読書

2015年7月 3日 (金)

「本」と生きる

■ 書籍情報

「本」と生きる   【「本」と生きる】(#2448)

  肥田 美代子
  価格: ¥842 (税込)
  ポプラ社(2014/12/1)

 本書は、「地域社会の教育力の衰えや核家族化、情報のデジタル化や高度な技術の進展など、日本社会の変化」の影響で、「日本語の基盤が、いま、揺らいでいるように思われ」る現状を分析し、「読み語りや朗読が日本人の子育ての中心にあったこと、そしてそれが、私たちが言葉を獲得する上で、どれほど大事なことであったか」を主張するものです。
 第1章「変わりゆく読書風景」では、「電子書籍の出現により読書を取り巻く環境がどう変化したか」について、携帯電話やスマートフォン、パソコンが「日常の対話や仕事においてもはや欠かせない道具」になったとして、「こういった習慣は、人間が長い年月をかけて完成させてきた書き言葉や表現力の劣化につながっている、というのもまた一つの真実でしょう」と指摘しています。
 また、デジタル教科書について、「基礎的な日本語能力がまだ身についていない小学生にとって、最も大切な授業は、『日本語の読み書き』」であり、「その土台が固まる前に、液晶画面に表示される文字や動画、さらには再現のないネットの情報にふれさせるのは、果たして子どもたちにとって本当に有意義なことなのでしょうか」と、デジタル教科書がインターネット接続できることの危険性を指摘しています。
 第2章「教育現場のデジタル化はなにをもたらすか」では、文部科学省の実証実験の結果として、「ICT(情報通信技術)を活用した需要については、児童・生徒、教師の8割が肯定した」とする一方で、ICT活用の留意点として、
(1)観察や実験といった体験学習の場はやはり必要だということ。
(2)対面コミュニケーション活動を重視しなくてはならないということ。
の2点を挙げています。
 そして、デジタル教科書が、「生身の人間同士の対話を希薄なものにし、人間関係のあり方を大きく変える可能性」を持っていると指摘しています。
 さらに、過去にも、「テレビ教育やパソコン教育など、新しいメディアが登場するたびに、『これこそ教育改革の起爆剤になる』と興奮する人たちがいた」が、「いまどき、テレビが教育を変えるなんて主張する人」はおらず、1980年代にも、「一部の教育学者たちは『パソコンが教室の風景を一新するんだ!』と有頂天に」なっていたと、「それ見たことか」とばかりに論っています。
 第3章「あの時読んでおいてよかったと思える本があるか」では、ショウペンハウエルが、「読書は、他人にものを考えてもらうことである」や「読書にいそしむ限り、実は我々の頭は他人の思想の運動場にすぎない」と、「辛辣な言葉で読書を位置づけて」いることについて、彼は、「読む本をよく選び、よく理解し、熟慮せよと述べている」としています。
 第4章「子どもと親にとっての読書の価値」では、「大切なことは、両親や周囲の大人たちが、子どもと愛情を持って、積極的にコミュニケーションを取ろうとする気持ち」だとして、「親自身が読み語りを楽しみ、それを子どもに伝えようとしているかどうか」だと述べています。
 第5章「『平成』の日本はなにを失ったのか」では、1989年の晩秋に、国連で「子どもの権利条約」が採択されたことに関して、外務省は、「いままでの条約や法律では『児童』という用語が使われている」と主張していることについて、「彼らは、条約のもつ現代的な異議を理解していない」ように思われたと述べ、「国連は、子どもを主役の座に置くことで新しい子ども像を描き」、「子どもたちが個性と人格を備えた存在として認知され、大人とともに時代や文化を支え、幸福を分かちあう権利主体であることが、人類史上、はじめて世界共通の認識として確認された」ことが、「国連の哲学」だと述べています。
 第6章「学校図書館がよみがえる日」では、学校図書館法が、「当分の間、司書教諭を置かないことができる」としている規程について、「成立から約40年もの間、この『当分』が続いてきたのが学校図書館の現実だった」と指摘しています。
 そして、「法律は、それを使って自分たちの幸福度を高めようとする市井の人々がいなければ、神棚にしまわれたままで日の目を見ることのないもの」だと述べています。
 第7章「読書は日本の希望になるか」では、「わたしたちには先人たちの残した文化を次世代に引き継いでいく責任があります。すべての社会活動の基盤である日本語は、文化遺産の中で最もかけがえのないものであり、若い世代の本離れは、その日本語を衰弱させる要因となりましょう」と指摘しています。
 そして、2001年12月に議員立法によって成立した「子どもの読書活動の推進に関する法律」の真髄が、「子どもの読書活動に必要な基盤をつくること」にあり、「その大舞台は学校図書館」にあるとして、「そこは、子どもたちが知識を手に入れ、世界の偉人や賢人とめぐり合い、宇宙とつながることができるすばらしい知の世界」だと述べています。
 また、「2000年の『子ども読書年に関する決議』の採択と、01年の『子どもの読書活動推進法』の制定により、政界、行政、教育現場の意識は確実に変わりつつ」あり、「読書のことを『勉強の邪魔』とか、学校図書館のことを『無用の長物』とか考えていた人々に一考をうながし、その大切さについて見直しを迫ることになった」と述べています。
 さらに、「子どもが読書に向かうかどうかは、親に読書週間があるかということと深く関わって」おり、「本を読む親の姿を子どもに見せることが、子どもを読書好きにする方法のひとつ」だと述べています。
 本書は、当たり前と思っている人にとってはそうでない人の考えが不思議でならない、本と生きていくことの大切さを語った一冊です。


■ 個人的な視点から

 やはり国会議員まで務められている方は言葉に重みがあるというか、力があるというか、攻撃的というか、古いことを引っ張り出してきて今になってあげつらう姿には、その人が生きてきた人生の重みというか、人となりというか、品格みたいなものがにじみ出てきてしまうのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・人生には本が欠かせない人


2015年5月15日 (金)

読む力が未来をひらく――小学生への読書支援

■ 書籍情報

読む力が未来をひらく――小学生への読書支援   【読む力が未来をひらく――小学生への読書支援】(#2399)

  脇 明子
  価格: ¥1,728 (税込)
  岩波書店(2014/7/31)

 本書は、「子どもたちが育っていく上で、本を読むということにいったいどんな意味があるのか」について、
(1)読書がなぜ必要か
(2)子どもたちに手渡して欲しいのはどんな本かということ、そして、どう知ればそれらが子どもたちの手に届くのか
(3)「岡山子供の本の会」の事例の紹介
を明らかにするものです。
 第1章「本を読むことで育つ力」では、「本を読む」ことをしないと得られないものとして、「思考力と想像力の働き」を挙げ、本を読むことで鍛えられた「記憶力や思考力、想像力は、生きていく上でおおいに役に立」つと述べています。
 そして、「絵本の読み聞かせはさかんですが、絵本から物語の本への高いハードルを超えるための援助は、小学校でも家庭でも、たいして行われてはいない」理由として、
(1)読書は趣味の一つであって教育の領域には含まれない、という通念
(2)国語の授業で事足りているという認識
の2点を挙げています。
 第2章「思春期にさしかかる前に」では、読書で育つプラス・アルファの力として、思考力、想像力、記憶力に続くものとして、「自分自身の行動や心の動きを、多少とも客観的、批評的に観察する力」である「自己認識力」を挙げ、「自己認識力と自己制御力を養うには、主人公に感情移入できて、同時に客観的な『読者の目』でも読めるような物語が役に立」つと述べています。
 第4章「昔話からもらえるもの」では、「昔話や創作物語が与えてくれる体験が、現実体験に勝るとも劣らないものとして経験の一部になるためには、読み手や聞き手が主人公に自分を重ね、出来事に一喜一憂しながら最後までついていけるようでなくてはなりません」と述べた上で、「昔話には、きちんとした挨拶、依頼、感謝、謝罪など、気楽な日常会話とは違って、相手との関係やその場の状況に応じて、言葉を選び選び行わなくてはならない『あらたまった会話』が、ずいぶんたくさん含まれている」と述べています。
 第6章「『生きる力』を育てる物語を」では、「『何度でも読める』というのは、児童文学作品の善し悪しを見分けるときに、とても役に立つチェック・ポイントの一つ」だとして、「いまの子どもたちがたいして勧めなくても自発的に手にとり、結構長いのにすらすらと読破して大人を安心させている本の中には、奇抜な『なぞ』や『ひみつ』で好奇心をそそり、『どうしてもその答えを知りたい』という一心で読ませてしまうものが多い」ことを指摘し、「そういう本を片っ端から『読み流す』子どもたちは、子ども全体が読書離れしているなかでは『読書家』として認められ、大人に称賛されることも多く、そこから抜け出すのはとても難しい」と述べています。
 第8章「読むことで開ける新たな地平」では、「あまり読書経験がないまま育ってきた大学生に、それぞれに合いそうな児童文学作品を紹介」した結果、「20歳を過ぎた学生たちが爆発的と言いたいほどの変身ぶりを見せてくれることに、何度となく驚かされて」来たと述べています。
 本書は、子どもにとっての「本を読むこと」の意味を考えなおさせる一冊です。


■ 個人的な視点から

 誰でも当たり前に「読書」ができると思われがちですが、習慣としての「読書」を身につけるためには家庭や学校の支援が必要なのは言うまでもありません。


■ どんな人にオススメ?

・「読書」なんて何もしなくても誰でもできると思っている人。


2013年11月30日 (土)

松丸本舗主義 奇蹟の本屋、3年間の挑戦。

■ 書籍情報

松丸本舗主義 奇蹟の本屋、3年間の挑戦。   【松丸本舗主義 奇蹟の本屋、3年間の挑戦。】(#2210)

  松岡 正剛
  価格: ¥1890 (税込)
  青幻舎(2012/10/5)

 本書は、2009年10月から2011年9月までの3年間、丸の内の丸善4階に出現した書店の中の書店「松丸本舗」の壮大な実験を解読したものです。
 この店の構想は、著者が2000年から始めたブック・ナビゲーション・サイト「松岡正剛の千夜千冊」を書き進める中で、「自分が取り組んでいるこの果てしなさそうな書籍の世界は、どこかに狭い入り口がいくつかあって、そこからいくつもの放射線やジグザグ回路のようなものが広がっているのではないか、それは砂漠の中に忽然とできあがっていくオアシス都市のようなものではないか、自分はその道を行ったり来たりしながら辿っているのではないか」と感じたことから描かれたマップ「図書街」を基にしています。この、「いろいろな形の本棚がビルや商店街や住居群のように並び立つ巨大な書籍都市」の模型を見た丸善の「ダケヤマさん」(嶽山義治氏)が「これ、いけますわ。これやわ。丸善につくりたい」と即決したことから、丸の内丸善という4階フロアの一郭に「書店の中の書店」である「松丸本舗」が出現することになったと述べられています。
 著者は、「松丸本舗は『編集工学』(editorial engineering)という方法が初めて本屋さんという現場にあてはめられる最初の試み」であることから、「この基礎を今後のためにも編集工学的な下敷きとしてしっかりつくっておきたかった」と述べています。
 また、店舗設計は、「基本となる本棚(書棚・書架)をどういうものにするか」からスタートするにあたり、「本棚は無個性になるか、逆にできるだけ個性をもつべきだ」、「本棚はさまざまな主語と述語をもった世界再生装置なのである」とする著者の思想が反映され、「ひとつひとつの棚にキャラクターをもたせたい」として、「前後二重に本が置ける」深い奥行きを持ち、「棚板が仕切り板より前に出て、棚板が自立棚をまたいで左右に、またジグザグにつながっていくように」したうえに、
・SHOBAKKO(書箱):本棚の途中に引き違いの格子戸がついた戸袋型の戸棚、「本が隠れる棚」。
・MOKOSHI(裳腰):引き出しテーブル
という2つの特色を加えたとしています。
 さらに、特別仕立てとして、
(1)「売らない棚」:ガラスケースに特別の豪華本がショーイングできる棚
(2)「橋本(はしほん)」:入り口ファサード部分から外にはみ出したスペースに、来店者が腰の高さでいろいろな本に出会えるようにした。
(3)「本相(ほんそう)」:張り紙やピンナップができるコルク壁。
の特色をつけています。
 著者は、「読書がすこぶる知的な行為であることも無論少なくないが、そうでないときも少なくない」として、「読書という行為は気分転換であったり、退屈しのぎであったり、空想を許容するリラクゼーションでもある」ことから、「読書こそ編集的なエンジニアリングの対象になるべきだったのである。もっと読書の現場や読書のプロセスを調べるべきなのである」と述べています。
 さらに、「松丸本舗主義を奏でるための旋法」として、
(1)「本棚を読む」という方針を貫いた。
(2)「本」と「人」と「場」を近づけた。
(3)「本のある空間」を革新した。
(4)「本を贈りあう文化」を発芽させた。
(5)「読者モデル」をスタートさせた。
(6)「ブックウェア」を創唱した。
(7)「本と読書とコミュニケーションの方法」を重ねていった。
(8)「共読の可能性」を提示した。
(9)「ハイブリッド・リーディング」の戦端を開いた。
の9つからなる「松丸本舗の九条の旋法」を掲げ、「以上の9つの特色が松丸本舗主義のメルクマールになっている」と述べています。
 本書は、本との新しい「交際」の方法を提示した壮大な実験を読み解いた一冊です。

■ 個人的な視点から

 この松丸本舗がオープンした2009年に、たまたま人と待ち合わせで松丸本舗側のカフェにいた時に、著者の松岡正剛氏をお見かけして不躾ながらミーハー心が高じてご挨拶をさせていただきました。松岡氏の「千夜千冊」に憧れて「百屋百冊」を始めた身としては嬉しい限りで緊張して何をお話したのかあまりよく覚えていないのですが、とにかく想像通りの「粋な男」という印象が強烈でした。ありがとうございました。


■ どんな人にオススメ?

・Amazonがあればリアル本屋は必要ないと思っている人。


2013年8月 9日 (金)

それでも、読書をやめない理由

■ 書籍情報

それでも、読書をやめない理由   【それでも、読書をやめない理由】(#2197)

  デヴィッド・L. ユーリン (著), 井上 里 (翻訳)
  価格: ¥1680 (税込)
  柏書房(2012/02)

 本書は、「携帯電話、Eメール、ブログ、ツイッターなどの絶え間ないざわめき。現代的んで何重にもつながった過剰ネットワーク生活にひしめく、あらゆる注意散漫の元」という「テクノロジーがもたらすノイズ」によって、「本の虫以外の何物でもなかった」著者が、「突然本に集中することが難しくなった」として、「この問題を特定し、言葉にすることによって、注意散漫の悪循環から何とか抜け出すこと」を目的に書かれたものです。
 第1章「物語の中の真実」では、数年前から「腰を落ち着けて本を読むのが難しくなってきたことに気づいた」と述べ、それまでは、「別の土地、別の人生へ私たちを運んでくれる、魔法の力」によって、本に引きつけられてきたとして、「重要なのは、読書を発見への旅ととらえ、自分の内面世界の発掘ととらえることだ」と述べています。
 そして、本離れの原因として、「私の集中力はこま切れになり、カルチャーに関する世間の騒ぎや、だれかれのブログの更新や、新しいニュースや、とにかく、ネット上のあらゆる叫び声がつい気になってしまうようになった」と述べています。
 第2章「この騒々しい世界で」では、「本の再読とは微妙な作業だ。良かれ悪しかれ、現在と過去に向かい合うことになる。初めて読む場合と違って、より複雑で、より陰影に富み、自分がどれくらい変わったのかをそれとなく教えられるのだ」と述べています。
 第3章「もうひとつの時間、そして記憶」では、「今までとの重要な相違」として、「絶え間なく情報が流れる世界(ハイパーコネクティヴィティでも、24時間体制のニュース・ストリームでも、呼び方はなんでもいい)において、わたしたちは絶え間ない強迫観念にとりつかれている」と述べています。
 そして、「忘れることができない、したがって、覚えておくこともできない」というここにこそ、「記憶とテクノロジーと事故が交わる地点がある」としています。
 さらに、「たいていの人々は、黙読を、ありふれた行為として当たり前のものだと思っている」が、「黙読は学習によって身につく行為であり、習得するには意志力や持続的な集中が必要とされる。それは実のところ、本能の誘いかけに抗うものだ」と述べています。
 また、「読書は最も本質的な意味で自己主張が強く、読み手と強く結びついている」として、フィクションを読む人々が、「物語のなかで新たな状況に出くわすたびに、それらを脳内で擬似的に体験する。登場人物たちの行動や感情を細かな点まで行間からすくい上げ、自分が過去の体験から得た個人的な知識と融合させる」として、「そのとき活性化する脳領域は、『現実世界で似たようなことをしたり、想像したり、見たりするときに活性化する脳領域と同じである』」と述べ、「読者は本と一体化する」と指摘しています。
 第4章「文学という鏡」では、「文学の授業における誤った考え方」として、「そこでは、小説の読み方には正しい方法と間違った方法があるとか、本というものは長い暗号のようなもので、だから解読可能だとかいう考え方が浸透している」と指摘しています。
 本書は、本と向きあうとはどういうことかを考えさせてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 歳を取ると、だんだん自分の「残り時間」がもったいなくなってくるもので、テレビやネットなどの「ノイズ」から離れて本に没入する時間を持てるかどうかというのは人生の豊かさに大きく影響してくるものではないかと思います。「本を読む時間がない」「本なんか暇人しか読めない」と思っている人は、まずはその両手に持っているテレビのリモコンとスマホの電源を切ってみてはいかがでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・本なんて読んでる時間がないと思っている人。


2012年4月12日 (木)

図書館は本をどう選ぶか

■ 書籍情報

図書館は本をどう選ぶか   【図書館は本をどう選ぶか】(#2103)

  安井 一徳
  価格: ¥2205 (税込)
  勁草書房(2006/9/8)

 本書は、公共図書館の図書選択について論じられる際の基本的な前提となっている、
(1)価値論:本の価値に基準を置く
(2)要求論:利用者の要求に基準を置く
について、「価値論/要求論」図式にとどまらない図書選択の議論はどのようにして可能なのか、という問題意識から書かれたものです。
 第1章「図書選択の正当性とは」では、「ある図書を蔵書に含め、別の図書を含めないという点で、収集も廃棄も究極的には同じ行為であり、両者は『図書選択』として一元的に把握することが可能である」と述べています。
 第2章「アメリカの図書選択論」では、世界の「公共」図書館の期限を、1854年のボストン公共図書館設立に求め、「図書選択論の源流も、ボストン公共図書館に求めることができる」としています。
 第3章「日本の図書選択論」では、「現場」の理論の代表者として、伊藤昭治と山本昭和の2名を挙げ、「彼らの理論に見られる最大の特徴は、要求の全面的肯定である」と述べ、その主張として、「『価値論』的姿勢の徹底的排除」を挙げ、そのかわりの優先順位として、彼らが「貸出冊数」を重視したことを指摘し、その立場上、「複本はリクエストと並んで貸出冊数を増加させるための不可欠の手段である」と述べています。
 そして、「現代日本における図書選択論の出発点の一つは『価値論/要求論』という図式をどう扱うかということであった」と述べています。
 第4章「選書ツアー論争」では、選書ツアーが「要求論的、価値捨象的図書選択論における図書館員の存在の自明性に疑問を発したと言える。そしてそれに(少なくとも無意識的に)気づいたからこそ、多くの図書館員は、一見自らの信奉する理想と融和的なこの試みに対して容赦ない批判を浴びせたのではないか」と述べています。
 本書は、普段何気なく利用している図書館の蔵書をめぐる熱い議論を教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 戦後日本で独自に発展したっぽい「ヒューマニズム」あふれる図書館理論に、「それってやっぱりおかしいでしょ」ってツッコミを入れている本書は、独自の奇天烈な理論が展開される労働組合のアジビラを読んでいてツッコミを入れたくなる気持ちに似ているような気がしました。Amazonのレビュー欄をみると先輩の「ライブラリアン」が顔を赤くして書いているようなコメントも見られたりして面白いです。


■ どんな人にオススメ?

・図書館の本がどのように選ばれているかを知りたい人。


2012年4月11日 (水)

図書館の興亡―古代アレクサンドリアから現代まで

■ 書籍情報

図書館の興亡―古代アレクサンドリアから現代まで   【図書館の興亡―古代アレクサンドリアから現代まで】(#2102)

  マシュー バトルズ(著), 白須 英子 (翻訳)
  価格: ¥2625 (税込)
  草思社(2004/10)

 本書は、永年司書を務めてきた著者が「人間にとって図書館とは何だろう?」という問題を語ったものです。
 第1章「図書館は宇宙に似ている」では、著者が着目する点として、「図書館の変容の節目、読者、著者、司書が図書館の意味を疑問視する瞬間や場所」をあげています。
 第2章「アレクサンドリア炎上」では、プトレマイオス王朝が、「アレクサンドリアに学者たちを招聘し、王家が費用を負担して、膨大な蔵書の中で生活させ、仕事が出来るように仕向けて、図書館を王家の管理下にあるシンクタンクのようなものにした」と述べた上で、「大図書館は戦争、災害、体制の衰退期には問題をはらむ。蔵書はその図書館と運命をともにするからである」と述べ、「図書館は、真理を発見するのと同じくらい--王侯や、大統領や、王位を狙うものなど内なる野蛮人の欲望を満たすために--真理を失うことも多い」と指摘しています。
 また、中世中国の思想史について、「束の間のものと永続性のあるもの--国家による石や青銅の刻文と、学者や僧による絹布や竹簡にしたためられた墨書とのせめぎ合いの物語である」と述べています。
 そして、「衰亡の憂き目に遭わない政治制度はない」ことから、「どんな図書館もいずれ消滅し、のちの世代の人々がその欠落の謎解きに耽る物である」と述べています。
 第3章「知恵の館」では、「総合図書館建設の意欲は西欧で萌芽したのに、花開いたのは中東だった」として、「アレクサンドロス大王の死からイスラームの台頭までの一千年間に、ローマとペルシアの支配者の間には絶え間なく抗争があったにもかかわらず、シリアはギリシアの学問にとって一番の安住地だった」と述べ、「西欧の書物文化はイスラームの遺産に負う所が大きい」としています。
 そして、「13世紀から15世紀にかけて、ムスリム世界の数々の素晴らしい図書館は姿を消すことになる--モンゴル軍、トルコ軍、十字軍の征服者たちは、イスラーム教徒がギリシア=ペルシアの先駆者から受け継いだ学問愛好精神を持ち合わせていなかった」と述べています。
 第6章「知的遺産の焼失」では、「20世紀に破壊された図書館のリストは長い」として、「中華人民共和国の人民解放軍はチベットへ侵攻し、たくさんの僧院を徹底的に破壊して、数十万冊の書物が炎の中に消えた」と述べています。
 本書は、人類の知識をめぐる歴史の主要登場人物である図書館の歴史をそのターニングポイントに着目してまとめた一冊です。


■ 個人的な視点から

 日頃、図書館のお世話になる機会が多い身としては、図書館に収められている知識を自由に利用できるということが、長い人類の歴史の中で稀な幸福であることを実感します。


■ どんな人にオススメ?

・日頃図書館を利用している人。


2011年1月 6日 (木)

書物の変―グーグルベルグの時代

■ 書籍情報

書物の変―グーグルベルグの時代   【書物の変―グーグルベルグの時代】(#1946)

  港 千尋
  価格: ¥2520 (税込)
  せりか書房(2010/02)

 本書は、「書物におとずれた変化を見つめつつ、歴史・都市・芸術といったテーマを扱ったエッセイ」です。
 著者は、「今おきている変化は、著者や著作権者だけでなく、『書物』と総称されるすべての印刷物にとって、その生産から分配まで、完成品としての書物だけでなく、それが出来上がり共有されるプロセスに影響を及ぼす」として、「書物の生産と書物の消費に関わる、あらゆる人間と人間の集団にとって影響を及ぼさずには置かないという点で、『大変』であるとの認識が、政府による意見書や司法による介入という事態を生んでいるのだろう」と述べています。
 第1部「書物の過去と未来」では、古代中国やメソポタミアの卜占について、「『書』という安定的なメディアとして残される『記憶』は、単に過去の出来事を残すためだけではなく、未来に起こりうることを知り、そのための判断に役立てたいという、『予兆』のためでもあった」と述べています。
 そして、「メディアの中で本ほど、安定しているものは少ない。基本的な形態を変化させる余地が無いという意味で、完成している」と述べたうえで、本が、「それを手にした人間に何らかの運動を起こすもの」であることを「他の芸術よりも敏感に察知して、本の構造を様々な方向へ拡張してきた」者として「メディア・アート」を紹介しています。
 第2部「歴史の痕跡」では、「先史時代芸術に現れる幾何学的模様は、6つの内在光パターンにまとめることができる」として、
(1)グリッド
(2)平行線
(3)ドット
(4)ジグザグ
(5)巣状曲線
(6)細かい網の目
の6点を挙げ、「視角野の神経細胞がもともと持っている構造に、何らかの原因によって自己組織化が起こり、それがイメージとして経験される際のパターンが内在光であり、それは同じ脳の構造を持っている限りにおいて、文化や個人の経験を越えた普遍性を持っている」と述べています。
 本書は、書物を出発点に現代に想いを巡らせた一冊です。


■ 個人的な視点から

 芥川龍之介が「歯車」の中で取り上げたと言われるこの「内在光」ですが、「閃輝暗点」と呼ばれる症状で、光が消えた後に偏頭痛を伴うこともあるそうです。自動車の運転中とかに症状が出るととっても危ないです。
 古代の人達はこの光を一体なんだと思ってみていたのかが気になります。


■ どんな人にオススメ?

・本自体が好きな人。

2009年11月25日 (水)

世界名作の経済倫理学

■ 書籍情報

世界名作の経済倫理学   【世界名作の経済倫理学】(#1770)

  竹内 靖雄
  価格: ¥693 (税込)
  PHP研究所(1996/12)

 本書は、「世界の名作とされている文学作品をとりあげて、それが伝えようとしているメッセージ、描かれている人間、そして作者自身を材料にして、人間の行動と倫理を研究したもの」です。
 第1章「人間の世界に介入する神々」では、ホメロスの『イリアス』について、トロイア戦争が、「神々の気まぐれが人間の世界に飛び火して起こったトラブルであり、ギリシア側の戦争の目的はトロイア側に取られたヘレネの奪還ということで、いわば一人の女性をめぐる戦争である」と述べ、ホメロスの面白さは、「一つには、こうした神々の間の葛藤、人間の運命への神々の介入、それを知らないで奮闘する人間、運命の歯車にはさまれて不運の死を遂げる英雄、そして最終的には神々の間で『バランス・オブ・パワー』が働いてある種の均衡状態が成立し、それに合わせて人間世界の均衡の成立する、といったギリシア人の考える世界の面白さにある」と述べています。
 第5章「中国人の行動文法」では、「『水滸伝』を読めば、法の通用しない中国的『無法社会』の仕組みと、そこで生きている中国人の行動文法とがよく分かる」として、「こうした中国式『人治社会』、『人脈社会』の行動文法は今日でも基本的には変わっていない。こういう社会で、法と契約の原理にもとづいて外国人がビジネスを展開することは至難の業である」と述べています。
 第6章「行動する人間の悲劇」では、「ハムレットは『悩める哲学青年』タイプの人間ではない。父王以上の立派な王になりそうな王子であり、武人である。智謀にも富んでいる人間と人生についても一筋縄ではいかない思想を持った大人で、未熟な青年ではない。とにかく複雑な人間で、それがハムレットの魅力である」と述べた上で、「多かれ少なかれ神経症にかかっているような近代人、現代人、それもインテリの身の丈に合わせて、ハムレットを勝手に矮小化してはならない」と述べています。
 第22章「不貞にして不逞なるもの」では、レーモン・ラディゲの『肉体の悪魔』について、「とにかくこれは『悪い』女の登場する『悪い』小説で、子供にその不倫相手の男の名前をつけるという、この『不逞』のきわみには、思わず横隔膜が抜けそうになる」と述べています。
第24章「記憶としての人生」では、プルーストの『失われた時を求めて』では、「プルーストは自分の人生のほとんどすべてを投入してただ一つの」対策を書いたと述べた上で、「プルーストは、外界からの雑音を遮断するためにコルクを張り巡らした部屋に閉じこもって、忠実な家政婦セレスト・アルバレの介護を受けながらこの長大な作品を書き続けた」と述べ、「病気で行動することをやめてしまってからのプルーストは、もはや手足もどうも失い、いわば一個の巨大な脳だけになってただひたすら言葉をつむぎだしていたということができる」としています。  そして、この小説は、「普通の読み方をしたのでは近づくことができないともいわれている」が、「この小説の魅力に取り付かれる人は徹底的に取り付かれるようで、これを読みたいため、会社を辞め、働くのをやめてしまったという人もいる。たしかにそれだけの魅力も魔力もある」と述べています。
 本書は、世界の名作をザックリと解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 普段文学作品を読まない自分ではありますが、文学家による文学論には辟易しても、経済学者らしいプラグマティックな作品紹介は読んでみたいと思わせるものでした。


■ どんな人にオススメ?

・世界の名作を再評価したい人。

2009年11月16日 (月)

バカのための読書術

■ 書籍情報

バカのための読書術   【バカのための読書術】(#)

  小谷野 敦
  価格: ¥714 (税込)
  筑摩書房(2001/01)

 本書は、「哲学とか数学とか、抽象的なことが苦手」という意味の「バカ」のための読書書です。
 第1小「『難解本』とのつきあい方」では、加藤周一が「難してくもわからない本は、読まないのが賢明である」とし、呉智英は、「キーワードを掴んで飛ばし読みすること」を進めていることについて、「どちらかとぴえば加藤に与する」と述べています。
 また、文学作品ではない文章を、
 A.自分が後あるべきだと考えていることを主張する文章
 B.事実を提示しようとする文章
の2つに分けた上で、「学問的な仕事は、歴史実証主義を基礎においた方がいいのではないか」と述べ、「まず『事実』に就くこと。『バカ』はそこから始めるべきだし、頭が悪くても知識があれば、頭のいい相手を論破することもできる」と述べています。
 第3小「入門書の探し方」では、呉友房が、「入門書・概説書・解説書の類は大いに利用すべし」としていることについて、「全くそのとおりである」と述べた上で、「問題はその入門書の類をどう選ぶか」と述べ、「ひとつの方法として、文庫版などに付いている『解説』を利用する、という手がある」としています。
 第4章「書評を信用しないこと」では、「書評よりも、いちばんの近道は、自分が興味を持った本の中で触れられている本を読むこと、あるいは自分が興味を持った著者が挙げている本、ないし友人に勧められた本を読むこと」だとして、「この方式だと、鼠算式に読むべき本は増えていく」と述べています。
 第5章「歴史をどう学ぶか」では、歴史の書き方として、
 A.有名人、つまり政治家や軍人を中心とした歴史
 B.中世の民衆はどういう生活をしていたか、人口変動はどうだったか、といった民衆史
の2種類があるとした上で、「重要なのは、、読んで面白くなければ、頭に残らない」と述べています。
 第6章「『文学』は無理に勉強しなくていい」では、「『文学』だって少しは読んだ方がいいのだが、無理して『文学』を勉強することはないし、中等教育の場で教わった小説を『文学』なのだと思ってもいけない」と述べていあms。
 本書は、抽象的な思考が苦手な人にも本を読む楽しみを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 面と向かって「バカ」と言われるのは癪に障りますが、抽象的なことが得意かと問われれば、たしかにごもっともだと思います。


■ どんな人にオススメ?

・自分はバカだとは思っていない人。

2009年11月11日 (水)

読書進化論~人はウェブで変わるのか。本はウェブに負けたのか~

■ 書籍情報

読書進化論~人はウェブで変わるのか。本はウェブに負けたのか~   【読書進化論~人はウェブで変わるのか。本はウェブに負けたのか~】(#)

  勝間 和代
  価格: ¥777 (税込)
  小学館(2008/10/1)

 本書は、「『ウェブ』という破壊的なテクノロジーが現れてことで、私たちの読書の仕方は抜本的に変わって」しまったという認識の上で、
(1)ウェブによる本というコンテンツの読み方の進化
(2)ウェブによる著者と読者の関係性や書き方の進化
(3)ウェブによる本の売り方と書店の進化
の3つの新しい機軸を取り込んだ、「新しいウェブ時代の読書論」を提示したものです。
 序章「成功や自由は、読書で手に入れる」では、「インターネット」と「本」は、「とてもよく似ている」として、インターネットと同様に本も、「著者の頭から出てきたコンテンツを、サーバーの代わりに紙という形で保管し、共有している」と述べたうえで、本のほうが優れている点として、
(1)有料のために市場原理が働きやすいので、コンテンツやその制作者が、質に応じて淘汰されやすくなる。
(2)「第三者による編集」という手間隙がかかっているぶん、インターネットよりよくまとまって、きれいに整頓されている。
点を挙げています。
 そして、「読書により人生を大きく変えること」は可能であり、「どんな場所に住んでいても、何歳になっても、本は私たちに『努力が報われる環境』をもたらしてくれる」として、「良書による読書は、成功や自由を継続的にもたらし、私たち読者を進化させ続ける」と述べています。
 第1章「人を進化させる読書がある」では、「現在のテクノロジーの制約条件下において、固定費なしに、比較的安価に、どのような場所でも、人々がポッと買えるように流通させられる良質なコンテンツとしては、本が最も優秀」だとしたうえで、本というものは、「著者が書店を通じて見知らぬ人たちに名刺を配っている」イメージに近いと述べています。
 そして、「本を読むことは著者の体験を、読者が疑似体験すること」であり、「本により戦略的なことをひと通り、すべて学ぶ」ことができるため、「読書には、人を進化させる力」があると述べています。
 第2章「進化している『読む』技術」では、「「本を読むときに目的意識を持っているといないとでは、まったく読書の時間効率が違って」くるとして、「本を読むときには、その本の著者とどういう話がしたくて、何を質問したいのか、という意識を持つことが重要」だと述べ、著者が本を読むときには、「帯、目次、『はじめに』、『おわりに』をざっと読」むことで、「ほんのおおよその構造とメインのテーマ」を理解すると述べています。
 また、読書レベルとして、
(1)初級:緩急をつけずに頭から最後まで読む
(2)中級:目次などから構造を把握し、読むスピードをコントロールできる
(3)上級:著者と適当な会話をしながら読みすすめ、全体を把握したうえで、自分が必要とするところをスキャニングして探し出せる
の3つの段階を挙げています。
 そして、著者を通じて多くの人に知られるようになった「フォトリーディング」について、「小説ではなく知識や情報を得る本に関しては、きちんと読む場合の20%くらいの時間で、本の内容の80%くらいを補足」できると述べています。
 また、本とは基本的に、「学術書以外は、ある意味、著者の『与太話』、もう少しいいことばで言うと、著者たちの経験談だ」としたうえで、「著者の与太話に対しては、すべてに好奇心と健全な疑いを持ちつつ、調べたり、体感することが、著者との体験談の共有」だとしています。
 さらに、「本は全部を、隅々まで、読む必要はない」として、好きなところだけ拾い読みして」いくことで、「その内容が私たちの考え方や行動にどれだけしっかりといい影響を与えられるか」が大事と述べています。
 第3章「『書く』人も進化する」では、「広く世の中に向けて何か発信したい」人にとって、「現在の技術要件とビジネスモデル下では、『本を書く』のが、いちばんリーズナブルで、手っ取り早い手段」だと述べています。
 そして、「相手が分かりやすく読みやすく書く」ための技術として、
(1)「自分の事例」「アンソロジー形式」を利用して親しみを持たせる
(2)「役に立つフレーズ」を必ず入れ、読書だけに体験を閉じない
(3)「共通体験」や「流通していることば」を使って行動を促す
(4)「コンテンツ力」と「編集力」で進化していく
の4点を挙げています。
 第4章「『売る』仕組みを進化させる」では、「本は、書くだけではなく、売ることを合わせて、完結する」として、「書く努力の5倍、売る努力をする」と述べた上で、「本は、『いかに人に知ってもらうか』ということに、実は読者の方々が思っているよりも、ずっとコストが」かかると述べ、「本の最大の競合」である「ネットのほうで本に誘導するような動線を設計し、ネットユーザーの本へのタッチングポイントを増やしていけばいい」と述べています。
 終章「これから『読みたい』『書きたい』『売りたい』と思っている皆さんへ」では、「著者の私たちが読者と一緒に、資本主義の問題、貧困の問題、社会構造の問題などについて何ができるのか、真剣に考えるため」に立ち上げた印税寄付プログラム「Chabo!」について、そのきっかけとなったのは、
・『セイビング キャピタリズム』(ラジャン/ジンガレス)
・『暴走する資本主義』と『勝者の代償』(ライシュ)
を取り上げ、「これらの本を見ていると、ふだんもやもやしていた問題意識のあぶり出しがあって、自分が持っている問題が整理されてくるのです。自分が進みたい方向に対して、何をどのように積み重ねていくか、結果として、私に何ができるかしら、ということにつながっていく」と述べています。
 著者は、「読書は決して受身的なものではなく、人生に目標と指針を与え、私たちを日々進化させてくれるすばらしい方法」だとして、「ネットが全盛期の今こそ、ぜひ、本の役割をもう一度見直し、私たちの大事な時間をもう少し多く、読書に投資してください」と述べています。
 本書は、ウェブの存在を前提とした読書のあり方を論じた一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書の巻末には、「私と進化させた20人の著者」が挙げられています。個人的に同意するのは、
・筒井康隆
・P・F・ドラッカー
・クレイトン・クリステンセン(「クリントン・クリステンセン」と誤記)
・ジャレド・ダイヤモンド
・マルコム・グラッドウェル
というところでしょうか。シンクロ率25%ですね。


■ どんな人にオススメ?

・自分を進化させたい人。


■ 関連しそうな本

 ピエール・バイヤール (著), 大浦 康介 (翻訳) 『読んでいない本について堂々と語る方法』 2009年04月16日
 メアリアン・ウルフ (著), 小松 淳子 (翻訳) 『プルーストとイカ―読書は脳をどのように変えるのか?』 2009年02月28日
 モーティマー・J. アドラー, C.V. ドーレン (著), 外山 滋比古, 槇 未知子 (翻訳) 『本を読む本』 2006年07月02日
 立花 隆 『ぼくが読んだ面白い本・ダメな本 そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術』 2006年07月16日
 加藤 周一 『読書術』 2006年07月23日
 ポール・R・シーリィ (著), 神田 昌典 (翻訳) 『あなたもいままでの10倍速く本が読める』 2006年1月15日

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