コンピュータ

2016年7月19日 (火)

行動情報処理: 自動運転システムとの共生を目指して

■ 書籍情報

行動情報処理: 自動運転システムとの共生を目指して   【行動情報処理: 自動運転システムとの共生を目指して】(#2543)

  武田 一哉 (著), 土井 美和子
  価格: ¥1,728 (税込)
  共立出版(2016/1/23)

 本書は、「ここ数年、大規模データ解析を活用した行動情報処理の研究が『ビッグデータ』の応用領域として注目を集めて」いることについて、「特に、人間の模範的な運転を再現する技術は『自動運転システム』の中心的な課題と認識されて」いるとして、行動情報処理の研究をまとめたものです。
 第1章「行動情報処理とは」では、「人間が自分自身を省みる『内観』に基づく方法に対して、客観的な観測が行えて、再現性を持って仮設を検証できることが行動主義の優れた点」であると述べています。
 そして、「本書では、人の生活活動の根本である『行動』を、データ中心科学として捉える新しい技術、『行動情報処理』を解説」するとともに、「人間を入力に応じて何かを出力する仕組みとして捉える立場」に立つとして、「行動に関わるデータを大量に収集することが可能になりつつあることを前提に、データ中心科学の方法論を使って、行動を予測したり、行動に内在する人間の個性・状態・意識を理解できることについて解説」すると述べています。
 第2章「行動情報処理のための基礎知識」では、「観測された信号と正しい分類結果の組(しばしば教師データと呼ばれます)を使って、最適な分類方法を機会的に決める方法が、現在盛んに研究されて」おり、「これらの研究は機械学習とよばれる研究分野の一部であり、データ中心科学の中心的研究分野として今後の大きな発展が期待されて」いると述べています。
 第3章「行動から個性を知る」では、「与えられた入力(上の句)と出力(中の句)の組み合わせから、システムの一般的な振る舞いを予測することは、信号処理の非常に基本的な問題」であり、「システム推定問題」と呼ばれ、「非常に単純な(しかし実用上、多くの現実を説明できる)システムである線形時不変システムに対して、この問題を一般的に得方法が知られて」いると述べています。
 第6章「行動情報処理の応用」では、「多くの交通事故が『漫然運転』により引き起こされていると考えられ」る点について、「運転行動と視行動の信号を同時に解析することで、漫然運転を検出できると考え」たとした上で、「視行動を手がかりに、運転にどれだけ意識を集中しているかを評価する技術は、自動運転システムへ過度に依存した過信状態を検出することにも使えるのではないでしょうか」と述べています。
 本書は、自動運転システムを支える行動情報処理について解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 自動運転は間違いなくこれからの交通システムの基本的なインフラになる技術ではあるのですが、まだまだ越えるべきハードルは高そうです。


■ どんな人にオススメ?

・自動運転車に乗ってみたい人。


2016年7月17日 (日)

ソーシャルメディア中毒 -つながりに溺れる人たち-

■ 書籍情報

ソーシャルメディア中毒 -つながりに溺れる人たち-   【ソーシャルメディア中毒 -つながりに溺れる人たち-】(#2541)

  高橋暁子
  価格: ¥840 (税込)
  幻冬舎(2014/12/3)

 本書は、「10代のソーシャルメディアの利用実態や実例、背景や問題を中心に取り上げた」ものであり、「ただ『使わない』『取り上げる』から一歩進んで、使う場合はどうしたらトラブルに合わずに済むのか、問題を解決できるのかという視点」で書かれています。
 第1章「今、若者のあいだで何が起きているのか?」では、「既読スルー」や「未読無視」について、「ティーンは、相手が自分をどう思っているのかを確認したいという思いに常にとらわれているため、いつまでも相手の反応が確認できないことも、やはり苛立ちの対象となってしまうのだ」と述べています。
 そして、「中学生は、セルフコントロールやコミュニケーション力などが未熟であり、可処分時間も多い。友達関係を何より重視する年頃であり、日常も学校と家の往復の繰り返しで世界が狭い。彼らにとってはLINEでつながり、関係性を確認しあうことが重要であり、それゆえに振り回され、LINEtyうしんのせいかtの生活になってしまう子どもがいるのだ」と述べています。
 また、SNSからトラブルが生まれる理由として、
(1)文章・画像のみのコミュニケーションは難易度が高い
(2)SNS自体の歴史が短く、共通のルールやマナーが定まっていない
(3)年代・サービスごとに利用の仕方が異なり、ローカルルールが存在する
(4)コミュニケーションの同期・非同期型、感情の伝わりやすさ・伝わりにくさが混在する
の4点を挙げています。
 第2章「止まらない承認欲求の連鎖」では、「認められたいけれど認められないティーン・そこにSNSという自己表現の場が誕生し、一人一端末が行き渡るようになった。ティーンの欲求にSNSがはまった瞬間だ」とした上で、「SNS内で自分の写真を頻繁に投稿するユーザーには、男性より女性のほうが圧倒位に多い」理由として、「自己愛や自意識の強い女性は、自分の容姿を高く評価しており、異性から魅力的と賞賛されることを期待している」と述べています。
 第3章「進化するネットいじめ」では、「ネットいじめは単独で行われることはほとんどなく、リアルいじめと平行して行われる傾向にある」が、「ネットいじめの数は、リアルいじめよりはずっと少ない」一方で、「リアルいじめを深刻化させたり、当人に深いダメージを与えたりするため、緊急な対処が必要となっている」と述べています。
 そして、「インターネットやSNSは、いじめる側に都合がいいツール」である理由として、「いじめる側は、手持ちの端末で自分は動かずに手軽にいじめができてしまう。相手が傷つく様子が見えないため罪悪感に駆られることもなく、匿名で安全な場所からいじめることも可能だ」とする一方、「その分、いじめられる側にはとてもきつくできている」と述べています。
 また、ネットいじめのパターンとして、
(1)フレーミング/挑発行為(敵意的言語表現)
(2)ハラスメント/迷惑行為…繰り返し、(特定の)他者に攻撃的なメッセージを送ること。
(3)サイバーストーキング/犯罪行為…ハラスメントがさらに悪質になり、脅迫と考えられる言動に達していたり、現実の具体的な危害が差し迫っている場合、特にサイバーストーキングと呼ぶ。
(4)デニグレーション/中傷行為…他人を中傷する(時に事実でない)情報や絵画、加工した写真などを書き込んだり、掲載すること。
(5)インパーソネーション/なりすまし…被害者になりすまして、他者にネガティブなメッセージを送ること。被害者のパスワードを盗んで、被害者になりすまし、さまざまなサイトに被害者が困惑する情報をオンライン上に書き込むなど。
(6)アウティング&トリックリー/個人情報の暴露…アウティングとは知り得た個人情報を、本人の了解なくオンライン上に公開すること。トリックリーとは、個人情報を得るため相手に近づき、個人情報を得た後に、それを了解なくオンライン上に公開すること。
(7)エクスクルーションまたはオストラシズム/仲間はずれ…オンライン上のグループから特定個人を無視したり、情報を回さない行為。
(8)ハッピースラッピング/暴力行為の撮影…個人または集団が見知らぬ相手を不意に襲い、その様子をカメラ付き携帯電話で撮影し、携帯電話で送り合ったりオンライン上に公開すること。
の8類型を挙げています。
 第4章「あらゆる人に迫るネット依存」では、「中高生の51万8千人、割合でいうと8%がネット依存傾向」というニュースについて、米国の心理学者キンバリー・ヤング博士の診断質問票において、「診断の必要あり」とされた数字であり、「ネット依存者が同数いるということにはならない」と述べています。
 そして、「実生活や心身への弊害で判断する」方法として、
(1)自己コントロールができない
(2)社会生活、人間関係、家族関係への悪影響が出る
(3)禁断症状が出る(取り上げるとパニック症状になる、何をしていいかわからなくなる、どんなことをしてでも手に入れたいと感じるなど)
(4)耐性ができて利用が長時間化する
の4点に該当すると問題となると述べています。
 著者は、「スマホは、明らかに普通の子どもたちから生活すべての時間を盗んでいる。経験や体験、地に足をつけて生きることをなくした状態で、子どもは無事に成長できるのだろうか」と述べています。
 第5章「大人社会に蔓延するSNSの闇と罠」では、「誰もが日常的に関係性によって数種類の顔(ペルソナ)を使い分けているはず」であるのに、フェイスブックが、「ペルソナを使い分けづらい仕組みを取り続けている」理由として、「仕事上の友達や同僚と、それ以外の知り合いとで異なるイメージを持つ時代は、もうすぐ終わる」というザッカーバーグの信念から始まっていると述べています。
 そして、「ネット住民たちは正義感、大義名分に則って、他人を攻撃することで自分の鬱憤を晴らす傾向にある」として、「あくまで満たされない自分の欲求不満や苛々を他人にぶつける口実として、大義名分が欲しいだけだ。その証拠に、罪の重さとその人が炎上で避難される度合いは全く比例していない」と述べています。
 第6章「『ソーシャル疲れ』が呼びこむうつと孤独」では、「調査によって、日本だけでなく世界中で同様の事態が起きていることがわかっている」とした上で、「自己愛は誰にでもあるものだからだが、SNSはこの自己愛性パーソナリティ障害を悪化させる可能性があると指摘されている」と述べています。
 第7章「SNSがもたらす違和感」では、「ティーンはオンラインの付き合いをとても大切にするので、オンラインでの自分をとても大切にする。すなわち、SNS内での自分のイメージ、仲間内でのポジション、ソーシャルゲームでの強い自分などだ。その挙句、リアルの生活をないがしろにして、オンラインに没頭することも多くなる」と述べています。
 第8章「ソーシャルメディア中毒への処方箋」では、「外部から講師を呼んで、講演や勉強会などを行っている学校も増えているが、情報リテラシー教育は現状に追いついていないというのが現実だ」として、「学校だけでは利用にまで口は出せず、対処が難しいというのが現状だ」と述べています。
 本書は、現実に子どもたちの生活時間を奪っているSNSにいかに対処するかを語った一冊です。


■ 個人的な視点から

 いかに若者たちに無限の未来が開けていると言っても一日が24時間であることには変わりがないわけで、こんなのテレビなんて手も足も出ないんじゃないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・子どもたちのメディアへの関わり方を気にしている人


2016年7月 2日 (土)

サイバーリスクの脅威に備える: 私たちに求められるセキュリティ三原則

■ 書籍情報

サイバーリスクの脅威に備える: 私たちに求められるセキュリティ三原則   【サイバーリスクの脅威に備える: 私たちに求められるセキュリティ三原則】(#2526)

  松浦幹太
  価格: ¥1,836 (税込)
  化学同人(2015/11/20)

 本書は、「仕事であるいはプライベートで、多かれ少なかれサイバーリスクの脅威と向き合って生きて」いる私たちが、「生産性を高め、活力を増し、競争力を養い、最終的には幸福をもたらすべきもの」とするために、サイバーセキュリティにいかに取り組むべきかを解説したものです。
 第1章「サイバーセキュリティとは何か」では、「情報セキュリティを確保する」とは、「情報セキュリティの基本要素に関する品質管理を徹底すること」であり、基本要素には、
(1)秘匿性
(2)完全性
(3)可用性
の3点が含まれるとしています。
 そして、サイバーセキュリティの計画段階で難しいこととして、「『なぜこのPDCAサイクルを開始するのか』という根源的な動機を計画全体に反映させること」だとしています。
 第2章「なぜ脅威が生じるか」では、「絶対に情報漏えいが起きない、理想の情報セキュリティを実現する」ためには、単なる理想としては、「NRU-NWD」(Not Read-Up, Not Write-Down)という多層セキュリティの考え方が古くから知られているが、「この理想は、一部の狭い世界(たとえば、計算機における特定のタイプのプロセッサ〔基本的な処理装置〕)を除けば、実現困難」だと述べています。
 そして、「サイバーセキュリティでは、さまざまな要素が絡み合う中で許容できる安全性が保たれている、という事例」をもかけるとして、「他要素」と言うことが重要なキーワードだとした上で、サイバーセキュリティにおける安全評価は本来、「攻撃者は防御手法を知っている」と仮定すべきであるとする「ケルクホフスの原則」について解説しています。
 第3章「どうすれば安全にできるか」では、「科学的な安全性評価」について、「第三者を納得させるだけの客観性と再現性」が必要であるとして、
(1)脅威が急激にかつ適応的に進化するという困難性
(2)理論的に安全性証明できる技術はまだ少なく、多くの技術が実験的な安全性評価に頼らざるをえないという困難性
(3)品質管理を徹底すべき情報セキュリティの三要素である秘匿性・完全性・可用性の間ですら、トレードオフがあるという困難性
の3つの本質的な困難性を持っていると述べています。
 第4章「どうすれば安心できるか」では、「たとえ事後的にでも相当程度インシデントの原因を究明できる可能性があれば、まったく手がかりを期待できない状態でサイバー空間を利用する場合と比べて、安心感は増す」として、「デジタル・フォレンジック」を「その鍵となる技術であり仕組み」だとしながら、
(1)手続きの正当性
(2)解析の正確性
(3)第三者検証可能性
の3点が求められると述べています。
 第5章「脅威への備え三箇条」では、「再現性を確保できるだけのくわしさと正確さで防御手法を明示して、安全性評価を行うべき」とする「明示性の原則」について、「どちらかといえばサイバーセキュリティの専門家や、サイバーセキュリティと業務上の関わりが強い人向けのもの」だとしながらも、一般ユーザにとっては、「IDやアドレスといった身元特定に関わる情報に対して注意深く行動すること」を規範とすべきと述べています。
 また、「PDCAサイクルの各サイクルにおいて、計画段階から評価検証段階までの間、脅威分析や適用範囲と要求要件を首尾一貫させ、評価検証の質を高め信頼できるものにするべき」とする「首尾一貫性の原則」について解説しています。
 第6章「サイバーセキュリティに革命は起こせるか」では、「サイバーセキュリティとその関連分野の英知を総動員し、研究・開発・実用化が織り成すPDCAサイクルの生産性を『インターネットを活用して生産性向上の革命が起きたといえるほどまでに』高める変革」である「ディフェンダー・ムーブメント(防御者革命)」について、その到達度として、
(1)直接的あるいは間接的な共同が研究者の間で広まっている状態
(2)実務家も含めて広まる状態
(3)一般ユーザも含めて広まる状態
の3つの段階を挙げています。
 第7章「コストか投資か」では、「課題に取り組むことがコスト要因に見える状態から、過大に取り組まないことがコスト要因に見える状態への変換が重要だ」と述べています。
 本書は、サイバーセキュリティについて体系的に考えたい人へのガイドとなる一冊です。


■ 個人的な視点から

 大人の作ったセキュリティをやすやすと破ってしまう高校生がいたりするくらいで、現時点で安心なものが明日も明後日も安心とは限らないネットの世界でセキュリティを維持するには、リアルの部分こそが大事なのでしょう。


■ どんな人にオススメ?

・サイバーテロが怖い人。


2016年1月28日 (木)

オンライン・バカ -常時接続の世界がわたしたちにしていること-

■ 書籍情報

オンライン・バカ -常時接続の世界がわたしたちにしていること-   【オンライン・バカ -常時接続の世界がわたしたちにしていること-】(#2521)

  マイケル・ハリス (著), 松浦俊輔 (翻訳)
  価格: ¥2,376 (税込)
  青土社(2015/8/24)

 本書は、「ヘビーな常時接続の世界にいて、事実上ネット以前を知らない世代の直前の世代」の著者が、「自分がまさにそういう世代にいることを、気づいたり振り返ったりできる最後のチャンスととらえ」、「自分が今ここに居ることの、ビフォーとアフターからの意味を探る」という作業をするものです。
 第1章「入れ替わり」では、「もうあっという間に、インターネット以前の生活を覚えている人はいなくなる」として、「私たちがインターネット以前の生活を知っている史上最後の人類であるなら、これから、いわばどちらの言語も話す唯一のじんでもある」と述べています。
 第2章「今どきの子」では、「歴史上、二つの世代がこれほど際だった認知的不協和を体験したことがない。変化がこれほど急速に生じたことがないからだ」と述べた上で、「私たちの子ども世代の脳が、4万年前の先祖が生まれたときの脳と、そんなに違うわけではない」が、「ネットでの活動を経験する際の脳の活動を記録」したところ、「被験者に1日1時間、1周間だけインターネットの閲覧を実行したもらった」結果、「その『未経験』の人々の脳の、以前は神経活動がごくわずかだった前頭葉で、有意に活動が高まっていた」と述べています。
 第3章「告白」では、「私たちのほとんどは、匿名のインターネットに自分の命をすべて投げ出したいとは思わないが、それでも、自分を拡散しようとする困惑するほど強い思いがあって、それを私たちの多くがたたえることを学んでいる」と述べた上で、「回線を切断した世界の記憶がなければ、人間の感情をネットの管理システムのほうに委ねてしまうことは、最高の、最も便利な、きっといちばん易しい取引に見える」として、「私たちはこちらの環状を完璧に理解し、さらには自分に代わって感情を監督してくれる機械を求めているのだ」と述べています。
 第4章「みんなの意見」では、「ウィキペディアの本当の難点」は、「民主的な衝動」にあり、「『みんな版』の事実が等しく正しとされ、専門家の見解が片隅に押しやられるような舞台では、企業や政治的利害が権限を与えられかねない」と述べています。
 そして、「伝統的に、専門知識は一方通行」だったが、「ブロガーの言葉が『プロの』批評家の言葉と並べられているのを始めて見てしまえば、その後はダムが決壊したかのように当たり前のことになった」と述べ、「自分の声を広めるのはいいことだと信じて私たちはここまで進んできた――確かにいいことかもしれない――が、今や私たちの仕事は、その信じ方を第二の問い『私たちは意見の過多で苦しくなるのではないか』で和らげることだ」としています。
 また、「専門家の見解の価値を下げることの裏返しは、アマチュアの意見、世論の価値を――まさしくそのアマチュア性のために――過剰に見ることだ」と述べています。
 第6章「注目!」では、「何を信じたかろうと、脳そのものはマルチタスクができる装置ではない。そこから私たちの問題が始まる。人の脳は、聴覚と視覚の情報を総合して、身のまわりの世界についての理解を一つにまとめるために、一定量の並行処理はするが、脳の注意そのものは一点集中で、一度に一箇所しか照らせない」として、「次々と移動する小さな作業があり、痙攣的な努力の作業はあるが、残念ながらマルチタスキングというようなものはない」と述べ、「実はマルチ切替(スイッチング)をしている」としています。
 第7章「記憶(優れた誤り)」では、「ほとんど気づかないうちに、私達は重要な周辺脳機能を周囲のシリコンチップに外部委託している」と述べた上で、「古代ローマやアテネでは、人々が高度の個人化された『場所(ロキ)法』を用いて、自分の頭のなかに引き込む外部の情報を増やし、頭のなかで整理しておくようになった。要するにこれは精巧な暗記法で、頭のなかで詳細な建物――『記憶の館』と呼ばれることもある――を建設し、その中に記憶を『置く』ことができる」と述べています。
 第8章「結合」では、「中学2年生が自家製ポルノを送り合っているというマスコミ報道を読むと、デジタルライフはセックス過剰現実への誘惑に違いないと思いこむようになる」が、「インターネット以後の十代は、インターネット以前の十代に比べると、実際には肉体的なセックスが減っていた」と指摘しています。
 そして、世界最大の出会い系サイト「PlentyogFish」の背後で動いているアルゴリズムについて、「関心が共通なら、一緒にいつづける可能性が2倍になる」として、「共通の関心というのは結局、可処分所得がだいたい同じというところに行き着く」と述べています。
 第9章「いなくなる方法」では、著者は30日間ネットから離れた生活を実際に体験した上で、「空白は簡単には戻ってこない。私たちが貯めこむようにできている糖分や脂肪なのに、その摂取量を制限しようとするように、今、自分たちが崇めるようにできている接続でも、ときどき遮断することにしなければならない」と述べています。
 本書は、インターネット以後の世界とのつきあい方を考えた一冊です。


■ 個人的な視点から

 翻訳モノはよっぽど有名な人でないとそうそう作者名で読んだりできるものではないのですし、同じ作者でも当たり外れがあったりしますので、その点で頼りになるのが翻訳者です。
 松浦俊輔さんや山形浩生さんの本だったらとりあえず読んでみてだいたい当たりのことが多いです。
 海外のレビューを読んだりして面白い本を探すのは骨が折れますが、代わりに探してくれる翻訳者さんはありがたいです。


■ どんな人にオススメ?

・ネットに繋がる前の生活を思い出せない人。


2016年1月18日 (月)

インターネット法

■ 書籍情報

インターネット法   【インターネット法】(#2511)

  松井 茂記, 鈴木 秀美, 山口 いつ子 (編集)
  価格: ¥3,132 (税込)
  有斐閣(2015/12/21)

 本書は、「インターネットが果たす重要な機能にもかかわらず、インターネットが提起する法律問題には、今なお多くの論点が残されている」という問題意識に基づいた、「インターネットを巡る法の現状と課題を概観した教科書」です。
 第1章「インターネット法の発達と特色」では、「ローレンツ・レッシグのコード論は、インターネット法を理解する上で不可欠の視点を提供してくれる」として、「レッシグは、インターネットの世界を規律するものに、議会が制定した法律以外に、インターネットを構成し、その作用を定め、限界を設けているコードが有るとしてき」し、「それは連邦議会のあるワシントン特別区の東部の法に対し、コンピューターメーカーやソフトウェア業界が存在するシリコンバレーなどの西武の法であり、それはコンピューターの活動を定め限界を設定し、そのコンピューターの作動を統制するオペレーティング・システムを開発し提供する業界などによる制約である」と述べています。
 第2章「インターネットにおける表現の自由」では、「インターネットという技術ないし媒体の特性を端的にまとめる」として、
(1)従来の印刷・疱瘡・コモンキャリッジが有していた特性を複合的に併せ持つこと。
(2)同時に、インターネットを形作っているソフトウェアやハードウェアの技術を縦横に組み合わせることによって、自らの特性をも柔軟に変えられるという固有の存在構造(アーキテクチャ)を持っていること。
の2点を挙げています。
 第4章「インターネットにおけるわいせつな表現・児童ポルノ」では、「猥褻表現規制の害悪を強調する見解の1つとして、フェミニズムの立場からの『ポルノグラフィー』規制の主張に触れておく」として、「ポルノは女性を、虐待され、暴行され、支配されるもの、そしてそのことに喜びを感じるものとして描き、規定し、それによって女性を差別するものであり、男性の支配・女性の従属という形で構造化されている社会的関係を維持強化するのに核心的役割を果たしているがゆえに、規制されなければならない」とする考えを紹介しています。
 また、「児童ポルノ規制の保護法益として、純然たる個人的法益にはとどまらず、たとえば、児童を性的対象として扱う風潮の阻止、児童の健全育成などといった社会的法益も含まれるとする見解もある」と述べています。
 そして、「児童ポルノの定義については、厳しい批判がある」として、「もっとも重要なものは、3号ポルノの範囲が不明確で、したがって性的搾取・性的虐待とは無縁のものにまで及びかねない(過度に広汎である)というもの」を挙げ、「入浴や水浴びをしている乳幼児の自然な姿を撮影した家族写真のようなものも含まれ」、ここに付加される「性欲の興奮・刺激」という要件が、「ほとんど限定になっていないという批判がある」としています。
 第6章「インターネット上の差別的表現・ヘイトスピーチ」では、「我が国の憲法学説は、アメリカの判例理論に強い影響を受けていることもあり、特定の個人・団体に向けられたものではなく、ある属性を持った集団に向けられた差別的表現に対する法規制については、否定的あるいは慎重な立場を取るものが多い」と述べています。
 第9章「インターネットと刑法」では、「科学技術の発展に対して、刑法は、往々にして無力である」理由として、「刑法の世界には、罪刑法定主義という大原則が存在する」ため、「いかなる行為に対していかなる刑罰を課すのかは、予め法律に規定しておかなければならず、法律に規定されていない行為を『犯罪』と呼び、刑罰を課すことが禁じられている」と述べています。
 そして、インターネットを利用した犯罪についての立法の必要性の観点から、
(1)既存の刑罰法規に包摂可能であり、何ら新たな論点を生じない行為がある。
(2)既存の刑罰法規に包摂可能かが争われ、新たな論点を生じる行為がある。
(3)既存の刑罰法規にはおよそ包摂可能ではない行為がある。
の3つに大別しています。
 第11章「インターネット上の個人情報保護」では、「日本のオンライン・プライバシー保護も本人同意に頼る部分が少なくないことから、公表・告知と同意・選択をどのように意味あるものにしていくかが重要なポイントとなる」と述べています。
 本書は、インターネットを巡る法的な議論に一定の前提知識と理解を与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 インターネットと法律の話といえば、やはりレッシグ教授を読んでおいてほしいわけですが、これだけネットが現実社会の中で重要な役割を果すようになると、ネットが絡んだ法律問題も増えてきたものだと思います。


■ どんな人にオススメ?

・未だにネットの世界は無法地帯だと思っている人。


2016年1月16日 (土)

ドラグネット 監視網社会――オンライン・プライバシーの守り方

■ 書籍情報

ドラグネット 監視網社会――オンライン・プライバシーの守り方   【ドラグネット 監視網社会――オンライン・プライバシーの守り方】(#2509)

  ジュリア・アングウィン (著), 三浦 和子 (翻訳)
  価格: ¥1,782 (税込)
  祥伝社(2015/4/25)

 本書は、「全市民の情報を無差別にかき集めるドラグネット(監視網)」の実態と私たち自身ができる対処法を語ったものです。
 第1章「情報は盗まれている」では、『誰でもいつでも監視される可能性がある」として、「自宅の写真を撮るグーグル・ストリートビューの車、ウェブサイトを閲覧すると追跡するスポンサー、あるいは、アメリカ市民の通話記録を集める国家安全保障局(NSA)」を挙げ、「この国はドラグネット国家なのだ。無差別のトラッキングが行われ、前例のない速さで組織が個人データを蓄積する世界である」と述べています。
 そして、「巨大組織、すなわち政府と企業の双方が、私達の日常的側面に関わる膨大な量の情報をトラッキングすることにより、情報戦争で優勢となっている」と述べています。
 第2章「トラッキングというビジネス」では、「9月11日のテロ攻撃の後、アメリカ政府はおそらく違法な広範囲の監視網を張り巡らせ、ほぼすべてのアメリカ人の通話や電子メールのやり取りを傍受したのである」と述べ、「NSAに集められている情報が世界の最も抑圧的な秘密警察体制のゲシュタポやシュタージ、KGBよりも『桁違い』に大きい」と述べています。
 第6章「データの場所を知る」では、著者が「フリースタイル企業」と呼ぶグーグル、フェイスブック、ツイッターについて、「全体として、フリースタイル企業はこの数年間の私の生活をはっきり描いたデータを集めていて、それはシュタージ・アーカイブで調べたどの文書よりもあるかに包括的だった」が、「その多くにノスタルジアを感じた。これは私の人生のデジタル記録だった」と述べています。
 また、海外旅行の詳細な予約情報で、乗客名簿を意味するPNRというデータベースには、「私の全桁のクレジットカード番号が何回か記録されていたし、Eメールアドレス、生年月日、パスポート番号、それに会社、家庭、携帯の全ての電話番号が記載されていた。また私が一緒に旅行する者の情報――夫のEメールアドレス、子供の誕生日や全員のパスポート番号もあった」と述べています。
 第7章「パスワードは防御の最前線」では、「覚えられないパスワードを選び、それを書きとめるな」というパスワード対策に対して、「パスワードを書きとめてもそれを安全な場所に保管しておく限りまったく問題はない」というセキュリティ専門家の言葉を挙げ、学ぶべき教訓はシンプルで、「文字列を長くして、単純な辞書掲載語やよく知られたパスワード(「password1」など)は避けること」だとしています。
 第9章「イーダ――架空の自分」では、「架空のアイデンティティをつくることは私のデータ偽装戦略の核心部分だった」とした上で、「匿名によるデジタル取引を調べれば調べるほど、嫌いになった。それは犯罪の温床のように思われた」と述べ、「自分が本当に欲しいのは、匿名性ではなく免除である」として、「私は取るに足りない取引の影響から免除されたかった」と述べています。
 第11章「オプトアウト――ブローカーのデータを削除する」では、「個人データ市場では、悪役のほうが収益を上げると考えざるを得ない。もし私が、利用できるすべてのデータベースからオプトアウトすれば、それは私のデータにこだわる者にとって、そのデータがもっと希少で価値あるものになるだけなのである」と述べています。
 第12章「鏡の間」では、「ウェブ閲覧傾向を知ることによってある人を特定できることが、証拠によっていっそう明らかになっている」と述べ、「さらに、ウェブサイトの多くで、いつの間にか訪問者の名前が追跡型広告会社に流出している」としています。
 第15章「不公平の原則」では、「個人データがいたるところにあることでデータ価格が値下がりし、普通の人の年齢、性別、所在地の情報は1セントの何分の1かの価値しかない」として、「私の情報は28セント(約30円)の価値しかないことが分かった」と述べています。
 本書は、個人の情報が国家や企業に蓄積される時代を警告した一冊です。


■ 個人的な視点から

 これだけネット接続ありきの生活を送っていると、いざ切断しようと思ってもできないですね、もはや。


■ どんな人にオススメ?

・自分はネットで監視されていると思う人。


2015年5月26日 (火)

情報法入門【第3版】:デジタル・ネットワークの法律

■ 書籍情報

情報法入門【第3版】:デジタル・ネットワークの法律   【情報法入門【第3版】:デジタル・ネットワークの法律】(#2410)

  小向 太郎
  価格: ¥3,024 (税込)
  エヌティティ出版; 第3版(2015/3/12)

 本書は、「デジタル・ネットワークの進展によって生じる法的問題全般について、問題が生じる背景、現在の法的位置付け、問題解決の取り組みなどを取り上げ」たものです。
 第1章「デジタル情報と法律」では、「問題が生じた場合に、世界中の雑多なサーバコンピュータの集合体であるインターネットでは、情報流通に対するコントロールが、従来のメディアと比べて相当に難しい面がある。インターネットの匿名性と表現されることが多い問題である。さらに、ISP(インターネット・サービス・プロバイダ)等の情報媒介者の責任をどのように考えるかということも課題である」と述べています。
 そして、「インターネットが『匿名』だというのは、発信者などの情報が簡単にはわからないという限りにおいて言えることである」が、「犯罪を行えば逮捕されるし、損害賠償を請求されることもある、ネットの世界は、あくまで条件付きの『匿名』なのである」と述べています。
 第2章「情報化関連政策」では、「コンテンツ流通が健全に発展するためには、著作権が適切に保護されることに加えて、著作者以外の者が利用する際のルールが整備されることが不可欠である」と述べています。
 そして、「わが国の著作権法は、権利が認められる著作物の種類と権利内容を具体的に列挙している」ため、「法が想定していない新たな著作物が現れた場合には、規定を改正して対応する必要がある」ことから、「1997年の著作権法改正によって、『自動公衆送信権』等の権利に関する規定が整備」され、2014年の改正では、「紙媒体の出版物にのみ設定が認められていた出版権(複製権社と出版社との契約により設定することができる排他的権利)が、電子書籍についても設定できるようになった」と述べています。
 また、コンピュータ犯罪やサーバー攻撃に関する法律について、
(1)脅威となる行為を禁止する法律:加害行為、加害に繋がる行為
(2)法的救済のための手続きを定める法律:犯罪捜査、民事訴訟
(3)安全を確保する義務を課す法律:政府や事業者に対する規制、民事的責任
の3つに分類しています。
 第3章「通信と放送」では、通信と放送の融合について、
(1)伝送路の融合
(2)端末の融合
(3)サービスの融合
(4)事業者の融合
の4つに分類されることが多いが、「下部構造である伝送路と端末の技術がIPに統合されることで、上部構造であるコンテンツ(サービスとそれを提供する事業者)が融合すると考えるのが妥当であろう」と述べています。
 第4章「情報の取り扱いに起因する法的責任」では、「情報が取り扱われる過程を簡単に図式化すると、『情報の取得→情報の保有→情報の発信』のように理解することができる」とした上で、「従来の情報に対する法的制限は、情報の発信(提供)に関して制約を設けるものが中心であった」が、「情報の持ちうる影響力は、コンピュータ技術とインターネットの爆発的普及によって、日増しに大きくなっている」として、「デジタル・ネットワーク化は、情報の取り扱いに関するルールをより広く捉えるべきかどうかを問いかけているのだといえる」と述べています。
 また、情報セキュリティについて、
(1)機密性(Confidentiality)
(2)完全性(Integrity)
(3)可用性(Availability)
と定義されるとして、「システムに対する外的な脅威とシステム自体の脆弱性から生じるリスクについて、きちんとした対応をとることが求められることになる」と述べています。
 第5章「ネットワークにおける媒介者責任」では、名誉毀損に関して、「アメリカでは、当初ISP等が出版者(publisher)として責任を負うのか流通者(distributor)として責任を負うのかという形で議論されてきた」として、「出版者(新聞社や出版社)は、公表する情報の内容を編集し公表された表現にそのまま責任を負うのに対して、流通者(書店や図書館)は、その出版物を公衆に利用可能にするにとどまることから、その表現が違法であることを知っていた場合にのみ責任を負うと考えられてきた」と述べています。
 また、「アメリカの著作権法では、著作権者に対して、複製、配布、実演、展示、翻訳等を行う権利と、他者がこのような行為を行うことを許容(authorize)する権利が保障されている」ため、「直接の侵害者でなくとも、一定の関与を行った場合には、著作権侵害に対する責任が問われうると考えられている」と述べています。
 さらに、「プロバイダ責任制限法では、プロバイダが媒介する情報によって他人の権利が侵害されたことについてプロバイダの責任が問われる場面を限定している」として、プロバイダの責任が問われ得る場合として、
(1)情報の流通によって他人の権利が侵害されていることを知っていたとき
(2)当該情報の存在を知っておりその情報によって他人の権利が侵害されていることを知ることができたと認めるに足る相当な理由があるときであって、当該情報の送信を技術的の防止(送信防止措置)できるにもかかわらずそれを行わなかった場合
の2点を挙げています。
 第6章「個人情報保護」では、「アメリカでは、20世紀に入ると判例や各州の立法によってプライバシーの権利が認められるようになり、1960年には、プロッサーが判例上認められているプライバシーの権利障害を」、
(1)他人の干渉を受けずに送っている隔離された私生活への侵入
(2)他人に知られたくない事実の公表
(3)一般の人に誤った印象を与えるような事実の公表
(4)営利目的での氏名や肖像などの不正利用
の4類型に分類しているとしています。
 そして、「わが国の憲法においては、包括的基本権(第13条)を根拠とする新しい人権として、『プライバシー権』が保障されているという点ではほぼ争いがない」が、「憲法上のプライバシー権として、どのような内容の権利が保障されているかについては見解が分かれている」と述べています。
 また、「住基ネットに対して反対運動や訴訟があったことからもわかるように、国家による国民の番号管理に対しては、以前から懸念が示されてきた」として、「社会保障・税番号制度によって国民の間に生じうる懸念」について、「社会保障・税番号大綱」でまとめているものとして、
(1)国家管理への懸念
(2)個人情報の追跡・突合に対する懸念
(3)財産その他の被害への懸念
の3点を挙げ、「統一番号は、遺漏や重複がないという点で、他の識別手段にない優位性を持つ。こうした便利な番号があると本人確認や個人情報管理がすべてこれに紐づけて行われやすくなる」として、
(1)番号利用の拡散
(2)データベースの集中
などの懸念を挙げています。
 本書は、情報と法律の新しい関係を追った一冊です。


■ 個人的な視点から

 世の中の動きに対して、法律は常に後追いになってしまうのですが、世の中が変化し続ける以上、法律も常に変わり続けないといけないのだと思います。


■ どんな人にオススメ?

・デジタルと法律は相性が悪いと思う人。


2015年5月 4日 (月)

子どものネットトラブルに悩む親の法律知識Q&A

■ 書籍情報

子どものネットトラブルに悩む親の法律知識Q&A   【子どものネットトラブルに悩む親の法律知識Q&A】(#2388)

  牧野和夫 (編集)
  価格: ¥1,728 (税込)
  中央経済社(2015/2/27)

 本書は、「お子さんが具体的にトラブルに巻き込まれたときに、ご両親としてどのような対応をすべきか、あるいは、できるのかという視点から、法律の専門家がQ&A形式でわかりやすく説明したもの」です。
 第1章「子どものネット利用とリスク」では、「スマホを持たせなければ何も問題も起きないし、その利用について親が心配する必要がない」が、「子供も子供の世界では社会生活を送っていることになるので、使わせなければすべてが解決できるという考えや誤って」いるとして、「重要な点は、子供もスマホを持ち使用することでLINEなどのSNS(Social Networking Service)に参加することになり、その場合には、どのようなメリットがあるのか、反対にどのようなデメリットやリスクが有るかについて、具体的にきちんと子供へ説明して理解させた上で、子どもへスマホやアプリを使用させること」だとしています。
 第2章「学校・日常生活でのトラブル」では、誹謗中傷が書き込まれた場合に、「書き込みがなされたネット掲示板を運営している管理者やそのサイトが掲載せれているインターネット・サービス・プロバイダー(インターネットサービスの提供業者)に対して、誹謗中傷発言を削除して欲しいとか、あるいは、誰が発信しているのか発信者の記録情報(『ログ』といいます)を開示して欲しいとか、要求をすることが法的にでき」ると述べています。
 また、「小学校を卒業する12歳前後の年齢以上であれば、通常、責任能力あり」とされると述べています。
 第3章「損害賠償事件と親・学校の責任」では、「いじめの態様がおどしたり(脅迫)、被害生徒の身体を傷つけたり(障害)にあたるような場合には、少年事件」になり、そのような場合に至らなくても、「いじめにあった子ども・保護者から民事上の責任追及をされる可能性」があると述べています。
 第4章「契約をめぐるトラブルと親の責任」では、「親名義のクレジットカードでの支払いを登録するに際して親の同意があったものと評価され、結論として購入契約を取り消すことができない場合が多い」と述べています。
 また、バンジージャンプに挑戦する際に、「万が一事故が発生しても業者は一切責任を負わない」という誓約書にサインする行為について、「バンジージャンプを行う業者は、バンジージャンプを行うものに対して、ただバンジージャンプをさせるということにとどまらず、生命身体に重大な支障を生じることなく安全のうちにバンジージャンプを終了させる債務を負っていると解され」るとして、「消費者契約法8条において、事業者の債務不履行により消費者に生じた損害の全部を免除する条項等は無効とされており、仮に事業者と消費者との間でこの消費者契約法の条項に反する合意、誓約がなされていても消費者契約法の条項が優先される」と述べています。
 第5章「子どもと刑事責任」では、「補導については法律上明確に定められているわけ」ではなく、「国家公安委員会が定めた『少年警察活動規則』に具体的に定められて」いると述べています。
 本書は、子どもにネットを使わせる際の心配を一つひとつ具体的に解きほぐした一冊です。


■ 個人的な視点から

 子どもにネットを使いっぱなしにさせることも怖いですが、フィルタリングのかかっていない親のスマホを触らせておくのも怖いですね。課金できたりするし。


■ どんな人にオススメ?

・子どもにネットを使わせている人。


2011年1月25日 (火)

リトル★ハッカー 「ハッカー」になった子供たち

■ 書籍情報

リトル★ハッカー 「ハッカー」になった子供たち   【リトル★ハッカー 「ハッカー」になった子供たち】(#1965)

  ダン・ヴァートン (著), 山形 浩生, 守岡 桜 (翻訳)
  価格: ¥2,100 (税込)
  翔泳社(2003/12/16)

 本書は、「これまであまり描かれてこなかった、いわば『悪い』ハッカーの事例を詳しく説明してくれる」貴重な一冊です。訳者は、「かれらがコンピュータに夢中になって、クラッキングやハッキングに手を染め、そして(多くが)そこから離脱するまでを描くことで、本書は一種の社会現象としての『悪い』クラッカー像を、そこそこ描き出すことに成功している」とともに、「ハッカー像をよくあるステレオタイプから救いだそうという試みも行っている」としています。
 「はいjめに」では、本書に登場するハッカーたちの罪を、「知識中毒、技術への愛、情報の本質的な自由への信仰」としたうえで、「本書はハッカーサブカルチャーの様々な人々の実生活の物語を語る。単に彼らのハッキングやクラッキング侵入の技術面の話を集めただけでなく、本書はなぜこうしたどこにでも居るティーンがそもそもハッキングに手を出したのか、何を考えているか、成長過程での人生はどんなものだったか、ハッカーアンダーグラウンドにどんどん深入りさせていった内的・外敵圧力は何か、そしてそこに深入りした結果として彼らが見つけたのはなんだったのかを探求する」としています。
 第1章「『ジェノサイド』:コロンバインからハッキングへ」では、ハンドルネーム「ジェノサイド」を名乗る少年が、「セキュリティ試験用のコンピュータ侵入ソフトツール」を山ほど見つけ出したことで、彼らのグループGenocide2600のウェブページの「価値と知名度はおおいに高まった」として、「グループがまんまと盗みだしてきたツールやスクリプトは、グループのアンダーグラウンドでの力を見せつけ、存在価値を示すのに重要な役割を果たした」と述べています。
 そして、「ハッカーコミュニティ、政府、普通のインターネットコミュニティは、軍拡競争をしている3つの勢力と同じだ」としたうえで、「ハッキングというのは真実の追求であり、あるグループが他のグループによる真実へのアクセスを妨害させないということだ。真実を画すのを認めるなんて、ジェノサイドには許しがたかった。真の犯罪行為はハッキングではなく、むしろ、他の人達が羊たちの目からベールを積極的にはぎたがらないことだ」と述べています。
 第2章「反乱:ジョー・マギーと『Noid』」では、「1992年にはジョーは情熱を持ち、エネルギッシュで知識を求める13から14歳になる訓練中のハッカーだった。背は高くはないが170センチで、体重は85キロだった。茶色の海兵隊のヘアスタイルと茶色の目のアイルランド人の子供は『大物』でタフな奴だと思われていた」、「物静かだた社交的で好感の持てる子供だった」と述べています。
 そして、「結局のところ、ハッキングなんて相当部分は自己顕示欲だ」として、本章に登場する2人の少年の「発見と達成感に対する渇望も、仲間からの尊敬と賞賛を糧としていた」と述べています。
 第3章「マフィアボーイを探せ:クレイモア作戦」では、1999年に、コソボのセルビア軍爆撃及び中国大使館の誤爆により、世界中のハッカーが団結してアメリカ率いるNATO同盟諸国に抵抗することになった」と述べた上で、FBIロサンゼルス支局長のチャールズ・ニールによる、「ハッカー社会に潜入するという初めての公式な秘密工作」を取り上げ、「逃げ場がなくなったと分かったハッカーはすぐにFBIおかかえのトレーナーやコンサルタントになった」として、「さまざまなIRCチャットルームでの振る舞い方や、質問への答え方、他のハッカーからの挑戦への応じ方」を教えられたおかげで、「FBIはすぐれたハッカーが集まる招待者限定のチャットルームに入れた。ハッカーについての最高の情報源はハッカーであることに間違いなかった」と述べています。
 第6章「サイバーシック:スターラ・ピュアハート」では、ハッカーたちの祭典、2001年の第9回DefConにおけるサイバー倫理Surfivorゲームにおいて、「若い無垢な女性ハッカー、アンナ・ムーア」が勝者となったことで、「ハッカーはもはや、男性の反社会的な落ちこぼれというタコツボに押し込められる存在ではなくなった。それはもう過去のイメージだ。いまのハッカーはむしろ、自分たちの行動の帰結を知っている。結果として、責任あるインターネットの住民になりつつあり、行動には用心して安全な方を向き、さらには先輩たちの多くと違って、自分を取り巻く社会が大きく変わったこともはっきり知っていた」と述べています。
 そして、彼女の母親が娘のハッキング教育にいかに献身的だったかを、「彼女がアンナとオクラホマ2600グループのティーンエイジャー3人(全員男の子)を、時間変更線を2つ超えて光の都市へ、世界で最も悪名高いアングラ大会へつれていくのに同意したことが雄弁に物語っている」と述べています。
 本書は、ステレオタイプで語られることの多い「ハッカー」の生い立ちと人物像に迫った一冊です。


■ 個人的な視点から

 日本では「ハッカー」という言葉はネット上では嘲笑の対象になっているというか、厨房が「スーパーハカー」とか「闇プログラム」とかの言葉を使うせいで恥ずかしい言葉のようになってしまっていますが、こういうこともネット上でもハッカー趣味の延長なのかもしれまい。


■ どんな人にオススメ?

・なぜ子供達がスーパーハカーに憧れるかを知りたい人。

2010年3月13日 (土)

デジタルネイティブが世界を変える

■ 書籍情報

デジタルネイティブが世界を変える   【デジタルネイティブが世界を変える】(#1878)

  ドン・タプスコット (著), 栗原 潔 (翻訳)
  価格: ¥2520 (税込)
  翔泳社(2009/5/14)

 本書は、「生まれた時から周囲の環境の一部としてパソコンやインターネットなどのデジタルテクノロジーが存在し、それらを呼吸する可能用に育ってきた世代」である「ネット世代」について、「膨大な調査データやインタビューに基づいて論じたもの」です。
 第1章「成人になったネット世代」では、ベビーブーム世代を特徴付けているのは、「テレビの普及によるコミュニケーション核心の影響」だとしています。
 一方で、ネット世代の行動基準について、
(1)自由:ネット世代は何をする場合でも自由を好む。選択の自由や表現の自由だ。
(2)カスタム化:ネット世代はカスタマイズ、パーソナライズを好む。
(3)調査能力:ネット世代は情報の調査に長けている。
(4)誠実性:ネット世代は商品を購入したり、就職先を決めたりする際に、企業の誠実性とオープン性を求める。
(5)エンターテインメント:ネット世代は、職場、学校、そして、社会生活において、娯楽を求める。
(6)コラボレーション:ネット世代はコラボレーションとリレーションの世代である。
(7)スピード:ネット世代はスピードを求めている。
(8)イノベーション:ネット世代はイノベーターである。
の8点を挙げたうえで、「いまだかつてない規模の人口からなるネット世代が成人になっている。ネット世代は、大学に行き、就職する過程で、強力なデジタルツールを活用し、かつては特別な人だけが利用可能だった力を得ているネット世代は最初のグローバルな世代であり、世界中の多くの場所で前述の8つの行動基準に従って行動している」と述べています。
 第2章「ビット漬けの世代」では、「ネット世代はインターネットそのものの特性を変革しつつある」として、「インターネットを主に情報を見つける場から、情報を共有し、互いの利益のために協業し、困難な問題を解決するための新しい方法を作り出す場へと変革している」と述べています。
 第3章「世代の特性――ネット世代の八つの行動基準」では、「ネット世代は親の世代では入手不可能であった科学、医療などに関する大量の情報に触れてきた」ために、「寛容性、さらには叡智を示している」一方で、「他人にも誠実であることを求める」と述べています。
 第4章「ネット世代の頭脳」では、「初期の研究結果はデジタル付けになることが脳に好ましい影響をもたらすことを明確に示唆している」として、「対話型のデジタル環境で暮らすことで、テレビをただ見ているだけの人よりも優秀な頭脳が得られるという確定的結論がいずれは出るだろうと、私は考えている」と述べています。
 一方で、英国のマーク・バウアライン教授が、今日の若者を、「もっとも愚かな世代」と呼んでいることについて、「教授が間違っていること」を示すとしています。
 そして、典型的なネット世代の子どもたちが大人になるまでに、「インターネットに2万時間以上を、そして、ビデオゲームに1万時間以上を費やしている」ことについて、「このようなデジタル漬けは脳が外界にもっとも影響されやすい時期、つまり、10代の時期に起きている」として、「研究結果では、12歳から24歳までの間に、注意力、報酬の評価、感情的知性、衝動のコントロール、目的志向の行動などに関連する脳の領域が全て変化することが示されている」と述べています。
 また、「ビデオゲームをプレイすることは意味が無い遊びのように思えるかも知れないが、視覚的な注意力を向上する効果がある」とする研究結果を紹介し、「デジタルの世界で育ってきたネット世代は、写真、グラフ、アイコンなどの画像を読む能力を身につけている。親の世代よりも視覚能力は高いだろう」と述べ、「多くのネット世代を見る限り、彼らは私よりも作業の切り替えが速く、周囲の雑音を排除する能力にも長けているように見える」としています。
 第5章「教育を再考する」では、「ネット世代はデジタルの世界で育ち、21世紀に生きている」にもかかわらず、「多くの教育システムは少なくとも100年以上は遅れている」として、「古い教育システムは画一的で一方通行の放送型の学習だった。これは、労働者が命じられたことだけをやっていればよかった工業時代に向けに設計された方式だ」と述べ、「新しい情報を超高速で処理しなければならない現代では、新しいことを学ぶ能力が今まで異常に重要になっている。学生は、独創的かつ批判的に、そしてコラボレーションを促進するように思考できなければならない」としています。
 そして、「古いモデルでは、学生が大量の情報を吸収することを求められる」として、「教育とは(教師が提供する)コンテンツを吸収すること」だったが、「今では学生たちは求めている情報を瞬時に手に入れられるため、この旧式のモデルは意味を成さない。何を知っているかは重要ではない。重要なのはデジタルの世界をどのように探索し、見つけた情報で何をするかである」として、「この点にフォーカスした新しい学習スタイルはネット世代に合致する」と述べています。
 第6章「人材管理を再考する――職場におけるネット世代」では、「会社のために働くのではなく『自分の生活を良くするために働く』ことがネット世代のモットーだ」として、「年長のマネジャーは、仕事と生活のバランスへの欲求を会社への忠誠心の欠如であると誤解することがあるが、それは必ずしも正しくない。ネット世代は、やる意義があり、やりがいがあり、多様性を提供してくれる仕事を求める。しかし、同時に自分の生活とのバランスも求める」として、「ネット世代は個人の生活と仕事の世界とを自由に混在できることを当然と考えている」と述べています。
 また、「ネット世代の3人に2人が『仕事と娯楽は一体であるべきだ』と答えている」ことについて、「これは、彼らが一日中ゲームをしたがっ知恵いるという意味ではない。彼らは仕事自体が楽しいものになることを望んでいるのである」と述べています。
 そして、「ネット世代の8つの行動基準は、未来の職場の革新の方向性を宣言するものだ。この8つの行動基準を重視している企業は、競合上の優位性を得られることになるだろう」と述べています。
 第7章「Nフルエンスネットワークとプロシューマー革命――消費者としてのネット世代」では、「ネット世代が買い物をするときには、本書で述べてきた8つの行動基準に従う」としたうえで、「ネット世代は単なる消費者ですらない。彼らは、ブランドに積極的に貢献しようとする」として、「これらのネット世代を『プロシューマー』(プロデューサー+コンシューマー)と呼ぶことができよう」と述べています。
 そして、「教のコミュニケーションネットワーク、そして、そこにある人間関係をネットワークでインフルエンス(影響)を与えるということから『Nフルエンスネットワーク』と予防。ネット世代にとっては、この友人と知り合いからなるネットワークこそが他人に対する影響力を及ぼす場所だ」と述べ、「ネット世代は、桁違いに大規模で、遥かに複雑で、同時に極めて効率的でもあるネットワークを使用している。これは、その親の世代では実現不可能だったレベルだ」と述べています。
 また、「Nフルエンスネットワークのもっとも興味深い点は、従来型の社会的結びつきの範囲外で信頼できる関係を築けるということだ。ソーシャルネットワークの規模が大きくなると、意思決定を行う際に頼りにする人の数も増えてくる。そして、このようなインフルエンサーが従来とは異なる場所から生まれてくるケースが増えている」と述べています。
 第8章「新しい家に勝る場所はない――ネット世代と家族」では、「典型的ベビーブーム世代は大学卒業後に実家に戻ることは考えなかった。これは、通常、彼らの家庭生活が今とは異なっていたからだ」として、「ベビーブーム世代は封建的な家庭で育っている」からであるのに対し、「ネット世代は、家族生活に対して発言権を持てる民主主義型の家庭で育った」ため、「ネット世代は、まず家の中、特にオンライン上に自由を見出した。そして、携帯端末によるネットへのアクセスが可能になったことで、自由は場所を選ばないものとなった」と述べ、「オンラインでの自由を経験することで、両親たちとの距離が縮まった。自由を求めて反抗する必要がないからだ」としてます。
 そして、「ネット世代は、自分たちの両親を幸福と安全の源とみなしている」として、「ネット世代の4人中およそ3人が、両親との関係が自分を幸せにしていると答えている」と述べ、「ネット世代が大学卒業後喜んで実家に戻るのは十分に理解できる」と述べています。
 また、オンライン検閲について、「子どもたちがインターネットでであった人物と実際に会う場合は、まず両親である私たちに話すこと、そして初対面の場合には私たちも同伴すること。子どもたちはインターネット上の不適切な場所に言ってはいけない。そのかわりに親はこそこそと嗅ぎ回ったり、子どもたちの仮想世界へのアクセスを制限したりしない」という相互契約を子どもたちと取り決めたとして、「私たちは家庭内で情報がオープンに行き渡る状態にすることで、信頼関係を築きあげようと懸命に努力した」と述べ、「子供にポルノを見てもらいたくないならそのことを子供と話しましょう、というのがこの問題に対する私の結論だ」としています。
 第9章「オバマ、ソーシャルネットワーク、市民参加――ネット世代と民主主義」では、2007年の冬にバラク・オバマ事務所で働き始めた23歳のクリス・ヒューズにとって、「もしオバマが出馬するなら、一般市民の力を借りて選挙運動をしなければならないことは明らかだった。それを実現するにはインターネットが必要不可欠だった」として、「ヒューズが組織したオンライン活動は、マイ・バラク・オバマ(mybarackobama.com、キャンペーン内での通称はMy Bo)を中心に展開し、インターネットと現実世界における政治のやり方を変えた」と述べ、「ネット世代は、デジタルツールで武装し、因習を崩し、権威を倒し、世界を変える可能性を秘めている」としています。
 そして、「オバマの選挙キャンペーン用ソーシャルネットワーキング・サイトであるマイ・バラク・オバマ(mybarackobama.com)は、支持基盤を構築し、集会を催し、寄付金集めを行う権限を支持者自身に与えるように設計されている」と述べ、「オバマの選挙活動が、これほど多くのネット世代の心を捉えたことは驚くべきことではない。彼の選挙活動は本書全体にわたり議論してきたネット世代の行動基準のいくつかを実行しているからだ」と述べています。
 第10勝「世界を根本的に良い場所に」でjは、「世代がテクノロジーに影響するのか、それとも逆なのか。双方向だというのが私の考えだ。テクノロジーは若者の考え方に影響を与え、若者の考え方はインターネットの利用方法や発展の方向性に影響を与える」と述べています。
 第11章「未来を守る」では、「ネット世代に対する大規模な調査プロジェクトにより、重要で興味深い結論が得られた」として、「その中でも最も重要な結論は、若者たちは間違っていないというだけではなく、一つの世代として社会のあらゆる制度を良い方向へと変革していく可能性が高い」と述べた上で、「ネット世代が多くの時間をコンピュータの画面を見つめて過ごすことで、深く考えたり独創的に考えたりする能力を失ってしまった」とする「もっとも遅かな世代」だという批判に対し、「情報の検索、閲覧、応答など、オンラインでの活動は高度な知的活動だ。実は子どもたちは多くの読書をしている。本を読む機会は少なくなっているが、オンラインで小節を読んでいる。オンラインでの読書には通常の本を読む場合と同じスキルだけではなく、さらに別のスキルも要求される」と述べています。
 そして、「ネット世代は浅薄で物質主義的な世代ではない。全く逆にボランティアと市民活動を重視する世代である。ネット世代は世の中を少しでも良くしたいと切望している」と述べています。
 著者は、「私の研究の結論は、ネット世代が致命的な欠陥を抱えているというものではない。今日の若者に対する侮辱的な見方が根拠を欠いているというものだ。批評家達の批判のほとんどはでっち上げだ」と述べた上で、「今はびこっている真の病は、若者のナルシズム、愚行、注意欠陥障碍、暴力などではない」として、「若者、特に、そのインターネットの活用法に対する不合理で不健全な恐怖」である「エンジェノフォービア」(造語)だと指摘しています。
 本書は、ネット世代がこれから本格的に社会の中心になっていくことで世界がどのように変わるのかを論じた一冊です。


■ 個人的な視点から

 ネットが子供たちに与える影響について、極めて楽観的とも言えるトーンで論じていますが、われわれの世代にとって、ネットが使えるようになって「便利になった」「変わった」「効率的になった」と実感できた変化を、ネット世代は当たり前にあるものとして育ってきたわけなので、そりゃあ変わるでしょう、と思うのです。


■ どんな人にオススメ?

・ネットが世代を変えたことを知りたい人。

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