。


2015年8月 8日 (土)

グラフ理論の魅惑の世界- 巡回セールスマン問題、四色問題、中国人郵便配達問題・・・

■ 書籍情報

グラフ理論の魅惑の世界- 巡回セールスマン問題、四色問題、中国人郵便配達問題・・・   【グラフ理論の魅惑の世界- 巡回セールスマン問題、四色問題、中国人郵便配達問題・・・】(#2484)

  アーサー・ベンジャミン, ゲアリー・チャートランド, ピン・チャン (著), 松浦俊輔 (翻訳)
  価格: ¥3,672 (税込)
  青土社(2015/7/24)

 本書は、「グラフ理論という、今まであまり、あるいはまったく触れたことがないかもしれない分野に読者を案内する」ものです。著者は、「本書で取り上げることはたくさんあるが、その中には、実に興味深い問題、あるいは疑問が、数学的に解決されるだけでなく、数学のあるテーマ全体に繋がる場合が多々あるという話もある」と述べています。
 第1章「グラフ登場」では、「『グラフ』Gは点(『頂点(ヴァーティクス)』と呼ばれる)と線(『辺(エッジ)』と呼ばれる)の集合で、2つの頂点の間に何らかの関係があれば、辺で結ばれる」と述べています。
 そして、「そもそもグラフ理論と呼ばれる数学の領域」はなかったが、「1891年、グラフを数学的な対象として扱う最初の純粋に理論的な論文が、デンマークの数学者ユリウス・ピーターセン(1839~1910)によって書かれていた」として、「ピーターセンがこうした対象を『グラフ』の名で呼んだことが、多分、その後ずっとその名が使われることの決定的な因子だったのだろう」と述べています。
 第2章「グラフの分類」では、「すべての頂点の次数が同じというグラフ」である「正則グラフ」について、「正則グラフの研究の始まりは1891年にさかのぼる。実は、この類のグラフは、グラフ理論について書かれた最初期の理論的論文の主たる研究領域をなしていた。この論文は、デンマークのす学者ユリウス・ピーターセンによって書かれた」と述べています。
 また、「2つのグラフが同じ構造を持つ場合、その2つは同じと考えられる」として、専門用語では、「そのような2つのグラフは『同型』(isomorphic)であると言う」と述べています。
 第3章「距離の分析」では、「8×8のチェス盤に、5つのクイーンを、空いたマスがすべて、少なくとも1つのクイーンが利いているように置くことはできるか」という問題について、「グラフでの支配(ドミネーティング)集合というテーマの起源と考えることができる」と述べ、「1958年、フランスの数学者クロード・ベルジュ(1926~2002)は、『グラフ理論とその応用』という、グラフ理論について書かれた史上2番めの本」を書き、その中で初めて、「グラフの支配数の概念を定義した」と述べています。
 また、ハンガリーの数学者ポール・エルデシュ(1913~1996)について、「エルデシュにまつわるユーモラスな概念」として、「数学者それぞれをAとすると、協力グラフでのエルデシュからAまでの距離をAの『エルデシュ数』と言う」と述べ、「エルデシュ本人は、エルデシュ数が0である唯一の人物となる。エルデシュとの共著論文がある数学者はエルデシュ数1とする」であるとして、「エルデシュ数2のす学者は600人を超える」とし、「エルデシュ数について言えることの一つは、それが時間の関数になっているということだ。特に言えば、一人の数学者のエルデシュ数は、時間とともに減ることはあっても、増えることはない」と述べています。
 第4章「木の構成」では、「閉路を含まない連結グラフは『木(ツリー)』と呼ばれる」とした上で、「何らかの頂点rが根として指定されるような木Tのこと」を「根付き木」であると述べ、「根付き木は、いろいろな状況を表すのに使える。とくに役に立つのが、次々と比較をすることによって答えが見つかるような問題に遭遇したときで、この場合、木の各頂点vで決定が行われると、弧(v,u)を通って頂点uで行われる別の意思決定へと導かれるようになっている。これを、問題に対する答えが見つかったことを示す、葉に達した状態になるまで続ける。この理由によって、そのような根付き木は『決定木』と呼ばれる」と述べています。
 第5章「グラフのトラバース」では、ケーニヒスベルクの市民が、「7本の橋を1回ずつ渡って町を歩くことができるか」という問題について、「ケーニヒスベルクの橋問題」は、それを示したマルチグラフについて、「オイラー回路あるいはオイラー小道を含むか」という問題に言い換えることができると述べています。
 そして、「オイラー論文で実際に明らかにされたのは、オイラーグラフのすべての頂点は遇であることと、オイラー小道を含むグラフにはちょうど2つだけの奇頂点があるということだった」と述べています。
 また、1962年に中国の数学者クアン・メイクー(管梅谷)による、「郵便配達員が郵便局を出て、配達路上の各街路沿いに配達すべき郵便を持っている。郵便を配達し終えると局へ戻る」として、「これをすべて終える順路の最小の長さを求めること」とする問題について、「中国人郵便配達問題」と紹介されたと述べています。
 第6章「グラフを一周する」では、「19世紀でも有数の優れた数学者にして物理学者」の一人であるウィリアム・ローワン・ハミルトン(1805~1865)について、「十二面体のグラフ」を含むゲームを発案し、「世界の20都市を1回ずつ通って世界を一周する順路を構成する」もので、プレーヤーは、「20の番号のついたコマあるいは人の集団の一部を何箇所か、あるいは盤上の相手に配置して、必ず図形の線をたどって前に進めるようにし、また相手が指定する、いろいろな条件を満たすように」するものであったとし、「この『イコシアンゲーム』でハミルトンによって提案された問題は、グラフ理論の新たな概念をもたらしただけでなく、数学者に人気の研究領域をもたらした」と述べています。
 また、「チェスのルールに従って、ナイトが8×8のチェス盤のそれぞれのマスを1回ずつ通って出発点に戻ってくる順路はあるか」というナイトツアーに対応するグラフ理論の問題について解説しています。
 さらに、「あるセールスマンが、いくつかの都市を訪れて戻る出張をしようとしている。各都市間の距離はわかっている。各年に1回ずつ寄るとしたら、そのような出張旅行の最小の総距離はいくらか」とする「巡回セールスマン問題」について解説しています。
 第10章「グラフを描く」では、「3軒の家A,B,Cが建設中で、それぞれに家には3種の公共設備、つまり水道、電気、ガスと繋がなければならない」ときに、「どの業者も接続地点から各戸へ、途中、他の設備の配管や他の家を通らずに直接につなぐ必要がある。さらに、3つの設備の業者は、どの配管とも交差せずにピッタリ同じ深さに埋めなければならない。そんなことができるのだろうか」というイギリスの有名なパズル作家・ヘンリー・アーネスト。デュードニーによる「3軒の家と3種の公共設備問題」を紹介しています。
 また、「美術館が、絵が掛けられるn枚の壁で仕切られた一つの大きな部屋でできているとする。壁に掛けられた絵すべてについて、その作品を直線で見通せる警備員が必ず一人はいるようにするには、美術館は何人の警備員を配置しなければならないか」とする「美術館監視問題」を紹介しています。
 第11章「グラフの彩色」では、「過去何世紀かのあいだに、魅力的な数学の問題が数多く登場し、中にはきわめてわかりやすいものもあったが、なかなか解けないことで有名なものもある」として、オーガスタス・ド・モルガン(1806~1871)のロンドン大学ユニバーシティ・カレッジでの教え子フレデリック・ガスリーの兄フランシスが、「イギリスの地図で州を彩色していて、4色あれば、境界線を共有するどの2つの州の色も異なるように彩色できることに気づいていた。そこでフランシスは、これはあらゆる地図について成り立つのではないかと考えた」と述べ、これが有名な「四色問題」という予想を産んだと述べています。
 そして、「四色問題が初めて活字になって述べられたのは、『アテネウム』という文芸誌の1860年4月14日号に掲載された、匿名の書評でのことらしい。書評の筆者は誰か特定はされていないが、ド・モルガンが書いたことは明々白々である」と述べています。
 また、「四色問題と、それをとこうとする過程で考えられた数学が広まることで、グラフ理論は数学の重要な分野となり、彩色はグラフ理論の主要なテーマとなった。実際、グラフ理論の多くの問題が彩色が絡む問題に帰着し、そうして四色問題へと戻っていった」と述べています。
 エピローグ「グラフ理論――回顧と展望」では、「グラフ理論という数学の分野は誕生から3世紀めだが、最初はつつましいものだった」とした上で、「19世紀に紹介されてグラフ理論の発達に最大の影響を及ぼした問題は、有名な四色問題だった」と述べています。
 そして、「ゲーム、パズルなど、娯楽のような問題がグラフ理論を生んだとはいえ、グラフ理論が確かに数学の理論的な一部門であることを示したのは、1891年に出たユリウス・ピーターセンによる論文だった。これがグラフ理論が大きく成長する始まりとなり、この主題は、それに関心を示し、多大な貢献をした多くの数学者によって支えられた」と述べています。
 また、1960年代以来、
(1)グラフ理論に関心がある、あるいは研究をしている世界中の数学者
(2)グラフ理論が主なテーマに入っている世界中での学会、国際会議
(3)グラフ理論が主なテーマの一つである学術誌
(4)グラフ理論が主なテーマか主要なテーマの一つである書籍・専門書
の数が爆発的に増え、「世界がデジタル時代に入り、テクノロジーの時代にしっかり根を下ろすに連れて、通信や社会的ネットワークを取り上げるグラフ理論の応用がますます増え、インターネット一般が栄えるようになっている」として、「ケーニヒスベルクについての興味深いささやかな問題や、地図を彩色するのに必要な色の数に関する疑問が、とどめようのない成長を示す数学の一分野に育ってきた」と述べています。
 本書は、グラフ理論の誕生から現在の繁栄までの成長の歴史を丁寧に紹介する一冊です。


■ 個人的な視点から

 グラフ理論はネットワーク理論との関係で語られることが多いですが、数学の分野としてのグラフ理論それ自体も大変魅力的な世界です。


■ どんな人にオススメ?

・世界を読み解く理論を知りたい人。


2015年5月18日 (月)

筆算をひろめた男 幕末明治の算数物語

■ 書籍情報

筆算をひろめた男 幕末明治の算数物語   【筆算をひろめた男 幕末明治の算数物語】(#2402)

  丸山 健夫
  価格: ¥2,592 (税込)
  臨川書店(2015/4/8)

 本書は、「江戸時代の大坂にあって、緒方洪庵と並び称される大学者」だった幕末から明治初めの数学者・福田理軒について、「幕末から明治の激動の時代に生きたひとりの学者であり教育者、そして経営者であった男の人生を通して、日本の社会の環境変化を追った」ものです。
 第1章「ペリーがやってきた!」では、福田理軒が出版した「測量集成」について、「どうしたら黒船をやっつけられるか?」をテーマとして、「黒船の来航で関心が高まった海の防衛、そのために、なくてはならない測量技術。そのテクニックを、黒船をテーマに論じてしまおうというわけだ」と述べ、「黒船ブームに乗った、実にうまい『教育本』である」としています。
 第2章「和算と大坂の街」では、「麻田剛立の直径の弟子に学んだ福田理軒と金塘の兄弟は、まさに浅田流の後継者の位置にいたことになる」とした上で、理軒が奉納した算額に師匠の武田眞元が「邪術である」と異議を申し立てたことで、「この争論は、福田派と武田派の深刻な対立にまで発展」し、世の人々からは「二田」の争論と呼ばれ、最終的には天文暦法の総元締である土御門家が小出兼政に判定を委ねられ、「理軒の問題は正当」との判定が下りたことで、「それまで大坂のトップクラスだった武田派に代わって、福田派が勢力を拡大した」と述べています。
 第3章「和算に挑戦してみよう」では、明の時代に「商人や庶民のための数学が盛ん」になり、その計算道具としてそろばんが普及したことから、「算木は支配者階級のための計算道具であり、そろばんは商人や一般庶民のための計算道具というイメージができあがった」と述べています。
 第4章「数学で攘夷だ!」では、福田理軒が、「測量集成」のなかで、「当時の測量機器を幾つか登場させている。『こんなもので距離が測れるの?』と思うような簡単な道具から、三角関数を使う本格的なものまである」と述べています。
 第5章「日本初の西洋数学書」では、安静4年(1857)に2冊出版された日本で初めての西洋数学書として、
(1)オランダ人から教えてもらった西洋数学をまとめた柳川春三の「洋算用法」
(2)中国に伝わった西洋数学をもとにした福田理研の「西算速知」
の2冊について、「中心は『筆算』である」として、「そろばんを使わず計算できる『筆算』が、西洋数学の象徴的存在だったのである」と述べています。
 そして、中国に西洋数学が伝わった時期について、
(1)モンゴル帝国が築かれた時期に、帝国が西へ拡大するとともに、アラビアの数字に触れる機会ができた。
(2)イエズス会の布教の時期に、「ユークリッド言論」の6巻までが伝えられた。
(3)イギリスとのアヘン戦争終結後、宣教師たちが西洋の科学書を中国人と協力して翻訳した。
の3つに大別しています。
 第6章「ふたりの友人」では、「測量集成」と「西算速知」の出版によって高名となった福田理研が、「幕末の有名人たちとも接点ができるように」なったとして、長崎海軍伝習所出身の佐藤政養と蕃書調所の教官だった神田孝平を紹介しています。
 第7章「静岡の二つの学校」では、「徳川家は、つぎの世は再び徳川の世にという意欲に燃え、まずは人材育成と、駿府に2つの学校を作った」として、「当時の日本で最高レベルの進歩的な学校」であった静岡学問所と、設立当初は「徳川兵学校」と名付けられた沼津兵学校を取り上げています。
 第8章「理軒の新しい学校」では、明治4年に福田理研が東京に創設した塾・順天求合社について、「和算洋算の区別なく、宇宙の普遍の真理である数学の研究と教育を行い、新しい文明を一緒に想像しよう!」という理念で設立され、全国各地に塾を作り、同じカリキュラムで同じ教科書を使う「筆算宇宙塾」の全国展開が、「理軒の夢だったように思える」と述べています。
 しかし、明治5年の学制発布によって、理軒の算術のマーケットは「完全に消滅してしまった」と述べています。
 第9章「文明開化と洋算ブーム」では、「学制の発布により、その存在自体が危ぶまれたのは、実は理軒の学校だけではなかった。徳川家が静岡に作った2つの先進的学校も同じ運命だったのである」として、「国家の教育は中央政府が決めるもので、地方や個人が勝手にカリキュラムを組んで教育を行うことは許されなかったわけだ」と述べています。
 第10章「和算の行く末」では、理軒が15年ぶりに大坂の町に帰ってきた明治18年ころ、ちょうど「和算が日本から消滅したとされる」と述べています。
 そして、「和算と洋算の本質はかわらない」と理軒が断言したとおり、和算の教科書は、「たとえ時代が変わっても、再版されたり流用されたりするほど、きらりと輝く本質があったに違いない」と述べるとともに、「実は理軒の精神は、生き続けている」として、「順天求合社は、私立順天中学校・高等学校となり、今でも東京都北区に現存する」としています。
 本書は、幕末・明治期の激動に翻弄された和算と数学者を追った一冊です。


■ 個人的な視点から

 子供の頃、そろばん教室に通っていた友達が羨ましかったですが、「筆算」が日本でこれほど歴史が浅いものだとは思いませんでした。やはりこれからは筆算の時代です。


■ どんな人にオススメ?

・筆算が苦手だった人。


2015年5月 2日 (土)

確率の出現

■ 書籍情報

確率の出現   【確率の出現】(#2386)

  イアン・ハッキング (著), 広田 すみれ, 森元 良太 (翻訳)
  価格: ¥4,104 (税込)
  慶應義塾大学出版会(2013/12/21)

 本書は、「確率概念がどのようにして現在のような近代的な意味で使用されるようになったのかという問題」について、「近代的な意味で確率が使われるようになったのは1660年頃」であり、「なぜ確率は出現したのだろうか。そして、当時の出来事は現在の確率の理解にどんな影響を及ぼしているのだろうか」について、「確率が出現する前後に起こった出来事を丁寧に分析し、こうした問題に答えを与える」ものです。
 第1章「欠落していた考え」では、「おそらく、加法と乗法が容易にできる記号体系が、確率という高等な概念の必要条件なのだろう」という見解を支持すると思われる状況証拠として、
(1)確率数学が現在の数字体系と同じく、アラビア起源であることはほぼ間違いない。
(2)ヨーロッパでは、15世紀にサイコロ投げについての知がわずかに見られるが、依然として、これが賭博師以外の興味を引くものに適用される気配はかけらもなかった。
の2点を挙げています。
 そして、「確率が出現する前提条件は、確率ではないが、突然変異のようなものを通じて確率へと変化した何かに存在するだろう。この確率でないものの特徴が、現代の人びとが抱いている概念の特性を決定したのである」として、「パスカルの時期に出現した確率は本質的に二元論的である」ことがこの章の説明ではまったく無視されていると述べています。
 第2章「二元性」では、「通説によると、確率の研究が始まったのは、パスカルが二つの問題を解き、フェルマーに書簡をしたためた1654年とされる」が、「厳密にいえば、この説は誤っている。というのも、その二つの問題ははるか昔から知られており、それらを解決する主要な手がかり――算術三角形――はパスカルが学校で学ぶことができたもので、この1世紀前にはすでに講義で教えられていたからである」と述べた上で、「1660年前後の10年間が確率の誕生期である」として、「1660年前後に多くの人たちが独立に確立の基礎となる考えを思いついた。これらの出来事が一つにまとまるには時間を要したが、すべては同時期に起こったのである」と述べ、「注目すべきなのは、突如出現した確率にヤヌス的な二面性があるという点である」として、
(1)確率は統計的であり、偶然的な過程についてのストカスティックな法則に関連している。
(2)確率は認識論的であり、統計的な背景がまったくない命題についての合理的な信念の度合いを評価するために用いられている。
の2点を挙げています。
 第3章「臆見」では、「『プロバブル』という言葉にはこのように是認という意味が含まれているので、次のように予測するのは理に適っている。それは、古典作品の中で、ある命題を修飾するのに『プロバブル』という言葉が用いられているなら、その作者がいっているのは、その命題が真理を表しているか、あるいは他のどんな仮説よりも証拠に支えられているので『是認する価値』がある、ということである」と述べています。
 そして、「しるしとプロバビリティーのつながりは、アリストテレス的である。『しるし』はしかし、ルネサンス期に独自の使われ方をされており、それは現代の人びとにな奇妙で異質なものである。だが確率(プロバビリティー)の出現を把握しようとするなら、理解しなければならない使われ方である。昔のプロバビリティーは、これまで見てきたように、臆見の属性である。臆見が権威によって是認される場合や、大昔の書物によって証言され、また支持される場合には、その臆見は蓋然的(プロバブル)である。しかしフラカストロや他のルネサンス期の著作を読むと、起こりやすさ(プロバビリティー)を備えたしるしが見受けられる」と述べ、「自然とは、書かれた言葉であり、自然の作者(the Author og Nature)の公書である。しるしは、この究極の権威によってもたらされるので、プロバビリティーを備えている。私が確率(プロバビリティー)の出現と呼ぶ突然変異の原料が作られるのは、しるしというこの概念からである」と述べています。
 第5章「しるし」では、「経験によってしるしを捉えるということは、人びとが通常考える場合に、人々の間に知恵に関して違いがあるということであり、その違いによって人々は一般的にある人物の全体の能力や知的能力を理解する。しかしこれは誤りである。というのも、しるしは推測的にすぎないからである。そして、しるしがよく外れるか、あるいはめったに外れないかに応じて、その確かさ(assurance)は高低する。しかし、完全(full)で、かつ明証的に(evident)なることはけっしてない」と述べています。
 第6章「最初の計算」では、「カルダーノやチャンスについての他の研究者がサイコロに対して『傾向性』という態度をとっているとみなすこと、すなわちサイコロには6面がそれぞれ出る傾向があると理解しているということは、受け入れられるかもしれない。しかし、この『傾向』という概念を、現代哲学で最近地位を獲得した概念と同一視するのは極めて不適当である。傾向性は、最近の思想家たちによってランダムな現象を20世紀の因果性の概念の内部に位置づけるために導入されたものである」と指摘しています。
 第7章「ロアネーズ・サークル」では、「パスカルは、確率論の最初の重要人物として適切に記憶されている。だが私が思うに、これには一部誤った理由によるところがある。フェルマーとの書簡はそれ自体重要であり、それによりホイヘンスはその主題に取り組むようになった。しかし、確率という新しい概念を正しく認識する上で、パスカルが行った、まったく異なるもののより一般的な重要性をもった貢献が存在するそれは、確率の歴史家には一度もまともに取り上げられたことがなく、主に護教論者の領分のものであった。だがそれが意思決定理論と現在呼ばれているものに対する最初の貢献であり、そして次に示すように、極めて周到なものである」と述べています。
 第10章「確率と法」では、「ライプニッツは確率数学には寄与しなかったが、確率数学に関する彼の概念化は永続的な影響を与えた。同時代の人々の大半は、ランダムな現象、すなわち賭け事や死亡率から始め、そして想像力を多少飛躍させて、チャンスの理論は不確実な状況下での推論という別事例に移行できると推量した。一方ライプニッツは、素敵な確率を本来認識に関係する概念とみなした。確率の度合いとは確実性の度合いである。よって彼は、チャンスの理論は賭け事の装置の物理的特性に関するののではなく、その装置についての人間の知識に関するものだと考える」と述べています。
 第13章「年金」では、「インフレの影響を無視すれば、年金の公正な保険料率は次の2つの要因によって決まる」として、
(1)年金を購入する当該の人口集団の死亡曲線
(2)長期貸付の現行金利
の2点を挙げた上で、「人々にまともに取り上げられた最初の統計は、おそらく1780年のノーサンプトンの表で、リチャード・プライスによって考案されたものである」と述べています。
 そして、「グラントは、一様の死亡率という単純な過程に基づいて死亡表を発明した。ペティはよりよいものにしようとした。デ・ウィットは、壮年期の死亡率は一様であるが、54歳以降の死亡率は増加すると思っていた。ヒュッデは年金計算についての一様の死亡率を用いるべきだと強く主張した。ライプニッツは一様性を一度は批判したが、後にそれを認めた。〔だが、〕ハレーの表は一様性に反することを示している。そして、ド・モアブルは、役に立つことにハレーの曲線が平らにできることを示している。これらはすべて、確率を概念化するのにかなり重要である」と述べています。
 第15章「帰納論理」では、「ライプニッツは確率という知(science)が『新しい種類の論理』になるだろうと考えた」として、「〔ライプニッツが発案した〕プログラムの諸原理は以下のように簡潔に提示できる」と述べ、
(1)非演繹的証拠とでもいうようなものが存在する。
(2)「~を信じるよい理由がある」というのは命題間の関係である。
(3)この関係は、適切に形式化された言語上の文と文の間の関係から特徴づけられる必要がある。
(4)理由にはよいものから悪いものまで順序があり、実際のところ、rがpの理由であることの度合いの測度が存在する。
(5)この測度は自律的で、いかなる人の臆見からも独立である。
(6)この測度は大局的であり、それは組になった命題(r,p)であればどんなものにも適用され、単に命題の特定のクラスに適用されるのではない。
の6点を挙げています。
 そして、「『新しい種類の論理』には十分明白な始まりがある。帰納論理の一つの特徴――これはジェフリーズらが強烈に主張した――は、機能的な確率は証拠に相対的だということである」と述べています。
 また、「ライプニッツの新しい種類の論理」が、「3つのまったく異なる要素からなる複合体」だとして、
(1)チャンスの学説
(2)可能性の理論
(3)観念についての理論
の3点を挙げています。
 第19章「帰納」では、「帰納についての懐疑の問題が、臆見における変化を必要とする理由は明らか」だとして、「その変化がなければ、懐疑の対象となる内的証拠の概念が存在しない」上、「ヒュームが懐疑を始められるのは因果が知識から奪い取られたときに限ることの理由も明らかなはずである」と述べています。
 本書は、「確率」が誕生する前後のヨーロッパの様子を伝えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 世間には確率について考えることが苦手な人も多いようなのですが、その歴史を振り返ると無理も無いことなのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・当たり前に使っている「確率」がどのように生まれたのかを知りたい人。


2015年4月22日 (水)

数学記号の誕生

■ 書籍情報

数学記号の誕生   【数学記号の誕生】(#2376)

  ジョセフ メイザー (著), 松浦 俊輔 (翻訳)
  価格: ¥2,700 (税込)
  河出書房新社(2014/9/17)

 本書は、「古代から近代までの(さらには現代の認知科学にまでいたる)道筋を、数字、記号、認知という3本の筋にまとめ、詳述した」ものです。
 序論では、「12世紀以前には、記号は記号レベルでの演算操作には記号といえるレベルでは使われていなかった――つまり、方程式で純然たる記号操作をするためのものではなかった」だけではなく、「ほとんどの数学の表現は、16世紀になる前は言葉によっていた」と述べ、「本書は今の数学で確立している記号の起源と進化をたどるもので、数を数えるところから始まって、現代数学の主要な演算子までたどる」としています。
 第1章「奇妙な始まり」では、「書く必要が生じたのは、記憶を記録する必要によるのであり、物語ではないのは意外なことではない。最古の文書は、会計、名前、レシピ、旅日記だ」と述べています。
 第2章「古代の数の体系」では、「南メソポタミアの大規模でかつ成長する中心都市は、未曾有の広い社会経済的連結で維持され、史上初めて、交易と労働を管理、組織、勘定する管理職を必要とした。つまり、そこでは記録を取らなければならなかったのだ。勘定の記録が始まったのはそういうところで、粘土に書かれた勘定は、勘定された対象――土地、人、家畜――を表す絵文字と記号が集まったものだった」と述べています。
 そして、「古代のアルファベットはそれぞれの独自性を持った具体的な言語要素の集合だっただけでなく、複数の意味を担える部品でもあった」と述べています。
 第3章「絹の道と王の道」では、「中国数学史の多くの部分が、長年のあいだに、多くは専制君主が命じた焚書によって失われ、破壊された結果、西洋人は数学の起源は西洋が優勢という神話を信じる傾向がある」が、「前漢時代(紀元前206~起源後9)が始まる頃には、中国の数字は、今日使われている漢字とよく似た十進方式として確立していた」と述べています。
 そして、「西洋起源の始まるはるか前から、中国人は、獣骨や竹で作った『ひとつ』から『ここのつ』までの数を表す算木を、十進法位取り表記法であたりまえに使っていた」と述べています。
 第4章「インドからの贈物」では、「すべての数を十手の記号によって、それぞれの記号にその記号の絶対値とともに桁ごとの値を与えて表すという巧みな方法を与えてくれたのはインドである。要領を得た重要なアイデアだが、今ではあまりに易しくなっているので、その本当の価値が見落とされている。しかし非常に単純で、すべての計算を大いに易しくしてくれたおかげで、我々の算術を役に立つ発明の筆頭に置いた」と述べています。
 そして、「10世紀から12世紀のあいだに、算盤は、十のべき乗の位を表す縦棒がついた1枚の羊皮紙か溝のついた計算盤として、西欧で実用的な算数を勉強する主要な方法となった。ジュルベールの産盤による処理は『アルゴリズム』と呼ばれ、羊皮紙と羽ペンを使って模倣されていた」と述べています。
 第5章「ヨーロッパへの到来」では、「意外なことに、私たちが今使っている見事な数の方式がヨーロッパにもたらされてからは、ほんの数世紀しかたっていない。それに関与した最初の人物がレオナルド・ピサーノ・ビゴッロ(1170頃~1250頃)だったかどうかについては議論があるが、この人物は当時の一流数学者の一人で、その名声はウサギの増え方という有名な問題によっており、それに伴うフィボナッチという呼び名のほうが私たちの頭には浮かびやすい」と述べ、「若いころのフィボナッチは父について地中海世界を旅して回り、エジプト、シリア、ギリシア、プロヴァンスで聖職者、学者、商人と出会い、交易で用いられる数の体系を習っていた。ピサに戻って1202年に『リベル・アバチ』(計算の書)という著作を書き、1228年にはそれを改訂した。『リベル・アバチ』は算盤を使わずに計算する方法に関するもので、西洋の商人に、アラビア数字方式で計算するほうが、当時用いられていたローマ方式よりも優れていることを納得させるために書かれた」と述べています。
 そして、「長いあいだ、フィボナッチの『リベル・アバチ』は計算法の包括的な典拠としては唯一知られた本だったので、ヒンドゥー=アラビア数字を西洋にもたらしたのはこの本であるかのように見えることもあるかもしれない」とした上で、「フィボナッチの本は、ヨーロッパ社会のある部分にはアラビア数字をもたらしたらしいが、イタリアを旅行したりそこで商売をしていた人々は、すでにこの数字を知っていた可能性も高い。また、『リベル・アバチ』よりも半世紀も前に、アラビア数字について書かれた本が他にあったのも確かだ」と述べています。
 第8章「アラビアからの贈物」では、「当時、アラビア人は独自の数の方式を持っていなかった。アラビア語もギリシア語も話されていたアラブ世界の地理的領域で使われていたのは、ギリシアのアルファベット順方式か、ギリシア方式を元にしてほとんどアラビア語の数を表す言葉を書いて使う方式だけだった。新しい数字はインド数字と呼ばれることもあれば、アラビア数字と呼ばれることもあった」と述べています。
 第7章「『リベル・アバチ』」では、「9世紀にはインド数字は新しすぎ、また変わってもいたので、修道院や学者どうしの議論から大きく広がることはなかった。なんといっても、ヨーロッパはゼロを伴う数の体型、数をどこまでも書くために使えて同時に何もないことを表す単独の記号については知らなかった」と述べ、「難しかったのは、プレースホルダーと数を区別するところだった。ゼロを何かの量が存在しないことを表す数として認めることは気が遠くなるほど大胆な考え方だったろう」と述べています。
 そして、「新しい数の知らせは、フィボナッチが『リベル・アバチ』を書くより2、3世紀前に、ヨーロッパ中に広まっていたらしい。知らせだけで、その慣習が伝わったわけではなく、したがってそれほど使われてはいない」と述べています。
 第8章「起源への反論」では、「5世紀のあるとき、インド数字がシリア経由の交易路を通ってアレクサンドリアにやってきていた可能性は高い。この数字は、ヨーロッパとの需要なつながりがあったアレクサンドリアから、西に伝わった」と述べた上で、「インド数字の知らせが広まったのは商業と交易の世界の人々によるが、それがあたりまえになる歩みは遅々として進まなかった」として、「今の方式の由来については堅実な研究が数多く出ているが、幅広い学術研究が行われてから100年たっても、その始まりと進展については、ごく概略的な推測しか得られていない」と述べています。
 第9章「記号なし」では、「数学はずっと今のようだったわけではない。その緻密さは、論理の規則によって基本的な仮定に遡れる、形式の整った有限個の命題に依拠していたわけではない。私たちの西洋数学は、バビロニアやエジプトの1000年にわたる計算から、具体的な応用での財産を受け継いでいて、その頃は数学的証明という概念は、はるかに緩く、軽いものだった。納得させることが目標で、厳密であることが目標なのではなかった。緻密さはその後300年をかけて徐々に発達し、エウクレイデスやアレクサンドラの学者が、基本的な仮定に基づく証明という思想を整備した」と述べています。
 そして、「言葉による述べ方の記号による形式は便利な短縮表記にすぎないと誤解すべきではない。確かに短縮表記だが、それだけではなく、自然言語で書かれた言葉に引きずられて曖昧になったり誤解したりせず頭がそこから超え出ていく助けになる。さらには、この記号表記によって、頭は個別の陳述を一般形に引き上げることもできる。デカルトの時代にもなると、方程式はほとんど完全に現代の文字式で書かれていた」と述べています。
 第11章「偉大なる技」では、「最近になるまで、ブラーマグプタは現代的な意味での負の数を使った最初の数学者だと想定されていた。しかし中国では、負の数は西暦の始点の頃から使われていた。それは『九章算術』に現れる。つまり中国人はインド人より400年先んじていたのだ」と述べています。
 第12章「幼い記号」では、「人間の知性を進め、世界に恩恵をもたらすには、小さなことが何度か起きる。1940年代以来の、現代のプログラム可能な計算機革命とともに育ったコンピュータ言語ツールを考えよう。それがどれほど急速に変化して現代のノートパソコンだらけのカフェをもたらしたことか。そうしたノートパソコンのアプリを、汎用のプログラム言語なしで、低水準の機械語あるいはアセンブリ言語だけによって作ることはできただろうか。きっとできるだろう。ただ、その仕事をしなければならない人々には気の毒なことで、どれだけ時間がかかるかも想像がつく。単調さと複雑さは、すでに訓練されている人数よりもたくさんの才能ある人々を必要とする」と述べた上で、「16世紀後期に発達した記号言語がなかったら、今ある現代の数学や物理学はできるだろうか」と述べ、「イタリアは時間を無駄にせず、アラブ人がその技をスペインのもたらした後、ヨーロッパに伝わった代数の種子を育てた」としています。
 そして、「人間はずっと、反復作業のための道具を作り、機械を発明してきた。反復される問のために抽象的な解法も考える。退屈な冗長さのために短縮も工夫する。そのため数学者は、何千何万と繰り返される算術の言葉を書いた後、単語の頭文字を使って単語そのものの代わりにするというアイデアに達した」と述べています。
 第16章「爆発」では、「ルネ・デカルトの『幾何学』が出版されたのは、ヴィエトが亡くなってからわずか34年後のことだった。これには表記法についての新しいアイデアがあった。アルファベットの最初の方の文字は既知の定数用とし、後ろの方(pより後)の文字は、一連の値を取れる変数あるいは未知数用とする」と述べています。
 そして、「幾何学と代数学の一体性は、大発見の一つだった。同時に、事象を支配する法則の構図をもたらし、依存する事象同士のつながりをもたらした。それは後の数学者に、二つの関係する現象において、一方の変化が他方の変化にどう作用するかの数理を描き、明らかにするのに必要な力を与えた」と述べています。
 第17章「記号のカタログ」では、「17世紀には、言葉による数学のほとんどが記号表記へ移行した。いろいろな新表記法が考えられ、使えるものもそうでないものも、実用できでないものも、全く冗談のようなものもあった。それでも進歩は続いた」と述べています。
 第18章「頭の中でのランデブー」では、「18世紀になると、数学の言語は、予備的な講習を相当に受けていないと読めないほど記号化されていた。記号の量が増えていたということではない。量が問題なのではなく、初心者が新しい内容を理解しようとするとき、新しい視覚的な言語を覚えなければならなかったということだ。そのような言語を理解するには、非常に特殊な専門知識が必要になるか、集中して作業する粘りが必要になるか、いずれかだった。言語は視覚的だが意味は隠されていた。記号は楽譜のような文で情報の塊を提供し、その内容は時間と才能がある者、あるいはそうした塊を解きほぐす忍耐力のある者のみにわかった」と述べています。
 第24章「結論」では、「数学で使われる典型的な記号は、演算、グループ化、関係、定数、変数、関数、行列、ベクトル、集合論や論理学、数論、確率論、統計学で使われる記号だ。ここの記号は数学者の創造的思考にあまり作用しないかもしれないが、まとまると、相似、連想、同一、類似、反復されるイメージを通じて強力な接続を得る。潜在意識にある思考を生み出すことさえある」と述べた上で、「数学記号の中には、経験と未知のものとを接続し、意図して類推や類似を通じて意味を伝えることができる隠喩思考を伝えるべく生み出された意図的意匠として始まるものもあれば、同じことを偶然にするものもある」と述べ、「意味することと理解することは、経験を通じて集合的無意識にある連想と類似に深く収まっているのかもしれない。美的に説得力のある記号への文化的傾向は、数学でも、詩や美術でも、私たちの美の感情による評価にはまっていくかもしれない。しかし数学の美しさ――すっきりとした証明、簡潔な提示、巧みさ、複雑なものの単純化、わかりやすい接続――は、大部分、巧妙で整った記号の、わかりやすくする能力によっているのだ」としています。
 本書は、現代に学ぶ者にとってはとっつきにくい数学記号が生まれた背景を伝えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 学生時代は数学記号なんて見るのも嫌でしたが、数学記号のなかった頃の数学のことを考えるといかに便利なものであるかがわかります。


■ どんな人にオススメ?

・数学記号が嫌いな人。


2014年12月23日 (火)

チューリングと超パズル: 解ける問題と解けない問題

■ 書籍情報

チューリングと超パズル: 解ける問題と解けない問題   【チューリングと超パズル: 解ける問題と解けない問題】(#2345)

  田中 一之
  価格: ¥2,700 (税込)
  東京大学出版会(2013/11/30)

 本書は、「半分は解けないパズルを扱い、さらには解けるか解けないかわからないパズルまで登場」するもので、「すでに知られた解の道筋をうまくなぞる技術を学ぶことではなく、問題が解けるか否かの判断を正しく行うための論理的な眼力を養うこと」を目的としたものです。
 第1章「『頭の体操』から超パズルへ」では、「電子計算機の雛形となったチューリング機械の考案と、第二次世界大戦中に暗号解読チームのリーダーとしてドイツUボートのエニグマ暗号を解読した功績」で知られるチューリングが、死の数カ月前に「解ける問題と解けない問題」という作品を発表していることについて、「どんなパズルも『置換パズル』で表せるという提唱から、『解けるか解けないか判定不能なパズルがある』という結論を導いた」と述べています。
 そして、「1つの問題にも、『ひらめき的発想』『パズル的推論』『数学的証明』のようなレベルの違う考え方がある」として、「数学的解答は、ただ厳密性を求めるだけでなく、時として常識から外れる独自のセンスを要求することがある」と述べています。
 第3章「一筆書きとグラフ・パズル」では、「グラフのすべての辺をちょうど1回ずつ通る(一筆書きができる)道順」を「オイラー路」といい、「とくに始点と終点が一致するもの」を「オイラー閉路」と呼ぶと述べています。
 そして、「オイラー閉路と一見類似していて、はるかに解きにくい」ものとして、「各点をちょうど1回だけ通って、すべての頂点を回る閉路」である「ハミルトン閉路」の有無の判定方法について解説した上で、「解を絞り込む方法は見つからなくても(見つかってもよい)、解の候補が与えられた時にはそれが正しいかどうかを簡単に(多項式的時間で)確かめられる問題」を「クラスNP」に属すると述べ、「NP問題のなかで最も難しい問題が『NP完全』と呼ばれるもので、ハミルトン閉路の問題はその1つになる」としています。
 第5章「結び目、知恵の輪、迷路」では、「『結び目(ノット)』の数学的な定義は、3次元空間内の単純閉曲線、つまり絡んだ1本のひもの両端を結んで作られるようなものだ」として、結びを解く操作については、数学的には、「ライデマイスター移動」を「くり返して得られるものを同じ結び目と考え、この操作で自明な結び目に変形できれば、結び目は解けるという」と述べています。
 第6章「算木からチューリング機械へ」では、算木計算の特徴として、
(1)計算スペースがあまり大きくならないこと。
(2)各マスの操作がそれに隣接するマスの数字だけに依存して決まること。
の2点を挙げ、「算盤上での算木操作は、チューリング機械の動作そのものである」としています。
 第7章「置換パズルと不完全性定理」では、「任意の置換パズルが解けるか否かを判定するための機械的手続き(明確なルール)が存在しない」として、「もしそのような手続きがあれば、『チューリングの提唱』によってそれ自身も1つの置換パズルで表される」が、「結論としては、このようなパズルは存在しないことが証明される」と述べています。
 本書は、パズルを数学的な見地から読み解く方法を論じた一冊です。


■ 個人的な視点から

 パズルを解くのが好きな人というのは多数いますが、パズルを一段階メタなレベルから分析するという作業も面白そうです。


■ どんな人にオススメ?

・パズルは解けるはずだと思っている人。


2012年6月28日 (木)

数の不思議

■ 書籍情報

数の不思議   【数の不思議】(#2151)

  ミランダ・ランディ (著), 桃山 まや (翻訳)
  価格: ¥1,260 (税込)
  創元社(2010/6/4)

 本書は、「魔術的な数に関する初心者向けのガイドブックとして『―なるもの』の中に含まれる数の本質と、その秘密の一端を明らかにしようと」したものです。
 第1章「モナド」では、「1を定義することなどできない」として、「1を語るということは、1を対象として見ること、つまり1から離れてしまうことになるからで、それではこの摩訶不思議な1の本質を、根本から見誤ることになってしまうのである」とした上で、「1は円であり、中心であり、そして最も純粋な音である」と述べています。
 第5章「命そのもの」では、「5は男性と女性を結びつける数である。2を男性、3を女性と考える文化もあれば、3を男性、2を女性と考える文化もあり、5は一般に再生や命を表す数とされている」と述べています。
 第6章「六角形」では、6について、「6自身を除いたすべての約数(1と2と3)の和が6となる」ことについて、「その数自身を除く約数の和が、その数自身と等しい自然数」である「完全数」に関して、「6は最小の完全数である」と述べています。
 第8章「二つの四角」では、「8は2を3回掛けたもの、すなわち1の次に小さな立方数である」と述べています。
 第11章「月と測量」では、「古代人は測量に熱心だった。その際に中心になった数が11である。月の大きさと地球の大きさの比率が3:11になるという、驚くべき発見」が示されていると述べています。
 第12章「天空と地球」では、「ある数の約数をすべて足したものが、そのある数よりも大きくなる数を過剰数と呼ぶ」とした上で、12は「最小の過剰数である」と述べています。
 第15章「グノモンズ」では、アリストテレスが、「大きさ以外には形を変えずに成長していくもの」である、ギリシア人が「グノモン成長」と呼ぶものの中に、「ある法則を見出した」と述べています。
 第23章「ゼロ」では、「ゼロを表す記号は、少なくとも3つの場所で別々に生み出された」として、
(1)バビロニア人は紀元前400年に、「空位」を表す記号として、2つの楔形を粘土に押すようになった。
(2)それからおよそ1000年後に、地球の反対側に住んでいたマヤ人達が、「空位」を表すために貝殻の形を用いるようになった。
(3)5世紀頃のインドで、「何もない」ことを意味する丸は、インド人達が数を数えるために使っていた小石を砂の上から取り除いたあとに残された丸い凹みに由来している
と述べています。
 本書は、数が本来持っている魔術的な力の片鱗を教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 数字には本来魔術的な力が宿っている、とずっと信じられていたせいで、考えてみると数字に関係ある言い伝えは結構多い気がします。


■ どんな人にオススメ?

・数字には不思議な力があると思う人。


2011年7月27日 (水)

数と正義のパラドクス 頭の痛い数学ミステリー

■ 書籍情報

数と正義のパラドクス 頭の痛い数学ミステリー   【数と正義のパラドクス 頭の痛い数学ミステリー】(#2048)

  ジョージ・G・スピロ (著), 寺嶋英志 (翻訳)
  価格: ¥2520 (税込)
  青土社(2011/1/21)

 本書は、「人々の意志を実行に移すための私たちの民主主義的な制度とその手段が決して確実なものではないということは読者の多くにとって意外な事実であろう。しかも、それらは予想外の結果をもたらすかもしれない」とする、「私たちの最も大切にしてきた民主主義の方法に固有の問題と危険についての解明と歴史的説明」です。
 第3章「神秘主義者」では、「現在知られている限り、単純多数決以外の選挙法についての最初の言及は13世紀にスペインの神学者で哲学者のラモン・ルルによってなされたものである」とした上で、「一連の総当り的なあるいは部分的な二者比較というルルの方法は、3人以上の候補者間の選択を念頭においたものであった。ゆえに彼の2つの提案は、古来使われてきた単純多数決原理もしくは3分の2多数決原理に対する大きな進歩であった。しかしそれらにはそれらなりの欠点があった」と述べています。
 第5章「士官」では、枢機卿クサヌスや海軍士官ボルダによって提案された、「選挙人たちの順位表に従って点数(価値単位)を与えることによって候補者の中から選ぶ」方法について、「今日、ボルダ方式(ボルダ式得点法)として知られている」と述べています。
 第6章「侯爵」では、ボルダの投票方式に対する挑戦者として現れたコンドルセ侯爵について、「彼の名前は今日までずっと大きな社会的パズルの一つに結びついている」として、「コンドルセ・パラドクス」を取り上げています。
 そして、「コンドルセの『二人ずつの対決』方式では、下位の候補者は決して選ばれることはないが、勝者にその保証はなかった。ボルダの『順位に対する価値点』方式は、選挙人たちの真の選好(優先順位)を考慮に入れるが、最終的な勝者が誰のお気に入りでもなかったことが判明する(本命が選ばれない)可能性が非常に高かった」と述べています。
 第8章「オックスフォードのドン」では、ルイス・キャロルの偽名で知られるチャールズ・ラトウィッジ・ドッジソンについて、「多作の作家、写真術の草分け、そして熟達した数学者であった彼は、また投票と選挙についてのいくつかの重要な論文の著者としても知られている」と述べています。
 第11章「悲観主義者たち」では、ケネス・アローが意思決定者たちに押し付ける必要条件として、
(1)彼らがいつも選択することができること
(2)これらの選択が循環をもたらしてはならないということ
の2点を挙げた上で、よい集計(集約)機構に要求する条件として、
(1)非制限的領域:集計される個人の効用関数にいかなる制限もあってはならない。
(2)単調性の条件:たとえひとりの個人がひとつの選択肢の順位を上げても、他の皆がそれを一定のままに保つならば、社会全体としてはこの選択肢の順位を下げることによって反応を示すことができない。
(3)社会向性関数は外来因子によって影響されてはならない。
(4)市民たちの主権:選択が選挙人(有権者)に強制されてはならない。
(5)「社会向性関数は独裁的であってはならない」
の5点を挙げ、アローが、「3つ以上の選択肢があるときはいつでも、社会厚生関数を案出することは不可能である」ことに厳密な数学的証明を与えていると述べています。
 そして、「アローの到達した結論は極めて厄介である」として、「首尾一貫した社会的選択の方法を生み出す民主的憲法というものは存在せず、独裁制だけがほんの一握りの無害に聞こえる条件を満たすことができる。私たとはにっちもさっちも行かなくなっている」と述べています。
 本書は、民主主義の根幹を支える選挙制度が持つ限界を示した一冊です。


■ 個人的な視点から

 タイトルから見てアローの話だとは分かっていたのですが、実は選挙や投票をめぐる様々な分野の人達の評伝として楽しめました。


■ どんな人にオススメ?

・多数決は正義だと思う人。


2010年3月31日 (水)

物理と数学の不思議な関係―遠くて近い二つの「科学」

■ 書籍情報

物理と数学の不思議な関係―遠くて近い二つの「科学」   【物理と数学の不思議な関係―遠くて近い二つの「科学」】(#1896)

  マルコム・E. ラインズ (著), 青木 薫 (翻訳)
  価格: ¥1050 (税込)
  早川書房(2004/12)

 本書は、「物理学に多大な貢献を果たした数学の巨人たちの業績をたどりながら、『物理と数学の不思議な関係』を解き明かしているものです。
 第1章「数学――宇宙の姿を映す鏡」では、ハーバード大学の数学教授トム・レーラーが、「剽窃せよ、剽窃せよ、誰の仕事も見逃すな」と書いていることを紹介した上で、「二十世紀の物理学に起こった大躍進のほとんどは、理論を作るのに打ってつけの数学、それなしには理論にできないほどの数学が、古い文献の中に見つかったおかげで達成されている」と述べています。
 そして、「物理学者が周りの世界を理解するとき、形式的で抽象的な数学が役立つことは疑う余地がない」として、「数学を物理学に応用するということは、数学で調べられたパターンを使って、そのパターンに合う自然現象を『説明』することにほかならない」と述べています。
 第3章「時空を支配する幾何学の正体」では、リーマンがやり遂げたことは、「非ユークリッド的な幾何学を定義できるような数学的形式を発展させた」ことだとした上で、「われわれの宇宙は四次元時空の中に存在」しており、「その四次元時空はリーマン多様体で表せる」と述べ、はっきりしていることは、「銀河系内の時空がユークリッド的でないこと、そして用いるべき幾何学は(高い精度が求められるときには)ゲオルク・ベルンハルト・リーマンの創り出した非ユークリッド幾何学だ」としています。
 第4章「実用主義の絶大な威力」では、「フーリエの定理には厳密さが欠けていたので、、19世紀の末になるまで、純粋数学の立場から数え切れないほどの攻撃を加えられた」が、「それだけの攻撃を持ってしても、応用数学者と物理学者がこれを使うのを止めさせられなかった」と述べた上で、フーリエ変換は、「結晶中での電子の運動」という「いっそう重要で難しい問題において決定的な役割を果たすことになった」と述べています。
 第7章「方程式は単純、解は複雑」では、「物理学上の考え方と数学とが結びつくようになったのは、運動していない系を扱う静力学の分野からだった」が、「運動をどう記述するかという問題は、いつの時代も学者たちを引きつける魅力的なテーマではあった」と述べています。
 そして、「ニュートンは自分の重力理論から、自然現象に関する膨大な知識を引き出すことができた」として、「そんな成果の一つとして、すでに得られていた様々な運動の『法則』を、理論的に説明したことが挙げられる」と述べています。
 第9章「絶対役に立ちそうもない理論の効用」では、「ガロアが創始して名付け、コーシーが磨きをかけた群の概念は、数学者たちをその研究に駆り立てた。そして19世紀の後半には、それまでにない新しい代数学が生まれることになった」として、クラインが「その人生の大半を、群論を発展させ、広め、応用することに費やした」と述べています。
 そして、「素粒子物理学への群論の応用ということで言えば、一番見込みがありそうなのは、自然界の四つの基本力を統一しようという試みから生まれた『ゲージ理論』」だとしています。
 第9章「ミクロとマクロをつなぐ架け橋」では、「実験データを解釈するための道具という点では、統計解析楽の方法は19世紀が進むにつれ次第に受け入れられていった」が、「概念的な面で豊かな進展がもたらされた」のは、1860年代に入ってからであり、「そのこと、物性に対する微視的記述と巨視的記述のあいだには、大きなギャップが口を開けていた」と述べています。
 第10章「イボイノシシの赤ん坊は二重らせんの夢を見るか」では、「角度や大きさはもちろん、辺がまっすぐかどうかさえ問題にしないで、三角形と四角形とを区別する方法があるのは明らかである」として、「われわれが『位相幾何学(トポロジー)』に出会うのは、こうした深いレベルで幾何学的対象を区別しようとするときだ」と述べています。
 また、「今日、トポロジーは高度に発達を遂げて、数学の中でも大きな広がりを持つ基本的な分野となった」が、「その一方で、トロポジーはどんどんわかりにくくなってしまった」と述べています。
 第11章「幾何学は自然を模倣できるか」では、「幾何学を大きく前進させることになった出来事の一つは、幾何学と代数学との密接なつながりが発見されたことである」とのべています。
 そして、フラクタルが、「『パーコレーション(浸透現象)』と呼ばれる物理学の分野で中心的な役割を演じている」とした上で、「いまやフラクタルは固体物理学の基本的な要素になっている」と述べています。
 第12章「一点における速度の深遠な意味」では、ニュートンの方程式が、「力と運動に関する問題に次々と応用され」、「ニュートン力学」または「古典力学」という広大なジャンルが生まれたが、その一方で、「微積分の土台のところにはまだ問題が残されていた。無限小の意味がよくわかっていなかったのだ」と述べています。
 本書は、数学と物理学の関係を初学者にもわかりやすく解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書を読むと、数学者から見た物理学者が不憫に見えてしまいますが、実用性とかそういうのはお構いなしで抽象的な世界で遊ぶ数学者ってやっぱりちょっと近づきがたいものがあります。


■ どんな人にオススメ?

・物理学がなぜ数学を使うのかを知りたい人。

2010年3月 3日 (水)

数学最前線をになう挑戦者たち―難問の解決、ゲーム理論の展開

■ 書籍情報

数学最前線をになう挑戦者たち―難問の解決、ゲーム理論の展開   【数学最前線をになう挑戦者たち―難問の解決、ゲーム理論の展開】(#1868)

  マイケル・J. ブラッドリー (著), 松浦 俊輔 (翻訳)
  価格: ¥1,995 (税込)
  青土社(2009/05)

 本書は、20世紀後半の10人の数学者を取り上げ、「数学界がますます多様になり、またアメリカが数学研究の先頭に立つ中心地として台頭する時代の、国際的な数学の世界の断面を見せる」としているものです。
 第1章「ジュリアン・ロビンソン」では、彼女が、「経歴のホトンドを大学の常勤職なしで過ごしながら、数理論理学と数論で重要な発見をした。環や体での決定問題について証明された定理は、数理論理学に新たな聖歌をもたらした」とした上で、生前、「女性で始めて何々賞をもらったとか、何とかかんとかの職に選ばれた最初の女性とかのことより、私が問いた問題や証明した定理を覚えておいて欲しい」と求めたと述べています。
 第2章「J・アーネスト・ウィルキンス・ジュニア」では、ウィルキンスが、「傑出した経歴の全体にわたって、3つの分野――科学、工学、数学――での成果に対して、いろいろな栄誉や表彰を受け」、「数学者、科学者、工学者として、大学、政府、民間企業に努めて60年間仕事をする間に、百本以上の技術報告書や研究論文を、科学、工学、数学の専門誌に出した」と述べています。
 第3章「ジョン・ナッシュ」では、ナッシュが、「1948年から51年までの3年間には、博士論文を含めた4本の論文を書き、ゲーム理論という競争と協調を研究する数学の部門を変えた」として、「戦略の均衡というアイデアは、今ではナッシュ均衡と呼ばれ、ゲーム理論でもっとも広く使われる解法の考え方となっている」と述べ、「最初のゲーム理論の論文で発表された成果は、ナッシュの博士論文『非協調ゲーム』の中心的なアイデアとなった」としています。
 そして、「ナッシュのゲーム理論に関する博士論文と4本の公刊論文は、数学、経済学、政治学、生物学の展開に影響を及ぼした。ナッシュの考えは、ゲーム理論の研究者に、強調のゲーム理論と非協調のゲーム理論を別個に、しかも非協調モデルの統一的な傘の下で展開することを促した」とのべています。
 一方で、「1950年代の末から80年代まで、ナッシュの生活と有望な研究者人生は、ときおり数学的洞察を得る時期があったものの、長い精神病との闘いに陥った」として、1970年代と80年代、ナッシュは、「夜間、プリンストン大学のファイン・ホールと呼ばれる数学科棟を歩きまわり、黒板に暗号文を書きつける孤独な人物」を意味する「ファイン・ホールの幽霊」と呼ばれるようになったと述べています。
 第4章「ジョン・H・コンウェイ」では、コンウェイがライフゲームを生み出したことで、「広い範囲の人々がセル・オートマトンの数学的分析を知るようになった」と述べた上で、「コンウェイのゲームの数学的分析に対する関心は、超現実数と呼ばれる新たな部類の数を考えることにつながった」と述べています。
 第5章「スティーヴン・ホーキング」では、ホーキングが、「ビッグバン理論が一般相対性理論の原理と矛盾しないことを示すためのトポロジーや幾何学の道具の開発に貢献した」とした上で、1963年に筋萎縮性側索硬化症(ルー・ゲーリック病)と診断された後も、研究を続け、「1980年代半ばから現在まで、ホーキングは相当の時間をかけて、数学や科学の学説を専門家でない人々にもわかりやすくする本を書いている」と述べています。
 第7章「ファン・チュン」では、チュンが、「数学者として、企業や大学で、グラフと通信ネットワークの数理的分析に貢献した」として、チュンが、「グラフ理論と組合せ数学の手法を使って、電子通信ネットワークに出てくる一定の問題を調べ、解決した」と述べています。
 第8章「アンドリュー・ワイルズ」では、ワイルズが、「7年間1人で研究し、フェルマーの最終定理を、それと関係するモジュラー楕円曲線についての予想を解決することによって証明した」として、その成果の意義には、「3世紀以上も未解決だった一つの定理を証明できただけのことにとどまらない広がりがあった。その証明は、1960年代にカナダの数学者ロバート・ラングランズが始めた、一見すると関連のなさそうな数学の部門の間に、それを一つにまとめるつながりを確立しようというラングランズ・プログラムを一分実現したことになった」と述べています。
 本書は、20世紀後半以降の現代の数学を確立した数学者達を紹介してくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 完全に著者買いというか訳者買いです。この人が数学者の本を青土社から出すというのであれば読まないはずはないという感じでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・現代の数学者(一番若いのは1982年生まれ)を知りたい人。

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