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2016年7月29日 (金)

〈オトコの育児〉の社会学:家族をめぐる喜びととまどい

■ 書籍情報

〈オトコの育児〉の社会学:家族をめぐる喜びととまどい   【〈オトコの育児〉の社会学:家族をめぐる喜びととまどい】(#2553)

  工藤保則, 西川知亨, 山田 容 (編集)
  価格: ¥2,592 (税込)
  ミネルヴァ書房(2016/5/30)

 本書は、「必要なのは、子育て場面で顕在化する夫婦間の溝にオトコが『気づき』『行動』すること」だとして、「オトコの子育ては、『協力』にとどまらない子育てのあり方と、より伸びやかな夫婦のかたちを創出していくだろう」ことを意図して企画されたものです。
 序章「生活の一部としての〈オトコの育児〉」では、「父親になる(なっていく)<というのは社会学の言葉を使うと、『父親の社会化』である」として、「父親は父親の役割をはたすことによって父になっていく。父親の本当の出番は子どもが大きくなってからと考える人もいるようだが、社会化のエージェントの一員としての父親と考えるなら、小さな子供にとっても父親は重要な他者にほかならない。そして父親自身にとっても子どもは重要な他者である」と述べています。
 そして、本書で採用する視点として、
(1)子どもとの遊びを中心としたイイトコどりの「オトコの育児」ではなく、「子どもの世話」や「家事」も含めた「生活」の一部としての「オトコの育児」をとらえる、という視点
(2)父親の方も子どもとの生活を通して社会化がされていく、つまり父親になっていく、という視点
の2点を挙げています。
 第1章「近代家族とライフコース」では「最大公約数として語られる近代家族の特質」として、
(1)家内領域と公共領域の分離
(2)愛情で結ばれた家族関係
(3)子ども中心主義
(4)性別役割分業
の4点を挙げています。
 第2章「社会規範と社会化」では、「しつけ」の基本について、
(1)早寝早起きや歯磨き、排便などの習慣、見知らぬ人にも挨拶をする習慣などの「しつけ」は、子ども自身が、その所属集団と文化のなかで健康かつ安全に暮らすために行うという点。
(2)他者に迷惑をかけたり不快な思いをさせたりしないということ。
の2点を挙げ、以上の2つの基本を踏まえるならば、父親と母親のうちどちらが『しつけ』を担うかということは問題ではなくなる」と述べています。
 そして、「母親同様、子育てによって父親が人間的に成長する」として、「育児や『しつけ』は、自分の価値観の表出であり、それを子どもとともに考え直すことで、自分も成長する」のであり、「子育ては、父親の人間としての発達支援という大きな意味を持っている」と述べています。
 第3章「性別役割分業とケア労働」では、男性の育児について、「同性からの評価を犠牲にしつつ、異性(配偶者)からの感謝に支えられながら、育児の喜びを享受するのである。それは、異性からの支援があるという点で『オンナの育児』のように『孤独』なものとなることは少ないが、同性から見放される可能性が高いという点で、『オンナの育児』とは異なる、『オトコの育児』特有の困難も抱えている」と述べています。
 第4章「夫婦のコミュニケーションとレスパイト」では、「離婚の多くが平均的な第1子の誕生期から育児に手間のかかる乳幼児期に重なること」について、「愛情低下だけでなく、裁判所に審判や調停を求める離婚申立も女性からの方が多いこと、結婚の満足度もまた妻のほうが低いことから、この時期のストレスは妻(母親)の側により強いことがわかる」と述べています。
 そして、「夫婦関係は、同じものはなにひとつといっていいほどなかったふたりが還元できない『私たち』になっていく過程であり、『さわれないもの』『わからないもの』の存在は関係を深めるものにも、遠くするものにもなるのだろう」と述べています。
 第5章「あそびと身体」では、「父親にとってみても、子どもと遊ぶ時間を設けることで『父親』としての自我が形成されると同時に、子どもという他者の態度を取得することで、子どもの目線に立って振る舞いができるようになる。世間を代表する確固とした理想的な父親がいて、子どもをしつけるのではなく、父親も子どもとの相互作用のなかで形成されていくのであり、そこには緩やかな関係性というか間のようなものがあるように思う」と述べています。
 第6章「メディアと文化資本」では、幼児の一日の生活時間について、「じつに自由時間の半分近くを幼児はテレビに費やしている」とともに、「おとなにとってのビデオ鑑賞が、好きな人だけが鑑賞する趣味である一方で、幼児にとってのそれが、好き嫌いに関係なく接触する日常の経験になっている」と指摘しています。
 そして、「アニメや特撮のキャラクターは、幼い子どもたちの想像力を形づくり、媒介する上で、ひときわ『重要な他者』であるといえよう」として、「子どもたちの生活世界は、映像メディアを中心としたテレビ的な想像力に、すっぽりとおおわれている」と述べています。
 また、「文化資本の概念で重要なのは、それが『相続』という比喩で捉えられている」として、「経済資本が親から子へと相続されるように、文化資本もまた、親の持つ資本が子へ継承されやすい」と述べています。
 第10章「少子化と育児不安」では、育児メディアの変遷と再生産戦略の変化について、
(1)垂直的育児知識の伝達から読者参加型の水平的知識の共有へ
(2)母親向け育児メディアから父親向け教育メディアへ
(3)育児に協力する父親像から積極的に育児に関与する「父親の主体化」へ
の3点を挙げています。
 第12章「子育て支援とネットワーク」では、「社会は子育てを家庭に委ね、父親は母親に任せるが、母親は最後の砦とされてしまい逃げることができない現実が生まれている。これに対し、自立した女性像や男女共同参画の理念を教育されてきた世代の女性が、結婚後に直面する負担を他律的に強いられる状況に疑問を持つのは当然であるが、かといって母親が自律的に振る舞うことは容易ではない。そこには現実的制約に加えて、規範の存在があると考えられる」と述べています。
 そして、「児童虐待対応の現場から感じることは、私的な関係のネットワークが弱い家族のもろさであり、いかなる家族も子育てには多くの支援が必要であるという現実である。同時に支援がもたらす家族への負荷も感じ取れることがある」と述べています。
 終章「〈オトコの育児〉のゆくえ」では、「〈オトコの育児〉の問題を改善していくためには、家族や親族関係以外にも、さまざまな社会資源が重要となる」が、「社会資源は一般的に不足気味であるし、人や家族によってこれらの資源にアクセスできる程度には差がある。社会資源へアクセスできる人とできない人の格差の存在を改善していくことは必須であるし、育児支援の様々な選択肢を共有し、社会のなかで組織化していくこともまた重要である」と述べています。
 本書は、〈オトコの育児〉を切り口として、育児と家族を取り巻く問題を読み解いた一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は、よくある企画先行の寄せ集め的な側面もあるのですが、こういう問題は一人の著者からまるまる一冊ご高説を賜るよりも、多くの著者が自分の体験と思想を持ち寄ってああだこうだ言っている方が読んでいて楽しいです。


■ どんな人にオススメ?

・オトコの育児を模索している人。


2016年7月27日 (水)

私たちはどのように働かされるのか

■ 書籍情報

私たちはどのように働かされるのか   【私たちはどのように働かされるのか】(#2551)

  伊原亮司
  価格: ¥2,376 (税込)
  こぶし書房(2015/2/28)

 本書は、「就職や働き方に関する言説の『混乱状態』に惑わされず、雇用や労働の実態に即して〈働くこと〉を考え直す」ことを目的としたものです。
 第1章「経営書・自己啓発本をつい読みたくなる人たちへ」では、「多くの日本人に愛読されてきたドラッカーの著書の中で、望ましい『働かせ方』に関する議論を紹介し、それらを日本社会の雇用状況と職場環境に照らし合わせて検証する」としています。
 そして、「彼の理論の根底にある社会観・人間観を明らかにし、マネジメントについての定義を確認した上で、それらから導き出される望ましい『働かせ方』を順序立てて示」すとして、
(1)「自由社会」とマネジメントの必要性:ドラッカーの理論の根底にある思想は、「ファシズム全体主義」に対する嫌悪と「自由社会」の擁護である。
(2)マネジメントとは:経済的資源を組織化し、経済の成長を達成して、「人類の福祉」と「社会正義」を守る、強力な原動力である。
(3)経営組織と「働かせ方」:マネジメントの必要性を認識し、マネジメントなしには健全な組織運営は不可能であると理解し、マネジメントは「プロフェッショナルな仕事」でなければならないと強調する一方、組織構造は「分権型」が望ましいと考えた。
(4)技術的な要請:「分権化」、柔軟な作業組織、質の高い労働は、オートメーションによる要請でもある。
の4点を挙げています。 
 そして、ドラッカーが「日本企業の労働者管理と労働観光を高く評価した」として、
(1)日本人の「合意」(コンセンサス)に基づく意思決定
(2)雇用の「保障」と「柔軟性」の両立
(3)「継続的訓練」と「人材育成」
の3点を挙げています。
 著者は、「ドラッカーは、日本の労働者管理を理想的な『働かせ方』として高く評価した。日本企業の現場は権限を移譲され、チーム単位で運営され、労働者の技能を高めていると理解した」が、「同じ『現場労働者』の中にも、格差、分業、棲み分け、差別が存在し、皆が同じように質の高い仕事に従事しているわけではない。さらには、現場と管理部門との間には力関係が存在し、現場の『自律的運営』には大きな限定が付く」と指摘しています。
 また、「ドラッカーの言説及びその読まれ方の変遷をたどると、ドラッカーの理論には変わらぬ魅力があることがわかる。理論の根底には、人間の『多面性』への理解がある。利益一辺倒の経済人モデルには基づかない、『人間中心』の経営学である。そこに多くの日本人を長きにわたって魅了してきた最大の理由があるのではないだろうか」と述べています。
 第2章「職場における『いじめ』」では、「働く者たちは、市場原理という『客観的なルール』にもとづいて競争し、『結果』を出し、勝ち残るようにと煽られている。しかし、働く場では他者との協働がなくなったわけではない。にもかかわらず、個人ベースの結果を強く求められると、労働者たちは『自分の足を引っ張る』同僚に敵意が募る。どこの職場でも労働負荷が高まり、労働者は余裕を失っている。そこかしこで個人間の対立が先鋭化し、『ハラスメント』が起きやすい状態になっているのである」と述べています。
 第3章「労働と『うつ病』」では、「階層が低いほど、労働条件が悪いほど、男性よりも女性のほうが、働くことに関してストレスと感じている」としつつも、「経営合理化があらゆる層に広がっており、単純に、ピラミッド構造の『上』から『下』に行くに従いメンタルヘルスが悪化しているわけではない。また、ストレス要因は多様化しており、階層や職種によってストレス要因が異なる点にも留意が必要」だと述べています。
 第4章「労働と『死』」では、「労働にまつわる死は、歴史の中で変化してきた」として、「物理的に劣悪な労働環境による死傷、組織内の激しい競争塗装後監視の下での働き過ぎによる脳・心臓疾患と突然死、雇用に不安定さと労働の過剰及び過少に耐えられない人たちの精神疾患と自殺である」と述べています。
 そして、「日本企業は、『日本的経営』論の擁護者が想定するような、文字通りに助けあう『生活共同体』ではなかった。職場はあくまで経営側主導で作られたものであり、だからこそ、構成員どうしの監視や牽制を生む場になっていたのである。また、組織の『周縁部』に位置する労働者たちは、『共同体』の構成員とは言いかねる、微妙な立ち位置に置かれていた」と指摘しています。
 第5章「『品質』の作り込みの低下」では、「トヨタの現場で一期間従業員として働いた」参与観察の結果について、「管理者は、正規と非正規の労働者の間の壁を取り払い、労働者内の風通しをよくする。この原理を人間関係にだけでなく、職場の物理的環境にも適用している」とした上で、「トヨタは、『視える化』を通して、労働者の持ち場、仕事ぶりや所作、作業結果を他者の眼差しにさらす。『視える化』が徹底された職場では、管理者の眼差しと織り合わさった『同僚の眼差し』を労働者は意識させられる」と述べています。
 そして、「異常処置に関しては、明確な分業が存在する。専門知識を擁する複雑な処置は専門工が行う。ルーティン化した単純な対応は自分の組の管理者や若手のリーダーが行う。期間従業員を含むその他大勢は、機械に触れることすら許されていない」と述べています。
 また、「トヨタの職場では、人間関係や職場フロアが可視化され、他者の眼差しが行き渡り、その辛抱強さが生み出されてきた」が、「そのような監視システムは、あくまで他者の眼差しを気にすることを前提として成り立つシステムであり、そもそも他者の眼差しや評価をあまり気にしない労働者が増えると、職場の相互監視システムは機能しにくくなり、場合によっては破綻する。それまでの教育システムや企業システムで『矯正』される度合いが低く、またトヨタで長く務めるつもりはない非正規労働者が増えると、その傾向が強まる」と指摘しています。
 第6章「『キャリア』ブームに煽られる人たちへ」では、「大規模組織の歯車にならず、学歴・性別・国籍は関係なくなり、年功的な序列に組み入れられる、仕事は会社にいる時間の長さではなく結果で評価されるようになると、将来の働き方を予見する言説が増えた」結果、「実際に、勤め先を変えたり、働く場や時間を自分で決めたり、自ら起業したりして、組織や規則の束縛から逃れた働き方を謳歌する人が出てきた」として、「組織や秩序に囚われない働き方や労働市場の流動化を勧める言説は、若者、中小企業の労働者、女性など、『企業社会』で『周辺』や『底辺』に位置づけられた人たちを惹きつけたのである」が、「雇用規制の緩和により実際に生じたことは、『企業社会』で『周辺部』に位置づけられた人たちの切り捨てであった」と述べ、「厳しい生き残り競争の現実が顕になると、今度は、’自分だけは’市場を生き抜けるようにと『能力』の形成が煽られるようになるのだ」と指摘しています。
 また、教育社会学者の本田由紀による「ハイパー・メリトクラシー」について、「手続き的な公正さという側面が切り捨てられ、場面場面における個々人の実質的・機能的な有用性に即して個々人を遇するという、『業績主義』が本来持っていた意味が全面に押し出される。こうして選抜の手続きという面が後退したことにより、ハイパー・メリトクラシーがその網に捉えようとする『業績』は、個々人の機能的有用性を構成する諸要素の中で、一定の手続きによって切り取られる限定的な一部分だけでなく、人間存在のより全体、ないし深部にまで及ぶものになる。言葉を換えれば、従来のメリトクラシーの『たてまえ』性ないしイデオロギー性が希薄化して、よりあからさまな機能的要請が突出したものがハイパー・メリトクラシーである」と紹介しています。
 そして、「『能力』論を展開する人たちのほとんどは、『人材』の需要側が負うべき負担や責任は問わずに、それらの要望を汲むことを一途に考えている節がある」として、「雇う側は教育コストの削減という主たる目的は隠したまま、その負担を『社会的責任』、『自己責任』という名目で教育機関や家庭に押し付け、個々人には市場での生き残りを煽っては課している点を見落としてはならない。これは、企業による人材育成費の転嫁である」と指摘しています。
 第7章「『社会貢献』に惹かれる『良い人』たちへ」では、「このような厳しい雇用環境の中で、『組織人』でも『自由人』でもなく、『社会』に貢献する仕事を希望し、自ら起業して社会を変えようとする人たち(社会起業家)が現れた」ことについて、「活動支援を受ける側に関して留意すべきは、経済的な貧困を克服しようとするだけではなく、働く場を確保し、社会での『居場所』を取り戻し、社会的に排除された状態から脱することを目的とした活動であるという点だ」と述べています。
 そして、増加の一途をたどってきたNPOが「ここに来て減少傾向にある」理由として、「維持運営の財政的な厳しさ」を挙げ、「営利を第一の目的にしていない組織であるので、『社会貢献』を謳い、崇高な理念を掲げることはたやすい」が、「その多くは、現実問題として財政難に直面している」と述べています。
 第8章「働くということを自分たちのものに取り戻す」では、「いかなる働き方を選ぶにせよ、“適度な労働”を保つためには、働く者たちの間でそして一人ひとりの中で労働の過剰と過少のバラツキをならし、働く場の秩序を自分たちで再構築することが欠かせない」とした上で、「ほとんどの者にとって、職の確保は切実な問題である。働くことは生きることに直結する。創造的に働きたい・生きたいという気持ちも理解できる。しかし、逆説的であるが、生活水準を維持し、職場生活を守るためには、そして仕事の誇りを失わないためにも、職探し(のアドバイス)や目の前の仕事(を促す言葉)に没入する(乗りかかる)だけではいけない。仕事にコミットすると同時に、職場の内と外に労働や活動を規制する足場を持ち、労働者生活を守る方法をいくつか備え、自らを強く緊迫してきた労働倫理を相対化し、半ば強制された労働―消費中心生活を見直すことが欠かせない」と述べています。
 本書は、数多ある労働やキャリアに関する言説を相対化しようとする一冊です。


■ 個人的な視点から

 この20年くらい「雇用流動化」や「キャリアデザイン」という言葉が注目をあびるなかで、多くの働く人たちが、「働くこと」とは何かについて考えてきたのですが、あれって結局何だったのでしょうか。何か変わったのかな、と。
 第5章の参与観察自体は良い取り組みだとは思いますが、取り立てて目新しい成果はなかったということなんですかね。


■ どんな人にオススメ?

・「はたらくこと」について考えたい人。


2016年7月13日 (水)

時間を取り戻す 長時間労働を変える人事労務管理

■ 書籍情報

時間を取り戻す 長時間労働を変える人事労務管理   【時間を取り戻す 長時間労働を変える人事労務管理】(#2537)

  渡部 あさみ
  価格: ¥1,728 (税込)
  旬報社(2016/2/26)

 本書は、「1990年代以降、過労死・過労自殺に至るほどの長時間労働が、正規ホワイトカラー労働者に見られるようになった」として、「人事労務管理のフレキシブル化の下で、働く人々の懸命な努力にもかかわらず、労働時間が減らないのはなぜなのか。ワーク・ライフ・バランスが声高に叫ばれている今日、労働時間を短縮するにはどうすべきか」という問題意識により、「1990年代以降の正規ホワイトカラー労働者を対象に分析し解明する」ものです。
 第1章「長時間労働の現場で何が起きているのか」では、「1990年代以降の日本におけるホワイトカラー労働者の長時間労働問題と、人事労務管理のフレキシビリティの関係性を明らかにする」とした上で、「日本のホワイトカラー労働者の低い生産性」について、「ホワイトカラーの仕事の特徴は、多様性、個別性、『機械化』『標準化』の困難性にある」と述べています。
 そして、日本経営者団体連盟の「新時代の『日本的経営』」のベースとなったアトキンソンの「フレキシブルな企業」モデルにおけるフレキシビリティとして、
(1)機能的フレキシビリティ:市場環境や生産技術・方法の変化に応じて仕事内容や配置などを柔軟に調整できるようにすること
(2)数量的フレキシビリティ:市場動向に対応した労働力受給に応じて従業員の数を柔軟に調整できるようにすること
(3)財務的フレキシビリティ:市場の状況に合わせて人件費を自由に調整できるようにすること
の3点挙げています。
 また、「人事労務のフレキシビリティが目指す業務量(投入労働量)を市場動向に対応させるための人事労務のフレキシビリティ」として、
(1)人数:進む非正規化―容易に調達、容易に解雇
(2)スキルレベル:市場に必要な能力は自分の責任で身につける
(3)労働強度:成果主義化を通じた労働強化
(4)労働時間:労働時間管理の自己責任化
の4点について検討しています。
 第2章「労働時間の実態とその影響」では、「戦後日本の労働政策・労働行政は、先進諸外国からの圧力によって労働時間短縮政策を掲げつつも、企業側の事情を強く考慮しながら進められてきた」として、「積極的に労働時間を短縮させるのではなく、経済優先の後ろ向きでおずおずとした時間短縮であった」と述べています。
 そして、「『残業代を稼ぐために所定外労働をする』といった説がみられるが、それが『常識のウソ』であることは明らか」であり、「日本の長時間労働は、『業務量が多い』ことが大きな要因なのである」と述べています。
 また、過労死について、「仕事を原因とする過労・ストレスが誘因となった死亡や永久的労働不能を広く指す社会医学用語として定着」しているとして、その特徴は、
(1)性別では男性が圧倒的に多いが、女性も近年増加していること。
(2)被災者の年齢は40歳代、50歳代という働き盛りが多いは、その上下の年齢層にも広がっていること。
(3)被災者はホワイトカラー、ブルーカラーのいずれにも見られ、その職種は営業職と現業労働者が多いが、運転手、技術者、建設労働者等と実に幅広く、職場における彼らの地位はヒラ労働者が多数を占めるとはいえ、管理職にも分厚く広がっていること。
の3点であると述べた上で、「バブル期は、好況で仕事がたくさんありすぎたため過労死に至ったケースが多かったが、最近では、サービス業や営業部門等を中心に不況下での売上不振がストレスの原因となり、心筋梗塞等で過労死に至るケースが多い」としています。
 著者は、「日本の長時間労働の実態とそれをもたらす要因」について、
(1)先進諸国との国際比較の結果から見ても日本は長時間労働の国である。
(2)日本の労働時間の推移を見ていくと、1970年代以降、日本の総労働時間は減少傾向にあることが確認できたが、しかし所定外(時間外)について見てみると減少することはなく、90年代以降は拡大傾向にすらあることを確認した。
(3)総労働時間の減少は、週休二日制の浸透による影響もあるが、それ以上に非正規雇用労働者の急激な増加によるところが大きい。
(4)サービス残業が日本の経営者の体質になっている。
(5)所定労働時間の長さは、「多すぎる業務量」に原因があることが労使ともに認めているが、その問題が解決されない理由は、従業員を「自発的に」働かせる人事労務管理の構造にある。
(6)長期間労働が引き起こすメンタルヘルスの問題、過労死・過労自殺問題は、1990年代以降、正規雇用労働者の長時間労働問題の深刻化に伴い、さらに事態が悪化している。
の6点を挙げています。
 第3章「日本の労使は労働時間をどのように扱ってきたのか」では、「日本の経営者たちの労働時間管理の捉え方」は、「労働時間管理は、生産性向上を目的する合理化手段である。労働時間短縮という社会的要請にも、生産性の向上に伴う労働時間短縮でもって対応しようとする姿勢は変わらない」と述べています。
 そして、「所定外労働は、もともと一時的な性質のものであり、天災やその他臨時に事故が起こった場合とか、一時的な時期に発生する繁忙の場合などに限られているはずであるにもかかわらず、それが恒常化している」理由として、
(1)日本では、多くの場合、あらかじめ生産計画のうちに時間外労働を組み入れており、所定外労働が連続的に行われ、常態化している。
(2)低い賃金のもとにあって、生活を支えるため、どうしても残業や休日出勤を行うことによって収入を補わなければならない状況がある。
の2点を挙げています。
 また、2007年に連合によって打ち出された「年間総労働時間1800時間の実現に向けた時短方針―誰もが仕事と生活の調和のとれた働き方・暮らし方ができる労働時間をめざして―」において、労働時間短縮のための取り組みの指針として、
(1)時短意識の向上と職場風土の改善
(2)適正な労働時間管理の徹底と過重労働対策の強化
(3)年間所定労働時間の短縮
(4)時間外労働の削減
(5)年次有給休暇の完全取得、取得率の向上
(6)パートタイム労働者等の課題
(7)労働時間等設定改善法の活用
の7点が挙げられているとしています。
 第4章「労働時間短縮へ向けた企業の取組」では、「経営側にとって、労働時間短縮が生産性向上の一つの手段として考えられていた以上、労働時間短縮が労働強化によって達成されようとする危険性は、常につきまとうだろう。労働組合が労働時間短縮に介入することで、どのようにした労働強化が行われないような仕組みをつくるのか、この点で労働組合に期待される役割は大きいだろう」と述べています。
 そして、「現在の日本で展開されている人事労務管理のフレキシブル化は、もっぱら、企業競争力強化を図るためのものであった」ため、「より少ない正規ホワイトカラー労働者が、できるだけ多くの業務量を、そしてより長い時間働くような仕組み作りが行われてきた」と指摘した上で、
(1)労働時間短縮のために、まずは無駄な業務を洗い出し、業務の削減に取り組む必要がある。
(2)人数の増員を図ること。
(3)スキルレベルを上げていくこと。
(4)「自発性が強制されないように」人事考課のあり方の改善が必要である。
(5)労働時間に関してはフレキシブルな労働時間制の制限が必要である。
の5点を提言した上で、「これらすべてにわたって労働組合が適切に関与していくことの重要性」を強調しています。
 本書は、日本の長時間労働の原因と改善策を探った一冊です。


■ 個人的な視点から

 10人の正規ホワイトカラーでやっていた仕事を5人の正規社員と5人の非正規社員でやるようになれば、正規社員一人あたりの残業が増えるのは当たり前ですね。
 無駄をなくして生産性を上げていく、というのが答えだとは思いますが、号令だけかけて個人任せにしてもやるはずもないしやれるはずもないのですが、IT化の時のような目に見える人員削減効果がないと組織としては動けないもののようです。


■ どんな人にオススメ?

・時間を取り戻したい人。


2015年7月 1日 (水)

社会への出かた―就職・学び・自分さがし

■ 書籍情報

社会への出かた―就職・学び・自分さがし   【社会への出かた―就職・学び・自分さがし】(#2446)

  白井 利明
  価格: ¥1,836 (税込)
  新日本出版社(2014/12/9)

 本書は、「非正規雇用が自由な働き方ではなく、使い捨てにされる働き方であること」が指摘される中で、「青年はどのように働いたらよいのだろうか。親は何ができるのだろうか」について、青年心理学の視点から考えたものです。
 序章「現代青年の生きづらさ」では、「今は逆に自分で選べること、選ばないといけないことが負担となっているのではないか」として、「先行世代の親からすると、自由であることにはよい面とわるい面の2つの面がある。昔は自由がなかったから、今は自由があるということはよい面である。しかし、自由であることが個人の選択に重くのしかかっているという面もあると考えられる」と述べた上で、「自分の人生を立ち上げていく時期」である青年期と、「自分の仕事や家庭を持つことで、自分の能力を発揮したり、生きがいのもとになったりするような自分の生活基盤を作っていく時期」である成人期前半に、現代社会は「そのような課題を達成できるような条件を十分には与えていない」と指摘しています。
 第1章「雇用されるとは何か」では、「企業は青年が育つ機会を十分には提供していない」一方で、「青年は、さまざまに働く体験が、青年の育つ機会を提供してくれると思っている」として、「企業は非正規雇用での成長は甘い考えかたとする一方で、そうした青年の向上心を利用して非正規雇用につかせているといえるのではないだろうか」と指摘しています。
 そして、「青年は、気の合う仲間と楽しく働きたいと思っている。結婚し、家庭をもち、夫婦で子どもを育てていける働き方がしたいと思っている。そして、何よりも、それなりの賃金が支払われ、安定した生活が送ることのできるような雇用を望んでいる。しかし、今、政府や企業が向かおうとしている方向は、そうした願いとは正反対である。その矛盾が様々な形で青年問題となって噴出しているのではないだろうか」と指摘しています。
 第2章「正規雇用へのつきかた」では、「好きなことや自分のやりたいことを自分の仕事と結びつけて考えること」である「やりたいこと志向」について、「やりたいこと志向の高い人は、なかなか正規雇用にはつかないと考えられる」とした上で、事例から、「彼らのやりたい志向とは、自分らしさを保とうとする傾向のことではないだろうか。過酷な状況に振り回されたくない、自分のペースを守りたい、といった願いを意味していた」と述べる一方で、「正社員は、非正規雇用についている人に比べてやりたいこと志向が低かったが、それは、やりたいことをあきらめているからではなかった。むしろ、自分の目標を達成することに関心があった」として、「目標を持ち、そのために力をさき、そしてさらに向上させようと努力している。現在を未来につなげることで、社会の要請に自己を合わせようとしている」と述べています。
 著者は、「やりたいこと志向」について、「周囲にふりまわされずに、自分のペースで働きたいということであることがわかる。しかも、やりたいこと志向があると正規雇用につけないということでもなかったし、正規雇用についたからといってやりたいこと志向がなくなるものでもなかった。むしろ、職場や仕事との距離感をもつことができれば、仕事をしていけることが明らかになった」と述べています。
 そして、「社会移行を促す重要な要因の一つとして、社会への信頼があげられる」とした上で、「社会的信頼が大学時代の社会関係資本経験によって促進される」、「社会的信頼が高いほど社会に出ていく活動を粘り強く行うことができる」として、「この知見は、社会的に不利な立場にあっても、社会関係資本が形成されるならば、社会的信頼を高め、社会移行を促すことができるという示唆を与える」と述べています。
 第3章「青年と社会が開く自立への道」では、「個々の職業に従事するのに必要な専門知識、技能、規範・行動様式の習得を目的とする教育」である職業教育のポイントとして、
(1)専門性を身につけることが、労働のリアリティに基いて行われることで、青年の意欲が引き出され、自信をもたらすこと。
(2)労働は集団的に行われるので、職業教育も集団のなかで行われること。
(3)民主的な社会の形成者として社会に参加し、持続可能な環境をつくり上げていくこと。
の3点を挙げています。
 そして、「わが国において現在の学校から社会への以降が個人化・不安定化した背景」の一つとして、地域の経済的基盤が弱体化し、地域で次の担い手を育成できなくなってきたこと」及び「労働力の養成と配置にかかわる、学校と企業以外の公共的なシステムが整備されないまま、労働市場が自由化されてきたこと」の2点を挙げています。
 第4章「青年と親はどうするか」では、「青年期は役割実験をして自分のありかたをみつけていく時期である」として、「役割実験とは試行錯誤のことであり、学生のアルバイトはそのひとつである」と述べた上で、アルバイトの経験は、職業選択にはほとんど役立っていないが、「自分の生活圏では出会ったことのない多様な人たちと出会い、こうでなければならないと決めつけていたような自分の考えかたを相対化し、視野を広げていっている」という意味で、「自分なりの進路や人生を選び取ることができるのだろう」と述べています。
 終章「社会への提言」では、「社会で働き方を人間的な働き方にしていくことが必要である」として、
(1)作業の人間化
(2)コミュニケーションの人間化
の2つ意味での「人間的な働き方」を挙げています。
 本書は、移行問題における現代的な要因を指摘した一冊です。


■ 個人的な視点から

 自分の人生を選ぼうとする際に「やりたいこと」という言葉は、放っておいても若者の心を捉えてしまうわけですから、大人が寄ってたかって「やりたいこと」とか「自分探し」に手を貸してやる必要なんてないのです。お止しなさい。


■ どんな人にオススメ?

・自分を探したい人。


2015年6月22日 (月)

なぜ女性は仕事を辞めるのか: 5155人の軌跡から読み解く

■ 書籍情報

なぜ女性は仕事を辞めるのか: 5155人の軌跡から読み解く   【なぜ女性は仕事を辞めるのか: 5155人の軌跡から読み解く】(#2437)

  岩田 正美, 大沢 真知子 (著), 日本女子大学現代女性キャリア研究所 (編集)
  価格: ¥1,728 (税込)
  青弓社(2015/6/24)

 本書は、「国際的に見て日本の高学歴女性の労働参加率は低く、子育て期にあたる三十代では就業率が低下する傾向がある」ことについて、「学卒時に就業意欲が高い女性ほど離職している」天に着目し、「高学歴女性のキャリア形成の問題と課題は、結婚や出産との両立が困難である以前に、初期キャリアにおける人材育成にある」ことを指摘しているものです。
 第1章「M字就労はなぜ形成されるのか」では、「日本の高学歴女性は結婚や出産以前に、キャリアに行き詰まって退職している」とした上で、女性労働者の離職が、「女性自身の都合による理由(プル要因)であるならば、統計的に女性を差別することは企業の合理的な選択」であるとする一方で、「その理由が企業側の理由であるならば、企業は有能な人材を採用しているにもかかわらず、その人材を自ら手放してしまっていることになる」として、
(1)逆選択
(2)予言の自己成就
の2つの仮説を挙げています。
 そして、「非婚化や晩婚化という現象の背後にある理由の中にこそ、日本の女性労働者が抱える問題が隠されているのであり、それは企業の女性に対する『統計的差別』なのではないだろうか」として、「大手企業で、出産をした女性や育児休業を取得した男性には、所得の低下や昇進の遅れなどマイナスの影響が生じている」ことを指摘し、「企業で実施されているこのような雇用管理制度が、究極のところ女性労働者に仕事か家庭かどちらかを選ぶように求めているのである」と述べています。
 第2章「初職継続の隘路」では、M字カーブが解消することでもたらされる効果として、
(1)労働市場での男女の平等化
(2)労働力の確保
(3)少子化の改善
(4)女性の経済的自立
の4点を挙げています。
 そして、「長期間働いてもなお定型的な仕事から発展性がなく、命令系統の末端で働き続けるというような、仕事の裁量の幅が限定的で将来的な展望を持てない人の場合、現職へのコミットメントは低くなる」一方で、「仕事で中心的な位置に立って相応の責任を伴うようになると、心身ともに大きな負荷がかかることにもなる」と述べています。
 また、「育児休業取得という『幸運』に恵まれても、育休取得後も就業継続する人がその4割に満たないという、これまでほとんど注目されてこなかった事実」について、「出産・育児期の女性の就業継続の中心的施策である育児休業が必ずしも有効に働いていないことがまず指摘できるが、同時に、育休復帰後の評価システム、教育訓練、配置・昇進・処遇など仕事そのものの評価が低下するような問題がなかったかを検討する余地があるように思われる」としています。
 第3章「就労意欲と断続するキャリア」では、「雇用労働者の4割以上を占める女性労働者」について、「年収の低さも、男女の賃金格差の大きさも、さらには、女性管理職割合の低さも、どれもみな、女性が『キャリアを積み上げるような働き方をしていない/できない』ことを表している」と述べています。
 第4章「非正規女性たちのキャリアのゆくえ」では、「初職を非正規雇用で就職する人は年々増加していて、高学歴女性も同様の状況にある」と述べた上で、「初職を非正規として働き始めたり、育児などで一時仕事を中断した後に非正規で働き始めたりした女性にも、能力開発の機会があることで、企業にプラスの効果をもたらすことができるが、そのような機会がある人は少なく、十分な評価も行われていない状況にある」と指摘しています。
 第5章「専業主婦の再就業」では、「現在無業の主婦の8割以上が就業を希望しているが、いますぐに働こうとしている人は約1割にとどまる」と述べた上で、「主婦たちがたとえ働きたいと思っていても、仕事と家庭の両立、知識や技術のキャッチアップ、困難な就職活動、子どもの預け先の確保、病気時の対応など、働くためにはクリアしなければならないさまざまな問題が立ちはだかっている」
 第7章「資格は本当に役立つのか」では、「取得者数が多い割に活用している人が少ない医療事務関連資格の謎」について、「就業中や離職中に取得している人が突出して多い」ことを指摘し、「自分の能力を採用側にアピールするための行為が資格試験の受験であり、それに合格すると取得証として目に見える形になるのが資格という制度なのである」と述べています。
 本書は、イメージで語られがちな「女性のキャリア」をデータを元に読み解いた一冊です。


■ 個人的な視点から

 最初の就職がその後の仕事人生に大きく影響することは男女問わず同じではないかとも思いますが、明示的な研修は少ないとしても能力開発の機会というのは重要だと考えさせられます。


■ どんな人にオススメ?

・長い仕事人生について考えたい人。


2015年6月19日 (金)

危機と雇用――災害の労働経済学

■ 書籍情報

危機と雇用――災害の労働経済学   【危機と雇用――災害の労働経済学】(#2434)

  玄田 有史
  価格: ¥2,808 (税込)
  岩波書店(2015/2/26)

 本書は、「『仕事』という側面から震災のもたらした影響について検証し、その記録を地道に残していく」ことで、「生活の根幹にかかわる労働問題としての戦墓未曾有の大災害である東日本大震災を振り返ることで、災害が人々にもたらした困難や、そこから立ち上がろうとする人々の営みを、これまでの報告や記録にはなかった視点で新たに描き出」すことを目指したものです。
 第1章「震災前夜」では、「リーマン・ショックの経験が、その2年6ヶ月後に起こる東日本大震災への対応に、少なからず影響を及ぼしていく」として、「震災前から確実に起こっていた産業構造の転換に対し、東日本大震災はそれまでとまったく異なる影響を与えるることになっていく」と述べた上で、「リーマン・ショックに対処するために行ってきた緊急雇用対策は、後の震災に伴う雇用対策に少なからず影響を及ぼしてきた」として、「緊急雇用創出事業」と「基金訓練」について解説しています。
 第2章「震災と仕事」では、「震災の影響で新たに仕事を求めることとなった労働者の複雑な実情への理解」が欠かせないとした上で、「東日本大震災によって、日本全体では570.1万人の有業者(ふだん仕事をしている人)が、仕事に対する何らかの被害を受けてきた」として、この内、「225.7万人が離職もしくは休職によって震災後に働く機会を失った」と述べています。
 そして、「震災による仕事への影響が総合的に最も大きかったのは、製造業だった」としながらも、
「生き残った日本の製造業は、独自の技術力向上を一つの背景としながら危機対応力を、繰り返す自然災害の中で年月を重ねつつ磨いてきた可能性は大きい」と述べています。
 また、「震災などの大きなショックにさらされたとしても、正社員の雇用がなぜ守られるか」について、「企業も、労働者も、正社員という存在には、それまで教育や訓練のための時間や金銭など、多くの投資をしてきた」ため、「たくさんの資本を投下した以上、十分な利益を回収するまでは、その正社員という存在や立場を手放そうとしないのは、企業と労働者の双方にとって、至って合理的な行動なのだ」と述べています。
 さらに、「若年層に関しては、離職や休職に追い込まれることで、働きながら経験や知識を積み増す機会が奪われただけでなく、その他の影響も大きい」として、労働時間の減少や賃金の低下を挙げ、「若者が震災によってニート化する傾向が強まっていることは、これまで余り知られてこなかった事実である」と述べています。
 この他、「震災によって避難や転居を強いられた人々からは、個人が保有する住居や土地などを利用する機会が制限されただけでなく、仕事にとって重要な地域の社会的共通資本も奪われたのだ。それまで地域で培ってきた社会的共通資本を利用できなくなることは、その人の経済的価値を生み出す力を削ぐことになり、結果として仕事に就くことが困難な状況を生んでいる」と述べています。
 第3章「震災と雇用対策」では、今回の震災直後に緊急的な対応が求められた大きな課題の一つ」として、「津波や地震などによる直接被害のため、休業や離職を余儀なくされた人々への対応」を仰げ、「激甚災害の指定に伴う雇用保険の特例措置に基づき、賃金を受け取ることができない震災被害者に対する失業手当の特例支給がなされることとなった」と述べています。
 また、「今回の震災でも、比較的早くから雇用情勢に全般的な改善が見られた背景の一つとして、危機に迅速対応した雇用創出基金事業の役割は大きかった」と述べるとともに、「サプライチェーンの寸断」問題に対して、「被災した中小企業を『グループ』として支援する『中小企業等グループによる施設・設備復旧整備補助事業』(通称、グループ補助金)を今回はじめて本格化させた」と述べています。
 そして、「雇用促進税制の背景にあったのは、雇用を創出しているのは実際には一握りの企業であり、それらの企業を集中的に税制面で支援することが経済全体の雇用拡大により効果的であるという発想だった」と述べています。
 第4章「震災と企業」では、「経営者の自信の裏打ちとなっているもの」とは、「その企業に蓄積された、固有の実力なのだ」として、「その実力の一つとは、いうまでもなく企業独自の高い技術力である」と述べています。
 第5章「震災と希望」では、「震災が人々の意識や考え方にどのような影響をもたらしたのかを考察」するとした上で、キーワードとして「希望」を挙げ、「希望の喪失という現象は、若者のみならず、統計的にも確かに観察される日本人全体を覆う意識だった」と述べています。
 そして、「仕事に関する希望が、日本人にとって大きく衰退しつつある」とした上で、「このような希望が仕事から家庭へと移行しつつある背景にあるのは、必ずしも東日本大震災の影響だけではないのかもしれない」としつつも、「東日本大震災の経験が、日本人の勤労観、さらには家族観の見直しを迫ったと考えることも、やはり自然である」と述べています。
 また、「震災をきっかけに人と人との間の親密なつながりを意味する『絆』の大切さが、くりかえし強調されてきた」が、「実際に起こっていたのは、絆を結べるような友人や知人はごく限られているという、多くの人々にとって相反する現実だった」と述べています。
 終章「危機に備えて」では、「震災前のリーマン・ショックへの緊急対応による下地があった他、過去の困難から柔軟な対応力を培ってきた製造業など、震災に対しては一定のレジリアンス(回復力)を発揮した面がある一方、さまざまな仕事上の困難に翻弄された人々も少なくなかった」として、「震災前から、仕事について比較的不安定な立場に置かれていた人々ほど、震災によって仕事を失うこともあれば、再就職の困難を強いられることも多かったのだ」と述べています。
 本書は、震災と仕事とをもう一度見つめなおすきっかけを与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 究極の非日常である災害を前にしてしまうと、普段とは価値判断の基準が変わってしまう人がいますが、そうは言っても生活のことを考えると、やはり「どうやって食べていくか」は外せない重要課題です。


■ どんな人にオススメ?

・非日常がいつまでも続かないと思う人。


2014年5月29日 (木)

OL誕生物語 タイピストたちの憂愁

■ 書籍情報

OL誕生物語 タイピストたちの憂愁   【OL誕生物語 タイピストたちの憂愁】(#2323)

  原 克
  価格: ¥2,052 (税込)
  講談社(2014/2/27)

 本書は、「『台所から、街頭へ!』を合言葉に、オフィスに登場した働く女性たち」の誕生と日常をたどったものです。
 著者は、「今日OLが直面している問題の多くは、実は1920年代すでにして、そのほとんどが発生している。雑務ばかり割り振られる、重要な仕事を任せられない、なかなか昇進させてもらえない、仕事への無理解から無理難題をしつけられる、オフィスの花でいるように求められる、美人ばかりがもてはやされる、同僚のファッションと比べられる、結婚を機に早期退職を迫られる、課長からセクハラを受けるなどなど。挙げてゆけば切りがない」と述べています。
 第1章「ラッシュアワーにも慣れました」では、「都市においては、それまであった村の伝統的な作法が通用しなくなり、代わって、これまでになかった都市の作法が生まれてきた」が、「こうした変化は、なるほど、社会の構造に関わる大がかりな話である。しかし、こうした『大いなる物語』は、人びとにとって見れば、日々の暮らしのあらゆる局面において生じる、ささやかな具体的できごととして体験されることになる」と述べています。
 そして、「和洋論争のなかでしばしば守旧派から持ちだされた根拠、すなわち『着物は日本の伝統である』という物言いは、正確性を欠いている」として、「正確にいえば、着物というのは、たとえば封建制度下などで、働く必要のなかった社会集団に固有の衣服だった。これである。したがって、着物に固執する論客が伝統と言挙げするとき、それは日本の歴史総体のことを指すのではなく、わけても近世以降の封建制度を構成していた世界観のことを懐古的に想念しているにすぎないのだ」と指摘した上で、「男性サラリーマンの場合には、仕事のもつ機能性からの要請に応じて、早くから、和装を捨て洋装に切り替えるという変化は遂行された。それに対して、女性の場合には、機能性の要請という点では男性と大差ないはずなのに、和装であり続けることが固陋に墨守されてきた。極端にいえば、多少働きにくかろうが、様相によって手に入れられる機能性などに比べれば、和装のままでいることのほうが、はるかに大切なものが得られ、守られる。あたかも、こういう判断がなされたかのようだ」と述べています。
 また、「働く女性が増えるにつれ、男たちは職業婦人を恐れた。なぜなら、家庭がお留守になることにより、中流階級の家族制度が崩壊するのをよしとしなかったからである。と同時に、専門技術を修養して男子に伍することにより、それまであった『男女間の職業上の区別も亦破壊せらるゝ』(「婦人の職業教育」『国民新聞』大正5年9月18日号)ことを恐怖したからである」と述べています。
 さらに、「社会通念あるいは市場原理としては、タイピストというのは同じ職業婦人のなかでも、一般の事務員などより高く評価されていたもののようだ」と述べています。
 第3章「課長、それは無理というものです」では、「タイプライターへの無理解の根底には、明治維新以来の近代日本における職業婦人そのものへの無理解が、かたくなに共鳴している」と述べています。
 第4章「残業デス、がんばるしかないわ」では、「女性の労働市場が再編成された」状況下で起こったこととして、
(1)労働市場の再編成にもかかわらず、それまでと同じように働き続ける女性たちが存在する。
(2)労働市場の再編成のおかげで、これまで働くことがなかった女性たちが、新たに職場を得て働き出す。いわゆる職業婦人たち。
(3)労働市場の再編成を目の当たりにして、それまでも働いていた女性及びその予備軍が、これまでであれば働くことになったであろう旧来の職場を捨てて、新しい職場に転身していく。
の3つのパターンを挙げ、「働く女性というのは古来から存在したが、職業婦人(ビジネスガール)というのは、1920年代あたらしく誕生した」と述べた上で、「少なくとも1920年代中葉、職業婦人という場合、労働者階級出身の働く女性は含まれない。労働者階級あるいは無産階級の子女たちは、昔も今も変わらずに働き続けているのだ。それに対して、中流階級の子女というのは、今でこそ職業婦人と称して労働するようになったが、かつてはその必要性に迫られることが基本的になかった人びとの謂である」と述べています。
 そして、「職業婦人を語る際に欠かせないポイント」として、
(1)職業婦人とは中流階級出身の者のことをいう。
(2)職業婦人とは何がしかの知識・技能を修養した者のことをいう。
(3)職業婦人とは男性社員のライバルと目されうる者のことをいう。
の3点を挙げ、「こうした一切合切を一身にまとって登場したのが、1920年代の職業婦人だった」と述べています。
 また、「1920年代以前、職に就こうとする女性は『何処かに欠点がある人』とみなされていた。これが当時の社会通念であった。なぜなら、女性というのは就職するまでもなく、家庭にとどまり、一家を運営してゆくのが社会的責務だと考えられていたからだ」と述べています。
 本書は、20世紀型女性知的労働者の苦悩の始まりを追った一冊です。


■ 個人的な視点から

 小学生の時に日本語タイプライターを見たことがありますが、文字がずらっと並んでいてかなり大きかったような気がします。当時は学校のプリントは「ガリ版」と呼ばれる謄写版で作っていました。その後、コピー機が普及する前にはリソグラフが使われていた気がします。事前に紙をよくさばいておかないとうまく印刷できなかったのを思い出します。


■ どんな人にオススメ?

・いつの時代もOLがは大変だと思う人。


2011年6月20日 (月)

希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想

■ 書籍情報

希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想   【希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想】(#2028)

  古市 憲寿, 本田 由紀
  価格: ¥903 (税込)
  光文社(2010/8/17)

 本書は、ピースボートに乗船する若者達について、「彼らがどのようにピースボートに興味を持ち、船内でどのような活動をし、そして帰国後どうなったかまでの過程を追った」ものです。
 著者は、「今の日本社会において『若者たちをあきらめさせる』ことが必要なのではないかという問題意識が本書にあるとしており、「あきらめさせてくれない社会」を構造を問題にしているとしています。
 第1章「壊れた日本、希望は共同体?」では、「若者の貧困」や「格差問題」を論じるときには、
(1)経済的な問題・・・「貧しさ」」の問題
(2)承認の問題・・・「寂しさ」の問題
の2つのレイヤーに分けると考えやすいと述べた上で、「承認の共同体」において、「『共同性』が『目的性』を『冷却』させてしまうのではないか」というのが本書の仮説であるとしています。
 第2章「旅の終焉と新しい団体旅行」では、若者の旅離れについて、「『お金』や『時間』というのは二次的な理由に過ぎず、むしろその背後に想定される別の因子が若者の旅離れを引き起こしている」として、「『旅』というもの自体が今、消滅しかかっているのかもしれない」と述べています。
 そして、「新・団体旅行」について、
(1)ただ観光地に行って満足するような物見遊山的な旅行ではないこと
(2)通俗的に理解されている「自分探し」であると同時に、「承認の共同体」へのコミットメントでもあること
の2つの特徴を挙げています。
 第3章「ピースボートの秘密」では、1983年に始まったピースボートが、現在では1000人規模の世界一周クルーズを一年に3会実施するまで事業拡大したことについて、「同時に政治的理念の実現という『目的性』=『政治性』を漂白する歴史でもあった」としています。
 また、ボランティアスタッフの活動拠点となる「ピースセンター」、通称「ピーセン」について、彼らにとって、「貢献」すべき団体であり、「大切ですてきな場所」であるとしています。
 第4章「自分探しの幽霊船に乗る若者たち」では、ピースボートに乗船する若者の属性が、
(1)学生
(2)過酷な労働を強いられていた正社員
(3)正社員を含む周辺的労働者
(4)資格所有者
の4つに大別し、「待遇や収入など労働条件が相対的に良くない若者も多く乗船している」としています。
 そして、ピースボートに乗る若者たちが直面しているのは、「閉塞感」や「空虚感」といった「現代的不幸」であるとしたうえで、「もはや現代においては『域づらさ』の処方箋としての『承認の共同体』さえも、『商品化』されていると指摘しています。
 第5章「ルポ・ピースボート」では、若者を、
・セカイ型
・文化祭型
・自分探し型
・観光型
という4つのタイプに分け、実際にクルーズ中に何が起こったのかを見ていくとしています。
 そして、若者たちの語りから見えるるものとして、「ピースボートが決して人生を変えるような劇的な体験ではなかった」としています。
 第6章「あきらめの舟」では、「ピースボートという『承認の共同体』は、社会運動や政治運動への接続性を担保するどころか、若者たちの希望や熱気を『共同性』によって放棄させる機能を持つと言える」としています。
 第7章「だからあなたはあきらめて」では、「セカイ型」と「文化祭型」の若者がたどり着いたのは、「『目的性』がなく『共同性』だけのぬくぬくした温かい居場所だった」として、「希望難民たちは『現代的不幸』に対しムラムラして(衝動や感情が抑えきれないこと)ピースボートに乗り込み、目的性を冷却させた結果、『村々する若者たち』になったのだ」と述べています。
 本書は、希望難民たちが辿った船旅を追跡した一冊です。


■ 個人的な視点から

 「ピースボート」と聞くと、「どうせ左翼かぶれの若者が乗っている船だろう」くらいの先入観しかない人が多いと思うのですが、事態はそれ以上に時代を反映していることに驚きました。


■ どんな人にオススメ?

・世界一周に夢を持っている人。

2010年3月 2日 (火)

キャリアに揺れる―迷えるあなたに贈るブックガイド30

■ 書籍情報

キャリアに揺れる―迷えるあなたに贈るブックガイド30   【キャリアに揺れる―迷えるあなたに贈るブックガイド30】(#1867)

  上西 充子, 柳川 幸彦
  価格: ¥1575 (税込)
  ナカニシヤ出版(2006/06)

 本書は、「ちょっとでも歩いたことのある道」や「もしかしたら歩くかも知れない道」を「全部ひっくるめて『キャリア』と呼んでみると、これからの歩き方はがらっと変わってくるはず」だとして、「そういう予期せぬあれこれに触れる『きっかけ』となる本の、『紹介文』を集めたもの」です。
 第1章「学ぶ」では、橋本治『「わからない」という方法」について、「最初から方角がわかれば、あるいは最初から地図があれば、誰も苦労はしない」として、「『わからない』」という不快を簡単に排除してしまわず、『わからない』を身体に宿してサナギの状態に耐えることのあとに、はじめて『わかる』という羽化の瞬間は訪れる」と述べています。
 第2章「揺れる」では、香山リカ『就職がこわい』について、「就職活動真っ只中の若者が抱える『就職不安』や『就職離れ』の問題は、『サラリーマンになると自由がなくなるから』『仕事だけで人生終わりたくない』といった単なる『就職嫌い』ですまされるものではなく、彼らが抱えているのは、あまりに大きくなった『自分自身への不安』と『他人への恐怖』であるのかも」知れないと述べています。
 第3章「働く」では、小関智弘『仕事が人をつくる』について、仮に仕事が「選んだ」モノでなかったとしても、「仕事が人をつくり、人を育てる」「人は働きながら、その人となってゆく」と述べています。
 第4章「背負う」では、杉山春『ネグレクト 育児放棄 真奈ちゃんはなぜ死んだか』について、2000年12月10日に起きた事件についてのノンフィクションだとして、餓死した児童の両親がともに、「それまでの成長歴の中で、自分の感情を親に受け止めてもらえずに育ってきている」として、「自分ひとりなら、状況をやり過ごして生きていくこともできたのだろう。けれど、子供という、関わってやらなければならない存在が生まれたことによって」、両親の限界が「あらわになっていく」と述べています。
 また、金子雅臣『ホームレスになった 大都会を漂う』について、「夫婦や家族のもつ、本来の機能。それはきっと、『だまって受け入れてくれる』ことなのではないでしょうか」と述べています。
 本書は、広い意味でのキャリアという自分の将来を考えるきっかけとなる一冊です。


■ 個人的な視点から

 日本では、「書評」という何だか大上段に構えた言葉がよく使われていて、ハードルが高いイメージが有るのですが、本当は多くの人に喜ばれるのは、どういう本を読んだらいいか、ということを伝える、本書のような「紹介」文なのかも知れません。


■ どんな人にオススメ?

・キャリアに揺れている人。

2010年2月14日 (日)

若者の働く意識はなぜ変わったのか―企業戦士からニートへ

■ 書籍情報

若者の働く意識はなぜ変わったのか―企業戦士からニートへ   【若者の働く意識はなぜ変わったのか―企業戦士からニートへ】(#1851)

  岩間 夏樹
  価格: ¥2,310 (税込)
  ミネルヴァ書房(2010/04)

 本書は、「企業戦士と呼ばれた終身雇用サラリーマン像」と、「定職につかないニートなどの若者像」の2つの世代を分析することで、「働くことへの世代の考え方を明らかにする」ものです。
 第1章「若者は社会の変化に適応できるか」では、「本当にみんなが必死になって働いたのは70年代半ばくらいまで」で、「ここから先はかなり楽になって、ある程度達成された豊かさを前提に、さらに一層の成長をした時代」だとして、「経済成長の波に身を任せているだけなのに、生活水準が上昇していく」フリーライダーが見られるようになったと述べています。
 そして、「職場が強力なサポート体制を提供してくれるライフスタイルの55年体制は、長い平成不況と、小泉改革のプロセスで終わりを迎えた」として、インターネットの普及が、「ライフスタイルの55年体制の崩壊と軌を一にして進行したという非常にユニークな意味を持っている」と述べています。
 また、「我々の社会は、もはや、物質的な豊かさを求心力として利用できないところまできてしまっている」結果、「若い世代から順に、それに変わる求心力を模索し始めた」と述べています。
 第2章「若者の『失われた十年』とインターネット」では、「ライフスタイルの55年体制」は、「富の配分も政治的であった」が、「小泉構造改革と呼ばれるものは、この状況にメスを入れようとしたものだ」と述べています。
 そして、「雇用の流動化が進み、様々なことが職業として認知されるようになった社会にあっては、そのゴールに向かって進む手段も実に多種多様な選択肢がある」として、この状況を、「就労アノミー」(アノミー:目標と手段とが複雑に葛藤して合理的な解決策が見えにくくなっている状況)という現象として解説しています。
 第3章「若者の働く意味の変化」では、「様々な人間と直接対面した形で行われるヒューマン・ソーシャライゼーションと、情報や商品によってもたらされるマス・ソーシャライゼーション」とがあるとして、それぞれにアクセントがおかれた育ち方をしている世代について、「利害対立している両者は、しかし同時に、肩を並べて率直な自己提示を避け、ともに擬態のシェルターに隠棲している同類同士でもある」と述べ、「『まったり生きる』という若者言葉は、企業戦士型のライフスタイルの正確な陰画になっている。豊かな時代に生まれ育った世代は、それで十分満足なのだ」と述べています。
 そして「少なく見積もっても、戦後半世紀以上もの長きにわたって、われわれは際限もなくモノを消費する、それなりの理由を与えられてきた」が、「ここへきてそれが一挙に不透明になってしまった」と述べています。
 また、「フリーター」について、「この社会で積極的に一人前の役目を引き受けることを躊躇している存在」としながらも、「よく言われる確信犯的怠け者は極少数のはず」で、「その背後にあるのは、つきつめれば、この社会に対する漠然とした不信感である」として、「若い世代からそっぽを向かれた社会の先行きは暗い」と述べています。
 さらに、「ニート状態にある若者は、本質的に同世代の若者とさほど異なる特性をもつわけではない」として、「ちょっとしたきっかけで職場や学校といった『外』の生活空間に定着できず、次第に距離をおいてしまうライフスタイルによって形成されたもののように思えた」と述べ、「ニート状態にある若者の問題は、まず第一に、このような産業構造の変化、職業観の変化、ワークスタイルの変化が、ある種の若者を働くことから排除する社会的モメントとして作用していることを考えなければならない」と指摘しています。
 第4章「総中流社会に変わる若者の居場所」では、「家族関係の過去を振り返ると、われわれは安直に、父親を中心とする家父長制的な家族関係が、現在見られるような愛情で結びつけられた家族関係に変化したと考えがち」だが、「実際には、もっと複雑なプロセスを経て現在に至っている」として、「我々が封建的だと思い込んでいる古い家族関係は、実は明治の民法制定から生まれた」と述べ、この「近代家族」の原型の特徴を、
(1)他の親族からの独立
(2)ムラなど外部の共同体からの独立
(3)戸主権の明確化
の3点を挙げ、「それまで武家や大商人など一部のものにしか見られなかった、家を創り、それを継承していくという観念が、すべての国民に拡散した」と述べています。
 そして、「大正時代になると、中級ホワイトカラーが増加し、職住の分離が広まり、主婦というものが初めて社会的に認知されるようになる」と述べ、戦後のベビーブーム世代が家庭をもつようになると、住宅需要の高まりから大規模なニュータウンの開発が計画され、「ニューファミリー」と呼ばれる家族が生まれたと解説しています。
 また、「安定しているが(いまや疑問だが)窮屈でしんどい正社員、ライフスタイルの自由度はあるが低賃金で不安定な非正規雇用」という「不毛の選択を前にして、若い世代は、どちらにしてもしんどいならば意義を感じられる仕事をしたい、とメッセージしている」ことについて、「日本の若い世代が今なお、仕事は聖なるものという感覚をどこかに持っているからだ。この奇跡のような僥倖は大切にされるべきだ」と述べています。
 本書は、働く意識が、産業構造や家族の形によって大きく左右されることを示す一冊です。


■ 個人的な視点から

 基本的には、本の内容そのものはごもっともという感じなのですが、世代論はどうしても評論家っぽくなってしまって新たな発見らしいものというか、ひらめきみたいなものを打ち出しにくいのが難点なのかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・若者の職業観を知りたい人。

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