心理学

2016年7月30日 (土)

基礎から学ぶ認知心理学 -- 人間の認識の不思議

■ 書籍情報

基礎から学ぶ認知心理学 -- 人間の認識の不思議   【基礎から学ぶ認知心理学 -- 人間の認識の不思議】(#2554)

  服部 雅史, 小島 治幸, 北神 慎司
  価格: ¥1,944 (税込)
  有斐閣(2015/9/19)

 本書は、「人間がものごとを認識するしくみを科学的に明らかにする学問」である「認知心理学」の入門書です。
 第1章「『誤り』から見る認知心理学」では、「直感的な思考や印象形成は、すばやく効率的に実行されるが、同時に、それが誤った信念につながる危険性ももっている」として、「私たちの頭の中には、たくさんの知識が蓄えられて」おり、「この知識の総体(集まり)」を「スキーマ(schema)」といい、「適切なスキーマが活性化すると、理解や記憶は大きく促進する。一方、適切なスキーマが活性化しない場合や、別の不適切なスキーマが活性化する場合は、理解や記憶が悪くなる」と述べています。
 そして、「一旦知識を持ってしまうと、知識を持っていない状態(他者や過去の自分)を想像することが予想以上に困難」になる「知識の呪縛」(curse of knowledge)の例として、「自分の行動や外見が他人に気づかれている程度を、実際異常に過大に評価する傾向」である「スポットライト効果」や、「『こうなることは最初からわかっていた』という思いを生む」傾向にある「後知恵バイアス」などを挙げています。
 第2章「感じる」では、「匂いの感覚(嗅覚)は記憶と結びつきやすいことが知られている」として、フランスの作家プルーストが「紅茶にマドレーヌを浸した時、その香りから子供の頃の記憶が蘇った」という逸話から「プルースト効果(Proust phenomenon)」と呼ばれていると述べています。
 第3章「捉える」では、「私たちが振り分けることができる注意の総量(注意資源 attentional resourse)には限りがあり」、「それを分割して使うと効率や精度が下がる」と述べています。
 そして、「私たちが対象を見て、それが何であるのかを捉え、あるいは対象を探し見つけ出すためには、対象の属性(特徴)を分析抽出する処理と、注意による対象の絞込処理が必要である」と述べています。
 第4章「覚える」では、「短期記憶の容量は、正確には、覚えられる数字の桁数や単語の数そのものを意味するのではなく、チャンク(chunk)と呼ばれる単位を意味する」とした上で、「短期記憶は、一度にどれだけの情報が覚えられるかという情報の保持という機能を重視した概念」だが、「その後の研究において、短期記憶は、情報の保持だけでなく、学習や推論などの認知活動において、情報がいかに操作されるかという処理(prcessing)機能、あるいは、制御(control)機能をもつということが明らかになってきた」と述べています。
 そして、「情報の保持だけでなく、処理という機能を重視」した「ワーキングメモリ」という概念について、「ワーキングメモリの中でも中心的な役割を担う中央実行系(central excutive)のもとに、3種類の従属システムとして、視空間スケッチパッド(visuo-spatial sketchpad)、エピソードバッファ(episodic buffer)、音韻ループ(phonological loop)が存在すると仮定している」と述べています。
 第5章「忘れる」では、「知っているという内的な感覚を既知感(feeling of Knowing: FOK)と呼ぶが、人の名前に限らず、物の名前、一般的知識(クイズの答え)などは、既知感が高いにもかかわらず、なかなか答えが出てこず、もどかしい状態になることは、喉まで出かかっている(tip of the tongue:TOT)現象と呼ばれる」と述べています。
 第6章「わかる」では、「スキーマは、私たちの認知的な枠組み(例えば、視覚であれば、ものの見方)を形成する役割を担う。つまり、過去の経験が抽象化され、一般化される形で、私たちの知覚や記憶、原語や推論など様々な認知に影響を及ぼす」と述べています。
 そして、「認知についての認知」である「メタ認知(metacognition)」について、
(1)メタ認知的知識:人間の認知特性、課題、方略についての知識
(2)メタ認知的活動:モニタリングとコントロール
に大別されると述べています。
 第7章「考える」では、「認知心理学が行ってきたことは、ゲシュタルト学派による(重要ながら曖昧な)概念を情報処理のことばによって再解釈・最定式化することであった」と述べています。
 そして、「私たちは、何かを正しいと思うと、その考えをさらに強めるための心の仕組みをもっている」として、「自分の仮説に合う事例ばかりを探し、自分の仮説に合わない事例を探そうとしない傾向」である「確証バイアス(confirmation bias)」について解説しています。
 また、「何が誤りかは自動的に決まるわけではない。誤りを同定するためには正しさを決める必要がある」として、その基準である「規範(norm)」について、
(1)規範的合理性(normative retionality):論理や数学などの規範に一致していること
(2)適応的合理性(adaptive rationality):変化する環境のなかで適切に振る舞うこと
の2点を挙げています。
 第8章「決める」では、「自分の所有物を高く評価」する「保有効果(endowment effect)」について、「強い損失回避(loss aversion)の傾向を明らかにしている」と述べ、また、「現状維持バイアス(status quo bias)」の一因ともなるとしています。
 そして、「ものごとの起こりやすさを判断する時、人は想起しやすさを手がかりにする」傾向である「利用可能性ヒューリスティック(availability heuristic)」について解説した上で、「自己の行為は他人の行為より思い出しやすい」という「自己中心バイアス(egocentric bias)」についても「利用可能性によって説明することができる」としています。
 また、「私たちは、できるだけ簡単で、できるだけ役に立つ方法(ヒューリスティック)を使うが、その宿命として、場合によっては間違える」として、「使う手がかりによって誤る」ことについて、「代表性ヒューリスティック(representatibyness heristic)」を解説しています。
 さらに、「課題をどのような枠組みで捉えるか」によってバイアスが生じることについて、「フレーミング効果(framing effect)」として解説しています。
 そして、「後悔を左右する人格的要因」として、対極的な意思決定者像として、
(1)マキシマイザー:効用を最大化しようとし、最高のものを手にしないと十分な満足が得られない。
(2)サティスファイサー:ある程度のレベルで満足し、それ以上のものを求めようとしない。その結果、後悔することが少ない。
の2点を挙げています。
 第9章「気づかない」では、「資格情報の受容と『見える』という感覚との間の乖離については、脳損傷の事例からヒントが得られる」として、「盲視(blind sight)」の症状を示す人は、「目の前に差し出された対象が何であるか応えることができがない、あたかも『見えている』日のように振る舞う」ことについて、「このような患者は、大脳新皮質の視覚処理を行う領域(後頭葉の視覚野と呼ばれている領域)に障害があることが知られている。眼球網膜に映った視覚情報は後頭葉の視覚野へ伝えられ、対象が何でどこにあるのかが認識される」と述べています。
 そして、「私たちが手を動かす時には、普通、手を動かそうと意図してから手を動かす」が、リベットらは、「被験者が手を動かそうとした時(意図したとき=意志をもったとき)、その瞬間の数百ミリ秒前に脳が活動することを示した」ことについて、「その後の研究により、それは運動準備電位と呼ばれる類のもので、いまでは意志に先行する活動電位であるとは考えられていないが、この実験は意志(will)や意識(consciousness)の研究に大きな衝撃を与えた」と述べています。
 また、「近年の多くの理論形は、心が2つの過程からなると考えている」として、
(1)直感的ですばやく、認知資源が少なくてすむが、柔軟性のない無意識的過程
(2)理性的で遅く、認知資源が必要となるが、柔軟性の高い意識的過程
の2点を挙げ、「このような考え方は、二重過程理論(dual process theory)と総称されて」いると述べています。
 第10章「認知心理学の歩み」では、「脳に対する関心の高まりと知識の蓄積は、脳の計算モデルの進展も促した」として、「脳の神経細胞網を模した並列分散処理(parallel distributed processing: PDP)モデルによって、柔軟なパターン認識や、英語の動詞の過去形の学習、スキーマに基づく連想などが可能になること」が示されたと述べています。
 そして、「認知心理学は、現在も変化し続けている。近接領域の研究成果やアプローチを取り込むことによって、また、新しい技術を取り入れることによって、アプローチは多様化し、研究テーマは広がりと深まりを増している。さらに、研究成果は、現実世界に応用され、人々の生活を改善するのに役立っている。基礎研究が充実すればするほど、応用研究の幅が広がる。したがって、こうした動きは今後も進展し、衰えることはないであろう」と述べています。
 本書は、認知心理学の基礎と歩みをカバーした入門書です。


■ 個人的な視点から

 「心理学」というと昔の人達はやれフロイトだユングだといったオカルトっぽい印象を持っていたり、パブロフの犬がよだれを垂らしたりという印象を持っているようなのですが、認知心理学となるとすっかり脳科学の一分野かのようであります。


■ どんな人にオススメ?

・人間の心の仕組みを知りたい人。


2016年1月30日 (土)

孤独病 寂しい日本人の正体

■ 書籍情報

孤独病 寂しい日本人の正体   【孤独病 寂しい日本人の正体】(#2523)

  片田 珠美
  価格: ¥756 (税込)
  集英社(2015/10/16)

 本書は、「社会構造の激変によって、人々を強くつなぎとめていたかつての血縁や地縁をベースにしたコミュニティが崩壊しつつあり」、「孤独というものが病理的な色彩を濃くしていけば、やがて紛れもない病になって」しまうとして、「孤独病」と名付けるこの病を「防いだり、癒やしたりする」方法を考えたものです。
 第1章「『孤独病』の時代」では、「目の前にいる肉体を持った人とのコミュニケーションよりも、ネットを通してヴァーチャルな存在とコミュニケーションし、その世界に浸るほう」を選んでしまう「その根底に潜んでいるのは、新しい時代の新しい形の孤独なのかもしれない」と述べています。
 そして、「人が個人という単位で完結し自由を謳歌する生き方は、血縁や地縁に束縛される不自由さを嫌い、そこから抜け出すことで得たもの」だた「現代人の孤独度は、もう目盛りがほぼいっぱいに振り切っているような状態なのではないか。孤独は時代の病であり、社会の病になってしまった」として「孤独病」と名づけています。
 また、「ゴミ屋敷の住人」について、「セルフネグレクトをすることで家族や社会に無意識に復讐しているのではないか」と述べています。
 さらに、「中世ヨーロッパでは、メメント・モリをテーマにした死神や骸骨が登場するキリスト教的な芸術作品が数多くつくられた。戦争、飢餓、そしてペストの大流行によって、中世は人々が日常的に死を意識して暮らさざるをえない時代だったのだ」と述べています。
 第2章「『孤独病』の構造」では、孤独の構造について、「自己愛」「自己承認欲求」「万能感」というキーワードから見ていくとした上で、「孤独病に掛かる人は概して自己愛のベクトルが強い」として、「自撮りをフェイスブックやツイッターに載せる人たちの心理」には、「他人から注目されたいとか、認められたいといった、自己顕示欲や承認欲求がしばしば潜んでいる」と述べています。
 そして、「孤独をひたすら深くさせるほどの強い自己愛を持ったタイプの人が増えている」理由として、
(1)家庭の問題:核家族化と少子化の進展
(2)万能感:能力はみな平等にあって頑張りさえすれば必ず夢や目標が実現するという悪しき平等主義
(3)グローバルに広がる過剰な消費社会が振りまく幻想
(4)過度の衛生思想を浸透させた社会環境
の4点を挙げ、もっとも重要なものとして、「万能感が膨らみすぎた社会は、原発事故に象徴されるように、失敗のリスクを深く考えない社会になる危険性をはらんでいる」と指摘しています。
 第3章「人を『孤独病』に追い込む思考習慣」では、「離婚件数がなかなか減らないのは、人は理解し合えるものであり、そうあるべきだという期待が強いことの裏返しのように思われる」として、「人は努力すれば理解し得るという期待が強いほど、必然的に失望することになる。失望して一層孤独や寂しさを感じる羽目になる」と述べています。
 そして、「一般的に『いい人』願望が強くなるほどメンタルをやられやすい」として、「『いい人』は周りの人間とつるんでいるときはいいが、自分がないから、いざとなると孤独にひどく弱い」と述べています。
 また、「孤独病にかかっている人はよく『誰も自分を愛してくれない』などと訴える」が、「そういう人に限って誰のことも愛していないものだ」として、「愛を貰えないと孤独に喘いでいる人は、自分が他人のために何かをしてあげることが損だと思っている」と指摘しています。
 さらに、「孤独な状況に陥ったとき、それを辛く思う人と、あまり悲観しない人」の二つを分けるものとして、「自己肯定感の差」を挙げ、「自己肯定感が強い人ほど孤独に対しては強く、反対に自己肯定感の弱い人ほど孤独に弱い」と述べています。
 第4章「『孤独病』、その暴走の果て」では、「妄想と孤独には密接な関係がある。妄想は得てして強い孤独感の中から生まれてくる」として、「妄想は自己愛を満たすことで、現実における不遇な境涯を慰めたり、孤独感を癒やしたりする“自己治癒的な試み”ともいえる」と述べています。
 そして、妄想の精神医学的な定義として、
(1)不合理な内容であること
(2)不合理な内容であるにもかかわらず、本人がそれを確信していること。
(3)周囲が訂正を試みても、本人は強く信じ込んでいて訂正不能であること。
の3点を挙げています。
 また、小保方晴子氏について、「妄想を抱いているわけではないが、空想虚言症であると私は思っている」として、「架空の事柄を細部にわたるまで本当のことらしく物語」り、「小保方さんにはまったく罪悪感がないように見えるが、これは自分の願望を投影した空想と現実を混同するせいであり、空想虚言症の特徴だ」と述べています。
 第5章「『孤独病』を癒やす処方箋」では、「引きこもりに陥る人は、総じてプライドが高く完全主義の傾向が強い。完全主義の人は100を目指してそれがかなわなければゼロでいい、というような極端な振れ方をする」と述べています。
 そして、「マイルドヤンキーと呼ばれる人たちは背伸びをせず、他人と比べない等身大の生き方をする。仲間や家族を大切にする。彼らの幸福度はきわめて高いといわれているが、それもむべなるかなである。彼らのような生き方は、おそらく老後に至るまで孤独とは無縁である可能性が高い」と述べています。
 本書は、現代人をむしばむ「孤独病」の原因と処方箋を考えた一冊です。


■ 個人的な視点から

 作者は精神科医ということで、それらしい言葉などもいくらかは出てくるのですが、基本的には社会評論というかエッセイという感じです。
 そういえば昔から精神科医の本はこんなもんだったのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・孤独じゃない人。


2015年4月21日 (火)

スケープゴーティング

■ 書籍情報

スケープゴーティング   【スケープゴーティング】(#2375)

  釘原 直樹 (編集)
  価格: ¥2,808 (税込)
  有斐閣(2014/12/17)

 本書は、「災害や事故で大きな被害が出たとき、あるいは不正行為や犯罪が明らかになったとき、マスメディアによる集中豪雨的な報道がなされることがある。そして往々にして、悪者探しが行われ、何が原因であるのかより、誰が悪いのかが追求される」ことについて、「人ば曖昧な状況やフラストレーションに長時間は耐え切れず、早急に責任者を選び罰することによって心の安寧を回復しようとする」行動である「スケープゴーティング」について、「発生条件や対象、心理メカニズム、ターゲットの変遷過程について明らかにする」ものです。
 序章「スケープゴーティングとは」では、スケープゴーティングの定義について、「何らかのネガティブな事象が発生、あるいは発生が予見されている」際に、
(1)事態発生や拡大・悪化に関する因果関係・責任主体が不明確な段階で、それをある対象(場合によっては因果関係の枠外にある対象)に帰属したり、その対象を非難したりする。
(2)責任帰属や非難が一定の集合的広がりをもって行われ、そのような認知や行為が共有化されるプロセスがある。
のような現象が生起する場合と定義しています。
 第1章「スケープゴーティングの心理」では、スケープゴーティングの動機に関する理論として、
(1)精神分析理論:自分の中にある邪悪な思考や感情を抑圧し、またそれを他者に投影することによって、解消しようとする無意識の試み。
(2)欲求不満攻撃理論:攻撃を内的衝動から引き起こされたものではなく、目標追求行動を妨害するような環境(外的条件)に対する反応として捉え、外的条件によって引き起こされた欲求不満はそれを引き起こした対象に攻撃を向けることによって解消される。
の2点を挙げた上で、「違いは欲求不満が内的な精神力動的葛藤から来るものか、あるいは目標追求行動が阻止されることに由来する外的原因から来るものかによる」が、両理論とも、
(1)欲求不満の原因に対する攻撃は禁止されている。
(2)攻撃は、報復の恐れがない他者に置き換えられる。
(3)スケープゴーティングのネガティブなステレオタイプは投影や合理化の結果生じる。
としています。
 また、「災害や事故が発生すると、メディアは一斉に悪者探しをする傾向がある」が、「探し当てた悪者が非難するに値しない場合、あるいはその悪者だけを非難しても欲求不満を解消できない場合、次のターゲットが必要になる。このようにして次々に非難対象が変遷することもある」と述べています。
 第2章「誰がスケープゴートになるのか」では、「出来事そのものより、その出来事を引き起こした人物の特性に関する情報が、その罪の評価に影響する」と述べています。
 第3章「スティグマ化と非難・責任追及」では、「風評被害は風評を前提とする点で、スティグマ化とは異なっているものと見えるが、人々の記憶に残りやすいということや経済的損害につながるという点に着目すると、風評被害はスティグマ化とほぼ同じ現象と理解できる」と述べています。
 第5章「事故報道のスケープゴーティング」では、「スケープゴーティング現象の拡大には、直接的な事故原因の報道だけではなく、このような間接的な原因や対象への非難が大きな役割を果たしていると考えられる。避難される対象数が拡大するのは、事故原因の追求とより広範囲の対象を攻撃することによるカタルシスという両方の機能を併せ持ったスケープゴーティング現象であると考えられる」と述べています。
 第6章「感染症報道でのスケープゴーティング」では、「事件や事故は、自然災害や天災よりも人為性の程度が高く、また事故や事件の報道では、事故・事件が生じた時点が報道のピークであるのに対して、自然災害や天災の場合には発生時点では情報が不明な点が多いために、報道のピークは時間的に後ろにずれると推測される」と述べています。
 第7章「東日本大震災報道でのスケープゴーティング」では、「不謹慎である」と避難されている行為として、
(1)情報発信に関するもの。「軽率な発言」も含まれる。
(2)非常時特有の行為。「被災地見学」や「買い占め」など。
(3)犯罪やそれに類する反社会的行為
(4)情報発信以外の日常的な行為
の4つを挙げています。
 第8章「帰属過程としてのスケープゴーティング」では、「仮想的有能感は、他者を軽視することで自己の有能感を感じるという、屈折した形での有能感である。自尊感情が低く、他者軽視を通した有能感を感じる程度も少ない人たちが、不適切行為者に対する非難、そして自己列車の運転士への原因、責任、非難の帰属が高いという結果であった」と述べています。
 そして、「有能感が低い、あるいは精神的健康が低い状態は、個人にとって心地よいものとはいえない。そうした、不快な状態にある人は、自己の周辺における不祥事に対する非難を強めたり、すでに死亡した事故の中心人物を責めたり、また、周辺的な不祥事を事故原因と結びつけたりすることで、自身の不快を解消しようとしているのかもしれない」と述べています。
 第9章「記憶バイアスとスケープゴーティング」では、「低頻度の出来事も特異性が高く、際立っていると認知されやすいために、利用可能性ヒューリスティックが使用される可能性が高い」として、「一般に、まれな出来事は頻繁に起きることよりも顕在化しやすく、想起が容易である」と述べています。
 本書は、スケープゴーティングが起こる仕組みを解きほぐした一冊です。


■ 個人的な視点から

 誰かを叩きたがる人っていうのはいるわけですが、有能感が低く鬱々としている人にとってネットというのは素晴らしいものであるに違いありません。


■ どんな人にオススメ?

・ネットで誰かを袋叩きにするのが好きな人。


2014年12月28日 (日)

仮面ひきこもり あなたのまわりにもいる「第2のひきこもり」

■ 書籍情報

仮面ひきこもり あなたのまわりにもいる「第2のひきこもり」   【仮面ひきこもり あなたのまわりにもいる「第2のひきこもり」】(#2350)

  服部 雄一
  価格: ¥864 (税込)
  KADOKAWA/角川書店(2014/2/13)

 本書は、「普段は元気に会社にいったり、専業主婦の仕事をこなしたりしており、ひきこもりには見えない」が、「ひきこもりと同じ基本症状があり、よく観察すると、本当の自分を隠しながら社会生活をしている」という「仮面ひきこもり/潜在的ひきこもり」について、その「実態を明らかにして、治療が可能であると示すこと」を目的としたものです。
 第1章「仮面ひきこもりとは何か」では、「仮面ひきこもりは、社会参加をするひきこもりである。彼らは普通の社会生活をしており、部屋には閉じこもらない。しかし、社会的ひきこもりと同じく、誰とも親しくなれない特徴がある」として、「会社員ばかりでなく、主婦にも多く見られ、フリーターから教師、公務員、専門家に至るまで、社会のあらゆる部分に存在している。彼らの多くは、人間不信と対人恐怖を笑顔で隠して、相手に嫌われないように生活をしている。相手に合わせる苦しさと孤独感は彼らに共通する感情である」と述べています。
 そして、「社会的ひきこもりは、仮面ひきこもりの表の自分が崩れた人たちである」として、「彼らの多くは引きこもる前は『良い子』であった。しかし、いじめや人間関係のトラウマのために人に合わせる表の自分が崩れてしまった」のに対して、「仮面ひきこもりは表の自分がしっかりしている。彼らは学校や職場に行き、普通の社会生活ができる。自分の弱みや問題を人には見せない。親とは激しい対立をしないがその分だけ感情を抑圧している」と述べ、「社会的ひきこもりと比べると、仮面ひきこもりは表の自分が頑張っている。彼らは、人間関係のストレスに耐えながら生きるので『我慢』が信条である」としています。
 第2章「仮面ひきこもりの症状と傾向」では、「仮面ひきこもりの症状は母との絆の欠落(アタッチメント・トラウマ)から始まる」として、その基本症状として、
(1)人間不信
(2)対人恐怖
(3)感情マヒ
の3点を挙げています。
 そして「彼らは次のような感覚を知っている」として、
・私を好きになる人はいない。
・結婚できないと思う。
・結婚しても子どもを育てるのは無理かもしれない。
・自分から死ぬ勇気はないが、誰かが殺してくれるなら、それはかまわない。
・私を理解する人はいない。
・このままいくと廃人になるかもしれない。
等の感覚を挙げ、「この感覚の背後にあるのは『絆の欠落』である」と述べています。
 第3章「仮面ひきこもりはなぜ起きるのか」では、「母と絆がもてない子どもは人格が2つ形成される。母(人)に合わせる『表の自分』、母(人)に見せない『本当の自分』である」として、仮面ひきこもりのメカニズムとして、
(1)母に愛されない赤ちゃん「本当の自分」
(2)母に合わせて「表の自分」を作る=仮面をつける子ども(本当のことを言わない子ども)
(3)仮面をつけて成長する「表の自分」
(4)「表の自分」が社会生活をする(本当の自分は心の中に隠れている)
の4つの段階を挙げています。
 第5章「仮面ひきこもりと日本社会」では、仮面ひきこもりの家庭が、「夫婦の愛情が大切という考えがない。患者の親は、世間体のために結婚して、世間体のために離婚しない。愛情のない結婚を続けるのは義務の一つである」と述べています。
 そして、「今、日本人の二極化が静かに進んでいる」として、
(1)子孫を残すグループ
(2)子孫を残さないグループ
の2つにはっきり別れることを「日本人の自然淘汰と言ってもいいだろう」と述べた上で、後者は、
(1)社会的ひきこもり
(2)仮面ひきこもり
(3)見合い文化で育った人たち
の3つにさらに分けることができるとしています。
 本書は、日本社会の中に静かに生活している「仮面ひきこもり」について論じた一冊です。


■ 個人的な視点から

 「ひきこもり」っていう言葉をつけると何やら新しい現象のようにも見えますが、昔から「人付き合いが苦手」という人は一定数いたのではないかと思います。そういう意味で、昔は「変わり者」くらいに見られて、それはそれで受け入れられていた人が、今の目で見ると何かの「病気」や「障害」を抱えている可能性は相当あるのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・世間との間で生きづらさを抱えている人。


2014年9月22日 (月)

シャーロック・ホームズの思考術

■ 書籍情報

シャーロック・ホームズの思考術   【シャーロック・ホームズの思考術】(#2343)

  マリア コニコヴァ (著), 日暮 雅通 (翻訳)
  価格: ¥2,592 (税込)
  早川書房(2014/1/24)

 本書は、シャーロック・ホームズの物語に対して、心理学的アプローチを行ったものです。
 著者は、「ホームズの方法論にのっとって、自分自身や自分の世界といつも〈マインドフル〉」、すなわち、「能動的(アクティヴ)な関わりを持つ受動的(パッシヴ)なアプローチ」に「関わることができるような思考習慣を確立するために、必要なステップを探って解説する」とした上で、「シャーロック・ホームズが登場したのは、心理学がまだ初期の段階にある時代だった。つまり私たちには、彼よりもさまざまなものが備わっているのである。その知識を有効に使えるように、学んでいこう」と述べています。
 第1章「科学的思考法」では、「ホームズが差し出しているのは、単なる犯罪解決手法ではないのである。それはものの考え方全体であり、霧が立ち込めるロンドンの悪の世界とは無縁の数えきれない事柄に応用することのできる、〈マインドセット〉(行動の開始から目的の達成までのプロセスに特徴的な認知・思考状態)なのだ」と述べています。
 そして、「私たちの頭は2つのシステムをベースにして動いている」として、
(1)ワトスン・システム:反応が早く、直感的で、反射的――頭が常に、戦うか逃げるかを警戒しているような感じ。意識的な思考や努力はそれほど必要とせず、オートパイロットのような役目を果たしている。
(2)ホームズ・システム:反応が緩く、より慎重で、より徹底して、論理にかなった動きをする。
の2点を挙げた上で、「クールで思慮深い方のシステムが頭に犠牲を強いるため、私たちは思考する時間のほとんどで、ホットで反射的な方のシステムを使う。そして、自然に観察している状態が、そのシステムの色合いを帯びるようにしている。つまり、無意識で、直感的で(必ずしも正しくはない)、反射的で、判断が早いのだ」と述べています。
 さらに、「〈ワトスン・システム〉による考え方から〈ホームズ・システム〉による考え方へと移行すること」で、「つねに"頭脳の影響力(プレゼンス・オブ・マインド)"があり、注意深さ(アテンティヴネス)がある状態のことであり、世界の真実を積極的に観察するのに欠かせない」〈マインドフルネス〉に、「積極的な関与(エンゲイジメント)の欲求や、やる気」を意味するモチベーションが加わると述べています。
 第2章「脳という屋根裏部屋――そこには何があるのか」では、「訓練を積んだ専門家は、頭脳の屋根裏部屋に何を詰め込むかについて、細心の注意を払う」というホームズの言葉について、「記憶の形成(フォーメーション)と保持(リテンション)、検索(リトリーヴァル)に関するその後の研究で、この屋根裏部屋の例えが適用できることがわかっている」とした上で、
(1)構造:脳がどのように情報を取り込むのか、どのように情報を処理するのか、将来のためにどのように蓄えるのか、既に屋根裏部屋に入っている内容と統合するかどうかを、どのように選択するのか。
(2)中身:私たちがこの世界から取り込んだ人生での体験。
に分けることができると述べ、、もしホームズのやり方を真似したいのなら、「〈動機付けられた符号化〉という性質をちゃんと認識する方がいい。私たちは、興味や動機があるときに、よりよく記憶することができるのだ」と述べています。
 そして、「私たちの思考は、その最初から屋根裏部屋の"構造"に支配されている。それは思考と作用の習慣的形態(モード)であり、世界を見て評価する方法として私たちが学んできたものであり、現実の直感的認知をかたちづくる先入観(バイアス)(または"偏り")と発見的手法(ヒューリスティクス)(複雑な問題解決のために何らかの意思決定を行う際、暗黙のうちに用いている簡便な解決法や経験則)だ」と述べた上で、「私たちの脳は素早い判断ができるように配線されており、周りの環境から秒ごとに押し寄せる無数のインプットの取り込みと評価という仕事を単純化する、裏道や近道が装備されている」と述べています。
 さらに、「実験で繰り返し示されていること」として、「環境に存在するイメージや人物、言葉などが"プライム(先行刺激)"(先に見聞きされ、後の反応に影響する事柄)としてはたらくとき、人間は関連した概念を利用しやすくなり――つまり、これらの観念が使いやすくなり――実際にそれが正確であってもなくても、その概念を自信のある答えとして使う可能性が高くなるのだ」と述べています。
 著者は、「たいていにおいて自分の判断を信用しない方がいい、と認識することが、あなたの判断を実際に信頼できるまで向上させる秘訣だ。さらに重要なのは、私たちが正確であろうと動機づけられていれば、そもそもの初期符号化が手に負えなくなる可能性は低くなるだろうということだ」とした上で、「正確な直感というものは、習得した発見的方法(ヒューリスティクス)を技術に置き換える訓練なのだ」、「私たちは、ある特定の方法で考えるように脳を強化してきたことを認識していないだろうが、実際にはそうしてきた」と述べています。
 第3章「脳という屋根裏部屋にしまう――観察のもつ力」では、「ある場面において一つのことに集中することでその他の要素が消えるプロセス」である〈注意力欠如(アテンショナル・ブラインドネス)〉について、著者自身は〈注意深い不注意(アテンティヴ・インアテンション)〉と呼ぶと述べています。
 そして、エンパイア・ステート・ビルディングの最上階で飛行機を探すエピソードから、
(1)選択力をもつ:私たちの視覚は非常に選択的だ。
(2)客観性をもつ
(3)包括的である
(4)積極的に関与する:難しい問題に食い下がり、解決する可能性が高まる。
の4つの要素を示しています。
 第4章「脳という屋根裏部屋の探求――創造性と想像力の価値」では、「私たちは創造性(クリエイティビティ)というものを、あるかないか、脳の特性としてもっているかいないかと考えがちだ」が、「創造性は学ぶことができる。それは注意や自制(セルフ・コントロール)と同じく、筋肉のようなもので、練習で成長し、使用や訓練、集中、動機によって強化されるのだ」と述べ、「自分が優秀な人と同じように創造的になれると信じ、創造性における不可欠な要素を学ぶことが、ワトスン(あるいはレストレイド)ではなくホームズのように考え、決断し、行動する全般的な能力を向上させるために重要なのだ」としています。
 そして、「私たちの自然は〈マインドセット〉は私たちを抑えているかもしれないが、実は単純な先行刺激(プライム)だけでまったく異なる方向へ向けることができる」と述べています。
 さらに、「パイプ三腹の問題」として、「現在の環境から切り離して、〈注意拡散ネットワーク〉(脳が休んでいる時に活動する初期設定(デフォルト)ネットワークと同じもの)で取り扱うこと」の重要性を挙げた上で、「脳は次に来るものを知りたがっている。終わらせたがっている。働き続けたいと思っている――止めろと命じても働き続ける。ほかの課題がすべて終わっても、無意識のうちに完了しなかったものを思い出しているのだ。これは以前にも出てきた〈完結欲求〉と同じで、不確実な状態を終わらせ、未完成の仕事に決着をつけたいという脳の願望だ」と述べています。
 第5章「脳という屋根裏部屋を操縦する――事実からの推理」では、「私たちの脳はつねに、異なるさまざまな要素から一貫性のある"ナラティブ"を組み立てる。もし何かの原因がなかったら落ち着かないため、脳は私たちの許可無く何らかの原因を決めてしまうのだ。迷っている時の脳は、推理(インファランス)から帰納(ジェネララゼーション)までの推論プロセスのあらゆる段階でいちばん楽な方法を選ぶ」として、「結論を急いでしまい、ちゃんとしまわれていたすべての証拠が目の前にあったとしても、論理的なストーリーではなく選り好みしたストーリーを語ることは、よくある(すぐにわかると思うが、これは避けがたい)。平凡な細部にうんざりせず、思考過程の終わりにへとへとになったりせず、最後の瞬間まですべてについて推論できることは、実にまれなことだ」と述べています。
 そして、「私たちがしなければならないのは、ずっと平凡なことで、別々の出来事が実際に起こる可能性を正確に見積もることだ」と述べています。
 さらに、「ホームズはシルヴァー・ブレイズ号が見つかることを予期していたため、手持ちの証拠を異なる角度で見てしまい、特定の可能性を検討しないままだったのだ。ここでも、〈要求特性〉(仮説を予測し、それに基づいて行動すること)が問題を起こしている」と述べています。
 第6章「脳という屋根裏部屋をメンテナンスする――勉強に終わりはない」では、「人間が学習するのは、主として、報酬予測誤差(リワード・プレディクション・エラー)(PRE)というものに駆られてだ。期待していたよりもやりがいがあると、RPEによりドーパミンが脳内に放出されることになる」とした上で、「こつは、即座にリワードが与えられるその時点を通り過ぎるよう、本来価値のあるその先の不確実性を探るよう、脳を訓練することだ。たやすいことではない」と述べています。
 第7章「活動的な屋根裏部屋――すべてをひとつにする」では、「必要なのは、固定観念の活性化や、はじめに設定した不適切な枠組みがその後の推理に与える影響を、取り除くこと。そして、すべての観察結果を考慮することなしに、目立つものや手に入れやすい情報に集中した際にもたらされる失敗を、取り除くこと」だと述べています。
 第8章「私たちはただの人間でしかない」では、コティングリー妖精事件について、「肝心なのは、表面上は科学的に思われる文脈(コンテクスト)によって、実在しないのに実在すると、容易に騙される点である」と述べています。
 「終わりに」では、知能について、
(1)インクリメンタル(変化する)
(2)エンティティ(本質である)
という2つの説について、「世界と自分自身をどう考えるかによって、どう学ぶか、何を知るかを本当に変えられる」と述べ、「脳の振る舞い方は、その持ち主である私たちの考え方にきわめて感化されやすい。それは学習に限ったことではない。自由意志で信じるかどうかといった理論的なものでさえ、私たちの脳がどう反応するかを変えられる(私たちが信じなければ、私たちの脳は実際に準備反応が鈍くなる)。はっきりした理論から特定のメカニズムまで、私たちは頭(マインド)の働き方に、ひいては自分の振る舞い、行動、相互作用(インタラクト)に対し、大きな影響力をもつ。自分は学ぶことができると思えば、学ぶことになる。そして、どうせ失敗するに決まっていると思えば、まさにそのとおりに、行動上ばかりか神経単位(ニューロン)というきわめて根本的なレベルでも、自分の運命を決めてしまう」と述べています。
 そして、「ワトスンが自分は『お手上げだ』と言うとき、彼の見ているのは〈エンティティ〉世界だ」が、「ホームズにしてみれば、あらゆることが〈インクリメンタル〉だ。やってみなければわからない。どんな難題も、新しいことを学ぶ、頭脳を発展させる、自分の能力を向上させる、そして将来の活用に備えて屋根裏部屋にツールを増やす、好機だ」と述べ、「ホームズの洞察はほとんど何位でも応用できる。すべては態度、〈マインドセット〉、思考習慣、自分が発展させる世界への辛抱強いアプローチなのだ。それに比べると、何に応用するかという点ははるかに重要性が低い」として、「もっともパワフルな頭脳は平静な頭脳である」、「思慮深く、注意を怠らず、思考とその状態に〈マインドフル〉な頭脳である。たびたびマルチタスクを処理することはなく、マルチタスクになる時は、意図してそうする」と述べています。
 本書は、思考すること、脳を使うことの本質的な意味を教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 ホームズを読んでいると、「普通の人とは頭の構造が違うから」とか、「どうせ小説だから都合よく書かれている」とか言って自分に言い訳をしてしまいますが、心理学の観点から辻褄をつけていくというのも、かなり偏った形ですが、一つのシャーロッキアンの姿なのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・名探偵になりたい人。


2014年7月17日 (木)

自己が心にやってくる

■ 書籍情報

自己が心にやってくる   【自己が心にやってくる】(#2341)

  アントニオ・R. ダマシオ (著), 山形 浩生 (翻訳)
  価格: ¥3,132 (税込)
  早川書房(2013/11/22)

 本書は、「これまでのダマシオの議論を集大成し、進化論的に見た身体や脳から心(『デカルトの誤り』)、心から情動や感情(『感じる脳』)、感情から意識/自己(『無意識の脳 自己意識の脳』)、そしてさらには知性や文明へという流れを総括したもの」です。
 訳者あとがきでは、「ダマシオの議論の基本は、心も、情動や感情も、意識も自己も、進化の中で生存の有利がだから発達してきた」とした上で、「各種知覚機関からのデータを中心としてマッピングされた各種イメージの移動平均のようなもの」である「意識(つまりそれを意識する自己)」が生じ、恒常性の範囲から外れたことを検出して修正しようとするために「体内、体外からの情報を元に原自己ができて、そこからのずれは『何か対応しよう』という信号とそれに対応した行動」であるダマシオ的「情動」を生み出し、他の物体が、「各種の刺激を通じて各種のマップ&イメージを変化させ、その結果としてその移動平均のような原自己も変化」し、「各時点におけるその原自己の変化の集合がダマシオの言う中心自己」だとしています。
 第1章「目を覚ます」では、本書が、
(1)脳はどうやって心を構築するのか?
(2)脳はどうやってその心に意識を与えるのか?
の2つの質問の考察に専念するとした上で、「確かに自己はあるが、それはプロセスであってものではなく、そのプロセスはわれわれが意識のあるはずの状態では常に存在している」として自己プロセスを、
(1)動的な客体を観察している観察者の視点
(2)知る存在としての自己、体験に焦点を与えてその後にその体験を考察させてくれるプロセス
の2つの視点から捉え、「この2つの視点を組み合わせることで、本書で一貫して使われる二重概念が生み出される」と述べています。
 そして、「本書で提起されるアイデアのなかで、何よりも中心的なものは、肉体が意識ある心の基盤だというものだ。身体機能のもっとも安定した面が現れているのは脳で、それがマップの形態を取り、したがって心に対してイメージを提供しているのはわかっている。これを根拠として、肉体の中で生み出される肉体の心的イメージの中で特殊なものが原自己を構成し、それが来たる自己の先駆けとなるという仮説が出てくる」と述べ、「脳が意識ある心を構築し始めるのは、大脳皮質のレベルではなく、脳幹のレベルでのことだ。原初的な感情は脳が最初に生み出すイメージだというだけでなく、感覚力の直接の表現なのだ。それは自己のもっと複雑な水準のための、原自己の基板となる」としています。
 また、「意識ある心は生命制御の歴史の中で生じる。生命制御は、短縮形のホメオスタシス、恒常性で知られる動的なプロセスで、バクテリア細胞や単純なアメーバといった単細胞生物で始まる。それは単純な脳で行動管理される個体へと進歩する」と述べています。
 第2章「生命調整から生物学的価値へ」では、「われわれはしばしば、自分の大きな脳や複雑な意識こそは、高度な生命管理の背後にある態度、志向、戦略の起源だと思ってしまいがちだ」が、「意識ある心は基本的な生命管理ノウハウを、いわば知りうるものにしたというだけなのだ。これから見るように、意識ある心が進化に与えた貢献として決定的なものは、ずっと高い水準でやってくる。それは熟慮にもとづくオフラインの意思決定と文化想像に関連しているのだ」と述べています。
 また、「ニューロンは肉体のためのもので、この『ためのもの性』、この執拗な肉体への指向こそがニューロンやニューロン回路、脳を定義づける性質だ。この『ためのもの性』があればこそ、体内の細胞が持つ暗黙の生きる意思が、心ある意識を持った意思に変換され得たのだと私は信じている」と述べ、「個体全体にとって、価値のプリミティブは生存できる恒常性範囲内の生きた組織の生理状態だ。脳内の継続的な科学パラメータ表現は、意識を持たない脳装置に、恒常性範囲内からの逸脱を検出測定できるようにするので、それは内的ニーズの度合いに関するセンサーとして機能する。すると今度は、恒常性範囲からの計測された逸脱が、他の脳装置による強制行動を指令し、さらには反応の緊急性に応じて、その矯正のためのインセンティブや反インセンティブを促進する。こうした活動の単純な記録が、将来状態の予測の根拠となる」と述べています。
 そして、「人間の脳が意識を持った人間の心をこしらえ始めた時、話は大きく変わった。生命体の生存に専念した単純な統御から、だんだんもっと熟考を伴う統御に移行してきたのだ。それはアイデンティティと人格性を持つ心にもとづくもので、今や単なる生存を求めるだけでなく、ある範囲の福祉を活発に求めるようになった」と述べ、「生命と、それに不可欠な条件――生き延びよという抑圧不能の命令と、生命体の生存を管理するというう複雑な仕事――は脳(これは進化が組み立てた最も入念な管理装置だ)の発生と進化の根本原因であり、さらにはますます複雑な環境に暮らす、ますます入念な身体の中の、ますます入念な脳の発達から生じるあらゆるものの根本原因でもある」としています。
 第3章「マップづくりとイメージづくり」では、「われわれが持っているような脳の決定的な特徴は、マップを作るおそろしいほどの能力だ。マッピングは高度な管理には不可欠で、マッピングと生命管理は手を携えて進む。脳がマップを作るとき、それは自分自身に情報を与えている。マップに含まれる情報は意識せずに運動行動を効率よく導くのに使える」が、「脳がマップを作るとき、それは同時にイメージも作っている。イメージは心の主要な通貨だ。最終的に、意識はマップをイメージとして体験し、そのイメージを操作して、それに理性を適用できるようにしてくれるのだ」と述べています。
 そして、「脳のしつこいほどの動的なマッピングの結果が心だ。マッピングされたパターンは、意識ある生物たるわれわれが、視覚、音、食感、匂い、味、痛み、快楽などとして知るようになったもの――つまりはイメージを構成する。心のなかのイメージは、肉体の中だろうとその周囲だろうと具体的だろうと抽象的だろうと、現実だろうと以前に記憶に記録したものだろうと、ありとあらゆるものに関する脳の一時的なマップだ」と述べています。
 また、「心づくりは極めて選択的な仕事のようだ」として、「中枢神経系すべてが同じようにそのプロセスに参加しているのではない。一部の部位はまったく参加せず、一部は参加しても中心プレーヤーではなく、ごく一部が大半の作業を行っている。その関与の深い部位のうち一部は詳細なイメージを提供する、一部は単純ながらも基板となる、身体の感情といったイメージを提供する。心づくりに参加するあらゆる部位は、相互接続のパターンが極めて差別化されており、非常に複雑な信号統合を示唆している」と述べています。
 第4章「心の中の身体」では、「身体と脳の結びつきの背後にある理由」について、「生きることを管理するという仕事は、身体を管理するということであり、その管理は脳の存在のおかげで制度と効率性を獲得する――具体的には、管理を助けるニューロン回路を持つことでそれを助けるのだ」とした上で、脳の身体に対する『ためのもの性』は、他にも2つの驚異的な結果を持っており、これらも心身論争や意識論争の双方を解決するのに不可欠だ。身体の徹底した詳細なマッピングは、われわれが通常身体の決まった部位に置かれた、近くのための特殊装置もカバーしている」とした上で、「この面白い仕組みによって、身体の外部世界の表象は、身体そのもの、特にその表面を通じてのみ脳に入ってこられる。身体とそれを取り巻く環境は相互に作用を行い、その相互作用を通じて身体の内部に引き起こされた変化は脳にマッピングされる。心が外界について脳を通じて学ぶというのは全く正しいが、脳が身体を通じてのみ情報を得られるというのも同じく正しいのだ」と述べています。
 そして、「通称ミラーニューロンは、要するに、究極の『あたかも身体』装置なのだ。こうしたニューロンが埋め込まれているネットワークは、概念的には私が『あたかも身体ループシステム』として仮説化したものを実現している。つまり、脳の身体マップの中におけるその生命体では実際には起こっていない身体状態のシミュレーションだ」と述べています。
 第5章「情動と感情」では、「人間行動を理解しようとして、多くの人は情動を無視しようとしたが、無駄だった。情動と心(意識があろうとなかろうと)、それを生み出す脳は、情動(そしてその名のもとに隠れている多くの現象)まで含めて十分に考慮しない限り、その秘密を明してはくれない」とした上で、「情動は複雑で、おおむね自動化された行動のプログラムであり、進化によって造り上げられたものだ。こうした行動は、ある種のアイデアや認知モードを含む認知プログラムで補われているが、情動の世界はもっぱら体内で実行される行動の世界で、たとえば顔の表情や姿勢から、内臓や内部状態の変化などが含まれる」と述べ、「情動の感情は、情動が働いているときに心や身体の中で起こることについての、複合的な知覚だ。身体についていえば、感情は行動そのものではなく行動のイメージだ。感情の世界は、脳マップ内で実行される知覚の世界だ」としています。
 第6章「記憶のアーキテクチャ」では、「生命体(身体と脳)は物体と相互作用し、脳はその相互作用に反応する。物体の構造を記録するのではなく、脳は実は生命体がその物体と持つ相互作用のさまざまな帰結を記録しているのだ」と述べています。
 そして、「収斂分散ゾーン(CDZ)は、ニューロンの群れで、その中で多くのフィードフォワード/フィードバック・ループが接触している。CDZは信号処理の連鎖の中で『早期』に位置する感覚領域からの『フィードフォワード』接続を受ける。そうした早期の感覚領域は、大脳皮質における感覚信号のエントリーポイントから始まっている。CDZは双方向的なフィードバック当社をそうした起点領域に送る。CDZはまた、『フィードフォワード』投影を連鎖の中の次の接続レベルにある領域に送り、そこからお返しの投影を受け取る」とした上で、「CDZの枠組みは2つのある程度別れた『脳空間』を提起する」として、
(1)物体や出来事を知覚している間に明示的なマップを構築し、想起の間にそれを再構築する。知覚と想起の両方で、物体の性質とマップの性質との間には明らかな対応関係がある。
(2)マップではなく性向を保持している。性向とはつまり、イメージ空間にマップを再構築するための暗黙の方式だ。
の2つの空間を挙げています。
 第7章「意識を観察する」では、「意識というのは、自分自身の存在についての知識と、周辺が存在することについての知識がある心の状態である。意識とは心の状態だ――心がなければ意識はない。意識は心の特定の状態であり、心が活動している特定生命体についての豊かな感覚のことだ。そしてその心の状態は、その存在がどこかに置かれているという知識、その周辺を取り巻く物体や出来事があるという知識も含む意識というのは自己プロセスを追加した心の状態なのだ」とした上で、「なぜ意識は、選択肢として生命体に与えられて栄えたのだろうか? なぜ意識を作る脳が自然選択されたのか?」という問いに対し、「生命体のニーズに応じて身体と外界のイメージを作成し、方向付け、取りまとめるのは効率的な生命管理の可能性を高めて、結果として生存確率を高めた」と述べています。
 第8章「意識ある心を作る」では、「意識ある心の深みに沈降する中で、私はそれが各種イメージの複合物だということを発見したのだ。そうしたイメージの一群は、意識の中の物体を表す。別のイメージ群は自分を表し、その自分に含まれるのは以下のとおりだ」として、
(1)物体がマッピングされるときの視点(私の心が見たり触ったり聞いたりなどする際の立ち位置を持っているという事実と、その立ち位置というのが自分の身体だという事実)
(2)その物体が表象されているのは、自分に所属する心の中でのものであって、その心は他の誰にも属さないという感情(所有権)
(3)その物体に対して自分が発動力(agency)を持っており、自分の身体が実施する行動は心に命じられたものだという感情
(4)物体がどう関わってくるかとはまったく関係なしに、自分の生きた身体の存在を表す原初的感情
の4点を挙げ、これらの集合が「単純版の自己を構成する。自己集積体のイメージが非自己物体のイメージと合わせて折りたたまれると、その結果が意識ある心となる」と述べています。
 そして、「意識ある心の基本的な内容物は、覚醒状態とイメージだ。覚醒状態についていえば、それが脳幹被蓋と視床下部の一部核種の働きによるものだごわかっている」として、「脳幹核種の働きは、視床に支援を受けるが、一部の核は大脳皮質に直接作用する。視床下部の各種だと、もっぱら化学分子の放出により作用し、それが神経回路に作用してその働きを変えるのだ」と述べています。
 また、「原自己は、中核自己の構築に必要な踏み石だ。それは生命体の物理構造の最も安定した側面を、一瞬ごとにマッピングする別個の神経パターンを統合して集めたものだ。原自己マップはそれが身体イメージだけでなく感じられた身体イメージも生み出すという点に特色がある。こうした身体の原初的感情は、通常の目を覚ました脳には自発的に存在している」と述べた上で、原自己に貢献するものとして、
(1)マスター内知覚マップ:内部状態と内蔵から出てくる内知覚信号からコンテンツを組み立てられるマップやイメージ
(2)マスター生命体マップ:全身の模式図を主要コンポーネントつき――頭、体幹、四肢――で、落ち着いた状態で記述する
(3)外的に向けられた感覚ポータルのマップ:視点を構築し、心の質的な側面を構築する
の3点をあげています。
 第9章「自伝的な自己」では、「主要CD領域の一つ、後内側皮質(PMC)はどうやら他に比べて高い機能階層にあるらしく、他とは違った解剖学的、機能的な性質をいくつか示す」と述べた上で、「PMC活動は覚醒状態で最も高く、徐波睡眠で最も低い。レム睡眠中はPMCは中間の水準で機能する」として、「夢を見る睡眠中にあ、確かに『自己』に何かが起きている。夢の自己はもちろん通常の自己ではないが、それに伴う脳状態は、確かにPMCを動員しているらしい」と述べています。
 第10章「まとめあげる」では、「意識というショーをまとめるのは実に大規模な協調作業なので、その参加者のどれか一つを特出しするのは非現実だ。人間の意識を大きく定義づける、自己の自伝的な側面を生み出すためには、皮質の神経解剖学と神経生理学を支配する収斂分散領域のすさまじい成長を指摘しなければならない」とした上で、「大脳皮質の解剖学的、機能的な拡大があっても、脳幹の機能は皮質構造で複製されることはなかった。この経済的な役割分担の結果として、脳幹と皮質の運命的かつ完全な相互依存が生じた。両者は協力せざるをえないのだ」と述べています。
 そして、「意識の神経学に関する議論や、心脳問題の神経学に関する問題は、通常は2つの点を露骨に甘く見ている」として、
(1)身体そのものの詳細や組織をきちんと考慮しないこと。
(2)脳が何であり何をしているかについてしっかり理解されていると思うのは、まったくの妄想にすぎないが、それでも去年よりは今年のほうが知識は増えているし、そして10年前に比べれば知識量は雲泥の差だ。
の2点を指摘しています。
 第11章「意識と共に生きる」では、「意識プロセスと無意識プロセスとの関係は、共進化するプロセスの結果として生じた奇妙な機能的パートナーシップの新たな一例というわけだ。必然的に、意識と直接的な意識による行動コントロールは、意識のない心の後から発生したものだ」と述べています。
 そして、「神経系は、生命のマネージャ及び生物学的価値のキュレータとして発達し、当初は脳のない性向の支援を受けていたが、やがてイメージ、つまり心の支援を受けるようになった。心の発生は、無数の生物種にとって生命制御の驚異的な改善をもたらした」と述べています。
 また、「頑強な自己が心にやってきて、文化という生物学的な革命を生み出し始めたのがいつ、どこでのことだったのかを発見できたら実に素晴らしいことだろう」が、「自己がゆっくり段階的かつ不均等に成熟したのは確実で、そのプロセスは世界の数カ所で起こっていたし、しかも必ずしも同時にではなかった」として、「5000年ほど前の書字の発達は、確固たる証拠を色々与えてくれるし、ホメロスの詩の頃(3000年前よりは新しいらしい)になると自伝的な自己が間違いなく人間の心にやってきている。それでも、『イーリアス』で述べられた出来事の頃と、『オデュッセイア』との間の比較短期間の間に、何かとても重要なことが人間の心に起きたというジュリアン・ジェインズの主張に私は同意したい。人間と宇宙に関する知識が積み上がるにつれて、絶え間ない階層により自伝的自己の構造が変わり、心的処理の比較的バラバラだった側面をもっと密接に縫い合わせるようになった可能性は十分にある」と述べています。
 そして、「自伝的自己が脳回路や石、粘土、紙に刻まれた知識に基づいて機能できるようになれば、人間は個人的な生物学ニーズを累積した智恵に結び付けられるようになる。このようにして、探求、思索、反応などの長いプロセスが始まる。これは神話、宗教、芸術、そして社会行動を司るべく発明された各種の構造――構築された道徳性、司法体系、経済、政治、科学、技術――などに表現される。意識の究極的な結果は記憶を通じてやってくる。これは生物学的価値のフィルタを通じて獲得され、理性によって躍動する記憶なのだ」と述べています。
 また、「人間存在のドラマとその報いの可能性についての系統的な発見は、人間意識が全面的に発達した後でないと不可能だったとも考える。つまり、思索的な熟慮を導き、知識収集を導けるような自伝的自己を備えた心が必要だったはずだ」と述べ、「こうした文化的な発達の背後にある原動力は、恒常的衝動なのではないだろうか。大きく賢くなった脳のおかげで認知的拡大が大幅に実現したことだけに頼った説明は、文化のすさまじい発達の説明には不十分だ。文化的な発達はあれやこれやの形で、私が本書でずっと言及してきた自動化された恒常性を同じ目的を持つ。それは生命プロセスの不平衡/不均衡検出に反応し、それを人間の生物学や、物理社会環境の制約の中で矯正しようとする。道徳的なルールや法の複雑化とし法体系の発達は、個人と集団を危険にさらす社会行動による不均衡への対応だった」として、「生命体の進化的な設計は生命調整を核としたもので、恒常的均衡に向か傾向を持っていた。それが意識ある思索で武装したことにより、苦悶する者たちにとっての慰めや、苦しむ者を助ける者には報酬、害をなす者に対する介入、害の防止と善の促進を狙った行動規範、処罰と予防の混合物、罰則と賞賛の混合物が生み出された。こうした各種の知恵を理解でき、伝達できて、説得力あり矯正できるものにするにはどうすればいいか――つまりはそれが意味を持つようにするにはどうすればいいか――という問題に人々は取り組んで、解決策が見出された。その解決策は物語だった――物語とは、脳が自然かつ暗黙のうちに行うことだ。暗黙の物語がわれわれの各種自己を作り出したので、それが、人間社会や文化のあらゆる面に浸透しているのも無理はない」と述べ、「自分自身や社会の改良のためにそうした物語を発明したり使ったりできるような脳を持った個人や集団は、そうした脳のアーキテクチャ面の性質が個別にも集団的にも選択されるだけの成功を収め、おかげでその個体数は世代を追うにつれて増加したのだった」としています。
 著者は、「意識が人類に与えてくれた究極の贈り物とは何だろうか? それは想像力の中で未来への舵取りをする能力かもしれない。自己という船を、安全で生産的な港へと導くことだ。このあらゆる贈り物の中で最大のものは、これまた自己と記憶との交差に依存している。個人的な感情でメリハリのついた記憶こそは、人間が自分の厚生と社会全体の類型的な厚生をどちらも想像し、その厚生を実現して拡大する方向や手段の発明を可能にするものなのだ」と述べています。
 本書は、生物に心と自己が生まれるまでの過程を追った一冊です。


■ 個人的な視点から

 人類が「意識」を持ち始めたのはほんの3千年ほど前のことであり、それ以前の人類は「二分心」を持っていて、右脳からささやかれる「神々の声」に従って文明を築いた……という説はジュリアン・ジェインズの『神々の沈黙』でしたが、生物の進化の過程から「意識」の誕生をたどった本書との接点が面白いです。


■ どんな人にオススメ?

・自分には「意識」があるのがあたりまえだと思っている人。


2014年6月19日 (木)

交通事故学

■ 書籍情報

交通事故学   【交通事故学】(#2336)

  石田 敏郎
  価格: ¥756 (税込)
  新潮社(2013/11/16)

 本書は、「どうすれば人は事故を起こさずに運転できるか」について、交通心理学の知見をもとに解説するものです。
 第1章「自分の感覚は疑わしい」では、ヒヤリハットの根本にある考え方として、「1件の重大災害の陰には29件の軽度の災害があり、その陰には300件のヒヤリとした体験がある」とする「ハインリッヒの法則」があるとして、ヒヤリハット体験が、
(1)他者(車・人)の急な介入・関わり(「飛び出し」「接近」「進路変更」等)
(2)自然状況の急な変化(「雨」や「雪」「風」等)
(3)誤判断・誤操作(「信号確認の失念」「ハンドルの切り誤り」等)
(4)意識水準の低下(「ウトウト・ボンヤリ」「脇見」等)
(5)故障や突然の異常(「走行車の故障」「荷崩れ」「エンスト」「パンク」等)
の5つに分類できるとしています。
 第3章「自分はどんなタイプの運転者か」では、心理学者のワイルドが提唱した「リスク・ホメオスタシス説」について、「道路ユーザーは知覚するリスク水準が『目標とするリスク水準』と異なると、その相違を取り除こうとする。この調節行動は客観的な事故リスクを伴い、全道路ユーザーによる調節行動の総和が、交通事故の頻度と重大性(事故率)を生み出す」と述べています。
 第5章「危険な場所での心理特性」では、「交差点の手前、判断に迷う間に走行する範囲」を「ジレンマゾーン」と呼び、「普段の運転行動が最も反映される場所だ」としています。
 また、「対象との距離や到着時間を予想し、発進するか否かを判断すること」である「ギャップ・アクセスタンス」について、ほとんどの事故事例が、「ドライバーのギャップの見積りエラーや、バイクの速度の過小評価、相手が減速するだろうという予測が主な原因だった」と述べています。
 第6章「歩行者事故を防ぐための基礎知識」では、「自分が運転していると、歩行者はずいぶん勝手なものだと感じる」が、「立場によって感じ方は異なるとしても、歩行者保護は運転の基本である。高齢者や子供、病気で歩行困難な人もいることに配慮を欠いてはならない」と述べています。
 第8章「カー・コミュニケーションとマナー」では、「全国共通で普及したカー・コミュニケーションの例はそれほど多くない」として、「交差点で右折の際に対向車がパッシングするのは、関東では通行をスムーズにするため『先に右折を』という合図だが、地方によっては『自分が先に行くからそのまま停止を』の意思表示になる」と述べています。
 第10章「ヒューマンエラーと交通心理学」では、認知心理学者のノーマンが、エラーを、
(1)スリップ:ある行為を実行する段階のエラーで「うっかりミス」や「不注意」
(2)ミステイク:計画段階のエラーで「思い込み」が代表的な例
の2つに分類したと述べています。
 そして、自己対策の「4E」として、
(1)工学(Engineering)
(2)環境(Environment)
(3)規制(Enforcement)
(4)教育(Education)
の4つを挙げたうち、「死亡事故低減に最も寄与しているのは工学的な対策」だとして、実験安全車の構想や、救急医療技術の進歩や救急救命病院の配置などを挙げています。
 本書は、交通事故の背景にある心理を解説する一冊です。


■ 個人的な視点から

 交通事故の原因は突き詰めれば人にあるわけですが、人間の要因をカバーするのは一番難しいことを考えると、車と人が接触する機会をできるだけ減らす方法こそが考えられなければならないのかもしれません。これから車の運転が難しくなる高齢者が増えることを考えると、自家用車やガソリンに高い税をかけて、その分を道路づくりに回すのではなく、低価格な公共交通網の整備に回すほうがいいかもしれないですね。


■ どんな人にオススメ?

・自分は事故なんか起こさないと思っている人。


2013年11月26日 (火)

現場事故を防ぐ「不注意の心理学」: なぜ起きる うっかりミスや勘違い

■ 書籍情報

現場事故を防ぐ「不注意の心理学」: なぜ起きる うっかりミスや勘違い   【現場事故を防ぐ「不注意の心理学」: なぜ起きる うっかりミスや勘違い】(#2206)

  山下 富美代
  価格: ¥1260 (税込)
  日刊建設工業新聞社(2012/3/7)

 本書は、「人によってエラーを起こす程度やまたそれが事故につながりやすい場合とそうでない場合など個人差がある」として、「このような個人差や背景要因について焦点を当て、現場の事故防止という観点から注意の心理学的メカニズムを中心に述べ」たものです。
 著者は、「注意の特性についてよく理解すれば、自ずと不注意についても明らかになる」として、注意の特性として、
(1)注意の選択:注意の対象の選択から外れたものに対しては不注意となる。
(2)注意の集中:新しい事柄や自分にとって興味のあること、やりがいのある仕事に対しては注意が集中し、心身の活動水準も高まる。
(3)注意の範囲:瞬間的に注意が行き届く範囲は数で言えば7個前後だと言われている。
の3点を挙げています。
 第1章「ヒューマンエラーと注意の関係」では、「注意とは、車のエンジンの始動にガソリンが必要なように、人間が何らかの活動をするために必要な心的エネルギー(処理資源)といえる」と述べています。
 また、認知科学者・認知工学者のノーマンが、エラーを、
(1)スリップ:ある目標のもとに行動を起こそうと意図するが、何らかの妨害にであって本来の意図とは異なるものになってしまうこと。
(2)ミステイク:何かをしようとするときに、その状況にはマッチしない不適切な方法を使おうとする結果起こるエラー。
の2つに分けていることを紹介しています。
 第2章「現場の力を支える注意力」では、「人が認知活動を行う上手、外界の情報をどのように取り入れ、どう諸理するか、その仕方には個人個人の特徴がある時間的にもまた比較的安定している」と述べています。
 第3章「注意力アップで現場力を強化する」では、駅乗務員の指差し呼称について、「指を出す、電車の進行方向に体を向ける、声を出すという行為を通して、自分の頭の中に内在しているものを外に出す、つまり外化することで意識できる効果がある」と述べています。
 第4章「注意環境を創り出す」では、ヒューマンエラーの要因として、
(1)病理的要因(Pathologicalo Factor)
(2)生理的要因(Physiological Factor)
(3)身体的要因(Physical Factor)
(4)薬剤的要因(Pharmaceutical Factor)
(5)心理的要因(Psychological Factor)
(6)社会・心理的要因(Psychosocial Factor)
の6点を挙げ、「ヒューマンエラーの6P」としています。
 本書は、人がどのように不注意になってしまうのかを認知的な観点から解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 日頃から公私にわたって失敗の多い身としては身につまされるところも多いわけですが、「エラー」と「ミス」って違うものだって知りませんでした。「反省します」っていう言葉を「今度は気をつけます」くらいの意味でしか使っていない人も少なくない中、なんで失敗したのかを正しく理解することは再発防止には欠かせません。


■ どんな人にオススメ?

・失敗の多い人生を送っている人。


2012年6月13日 (水)

でこぼこした発達の子どもたち

■ 書籍情報

でこぼこした発達の子どもたち   【でこぼこした発達の子どもたち】(#2140)

  Carol Stock Kranowitz (著), 土田玲子 (監修), 高松綾子 (翻訳)
  価格: ¥2,520 (税込)
  すばる舎(2011/6/22)

 本書は、「感覚統合障害」について、「様々な視点から理解すること」が、「障害を抱える子どもや生徒たちのことをさらによく理解することにつながる」ことを目的としたものです。
 第1章「まわりで、こんな子みかけませんか?」では、感覚統合障害について、「体の様々な感覚から受け取る情報をうまく使うことができないために、日常生活のできごとに対して、スムーズに対応できない障害」だと定義し、
・ビクビクちゃん:感覚が非常に敏感
・ノンビリちゃん:感覚が非常に鈍感
・モットちゃん:感覚の刺激を非常に求める
・ワカンナイちゃん:感覚刺激の識別が難しい
・グニャグニャちゃん:姿勢の問題を持つ
・モタモタちゃん:器用さの問題を持つ
などの例を挙げています。
 第2章「感覚と体の動きは、どうつながっているの?」では、「感覚情報処理」について、「からだの感覚器官を通して体内や周囲の世界から取り入れた『日常生活に必要な感覚情報』を整理する機能」だと述べた上で、「感覚統合障害がある」ことは、「脳に損傷や病気がある」という意味ではなく、「脳が消化不良を起こしている」、または「脳の中が交通渋滞になっている」状況を言うと述べています。
 第4章「前庭感覚の情報処理がうまくいかないと…」では、前庭感覚(平衡感覚)を、「『どちらが上でどちらが下か』、『今、自分は直立しているのかどうか』といったことを私達に教える感覚」だとした上で、「すべての感覚の基盤となる前提感覚系を通して、私たちはこの世界の中で、自分の存在や自分の立場というものを感じることができる」と述べています。
 第8章「診断とセラピーを受ける」では、「こんな場合は間違いなく支援が必要」だとして、
(1)子どもの抱える問題が、その子自身の生活の妨げとなっている場合
(2)子どもの抱える問題が、周りの人の迷惑となっている場合
(3)園や学校の先生、小児科医、友人から支援を求めるようにアドバイスされた場合
の3つの診断基準を挙げています。
 第9章「家庭生活をよりよくするために」では、「感覚統合障害を持つ子に対して、その子の神経系の問題に対処したり、神経系が必要とする特定の感覚を満たしてあげたりする活動のこと」である「感覚統合ダイエット」似つて、「気分が高まり機敏になる活動」と「調和のとれた行動を促す活動」の組み合わせでできていると述べています。
 本書は、家庭生活や学校生活の中で現れる感覚統合障害について、事例を挙げながらわかり易く解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 小さな子供の不安定な発達を、感覚の情報処理がうまくできない状態、と説明しているのはすごく納得がいきました。今まで「個性」の一言で片付けられていた子供の様々な問題を冷静に見るためには必要な視点なのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・子供のいろいろな問題に頭を悩ませている人。


2012年5月10日 (木)

犯罪捜査の心理学―プロファイリングで犯人に迫る

■ 書籍情報

犯罪捜査の心理学―プロファイリングで犯人に迫る   【犯罪捜査の心理学―プロファイリングで犯人に迫る】(#2118)

  越智 啓太
  価格: ¥1470 (税込)
  化学同人(2008/5/20)

 本書は、「現実のプロファイリング研究について、できるだけ最新の研究までを焦点に入れて紹介」しているものです。
 第1章「FBIによるプロファイリングプロジェクト」では、殺人事件の多くは、「金か愛」のトラブルが原因で起きたものであるが、「連続殺人(serial murder)」などの、「被害者と加害者に金銭関係や恋愛関係などのない事件」もあり、「このような事件では、捜査は前者の場合に比べて格段に難しく」なることから、1960年代後半からFBIが「この種の犯罪を解決するための研究プロジェクトを発足」させ、これがのちに「プロファイリング」として知られることになったとしています。
 そして、FBIの方法論について、「一人、一人の犯人の『心の闇』について想像をふくらませるのではなく、科学者としての冷静さをもって多くの連続殺人事件のデータを収集しデータベース化した」結果、犯人の行動を「Organizedタイプ(秩序型)」と「Disorganizedタイプ(無秩序型)」に分けることができたとしています。
 第2章「プロファイリングの新たな展開」では、FBIのカテゴリー分類がうまく当てはまらないケースもたくさん出てきた結果、「より客観的に犯人の行動を分析し、より適切なカテゴリーを設定していく」というアプローチが要求され、リヴァプール大学のカンター教授のグループの研究では、「最小空間分析」という統計的な手法を用いて犯罪行動を分析すつことを考えたと述べ、「この方法を用いると、類似している行動は相互に近くに、類似していない行動は離れて空間的に配置した図を作成すること」(空間マッピング)ができるとしています。
 第4章「犯人の危険性を推定する」では、ミューレンによるストーカーの分類として、
(1)拒絶型ストーカー
(2)憎悪型ストーカー
(3)無資格型ストーカー
(4)親密希求型ストーカー
(5)略奪型ストーカー
の5つを挙げ、それぞれについて、危険度を分析しています。
 本書は、映画などでは何やらブラックボックスめいた技術として描かれがちな「プロファイリング」を、地道な科学技術として解説した一冊です。


■ 個人的な視点から

 映画でよく目にする「プロファイリング」技術ですが、ブームのきっかけは、やはり1990年代の『FBI心理捜査官』なのではないでしょうか。当時はテレビでまるで魔法のように扱われた(ほとんど「FBI心霊捜査官」と同じような扱い)この技術にも、きちんとした統計的な裏付けがあることを本書は教えてくれます。


■ どんな人にオススメ?

・『羊たちの沈黙』でビビった人。


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